ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

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天昇篇 09

 

 

 伝説の不死鳥が空を行く。

 

 正面を見据えたままデンとその背に座ったドラッケンは何やら、浮かない顔をしているようだ。

 きっと、冷たいはずの上空の風が少しばかり暑く感じられるせいなのかもしれない。その原因は彼の背後に仲良く座るボク達のようだ。

 出来立てほやほやのカップルから放たれるピンク色の熱気が辺りに広がり、勢いよく放射される小さなハートマークの欠片が、コツンコツンと彼の頭を幾度も小突いていた。

 

「おい、後ろのバカップル! ちっとは自重しねえか!」

 

 振り返ったドラッケンのジト目での非難にも、当のバカップルが動ずる様子はない。

 

「なんじゃ、ドラ王よ! 主も淋しければ、メーヤとイチャつけばよいではないかえ? あれはなかなかに可愛い(おなご)じゃぞ」

 

 持つ者の余裕を見せつけ、ゾーニャが言い返す。

 

 ――ふっふっふっ、愛を極めし大魔王様は、やっかみ程度で動ずる事はないのじゃよ、愚かな竜王め!

 

 もはや、恐れる者など何もない大魔王の言葉に溜息をつくと、ドラッケンはボクに何かをいいたそうにしながらも前を向く。一番後ろに座るブリスさんはそんなボク達の姿を楽しそうに眺め、その傍らでコシドーが我関せずとばかりに眠っている。

 

「これ、ユーノよ。よそ見をせんと妾の事だけを考えておるがよいぞ!」

 

 すっかり大人サイズとなった身体の温もりと柔らかさを惜しげもなくボクに預け、ゾーニャは直ぐ間近からボクをじっと見つめて魅了する。彼女の圧倒的な魅力にすっかりどぎまぎしてしまい、ボクはその温もりと甘い香りに翻弄されていた。今やおそるべき大魔王の謀略に当代の勇者は完全に屈していた。御先祖様達が見たらなんというだろう?

 

「おい、ゾーニャ、分かってんのか? 次はいよいよ、最後なんだぞ!」

「うるさいのう。だから何じゃと言うておる?」

「状況からみて、次は多分……」

「そのくらい分かっておるわ。だからこうして限られた時間の中で、妾がしっかりと甘えておるのじゃろうが……。野暮な邪魔をするでない。馬に蹴られても知らんぞ?」

「……ったく」

 

 この状況で男は女に勝ち目はない。それを十分に知っているらしく、ドラッケンはそのまま黙りこむ。

 

「二人とも、一体、何のことだよ?」

 

 相変わらず、仲がいいのか悪いのか分からない二人の間で翻弄されるボクの腕に、再びゾーニャが強くしがみつく。

 

「今の主は考えなくてもよい事じゃ。さあ、妾だけに夢中であってくりゃれ」

 

 問答無用の美貌の主が再びボクを誘惑する。

 

「どうじゃ、主よ、この旅が終わったら妾と共に暮らさぬかえ? そうじゃのう、新居は《テパ》辺りにするかの。あそこは水と緑も豊かで実に快適な地じゃからのう」

「キ、キミ、大魔王なんだろ。勝手に《ロンダルキア》を離れても大丈夫なのかい?」

 

 魔王が睨みを効かせねば、ささいな争い事を繰り返す魔族達。主の不在に、これ幸いと暴発するのは魔族の年中行事の一環である。もう手遅れかもしれないが……。

 

「そのことならよい解決の策があるぞよ、聞きたいか?」

 

 話したくてたまらぬという顔で、ゾーニャは満面の笑みを浮かべる。

 

「その昔、ルーラという呪文があっての、唱えた者は世界中どこにでも一瞬で自由に行く事が出来たという。妾がこれを復活させれば万事めでたしじゃ!」

 

 世界中を自由に旅する大魔王。復活させるというルーラなる呪文を悪用すれば、魔王軍を自在に送りこむ事もできるかもしれない。人間が聞けば、きっと卒倒する事だろう。

 

「ルーラが使えるようになれば、主もどこへでも行けるぞよ。主の作った靴を、世界中至る所で売るのじゃ。ベリアル率いるデーモン族なぞやたらと靴にこだわりがあるからのう、きっと良い商売になろうて……」

 

 コロコロと笑って未来の夢を語るゾーニャにボクは微笑んだ。世界の危機を救って勇者をやめる時が来たら、きっとそんな生活も楽しい事だろう。

 

「どうやら目的地が見えてきたようですね」

 

 ラーミアは砂漠のオアシス《イシス》から北東に向かって、昼夜を問わずずいぶんと長い距離を、全く迷う事なしに次なる目的地に向かって飛んでいた。まるで、世界の終わりが直ぐ眼前に迫っているかのように。

 こんもりとした森の中に見える古ぼけた遺跡。その上空をラーミアは一度だけゆったりと旋回して高度を下げ始めた。

 ゆったりと羽ばたきながら地に降りたラーミアはボク達を下ろすと、目を閉じ、羽を休めた。御苦労さま、と声をかけ、ボク達は古ぼけた遺跡の正面に立つ。

 

「ダーマ神殿。はるか古の時代に多くの旅人達に生きる道を示した場所です」

 

 相変わらずポーカーフェイスを崩さぬ謎の聖女が静かに告げた。

 

「ここに……、最後の台座がある。間違いないんですね……」

 

 答えの分かっている問いで念を押すボクに、彼女は微笑み、ひとつ首肯した。

 世界の危機を救わんとする旅はそろそろ終わりに近づきつつある。その割には何一つとして真実に近づいていないような気はするが……。

 このままでいいんだろうか、と首をかしげるボクの腕を、ゾーニャがそっと抱きかかえる。

 

「主よ、行こうではないか。妾達は常に共にある。この思いはいかなることがあっても決して離れることはないのじゃからな」

 

 微笑む彼女の言葉でボクは前進を決意する。

 

「行こう。最後の台座を探しに……」

 

 ドラッケンと頷きあったボクは、振り返って遺跡へと足を向ける。ボク、ドラッケン、ゾーニャ、ブリスさんとコシドーの順で歩き出したパーティーは、最後の台座を目指してダーマ神殿の中へと入っていった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ダーマ神殿の中は活気に満ち溢れていた。

 多くの若者達が集まり何やら熱く語り合っている。中央の祭壇には、別の若者達が列をなし、己の順番が回ってくるのをそわそわしながら待っていた。

 もちろん、それは他の場所と同じように幻像の箱庭の光景であり、はるかに過ぎ去った過去の幻影である。ボク達が彼らに干渉する事は当然出来なかった。

 

 ――もしかしたら、どこかに御先祖様の姿があるかもしれない。

 

 そんな事を考えながら周囲を見回すボクは、ひっきりなしに行き交う旅人達の幻影の中に小さな違和感を見出した。

 

「これだけごちゃごちゃしてると、見当もつかねえな」

「全くじゃ、思い切って魔法でなぎはらうかの?」

 

 物騒な事を口走る仲間達に一瞬、よろめきながらも、ボクの足は違和感を生み出すその中心点へとふらふらと引き寄せられるように向かっていた。

 

「どうした、ユーノ?」

「主、何か分かるのかや?」

 

 背後からの問いにボクは一つ頷き、さらに歩みを進める。目的の場所は神殿内の最奥部。祭壇の上だった。ゾーニャとドラッケンの目には転職という神事を取り仕切る老人の姿がある様に見えるその場所に、ボクは眩しい輝きを見出していた。

 

 ――あの場所に何かがある。

 

 とてつもない懐かしさが感じられ、引き寄せられるようにボクはその輝きにふらふらと歩みよる。パタパタと宙を飛んでいたコシドーがボクの肩に止まった。近頃めっきり憎まれ口を叩く事もなくすっかり黙りこんでいる手乗り破壊神は、少しばかり元気が無いような気がする。

 若者達の幻影が次々に消滅し、ボクはいつしか祭壇に足をかけていた。不意にボクの腕が強く引っ張られる。

 

「主よ、大丈夫かや?」

 

 振り返ればゾーニャとドラッケンが心配そうにボクを見つめている。

 大丈夫だよ、と微笑もうとしたその瞬間、祭壇の上の光が強く輝き、ボクを強引に引き寄せた。

 

「ユーノ!」

 

 二人の声が途切れ、ボクの周囲の景色が一変する。襲ってくる強い目眩をかがみ込んでやりすごした。どうにか目眩が収まり立ち上がったボクの周囲には、静寂に包まれた全く見覚えのない景色が広がっていた。

 

 果てしなく前にだけ伸びる一本道の通路。ドラッケンもゾーニャもブリスさんの姿もない。

 

「どうやら、オイラ達だけになっちまったみたいだな……」

 

 頭の上をパタパタと飛んでいるコシドーの存在に気づき、ボクは尋ねた。

 

「これってどういう事?」

「さあな? オイラに分かるのは唯一つ。前に進め、ってな!」

「単純明快な解答、ありがとう」

 

 肩をすくめてボクは答えた。手乗り破壊神を頭にのせ、ボクは延々と続く通路を前へ前へと進む。

 神聖で清涼な空気の満ちたその場所を歩いていたボクは、やがて大広間へと辿りついた。

 その中心に人影が一つ。

 その人影の正体に気づいて、ボクはあっと息をのんだ。

 

「へえ、誰かと思えば、見覚えのある顔じゃないか」

 

 コシドーが懐かしそうに、そして少しだけ険呑な表情を浮かべた。

 ボク達を出迎えるかのように現れた一人の戦士。彼が身にまとう美しい輝きを秘めた青い甲冑と手にした武具には、見覚えのある紋章がしっかりと描かれている。少しだけやんちゃそうな顔から表情を消したまま、近づくボクの到着を待っているようだった。

 

「コシドー、それじゃ、やっぱり……あれは」

 

 ボクの問いにコシドーは小さく頷いた。

 

「ああ、アイツは……、三百年前に召喚されたオイラの前に立ちはだかり、オイラを倒した奴らの一人。オメエの御先祖様の一人である《伝説の勇者》だ!」

 

 ギガデインに撃たれたかのような衝撃が、頭から足の先まで突き抜ける。勇者ごっこに興じた少年たちの誰もが一度は憧れるヒーローの姿がそこにあった。

 

「あ、あの……はじめまして、御先祖様。その……ボクが当代の勇者の……」

 

 伝説を前にしてすっかり舞い上がり、礼儀正しく名乗りを上げようとしたボクに、御先祖様である《伝説の勇者》は、いきなり剣を引き抜き、問答無用で斬りかかってきた。

 突然の戦闘開始だった。    

 重い衝撃をかろうじて盾で受け止め、慌てて飛び下がる。突然の出来事にボクは大きく動揺した。そんなボクに全く躊躇することなく、さらに《伝説の勇者》は畳みかけるように攻撃を続けた。慌てて反撃するものの、すっかり動揺したボクの剣は全く当たらない。代わりに殺気の込められた刃が幾度も眼前を通り抜け、ボクはあっという間に一方的に追い詰められていた。

 心技体が一つになった《伝説の勇者》の剣筋は鋭い、否、ほとんど見えなかった。

 特別な技を使っている訳でもないのに華麗で重厚な剣さばきはボクを翻弄し、容赦なくダメージを与えていく。

 

 ――駄目だ、やられる!

 

 眼前に迫った白刃をかわす事も防ぐこともできぬボクは、自分の死を予感した。瞬間、これまで出会ってきた多くの人達の顔が脳裏をよぎる。

 

 ――ゴメン、ドラッケン、ゾーニャ!

 

 勇者は死んでも復活するという。だが、世界の理が違うこの場所でも同じ事が起こるのかは分からない。残された彼らがどうなるかも又、同じである。

 目を瞑り、その瞬間を覚悟する。

 だが、予期した最後の瞬間は、なかなか訪れようとはしなかった。

 おそるおそる目を開き……、ぞっとするような光景に背筋を凍らせる。

 すぐ目の前にまで迫った白刃。

 だが、それはボクの眼前でピタリと止まっていた。

 止まっていたのは白刃だけでない。ボクに襲いかかってきた《伝説の勇者》も又同じだった。どこか様子がおかしい。

 

 ――一体、何が起きたんだ?

 

 訳が分からず、その場を慌てて離れたボクの頭上から、なじみのある声が降ってきた。

 

「オイラが、時を止めたんだよ。パルプンテでな……」

 

 見上げたその場所には、コシドーの姿があった。だが、その輪郭が微妙に揺らいでいる。それはまるで、この世界の幻影の箱庭の中に映った人々と同じように見えた。

 

「コシドー?」

 

 身体の輪郭を揺らめかせながらも、コシドーはパタパタとボクの前に降りてくる。その顔色は酷く悪かった。差し出したボクの手の平の上で翼を休めたコシドーだったが、もうほとんど重さを感じさせなかった。

 

「……ったく、最後まで手間をかけさせるヤツだな、オメエは……」

 

 相変わらずの口の悪さで、手乗り破壊神はボクに悪態をつく。

 

「コシドー、キミ、一体どうしたんだよ?」

「だから言ってるだろ。オイラの最後の力を使って時を止めたんだ。じきに時が動き出すと同時に、オイラの存在はこの世界から完全に消えるはずだ」

「そんな……」

 

 絶句するボクに、コシドーは少しばかり厳しい視線を向けた。

 

「オメエのせいだぜ。オメエがいつまでも甘ったれてるから、こうして取り返しのつかない事になっちまう。追い詰められないと本気が出せない、本気を出す前にやられちまうなんて間抜け、世界の危機を救う勇者としては論外だぜ……」

「ゴメン、コシドー」

 

 それは事あるごとにドラッケンからも指摘を受けていたことだった。適当に相槌をうってやり過ごしていた己の愚かさが疎ましい。うつむいて唇をかみしめるボクに、コシドーはニヤリと笑った。

 

「冗談だよ。そんな顔するんじゃねえ。実を言うとな、ゾーニャのヤツが元に戻った時に、オイラは消滅するはずだったんだ。どういう訳だか、今の今まで保っていたのが不思議なくらいなんだよ……」

 

 呆然としながら顔を上げたボクに、コシドーは続けた。

 

「どうだ、ユーノ? アイツは強いだろ?」

 

 止まった時の中で立ち尽くす《伝説の勇者》を指さして尋ねた。

 

「うん」

「さすがに昔、全力のオイラを倒しただけのことはある。なあ、ユーノ、どうして、アイツが強いか、分かるか?」

 

《伝説の勇者》の姿を目にして少しだけボクは考え込んだ。背格好もさほどボクと変わらぬ彼は、ボクよりも遥かに生き生きとした目をして輝いているように見えた。

 

「使命感、あるいは覚悟ってやつなのかな?」

「言葉にしちまえばそうなるのかもしれないな。でもな、多分、そんな安っぽいもんじゃねえ、少なくともヤツらと全力で戦ったオイラはそう思うんだ」

 

 首をかしげるボクにコシドーは続ける。

 

「派手な魔法が使えるわけでもない。カッコイイ必殺技があるわけでもない。己が傷つくことも恐れずに、ヤツは手にした武器で愚直に斬りつけるだけだ。全力で……、魂の限りを振って……。その昔、ヤツの剣の一振り一振りがオイラの身体を捉えるたびに、オイラはヤツの熱く激しい思いをぶつけられたような気がした。そして不器用で愚直な剣は、ついに破壊神のオイラを倒すというとんでもない事をやり遂げた。『誰にでもできるやり方』で、『誰にもできない事』をする。だからヤツは強くて、かっこよくて、『特別』なんだよ!」

 

 ああ、そうだったんだ、と納得した。

 遥かなる時を越えて、ボク達少年の心をとらえ続けた《伝説の勇者》の魅力を今、初めて実感する。

 

「そんな《伝説の勇者》に、ボクが勝てるわけなんて……ないよね」

 

 肩を落とすボクに、手乗り破壊神がコシドーキックを炸裂させた。存在する力をほとんど失いかけてのその一撃は、ボクの身体ではなく心を強く揺さぶった。

 

「あのなあ、オメエ、当代の勇者なんだろ! いい加減に自覚しろよ! ここまでいろんな奴に出会って別れて、いろんな想いに触れてきたんじゃねえのかよ!」

 

 思わぬ指摘にあっと思わず声を上げる。

 決して納得のできない不幸な結末をも乗り越えて、ボクはどうにかここまでやってきた事を思い出した。コシドーは《伝説の勇者》を指さした。

 

「あの時代、ヤツらもきっと同じ想いをしながらオイラの前に立ってたと思うぜ。そしてヤツらはオイラに挑んだ。ここはオレ達の時代のオレ達の場所。オレ達自身の力で守らなきゃいけないんだ、ってな……」

「ボク達の時代……、ボク達の場所……、ボク達自身の力……」

「きっと代々の勇者ってやつらも同じなんじゃないのかな。そして曲がりなりにもオメエは当代の勇者だ! オメエはオメエの時代を守る為に、例え偉大な御先祖様相手だって踏み越えて行かなきゃいけないんじゃないのかい?」

 

 ボクの心に強い衝撃が走る。瞬間、コシドーの姿が大きく揺らいだ。身体の輪郭がさらに薄くなる。コシドーは笑った。

 

「どうやら、ここまでのようだな。別れの時だ……」

「コシドー……」

「そんな顔すんじゃねえよ。オメエらと違って別に死んだりするわけじゃねえ。オイラ、神様なんだぜ! 偉いんだぞ! 只、この世界にいられなくなるってだけで、オイラの事を信じるヤツがいる限り、いつまでも存在し続ける事は出来るんだ! 破壊神の奇跡を願う奴ってのは変な奴ばかり、ってのが問題だけどな……」

 

 さらにその輪郭が薄れ、すっかりおぼろげになっていく。あまりにも突然の別れに、ボクは僅かに涙ぐむ。

 

「実を言うとな、オメエらと旅をしているうちに、ふと思うようになってたんだ。三百年前のあの時、ヤツに倒されて良かった、この温くて少しばかり居心地のいい甘ちゃんな世界をぶっ壊さなくてよかったってな……。オイラ、破壊神失格だよな……全く」

 

 破壊神らしからぬ言葉にボクは目を見張る。

 

「じゃあな、泣き虫勇者! 忘れんなよ、オメエは一人じゃないって事を! そして《真の勇者》を目指しやがれ! オメエならきっとできるはずだぜ!」

 

 その言葉を最後にコシドーが消滅した。周囲の空気が徐々に揺れ動き、時が静かに動き出す。

 すっかり消え去って無と化した手のひらを眺めるボクの胸の内を、熱いものがこみ上げる。ボクはそれを吐きださずに、しっかりと飲み込んだ。

 

 ――もう、泣いたりしちゃいけないんだ!

 

 コシドーが最後に教えてくれた事をボクはそっと反芻する。

 今、ボクがするべき事。ボクが目指すもの。それを強く自覚する。

 右手に《稲妻の剣》を、左手に《水鏡の盾》を、そして、心の中に勇気を燃やしてボクは、再び《伝説の勇者》と向き合った。

 

 ――もう貴方に後れをとるつもりはありません。

 

 気合と共に大きく咆哮する。

 

「当代の勇者、ユーノ・R・ガウンゼン、参ります!」

 

 再開の咆哮と同時にボクは一気に間合いを詰め、渾身の一撃を《伝説の勇者》に見舞った。さらに盾を叩きつけて相手の反撃を封じる。僅かに怯んだ伝説の勇者に頭突きを放ってたじろがせ、再び剣で斬りかかる。

 激しい剣戟に似つかわしくない肉弾戦の音が周囲に響き渡り、ボク達の戦いは泥試合にもつれ込む。

 

 攻撃し、防御する。防御して、反撃する。反撃して、さらに攻撃する。

 

 魔法も特技も必殺技もない地味な戦いの中で、互いに互いの身体と精神を削り取っていく。

 痛みも苦しさも何故か耐えきれた。

 立ちはだかる《伝説の勇者》はまごう事なき《真の勇者》だった。その勇者を、ボクは剣だけの力で徐々に圧倒し始める。

 ボクの攻撃が続けて当たるようになると、《伝説の勇者》の動きが徐々に鈍り始める。

 

 そして……、決着の時は訪れた。

 

 渾身のボクの一撃が《伝説の勇者》の身体を捉え、それが致命傷になって勇者は消滅した。消滅の瞬間、《伝説の勇者》の口元に小さな笑みが浮かんだように見えたのは、きっと気のせいだろう。

 戦いが終わり、全身で呼吸をしながら傷を回復させるボクの周囲は、再び静寂に包まれる。ここまで一緒だったコシドーが消え去って、広大な大広間にボクは一人ぼっちだった。

 

 ――それでもボクは、一人じゃないんだよね、コシドー。

 

 ボクの帰還を待ってくれている仲間達。そして世界の危機が救われる事を信じる多くの人達。

 大広間の先に延びる通路に向かってボクは再び歩み始める、当代の勇者として……。

 その場所を歩み去ろうとしたその時、ふと誰かに背後から呼ばれたような気がした。振り返ってみたものの、そこには誰の姿もない。静寂に包まれたその場所を暫し見渡した後で、ボクは再び前を向いた。

 

「コシドー、キミ、やっぱり偉い神様だったんだね」

 

 ――だから、コシドーいうなって……。

 

 そんな空耳を背にしてボクは歩いた。さらなる先を目指して……。

 

 

 

2014/07/16 初稿

 

 

 


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