片足を突っ込むということはたまにあるようだが、通常、棺桶に入るという経験は、普通の人生を送っていては決してあり得ない。なぜなら、棺桶に入る時には普通の人間は死んだ後だからだ。
だが、普通の人生とはどんどんかけ離れて行く勇者のボクは、今、寝心地の劣悪な棺桶の中に横たわって沈黙を保っていた。ボクと同じく棺桶に入っているドラッケンも同じであろう。
《ホープタウン》を出発したボク達は、ロンダルキア城の近くで棺桶に入れられ、引っ張られた。ボク達の棺桶を引っ張っているのは力自慢のアトラスさん。 そして同行者はべリアルさんとバズズさんだった。
彼ら三人は、各々の一族の安全と繁栄を条件に大神官ハーゴン四世に恭順の意を示す為、たった三人で投降する最中だった。暗い棺桶の中で、ふとしばらく前のやり取りを思い出す。
『なあ、あの三人、ボクに何か言いたい事でもあるのかな?』
ボクを見る三人の視線に、複雑な感情を感じたボクは、ドラッケンに小声で尋ねた。
『なんだ、お前、知らないのか。お前の御先祖たちが果たしたという伝説の五人抜きを』
にやりと笑ったドラッケンが語ったのは、次のような内容だった。
三百年前、城に押し入った勇者の一団に彼らの先達は尽く敗北し、苦渋をなめさせられたという。
彼らだけでなく大神官に破壊神まで合計五人が一息に抜かれたこの敗北は、魔族の間で屈辱の歴史として長く語り継がれているという。はるか古にも、同じような事があったらしく、繰り返され続ける屈辱の歴史のせいで、魔族達の勇者の血統への感情は良いものではないという。
そんな勇者の血統の末裔に協力を仰がねばならぬこの状況。彼らの心中、察して余りあるものであろう。
――ボクのせいじゃないんだけどね……。
この劣悪すぎる寝心地の棺桶、実はちょっとした彼らの意趣返しじゃないだろうか、などという思いがふと脳裏をよぎる。
棺桶の中でボク達が大いに不満を抱えている事に気づかぬまま、三族長はついに城門の前に立った。
「な、何事だ! 貴様ら、一体、何の真似だ!」
城門で門番役をする邪教徒達が驚きの声を上げる。さんざんハーゴン四世に楯突いて来た三族長が、いきなり棺桶を引っ張って現れたのだから驚くのも無理はない。
「曾ま……、コホン、ハーゴン閣下にお目にかかりたい」
「我ら、曾ま……、コホン、ハーゴン閣下の庇護に入り、これよりその栄光ある尖兵となって戦うべく、こうして馳せ参じた。御取次の程を……」
「早く、しねえか……、この、アイテッ」
アトラスさんの尻にべリアルさんの槍が刺さる。棺桶の中でボクはひやひやとしながら状況を見守る。門番の一人が眉を潜めた。
「その棺桶は一体、何だ? 中を見せよ!」
バズズさんがとっさに言い繕った。
「棺桶に入っているのは死体であるに決まっておろう。あまり見て気持ちのよいものではないが検分されるかな、お若いの。それにこれは、《大僧正》様へ御約束した手土産。せっかく氷漬けにしておるのに、外気に触れて鮮度が落ち苦情を言われたなら、お前達のせいだと報告するがよいかな?」
その言葉で彼らの顔色が変わった。
《大僧正》――。
しばらく前に黒き勇者とともに、圧倒的な力を手に入れて凱旋した邪教徒の一人である。黒き勇者の後ろ盾もあって、今や教団のナンバー2の地位につき、ハーゴンの座す神殿のすぐ下の階で日々、死体遊びに興じているという。
すでに彼が正気ではないことは城内の誰もが気付いているが、理不尽が当然のようにまかり通る邪教団内においては、些細な事である。
成り上がりの彼の存在は同じ境遇の者達を刺激し、ハーゴン四世を奉じる魔人族のエリート達に対する反動分子がその元に集まり、教団内を二分しかけていた。ハーゴン四世が非常に整った顔立ち――いわゆるイケメンである事も反動分子の反感を買う理由である。
このような様々な要因のお陰で《ロンダルキア》の外で教団が大きな動きを取れないのは、実に皮肉だった。
そんな彼への手土産である以上、碌な物でないことだけは確かである。
「分かった、通れ、さっさと持っていけ!」
薄気味悪そうな表情を浮かべ、横柄に三族長達を追い払う。短気なアトラスさんがキレかけたが、それをべリアルさんが抑える。どうにか、最初の関門を通過することに成功したボク達は、堂々とロンダルキア城内へと侵入した。
邪教徒達のぶしつけな視線の中を、三族長たちは忌々しげに歩く。もともと魔族としての身分も実力も圧倒的に上のはずだが、さんざんに反乱した身である。肩身が狭いのは当然だろう。
――このガキども、後で覚えておれよ!
棺桶を引く鎖からアトラスさんの怒りがひしひしと伝わってきて、冷や汗ものだった。時おり訝しげに声をかける者も現れるが、《大僧正》の名で誰もが黙りこむ。こうして、三人と二つの棺桶は城の一階奥の入口から邪神の塔に無事に侵入を果たしていた。
一階から二階、二階から三階へ。
順調にいくかのように見えたボク達の潜入ミッションは、四階へと続く階段のところでついに中断した。
「待て、待て、貴様ら!」
下の階から武器と戦装束を身につけ、無数の邪教徒達が現れた。一人の《悪魔神官》が進み出る。
「貴様ら、よくも我らを謀ってくれたな。大僧正様への貢物の約束のご予定など入ってはおらぬ。しかもその棺桶……」
びしりと指差し、彼は決定的な証拠を上げる。
「氷漬けと言いながら、一向に融けた水が漏れぬではないか。もう一度、検分させていただこう!」
三族長は互いに顔を見合わせる。そしてニヤリと笑い合った。
「どうやら、これまでのようじゃな」
「まあ、よい、ここまで来れたら、御の字というものか。むしろ出来過ぎかの……」
「ガキども、ずいぶんと舐めたマネしくさってくれたな! 覚悟しろ!」
アトラスさんがこん棒を振り回し、ベリアルさんが槍を天に掲げ、バズズさんが砥ぎあげた爪をぺろりと舐める。ボクとドラッケンが棺桶のふたをはね上げ、勢いよく飛び出した。
「勇者殿、竜王殿。ここは我らに任されよ! ここから先は聖域故、雑魚共はおらん! 存分に本懐を遂げられるがいい!」
「貴方達は……、大丈夫なのですか?」
邪教徒達が、後から後から湧きだすように現れている。
「我らを見くびって頂いては困りますな、お二人とも。雑魚の百や二百。我らの敵ではないわ!」
「後から参ります故、我らの獲物は残しておいて下されよ!」
「曾孫殿によろしくな!」
ニヤリと笑って親指を立てる三族長。
たしか、こういう場面ではやってはならない行動、言ってはならない言葉というものがあったはず。それを連発する三人の姿にボクは戸惑った。
「行くぞ、ユーノ。奴らの覚悟を無駄にするな!」
ドラッケンに引っ張られ、ボクは階段を駆け上がった。
「皆さん、ご武運を!」
ボクの声は、押し寄せる邪教徒達の声にあっさりとかき消されていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
階上へと消えて行った二人の若者達の背を見送ると、三族長は押し寄せる邪教徒達の前に立ちはだかる。
「思えば、ケチのつき始めは三百年の古か……」
「フン、ならば我らの代で新たな伝説を作るかの」
「何でもいいさ、暴れて振り回して、踏みつぶす。これぞ戦場の醍醐味よ!」
先頭にベリアルが躍り出た。複数の《悪魔神官》と《地獄の使い》がすかさず彼に向けて、イオナズンやメラゾーマを連続で打ち込んだ。
「バカどもが! 我に呪文など効かぬわ! まるで子供の火遊びではないか!」
並みの魔物ならば瞬殺されるであろう強烈な魔法の攻撃を涼しい顔で受け止める。そのベリアルの頭を飛び越えて、アトラスが邪教徒達の群れの中に降り立った。当たるを幸いにこん棒を振り回し、空いた左手で頭を掴んで投げ飛ばす。瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに生まれた。攻撃の隙をつかれて受けたダメージは、ベリアルがベホマですかさず回復する。
「下がれ、アトラス!」
バズズが険呑な笑顔を浮かべてアトラスに命じた。珍しく、素直に従ったアトラスが後退すると同時に、バズズがマヌーサを唱えた。辺り一面に霧が立ち込め、襲いかかろうとしていた邪教徒達が皆、まとめて幻に包まれる。
「さーて、楽しい楽しい、仕上げの時間だ!」
うきうきとした声でザラキを唱えたバズズの周囲で、息の根を止められた邪教徒達がバタバタと皆倒れて行く。
「やはり、マヌーサの後のザラキは効きが違うのう」
ヒヒヒ、とバズズが嬉しそうな笑みを浮かべた。
「相変わらず、えげつない奴……」
「機嫌を損ねたら敵味方関係なしだからな。危ない奴だ」
ベリアルとアトラスのひそひそ話を耳にしながら邪悪に微笑むバズズは、再びザラキを唱え、犠牲者の山を築いていく。
加速度的に量産される累々たる屍の山々に邪教徒達が畏れ慄いた。
「ま、まだよ。わ、私達のハーゴン様を守るのよ!」
イケメンのハーゴンに心酔する女信者達が果敢に挑むも、あえなくザラキの餌食となる。
「こ、この悪魔!」
金切り声をあげて倒れた女信者の言葉にバズズは笑顔で答えた。
「なんだ、今頃気付いたのか。我は由緒正しきデビル族族長だぞ! さあ、良き死体となって我に魂を捧げよ。しっかり喰らってやろうぞ」
ドン引きの邪教徒達。
もはや戦意はほとんど見えなかった。一斉に階下に向かって逃げ出して行く。
「やれやれ、つまらんのう」
バズズが引き下がるや否や、ベリアルがイオナズンを連発し、周囲の躯を一掃する。不気味な地響きと共に塔が揺れた。
「折角、若者達を送り出し、立ちはだかる先達の役を勝ち取ったというのに……」
「これでは只の道化ではないか……」
「仕方ない、先へ進むとするか。もう少し歯ごたえがあると思ったが、これでは伝説にすらならぬ」
原因は圧倒的な実力差と極悪極まりない振る舞いにあるのだが、彼らがそれに気づく事はないだろう。三人はがっくりと肩を項垂れる。失意と共にしぶしぶ背後の階段を上ろうとしたその時だった。
耳障りな高音と金属のぶつかるような音が通路内に響いた。三人が眉を潜める。
「ほう、邪教徒共、まさかと思うが、地下倉庫に眠っていた古代兵器を動かしたのか?」
「なんと……。確かあれは、制御不能……とかいう代物ではなかったか?」
「成程、ガキ共……、もはや後先考えるだけの知性は残ってないらしいと見える」
案の定、逃げ出そうとしていた邪教徒達が悲鳴をあげて切り刻まれていく。
複数の腕を持つからくり人形《キラーマシンMAD》。
生きとし生ける全ての者を切り刻む、脅威の惨殺からくり集団が、確実に三族長の元へと近づきつつあった。
「面白い! ようやく手ごたえのある奴らが現れたか。コヤツら踏みつぶしてくれよう!」
「ザラキは効きそうにないのう……。あれだけが楽しみだったんだが……」
「たまには肉弾戦もよいぞ。断末魔の嬌声を上げぬあのからくり共をばらばらに破壊するだけでは、少しばかり物足りんかもしれんがな」
階下の邪教徒達すべてを斬殺した《キラーマシンMAD》の集団が、容赦なく三族長に襲いかかる。
激しく長い闘いの火ぶたが今、切って落とされようとしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
背中を三族長に任せて階段を駆け上がったボク達は、一目散に最上階の神殿を目指していた。
ハーゴン四世と共闘の約定を交わしたというルザロは、おそらくそこにいるはずだ。
だが、無人の四階から五階へと踏み込んだ時、ボク達は足を止めた。強烈な腐敗臭に吐き気を催す。
顔を顰めながら進むボク達はその階のとある一室に、複数の気配を感じた。近づいたボク達はその場所の光景に眉を潜めた。
「およよ、そこにいるのは誰かの?」
聞き覚えのある声だった。ボク達は思わず顔を見合わせた。
「何をしている。入ってこぬか?」
厳しい表情のドラッケンが先へと進む。ボクはその背について行く。
室内は死体の山だった。完全な形のものはほとんどない。部屋の主の常軌を逸した行動に吐き気を催す。
《大僧正》――。
そう呼ばれる教団のナンバー2。そして、過去にボク達と激しく刃をまじえたあの《悪魔神官》の弟分だった。
「ほーほー。お前達、まだ生きておるのう。なら興味はないな。とっとと消えろ。俺は忙しいのだ!」
呼び付けておきながら今度は出て行けという身勝手さ。相変わらずのようだった。ドラッケンは無言で彼を睨みつけている。
「そうだ、せっかくだから、お前達にこの俺の家族を紹介してやろう」
一体の《グール》が現れた。
「これが我が兄者だ。この優秀な俺よりも遥かに賢く、智恵の回る自慢の兄よ!」
さらに二体の《グール》が現れた。
「こちらは母者と妹よ。どちらも酷いアバズレでのう。好き勝手ばかりしおって、いつの間にか家族はバラバラになっていた。だがな……」
《大僧正》はにこりと微笑み、立ち上がる。
「苦楽の後にこうして又、我らは巡り合える事ができたのだ。これも破壊神様のお導き。お前達も俺のように苦行を重ね精進すれば、きっと神のご加護があるはずだ」
《グール》達を交互に抱きしめながら《大僧正》は語る。その姿にドラッケンが小さく舌打ちする。
「やりたい放題やって、最後は人形遊びの現実逃避か……。どこまでも無責任なクズだな」
怒りに震える手で、槍を強く握りしめる。
《アレフガルド》で激しい戦いをしたにもかかわらず、《大僧正》の目にボク達はもう映っていなかった。どこか遠い場所で、自分の世界だけに閉じこもり、このまま朽ちていくのだろう。
「行こう、ドラッケン」
彼の存在は予期していた事だった。その始末は新たな魔王に任せ、関わらぬ事がドラッケンの意思だった。
暫し、睨みつけた後でドラッケンは踵を返す。そのまま、忌まわしき人形の館をボク達は後にしようとした。
「ひょひょひょ、もう、行くのか。つまらぬのう。おう、そうだ! よい事を思いついた!」
《大僧正》がヒヒヒ、と笑う。
「お前達、ここで死んで行け! そうすれば、仲間も増えて楽しくなるではないか! のう、兄者よ!」
傍らの《グール》に声をかける。縦に振ろうとした《グール》の首が落ちて、そのまま床に転がった。強大な魔力の気配が一気に満ちる。
反射的に振り返ったボクはライデインを放った。続けてドラッケンが竜化して灼熱の炎で室内を焼き尽くす。
《大僧正》と三体の《グール》を残して、全ての死体が一瞬にして消し炭に変わる。
「やっぱり、ケリを付けなきゃいけないみたいだね」
ボクの言葉にドラッケンが咆哮で答えた。
「ほーほー、折角、集めた部品を灰にしおってからに……。まあいい。お前達は生きの良い死体になりそうだな」
《大僧正》がフバーハを唱え、さらにマホカンタを唱えた。特殊攻撃と魔法攻撃は暫く使えない。
竜化を解いたドラッケンとボクが武器をもって挑みかかる。《大僧正》一人に狙いを絞ったボク達の前に、三体の《グール》が壁となって立ち塞がった。ボク達の攻撃が続けざまに空を切る。
「ユーノ、気をつけろ。こいつら、只の死体じゃないぞ!」
「分かってるよ」
三体からはかつてのルザロの時と同じく、強大な闇の力が感じられた。素早い身のこなしと重量のある四肢を振り回しての攻撃力は、並みの魔物など足元にも及ばない。すぐさまボク達は《グール》を標的に切り替えた。
ドラッケンの《さみだれ突き》を尽くかわし、ボクの《疾風突き》もあっさり《白刃取り》された。刃をしっかりと受け止められて身動きのとれぬボクを、二体の《グール》が攻撃し、あえなく弾き飛ばされる。
起き上がり体勢を整えたところで仕切り直し、ボク達は再び睨み合う。
《グール》達も決して無傷という訳ではないらしく、己の強力すぎる攻撃の度に自らダメージを受け、身体の節々から闇の気配が立ち昇る。かつてのルザロの時と同じように、修復しながら戦っているようだ。
「だったら、これならどうだ!」
ボクは《光の剣》を天に掲げ、道具として使う。眩しい光が辺りを覆い、《グール》達は幻に包まれた。魔法を使えなくても道具の効果は健在のようだ。
再びボク達は挑みかかり、幻を攻撃する《グール》達を着実に切り刻む。ダメージを追った《グール》達は傷の修復に力を取られ、みるみる動きが悪くなっていく。
ようやく突破口が見えた、と思えたその時だった。
「ユーノ、下がれ! 大きいのが来るぞ」
緊張したドラッケンの声で我に帰る。
激しい《グール》の攻撃に気を取られ気付かなかったが、戦うボク達の背後で《大僧正》が巨大な魔力を練り上げていた。その気配には覚えがあった。
ギガイオン。
地下神殿に荒れ狂ったあの強大な魔法が今再び、炸裂しようとしていた。
慌てて《魔法の盾》を取り出して、ドラッケンに放り投げる。ボクは《水鏡の盾》を構え、防御に徹した。《グール》達が襲いかかってくるが、構っている暇はなかった。強力な《グール》の攻撃力が比べ物にならぬ程の破壊のエネルギーが、今生み出されようとしていた。
敵味方、そして術者の安全も無視する巨大な破壊呪文。それが今、再び発動した。
生じる大爆発と衝撃波。
熱風が荒れ狂い、巻き込まれた三体の《グール》はあっさり消滅し、さらにボク達に襲いかかる。片膝をつき防御に徹するが、《水鏡の盾》と《魔法の鎧》の特殊効果で幾分か威力を減衰したものの、効果は今一つだった。とうとう爆圧に耐えきれず、弾き飛ばされて石壁に打ちつけられる。幸い場所が塔だった事もあり、更なる爆発の効果は通路から外へと抜けていった。
「い、生きてるか、ユーノ……」
「な、なんとかね……」
重傷のまま床に転がるボク達は、すかさず《力の盾》とベホイミで治癒を開始する。
魔法のエキスパートであるゴロン爺によれば、二人以上の術者の行使が前提のギガイオンは単独では決して使えぬ呪文のはずなのだが、《大僧正》は不可能を可能としたようだ。一発目はどうにかこらえられたが、次はおそらく無理だろう。
幸い今の一撃で三体の《グール》は消滅した。けれども《大僧正》は次の一撃に備え、再び魔力を溜め始めていた。
手早く回復を終えたボクは《道具袋》から《魔封じの杖》を取り出した。ドラッケンが眉を潜める。
「効くのか?」
「多分、無理……」
迷わず即答する。
「分かった。じゃあ、任せろ!」
ロンダルキア洞窟で重ねた豊富な戦闘経験のせいで、互いに考えていることは手に取る様に分かっていた。
ドラッケンが無茶をして、ボクがさらにその上をいく無茶をする。まさに絶妙な一手である。
ボクの準備ができた事を見計らって、ドラッケンが槍を構え、大僧正に向かって真正面から飛び込んだ。新たな呪文の為に生成された膨大な魔力の障壁に槍を突き立て、そのまま穂先を強引にこじ入れる。
「行け、ユーノ!」
《魔封じの杖》を手にしてドラッケンがこじ開けた障壁の中に強引に身体をねじ込んだ。すぐ目の前に集中する《大僧正》の姿があった。杖先を身体に触れさせ直接効果を発動させる。巨大な魔力の反動がボクの身体と杖に襲いかかり、みしみしと音がする。
「頼む! 効いてくれ!」
もう攻撃の余裕はなかった。《大僧正》が閉じていた眼をカッと見開き、さらに呪文を口にしようとする。瞬間、破砕音とともに杖が砕け散った。同時に薄い紫色の霧が生まれ、《大僧正》にまとわりついて、身体の中に吸い込まれる。
強大な魔の力が一瞬にして消えた。そのままばったりとその場に倒れるボクの頭の上で《大僧正》が呪文を口にする。
「ギガイオン!」
当然、呪文は発動しない。代わりに、槍を構えたドラッケンが飛び込んだ。
「今度こそ終わりだ、観念しろ!」
反乱で死んだ多くの竜族の無念を背負って突き出された《竜神の槍》が《大僧正》の胸に深く突き刺さる。それは奇しくも、竜王の城の地下神殿での光景に酷似していた。
倒れていたボクも跳ねるように起き上がり《光の剣》を腰から引き抜いた。あの日、泉の洞窟の前であっさりと殺された兵士達の無念を剣に乗せ、斬りつける。
致命傷を受けた《大僧正》には、絶叫も悲鳴もなかった。
ただ、恍惚とした表情を浮かべて両手を天に差し伸べ、そのまま音をたてて仰向けに倒れた。その瞳にボク達の事はやはり映っていなかった。
「おお、兄者よ……、皆……、そこにいた……のか……。探した……ぞ……、ずいぶん……とな……」
そう言い残して眼を閉じる。全身から巨大な闇の気配が生まれ、立ち昇っていく。闇はやがて光にかわり、霧のように広がった。ふとその中に懐かしい人の姿が浮かんだ。
「アルマさん!」
霧の中に浮かんだ彼女は小さく微笑み、室内の壁の一角を指さした。やがて強い四つの輝きが生まれ、寄り添うように天へと舞い上がり、消えて行く。
全てが終わった後には、何も残っていなかった。《大僧正》の亡き骸さえも……。
それらを見届けたボク達は、背中を合わせるようにその場に崩れ落ちる。
「割り切れないな……」
「そうだね……」
互いにそれ以上の言葉はなかった。しばし、呼吸を整え、直ぐに傷と体力の回復を始める。
「ユーノ、ちょっとこっちに来てみろ」
先に回復を終えて、壁面を調べていたドラッケンが、隠し部屋の扉を開いた。いくつかの種や回復アイテムと共に、なんと《稲妻の剣》を見つけた。かつて破壊神を倒した勇者が手にしたというその剣が、時を越え、今再び、当代の勇者のボクの手の中へと戻ってきた。
「ありがとう、アルマさん」
一瞬見えたその幻影に向けてのボクの呟きに、ドラッケンは何も聞こうとしなかった。
隠し部屋を後にし、ボク達は激闘の場所をもう一度だけ振り返る。立ち止まり感慨に耽っている訳にはいかなかった。ボク達の目的の場所はさらに先、この上の階にあるはずだった。
仇敵に
2014/05/11 初稿