ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

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試練篇 04

 

 

 それから数日、ボクは長旅の疲れが出たせいか、自宅で熱を出して寝込んでいた。ベッドの上で繰り返し思い出されるのは、泉の中での遭遇戦のことばかりだった。両親たちがそんなボクの事を気遣ってくれたおかげで、ボクはその頃、街が大きな騒ぎになっていることに気づきもしなかった。

 ようやく起き上がることができるようになったその日、ボクは久しぶりにのんびりとした気分で母さん手製の昼食を食べていた。

 と、裏口の扉が激しく叩かれ、勢いよく開かれたそこには、なじみの客の姿があった。

 

 現れたのは、父さんの古い友人である城の兵士長さん。

 時折、酒瓶を持って現れる気さくなおじさんの顔はそこになく、厳しい表情で、リボンで括られた紙の筒を手に立っている。その姿を見て、父さんと母さんがその場に膝をつく。ボクも慌てて従った。

 膝をつくボク達を見下ろし兵士長さんは、紙の筒を解くと朗々と読み上げた。それは王様からの召喚状だった。

 

『告げる。勇者見習いユーノ・R・ガウンゼン。此度の働きにつき、問い正したき宜、之あり。直ちに登城し、余の元に拝謁せよ!』

 

 逆らうことなどできようはずもない、その呼び出しにボクは眉を潜める。勇者のバッジはすでに返還し、見習いとしての資格を失ったボクを、未だに勇者見習いとして呼びだす理由。心当たりが全くないボクだったが、そんなボクに父さんは、行ってこいとだけ言った。その表情はいつになく険しい。

 暫く後、少しばかり仕立ての良い服を着たボクは、兵士長さんに連れられ、街の人々の好奇の視線にさらされながら、王城へと向かった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 城の大広間は、異様な緊張感に包まれていた。時が止まったかのように重苦しい沈黙に包まれていたその場所は、ボクの到着と同時に動き出す。

 玉座に座る王様の傍らには大臣が立ち、物々しいいでたちの親衛隊の兵士達がならぶ。さらには、以前の謁見の時にいなかった国の重職を担う人々や、絢爛とした衣装に身を包んだ名家の主と着飾ったその伴侶達が連なっていた。ちょっとした舞踏会を連想させる空気の中で、片膝をついたボクに、王様は徐に声をかける。

 

「顔を上げよ。勇者見習いユーノ・R・ガウンゼン。しばらく伏していたというが、体調はどうだ?」

 

 本来、王様への直答は許されるものではないが、今のボクには、まだ勇者見習い特権が残っているらしい。失礼のないように注意しながら、ボクは答えた。

 

「はい、お陰さまで、ようやく回復しました。もうすっかり元通りです」

 

 ボクの答えに王様が僅かに表情を緩めた。さらに続ける。

 

「此度、試練の道中、そなたには余の兵士たちが世話になり、命すら救われたものもいるという。そなたの父とともに親子二代の忠義、まことに天晴れなり」

 

 洞主様を守って倒れた兵士たちと詰所で倒れていた兵士は、皆、命を取り留め、すっかり回復しているという。

 王様の感謝の言葉に周囲がにわかにざわめいた。かつて兵士である事と引き換えに王子の命を救った父さんの事を覚えている人達はまだいるようだ。

 

「あの、陛下。今日は、一体ボクにどのような御用件が……。勇者見習い資格はとっくに無くなっているもの、とばかり思っていたのですが……」

「うむ、そのことだが、実はな……」

 

 王様が黙りこむと同時に、大臣が進み出る。その手には恭しげに何かを抱えていた。ボクの元へとやってきた大臣は、手にしたそれをボクに差し出した。

 

「ユーノ君。まずはこれを手にとってみよ」

 

 首をかしげながらも言われるがままに、くすんだ鈍い色のそれを取り上げる。

 瞬間、それは眩しい光に包まれ、周囲を明るく照らし出した。身体の中から何かが溢れるような感じがして、気分がすっきりする。場内に大きなどよめきが湧く。誰もが唖然とした表情で、光り輝くそれを手にしたボクを見つめていた。暫くして輝きが弱まったそれをマジマジと見つめ、ボクはそこに勇者ロトの紋章が刻まれている事に気づいた。

 

「それこそは《ロトのしるし》。ロトの武具こそ持ち去られたが、泉に残されていた只一つの勇者の証だ」

 

 厳かに王様が告げる。泉での戦いの最中に倒れたルザロが落としたものを、戦いの後で洞主様が拾い上げていた光景を思い出した。

 

「今、多くの者達が、その眼を持って一つの奇跡を目撃した。すなわち……」

 

 玉座から立ち上がり、王様はさらに続けた。

 

「古のロトの秘宝が、この若者、ユーノ・R・ガウンゼンを当代の勇者として認めた。すなわち伝説の勇者の再来を、余はここに宣言する」

 

 場内がさらに大きく揺れる。

 ボクは僅かな輝きを秘めた《ロトのしるし》を手に、突然の成行きに呆然と立ち尽くした。自分の身に起きている事に今一つ実感が湧かない。すっかり言葉を失い、一人、立ち尽くすボクに幾つものどよめきが襲った。ふと、一組の夫婦が歩み出る。

 

「お待ちください、陛下。その決定、ご再考願えないでしょうか」

 

 歩み出たのはルザロの両親だった。どこかやつれた様子の二人だったが、母親の方は、立ち尽くすボクをキッと睨みつけている。

 ルザロの身に起きた異変は大きな問題となっているらしい。両親である彼らにも厳しい事情聴取を行うべきだという意見が根強いという事を、登城の道中にボクは兵士長さんから聞いていた。なまじ彼の家が名門であるだけに、彼の家とつながりの深い家々の反発が強いらしく、王様は微妙な立場に立たされているという。

 

「このような一方的な御裁定、我々は承服致しかねます。我が息子ルザロの言葉を聞くでもなく、一方的に断罪されるはあまりにも不公平。この新たな勇者とやらに選ばれた少年が、己に都合のいい嘘偽りを吹聴している――私どもはそう考えております」

 

 ルザロの父親の言葉に場内がざわめく。王様の隣に控えていた大臣が眉を潜めて答えた。

 

「口を慎まれるがよい。この決定はあくまでも陛下の御名のもとに、洞主殿と当番兵達の証言を経て、公平な判断の元に行われたもの。何より新たな勇者殿は、先日の一件にて、己の力を十分以上に越えた戦場に立ち、人の道を踏み外した貴殿らの御子息に堂々と立ち向かい、その身を呈して多くの者達の命を救われたのだ。帰還以来、つい、昨日まで床に伏せていた彼に、嘘偽りを申し述べるような機会などありはすまい。心得違いも甚だしい!」

 

 場内のざわめきが収まった。ルザロの父親は顔を歪めて黙りこむ。その傍らのルザロの母親の表情がさらに険しいものになり、ボクを相変わらず睨みつけている。再び静まり返った場内の人々は誰もが当惑の色を浮かべていた。

 

 それもそのはず……。

 

 突然、勇者と名指しされたボクだったが、百年以上もの間、誰一人として超える事の出来なかった勇者の試練を乗り越えることができたわけではない。ボクの手元で輝いている怪しげな伝説の遺物に選ばれたからといって、誰もがそれを納得するなんて都合のよい事はありえない。

 当のボク自身、首をかしげる事態である。場内の全ての人々からの奇異と疑惑と興味本位の視線に耐えられなくなったボクは、思い切って口を開いた。

 

「待って下さい。勇者の試練を完全に果たしたわけでもないボクが勇者にだなんて、正直、気が進みません。それにきっと、納得しない人だっているはずです。少しだけボクに考える時間をいただけないでしょうか?」

 

 試練の道中に出会った勇者見習いの少年や、ルザロの顔が思い浮かぶ。

 理由はどうあれ、勇者になりたくてたまらなかった者達から見れば、ボクの幸運はきっと納得できぬものだろう。尤も当のボクがそれを幸運とはとても思えなかったが……。

 

「ふむ、よかろう。勇者の復活など前例のないこの事態。確かに軽々しく決められることではないな。ユーノよ。願いどおり時間を与えよう。勇者の旅路は過酷な旅路。己の心に問いかけ、覚悟のほどをしかと確かめるがよい」

 

 王様が厳しさの中にも優しげな笑みを浮かべて厳かに言った。大臣に促され、一礼して退出したボクだったが、降ってわいたような勇者騒ぎは、それで幕を下ろす事はなかった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「お待ちなさい!」

 

 どんよりとした気分のまま、下城すべく王宮内の廊下を歩いていたボクを引きとめたのは、ルザロの母親だった。先日の一件で、これ以上顔を合わせるのは、正直きつかった。ボク自身がルザロの変心についてまだ信じられないのに、彼の母親が納得出来ないのは当然である。険しい表情を浮かべたままの彼女は、ヒステリックな声でボクに向かって言った。

 

「お前、勇者になるつもりですか?」

「その……、正直、困っています」

「だったら直ぐに、陛下の元に戻って資格を返上してきなさい! 勇者とは私のルザロの為にあるのであって、お前のような下々の為にあるのではなくてよ! ルザロはロトの武具に選ばれたのですから、当然、勇者の資格はあの子にある、いいえ、未来永劫、あの子と我が一族だけのものです!」

 

 支離滅裂なその言葉に唖然とする。

 どこか狂気を宿した今の彼女に、おそらく何をいっても聞く耳はないだろう。一つため息をつき、無言で会釈をするとボクは彼女に背を向けた。

 

「そうですか、口で言っても分かってはくれぬようですね……」

 

 言葉と同時に背後に異様な気配が揺らめいた。反射的に振り返ろうとしたボクのわき腹に鋭い痛みが突きささる。同時に身体全体が動かなくなったボクは、その場に崩れ落ちた。

 周囲には幾人もの人影があるものの、誰も、ボクに駆け寄ろうなどとはしない。薄く嘲笑うその姿をみて、彼らがルザロの家に連なる家々の出身の者である事を理解した。

 刺されたわき腹を抑えて倒れ伏したボクの傍らに、ルザロの母親が立ちはだかる。手にはボクの血に染まった《毒蛾のナイフ》が怪しくきらめいていた。ナイフの効果で麻痺したボクの身体に、さらにナイフを突き立てようとする彼女。狂気の表情を隠す事もないその姿を前にして、ボクは身動き一つとれなかった。

 

 ――どうして、こんな事を。

 

 感情の赴くままに狂気の刃を振り回す鬼女と、それを嘲笑いながら見ぬふりをする人々。勇者という称号はそこまでして奪う価値があるものなのだろうか。あるいはこんな人達の期待を背負って、勇者は困難な旅路を歩かねばならないのだろうか?

 

 ――バカバカしい。

 

 怒りに震えつつも、麻痺した身体で身動きひとつとれないボクには成す術がなかった。せっかく命がけの戦いの中でどうにか生き残ったというのに、ボクはこんな所でこんなにあっさりと死んでしまうのか……。悔しさとやり切れなさだけが募る。瞬間、大きな声が轟いた。

 

「そこで、何をしている!」

 

 駆けつける幾つもの足音。

 そして、《毒蛾のナイフ》をいままさにボクに突き立てようとしていたルザロの母親が、あっさりと取り押さえられた。周囲の者達も次々に、拘束される。

 

「ユーノ君。大丈夫か?」

 

 駆けつけたのは兵士長さんとその部下達だった。麻痺したままの身体で、ボクはどうにか返事をしようとしたものの、言葉は出なかった。ルザロの母親達は取り押さえられ、引っ立てられていく。どうにか命の危険が回避され、安心したボクはそのまま気絶したのだった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ローレシアの城下町を外敵から守るかのように大きく囲む城壁の上で、ボクは眼下に広がる草原を目にしながらぼんやりと物思いに耽っていた。

 つい数日前まで、ボクはこの草原の遥か向こうをこの足で歩き、自分探しの旅をしていた。得られたものにどんな価値があるかも分からぬまま、異変に翻弄された旅だったが、過ぎ去っていった時間はなぜかとても懐かしかった。眠れず、空腹に耐え、命の危険すらあったあの日々を振り返るボクの心の中に、いつしかその続きを望む思いが芽生えかけていた。

 

 そんな自身を戒めるかの如く首を振る。

 

 無責任な夢に浮かれる子供時代と決別する旅は終わり、ボクは大人の仲間入りをしなければならないのだ。立派な靴職人となって父さんの靴の隣にボクの靴を並べる事――それがボクの夢だったはずである。

 

 ――勇者になるのは断ろう。

 

 世界の為に常に正義と勝利を求められ、決して負けることを許されぬのが勇者である。そして、勇者になりたい奴ならいくらでもいる。そんな奴らに任せておいても罰は当たるまい。

 欲に目のくらんだ人々に命を狙われ、泉での激しい戦闘で、勇者にはつくづく向いていないと思い知らされた身としては、身の丈を越えた大騒ぎはこりごりである。

 

 ――ボクの生きる世界はこの城壁のこちら側にあるのだ。

 

 無限の自由と無秩序が背中合わせの世界よりも、窮屈でも秩序ある場所こそが人間らしく生きられる――勇者の試練でボクはそう学んだはずだった。でも心の内に、何かが引っ掛かるような感覚が抜けきれない。

 ふと背後から足音が聞こえた。

 左右のリズムが少しだけ違う聞きなれたそれを耳にして、ボクは振り返る事はなかった。迷いなく近づいて来た足音の主は、ぼんやりと草原を眺めて座るボクの隣に腰かけた。

 

「身体はもういいのか?」

 

 その言葉に黙って一つ頷いた。

 現れた足音の主――父さんは、ボクの方を見ることもなく並んで腰かける。暫しの心地よい沈黙の後で、父さんがぽつりと尋ねた。

 

「断るつもりか?」

 

 ボクは再び一つ頷いた。さすがにボクのことは分かっているようだ。

 

「父さんはボクが断る事に反対なの?」

 

 その問いに、父さんは首を縦にも横にも振らなかった。

 

「かわいい我が子が命を失いかねぬ旅に赴く事を、手放しで喜ぶ親なんていないさ……」

「そっか……」

 

 我が子を勇者とする事に執念を燃やすルザロの両親のような人達がいる一方で、ボクの父さんのような考え方をする人もいる事に気づいた。

 

「お前が勇者の試練に旅立って以来、母さんは毎日、城門に赴いてはお前の無事の帰還を待っていた。毎日眠れぬ日々を過ごしていたようでな、ずいぶんと八つ当たりされたものさ……」

 

 帰還して直ぐに寝込んでしまったボクを、いつもと変わらぬ明るさで励まし看病してくれた母さんだったが、ずいぶんとやつれていたという。

 

「全然、気付かなかったよ」

「そりゃそうさ。お前の母さんはそういう人だ」

 

 少しだけ自慢げに父さんは言った。もう心配はかけられないなという思いが、ボクに勇者の資格返上という決心を強めさせた。

 

「なあ、ユーノ……」

 

 暫くの沈黙の後で、父さんは徐に口を開く。

 

「勇者の試練に挑む事。例え貧しくともRの名を正しく受け継ぐ誇りを忘れず、己と向き合いなさい――かつて俺は父親からそう教わり、それをお前に伝えた。強制はしなかったが、お前も又、それを己の義務として受け止め、無事にやり通した。かつての俺と同じように片道だけでも歩きとおし、さらには多くの人の命を救って無事に帰ってきたお前の事を、俺は心底誇りに思う」

 

 珍しくボクの事を褒める父さんの言葉に、小さな驚きを覚えた。ボクの方を見ることもなく父さんは淡々と続ける。

 

「あの過酷な道のりの中で、お前は己の真実の姿と向き合ってきたはずだ。かつての俺と同じように……」

 

 コクリと一つ頷いた。父さんは少し笑うと遠い目をして続ける。

 

「昔、あの泉に辿りついた俺に洞主様はこう尋ねた。『汝、勇者となって何を求めるか?』その問いに、俺は答えられなかった。周りの少年たちと同じようにただ勇者になりたかった、いや、勇者と呼ばれる事にあこがれていただけの俺には、勇者となった後の自分の事を想像できなかった。洞主様に答えられなかった俺は、自分からそこで旅を止めて王宮兵士となった。お前も知っているだろう?」

 

 小さくボクは頷いた。それは子供のころから幾度も聞かされた話であり、ボクが勇者というものに懐疑的な理由の一つでもある。

 

「王宮兵士としての毎日は辛いものだった。ただ、目的も形もない概念だけの勇者に比べれば、守るべきものがあり果たすべき役割がはっきりとしている日々の務めは、退屈なことだらけではあったが、今振り返れば充実した時間だった。王子を庇って負傷し、兵士をやめざるを得なくなった時、周りは引きとめたり同情してくれたものだが、俺自身は不思議にスッキリとしていた。一人の男として一つの事をやり遂げたという充実感があったからな……」

 

 父さんの古くからの友人である王宮兵士のおじさん達との交流は今も続いていて、非番の日にはよく訪ねてきて母さんの手料理で歓待されている。

 

「靴職人になって、母さんを娶り、お前が生まれ、俺だけが守らねばならぬ物ができた時、俺はふと不安になる時がある。大人とは万能なものではないからな。自分達の日々の生活が、実はとても危ういバランスの上に成り立っている。誰もがその潜在的な不安を内に秘め、それでも日々の生活をして、か細い繋がりを頼りに生きている。人がよりそって生きるというのは、そういうことだ」

 

 そんな父さんの不安は初めて聞く。それはいつも堂々と自身に満ち溢れているように見える父さんが、初めて見せる顔だった。

 

「こうしていると一見、平和に見えるローレシア国内だって、実はそこかしこで争いの種は尽きない。時に人間同士が、あるいは魔物に襲われ、危険と隣り合わせの中で日々を送る名もなき小さな村々に住む人たちだって決して少なくはない。戦場を知らぬ者は、国の為に戦い命をかける兵士たちの事を、さも立派で尊いように騙るが、本当は違う。人が命をかけるのは、自分にとって身近な人々との関係を守るためだ。例え、自分が死んだとしても、自分の事を忘れずにいてくれる、そして自分達が守ろうとしたものを守り、未来に向かって語り続けてくれる――そう信じられるからこそ、生きてきたその場所や時間を守る事に、たった一つしかない命以上の価値を見出し、己を惜しまずに戦う事ができるんだ」

 

 父さんは目を閉じ、暫し躊躇するかのような表情を見せる。やがて大きく息を吐き、再び口を開いた。

 

「今、多くの人々の心の中に、決して小さくない不安が生まれようとしている。覚えているか、お前が旅立った日にあった大地の揺れを……」

 

 ボクはその言葉に首肯する。一年に二、三度起こる大きな揺れ。決して揺れるはずのない大地が揺れるという事実は多くの人々の心に曇りを生じさせている。

 

「揺れるはずのない大地が揺れた日に旅立った者達の間に生まれた勇者騒ぎ。元王宮兵士としての俺の勘が、この事を無視してはならない偶然だと告げている。だが、その事に答えを見つけだし、人々の心から不安を取り除くことは、靴職人でも王宮兵士でも決してできない……」

 

 その言葉にボクは、はっと顔を上げた。堅実な父さんの口からそんな言葉が出るなんて思いもよらなかった。

 

「勇者とは何か……。その正しい答えを知るものなんてどこにもいやしない。三百年も前に生きた人間のことなんて誰も知らないんだから当然だ。だが、そう呼ばれた彼らが何をしたかは誰もが知っている、それこそ、小さな子供ですら……な」

 

 傍らに座ったままだった父さんは、そこで初めてボクの方を向いた。

 

 「今の俺は、子を持つ一人の親としては最低なのかもしれない。母さんは決して許さないだろう。でもな、ユーノ。俺は一人の父親として、そして男としてお前に言わなければならない。これまで誰もなりえなかった勇者という運命に、お前は選ばれたのだ。勇者の試練の中で、俺よりも立派に道を示したお前は、その現実と向き合わなければならない……、俺はそう思う」

「父さん……」

「お前も見てきたはずだ。勇者という言葉と虚像に振り回される多くの人々の醜態を……。そして、勇者になることよりも、王宮兵士になることよりも、靴職人になろうと願うお前だからこそ、俺は勇者たるにふさわしいと思う。世界などという漠然としたものの為に命をかける事……。か細い繋がりの中で日々を生きる人間の目から見れば、あまりにも愚か過ぎる行為だ。だが今、それが必要とされ、無責任な伝説になど惑わされることなく真実を探求し、未来を切り開いて行くことも又、立派な大人の男の仕事だと俺は思う……」

「父さんは、ボクに勇者になれって言いたいの?」

 

 驚くボクの肩を、父さんはポンと一つ叩いて続けた。

 

「強制するつもりはないさ。かつて試練に挑む事をお前自身が決めた時と同じように、最後はお前が決めるんだ。勿論、靴職人になることだって悪いことじゃない。ただな……、ユーノ。己の世界を小さく狭く固めて、賢しらに生きる事が必ずしも良いことではないという事は理解しておくべきだ。目の前の事を上手くやることばかりにこだわって、懸命に積み上げたものが、予想外の出来事であっさりと崩れ落ちる。人生にはそんな時だってあるんだからな……」

 

 そういって父さんは黙りこんだ。

 思いもよらぬ父さんの言葉に、ボクは大きな衝撃を受けていた。

 堅実な生き方を選ぼうとしたボクの心の中に強い風が吹き荒れる。勇者を否定しながらもそれを否定しきれず、自分の足で歩いて得た冒険の更なる続きを、幾度となく否定してきたボク自身の本当の望み。眼下の草原の向こうに広がる広大な世界にもう一度触れることができる――その可能性に心震えるボク自身がいる事に気づいた。

 

 ――一体、ボクはどうすればいいんだろう?

 

 黙ったまま隣に座る父さんは、決してその先に触れる事はない。ここからはボク自身が決めて歩かねばならぬ道なのだ。

 遥か地平の彼方に暮れゆく太陽を臨みながら、ボクと父さんはそのまま黙ってその場所で変わらぬ草原の景色を眺め続けていた。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 数日後、ボクは再び王様に拝謁した。

 

『ボクは勇者になります』

 

 謁見場にいた人々がどよめく中、ボクは幾度もの逡巡の末にようやく固まった決意を胸に、王様と顔を合わせていた。

 勇者になる――その決意をすんなりと決められた訳ではない。母さんは猛反対だった。近所の人々の無責任なうわさ話と好奇の視線もボクを大きく迷わせた。

 だが、それでもボクは決断した。日を追うごとに大きくなり、溢れださんばかりの世界への好奇心に従って、その果てを見てみよう。それが勇者の運命を受け入れる事を決めた動機である。

 ボクの決意に満足気な笑みを浮かべた王様が手を叩くや否や、目の前にいくつかの宝箱が置かれた。それらを開いたボクは驚きの声を上げた。

 

《鋼鉄の剣》。《鋼鉄の盾》。《鋼鉄の鎧》。《鉄兜》。

 さらに千ゴールドと薬草などが数点。

 

 新たな勇者の門出にと、王宮兵士でも上級の者にしか与えられぬ装備がボクの為に用意されていた。驚くボクに王様は少しばかり得意気に言った。

 

「巷ではどうも我が王家はケチだ、などと噂が流れておるようじゃからな。今回は復活した勇者の門出という事で、それに相応しい物を取りそろえておる。存分に使うがよいぞ」

 

 宝箱から取り出した武具を装備したボクの姿を目にして、王様は目を細めている。ずしりと重みのある鋼鉄製の装備を身につけ、足には、父さんの会心の一作であるバトルブーツを履いた。

 

「うむ、立派な勇者ぶりじゃのう」

 

 うんうんと満足気に王様はうなずく。

 少しだけ側面を向いたボクは僅かに鋼鉄の剣を鞘から抜いて、その刃の輝きを確かめる。ふと、勇者見習いとしての旅立ちの日に手にした《破壊の剣》の事を思い出した。全ての事の発端があの《破壊の剣》からはじまっているんじゃないだろうか――そんなボクの心の内を察したのか、王様が意外な事を言った。

 

「そういえば、先日、そなたは旅立ちの日に奇妙な武具を引き当てたそうじゃな……」

 

 あの日、ボクが《破壊の剣》を引き当てた事は今や、両親だけでなく街の人々ですら知っている。

 

 ――奇妙なって……、アンタの仕業じゃねえのかよ!

 

 傍らに立つ大臣を始めとした周囲の衛兵のおじさん達の無言の総つっこみを気にも留めずに、王様は続けた。

 

「実はな、我が国の宝物庫には《破壊の剣》などという物騒な代物はないはずなのじゃ」

 

 王様の言葉にボクは驚いた。周囲の人々も呆気に取られている。その様子に王様は小さく苦笑いする。

 

「誰もが余の悪戯などと思うておるようじゃがの……。あの一件に関しては、精霊に誓って余の仕業ではない。担当の者にも確かめたのだが、箱の中に入れておいたのは間違いなく《聖なるナイフ》だったらしい。中身が気付かぬうちに何者かによってすり替えられていた……というのじゃ」

 

 王様の話を信じるならば、あの鍵付きの宝箱は当たりくじだったという。だが、王城の宝物庫にすらない《破壊の剣》という物騒極まりない物にすり替えた何者かの意図が全く見えない。

 

「ユーノよ。剣の一件や泉の事件のことといい、多くの者達と同じように余も又、このお前の旅立ちに何か奇妙な運命を感じておる。勇者として世界に起こりつつある真実を探求し、余の国の民に心の安寧を取り戻すのじゃ。それこそがお前の使命である」

 

 王様がポンと手を打つと、文官の一人が小さなカバンのような物を盆の上に乗せ、恭しくボクに差し出した。

 

「持っていくがいい。かつて勇者達が扱ったという秘宝の《道具袋》じゃ。《ロトの印》に選ばれたお前ならば、きっと自在に使いこなせよう。いかなるものも簡単にしまえるというそれはきっと旅先で役立つはずじゃ」

 

 古びた魔法の品らしいそれを腰にぶら下げる。試しに僅かに口を開いてその中に手を突っ込んでみる。腰からぶら下げられる程度の外見からは想像もできぬほどに中は広いらしく、袋の底まで手が届く気配がない。何気なく中身を探っていたボクの手に球状の物が触れた。取り出したそれは、うっすらと青く輝く手の平大の宝珠だった。それを目にした一人の文官が、目を見張った。

 

「それははるか古に失われたはずの《ブルーオーブ》……。そんなところにあったとは……」

 

 広間が大きく揺れる。他の人々と同じく驚いた顔を浮かべた王様もすぐに気を取り直し、再び口を開いた。

 

「ユーノよ。それも持っていくがいい。きっとお前の旅に役立つこととなるだろう」

「は、はい」

 

 曰くありげな伝説の一品と共に、他の道具も放りこむ。勇者の試練の時に使っていた荷袋もついでに放りこんだ。支度を整え、向き直ったボクに王様は厳かに告げる。

 

「では、行け、当代の勇者よ。まずは奪われた勇者の装備を奪還し、見事、世界の真実を解き明かすがよい!」

 

 謁見場内の多くの人々に見送られ、ボクはその場を後にした。

 城を出ると耳聡く噂を嗅ぎつけた街の人々がボクを見送る為に人垣を作っている。

 突然、着飾った女の子たちの一団に取り囲まれ、きゃっきゃっと黄色い声が飛び交った。生まれて初めての体験だったが、その娘たちの大半が、試練の旅立ちの日にルザロを取り囲んでいた事を思い出し、とても複雑な気分だった。思わぬ激励に慌てたボクは、足早にその場を歩き去る。

 見慣れた城下町の通りを歩き、草原へと続く城門を越えようとしたその時、人ごみの中に、父さんとその背に隠れるかのようにしている母さんの姿に気づいた。

 

 ――行ってきます。

 

 声には出さなかったけれども、父さん達には伝わっているようだ。小さく頷く父さんと懸命にぎこちない笑顔を浮かべようとしている母さんに見送られ、ボクはその場を歩き出した。

 

 それが……、勇者としてのボク――ユーノ・R・ガウンゼンの新たなる旅立ちだった。

 

 

 

2014/02/23 初稿

 

 

 


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