伝説の不死鳥ラーミアの背に乗って世界の狭間を飛び越えたボク達は、ボク達の世界の物に勝るとも劣らぬ広大な世界の姿に目を奪われていた。
幾つもの島々がポツリポツリと浮かぶ大海を遮るかのように、大陸が広がる。暫しボク達に世界を見せるかのように上空を旋回していたラーミアは、やがて、とある小さな大陸に下りていった。
湾の直ぐ側にある城の前に、ラーミアは降り立ち、一声鋭く鳴いた。その背から下りたボク達は巨大な城を前にして少しばかり眉を潜めた。
《光の世界》――そう呼ばれる世界は、その名の通り、太陽の輝きがやけに眩しく感じられる。ずいぶんと古いもののように見えるその城は、どこか輪郭が揺らめいているように見えた。手を触れれば確かに石の壁が存在するが、どこかおぼつかない。存在そのものが揺らめいているかのようだった。
ゾーニャを下ろし、腰の《稲妻の剣》の存在を確かめるとボクは先頭に立って城の中に入っていく。直ぐ後を肩にコシドーを乗せたゾーニャが続き、殿をドラッケンが守る。城門をくぐろうとした時、ふと、ボクは奇妙な懐かしさにとらわれていた。
城門の中は《ローレシア城》と同じように人々の暮らす街なみが広がっている。ただ、全体的にやはり揺らめいて見える。
のんびりとした空気の漂う街の中を商人たちが行き交い、子供達が走り抜けていった。
城門の傍らに立っていた衛兵にボクはふと尋ねた。
「すみません、ここは何というところでしょうか?」
だが、返事はなかった。まるでボクの声など聞こえぬかのように、彼は己の職務に忠実だった。
「あの……」
再びボクが尋ねた時、ボク達は驚くべき事態に遭遇した。目の前に立つ衛兵がまるで砂の人形のように崩れ去り、跡形もなく消え去った。
驚き飛び下がるボク達に周囲は感心を示さない。まるで始めから衛兵が存在しないかのように、当たり前に振舞っている。
「おい、ちょっと、アンタ……」
ドラッケンが呼びとめようとして一人の商人風の男の肩を掴む。先ほどの衛兵と同じように、男は崩れ去っていく。
呆然とするボク達にコシドーがぽつりと言った。
「おい、見てみろよ。あれ」
振り返ったそこには、いつのまに現れたのか、先程崩れ去ったはずの衛兵の姿があった。全く理解不能の事態に、ボク達は顔を見合わせる。
「どうやら、ここは巨大な幻像の箱庭のようじゃな……。邪念も悪意も感じられんが……」
ゾーニャがわずかに首をかしげつつ、ぽつりと感想を述べる。
「すこし、様子を見た方がいいらしいな……」
小さく頷き合ったボク達は、様子を窺うべく街の中に歩みをすすめた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
街の中はどこも似たような光景が広がっていた。幻像の箱庭――ボク達は、無数の役者が演じる劇場の舞台の上に、手違いで紛れ込んでしまった間抜けなお客さんといったところだろう。
ふと、とある一軒の民家の前でボクは足を止める。
街に入る時に感じたよりもさらに強い懐かしさがボクの胸を襲った。初めて見る場所なのによく知っているような気がする。そんな感慨にとらわれる。
「主、どうかしたのかえ?」
ボクの傍らに立つゾーニャがボクの顔を見上げて尋ねた。
「どうしてなのか、分からないけど、この場所はとても懐かしく感じられるんだ……」
自然な足取りでボクはその民家に入っていく。「ただいま」という言葉が思わず口をついて出そうになった。
民家の中にはありふれた家族の姿がある。
少しばかり歳のいった夫婦と舅らしき老人、そして腕白な少年が一人。
『どこ行くんだい? もうじき晩御飯の時間だよ』
『隣だよ。大丈夫、ボクはすぐに帰ってくるよ。世界を救った兄ちゃんとは違うんだよ!』
五人分の皿が並べられた食卓の傍らに立って、少しばかり不安そうな表情で息子の姿を見送る母親の肩を、少年の父親らしき男が優しく抱く。歴戦の戦士を思わせるかのようなその姿は、堪らなく懐かしさを感じさせた。
のどかな光景は移り変わる。
舅である老人が精霊の元に召され、その家族は一人減った。
少年は少しだけ成長し、四人分の皿が並べられたその家族は、時に笑い、涙し、喧嘩をして、日々を過ごして行く。母親は食事の度に、決して使われる事のない皿を、決まった場所に並べることを忘れようとはしなかった。
さらに時は過ぎる。
夫婦は年老い、若夫婦の間に子供が生まれ、やがて、老夫婦は精霊の元に召されていく。
『ねえ、あなた、このお皿、いつまでこうしておくの?』
『そうだね、それはいつか帰ってくる兄さんのことを忘れないように、っていう死んだ母さんの願いだからね。せめて僕だけでも覚えておいてあげないと……』
『そう、じゃあ、このままにしておきましょうね……』
『ありがとう。君が優しい女性でよかった』
やがて時は過ぎ去り、夫婦も又、精霊の元に召されることで使い主のない皿は、ついに食卓から姿を消した。そして、その家に暮らす家族も又、別の家族へと移り変わっていく。
景色は、再び移り変わった。
民家の中のありふれた家族の姿。少しばかり歳のいった夫婦と舅らしき老人、そして腕白な少年が一人。
『どこ行くんだい? もうじき晩御飯の時間だよ』
『隣だよ。大丈夫、ボクはすぐに帰ってくるよ。世界を救った兄ちゃんとは違うんだよ!』
延々とその光景が繰り返されるようだ。
胸から何かが熱くこみ上げるのを感じたボクは、居ても立ってもいられなくなりそうだった。この景色はどうしてこんなにもボクの心を揺さぶるのだろうか?
「それは、ここが全ての始まりの場所であり、貴方の遠い祖先の記憶がきっとそのような想いを抱かせるのでしょう……」
突如としてかけられた背後からの声。
驚いて振り返ったボク達の前に一人の女性が立っていた。すっと整った目鼻立ちの修道女姿の彼女――どこか見覚えのあるその姿に、ボクは慌てて記憶を探る。
「何者じゃな、主?」
「失礼、突然、声をかけて驚かせてしまったようですね。私は聖女ブリス。この地で貴方達の到着をお待ちしておりました」
穏やかな物腰で彼女は告げた。とても美しい人ではあるが、どことなく人間味を感じさせない。だが、声をかけたら崩れさる街の人々とは異なり、ボク達の世界の人々と同じような確かな存在感があった。
パタパタと宙を飛んでいたコシドーが、ブリスさんの肩に止まる。ボク達は警戒を緩めた。
「あの、ボクの祖先の記憶って……?」
ボクの問いにブリスさんは小さく微笑んだ。
「ここは、はるか古の時代に《アリアハン》と呼ばれた小さな国。かつてこの家で生まれた若者が旅立ち、世界の全てを闇に陥れようとした大魔王を打ち果たして平和を取り戻しました。そして、世界は救われ、分かたれた。ここは伝説の勇者ロトの誕生の地というべき場所なのです」
不思議と驚きは生まれなかった。ああ、やっぱりか――そんな感慨が胸をよぎる。
ボクの瞳を真っ直ぐに見据えたブリスさんは、僅かに緩ませた表情を消して、淡々と続けた。
「勇者よ、そして偉大な覇王たちの末裔よ。貴方達を待っている者がおります。ついてきて下さい」
コシドーを肩に乗せたまま、彼女は背を向け、その場を後にする。顔を見合わせ頷きあったボク達は、そのあとをついて行く事にした。
外に出ようと戸口に立ったボクは、ふとその場所をもう一度振り返る。食卓で歓談する四人の家族に向かって、ボクは決してかけられるはずのなかった言葉を口にした。
『ただいま、やっと帰ってきたよ。みんな、元気だった?』
その時、使い主のいなかった皿が一瞬、輝いたように見えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ボク達を連れたブリスさんは《アリアハン》の城の中へと入っていった。
《ローレシア》城を思い出させるその場所には、やはり、そこに暮らす人々の姿があった。ブリスさんによれば、この場所の全ては幻影であるという。
階段を上がり、ボク達は玉座の間へと赴いた。玉座に座っていた初老の男の姿に、ボクはあっと驚きの声を上げた。
それは先程の民家で見た少年の父親らしき人物だった。まるで眠っているかのように玉座に座る彼に、ブリスさんが近づいた。コシドーがパタパタと飛び、ゾーニャの肩に止まる。
「オルテガ殿、勇者殿とそのお仲間をお連れしました。オルテガ殿……、大丈夫ですか」
ブリスさんに肩をゆすられ、オルテガと呼ばれた初老の男は玉座の上で目を覚ました。
「おお、ついに帰ってきたか。この日をどれだけ待ちわびた事か……」
だが、その目に光はない。
「すまぬな、我が子孫よ。ずいぶんと長い時を過ごしてきた事で、今の私の目にもはや光は見えん。こうしてブリス殿に支えられて、ようやく己を保っているのが精一杯なのだ」
差し伸べられた手をボクは握る。ごつごつとしたその手は、無数の修羅場を潜ってきた戦士のそれだった。しばしボクの手をしっかりと握っていたオルテガさんは、やがて徐に語り始めた。
「我が子孫よ。早速であるが聞いてほしい。もはや私にもこの場所にも残された時間は少ない」
「はい」
ボクの背後で仲間達も沈黙を保っている。
「昔……という言葉すらも新しく聞こえる程の昔のことだ。私は世界を闇で覆い尽くそうとする魔王を倒すべく一人立ち上がり戦った。時に協力者も現れたがそれは困難で孤独な道のりの連続だった。くじけそうになる私の心を支えたのは故郷に残した妻と幼い子供の顔だった。あの子に明るい希望の未来を。ただその一心で私は魔王の軍団との壮絶な闘いの日々を送った。だが、ついに私は戦いに敗れ、敵の城の真っ只中で命を落とした。心残りと後悔の中、家族の顔だけが浮かんだ。こんな結末ならばせめて、世界が最後を迎える時まで家族と共にいればよかった……と。そんな私を精霊様は不憫に思ったのだろう。私に再度の生が与えられ、平和なその場所で人並みに生きる夢を与えて下さった。だが、それは決して戻らぬ我が子の運命との引き換えだった……」
光を失ったその目で、彼ははるか彼方を見つめる。
「世界を救いたい、という私の志を我が子が受け継ぎ、それを見事やり遂げた事を私は知った。世界に希望が満ち溢れ、我が子の名が称えられる事は親として実に誇らしかった。だが、それは取り返しのつかない過ちの始まりでもあった。もともと一つだった表裏一体の世界は二つに分かたれ、別々に存在することになったのだ。光と闇、表と裏、善と悪。時を重ねる毎に大きな矛盾が膨れ上がり、今や、この《光の世界》は滅亡同然。ここに来るまでにキミ達は見てきたはずだ。死の街と化した《アリアハン》の姿を……」
「一体、何があったんですか?」
ボクの問いにオルテガさんは小さくため息をついた。
「悪の象徴だった大魔王を倒し、世界から闇が切り離される事で、光、あるいは善こそが精霊様の導く只一つの世界の理であると人々は考えるようになった。時に闇や悪も又、決して目を逸らしてはならぬ人と世界の真実であるにもかかわらず……。目に見える美しいもの、耳に心地よく聞こえるもの、そんなものばかりを追い求めた人々は、不都合なものや醜く歪んだものの中にある真実から目をそらし嘘偽りの中で踊り狂った。そして、ついにはその息苦しさの中で、押し付け合い、詰り合い、足を引っ張り合って滅びていった。光ばかりが満ち溢れる世界の眩しさは、苦痛でしかない、そのことに気づいた時は遅すぎたのだ……」
ふと《ルプガナ》での出来事がボクの脳裏をよぎった。
「今、この世界が滅び去る事で、本来、対であったはずのキミ達の世界までが、同じように滅び去ろうとしている。我が子孫よ。どうかこの歪みを正してほしい。世界のあるべき姿をもう一度取り戻してほしい。そこに生きる者たちがその者達らしく、のびやかに生きられる世界を……」
言葉を切ったオルテガさんが立ち上がる。
「私の役目は終わった。長く守り続けた物を今、君に譲り渡そう。世界を頼んだぞ。我が子孫よ……」
光を失った目に小さな輝きを浮かべ、彼は穏やかに笑う。そして身体が砂となって崩れ去っていく。ボクの手の中に僅かな重みが残った。古ぼけた兜――《オルテガの兜》を手に入れた。
オルテガさんの消滅とともに、彼の座っていた玉座も消えて行く。代わりに青く輝く台座が現れた。それは、精霊様の祠で見た六つの台座と全く同じものだった。
「勇者よ、今こそ、オーブを……」
ブリスさんの言葉に従い、ボクは《ブルーオーブ》を取り出し、台座に嵌めこんだ。台座が強く輝き周囲の景色が崩れ去っていく。
《アリアハン》の城が、そして城下町もまたたく間に消えさってしまい、だだっ広い野原の真ん中にボク達は取り残されていた。世界の風景は相変わらず揺らいで見える。だが、少しだけ眩しさが薄れたような気がした。
「今、世界は『水の理』とともに繋がりました」
ブリスさんが穏やかな口調で言った。
オーブが嵌めこまれた台座はぼんやりとした輪郭のまま、青く輝いている。何気なく伸ばしたボクの手は何故か、すり抜けてしまった。
「勇者殿、一刻も早く残りのオーブを台座に……」
「でも、ボク達はこの世界の事は何一つ知らないし、一体どこにあるのか……」
「その事ならば大丈夫です。私とラーミアが貴方方を導きましょう。その兜をかぶれば、きっと揺らいだ世界は当たり前に見えるはずです」
言葉に従い《オルテガの兜》を装備する。どこか輪郭のぼけて見えたこの世界の風景が、元来た世界と同じようにはっきりと見えるようになった。
「待ちや、主、一体何者かえ? この世界は滅びているのであろう。ならば、何故、主一人だけが、生きておる?」
「それは、私にも分かりません」
ブリスさんが真っ直ぐにゾーニャを見つめた。
「私が与えられた役割は皆さんを導き、その旅を助ける事。ただそれだけです」
ゾーニャとドラッケンがブリスさんを訝しむ。パタパタと周囲を飛んでいたコシドーがブリスさんの肩に止まった。
「二人とも、今は考えていたって仕方ないさ。それよりも先を急ごう。なんだかのんびり議論してる時間は無いみたいだよ」
顔を見合わせた二人が肩をすくめる。
ふと、ボク達の頭上から巨大な影が降ってきた。ゆったりと羽ばたきながら降りてきた不死鳥ラーミアは、再び地に伏せる。
ボク達は新たな道連れとなった聖女ブリスさんと共にその地を後にし、次の台座のある場所へと向かう事にした。
2014/06/22 初稿