ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

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放浪篇 02

 

 

「へへっ、アルマさんよ! 目当ての物は見つかったのかい?」

 

 野卑な笑みを浮かべ、男達は物陰を探る彼女の魅惑的な肢体を舐めるように眺めていた。一人の男が、彼らの前で挑発するかのように揺れる蠱惑的な臀部に手を伸ばそうとしたその時、ごそごそと何かを探っていたアルマが身を起こした。

 

「ええ、貴方がたのお陰で、目的の物をようやく見つけることができました」

 

 松明の光の中に浮かび上がるアルマの手には、手のひら大の球体があった。不気味な闇色に染まったそれに、男達は思わずごくりと唾を飲み込んだ。きっと値の張る物に違いない――相棒と目配せをした男は、己の置かれた幸運すぎる状況に素早く打算を働かせる。

 

 目の前にあるのは高価な宝物と魅惑的な肢体の女――。

 

 道中、邪魔でしかなかった小うるさいガキ勇者は、食事に仕掛けた眠り薬と止めのラリホーで、今やすっかり夢の中のはずである。にやにやと笑いながら一人の男が彼女に言った。

 

「ところで、アルマさんよ、報酬の件なんだが……」

「ええ、それは無事に帰りつきましたら、きちんと……」

「足りねぇんだよなあ。こんな不気味なところで危険な目に合わせられたんだからさぁ……。俺達としてはもうちっとばかり上乗せしてほしい訳よ……」

「そんな事をおっしゃられましても……。私は神に使える身……。お約束のお礼だけで精一杯なのですが……」

 

 松明の明かりの中に浮かぶ心底困ったような様子の彼女の姿に、男達はごくりと唾を飲む。

 

「別にカネじゃなくてもいいんだぜ。……分かるだろ?」

 

 鼻息を荒げながら、アルマの肩に手を掛け、強引にその身体を引き寄せる。アルマの小さく上げた悲鳴がさらに男達の欲望をそそった。

 

「な、何をなさるのですか! 私は、神に使える身。このような事は、神がお許しに……」

「大丈夫さ。貧しいものに施すのがアンタ達の仕事だろ。哀れな俺達にも十分な施しをしてくれれば、神様だって褒めてくれるさ」

 

 再び悲鳴を上げて身をよじるアルマの姿に、男達は理性を失いかけていた。

 

「あ、アニキ、ずるいぜ、自分ばっかり、俺にも抱かせろよ!」

「うるせえ、がっついてんじゃねえよ! 時間ならたっぷりあるさ。夜は長いんだからな!」

 

 甘い匂いをさせて身をよじらすアルマを奪いあいながら、理性を失いかけた二人の男が小さな諍いを始める。

 

「そうですか、そのように言われるのであれば、仕方ありませんね。約束は約束。守らねば神を裏切ることになりますもの……」

 

 冷静な声が二人の諍いを止めた。気がつけば獲物を巡る男達の諍いの最中、いつの間にか男達の腕をすり抜けていたアルマが、少し離れた石台の上に腰かけていた。

 乱れた髪を手櫛で整えながら、豊かな胸元を僅かにはだけた。スカートの裾をそろそろとたくし上げて白い太腿を見せつけ、男達になまめかしい視線を送る。

 

「さあ、いらしてくださいな。心正しき貴方がたに神よりの御恵みを差し上げましょう」

 

 仄明るい松明の輝きに浮かびあがるアルマの魅力は、男達から冷静さを失わせるには十分すぎた。アニキと呼ばれた男がアルマに飛びかかり、その豊かな胸に顔をうずめる。再び上がったアルマの悲鳴が、男達の興奮を最高潮へと押し上げた。

 衣服を引き裂く音が周囲に響き、激しい息遣いと獣のようなうなり声が上がる。

 そしてうなり声は……、突然、激しい絶叫に変わった。

 アルマに覆いかぶさっていた男の身体が激しく痙攣する。痙攣した男の身体は直ぐに動かなくなり、石台の上からごろりと音を立てて転がり落ちる。

 

「なんだよ、アニキ、そんなによかったのかよ……」

 

 にやにやと笑いながら倒れたままの男に近づいた相棒は、その顔を覗き込むや否や、顔色が変わった。倒れた男は苦悶の表情を浮かべたまま絶命していた。

 

「お、お前、アニキに、一体何をした……」

 

 すっかり乱れきった服装を直そうともせずに起き上がったアルマは妖艶に微笑んだ。そこにあったのは儚げな旅のシスターではなく、全く知らぬ女の顔だった。己が両腕で、その肢体を抱きしめるようにして、彼女は身悶えるように続けた。

 

「何をと申されましても……、ご覧のとおりですわ。この方はこの胸に抱かれ、死の抱擁によって至福の瞬間を迎えて神の元へと召されたのです。ああ、全ては偉大なる神のお導き……。さあ、貴方もこちらへいらっしゃいな……。共に参りましょう」

 

 ゆらゆらと両手を伸ばしてアルマは男を誘う。全身を恐怖に戦慄かせ、男は腰の剣を引き抜いた。

 

「この、魔女め……」

 

 その言葉にアルマは笑った。

 

「まあ、魔女なんて人聞きの悪い。私は神の使いと言っているではないですか」

 

 そっと石台の上に立ち上がると彼女は闇に包まれた球体を取り出し、何やら呟いた。瞬間、彼女の姿が大きく変化する。

 

「ま、魔族……。お、お前……、《地獄の使い》か」

「おや、ならず者風情のくせに、よくご存じですのね。ご褒美にたっぷりと苦しみを与えて神の生贄としてあげましょう」

 

 妖艶な笑みを浮かべた彼女は、おいでおいでと男を手招きする。

 

「じょ、冗談じゃねえ……」

 

 慌ててその場を逃げ出そうとした男だったが周囲を見て、ぎょっとした表情を浮かべる。既に幾匹もの魔物達が彼を取り囲み、舌なめずりをしていた。

 

「く、来るんじゃねえ」

 

 恐怖に錯乱してむやみに剣を振り回す男に、魔物達が一斉に襲い掛かる。激しく抵抗するものの多勢に無勢。血しぶきをあげ、絶叫する男とその傍らに転がったもう一人の男の躯にたかる魔物達の姿を石台の上で楽しみながら、アルマは手の中の球体を天に捧げた。

 

「ああ、今宵、私はとうとう百人目の生贄を邪神様に捧げる事ができました。偉大なるハーゴン様。私にさらなる力をお与えくださいませ!」

 

 天に捧げた球体から闇が溢れ、アルマを包む。その身体がさらに変化する。自らの身体から溢れださんばかりの闇の力に恍惚とした表情を浮かべて、彼女は歌うように言った。

 

「おお、私はついに《悪魔神官》に昇格したのですね。なんと辛く長い苦難の日々だったのでしょう。今、ようやく全ての苦労が報われる……。ああ、この喜びを誰かと分かち合いたいものですわ。そうそう、そこの勇者様。私の新たなる人生の門出を共に祝ってはいただけませんか?」

 

 幾度も上がる男の悲鳴を頼りに、ようやくその場所に駆けつけたボクは、目を疑うかのような無残な光景の前で立ち尽くし、《地獄の使い》から《悪魔神官》にクラスチェンジとしたばかりのアルマさんの情熱的な誘いを受けたのだった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「アルマさん、貴女は一体……」

 

 呆然としながらボクは彼女に問う。そんなボクに無数の魔物を従え《悪魔神官》と化した彼女は、微笑みながら答えた。

 

「驚くほどのことではありませんよ、勇者様。これぞ私のあるべき本当の姿。実の母にも兄達にも捨てられた私の信じられる物は唯一つ。大いなる神の教えを説くハーゴン様……、ただお一人です」

 

 ハーゴンという名には心当たりがあった。はるか三百年も昔に、ボクの御先祖様である勇者たちに邪神ごと滅ぼされた邪教の長の名前である。

 

「じゃあ、アルマさん、貴女のいう神ってのは……」

 

 ここにきてボクは初めて気づいた。彼女は『精霊の教え』とは言わずに『神の教え』と言い続けていた事に。ボクの言いたい事に気づいた彼女はその先を続けた。

 

「そうです、勇者様、私の信じる神は、私のような者に居場所すら与えぬこの世を破壊しつくす邪神……。愚かな者達に鉄槌を下し、この世を永遠の闇と混沌に導いてあるべき姿を取り戻す正しき神。それこそが私の求める真の理想……」

 

 立っていた石台の上からひらりと飛び降り、彼女はボクの目の前に降り立った。

 

「いかがですか、勇者様。実は私、種族の壁を越えて、あなたの事をとっても気に入っておりますの。ここまでの道中、私如きの為に何かとお骨折りをして下さったその可愛らしい優しさ……、とても嬉しかったですのよ。この世を破壊し尽くし、私達の理想郷を生み出す為に共に参りませんか?」

 

 ゆるりと両手を伸ばし、彼女はボクの両頬をそっと包み込む。思わぬ彼女の温もりとほんの僅かに浮かんだ寂しげな表情が、強く心を揺さぶった。しばらく彼女と視線を合わせた後で、ボクはそっと拒絶の意思を示した。

 

「ゴメン、アルマさん。ボクは貴方と一緒に行く事は出来ない。貴方が破壊し尽くしたいと願う世界には、ボクが失いたくない大切な人達がいる。ボクは勇者として……、それを守らなければいけないんだ……」

 

 彼女の手の温もりからするりと逃れ、数歩後退して《刃のブーメラン》を引き抜いた。

 

「そうですか、貴方には大切な居場所があるのですね。そして、貴方はやはり、真の勇者様……、なのですね」

 

 両腕をそろりと下ろし、彼女は寂しげに微笑んでボクに背を向ける。そのまま数歩歩いて彼女はゆるりと振り返った。

 

「では、仕方ありません。《悪魔神官》となった私の最初の獲物として、貴方を血祭りにあげ、その亡骸をハーゴン様への手土産とさせていただきましょう!」

 

 振り返ったそこにボクのよく知る儚げなアルマさんの姿はそこになく、その瞳に宿っていたのは狂気だった。彼女の言葉を合図にボクは先制の一撃を放つ。

 放り投げた《刃のブーメラン》が闇の中へと消え、鋭い音を立てて周囲の魔物達を切り刻んでいく。返ってきたブーメランを受け止めるや否や盾で防御したボクに、数匹の魔物達が体当たりをかける。よろよろとよろめきながらもどうにか踏みとどまり、更なる一撃で次々に仕留めていく。ボクとの力量差に恐れをなした弱い魔物達は慌てて逃げ出し、姿を消した。

 

「ふふっ、さすがは勇者様。そうでなくては張り合いがありません。では、これならばどうでしょう」

 

 闇に染まった球体を天に掲げ、呪文を唱えた彼女の周囲に、幾つもの不穏な気配が湧く。床に転がるならず者たちの肉片を核として、五体の《リビングデッド》が現れた。

 

「アルマさん、一体その力は……」

 

 驚くボクに、彼女は答えた。

 

「これは《ダークオーブ》。長年、この地に置かれ、人々の邪念、怨讐、野心といった負の感情に染まりきり、やがてはこの地が『呪われた地』と呼ばれる元凶となったもの。この溢れださんばかりの闇の力こそ、私が求めたものです」

 

 生み出された《リビングデッド》は、ボクとアルマさんとの間に壁となって立ちはだかった。再び放った渾身のブーメランの一撃は最初の《リビングデッド》を真っ二つに斬り裂き、さらに次のものの首を撥ね飛ばしたが、三体目の身体に深々と突き刺さって勢いを止めた。《刃のブーメラン》を失ったボクに残り二体の《リビングデッド》が襲いかかる。

 初動こそ遅いものの、その限界知らずの筋力による攻撃は、己の身体の破壊も顧みずに盾ごとボクを撥ね飛ばした。地面を転がったボクは慌てて、腰の《鋼鉄の剣》を引き抜き、態勢を立て直す。

 

「まだまだですわよ、勇者様」

 

 アルマさんの呪文で再び五体の《リビングデッド》が立ち上がる。《ダークオーブ》の力のせいか、破損した部分はすぐさま修復され、ゆらゆらと身体を揺らしながら魔物達はボクに近づいて来た。

 斬れ味鋭い《鋼鉄の剣》で次々に斬り伏せるが、魔物達は再びオーブの力で復活する。悪い事に真っ二つに斬り裂いたはずの《リビングデッド》はさらに二体に数を増やして襲いかかってきた。いつしか十体の《リビングデッド》に囲まれたボクは完全に劣勢に立たされ、全く勝機の見えぬ戦いの中で体力を消耗させ続けていた。

 アルマさんの手の中にあるオーブを、どうにかしなければならぬのは分かっているのだが、立ちはだかる《リビングデッド》の壁に阻まれ、手が出せない。魔物の身体に突き刺さったままの《刃のブーメラン》の回収もできぬまま、ボクは一方的に押され続けていた。

 際限のない消耗戦。ボクの身体はいつの間にか毒に犯され、その動きはみるみる悪くなっていく。

 

 絶対絶命――。

 

 そんな言葉がふと思い浮かぶ。次第に重くなっていく己の身体とともに気分までも沈んでいく。

 

 ――もう、いいじゃないか。このまま、寝てしまおう。

 ――死んだって、どうせ復活するんだから……。

 

 一瞬、甘い誘惑が脳裏をよぎる。だが、誘惑に思わず屈しそうな弱いボクの心を踏みとどまらせる、ひとつの光景が思い浮かんだ。

 

 ――真の勇者だったら、こんな事くらいで決してあきらめないはずだ!

 

 最後の最後まで力を振り絞って魔物たちと対峙した男の姿が思い浮かぶ。伝説の紋章が刻まれた盾を持った彼こそが、きっと真の勇者だったに違いない。

 その姿を思い出したボクの身体に再び気力がみなぎっていく。《鋼鉄の剣》を天に掲げ、心に思い浮かんだままの言葉とイメージを目の前のリビングデッド達に叩きつけた。

 

「ライデイン!」

 

 剣先から飛び出した稲妻が、《リビングデッド》達に襲いかかり、核となったならず者の肉片を消し炭へと変えていく。核を失った《リビングデッド》達は、その身体を保つことができなくなって、次々に崩壊し、消滅していった。

 

「ライデイン!」

 

 再び放たれたボクの呪文が残りの《リビングデッド》を一掃する。瞬く間に十体の《リビングデッド》は消滅し、その身体に突き刺さったままだった《刃のブーメラン》がカランと音を立てて転がった。それを拾おうとしてバランスを崩し、片膝をつく。《鋼鉄の剣》で身体を支えるのが今のボクの精一杯だった。

 震える手で《道具袋》から《毒消し草》と《薬草》を取り出し口に含む。水筒の水で一気に飲み干したボクの身体が薬の効果でゆっくりと回復していくのが分かった。

 

「お見事です、勇者様。伝説に恥じぬ立派な戦いぶり……。私、感動しました。さあ、それでは次は私が相手です。永遠の苦しみから生まれる快楽を与えてご覧にいれましょう」

 

 楽しそうに笑みを浮かべたアルマさん、否、《悪魔神官》は、一対の《フレイル》を構える。ボクは立ち上がり、《刃のブーメラン》を拾い上げて構えた。

 

《悪魔神官》。

 勇者の泉で見たその強大な魔法の威力を思い出す。《破壊の剣》の一撃ですらコブ一つで済ませたあの時と一体どれだけ差があるだろうか……。小さな不安にかられる。生まれた僅かな隙を見逃すはずもなく、立て続けにメラミが襲った。

 

「どうされました? 勇者様。気を抜くと直ぐに黒コゲですわよ」

 

 再び襲ってくる火の玉をかわし、ボクは《刃のブーメラン》を投げ付ける。だが、目標にひらりとかわされ、《刃のブーメラン》は虚しく戻ってきた。幾度投げたところで当たる事はないだろう。

 

 ――駄目だ。接近戦しかないな。

 

《刃のブーメラン》を腰に戻したボクは、剣を手に正面に盾を構えて、突進する。放たれたメラミの炎を正面から受け止め、小さくないダメージをものともせずに《悪魔神官》の懐に飛び込んだ。そのまま右手の剣を力任せに叩きつける。

 斬りつけたボクの剣を、女性とは思えぬ膂力を持って、左手の《フレイル》で受け止めると、《悪魔神官》はすかさずもう片方の《フレイル》で反撃する。それを盾で受け止め、再び剣で斬りつける。互いの攻撃が空を斬ったと思えば、次の瞬間には火花を散らしてぶつかり合う。相手が女性だからといって気を抜く余裕はなかった。明らかに力量差のあるこの相手に対して、全力で挑まねば確実に殺られる。その殺気をひしひしと感じながら、ボクは無我夢中で戦った。

 

 激しい攻防は続く。

 

 間合いを離されればボクに勝ち目はない。放たれる強力な呪文に耐えきるだけの力はもう残っていなかった。連戦と激しい戦闘で精神力を削られ、極度の集中力を要する攻撃呪文はもう放てないだろう。

 無茶を承知で《悪魔神官》にくらいつき、攻撃を止めぬボクだったが、蓄積するダメージは徐々にボクの身体を蝕んでいった。

 さらに戦闘のリズムを読まれたボクが、足を引っ掛けられバランスを崩したところに、《フレイル》の強打が容赦なく襲いかかった。わずかに生まれた防御の隙間から叩き込まれた一撃はボクの腹部を襲い、たまらずボクは床に転がった。

 身体の芯に残ったダメージが体内を暴れ回り、ボクは息もできずに苦しみのたうちまわる。

 

「楽しい時間というものは、必ず終わりがくるものなのですね……。ごきげんよう、かわいい勇者様……」

 

 苦しみのたうちまわるボクを見下ろしながら《悪魔神官》は、《フレイル》を持った右手をそっと天に掲げた。

 フレイルの先端の大気中に何かが凝集していく。その気配に、ボクは覚えがあった。イオナズン――あの日の洞窟内での強力な威力を思い出し、背筋を凍らせる。

 

「これで、終わりにしましょう」

 

 ほんの一瞬、浮かんだ寂しげな微笑み。そして《悪魔神官》はボクに止めを刺すべく右手を振りおろそうとした……、その瞬間だった。

 

「おい! 聞こえていたら、そのまま、伏せていろ!」

 

 知らない声が戦闘中の大広間に響いた。

 振り下ろそうとした右手を止めて、慌てて辺りを見回そうとする《悪魔神官》の周囲に不思議な色の煙が生まれた。生まれた煙はその身体にまとわりつくように漂い、暫くして《悪魔神官》の中に吸い込まれるように消えていった。同時に今にも放たれようとしていた巨大な魔法の気配が一瞬にして消えた。驚愕の表情が《悪魔神官》の顔に生まれる。

 

「やれ! 今がチャンスだ!」

 

 後方から聞こえる何者かの声に従うかのようにボクは跳ね起き、盾を捨て去り、両手で剣の柄を握り占め、《悪魔神官》に向かって身体ごとぶつかっていく。防御する間もなく剣でその心の蔵を刺し貫いた勢いのまま、ボクと《悪魔神官》は床に倒れた。

 

「お見事……、でしたわ……、勇……者様……」

 

 ボクの身体の下で倒れ伏す《悪魔神官》、否、アルマさんは吐血しながら小さく微笑んだ。左右のフレイルを放りだした彼女は、そのままボクの両頬を包む。暖かなその温もりがボクの心の中のとがった闘争心を優しく融かして行く。

 

「私の事は……お忘れなさい……な。かわいい……勇者……様。あなたは……、あなたの世界の為に……、正しい……事を、なさったのです……から」

「アルマさん……」

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐその顔を、いつしか溢れだしていたボクの涙が濡らす。己の心臓にボクの剣を突き刺したまま、よろよろと起き上がった彼女は、最後の力を振り絞り、石台の上に立った。

 

「さようなら、かわいい……勇者……様。あなたの事……、決して……嫌いでは……、あり……ません……でしたよ……」

 

 小さく儚げに微笑んで、彼女は手にしたオーブを天にかざす。そして力の限りに叫んだ。

 

「偉大なるハーゴン様。今、アルマめが、この闇の力を貴方様に捧げます。どうぞ……、お受け取り下さいませ!」

 

 瞬間、ダークオーブが怪しく輝き、封じこまれていた闇の力が天へと昇っていく。残されたアルマの生命力すらも全て抜き取って生まれた闇は一瞬にして消え去った。

 

 そして静寂が再び訪れた。

 

 全ての力を使い果たしたアルマさんの身体が、石台の上で崩れおちる。アルマさんの胸に深々と突き刺さっていた《鋼鉄の剣》が倒れた拍子に抜け落ち、カランと音を立てて床に転がった。

 

「アルマさん!」

 

 駆け寄ったボクにアルマさんが答える事はなかった。ただ満足そうな表情を浮かべて眠る様に息を引き取っていた。手の中のダークオーブは闇の力を全て吐き出したらしく、紫色の光に輝いていた。

 絶体絶命の場面で、ボクに救いの手を差し伸べてくれた何者かの足音を背後に聞きながら、ボクはアルマさんの亡き骸を抱えたまま、とめどなく溢れる涙を流し続けていた。

 

 

 

2014/03/09 初稿

 

 

 


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