ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

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天昇篇 13

 

 

 そこは一片の輝きも見当たらない闇の世界だった――。

 

 息苦しさとともに圧し掛かってくる真っ暗な世界の中で、ボクは途方に暮れていた。

 夢も、希望も、未来も……、そしてボクを信じてくれた仲間達すらも失い、絶望の中で漠然と宙を漂っていた。

 広がる闇は時折大きく震えて見えない波紋を生み出すものの、またすぐに静寂を取り戻す。

 青く澄み切った輝きと共にボクを守っていた伝説の防具は、今やすっかり闇色に染まっていた。

 

 ――終わったんだ、全てが……。

 

 それはボク達が望んだはずの結末ではなかった。すぐそこまで引き寄せていた新しい未来は、一瞬にして消え去り、奈落の底にたたき落とされる。

 

 ――もういいよね。ボク達は十分にやったんだ。

 

 漆黒の宙を漂い、膝を抱えて背を丸める。

 

 ――土台、初めから無理な話だったんだ。世界を書き換えるなんて……。

 

 世界の滅亡という厄介事を押しつけた創造の女神は、やりたい放題に暴れ狂い、自分から希望を叩きつぶしたのだ。

 

 ――冗談じゃないよ。勇者だって人間だ。出来る事と出来ない事があるんだ。何でもかんでも押しつけられちゃ、たまらないよ!

 

 再び闇が大きく揺れた。そして、静寂が戻る。

 

 ――このまま、永遠の時を過ごすんだろうか……。それもいいよね。もう疲れちゃった。 

 

 胸の中にチクリと痛みが走る。ふと誰かの顔がボクの脳裏をよぎった。紅蓮の髪、深紅の瞳。でもそれ以上は……思い出せなかった。

 そのほかにも大切なものが幾つもあったような気がする。でもいずれそれもどうでもよくなるのだろう。闇の中で流されるうちに、気にする事も無くなり、思考を止め、いずれは異形達と同じように命じられるだけの人形と化すに違いない。あるいは只、感情の赴くままに暴れ狂う醜い魔物と化して……。

 

 ――きっとそっちのほうが楽なんだ。

 

 膝を抱えて背を丸めたまま全てを放りだそうとする。

 再び胸をチクリと痛みが刺す。それは先程のものよりも大きかった。

 

 ――もういいだろ。負けたんだ。これ以上、足掻くのはみっともないよ。

 

 胸の痛みは止まらない。

 

「わがままなんだよ! 現実を受け止めろよ! ボクは……ボク達は負けたんだ!」

 

 闇の中にボクの声だけが響いた。さらに言葉にならぬ叫びが響き渡る。

 感情の赴くままにあらゆる醜さを吐きだしてボクは喚き散らす。

 それは、ボクが勇者になった時から、押しつけられ続けた理不尽な世界への恨み事だった。心があげる悲鳴を押し殺し続け、立派な勇者たらんと努力してきたボクに、世界が与えたのは絶望の結末だった。

 大声で叫び、泣き喚き、これ以上はないというほどの醜態をさらす。だが、そんなボクに声をかけてくれる者は誰もいない。

 

 孤独だった。

 この絶望的な闇の世界では、ボクはどこまでも孤独だった……。

 心を殺し、身体を殺し、いずれ全てを殺す孤独のみが、ボクを覆い尽くしていた。

 

 それから、どれくらいたっただろうか?

 さんざんに喚き散らした後で、いつしかそれにも飽きて、ボクはぼんやりと宙に漂っていた。

 

 ――もう、眠ってしまおう。

 

 目を閉じて夢を見る。

 夢の中のボクは、腕のいい靴職人となって、日がな一日靴を作り続けていた。そしてその傍らにはいつも微笑を浮かべている紅蓮の髪、深紅の瞳のゾーニャの姿が……。

 

 その瞬間、ボクは目を覚ます。

 

 ボクの心を支え、最後まで信じてくれた彼女の事を、そして、ボクと共に戦い続けてくれた親友ドラッケンの事を思い出した。

 心の中に小さな炎がともる。瞬間、遥か彼方に何かが輝いたように見えた。

 ゴシゴシと目をこすって、目を細めるが、錯覚だったようだ。

 小さく落胆する。

 ボクの現実はやはりどこまでも闇の中だった。ふつふつと心の中に怒りが湧きあがる。

 

「冗談じゃない! こんなのは間違ってる!」

 

 再び、遥か彼方に何かが輝いた。錯覚ではない、そう確信したボクの胸の中にさらに炎が燃え上がる。

 

「ふざけるな! ボクは……、ボク達はこんな結末望んじゃいない。勝手に終わりにするな!」

 

 輝きが強くなる。あまりにも遠く遥かに離れたその場所にそれは確かに存在した。胸の中の炎が希望の光となって輝き始める。

 全身を大きく揺るがせ、自由に身動き出来ぬ闇の中で、必死にもがきながら光に向かって這っていく。

 

「ボクは負けちゃいない! 必ずこの闇を打ち払い、未来を勝ち取るんだ! ボクの手で!」

 

 闇色に染まった伝説の武具が青い輝きを取り戻す。右手に現れた《王者の剣》の柄を握りしめ、無茶苦茶に振り回して周囲の闇をうち払う。

 再び闇が大きく震え、ボクの周りからその気配が薄まっていく。

 輝きを取り戻した《覇者のブーツ》が《ラーミアの羽》の力を開放した。自由に動けるようになったボクは光に向かって全力で駆け出した。

 

 ――前へ、前へ、さらに前へ……。

 ――カッコ悪くても構わない。不様だと笑われても構わない。

 ――ボクはまだ自分を敗北者だと諦めるつもりはない。例え、たった一人でもこの闇の中、どこまでも足掻いてやる!

 

 心の中に勇気と希望の光が満ち溢れ、光に向かって走り続ける。

 そして、ついにボクはその場所に辿りつく。その場所で輝いていたのは、見覚えのある水晶玉だった。

 

 ――どこで見たんだっけ。

 

 記憶を探る。そして、砂漠のバザーで出会ったお婆さんの姿を思い出した。

 

「どうやら……、諦めんかったようじゃな……」

 

 暗闇の中に不意にしわがれた聞き覚えのある声が響いた。水晶玉の向こうにあの日出会ったお婆さんの姿が浮かび上がる。

 

「お婆さん……、あなたは……一体」

「ワシかい? ワシはワージ。世界に放たれた《ルビスの欠片》の一つじゃよ」

 

 ワージと名乗った老婆がにこりと笑う。

 

「《真の勇者》ユーノよ。ずいぶんと立派になったのう」

「そんな事はありません。ボクは結局、世界を救えなかった……」

 

 瞬間、眼前の水晶玉の輝きが僅かに薄れた。

 

「これこれ、辿りつく早々に、いきなり落ち込んだりするでない。この水晶玉に宿る輝きはお主の胸に宿る希望の輝きじゃ。一度は絶望のどん底にたたき落とされ、それでも尚、希望を見出したお主じゃからこそ、この場所に辿りつけたのじゃ」

 

 水晶玉の輝きが少しずつ明るくなっていく。

 

「ワージさん。世界はどうなったんですか?」

「そうじゃな、主達の敗北で確かに世界は闇に飲まれた。それは間違いなかろうて。じゃが、今、最後の希望がここにある」

 

 ワージさんが水晶玉を指し示す。

 

「これは《復活の玉》。ルビスの光の意思が残した最後の奇跡じゃ。《真の勇者》である主ならば、その使い方をもう知っておるはずじゃ」

「使い方を……、このボクが……?」

 

 ボクは小首をかしげる。

 長い旅の中でこんな物を手に入れた覚えはない。ただ、ワージさんが言った事がウソではないという事だけは分かった。ボクはこれをどうにかできるという根拠のない確信が、胸に宿る。

 ふと、過去の出来事を思い出す。

 

「もしかして、あの呪文……」

 

 あの日、ワージさんが最後に言い残した謎の呪文をふと思い出した。ワージさんが小さく微笑む。

 

「どうやら、思い出したようじゃの……」

 

 幾つもの思い出が脳裏に蘇る。あの頃のボクは勇者としてあまりに未熟だった。そして幾つもの出会いと別れを繰り返し、どうにかこの場所に辿りついていたことに思い至る。

 

「もう一度、戻りたい……。いや、戻れるんだ! そうなんですね」

 

 全くの思いつきだったボクの言葉にワージさんは一つ首肯した。

 

「願うのじゃ、《真の勇者》よ。この現実に満足しておらぬならば、心に強く描き、己が意思の力でそれを変える事も不可能ではないぞ!」

 

 ワージさんの言葉に従い、目を閉じて、あの日の出会いを思い浮かべる。そして脳裏に浮かんだあの呪文を呟いた。

 

 ぺけね ぽこは ぶりとわ

 やぶに ぼぬま るさきよ

 そこぴ つさな まかびの

 ごりえ とばわ みむてそ

 ざぬい むはぶ きごぐざ わま

 

 遥か記憶の底に眠る意味の分からぬ呪文をたどたどしく唱える。だが、水晶玉に変化は生まれない。僅かな動揺がボクを襲う。

 

「落ちつくのじゃ。ユーノよ。一文字違っても光は生まれぬぞ」

 

 どうやら、何かが違ったようだ。心を落ち着けるようにボクは大きく一つ深呼吸する。決してあり得ぬはずのやり直しの機会を手にしたボクは、もう一度世界の為に戦う事ができるのだ。

 

 ――今度こそ、うまくやってみせる!

 

 再びあの日の記憶を思い浮かべながら、今度は力強くその呪文を唱えた。

 

 ぺけね ぽこは ぶりとわ

 やぶに ぼぬま るさきよ

 そこぴ つきな まかびの

 ごりえ とばわ みむてそ

 ざぬい むはぶ きごぐざ わま

 

 詠唱を終えた瞬間、水晶玉が強く輝き始めた。同時にワージさんの姿が少しずつ薄らいでいく。

 

「ワージさん……」

「ワシの役目は終わりじゃよ。後は《時の砂》が主を導くはずじゃ」

「《時の砂》?」

 

 ワージさんが輝く水晶玉を指さした。水晶玉の中できらきらと輝いていたのは無数の砂粒だった。

 

「ユーノよ。どんな人生も、世界も、物語も、いつかは必ず終わりがくるものじゃ。世界に希望を与えた英雄とてそれは同じ。時に人々の中で語り継がれながらも、いつかは完全に忘れ去られ、消えていく。人の世は繰り返されながらも変わり続けるものじゃからな。お主が救ったその世界が、必ずしもお主にとっての楽園の姿であるとは決して限らん。そこでどんな未来を掴むかは、お主次第じゃ。誰の為の世界であるか……、ゆめゆめ、忘るるなかれよ」

 

 その言葉を最後にワージさんの姿がかき消える。同時に水晶玉の輝きが最高潮に達し、音を立てて砕け散った。封じこまれていた光輝く《時の砂》が周囲一面に舞いあがる。

 

『《真の勇者》よ、お主が最も戻りたいその瞬間を思い描き、《時の砂》に願うのじゃ。世界の理に反するただ一度の機会、決して無駄にするでないぞ』

 

 ワージさんの気配が完全にかき消え、舞い上がる《時の砂》がボクの周囲にやさしく降り注ぐ。

 

 ――ボクが戻りたい時。もう一度やり直したい時。

 

 ワージさんに感謝と別れの言葉を残し、決してあり得ぬはずのやり直しの機会を得たボクは、自分の辿ってきた道のりを振り返る。

 辛い別れ、悲しい思い出。勇者という立場に置かれなければ、引き受ける必要のなかった幾つもの理不尽な出来事が脳裏をよぎる。

 

 ――あれを全てなかった事にすることができたなら……。

 

 ふと、そんな思いが胸をよぎる。そして過去のある一瞬に思いを馳せた。

 

 ――もしも、あの時、ルザロを止める事が出来たなら。

 

 勇者の試練の日に城門前で出会ったあの瞬間。

 もう一度あの日に戻る事ができれば、全てが上手くいくかもしれない。本来勇者となるべきだった彼に真実を伝え、説得すれば、ボクよりも優れた力のある彼ならきっと世界を正しい方向へ導けるはず。

 そう思い立ったボクは、周囲で輝く《時の砂》に願おうとする。その瞬間、背後の闇の向こうからボクを引き止める声が聞こえた。

 

「駄目だよ、ユーノ君。キミは今、間違った選択をしようとしているよ」

 

 懐かしさを覚えて振り返る。《時の砂》が降りしきるその向こうの闇の中に、見覚えのあるシルエットが浮かび上がる。

 

「ルザロ……なのかい?」

 

 震える声で尋ねるボクに彼は笑って答えた。

 

「久しぶりだね、ユーノ君。相変わらず危なっかしい道を歩いているみたいで、ボク達はハラハラしどうしだよ」

 

 闇の向こうから懐かしい彼の気配を感じ取る。

 

「一体、どうして……」

「闇に染まったボクは闇と同化してるからね。キミがそれを打ち払ってくれるものとばかり期待してたんだけど……」

「本来なら、それはキミの役割じゃないか!」

「やれやれ、《真の勇者》になったというのに、キミは本当に相変わらずだね……」

 

 闇全体が震えるように大きく揺れた。

 

「あの日に帰れば、ボク達は正しい選択ができるはずだ。ちがうのかい?」

「違うよ、ユーノ君。あの日に帰っても何も変わらない。同じ事が繰り返され、最後はやはり破綻の結末を迎えるだけさ」

「どうしてだよ! 未来を知るボクが君を説得すれば……」

「それは無理というものだよ……。ユーノ君」

 

 ルザロは寂しげに続けた。

 

「あの時のボクはどうしようもない現実から逃げ出し、独りよがりな妄念に取りつかれ、そこに希望の道を見出せるはずだと信じ切っていた。そんなボクがキミの言う正しい未来とやらに、耳を貸すと思うのかい?」

 

 言葉を失い、ボクは黙りこむ。ルザロの言葉は正論だった。

 

「ユーノ君、別れの時にボクは言ったはずだ。ボクはボクの歩いた道に決して後悔はしていないと。ボクは己が誤った道を歩き行き詰った事で、何が正しかったかを知ることができたんだ。自分の人生を代償にしてね……。きっと、同じような人達がたくさんいた筈だよ。その結末の時において、彼らは苦しみ後悔していたかい?」

 

 その言葉で幾つもの別れの瞬間を思い出す。ボクにとって正しいとはとても思えぬ結末を迎えた多くの人達が、何故か満足気な笑みを浮かべていた事を思い出した。

 

「皆、懸命に、精一杯に生きて、誰にも支持されない、けれども己だけの真実をつかんだんだ。それを今、キミがなかった事にするということは、ボク達に対する侮辱だよ」

 

 ルザロの言葉に強い衝撃を受ける。

 

「……だったら、ボクは一体どうしたらいいんだよ!」

 

 情けない声で、ボクはうつむいた。ルザロが問う。

 

「ユーノ君。キミの勇者としての旅は、辛い事、悲しい事だらけだったのかい? 楽しい事、嬉しい事、そしてそれを分かち合う喜びをキミは忘れてしまったのかい?」

 

 あっと声を上げる。

 

「キミは世界を混沌の闇に戻そうとするボクのやり方を間違っていると言った。だったらキミは、キミのやり方を以て世界を救い、キミの正しさを証明しなければならないんだ。キミが救った世界で、キミがキミ自身のやり方を誇る事が出来て初めて、世界の再生が完了するんだよ。そのためには何が必要なのか、キミには分かるはずだ。そしてそれこそが、時を遡って取り戻さなければならないモノなのじゃないのかい?」

 

 ルザロの言葉がボクの心の奥底に沁み渡る。

 ボクが取り戻さねばならぬモノ。それはボクと共に戦い、未来を望んだ仲間達。そしてボクや彼らが守りたかった物。それらがどんどん繋がって大きな輪を生み出して行く。

 

「ルザロ、キミはやっぱりずるいよ。そこまで分かってるんだったら……」

「違うよ、ユーノ君。ボクは所詮、それを頭で分かっているだけだったんだ。でも、キミはそれを己の生き方で示してきた。周囲全てを敵にして最後まで一人だったボクとは違って、多くの協力者と共にね。キミこそが《真の勇者》たる資格ある只一人の『特別』なんだよ」

 

 輝く《時の砂》の向こうで、シルエットだけのルザロが微笑んだように見えた。

 

「ルザロ、勇者って、一体、何なんだろう?」

「『《真の勇者》であるキミ』が、『勇者になり損ねたボク』にそれを聞くのかい?」

 

 呆れたような声でルザロは笑う。暫しの沈黙の後で彼は続けた。

 

「敢えて、いうならば……。きっとそれは今のキミ自身の行動が全てを示しているんじゃないのかな?」

「ボク自身が?」

「そう。本当は勇者なんて特別なものはどこにも存在しない。度重なる理不尽な困難を乗り越えようと足掻き続ける者のみが残す『勇気の足跡』を見て、多くの人達がそう呼ぶだけの事。『誰にでも出来るやり方』で『誰にも出来ぬ奇跡』を起こす者。勇者ってのは、本来誰もが皆、そうなる可能性を持っていて、それになれるかどうか……、奇跡を起こせるかどうか……は、その人の生き方次第なんだよ、きっと……」

 

 目の前がすっきりと晴れ渡るような気がした。そして、そこにボクが進むべき道が見えたような気がした。

 

「ルザロ、ありがとう。ボクは今、ボクの間違いに気づいたよ」

 

 ボクの間違い――それはボクがいつの間にか勇者であろうとしていた事だった。

 正しい勇者であろう、立派な勇者としての役割を果たそう、そんな思いが、いつしかボクを雁字搦めに縛りつけ、度々、道を見失わせていたことに初めて気付いた。

 

 勇者になることよりも、王宮兵士になることよりも、靴職人になろうと願うボク。

 勇者の試練を経て、己というものを知り、その上で靴職人になろうとしたボク。

 勇者というものの存在に常に懐疑的だったからこそ、ボクは勇者としての道を歩き始めた事をようやく思い出した。かつての父さんやルザロの言葉の中に、いつも答えはあったのだ。

 

「キミの役に立てて嬉しいよ。もしかしたら、これが『他人様の厄介事に首を突っ込んで解決に導く勇者の稼業』ってヤツなのかな?」

 

 ボクとルザロの笑い声が弾けた。ひとしきり笑った後でボク達は沈黙する。漆黒の闇の中に《時の砂》だけがキラキラと輝き続けていた。

 

「ルザロ、ボクはもう行くよ」

「そう。じゃあ、今度こそ、本当のお別れだね」

「ありがとう、本当に感謝してる」

「それはボクの言葉だよ。さあ、行くんだ。キミが……、ユーノ・R・ガウンゼンが心から望むものを手に入れるために……」

 

 一つ頷き、ボクは目を閉じる。戻るべきその瞬間を強くイメージする。

 ボクの思いに応えるかのように、《時の砂》がさらに強く輝き、螺旋を描いて舞い踊りはじめた。

 そして……、ボクの姿はその導きに従って暗い闇の中から消えていった。

 

 

 

「やれやれ、やっと行ったな。最後の最後まで本当に手間のかかる奴だぜ」

 

 闇の中にパタパタと羽音が響き、声変わり前の少年のような声がぶっきらぼうに響いた。

 

「その割には、キミだって届かぬ事が分かっていながら、熱心に世界の外側から何度も呼びかけてたじゃないか?」

 

 からかうようなルザロの声が、もう一つの声に重なる。

 

「う、うるせーな。乗りかかった船だよ。頼りないアイツの面倒をちゃんと見てやらねえと、オイラが安心できねえんだい!」

「キミ、自分が何者なのかって自覚はあるのかい、…………?」

「うるせー、…………いうなって!」

 

 その言葉を最後に二つの気配は消えて行く。後には只、沈黙と静寂だけが残った。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ボクは願った、あの全てが壊れる寸前のその時を……。

 ここまで共に戦ってきた仲間たち、そして積み重ねてきた思い出、出会った人々。

 良い事も悪い事も、楽しい事も辛いことも全てひっかかえてこそ、《真の勇者》ユーノ・R・ガウンゼンは存在する。

 そんなボクの願いを乗せて《時の砂》は世界を再現する。

 眩しく輝く螺旋の通路を辿って、ボクは再び戦場へと帰りつく。

 

 それは……ただ一度、そして二度と起こらぬ奇跡である。

 

 最後のチャンスを使いきったボクは、その瞬間にたどりつく。

 時間と空間の境界の揺れが完全に収まったその時、ボクは一度、失ってしまった大切な仲間達とともに、今一度のあの戦場に立っていた。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「二人とも、お喋りはそこまでだぜ。まだ、戦いは終わっちゃいないんだからな!」

 

 虚空にぽつりと漂う《嘆きの女神》。すでに全身ボロボロと化したその姿には戦う力は残っていないようだった。

 長く苦しい戦いの末に、今、ボク達は王手をかけようとしていた。

 

「とどめだ!」

 

 竜化を解いたドラッケンが《竜神王の槍》を手にとった。そのまま突進する姿勢を示した。

 不意にボクの脳裏にあの瞬間が蘇る。このままでは全てが繰り返されることになる。ボクは大声で叫んでいた。

 

「駄目だ、ドラッケン! 絶対に攻撃するな!」

 

 強い口調で彼を戒めたボクの言葉に、ドラッケンが驚愕の表情を浮かべた。傍らのゾーニャも又同じである。

 

「ユーノ、一体、どういう事だ?」

「主、どうしたのじゃ?」

 

 動きを止めた二人の手を掴み、さらに離れた場所に誘導する。《嘆きの女神》はボロボロのシルエットのまま、その様子に変化はない。

 

「おい、ユーノ、今がチャンスなんだぞ。ここにきて、アイツに情けをかけようとか言い出すんじゃないだろうな……」

 

 いら立つドラッケンをボクは真っ直ぐに見据えた。

 

「そうじゃない! とにかく、駄目なんだ! このまま、攻撃をしかければボク達は……負ける!」

 

 ドラッケンが絶句する。

 

「ユーノ、主、一体、何を言っておるのじゃ?」

 

 傍らに立つゾーニャがボクの瞳を覗き込む。その姿にあのメガンテの瞬間の彼女の姿が重なった。そのイメージを振り払うように大きくかぶりを振り、その手を強く握る。

 

「駄目なんだ! とにかくこのままでは、アイツには勝てない」

 

 暫し、怪訝な表情を浮かべていたゾーニャだったが直ぐに何かを思いついたようだった。

 

「主、一体、何を見たのかや?」

「ボクが見たのは……」

 

 混乱する頭で、記憶の断片をかき集め、それを口にする。二人が険しい表情を浮かべた。

 

「間違いないんだな?」

 

 ドラッケンの問いにボクはしっかりと首肯した。もう二度とあんな結末はゴメンだった。

 

「しかし、ではどうやって戦うのじゃ? 近づけば喰らわれるのであろう?」

 

 ふと最後の瞬間にゾーニャが言い残した事を思い出す。

 

「一撃で仕留めるんだ。魔王召喚クラスの力で……」

「何じゃと?」

「そう、確かにあの時、キミはそう言った。ボク達を喰らう前に一撃で全てを薙ぎ払えば、全ては終わるんだ!」

 

 二人が顔を見合わせる。そして……、小さく微笑んだ。

 驚くボクにドラッケンが言った。

 

「また、無茶な事を言いだしやがって……」

「しかし、それしかないんじゃろうな。我が愛するユーノが言うんじゃ、間違いない」

 

 茶目っ気たっぷりのゾーニャの言葉に、ドラッケンが溜息をつく。

 その瞬間、空間が震えた。

 目をやったその先で、ボロボロだった《嘆きの女神》が姿を変えつつある。漆黒の球状に収縮する《嘆きの女神》は、《闇の宝珠》と化した。宝珠が嘆きの叫びを放射する。

 

「どうやら、のんびり対策を考えてる暇はないみたいだな」

 

 ドラッケンが素早く竜化した。

 

「二人とも、オレの背に乗れ!」

 

 その言葉にボク達は驚いた。竜族がその背に他者を乗せるのは大きな意味を持つ。天竜王である彼がそれを言い出すなどありえない事だった。だが、当のドラッケンは呆れて言った。

 

「この非常事態に、誇りもクソもないだろう。まずは時間稼ぎだ。守りは俺に任せとけ!」

 

 彼の勢いに促されボク達は竜鱗が眩しく輝くその背に乗る。大きく翼を広げるや否や、ドラッケンが一気にその場を飛び出した。まるで狙っていたかのように《闇の宝珠》がボク達の居た場所に闇の刃を撃ち出した。間一髪でそれを交わし、ドラッケンはさらに飛翔する。

 

「これが最後の回復じゃぞ」

 

 ゾーニャが《世界樹の朝露》の小瓶を取り出し、三人の身体に全て振りかけた。気力と体力が完全に回復したボク達に、もうやり直しは効かない。さらにゾーニャがピオリムとヒルーラをドラッケンにかける。

 

「どうじゃ、少しは楽になるじゃろう?」

「こいつはいいな。振り落とされんなよ!」

 

《闇の宝珠》と適度に距離を保ちながらも、天竜王と化したドラッケンは自在に空間を飛翔し、次々に撃ち出される闇の刃をかわした。

 撃ちだした刃を再び吸収し、ドラッケンを追いかけると、さらに複数の刃を同時に撃ち出した。その姿はまるで棘だらけの栗か、身体を丸めたハリネズミのようである。

 ドラッケンの背にしがみつき余裕の生まれたゾーニャが、メラゾーマやベギラゴンを放って闇の刃を迎撃するが、効果はいま一つ。無尽蔵に生み出される闇の刃の前には焼け石に水といったところだった。

 

「これ以上は、やはり無駄遣いか……」

 

 魔法での迎撃をやめ、ゾーニャは再び沈黙する。

 

 ――どうにかしなきゃ……。

 

 一撃で本体を叩きつぶすその手段を模索する。必要なのは、空間全てを埋め尽くすほどの《闇の異形》の軍勢を一瞬で殲滅するのと同等の破壊力。

 

 ――ボクならどうにかできるはずなんだ。

 

 それは根拠のない思い込みだった。

 だが、ボクには確信があった。まだ、ボクが発揮した事のない《真の勇者》の力が、ボクの身体の中に眠っている事を本能的に感じ取る。

 身を起こし、ドラッケンの背の上に立ち上がる。すらりと《王者の剣》を引き抜いた。

 

「ユーノよ、突然、どうしたのじゃ?」

 

 慌ててボクを支えるゾーニャに応えることなく、ボクは引き抜いた《王者の剣》の刀身をじっと見つめた。

 

 ――そうだ、お前なら出来るはずだ。

 

 誰かが、ボクに囁いた。

 

 ――キミの思い描くその力を剣に宿せ!

 

 そう、ボクはそれを知っている。

 

 ――そして、ただ真っ直ぐに叩きつけるんだ!

 

 三つの意思にさらに二つの意思が重なってボクの心を揺さぶった。心の命ずるままにボクは力を開放する。

 

「ユ、ユーノ……。主、その輝きは……」

 

《光の鎧》が、《勇者の盾》が、《希望の兜》が、《覇者のブーツ》が……、黄金色に輝き始める。溢れだす力が《王者の剣》に流れ込み、剣そのものも眩しく輝き始めた。

 だが、それでもまだ、何かが足りない。ボクはすぐにそれが何かに気づいた。

 

「ゾーニャ、ドラッケン。ボクに力を。キミ達の命の輝きをボクに……」

 

 ボクの要求に信頼する仲間達は直ぐに賛同した。

 

「任せな、ユーノ!」

「妾の全てを、主に預けよう」

 

 ゾーニャが《王者の剣》を握るボクの右手に、その手を重ねた。二人の王の圧倒的な力に押しつぶされそうになりながらも、ボクはそれを《王者の剣》に流し込む。

 

《真の勇者》であるボク。《天竜王》ドラッケン。《大魔王》ゾーニャ。そして伝説の武具に宿りし五人のロトの戦士達。

 

 その全ての力を一つに合わせ、《王者の剣》はさらに輝きを増していく。

 そして輝きが臨界に達した。

 刃から膨大な魔力と生命力が放出され、生まれた力場が巨大な刃を形成する。

 その凄まじい重さと反動に歯を食いしばって耐えるボクは、それを真っ直ぐ正面に向けた。《王者の剣》の柄を握るボクの手にゾーニャが両手を重ね、ボクと共に支える。

 

「ド、ドラッケン……、後は……、頼む!」

 

 ボクの言葉に従ってドラッケンが飛翔の速度を上げる。一度《闇の宝珠》から大きく距離をとったところで大きく旋回する。

 

「行くぞ! 準備はいいな!」

「うむ、覚悟はよいぞ!」

「これが、本当に最後の一撃だよ!」

 

 膨大な力を巨大な刃に変えたボク達は、今、一本の鉾と化していた。旋回して宝珠と向き合うや否や、ドラッケンが突進する。

 ボク達が生み出した輝きはいつしかボク達三人をも飲み込み、一筋の光の矢となった。

 

「ミナ・ブレイク!」

 

 皆の力が束ねられ、勢いよく放たれた光の矢は《闇の宝珠》を直撃する。

 

 瞬間――、空間が揺れた。

 

 光の矢の一閃は、正面から真っ直ぐに宝珠を貫き、反対側へと突き抜ける。ほんの一瞬の静寂の後で、絶叫が再び空間を揺らした。

 中央に深々と闇よりも黒い穴を穿たれた《闇の宝珠》がその輪郭を少しずつ崩して行く。穿たれた穴から、どろりと闇が流れ出し、周囲に広がり消滅していく。

 ついに輪郭を保てずに、ぐしゃりと潰れて広がった闇の中に、無数の顔が浮き上がっては、消えていく。

 すべての闇が消滅し、再び静寂の訪れた空間には、全力を出し切って力なく漂うボク達三人の姿と、巨大な世界の六角柱だけが残されていた。

 

 

 それは――。

 艱難辛苦の旅路の果てに――。

 世界の危機を打ち払い、勇者としてのボクの使命が終わった瞬間だった。

 

 

 

2014/07/30 初稿

 

 


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