ドラゴンクエストⅡ.ⅴ~勇気の足跡~《完結》   作:暇犬

10 / 34
激闘篇 01

 

 大海原を帆船が疾走する。

 陸地を左手に眺め、穏やかな内海を北周りに抜ける定期船の目的地は、《ベラヌール》である。

 昨日、出発した定期船の甲板の上で、ボクは日がな一日、キラキラと輝く波をぼんやりと眺めていた。

 時折、現れる《しびれクラゲ》や《うみうし》は、水夫たちや護衛の傭兵達によってあっさり追い払われた。ボクは唯の乗客としてのんびりとした船旅を楽しんでいた。

 だが、そんなのどかなひと時に浸り続けることは、勇者には許されぬらしい。

 

 日が傾き、夜の帳が下り始めた頃、夕食のメニューを思案しながら船室に戻ろうとしたボクは、突然船を襲った衝撃に大きくつんのめり、強かに顔を打った。それなりに危険に慣れたボクですらそうだったのだから、多くの乗客たちは、てんやわんやの大騒ぎである。転んだ拍子に腰を打ったり、骨を折った者もいたらしく、悲鳴があちらこちらから聞こえた。

 快調に海を走っていた帆船がぴたりと止まり、波間にたゆたっている事に気づき、ボクは慌てて、甲板に引き返す。武器を持った水夫や傭兵達が、大慌てで船尾へと向かっていた。

 彼らの後を追って船尾へと向かったボクは、血相を変えて指示をだす船長さんの姿を見つけた。

 

「何があったんですか?」

「キミは?」

「……。旅の傭兵です」

 

 腰の《鋼鉄の剣》を見せながら、とっさにそんな出まかせを言った。ボクの言葉の真偽を確かめる余裕がないほどに狼狽しながら、船長は続けた。

 

「ちょうどいい。キミも手を貸してくれ。どうやら魔物が一匹、船尾に取りついたらしい」

「一匹……ですか?」

 

 大量の積み荷を積むこの定期船は、かなりの大きさである。それをたった一匹で止めてしまうという事態に眉を潜めた。

 怒声と悲鳴が混じり合う船尾では、殺気立つ男達が、闇に染まった海に向かって武器を構えている。

 船尾に絡みついていたのは、巨大な触手。

 ぬめぬめとしながらマストよりも太いそれは、突然大きく振り回され、甲板の一部を破壊した。勇敢な水夫が大斧を触手に叩きつけたものの、あっさり跳ね返され、逆にその一振りで弾き飛ばされた。

 水夫たちが掲げる松明の光の中に、ぬっと全身が浮かび上がる。その姿を一目見て、船長が唖然とした。

 

「バカな、《キングクラーゴン》だと。偉大なる東の海の守護者が一体、どうしてこんなところに……」

 

 航海を妨害する魔物の正体に、誰もが怯んだ。

 巨大なイカの姿をした魔物は、船尾に取りつきその怪力で、徐々に船を破壊しつつある。浸水だ、という声が階下から聞こえた。

 驚きうろたえた幾人かの傭兵達が慌てて、メラミを放ったものの、大きなダメージは与えられない。逆に炎が船尾に燃え移り、鎮火の為に周囲が混乱する。既に辺りは完全に夜の闇に包まれていた。

 

「炎は使うな! 凍らせろ!」

 

 ようやく冷静さを取り戻したのか、ヒャダルコやヒャダインが飛び交った。触手の一部を凍らされたことで《キングクラーゴン》が暴れ、船体が大きく揺れた。甲板に手を付いて揺れをやり過ごしたボクは、立ち上がるや否や、ライデインを続けざまに叩き込んだ。《キングクラーゴン》が悲鳴にも聞こえる咆哮を上げ、船体に絡みついていた数本の触手が海中へと消える。

 

「そ、それは、伝説の雷撃呪文……。キ、キミはもしかして、勇者……様なのか……」

 

 魔法に長けた一人の傭兵が驚きの声を上げる。勇者という言葉が周囲の人々に伝播し、誰もが目を見張る。仕方なくボクは一つ頷き、それを肯定した。甲板に歓声が湧く。

 

「ゆ、勇者様がいるぞ。勇者様の合力があれば、勝てる! 俺達は助かるぞ!」

 

 甲板で戦う戦士達の士気が一気に上がり、魔物への抵抗が激しくなる。勇者という言葉自体に、まるで何かの魔法効果がある様だった。彼らの先頭に立ったボクは、再びライデインを叩き込み、腰の剣を抜いて斬りつける。

 ついに多くの人々の抵抗に屈した《キングクラーゴン》が、船尾から身を離した。

 がくんと大きく揺れた船が、闇の中で再びゆっくりと動き出す。海中へと身を沈めていく《キングクラーゴン》の姿を目にして、松明の明かりに照らされた甲板に歓声が湧いた。ボクの周囲に人々が集まり、勇者への賞賛を述べる。少しばかり気恥ずかしさを感じながらもボクは剣を腰におさめた……その瞬間だった。

 ブンと風を切る音がして闇の中から伸びた触手がボクの周囲を薙ぎ払う。さらに甲板を突き破って現れた一本の触手が、ボクの右足に絡みついた。そのまま凄まじい力で海中に引き摺り込まれる。

 何が何だか分からぬままに暗い海の中に落ちたボクは、水中から見える海面を照らす松明の輝きに必死に手を伸ばした。

 

「勇者様が、海に落ちたぞ!」

「何をしてる、すぐに小舟を出せ!」

「それよりも光だ! 松明をもっと持ってこい。こんなに暗くちゃ、見えないぞ!」

 

 遥か、海面の上の声を遥か遠くの出来事のように感じながら、したたかに水を飲んだボクの意識は、どんどん遠くなっていく。

 

 ――水死って、きちんと復活出来るんだろうか?

 

 そんな呑気な事を思い浮かべ、ボクは暗い海の中でついに力尽きた……。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 食欲をそそるスープの匂いが、ふわりと踊る。

 目を覚ましたボクは、粗末な作りのベッドから起き上がり、全く身覚えのない部屋の景色を見回して当惑した。

 暫し、呆然とした後で、手放す前の最後の記憶を手繰り寄せる。濃い潮の香りにまぎれた炎と鉄の匂いを思い出す。乗り込んだ定期船が巨大なイカの化け物に襲われ、それに立ち向かったはずだった。そして……。

 

 ――確か、暗い海の中に引きずり込まれたボクは……。

 

 そこまで考えて、一旦、思考を停止する。自分が死んだ、などという事実は、あまり気持ちよいものではない。

 勇者の復活は教会の祭壇において、と聞いていたのだが、見回したその場所は、見覚えのある《ルプガナ》の教会内とは、あまりにもかけ離れている。

 何がどうなっているのやらと混乱しながら起き上がろうとした時、部屋の扉が開いて一人の大柄な男が現れた。同年代ではボクの背丈は決して小さい方ではないが、それでも彼の身長はボクの頭二つ分は大きい。

 その姿を一目見るなりボクは、反射的に身構えた。慌てて腰を探るが、《鋼鉄の剣》は影も形もない。さらに、武器どころか荷物が一切ない事にも気づいた。

 現れた男は一目で人間でない事が分かった。魔族という言葉がふと思い浮かんだが、少し違うようだ。暫し、男の目を凝視した後で、ボクは直ぐにその警戒を解いた。男の持っていた盆の上には、煮込んだスープと怪しげな形の果実が置かれている。おそらくそれはボクの為に用意されたものなのだろう。

 ボクが警戒を解くと、男は口を開いた。

 

「具合はどうだ、少年?」

「問題ありません。助けて下さってありがとうございます。よろしければ、ここがどこで、貴方がどういう方なのか、教えていただけないでしょうか?」

 

 丁寧に礼を尽くしてボクは男に尋ねた。礼に対して、礼をもって応えるならば、いかなる出自であろうとも、それは言葉が通じる余地のある者。男は僅かに表情を崩し、答えた。

 

「人間の世界では、他人の名を尋ねる時には、己の名をまず名乗るのが作法であると聞いているが?」

 

 その言葉に苦笑いする。居住まいを正し、男の言葉に従って、ボクは名乗った。

 

「すみません。ボクはユーノ。旅の……」

 

 少しだけ躊躇った後で、ボクは続けた。

 

「旅の傭兵です。探し物がてら、世界のあちらこちらを旅しています」

 

 男はしばしボクを凝視する。全てを見抜かんとするかのような鋭い視線を向けられたボクは、真っ直ぐに彼の瞳を見返した。

 やがて男は僅かに表情を緩め、おもむろに口を開いた。

 

「私はドルバルド。ご覧の通り、ここ《アレフガルド》の地で生きる竜族だ」

 

《アレフガルド》――海に落ちたボクは、《ルプガナ》の東に位置する国に流れついたようだ。

 手にした盆をボクの眼前に置き、男はボクにそれを食べるように促した。スープの匂いが食欲を誘い、かなり空腹だったことに気づき、ボクはその好意を受け取る事にした。

 塩味の効いた水で肉の塊を豪快に煮込んだだけのスープだったが、うまみと暖かさが胃袋に沁み渡った。喉の渇きを怪しげな形の甘い果実で癒し、一息つく。

 感謝の意を示したボクは彼に尋ねた。

 

「その……。ボクは一体、どうやってここに……」

 

 黙ってボクの食事の様子を眺めていたドルバルドさんは、立ち上がり、窓を開け放つ。さわやかな太陽の光が差し込み、少し遠くに潮騒の音を聞いた。

 

「昨日の明け方、私が食料の調達に海辺を歩いていた時だ。沖合から青白い輝きに包まれた何かが、ゆっくりと岸に向かって近づいてきた。駆け寄った私が、浜に打ち上げられた光の中に見つけたのが、キミだった……」

 

 ドルバルドさんは傍らのタンスを開くと、その中からボクの荷物を取り出した。装備品一式に道具袋、そして、淡く輝く《ロトの印》がテーブルの上に置かれた。無くしたものが無い事にほっとする。それらを並べ傍らの椅子に座ったドルバルドさんは再びボクの顔を凝視した。

 

「ユーノ少年、もう一度、問おう。キミは何者だ?」

 

 ボクのことを只の人間ではないと思っているのだろう。そして、彼が満足する答えはおそらく『あれ』しかない。ボクを凝視する彼の佇まいに、戦士のそれを感じたボクは、一つ大きく息を吐いて、改めて名乗る事にした。

 

「ボクはユーノ・R・ガウンゼン。勇者です。反逆の黒き勇者の一団を探し、旅しています」

「そうか、やはりか……」

 

 ドルバルドさんに驚いた様子はなかった。さも当然のようにボクの言葉を受け止めた。淡く輝く《ロトの印》を取り上げ、手のひらでしばし弄ぶと、それをボクに手渡した。ボクの手の中で印が一瞬、強く輝いた。

 

「あの、驚かないんですか……?」

「それを目にした時から、一応の覚悟はしていたさ……」

「覚悟……ですか?」

 

 思わぬ言葉にボクは首をかしげる。そんなボクに彼は尋ねた。

 

「ところで、ユーノ少年……。キミは……本物なのか?」

「本物? 一体どういう意味ですか?」

 

 問いを問いで返したボクの顔を暫し見つめた後で、彼は思いもよらぬ解答をよこした。

 

「二カ月前のことだ。この《アレフガルド》の地に、勇者を名乗る者とこれにかしずく二人の僧侶の一団が現れた。その者達のお陰で我々竜族は今や、真っ二つに分かれて争っている。かつて、勇者と我が竜族の間で取り決められた盟約故にな……」

「盟約……ですか……」

「ユーノ少年。よければキミのことをもっとよく教えてくれないだろうか? キミ達人間は一体、勇者という存在をどう扱ってきたのかという事を……」

 

 勇者と二人の僧侶。その組み合わせに心当たりがあり過ぎた。

 逸る胸を抑え、ボクは、勇者になったいきさつをドルバルドさんに話して聞かせた。口下手なボクの話を、彼は黙って聞き、要所要所で的確な問いを投げかける。

 

 その日、ボク達はかなりの時間を、互いの疑問と習慣による考え方の差異を埋める事に費やした。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆   

 

 

《アレフガルド》の地は、人が暮らすには決して豊かといえない土地である。

 険しい山々が軒を連ね、南には乾いた砂漠も広がるという。ボクとドルバルドさんは、互いの知る情報を交換した翌日、彼が暮らす海辺の村を離れ、一路、この地の中心にあるという《ラダトーム砦》を目指していた。

 道中、《ルプガナ》周辺とは比ぶるべくもない強い魔物の襲撃を受けたものの、ドルバルドさんの協力もあって、事なきを得た。物事を正しく洞察する能力に優れたドルバルドさんは、戦士としても力量が高い。ドラゴラムによって竜化したその姿での火炎攻撃は圧巻だった。

 ドルバルドさんの話によると、竜族の中でもドラゴラムの魔法が使える高位の者は、通常、自分の姿を人と同じ程度の大きさである竜人と化して生活するという。竜人としての小さな身体に十分な魔力を練り上げて日々を過ごし、いざという時に竜化し爆発させることで、彼らはより強大な力を生み出すという。

 既にこの地に人間が住んでいないのは知っての通り。

 強力すぎる魔物の力を跳ね返すことができるのは、頑強な竜族くらいである事が十分に理解できた。何故、この地に住んでいた人々は、竜族と協力して自分達の生きる場を守ろうとしなかったのだろうという疑問が、ボクの頭を捉えて離さなかった。

 

《ラダトーム砦》がようやく見えてきた頃、突然、ドルバルドさんは戦闘時でないのに竜化して、ボクに背中に乗る様に促した。言われるがままにその背に乗り、ボク達は砦へと向かった。砦の守備をしていたドラゴン達がボク達の接近に気づき、警戒を高めた。砦のあちらこちらからドラゴンの咆哮が響く。ボク達はどうやら招かれざる客のようだった。

 

「止まれ、ドルバルド! 貴様、一体、何の真似だ! 人間を背にのせるとは……」

 

 誇り高き竜族にとって己の背に何かを乗せるなどというのは、屈辱的な行為であるようだ。

 城門に近づいたドルバルドさんの前に、幾匹ものドラゴンや竜人の姿の者達が立ちはだかる。どのドラゴンよりも二回り以上大きな身体のドルバルドさんに、怯む様子は見られない。竜化したままの彼は静かに答えた。

 

「道を開けよ。この方ははるばるローレシアの地よりこの地に訪れた御客人にして『真の勇者』殿だ。そう、若に伝えるがいい」

 

 ドルバルドさんの言葉にドラゴン達は大きく動揺する。

 

「ま、待て、勇者だと。貴様、今の状況が分かっているのか?」

 

 彼らの動揺は尤もである。二カ月前に訪れた勇者によって今や竜族は二分し、争いの真っただ中なのだから……。戸惑い慌てる彼らにドルバルドさんは、さらに畳みかけた。

 

「もう一度言う。道を開けよ。それともお前達、この私と一戦やりあって、力づくで止めてみるか?」

 

 ドルバルドさんは、低く力強く咆哮する。

 立ちはだかるどのドラゴンよりも、ドルバルドさんは身体の大きさだけでなく、貫録も勝っていた。暫しの沈黙の後、しぶしぶ、彼らは道を譲る。譲られた道の真ん中を竜化したドルバルドさんは、ボクを背にのせ堂々と歩いて行く。

 

「若に仇なす裏切り者の血筋の癖に……」

 

 ふと、すれ違いざま、ボクの耳にそんな声がぽつりと聞こえた。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 砦内で竜化を解いたドルバルドさんはボクを連れ、砦の大広間へと向かった。かつては城下町として栄えていたというこの砦は、しばらく前までは住む者も少なく、荒れ放題だったという。已むをえぬ急な事情で主を迎えることになったためか、あちらこちらで修復の為の突貫工事が行われた形跡があるものの、十分とはとても言えない状態だった。

 空っぽの玉座の前で、周囲を固める警護の竜族達に睨まれながら、ボク達は静かに主の登場を待っていた。

 

 しばらくして荒々しい足音とともに、一人の青年が姿を現した。

 まだ若く、勝気な瞳と非常に好戦的な面構えの彼は、ボクよりも少しだけ年長のように見えた。尤も竜族の年齢と外見が釣り合っているかどうかは良く分からないが……。

 現れた青年は堂々と玉座に腰を下ろし、ボク達を見下ろした。片膝をついて彼を出迎えたドルバルドさんの傍らで、ボクは立ったまま彼を見据えた。警護の者達がざわめいたものの、誰もボクを咎める者はいなかった。

 しばし、ボクと睨み合うかのようにしていた青年はやがて、徐に口を開いた。

 

「よう、ドルバルド。お前、しばらく見ないうちに、人間の軍門に下ったらしいじゃないか?」

「はっ、若もお変わりなく、御壮健にて何より。すでにご存知でしょうが、本日は、勇者殿をお連れしました……」

「そいつが……、勇者……か」

 

 玉座から立ち上がり、つかつかとボクに歩み寄ると、再び彼はボクを見据えた。ボクより頭一つ高い彼と向き合い、ボクは堂々と胸をはる。それは勇者としての本能だった。

 

「オレはドラッケン。当代の竜王だ!」

「ボクはユーノ・R・ガウンゼン。当代の正統な勇者だ!」

 

 互いに睨み合う。あまり争う事の好きでないボクにしては珍しい対応だった。遥か昔に戦った御先祖様たちの記憶が、そうさせたのかもしれない。

 さらに暫くの間、睨みあった後で、彼はボク達の周りをぐるりと一周し、再び正対する。

 

「……で、今更、勇者が一体、オレに何の用だ?」

 

 その問いに答えたのは、ドルバルドさんだった。

 

「若、この者をお連れしたのはこの私です。この者の存在を広め、どうか反逆者たちとの和解を……」

「やめろ、ドルバルド。残念だが、もう手遅れだ!」

 

 ドルバルドさんの言葉を、若き竜王は遮った。

 

「オレはもう決めた! 奴らを踏みつぶし、オレの居城を取り返す!」

 

 窓から見える遥か海の向こうの巨大な城を目にして忌々しげに告げた。周囲の竜族達が歓声を上げる。

 

「お、お待ちください、若。それでは後々、大きな禍根が残るだけでなく竜族の弱体化にも……」

「くどい、ドルバルド。これはこのオレ、当代の竜王が決めたことだ。王であるオレの意思は全ての竜族の意思。オレと共に生き、共に死ぬ事を望む者こそ、俺が守るべき者。これ以上の反論は如何にお前であろうとも、許さん!」

 

 若き竜王の一喝にドルバルドさんは口をつぐむ。それはもはや誰にも覆せぬ事が分かったのだろう。

 

「大体、今更、勇者がのこのこ出てきて、何だというのだ! 古き盟約を盾に俺の城を乗っ取った馬鹿どもを増長させたのだって、元はといえばこいつらのせいだろう!」

 

 ボクを指さし、若き竜王は激昂する。

 

「どういう意味だ!」

 

 尋ねるボクに竜王は嘲笑した。

 

「なんだ、お前、自分の祖先がやった事をきちんと知らないのか? これだから人間ってのは、信用できないんだ」

 

 若き竜王は人間という種族に対して、良い感情を持っていないようだ。

 

「今より、遥か昔。オレとお前の祖先は、古き因縁を捨てて和解し、二度と争わぬ約定をかわした。以来、竜族は勇者との盟約に従い、この地で折り合いをつけながら人間と共に生きてきた。だが、再びいずこからか現れる強大な魔物達のせいで、人間達は二つの勢力に割れた。国を捨て、逃げ出す者、そして、我らとともに戦う者。だが、結局、人間達はその弱さゆえに滅び去った。それでもこの地に残り最後まで戦い続けて死んでいった者達の誇りに敬意を表し、オレ達は勇者との盟約に従い、彼らの子孫がいつか帰るべき場所を守り、時を待ち続けた。だが、そんなオレ達に、この地を去った卑怯者共は簒奪者なる汚名を着せ、攻め入るようなマネまでしてきたのだ」

 

 彼の語る事実なるものにボクは言葉を失う。

 

「まあ、尤も逃げ出した奴らにまともな居場所なんぞある訳がない。返り討ちを喰らって追い払われ、再び逃げ出した先でずいぶんと惨めなことになっていたようだから、自業自得だな……。義も誇りもない虫ケラ共に、今更、この地を渡してやるつもりは……」

「黙れ、竜王!」

 

 ボクは怒りを覚え、彼に怒鳴りつけていた。室内に小さくない緊張が走った。若き竜王はどこか嘲るかのようにボクを見下ろしている。

 

「お前に何が分かる! 弱いながらも、厳しい現実に抗い必死で生きようとしている人達はたくさんいる。分かったような口を聞くな!」

 

 《ルプガナ》で体験した幾つもの出来事や出会った人々の顔が脳裏をよぎる。どうしようもない現実の前に苦しみ悩み、己の命を捧げて、勇者の権威にすがりつくしかなかった人々。そんな人達の苦しみをあざ笑うような竜王の言葉にボクは激昂した。そんなボクの事を、若き竜王はさらに嘲笑う。

 

「大体、勇者ってのは、他人の家にどかどか土足で入り込んで、金目の物を巻き上げる強盗みたいなもんだろうが……。そんな奴に希望だの未来だのを託す人間共のようないい加減な奴らに……」

 

 最後まで言わせぬうちに、ボクは拳で竜王の顔を殴っていた。思わぬ《会心の一撃》に若き竜王は、数歩たたらを踏む。だが、素早く態勢を整えると彼は反撃し、ボクの頬に鉄拳が飛んだ。まともにそれを受けたボクは、後方にひっくり返る。

 すばやく起き上がるや否やボクは体当たりで、竜王を弾き飛ばした。転がった彼も又、すぐにボクに挑みかかる。たくさんの竜族達の見守る中で、ボクと彼、勇者と若き竜王の数百年ぶりの大喧嘩が始まった。

 ドカ、バキ、ボコ、と周囲に不気味な音を響かせ、互いに顔を二倍近くに晴らして、ボク達は殴り合う。

 頭一つ違う体格差は圧倒的に不利であるものの、黙って引く事は出来なかった。

 

 ――こいつだけは許せない。

 

 只、その一念でボクは湧き上がる怒りを拳に乗せて、若き竜王の身体に叩きつける。幸い、的は大きい。懐に飛び込んで拳を振り回し、足を踏みつけ、おまけとばかりにエグイ攻撃を織り交ぜる。

 互いに一進一退の攻防が続いた。

 しばらくしてボク達の間に割り込んだのは、若き竜王よりさらに頭一つ大きい、ドルバルドさんだった。

 

「そろそろ、よろしいですかな、お二人とも……」

 

 荒い息をしながら睨み合うボクと竜王の手首を握ったドルバルドさんは、呆れたような顔をしていた。

 

「勇者殿、お怒りを鎮められよ。若もいい加減になさるが、よろしかろう。このような趣味の悪いやり方、相手に誤解ばかり与えることにいい加減、気付かれよ!」

「いきなり勇者だと現れたどこの馬の骨ともわからぬ奴を、はいそうですか、と信じてたら、王なんてつとまらんだろうが!」

 

 ドルバルドさんの言葉にフンと鼻をならし、若き竜王は玉座へと戻っていく。少しばかりよろめきながらのその姿に、ボクは小さく拳を握り、周囲の竜族達に睨まれた。

 どうやらボクは彼に試されたらしい。

 彼がボクの何を知りたかったかは知らぬが、ボクの対応はおそらく彼を満足させたのだろう。互いに睨み合いながら回復魔法で傷を回復させると、玉座に座った竜王は再び威厳を取り戻し、大声で命じた。

 

「ささいな珍客が現れたが、予定に変更はない。明後日の攻撃開始に備えて、各々準備を怠るな。それから、ドルバルド!」

 

 竜王に名指しされ、ドルバルドさんは態度を改め、片膝をつく。

 

「攻撃隊の指揮はお前に任せる。竜族の一大事に、僻地でのんびり遊んでいたツケは、きっちり払ってもらうからな……」

 

 竜王の決定に場内がどよめいた。小さくない不満が一斉にあがる。だが、それを一睨みで黙らせ、竜王は玉座を立った。

 

「勇者! お前にもきっちり働いてもらう。オレの国を荒らしたバカを叩き出すまで、のんびりお客様ができるなんて思うなよ!」

 

 ボクを一睨みすると彼はいそいそと立ち去った。竜族とはいえ、やはり彼も王様らしく、何かと忙しいようだ。

 嵐のような主の退場によって、場内にぽつりと取り残されたドルバルドさんとボクに、冷たい視線が投げかけられる。少々居心地悪げに首をすくめるボクの隣で、ドルバルドさんは片膝を突いたまま項垂れ、何かを考え込んでいるようだった。

 

 

 

2014/04/06 初稿

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。