ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

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激闘篇 03

 

 

「ひょっひょっひょっ、兄者よ……。何やら怪しげな奴らが現れたぞ」

「動ずるな、弟よ。復活した我らが勇者様の前には、障害にすらならぬ」

 

 神殿奥に造られた玉座には、あの日と同じく漆黒の甲冑を身にまとい、不気味な《般若の面》を付けたままのルザロらしき者の姿があり、その傍らには見覚えのある僧侶達の姿がある。《悪魔神官》――過去の出来事が思い浮かぶ。

 ボクは一歩踏み出し、玉座に座る黒き勇者に呼びかけた。

 

「ルザロ! キミ、こんな所で何してるんだい? キミの家族だってキミの事を心配しているよ」

 

 ――そう、ボクを刺し殺して亡き者にしようとしたほどに。

 

 だが、彼は何も答えない。まるで彫像のように玉座に腰かけたままである。意識がないまま、《悪魔神官》達にあやつられているように見えた。

 

「ほーほー。何やら因縁の対決めいて来たぞ、兄者よ」

「あれから数年、復讐の炎を胸の内に燃やし、今、刺客となって若者が立ちふさがる。勇者よ、これいかに!」

 

 まるで、戯曲の一場面のような口ぶりで《悪魔神官》達ははしゃいでいる。厳しい表情の竜王が一歩踏み出した。

 

「おい、そこの薄汚い魔族共! オレの国と城を荒らした落とし前、きっちり付けてくれるんだろうな!」

 

 だが、《悪魔神官》達の様子は変わらない。

 

「おお、兄者よ、トカゲの王が何やら怒っておるぞ?」

「フム、所詮、腕力まかせの力押ししか能がない連中だからのう。全く図体ばかりのトカゲどもは、使えぬ奴らばかりだったわ」

 

 たわむれるかのような口ぶりの彼らに、竜王が怒気を込めて怒鳴りつけた。

 

「いい加減に、相手と向き合って話をしたらどうだ。同族にもまともに相手にされないクズ共が!」

 

 瞬間、二人の動きがぴたりと止まった。その様子に竜王が小さくニヤリと笑った。

 

「大方、歯牙にもかけてもらえぬ同族を見返したいが為に、そこの偽勇者を利用したのだろう? 古い盟約まで引っ張り出したのは御苦労な事だが、そこまでだ。所詮、そいつは操り人形。化けの皮が剥がれれば、残ったのは裏でこそこそ画策するだけの卑怯なクズ二匹ってところか……」

「黙れ、トカゲ野郎!」

 

 弟分が睨みつける。兄貴分が重ねた。

 

「我らは優秀なのだ。緻密に綿密に計画を重ね、慎重に精細に行動する。目指すところは華麗なる魔族の頂点! いずれ世界は我らの足元にひれ伏すのだ!」

「そうだ、兄者よ、今こそ我ら兄弟の時代! ハーゴンなぞ引きずりおろして我らが君臨することこそふさわしい」

 

 ハーゴンという名前にボク達は眉を潜めた。兄貴分が得意気に続ける。

 

「さして代わり映えもせずに怠惰に時を重ねる腐った世界。そんな退屈で凡庸な世界をいかに動かすか? 賢明な我らが懸命に考察し、一つの結論に至った。その鍵となる者こそ、ズバリ、勇者である。勇者が旅する時、世界は大きく動く。故に我らは勇者たる人材を探し求めた。我こそは勇者たらんと鼻息の荒いだけの姑息な奴らは多かったが、それでも我らはついに巡り合った、我らにとって理想的な逸材に……」

 

 ルザロの両側に立った《悪魔神官》達は、身ぶり手ぶりを交えて大袈裟に語る。

 

「他者を凌駕する力量と堂々たる品性。勇者の資質はずば抜けておれども、所詮は世間を知らぬ只の頭でっかち! かの者に数日つき従い、二人かがりで世の矛盾をこんこんと解き、世界の片隅でうらぶれる者達の悲哀を目の当たりにさせれば、心乱れるのは必定。かくして反逆の勇者の一丁上がりよ!」

「所詮、暖かなところでぬくぬくと綺麗事を聞かされ育っただけの大馬鹿者! いいように誘導されていることにも気付かず、初めて見る世の暗い一面を見知って、己の負の感情に引きずられ、悩み苦しみ堕ちていく。なかなかに見ものであったな、兄者よ」

「まったくもってその通り!」

 

 ゲハゲハと《悪魔神官》達は笑う。直ぐ傍らで酷く侮辱されているにも拘らず、《般若の面》を付けたままのルザロは彫像のように座っている。

 

「お前達……、よくも。そうやって……ルザロを!」

 

 ボクはもう、どうにも我慢できなかった。怒りのあまり、手にした《ドラゴンキラー》がぶるぶると震える。

 ルザロとの関係は、親しい訳ではなかった。ひょんなことで知り合い、顔見知りではあったものの、所詮は住む世界の違う人間。恵まれた境遇の彼を、やっかむ者達だって故郷には多かった。

 だからと言って人の良い彼をたぶらかして追い詰め、悪人に仕立て上げるなどという事がまかり通って良い訳ではない。まだ彼には引き返す道があるはずだ――そう考えたボクの心に小さな迷いが生まれかけた。

 ボクの傍らに立っていた竜王が嘲笑する。

 

「言いたい事はそれだけか? 結局のところ、そいつの心が弱かっただけの話で、お前達のクズっぷりに、更なる磨きがかかっただけの事。そんなお前達に朗報だ。当代の正統なる勇者と竜王自らがきっちりと裁きを下してやる。今更、降伏しろなんて言わんから安心しな! 二匹まとめて黙って死ね!」

 

 竜王の表情は冷たい支配者のそれだった。だが、有無を言わせぬその言動は、ボクのわずかな迷いを振り払うのに十分だった。

 

「ルザロ、キミは間違ったんだ。そして償わなければいけない。こいつらを倒して、ボクと一緒に故郷に帰るんだ!」

 

 ボクの言葉に玉座に座るルザロの肩が、小さく震えたように見えた。

 

「ほーほー。友の甘い誘惑の言葉にも勇者は決して頷こうとはしなかった。世界の為に我が身を犠牲にし、その苦しく孤独な道のりをひたすらに極めつくす故に……、じゃな、兄者よ」

「分かっておるではないか、弟よ。褒めて使わそう。さあ、勇者様、今こそ、世界を偽善という悪しき道に引き込もうとするこの者達を、血祭りにあげるのです!」

 

 漆黒に染まった伝説の鎧を身にまとったルザロがゆらりと立ち上がる。鎧の隙間から立ち昇る闇の気配が不気味だった。

 先に仕掛けたのはルザロだった。躊躇い、一瞬、反応の遅れたボクを竜王が庇い、《竜神の槍》で伝説の剣を受け止めた。

 

「ボケっとするな! 気を抜いたら死ぬぞ!」

「分かってるよ!」

 

 泉で戦った時よりもルザロは強く速くなっていた。さらに後方に控える二体の《悪魔神官》達。性格はともかく、彼らの呪文の威力は半端ではない。

 前に出たルザロを《悪魔神官》達の呪文の盾にしながら、ボクと竜王は二人で彼を攻撃する。強力な一撃をシールドで受け止めるボクの傍らから竜王のするどい《さみだれ突き》が放たれる。それを盾で受け止めたルザロは横なぎの強力な一撃でボク達を薙ぎ払う。その鋭い剣筋にボクは全神経を集中し、ルザロの次の動きを読み取ろうとする。

 

「まずい! 勇者、防御だ!」

 

 竜王の声にボクは反射的に従った。避けることもできたはずのルザロの斬撃を《ドラゴンシールド》でしっかりと受け止める。その瞬間、ボク達の周囲で巨大な爆発が生じた。しかも連続で……。

 突如として生まれた爆発をそのまま盾で受け止め、どうにかやり過ごしたボクは慌てて周囲を見回した。少し離れたところで二度の爆発をまともに受けたルザロが転がり、竜王は《魔法の盾》の力で爆発の威力を減衰させていた。ボクが今、立っていられるのは、偶然壁となったルザロがその威力をまともに受けたからであろう。

 

「おお、勇者よ、倒れてしまうとは、なんと情けない……」

「立て、勇者よ! 再び立ちあがって、悪を滅ぼすのだ!」

 

 今の爆発はおそらくルザロをおとりにして、イオナズンを連続で放ったものだろう。

 

「お前達、仲間ごと巻き込んで……」

 

《悪魔神官》達は相変わらずの調子で、倒れたルザロを煽っている。

 その声に従うかのようにイオナズンをまともに食らって重傷のはずのルザロが、ゆらりと立ち上がる。甲冑の端々から黒い気配が立ち昇り、やがてそれは再び甲冑に吸い込まれるように消えていった。魔法で完治したかのような効果が生じたのか、ルザロは再び何事もなく剣を構えた。その様子に竜王が眉を潜めた。

 

「兄者よ、やつら、大して効いてはおらぬようだぞ?」

「仕方ないな、弟よ。ならばアレをやるか!」

「おう、アレだな! 任せよ、今度こそ血祭りにあげてやろう」

 

 他人を食ったような態度とは裏腹に、彼らの周囲の空気が変わった。ピンとした緊張が張りつめる。

 

 ――大技が来る!

 

 危険の気配を肌で感じ取った竜王が、《悪魔神官》達の動きを封じようと先に動いた。だが、そのさらに先を行ったのはルザロだった。竜王の前に立ち塞がり、激しく斬りつける。舌打ちをしながら応戦した竜王が叫んだ。

 

「勇者! こっちは駄目だ! どうにかしろ!」

 

 反射的に駆け出したものの有効な手段はない。大きな魔法の行使の際に副次的に生まれる術者保護の結界が、ボクの行く手を阻んだ。

 

 ――どうする?

 

 確実に追い詰められつつあるこの状況。ただ焦るだけのボクに有効な事態の打開策はない。

 ふと、ムーンブルク遺跡でのアルマさんとの戦いが思い浮かぶ。圧倒的な魔力の気配に成す術もなく己の死を覚悟したその状況……。

 突然、ひとつのアイデアが脳裏をよぎった。

 慌てて剣を収めて《道具袋》を探る。目当ての物を取り出し、ボクはそれを右手に握った。

 

《魔封じの杖》。

 

 フォックスさんの餞別の品を手にして、ボクは感謝とともにそれを道具として使おうとした。

 杖先を《悪魔神官》達に向けて、効果の発動を念じようとする。

 瞬間、ボクの右腕に強かな衝撃が走った。思わぬ攻撃を受けてボクは《魔封じの杖》を取り落とす。

 間髪いれずに斬りつけられる二の太刀を盾で受け止め、どうにか態勢を立て直した。斬りつけてきた相手から決して視線を外さず、足元に落ちた《魔封じの杖》を踏みつけて確保する。視界の片隅にダメージで膝を突き、表情を歪める竜王の姿があった。

 

 予期せぬ攻撃をボクに加えたのは、ルザロだった。

 足止めをしていた竜王をあっさりとあしらい、隙だらけのボクを攻撃した。その閃光のような振る舞いと技量の差にボクは背筋を振わせた。

 

 ――やはり、かなわない。

 

 勇者として誰にも期待され、十分以上の資質を持っていた彼の前ではボクの力など赤子同然。《般若の面》の向こうで、ルザロが非力なくせに勇者を名乗るボクを笑っているように思えた。

 

 だが、彼との圧倒的な実力差に言い訳を考えている時間はなかった。

 盾で押し返そうとするボクの力をあっさりと受け流し、肘と膝を使ったルザロの連続攻撃がボクを叩きのめす。成す術もなくその場に膝をつきボクは身体の中を暴れ回るダメージに苦悶する。倒れたボクにルザロは止めを刺すことなくその場を大きく飛び下がった。

 そして……、ついに《悪魔神官》達の奥の手が完成した。

 空間に満ちる不気味なほどの魔力の波動。その圧倒的な力に陶酔するかのように恍惚とした表情を浮かべ、彼らは完成した呪文を発動させた。

 

「ギガイオン!」

 

 聞いたことのない呪文を二人が同時に唱え、倒れたボクと竜王の前に巨大な魔法の気配が現れた。周囲の全てを飲み込むかのように生まれた光の玉は、小さな点へと凝集する。

 

 静寂が一瞬……、神殿内を包み込んだ。

 

 生じた圧倒的すぎる静の気配に、ボクも竜王も防御する事すら忘れ、身動きが取れなかった。

 その先にいかなる結末がボク達を待っているか……、修羅場の経験不足なボクでも容易に想像ができた。人は余りにも大きすぎる力を目の前にした時、観念という言葉の意味を知る。

 無力さをかみしめ、その瞬間を待つ。諦めないという言葉すら諦めて、ボク達はその場に立ち尽くした。

 

 突然、ボク達の前に何者かが飛び込み、巨大な壁となってボク達を庇った。正体を確かめる間もなく、間髪をいれずに巨大な爆発が神殿内を揺るがせた。

 閃光が生まれ、爆風と衝撃波が全てを薙ぎ払う。

 それまでびくともしなかった神殿の壁と天井の一部が、音を立てて崩れ落ちた。降ってくる瓦礫の気配に、慌てて盾を頭上にかざした。もうもうと立ち込める爆煙で一寸先も見えない。

 さらに舞い上がった粉じんに炎が燃え移り、再び激しい爆発が起きた。もはや、敵も味方も、術者自身すら関係なく全てを破壊し尽くさんとするその狂気に、ボクは背筋を凍らせる。

 

 やがて、全てを蹂躙した魔法の気配が消え、辺りに静寂が蘇る。

 だが、ボク達を守るかのように現れた壁のお陰でボク達はほぼ無傷だった。それを確かめるかのように、ボク達の前に仁王立ちしていた壁が音を立てて倒れる。

 見覚えのあるシルエット。

 先刻、竜王と死闘を繰り広げて敗れた《グレートキースドラゴン》だった。

 

「キース大老!」

 

 凄まじい爆発の衝撃をその体躯で全て受け止めた代償として、息も絶え絶えの《グレートキースドラゴン》に駆け寄ろうとしたボク達を、彼は最後の力を振り絞って叱咤する。

 

「何を……して……おられる。今こそ……反撃を……。未来を……」

 

 言葉の意味を、頭ではなく身体で受け止める。

 爆風に吹き飛ばされずに足元に落ちていた《魔封じの杖》を拾い上げ、ボクは隙だらけの《悪魔神官》の元へと駆け出した。甲冑から暗黒の気配を漂わせて回復するルザロには竜王が向かう。

 

「な、なんと、あれをくらって、何故、こやつら無事なのだ?」

「し、信じられん……」

 

 動揺を隠せぬ《悪魔神官》達。先ほどの切り札に絶対的な自信があったのだろう。慌ててさらなる魔法を発動させようと試みるが、大技の後で大きく消耗し、上手く精神集中できずにいるようだった。

 絶対の死の予感と共にボク達が諦めてしまっていた勝利への希望。

 それを、身を呈して繋ぎとめ、引き寄せてくれたキース大老の為にも、この千載一遇の機会を絶対に逃してはならない。

 混乱する《悪魔神官》達に向かって杖先を向ける。間髪をいれずにボクは杖の力を発動させた。

《悪魔神官》達の周囲に生まれる見覚えのある不思議な色の煙。生まれた煙はまとわりつくように漂い、彼らの中に吸い込まれた。彼らの身体から魔法の気配が完全に消える。

 唱えた呪文が発動せず、魔法を封じられたことにようやく気付いた二人が慌てふためき始めた。役目を終えた《魔封じの杖》を《道具袋》にしまって、ボクは再び《ドラゴンキラー》を手にした。

 

「よくやった、勇者! オレと代われ! そいつらの始末はオレに任せろ!」

 

 竜王の言葉に従い、ボク達は戦う相手をスイッチする。

 ルザロと向き合うボク。そして力を封じられた《悪魔神官》達と竜王。

 自分のテリトリーをさんざんにかき回され、ふんだんに苦渋を舐めさせられた相手を前に、竜王は悪役も真っ青になって逃げ出すかの如き邪悪な笑みを浮かべ、堂々と宣言した。

 

「待たせたな、クズ共! お前達にはオレ自ら引導を渡してやるから光栄に思え! 蹴飛ばし、踏みにじり、噛みちぎり、引き裂いてやる! 怒れる竜族の怖さをたっぷりと味あわせてから、地獄へ送ってやろう!」

 

 ドラゴラムを唱え、巨大な竜にその姿を変える。

 出会って以来、どこまでも他者を小馬鹿にするかのようにふるまい続けてきた二人の《悪魔神官》達は、そのとき初めて恐怖に顔を引きつらせた。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 竜化した竜王の太い尾が、二人を容赦なく弾き飛ばした。石壁に叩きつけられたところに激しい炎が浴びせられる。

 それでも果敢に立ち上がった《悪魔神官》達は両手に《フレイル》を持って、竜王に立ち向かった。

 

「焦るな! 弟よ! 杖の効力が切れるまでどうにか粘るのだ!」

「おう、兄者よ!」

 

 両手の《フレイル》で殴りつけようとする兄貴分を、竜王はあっさりと蹴飛ばした。数度バウンドして再び壁に叩きつけられる。

 

「ぬおおー」

 

 頭を押さえて転がる兄貴分を尻目に、竜王は弟分に向き直り《凍える吹雪》を吐きつけた。

 

「まだまだよ! 心頭滅却すれば……」

 

 すかさず今度は《激しい炎》が吐きつけられた。凍った石床が炎の熱で溶け、足を滑らせた弟分が見事に転んだ。竜王はそれを上から容赦なく踏みつける。悲鳴が上がり、倒れた弟分に噛みついた竜王はそのまま勢いよく壁に叩きつけた。

 ボロボロになって転がる《悪魔神官》達と、積もり積もった恨みを晴らすべく完全に悪役と化した竜王。逆鱗にふれるとはこういうことなのだろう。蹴飛ばされ、踏みにじられ、噛みつかれ、放りなげられた二人は、引き裂かれるのを待つばかりである。

 よろよろと起き上がる二人に対して、竜化を解き竜人の姿を取り戻した竜王は、《竜神の槍》を手にしてすたすたと歩み寄った。

 

「最後に一つ選ばせてやる! どっちから先にあの世に行きたい?」

 

 冷たく見下ろして問う竜王を、兄貴分が嘲笑した。

 

「ふん、つけ上がるな……たかがトカゲごときに……」

 

 瞬間、穂先が薙ぎ払われ、二人まとめて弾き飛ばされる。ダメージが小さかった弟分が、這いずりながらも再び起き上がろうとした。穂先を突きつける竜王と視線が合い、硬直する。

 

「終わりだ! 黙って不様に逝け!」

 

 無慈悲に輝く穂先が、閃光となって弟分に襲いかかる。恐怖のあまり失禁しながら、弟分は悲鳴を上げた。不意に二人の間に何者かが割って入る。

 

「あ、兄者よ……」

 

 弟分を庇った兄貴分が竜王の怒りを存分に込めた《竜神の槍》をその身で受けていた。槍を引き抜かれたその勢いで仰向けに崩れ落ちる。その身体を弟分が抱きとめた。

 胸を貫かれて、即死だったらしく、兄貴分はもはやウンともスンとも言わない。

 

「兄者よ、何故動かぬ。おのれ、さてはこの俺を一人にするつもりだな。ずるいぞ、厄介事を俺に押し付け、自分だけ逃げ出すとは!」

 

 躯と化した兄貴分の身体をガンガンと床にたたきつけ、弟分はおいおいと号泣する。その姿を見下ろして竜王は冷たく言い放った。

 

「辛いか? 痛いか? 悲しいか? お前達はそんな理不尽な苦痛を、お前達の都合で数え切れぬ者達に与えてきた。故に、今度はお前達の番だ。その痛みを抱えたまま、己がしてきた事をあの世でしっかり悔いるんだな!」

 

 再び槍を構えた竜王が泣きわめく弟分に狙いを定めた。間髪いれずに一閃する。

 ドスンと肉を突き抜く嫌な音が響いた。

 

「お、お前……」

 

 槍を突き出した竜王が、驚愕の表情を浮かべる。突きだされた穂先を兄の躯を盾がわりに使って防いだ弟分が、手にしたそれを放りだしてその場を飛び離れた。

 

「おお、兄者よ、やはり生きておったか! 又、この俺を助けてくれるとは、見事なり。今度は俺の番だ!」

 

 その身体から魔法の気配が立ち昇った。いつの間にか《魔封じの杖》の効力が切れていた事に気づき、竜王は小さく舌打ちする。槍の穂先から物言わぬ兄貴分の躯を引きはがし、素早く盾と槍を構えた。

 魔法を減衰させる効果を持つ《魔法の盾》を正面に構え、《竜神の槍》を構えて一杯に引き絞る。相手が撃ってくるのは、おそらくイオナズン。それを防いでカウンターで止めを刺す。勝利への方程式は、できあがっていた。

 互いの間に緊張が走り、狂気に染まった《悪魔神官》が呪文を唱える。

 

「リレミト!」

 

 素早く呪文の効果が発動し、《悪魔神官》の姿が徐々に薄れていく。意表を突かれ、反応の遅れた竜王の槍がその残像を貫いた。

 

「はっはっはっ、兄者よ、俺は先に戻っているぞ!」

 

 笑い声と共に《悪魔神官》の姿は消えていた。討ち果たす寸前で獲物を取り逃し、竜王は地団太を踏んで悔しがる。

 

「ヤロウ……。完全に狂ってやがったか……」

 

 暫し、身体に二つの穴を穿たれて横たわる《悪魔神官》の躯を睨みつけていた竜王だったが、ふと思い出し、慌てて振り返った。少し離れた場所で激しい戦闘を繰り広げている勇者達の傍らに、竜化が解けて倒れたままの老人の姿があった。

 

「キース大老!」

 

 瀕死といってもよい傷を受けた老人は、かろうじて息があった。ベホイミをかけようとする竜王を制し、老人は口を開いた。

 

「若……、今、貴方が……助けねば……ならぬのは……、こんな……老いぼれ……では、ございません。竜族の……、世界の未来を……、頼み……ました……ぞ」

 

 戦っている勇者を指さし、老人はそのまま息を引きとった。未だ、決着がついていない場面でありながら、全てを信頼できる者に託し満足して逝ったその死に顔は、とても穏やかだった。

 

「バカ野郎、折角、拾った命だってのに……。まだ貴方に教えて欲しい事は、たくさん……あったんだ……」

 

 暫し、肩を震わせ目を伏せた竜王だったが、すぐさま顔を上げる。視線の先にあるのは二人の勇者の姿だった。激しく争いながらも、闇色に染まった勇者に、お人よしの勇者が懸命に声をかけている。

 

「甘いんだよ。お前は……。そいつはもう、とっくに……」

 

 再び槍を手に取り、竜王は立ち上がる。悲しむのも後悔するのも、全てが終わってから……。それが王たる地位に座す者の宿命だった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ボク達は激しい剣戟を繰り広げていた。

 ぶつかり合う二つの剣が火花を散らす。伝説の剣と《ドラゴンキラー》を手にして、ボク達は再び対峙していた。

 

 ――ルザロを止めなければ。

 

《悪魔神官》達にあやつられている彼の暴走を止めるには、あの醜い《般若の面》を引きはがすことが先決だろう。そう考え、ボクはどうにか接近戦に持ち込もうとした。だが根本的な技量の差がボク達を隔て、ルザロはボクに付け入る隙を全く与えなかった。

 数合うちあった後で、互いに大きく飛び下がる。

 魔法の気配を感じ取り、ボクもすかさずライデインで応戦する。勇者のみが放てるという雷撃呪文が双方から放たれ、ぶつかりあって相殺された。

 

 ――ルザロ、キミは強いな、本当に……。

 

 ボクと同じくライデインを使いこなし、伝説の武具を身にまとった彼は、間違いなく当代の勇者だったはずだ。なのに、どうしてこんな事になってしまったのか……。

 出発の日、ローレシア城の門で出会った時の事が脳裏をよぎる。

 

『キミと剣を交えるなんてのは、御免だけどね……』

 

 そう言って笑ったあの日の彼の笑顔を思い出し、唇をかみしめる。

 

 ――こんな現実は間違っている。

 

 気付けばボクは大声で叫んでいた。

 

「ルザロ、帰ろう! こんな戦い、無意味だ! キミが本当に望んだのはこんな事じゃなかったはずだ!」

 

 試練をやり遂げ、多くの人々に祝福を受け、キミは堂々と勇者として活躍する。同世代のボク達はきっと皆、やっかみながらも、いつか年をとって、勇者としての彼の活躍に胸を躍らせ、誇りにしていたはずだった。

 

『オレはアイツのトモダチだったんだぜ』

 

 そんな自称、勇者のトモダチがゴロゴロ溢れる《ローレシア》の城下町で、靴職人になったボクは、日がな一日、飽きることなく靴を作り続ける平凡な日々を送る。

 

 ――それがあるべき現実の姿だったはずだよ!

 

 だが、ボクの呼びかけに彼が応ずる事はない。代わりに更なる強烈な剣の一撃がボクを襲った。まるでボクの呼びかけを否定するかのように。

 盾でそれを受け損ね、ボクの態勢が大きく崩れた。チャンスとばかりに連続斬りが襲いかかり、ボクは瞬く間に劣勢に追い込まれた。と、不意にルザロが大きく飛び下がり距離をとった。間髪をいれずにその場所を銀色の閃光が走る。

 

 「何やってる、勇者! 手抜きして勝てる相手じゃないぞ! 分かってんのか!」

 

《悪魔神官》達を蹴散らし、援護にかけつけてくれた彼をボクは慌てて制止する。

 

「駄目だ、竜王! ルザロは操られてるだけなんだ。あの仮面をどうにか引きはがせば、きっと……」

 

 剣を構えたままのルザロに槍の穂先を向けた竜王は、僅かに悲しげな表情を浮かべた後で、溜息をついて首を振った。

 

「勇者、悪いがお前、根本的な勘違いしてるぜ!」

「どういう意味だよ!」

 

 くってかかるボクに、竜王は意外な事実を告げた。

 

「あいつはな……。誰かに操られている訳じゃない。とっくに正気だ。この戦いはアイツ自身が望んでいる。そうだよな! 偽勇者!」

 

 少し離れたところに立つルザロに、竜王は厳しい視線で問う。沈黙が広がった。

 

 暫くして、ルザロは構えていた剣をゆっくりと下ろした。そして小さく肩を揺らして笑い始めた。

 

「ははっ……。そうだよ。さすがは竜王。あの二人でさえ、気付かなかったのに……。一体、いつ、気づいたんだい?」

 

 聞き覚えのある声での意外すぎるその言葉に、ボクは愕然とする。

 

 ――信じられない。

 

 そんな表情を浮かべるボクを全否定するかのように、ルザロの手が動いた。彼の顔を覆い隠していた《般若の面》があっさりと取り外される。解呪されねば決してとれぬはずのその面の下にあったのは、少しだけやつれながらも、目つきの鋭くなった旧知の顔だった。

 

「久しぶりだね、ユーノ君。キミもずいぶんと強くなったね……」

 

 歪んだ笑顔が浮かんだ。それはボクの知る昔のルザロには全く不似合いなものだったが、今の彼にはなぜかとても自然に思えた。

 ぐるぐると視界が回り、立っていられなくなったボクは、その場に両膝をつく。

 

「お前……、闇に堕ちたな。その暗黒の力は毒そのもの。膨大な魔力を生まれ持つ魔族だからこそ理性を保っていられる。人間の癖にそんな物に取りつかれ、それに呑まれることなく使いこなすとは、お前……、とんでもない奴だな……」

「お褒めに預かり光栄ですよ、竜王。そう言えば、挨拶がまだでしたね。ボクはルザロ。巷では反逆の黒き勇者なんて呼ばれてるらしいですね……。そこにいる当代の勇者のユーノ君とは、ちょっとした顔なじみの間柄です」

 

 戦闘中にも拘わらず、彼は剣を腰に納め、丁寧にお辞儀をする。竜王が小さく舌打ちした。

 

「ユーノ君。彼の言う通りさ。ボクは正気だよ。これ以上はないってほどにね……」

 

 混乱するボクをルザロは、面白そうに眺めている。

 

「どういう事だよ。ルザロ。キミは操られていたんじゃなかったのかい? 一体、いつから……」

「泉でキミと戦った時は確かに正気じゃなかったさ。あの頃のボクにはさすがに、この力は大きすぎた。力を使いこなせるようになるまでは、あの二人に付き従ったふりをしていたけどね。幸い彼らの歪んだ欲望は、ボクの目的と合致していたから、ボクが特に何かをする必要はなかった。ボクを操ったつもりの彼らは、行く先々で実に楽しませてくれたよ。世界中にひっそりと根をはりつつある邪教団の力はなかなか侮りがたくてね……」

「ルザロ、キミは邪教徒達の事を何か知ってるのかい?」

 

 ムーンブルクの遺跡で、息を引き取る間際のアルマさんの姿が思い浮かんだ。

 

「ユーノ君、キミも聞いたことあるだろう。ハーゴンの名前くらいは……。彼との対決の為にも、もう少し彼らに働いて欲しかったんだけど……。唯一の誤算はこの場で件の二人が倒されたこと……かな。何事も思い通りにはいかないものだね」

 

 竜王の表情が険しくなる。

 

「ルザロ、キミの目的って、一体……」

 

 ボクの問いに、ルザロはあっさりと答えた。

 

「それはね、正しき混沌さ。まだ詳しい事は言えないけれど……。キミ達のお陰で少しだけ予定が狂ってしまったからね。悪いけど今日はここで退散させてもらうよ。いずれ、又、会った時にゆっくり話をしよう。そうだね、次は《ロンダルキア》の台地で……」

 

 言葉と同時に魔法の気配が満ちる。リレミトを唱えたルザロの姿が消えていく。

 

「ルザロ! もう、バカなマネは止すんだ!」

「ユーノ君。キミは相変わらず正しいね。でもそれじゃ、この世界を救うことなんて、できないんだよ。人間は決してきれいな生き物じゃ……」

 

 光に満たされた彼の姿は、そのまま完全に消え去った。神殿内にボク達の姿だけがぽつりと取り残される。愕然としたままのボクの傍らで、竜王は忌々しげに石床に槍の石突きを叩きつけていた。

 

 

 

2014/04/20 初稿

 

 

 


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