ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

9 / 34
放浪篇 05

 

 

 三日後――。

 

 ボクの姿はフォックスさんとラヴィさんと共に、竜の角の北塔の前にあった。

 ドアクトさんの死は《ルプガナ》の街に大きな衝撃を与えたものの、彼の死を悲しむ者はほとんどいなかった。彼が死んだ後に残った莫大な遺産を目当てに相続人達が目の色を変えていた。街の人々も彼の死を悼む者はほとんどおらず、貧しい者達は喜びの声すら上げていた。

 当然、彼の仇を討とうなどと考える者は誰もおらず、相続人達からの《黄金の精霊像》奪還の任務を受ける腕利き傭兵は、ほとんどいなかった。安過ぎる報酬と今後のルプガナでの己の身の安全を天秤にかけた結果である。

 目の前で理不尽な死を目撃したボクは、その怒りの感情を胸にしたまま、相続人達からの依頼を受け、闇に消えた彼らの足取りを追う事にした。彼らの本拠地を知っていたフォックスさんが、別口の仕事から戻ってきたラヴィさんと共に、《黄金の精霊像》奪還の任務に付き合ってくれていた。

 

「こんな分かりやすいところに本拠地があるなんて……」

「それだけカンダタ一家を擁護する人々もいるってことさ……」

 

 塔を見上げながら唖然とするボクに、フォックスさんが答えた。土地に根を張り、民衆の間にいる支持者達の協力のお陰で、過去、幾度も試みられた盗賊団討伐を事前に察知し、うまくやり過ごしてきたという。

 

 ――それでもボクは、アイツを許せない。

 

 眼前で行われた非道な殺戮は決して擁護出来るものではない。アイツを必ず捕まえて、裁きの場へと引き出そう――ボクはそう決意して彼らのアジトに乗り込んだのだった。

 竜の角の北塔は南塔とは異なり、魔物払いの結界に守られている。盗賊のアジトらしく一、二階こそ迷路になっていたが、三階以降は実に単純な造りだった。

 幾つもの小部屋があったものの、そこには人っ子一人いない。鼻息荒くアジトに乗り込んだボクだったが、大人数の生活の気配にふと首をかしげた。

 さらに上の階でボクは思わぬ発見をする。それは大部屋の中で息を潜めていた多くの子供達の姿だった。

 部屋に乗り込んだボク達の顔を見て、一瞬、子供達が安堵の表情を浮かべたものの、直ぐに緊張のものへと戻った。

 

「盗賊ども、どうやら人攫いもしていたみたいだな……」

 

 フォックスさんの何気ない呟きに、ボクの中の怒りがさらに大きくなる。

 

「何が義賊だよ。こんなの卑怯者のする事じゃないか!」

「そうね……」

 

 ラヴィさんが悲し気な笑みとともに相槌をうつ。

 

「ユーノ、悪いが俺達はこの子達を無事に塔の外に連れ出したい。構わないか?」

 

 フォックスさんの問いにボクは直ぐに首肯した。《黄金の女神像》の奪還よりも、この子供達の保護を優先するのは当然である。何かを守りながらの戦いに慣れている二人なら、これだけの数の子供達を守りながらでも大丈夫なはずだ。後顧の憂いなく、ボクは一人、カンダタ達との戦いに挑む事にする。

 

「ゴメンね、ユーノ……」

 

 小さな子供達に囲まれたラヴィさんが、申し訳なさそうに言う。

 

「大丈夫、こう見えてもボクは、勇者なんだから……」

 

 これはボクが望んだカンダタとの戦いである。多くの人々の期待を背負う勇者だからこそ、例え一人であっても、決して怯んではならない。

 

「その、ユーノ……。済まない……。頼んだぜ……」

 

 珍しく、フォックスさんが何かを言いたそうに口ごもり、不安げな表情を浮かべた。きっと頼りないボクを一人送り出す事が不安なのだろう。そんな二人に笑顔を返して、ボクは急ぎ階段を上って行った。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「ほう、ようやく来たか!」

 

 塔の屋上でボクを待っていたのは、カンダタ只一人だった。辺りに注意深く気を配るものの彼の手下達の姿はない。一対四を覚悟していただけに、少しばかり拍子抜けだった。それでも用心するボクの心を読み取るかのように老盗賊は笑った。

 

「安心しろ。お前ごときガキなど、オレ様一人で十分だ。手下どもは今頃、次の仕事に向かっている頃さ」

 

 彼がドアクトさんを殺害した瞬間が思い浮かぶ。あんなことがまた繰り返される――その事実にボクの怒りがさらに増幅する。

 

「どうしてドアクトさんを殺した? 義賊だなんてうそぶいて……、人攫いまでして……」

 

 昔、故郷にいた頃、義賊だという彼ら一党の逸話を少しばかり格好いいと思っていたこともある。だからこそ、なおさらカンダタのことが許せなかった。そんなボクの事をしばらくじっと見つめていたカンダタは、少しだけ表情を緩めた。

 

「それで……、ヤツが死んで、悲しむヤツはあの街にいたのか?」

 

 一瞬、言葉を失った。カンダタの言うとおり、街の人達どころか、相続人達すらその死を悼む者はいなかった。

 

「だからといって、貴方がやった事は決して許されることじゃない!」

 

 ボクは彼を強く弾劾する。その行為を思い出し、ボクは彼を断罪する。それが勇者としての責務に思えた。

 そんなボクの姿をカンダタは声をあげて笑った。

 

「ハッハッハッ、正しいな。お前は本当に正しい。さすがは御立派な勇者様だな……」

 

 何かを達観したかのようなその表情と言葉に、ボクは激昂する。腰の剣をすらりと引き抜き、盾とともに構えた。

 

「お前のような名前だけのガキ勇者に、オレ様を倒せると思っているのか?」

 

 カンダタは手にした《大斧》を構えた。

 

「伝説の勇者様とやら……。そんなにテメェの正義を示したいのなら、相応の力を以て、示してみろ!」

「言われなくても、やってやる!」

 

 ここから先はもう、言葉などいらない。言葉と同時に踏み込んだ。

 振り下ろされたボクの鋭い一撃を老盗賊は難なく《大斧》で受け止める。同時に繰り出された前蹴りを、ボクは素早く飛び下がってかわした。

 ボクの目の前をブンと音を立てて《大斧》の柄が空を切り、すぐさま脳天目掛けて巨大な刃が振り下ろされる。回り込みながらかわして、振り切ったボクの剣を、カンダタは見かけによらぬ俊敏さで転がってかわす。

 一瞬のめまぐるしい攻防の後に、再び距離を取る。

 

 ――強い!

 

 全く息を切らさず涼しい顔で立っている目の前の老盗賊の戦士としての力量は、ボクのそれを軽く凌駕している事を実感する。

 それでもボクは戦わねばならなかった。

 勇者としての正義を示す為に絶対に引いてはならぬ戦いに、ボクは初めて身を投じようとしていた。

 再び振り回された《大斧》の柄で、頬をぶん殴られ振り回された《大斧》の一撃を受け止めた盾ごと吹き飛ばされる。強力すぎる攻撃を連続で受け、ボクはゴロゴロと不様に床に転がった。

 

「弱いな、小僧」

 

 倒れたボクを見下ろして、カンダタは言った。

 

「お前……、戦う相手を舐めているのか? 盗賊風情と俺を軽んじて、自分より強い者を相手に全力を出さずに勝てると本気で思っているのか。俺達がやってるのは、ガキの剣術ごっこじゃねえ、殺し合いだぞ!」

 

 太い足が倒れたままのボクの身体を蹴り飛ばす。ゴロゴロと転がってそれをかわしたボクは慌てて起き上がる。鈍い痛みに耐える間もなくさらに《大斧》の連撃がボクを襲う。寸前で身をかわしながらボクは反撃すると、隙を見つけて再び距離をとった。

「全力を出せ」などといわれても、とっくにボクは全力である。

 だが、それでも目の前の盗賊の力量には及ばない。きっと彼も伝説の勇者の強さに幻想を抱いているのだろう。老い始めているとはいえ、修羅場を潜りぬけてきた強靱な体力と老獪な戦の駆け引きの前には、駆け出し勇者のボクなど及ぶべくもない。魔物とは勝手の違う戦いに、ボクはいいように翻弄されていた。

 

 ――じゃあ、もしも相手が魔物だったら……。

 

 そう考えたところで、ふと思い直す。

 目の前にいるのが魔物だったならば、ボクはどんな戦い方をしていただろう?

 おそらくこんな風に迷ったり、力の足りない自分への甘っちょろい言い訳などしてなかったはずだ。明確な殺意を持って襲ってくる魔物に対して、ボクも又、容赦なく……。

『お前は本気じゃない』――カンダタの言わんとする事がようやく分かった。体力も技術も経験も全てが上。それでもボクにはボクにしかできぬ戦い方がある。

 剣を構え、素早く精神を集中する。それを隙と見たのか、カンダタが突進しようとした。すかさずボクは当たるはずのない剣先をカンダタに向け、大きく叫んだ。

 

「ライデイン!」

 

 放たれる雷撃が一直線に伸びて、老盗賊を直撃した。雷撃を浴びたカンダタは身体を痙攣させ、僅かにたたらを踏む。戦意こそ衰えぬものの顔色が変わったその様子に、ボクの攻撃が効いている事を確信した。畳みかけるように再び呪文を放つ。

 

「ライデイン!」

 

 炎や氷の魔法を扱う事ができる者は多くいるし、手練れの戦士ならばその対策も心得ている。だが、勇者にしか使えぬこの呪文を、防ぐ手立てはない。

 二発目の雷撃を浴びたカンダタが苦しそうに片膝を付く。チャンスとばかりに無我夢中で飛び込み、振りかぶった剣でカンダタを一刀両断した。

 大斧の柄ごと袈裟がけにカンダタを斬りつける。その一撃が致命傷であることは確実だった。武器と共に戦意を失いながらも、カンダタはニヤリと笑った。

 

「やればできるじゃないか……。青っ白い勇者殿……」

 

 そのままドウと音を立てて仰向けに倒れた。ボクはその姿に呆然とする。

 今の一撃、かわそうとすれば出来なくはなかった……。少なくとも致命傷にならぬようにするくらいはできた筈。

 だが、老盗賊はボクの攻撃をあえて、真正面からそれを受け止め、敗北の道を選んだ。まるで自分からそれを望むかのように……。

 

 ――一体、どうして……。

 

 肩口から大きく斬り裂かれ、石床を血で真っ赤に染める老盗賊に駆け寄ろうとした。不意に背後に数人の気配を覚え、振り返る。そこに立っていたのはフォックスさんとラヴィさん、そしてカンダタの手下達だった。

 互いに争う気配もなく、まるで古くからの知り合いのように寄り添って、彼らは厳しい表情を浮かべて、ボク達の元に歩み寄った。

 

「フォックス……か?」

 

 倒れたまま弱々しいしゃがれ声で尋ねる盗賊の傍らに、フォックスさんとラヴィさんが片膝をついた。

 

「ああ、オヤジ、終わった……みたいだな……」

「お義父さん……」

 

 二人の姿と言葉にボクは愕然とした。何が何だか分からぬボクを置いて、三人は言葉を交わす。

 

「フォックス、オメエのお気に入り……、なかなかの……モンだったぜ、まだまだ……生っ白いとこは、多いけどな……」

「そうかよ……」

 

 そこまで言って、カンダタは苦しそうに血を吐いた。治癒を施そうとするラヴィさんの手を止め、彼は別れの言葉を続けた。

 

「フォックス……。あまり……、ラヴィに……心配かけんじゃ……ねえぞ」

「分かってるよ……」

「ラヴィも……。早くいい男見つけて……とっとと……嫁に行け。フォックスなんかに……構ってても、幸せにゃ……なれねえぞ……」

「バカ……」

 

 伸ばされた二人の手を握って胸の上で合わせると、カンダタはそっと目を閉じる。

 

「悪いな……、後は……、頼んだぜ……」

 

 そう言ってカンダタはそれっきり目を覚ます事はなかった。何かをやり切ったという満足気な表情を浮かべて、穏やかに彼は逝った。ラヴィさんと手下達のすすり泣く声だけが塔の屋上に響き渡った。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「どういうことだよ、これは! どうして、フォックスさん達がカンダタの手下と……。それにお義父さんって……」

 

 ボクにはもはや何が何だか分からなかった。混乱して大声を上げるボクに、答える者は誰もいなかった。

 暫くの沈黙の後で、フォックスさんが立ち上がり振り返った。その目を僅かに赤くはらしながらも、その複雑な心情を押し殺すように彼は無表情だった。しばし、ボクの目を凝視した後で、静かに口を開く。

 

「どうってことはねえ。伝説の勇者が悪逆非道を働いた盗賊団を成敗し、再び街に平和が訪れた……。只、それだけのことだ……」

「そんなの……答えになってない! ごまかすのはやめてよ。ボクは、ボクは……、取り返しのつかない事を……、貴方達の大切な……」

「黙れ! ユーノ! そんな考え方、二度と口にするんじゃねえ!」

 

 フォックスさんが大声で遮った。出会って以来、いつもふてぶてしい態度でボクに接してきたフォックスさんに初めて怒鳴りつけられ、ボクは言葉を失った。暫し、ボクを睨みつけていたフォックスさんだが、やがて大きく息を吐くと元の穏やかな表情に戻って語り始めた。

 

「ユーノ、この一連の事態は全て、俺達のオヤジであるカンダタが望み、仕組んだ事。そしてこの地に暮らす多くの人達が望んだことでもあるんだ。お前だって見てきただろう。ルプガナに暮らす人々の繁栄と嘆きを……」

 

 僅かに冷静さを取り戻したボクは小さく頷いた。

 

「《富める者》と《貧しい者》……。一度その差がついてしまえば、決して埋まる事はない。ただ開く一方だ。世の表側で王宮からの太守が、そして裏側でカンダタ一家がそれぞれの方法でその差を埋めようとしても、焼け石に水。人の欲望なんて留まるところを知らないからな……」

 

 眠る様に息を引き取ったカンダタを見下ろしながら、フォックスさんは語る。

 

「知っての通り、ドアクトの野郎はずいぶんと多くの奴らに恨まれていた。己の儲けをより大きくするために見栄えの良い餌をぶら下げて釣り、貧しい者や弱い者をがむしゃらに競わせる。もしかしたら自分だけはよい目を見られるかもという貧者の焦りにつけこんでな……。競争に負け不平をいう輩には責任を押し付け、切り捨てる。負けたのはお前の責任だ。お前の努力が足りないからだ、なんていってな。切り捨てたところで、変わりはいくらでもいる……。でも、ヤツだって、実はかわいそうなのさ。この街の流れの中で潰されぬように懸命に儲けを求めた結果、一代であれだけの財をなし、その生き方にふさわしい惨めな結末を迎えたんだから……。アイツの人生は、ある意味、今の《ルプガナ》の縮図なんだよ……。《貧しい者》が得るはずの取り分を巻き上げて栄える《富める者》達は恨まれ、《富める者》から奪うことでしか生きられない《貧しい者》も又、《富める者》に恨まれる。《貧しい者》を助けようなんて義賊を気取ったところで、善人を傷つけずに済むことはできない。あくどい事をせずにそこそこ栄える全うな商家を襲うこともあるんだからな。この街に暮らす、《富める者》と《貧しい者》との間の憎しみは、もう限界近くに達していたんだ……」

 

 塔の屋上に吹きすさぶ風の中、フォックスさんの声だけが静かに響く。

 

「生贄が必要だった……。《富める者》と《貧しい者》双方の憎しみを引き受け、ほんの一時でも互いが冷静に向き合うためのな……。それがやり過ぎたドアクトと《貧しい者》の味方のカンダタさ……」

「そんな事って……」

「ああ、酷い話だろ……。ドアクトだって自分から望んだ訳じゃない。一方的に押しつけられただけだ。だが、多くの者達の憎しみを背負った生贄として、ヤツは最適だった。ヤツが無残な死を迎えることで、ルプガナの《富める者》達の心に大きな楔を打ち込めた。だが、同時に不安も生まれる。強欲な悪党を殺したとはいえ、そんな大盗賊を野放しにして街の秩序が保たれるのかってな……。盗賊征伐は太守の仕事だが、それをすれば、《貧しい者》達の怒りを買い、今後の街の支配者であり調停役としての力を失いかねない。そこで、暴挙を働いた大盗賊を偶々通りかかった正義の勇者が成敗する……。そうすることで、誰もが納得する物語が成立する」

 

 ボクは愕然としたまま、言葉すら出なかった。

 

「大盗賊カンダタが成敗されることで、表側の調停役である太守は《ルプガナ》の状況を改善する口実を得、裏側の調停役であるカンダタ盗賊団も又、生き残ることができる。オヤジが死んでもその志を受け継ぐこいつらは暫し身を潜め、やがてまた裏の調停役としての役割が必要とされれば、盗賊団として再起する。カンダタ盗賊団は、そうやって幾世代も時を重ね、志を受け継ぎながら長い時代を生きてきた。全てを丸く収めるための物語を作るためには勇者や英雄という権威が、これ以上はないって程にうってつけだったんだ……」

「だから……、だから……、ボクを利用したの?」

 

 フォックスさんの襟もとを掴んで詰め寄るボクの問いを、彼は否定しなかった。

 

「そうだ。全ては俺が仕組んだ事だ。お前を巻き込み、焚きつけ、うまく誘導した。俺が全て……」

 

 彼の言葉を最後まで聞く前に、ボクは彼を思い切り殴りつけていた。

 

「見損なったよ。ずっと信じてたのに……」

「すまない、ユーノ……」

 

 何かを言おうとしたラヴィさんを差し止めて、フォックスさんは続けた。

 

「恨みたかったら、俺を恨め。お前には……、そうする権利がある」

 

 すまなさそうに頭を下げるフォックスさんの姿を前にして、もう居ても立ってもいられなかった。しばし、フォックスさんを睨みつけていたボクは、《道具袋》に手を伸ばし、《キメラの翼》を取り出した。そして、釈然とせぬ気持ちを抱えたまま、逃げ出すようにその場を離脱した……。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 数日が経過した。

 竜の角の北塔から帰還したボクは暫し、《ルプガナ》の街に逗留した後で、定期船に乗る為に波止場に向かっていた。

 街にカンダタの死が伝えられ、奪われた《黄金の精霊像》が返還される事で、《ルプガナ》の街の空気はずいぶんと変わっていた。

 

『貧しい者を踏みにじり続けた強欲な極悪商人を殺した大悪党。それを通りすがりの正義の勇者が成敗し、勇者は黙って何処かへ去って行った!』

 

 単純すぎる構図の物語は街の人々に速やかに受け入れられ、噂話となって駆け巡った。《富める者》、《貧しい者》、それぞれの立場からその物語を受け止め、フォックスさんの言った通り、街の空気は、ボクが訪れたときよりも少しだけ和らいだものになっていた。

 

 多くの人々にとって、勇者の正体や物語に隠された真実などどうでもよかった。

 苦しい日々を重ねることで募る不満が、爽快な物語で解消され、又、変わらぬ日常を重ねる。そんな人々の姿や街の様子を目の当たりにしながら、日が経つごとにボクも又、冷静さを取り戻していた。

 

 ドアクトさんの非業な最後を目の当たりにしてのボクの怒りは、決して間違っていた訳ではないと、今でも思う。勇者の責務などと鼻息を荒げ、自分勝手な正義を振り回して老盗賊を弾劾するその行為も、今のボクには過ちであったとは思えない。

 だが、ドアクトさんにもカンダタにもそれぞれの立場があり、フォックスさんの行動も又、大きな目で見た時、そこに正義があったという事が分かりかけていた。

 

 結局、誰かが間違っていた訳ではない。でも犠牲失くして、誰もが納得する結末なんてありえなかったのだろう。ボクは勇者として望まぬ役割を押し付けられ、心ならずもそれを果たすことで、この街は一歩前に進むことができたのだ。

 

 ボクにそんな役割を押し付けたフォックスさんの心境は、どうだったのだろう?

 

 彼の全てを知るほどに長く付き合ってきたわけではないけれども、自分の事を恨め、といった彼の苦しそうな顔が、ふと思い浮かんだ。少しだけ冷静にあの時の事を振り返れば、彼も又、悪意があった訳ではない事に気づいた。

 

 ――もう二度と会う事はないのかもしれない。あんな別れ方するんじゃなかった。

 

 いつしかそんな後悔がボクの心に渦巻いていた。

 ぽっかりと胸に穴があいたような気持ちを抱えて歩くボクの前に、ふと、見覚えのある姿が現れた。穏やかな風の舞う波止場で、ボクを待っていたのは、ラヴィさんだった。

 傍らに荷袋を置いた彼女はボクの顔を見て、ぎこちない笑顔を浮かべる。互いに向かい合い、暫しの沈黙の後で彼女は口を開いた。

 

「ゴメンね。ユーノ。私達の事……、やっぱり……許せないよね……」

 

 ボクは、慌てて大きくかぶりを振る。

 いつもフォックスさんと共にいた以上、ラヴィさんも又、その全てを知っていたに違いない。でも、ボクには彼らを責める気持ちは毛頭なかった。

 

「もういいよ、ボクの方こそゴメン。何もかも放りだしちゃってさ……」

 

 ありがとう、とラヴィさんは小さく微笑んだ。整った顔つきに生まれた小さな微笑みは、彼女を可愛らしく見せる。再び黙りこむボクに、彼女はぽつりと話し始めた。

 

「あのね、ユーノ、あの塔にいた子供達の事、覚えてる?」

 

 ボクは黙って、首肯する。

 

「あの子達はね、本当はさらわれてきたわけじゃない。いろんな事情で行き場を失って路頭に迷いかけているところを盗賊団が保護していたの。そして私も、フォックスもそんな子供達の一人だった……。あの子たちは私達にとって血のつながらぬ家族であり、兄弟姉妹でもあった……」

 

 意外な事実にボクは目を見張った。

 

「それでも助けられるのは、ごく一部だけ。街にあふれる全ての子供達ではないわ。私達はきっと幸運な方なの……。お義父さんや盗賊団の大人達に見守られ、私達は大人になってそれぞれの道を生きる。ある者は農家や商家へ、ある者は盗賊団に、そして私達のように盗賊団とその一味を外側から支える者も……」

 

 喧騒と潮騒の中、ラヴィさんの声だけがボクの耳に響いた。

 

「昔ね、私達にはやんちゃな弟分がいたの。ユーノって、言ってね……」

 

 驚くボクに、彼女はクスリと笑った。

 

「ずっと昔に流行り病であの子は逝ってしまった。生きていたらきっと貴方と同じくらいかな。だから《ムーンブルクの遺跡》で貴方に出会った時、私達は驚いたわ。そしてそんな貴方が勇者である事に奇妙な因縁を感じてた……。ルイーダに私達と引き合わせるつもりだったと聞いてそれを確信した……。だから、フォックスも私もずいぶん迷ったわ。貴方にあんな役割を背負わせる事に……。でも貴方ならいつかきっと分かってくれる、戦った相手の為に涙を流すことのできる優しい貴方なら、私達が背負わそうとしてるものの重みを理解してくれる、フォックスはそう言ったの。結局、貴方を苦しめる事になってしまったけれど……。本当にゴメンね、ユーノ……」

 

 それはボクへの謝罪であると同時に、ボクではない別の誰かへの謝罪だったのかもしれない。

 

「フォックスはああ、だからね、自分で貴方への罪を背負うつもりだったけれど……。本当は今回の一件、勇者の復活を聞きつけたお義父さんが画策したことなの。だからといって許されることでは……、ないけれどね……」

「もういいよ、ラヴィさん……。分かってるから……」

 

 泣きそうになるボクを、ラヴィさんはそっと優しく抱きしめた。ほっそりとした身体からラヴィさんの温もりと想いを感じ取る。ぽたぽたと流れ落ちたボクの涙が、ラヴィさんの肩を濡らす。

 

「ボクは……大丈夫だから、そう、フォックスさんにも伝えてよ」

「うん、ユーノ、元気でね……」

 

 一瞬、ボクを強く抱きしめた後で、ラヴィさんはボクから離れ、傍らの荷物からアイテムを取り出した。

 

「《魔封じの杖》。これはフォックスからあなたへ。《ムーンブルクの遺跡》で貴方を救った道具よ。そして私からは、昨日とれたばかりの《雨露の糸》を。滅多に取れないものだけど、きっと勇者の旅に必要だという精霊からあなたへの贈り物よ。そして……」

 

 周囲を見回し、声を潜めて、ラヴィさんは続けた。

 

「そして、最後に情報を一つ。貴方が探す《反逆の黒き勇者》は、このあたりに立ち寄った形跡はない。カンダタ盗賊団の総力をあげての調査情報だから間違いないわ」

 

 大きく目を見張る。それはボクにとって余りにも有益なものだった。

 二人の心からの餞別を受けとって、ボクは涙をふく。それでもあふれそうになる涙をこらえ、お互いにぎこちなく笑って別れを済ませると、ボクは定期船に乗りこんだ。

 

 出発の銅鑼が鳴り響き、多くの人々に見送られて、定期船はそっと岸を離れた。外海へと漕ぎ出そうとする定期船の甲板から、徐々に離れていく《ルプガナ》の街をボクは黙って眺めていた。

 また一人になったボクの新しい旅が、今、始まろうとしている。

 占い師のお婆さんが言ったように幾つもの出会いと別れを繰り返し、これからのボクは勇者として一体、何を得るのだろう?

 

 不安、躊躇い、戸惑い……。

 

 色々な人達の無責任な期待や願いを背負って、勇者はそれでも前に進み続けなければならない。果たしてボクにそれだけの強さがあるのだろうか?

 不安を共有する事の出来る相手のいない淋しさを、心に押し込めようとしたその時、ボクは岬の灯台の下に寄り添うように立っている二つの人影を見つけた。その姿を見て、ボクは思わず身を乗り出した。

 

 フォックスさんとラヴィさんだった。

 

 甲板の上に立つボクに気付いた二人が手を上げる。ボクは大きく両手を振った。互いに言葉はいらなかった。

 

 ――行ってきます!

 ――しっかりな、負けるなよ!

 

 二人の姿だけでなく、灯台すらも見えなくなるその時まで、ボクは両手を振り続けた。

 そして、手を振るのをやめた時、ボクの心の中にあった未来への不安は、いつの間にかすっかり消え去っていた。

 

 

 

2014/03/30 初稿

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。