「悪の親玉にさらわれた姫共々、世界を救ってくれ!」
プレイヤーに『箱庭世界の奉仕者たれ』とするありきたりなファンタジー物語。
少しだけ見方を変えると一人の若者が様々な困難を乗り越えて成長し、シリーズを下る毎に頼れる仲間(一部を除く)や、強力な武器や呪文を得、最終的に伴侶とともに自分の居場所を見つけて巣立っていく『自己実現』の物語。
『ドラゴンクエスト』とは世の中が立ち止まることなく前へ前へと転がっていきさえすればよかったあの時代の価値観の典型のような『物語』であり『遊び』だったと思います。
テキストにあまり頼ることなく物語をプレイヤーに想像させつつ、シビアな数値のやり取りで魅せられる冒険に胸躍らせた思い出を持つ方も多いはずです。
やがて、時の移り変わりと共にプレイヤーの分身たる『勇者』という存在は、シリーズ『Ⅳ』を頂点として、少しずつプレイヤーからかい離していきました。
『かわいい我が子』
『みんなで勇者!』
『別にいなくていいじゃん、中途半端だし……。もういらないんじゃね?』
『なんか物足りないからとりあえず脇役で……』
唯一無二だったはずのその存在はいつしか職業の一つと化し、果ては職業案内所のネタにまでされる始末。商業作品やネット小説のファンタジー(?)世界にも勇者になれなかったスペックばかりが高性能なつもりの自称勇者達がわんさかと溢れんばかりです。
時代が流れ、勧善懲悪とは程遠い現実に翻弄される事で、大人から子供へ向けてのメッセージだった物語という幻想は脆くも崩れ、リアルな現実の自分が物語の勇者ではなく、モブキャラですらなかったことに気づいた時、幻想の世界から離れていかれた方、幻想を汚し、あるいは都合のよい別の幻想に逃げ込んだ方――それらが大半であり普通でしょう。そして夢と希望の物語はいつしか遠い日のくだらぬ理想論として忘れ去られていく……。
でも本当にそれでよいのだろうか、などとへそ曲がりな私は考えてしまいます。
時間に追われ、氾濫する莫大な情報の中で、己自身を見失いそうになる。時に置き去りにされてしまった時、物語のように都合よく手を差し伸べてくれる人はまずいません。
現実の世界の中で勇者として活躍できるのは残念ながらほんの一握り。そして歪んだ価値観の中で雁字搦めに縛りつけられているのは大人達だけではないでしょう。目先の数字や事象に踊らされた息苦しい枠の中の世界は狭くて窮屈なものです。
そんな時ふと振り返って、懐かしいものに触れながら自分の立ち位置を見つめ直す。
あるいはやりたい放題に壊して否定するしか能のない愚かな世代によって奪われるだけの世代が、さらなる新しい世代へ伝え繋ぎ共有できるもの。
語らぬ主人公が描く、老若男女問わず多くの人に向けて懐を広く開いたドラゴンクエストシリーズの『物語』や『遊び』には、そんな可能性があったのではないのかと考えます。
たしかに人は勇者にはなれません。
大人に近づけば近づくほどその意味を思い知るでしょう。ほとんど全ての人々がやられ役であり、脇役であり、モブキャラであるという現実を。
では勇者になれなかった人に価値はないのでしょうか?
華々しい主人公一行の活躍は、彼らの心を支える名もなき人々とのつながりがあってこそ、意味をもつのではないのでしょうか?
闘争の末に敗者となった者達も又、世界という視点から見ればその存在に意味があり、勝者となった主人公一行はその選択や決断の結果の『行動』に大いなる責任を負う事になるのではないでしょうか?
そんな考えの元、人と人が本音で繋がれなくなってしまったこの時代に錆ついたロト三部作の物語を引っ張り出し、もう一度勇者という存在の在り方を見つめ直しつつ、その後の世界の物語をでっち上げてみたのがこの作品です(笑)。ドラクエとしてはタブーでありますがあえて一人称を使った拙作に、『ふっかつのじゅもん』を唱えながらそれぞれの過去と現在と未来を重ねつつお楽しみ下さっていただけたならば幸いです。あるいはこれを機に原作シリーズに興味を持っていただけたのならとても光栄です。
最後になりますが、読んでいただいた多くの方々に心よりの感謝を。
高評価ポイントあるいは時に厳しくも素敵な感想コメントを下さった全ての方々に至高の感謝を。
尚、異例ではありますが。
初期の段階より連載期間をとおして唯一満点評価を付けて下さった方。
連載初期において9点評価と共に唯一のツイートを残して下さった方。
そして、初の感想コメントを下さった方。
以上の御三方には、作者より絶大なる感謝と尊敬の念と共に《真の勇者》の『称号』を進呈させていただきます。
お付き合い本当にありがとうございました。
2014年夏 暇犬