ZAFTとオーブ、やっぱりガタガタだった。
パプテマスではありません、バプテスマ(洗礼)です。
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プトレマイオス基地 宿舎
「も、もう無理……」
「ははっ、お疲れ様キラ」
自室に入ったキラは、まるで力尽きたゾンビのようにべしゃりとベッドに突っ伏す。共に入室した少女は苦笑混じりにそれを評するが、彼女もまた疲労の顔を隠せずにいる。
ここはプトレマイオス基地内で宛がわれた、キラ達「特別コース」履修生達の部屋である。部屋は4人部屋、部屋の中には2段ベッドが二つあるが現在「特別コース」を履修している人間はキラと少女しかいないため、上側は未使用のままだ。
「ユリカは、よく、平気だよねぇ……。運動、してたとかじゃ、ないんでしょ?」
「うん、そこはその、あれだ。僕が健康な体にコーディネイトされてるからってことで」
こぼれ落ちる汗が、平時よりもわずかに高い熱を放つ肌を伝う。
少女はベッドの下に入れてある私物の中からタオルを取りだし汗を拭っている。その姿はいささか扇情的であったが、キラはベッドに突っ伏しているためにその姿を確認出来ない。
ユリカ・シンジョウ。キラとほぼ同時期に「特別コース」に参加してきた少女であり、コーディネイター。
歳も17とキラに近く、「暴走する
キラも幼少期はコペルニクスで育ったので話が合い、ルームメイトとして良い関係が築けていると自負している。
最初は男女同室ということでドギマギしていたが、ユリカが非常にサバサバした性格だったこと、そしてマモリの、
『もし間違いなど犯してみろ……ビームライフルの銃口に貴様を詰め込んで塵も残さず消滅させてやるからな』
というドスの効いた忠告もあり、ほとんど問題は起こっていない。
ユリカは「戦場だと男女を分けて扱う余裕が無い時もあるらしいし、そういう状況に備えてってことじゃないかな」と推察しているが、そうだとしたら効果はあったようだ。
「僕はこれから着替えるけど、キラも早く着替えておいた方がいいよ?そろそろ昼食の時間だからね」
「そうしたいけど、今はベッドに癒やされたい……」
「癒やされている内に時間無くなっても、僕は知らないよ」
しょうが無いかぁ。そう言ってキラは訓練生用の制服を持って近くの男子トイレまでノソノソと歩いていく。
着替えの時はこうやって、キラが部屋の外で着替えるようにしている。ユリカは気にしないと言っていたが、キラが気にするのだ。青少年の健全な精神的にも、マモリの罰的にも。
「覗いちゃダメだよ?前みたいに」
「覗かないよ!前のあれは事故だしノックを忘れてしまったというかごめんさないというか違うんです教官わざとじゃないんですだから詰め込まないでー!」
こうやって時折からかってくることにも慣れたが、その冗談はやめて欲しいとキラは切実に思う。
1週間くらい前に、ノックを忘れたせいで上着を脱いだ状態のユリカとエンカウントしてしまい、本当に詰め込まれかけたのだから。
それ以来、どこからか殺気が飛んでくるような錯覚を覚えるのだ。……ひょっとしたら、本当に飛んできてるかもしれない。
この基地に来て軍人としての訓練を受け初めてからおよそ9日。
キラは男子トイレでの着替えの最中、いつの間にか軍での生活に慣れている自分がいることに気付いた。
「おーい、キラ、ユリカ!こっちこっち」
「サイ、トール!」
食堂に着いたキラ達は注文した定食を受け取り、座る場所を探していた。既に席を取っていたサイとトールが2人に声を掛け、歳の近い4人が席を共にする。
彼らはキラと違って『特別コース』を履修していないものの、やはりキラの友人ということでユリカとも交友を深めている。
「まーたイスルギ中尉に絞られてきたみたいだな。今度は何をやらされたんだ?」
「重い荷物を背負っての遠泳訓練。『その荷物を気絶した戦友と思え!お前の泳ぎで人の生死が変わる!』って」
「そう言うなら泳いでる最中にいきなり上から踏みつけたり下に引っ張ったりしないで欲しいよ……そう言ったら『泳いでる最中に敵に見つかれば、こんなものではない!』って。今日だけで何回プールに無理矢理たたき込まれたか……。しかもこれ、今日から定期的にやるんだってさ」
「……マジかよ。虐待じゃねえの?命に関わるだろ、それ」
「それが、溺れるギリギリ手前くらいで引っ張り上げてくれるから何とも……流石に教導隊に所属してるだけはあるよねぇ。あ、それとキラは今日だけで9回プールに蹴り飛ばされてたよ。良かったね、2桁にいってなくて」
「あー……キラ、ドンマイ?」
「くっそ他人事だと思ってぇ」
サイとトールの2人は『特別コース』訓練生ではないものの、既に実戦を経験していることからやはり1ヶ月の短期養成コースで訓練を受け、キラ達と同じ日に正式に軍人になることが決まっている。艦艇オペレーターや副操縦士という後方職として戦ってきた彼らには、キラ達ほどのハードなトレーニングをこなしていない。そのことを聞いたキラは心底彼らをうらやましがったが、それを見ていたマモリから折檻を受けて以来表には出さないようにしている。
「あっははは、でも意外とまんざらでも無かったり?美人だよねぇ、イスルギ中尉」
「あっ!トール今彼女持ちのクセに鼻伸ばしたよ僕見たよ!サイ、すぐにミリィに連絡だ!」
「任せろキラ!全力で脚色してこいつをどん底にたたき落としてやる!」
「待て待て待って!?ミリィは怒ったら、”ジン”なんかよりよっぽど怖くなるんだから!」
『問答無用、くたばれリア充!』
「ひど!?っていうかそれならサイはどうなんだよサイは!フレイといい仲だって聞いたよ!?」
「へぇ、やっぱりやることやってるねぇサイは。で、どう思います唯一独り身のヤマトさん?」
「サイ……残念だよ非常に。もう僕たちの見る夕暮れは違う色をしているんだね」
「いや待て違うんだなんかあっちの親御さんが乗り気っていうかまだ婚約者候補というかまだ独身で」
「何が違うって言うんだよぉ!」
「やっぱり仲良いねぇ君たち」
訓練が始まったころには誰も彼も疲労困憊、食事を口に黙々と持っていくだけだったというのに、ほんの1週間そこらで、このように軽口を叩きながら昼食を共に出来るようになっている。
どのような苛烈な環境に置かれてもたちまち順応するこれは、ナチュラルもコーディネイターも関係なく持つ「子供特有のバイタリティ」を証明しているのかもしれない。
そしてそのバイタリティは、時に他者を傷つける刃となることもある。
「───おいおい、いつからここはハイスクールになったんだぁ?なれ合いなんてするならさっさとお家に帰んな」
そう言ってキラ達の座るテーブルに近づいてきたのは、如何にも「柄の悪い」という表現が似合う金髪の青年。後ろには白人男性が2人ついているが、こちらはあまり気が進まないといった様子を見せながら近づいてくる。
「えーっと……どちら様?」
「……っ!てめぇ、舐めやがって!陸戦隊養成コースのグラン・ベリアだ!コーディネイターのクセに記憶力ねえのかよ!」
「覚える気が無い人のことなんて覚えないけど……ああ、そういえばこの間参加させてもらった射撃訓練の後にうっとうしい視線を向けてくる奴がいると思ったけど、あれかな?」
これはまずい。煽るような口調でユリカがグラン某に対応しているが、それを見てキラ達は冷や汗を流している。
コーディネイターに対してのあからさまに差別的な発言に加えて、昼食を仲良く摂っている姿を見ただけで突っかかってくる精神性。
もしも彼らが”ブルーコスモス”過激派に属する人間だったら、とんでもないことに成りかねない。最悪この食堂で殺し合いが始まることすら考慮しなければいけない。『セフィロト』にいた時にアイザックやカシンから散々に言われたことだ。
『彼らが常識に則って行動するとは考えない方がいい。だからこその過激派なのだ』と。
チラリと取り巻きの方を見る。もしも彼らが不審な行動を採ろうとした場合は───。
オロオロ(ひょろひょろとした方はグランに声を掛けようとして出来ずにいる)
あわあわ(ぽっちゃりした方は慌てながらも手に持っているハンバーガーを食べ続けている)
(あっ、これ大丈夫そうだな)
キラ達はそれを見て一瞬現状を悟った。
つまりこれはグラン某が1人突っ走って自分達につっかかり、くっついてる2人はそれに巻き込まれたというかくっついてきただけである、ということを。
これなら、適当なタイミングで諫めればいいだろう。グランという男は知らないが、ユリカは本気で言い争いに付き合うつもりはないはずだ。
そうキラが考えていたところで、事態は動いた。───悪い方向に。
「そうだそうだ!てめえ、どんな反則使ったら入隊して9割超えのスコアをたたき出すことが出来るってんだ!」
「うーん、僕は普通にやっただけだけど……君たちは出来ないのかい?」
「あったり前だろうが!それも遺伝子いじくって出来ましたってか!?コーディネイターってのは人殺しも達者なわけだ!」
「……あ”?」
その場の気温が5度くらい下がった、気がした。
興味・関心というものが1グラムほども入っていなかった視線が一転、睨むだけで人を殺せそうな絶対零度の視線に早変わりする。
コーディネイターだって自分の才能をコーディネイトされていることを受け入れられる人間だけではない。才能を喜んで鍛え上げる人も居れば、やりたいことと才能とが違ったためにどうとも思ってない、あるいは疎ましく思っている人もいる。
だが、どんなコーディネイターだろうと「人殺しの才能を持たせられた」などと言われて怒らない者はほとんど存在しない。
ちなみに、数少ない「怒らない者」が連合に所属して戦闘用コーディネイターの製造に携わっていたことがあったりする。
「黙って聞いていれば、羽虫風情がつけあがる……MSパイロット候補である僕に負けた自分ではなく他人に当たり散らす辺りが実にそれらしい。うっかり踏み潰されたくなかったらさっさと消えることだ」
「ようやくその気になったってか?人生チーターがよぉ」
「ゆ、ユリカ?もうそろそろ……」
「止めないでくれキラ。駄犬には調教をっていうだろ?二度と逆らわないようにしてやる」
キラがユリカを止めようと声を掛けるが、それを意に介さずにユリカは戦闘態勢に移行していく。
そして、悲劇は起きた。
「てめぇは引っ込んでろ、ジャマくせえ!」
「あだっ……!?」
ユリカをなだめるために立ち上がっていたキラを、グランが突き飛ばす。
キラも陸戦隊の訓練に混ざって体を鍛えてはいるが、訓練を開始してわずか10日ほどしか経っていない状態でグランの突き飛ばしに耐えるほど体は出来上がっておらず、尻餅をついてしまう。
それを見たユリカは、テーブルの上に置かれていたキラの注文したカレーライス(辛口)をグランの顔面に叩きつける。
「ばづぅっ!?って、めえ……!」
グランがユリカに殴りかかろうとするが、ユリカは素早くその足を払い、グランは仰向けに転倒することになる。
手早く飛びかかったユリカは馬乗りになってグランの顔面に拳を撃ち込んでいく。
「おぐ、ぼご、べび!?」
「ほらほらぁ、さっきまでの威勢はどうしたんだよヤンキー!僕の目の前で友人に危害を加えるなんて暴挙に及んだ威勢はぁ?」
突如始まった喧嘩を見て、なんと周りははやし立て始める。
「いいぞ、嬢ちゃん!」
「何やってんだグランそれでも男か立ち上がれ!」
「なあ、どっちに賭ける?俺は嬢ちゃんに50ドル」
「じゃあ俺も嬢ちゃんに30ドル」
「俺はグランに40ドルだな」
以前たまたま見たことのある軍隊映画そのもののような光景だが、それの是非を問うている場合ではない。
キラはサイとトールに手を貸してもらい立ち上がるが、その時事態は動いた。
グランが足を振り上げてユリカの後頭部に蹴りを命中させ、怯んだ隙に馬乗り状態から脱出。
思った以上にダメージが大きかったのかユリカはそれに反応出来ず、今度はユリカが腕を掴まれて、グランに投げ飛ばされてしまう。
ガシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっっっ!
キラ達とは別のテーブルの上にユリカは落下し、その上に載っていた食事や食器をあらぬところにぶちまけられ、割れていく。
グランはそれでも怒りが収まらぬといった様子でズカズカと乱暴に近づいていくが、ユリカはテーブルの上でうめいている。鍛えた男性の腕力で投げつけられたダメージは甚大のようだ。
流石にこれ以上は見ていられない。キラは2人の間に割り込んだ。
「やめてくださいよ、もう!」
「退けナヨ男!俺はそこの奴とやり合ってんだ!」
「退けるわけないでしょう!大体、女の子虐めるのがそんなに楽しいですか!訓練の結果くらいで突っかかって、ご飯滅茶苦茶にして!」
「ああん!?言ってくれるじゃねえか、そういやお前もコーディネイターだったなぁ!まとめて軍からたたき出してやらぁ!」
いきり立つグランに対しキラもファイティングポーズを取り、応戦の構えを見せる。
毎日内容の異なる訓練の合間合間に行なわれる格闘訓練の御陰で、少しは生身での戦いのための能力もキラは身につけていた。
それを以てしても、目の前の男は生身での戦いの本職として訓練を受けている。自分よりも強いユリカが吹っ飛ばされてる以上勝てるとは思えない。
しかし、ここで必要なのはグランからターゲットを引きつけること。精一杯挑発してユリカから危険を引き寄せることだった。
「いいぞー少年!やれやれぇ!」
「今度はグラン対彼氏か!面白い展開になってきやがった!彼氏に70ドル!」
「大穴いったぁ!じゃあ俺も50ドル、彼氏に!」
ヤジのボルテージも上昇し、キラとグランが今にも殴り合いを始めようとする。
「何事だぁっっっっっ!!!」
互いの拳が顔面に触れる寸前、食堂中に響き渡る怒声が発せられる。
「い、イスルギ教官……」
『鬼のような』という表現がこれ以上なく似合う表情をしているマモリと、そのすぐ後ろにはトールが立っていた。
こちらに合わせて手を合わせている謝罪するような素振りを見る限り、彼女をこの場所に呼んできたのは彼のようだ。
なんとかこの場を収めようと目上の立場の人間を呼んできたのはわかる。だが何故彼女を呼んできてしまったのだ!?
(こんなの、火事を消すために津波を起こしたようなものじゃないか!)
見ると、グランも先ほどまでの熱が退いて、青ざめたような顔をしている。
後から聞いた話によると、グラン達は自分達より2ヶ月早く訓練を開始したらしいのだが、それまでの間特別コース履修者が存在していなかったためにマモリが訓練官を担当していたとのこと。
そこでこってり絞られて以来、マモリのことが苦手、というより恐れているらしい。
「……説明しろ、ヤマト候補生、ベリア候補生。何が、どうして、こうなっている?」
「え、っと、その、これは」
「───レクリエーションであります、中尉殿!」
「アーガイル候補生、いつ私が貴様に質問した?」
なんと恐れ知らずなことに、激怒状態のマモリに対して声を掛けたのはサイ・アーガイル。
ジロリと睨まれるが、サイは続けてこういう。
「はっ。しかしヤマト候補生とベリア候補生は現在興奮状態にあり、適切な受け答えが出来るか定かではないため、代理として現状を報告すべきと判断いたしました!」
「……ふん、どうやらそのようだな。ベリア候補生、まず貴様は医務室で顔面の治療をしてこい。ヤマト候補生はシンジョウ候補生を部屋にでも連れて行け。その間に話を聞いておく。───逃げようなどとは考えるなよ?」
キラとグランは何度もうなずきながら、命令された通りに行動を始めた。
今この場でもっとも高い地位にあるのはマモリで、彼女の命令に逆らうことはすなわち「死」に等しい。
「貴様ら!見世物ではないぞ、さっさと散れ!午後の訓練と業務が貴様らを待っている!」
その一言をきっかけに、集まっていた人が散っていく。
その日の午後は、どこか不穏な空気が漂っていた。
「大丈夫、ユリカ?」
「ああ、なんとかね。……それに、『大丈夫』かってのは僕のセリフだよ。大丈夫なのかい?」
ユリカの言葉に苦笑する。あの後、グランと仲良く拳骨を落とされてからプールにたたき落とされたキラは、水に浸かったまま長々と説教され、今はビショビショの状態で部屋に戻ってきたところなのだ。
投げ飛ばされて背中をテーブルに打ち付けただけで済んだユリカは、この数時間でダメージを回復したようで、今はベッドに腰掛けている。
「それにしても珍しいね。ユリカがあんなに怒る姿、初めて見た」
「……ついうっかりね。本当は適当にあしらうつもりだったんだけど、カッとなって」
ユリカは憂い気に笑い、俯いた。心の底から反省しているという顔だ。
タオルで水滴を拭きながらその様子を見ていたキラは、ユリカにマモリからの伝言を伝える。
「そういえば、教官からの伝言があるよ。『
「……ごめんね、キラ。僕が買った喧嘩なのに、こんな」
「いいよ、別に。元々こうするつもりだったんだから。ユリカだって、あいつから投げられた直後に教官からも投げられたくないでしょ?」
「それはたしかにそうだけど……代わりにキラが投げられたじゃないか」
「だからいいって。それに、教官からのお仕置きはもう慣れてきちゃったし」
「あはは、それもそうだ……」
そう言うと、ユリカは上半身をベッドに投げ出し、口を閉じる。
微妙な沈黙は、結局マモリの指定した時間まで続いた。
「む、来たか」
「キラ・ヤマト、参りました」
「ユリカ・シンジョウ、同じく参りました」
指定された場所に行くと、15分前だがマモリはそこに立っていた。彼女自身の性分でもあるだろうが、教導しているキラ達がちゃんと時間前行動が出来ているかをチェックするためでもあるのだろう。どこか満足気な顔を見れば、そのように推察出来る。
彼女はいつもと変わらぬ地球連合軍の女性士官の格好で、こちらについてくるように言う。
返事をした後はひたすら無言で付いていく。下手に何かを言って「やぶ蛇」状態になるのは勘弁なのだ。
どうやら彼女は地下都市部に用事があるようだ。エレベーターに乗り込み、ここでも無言。
実に気まずいが、声を発するわけにはいかない。
都市部にたどり着き、歩みを進めること10分。
「───着いたぞ」
そう言ってマモリが立ち止まったのは、とある建物の前。
その建物の入り口の上には、こう書かれた看板が置いてあった。
『居酒屋 邪無楼 プトレマイオス基地支店』
オーブでは日本語が公用語であるためにキラにはその文字が読めたが、ユリカは「???」という顔を浮かべている。
こっそり居酒屋と読むのだと教えてやるが、それはそれで疑問が浮かんでくる。
いったいマモリは、どういうつもりで自分達をここに呼んだのか?
そう考えている間もなく、マモリは店内に入っていってしまった。慌てて後を追うと、既に彼女は席に着いており、メニューを開いている。
ちなみに店内はそこそこに人が入っており、6つのカウンター席は満杯、3つあるテーブル席も埋まっている。マモリが座っているのは一番奥の席だ。
「何をしている、さっさと座らんか」
「あっ、はい」
混乱続きの2人だったが、立ちっぱなしでいるのもあれなのでマモリの対面側に座る。
マモリは開いていたメニュー表を渡して、「好きな物を頼め、奢りだ」と言う。
「え、あ、はい。じゃあ、この担々麺を……」
「あ、僕は、その、邪無楼定食って奴を」
「飲み物は?」
水で良いと言うと、そうかと言って髪を弄り始めるマモリ。
本日何度目かの、沈黙。気まずさにも慣れてきたキラとユリカだったが、テーブルに運ばれてきた物を見て目をひんむく。
黄金の液体がジョッキの中で気泡を内包し、その上には真っ白な泡が鎮座している。
「お待たせしました。生ビール、中ジョッキになります」
「どうも」
それを受け取ったマモリは、ためらうこと無くそれを呑む。
グイっとジョッキに口づけて、勢いよく胃の中に流し込んでいく。
その光景を、キラとユリカは呆然と見るしかない。
「───ぶはぁっ!たまらんなぁ」
「あの、中尉?」
「んん?何だ、まだお前らのは来てないのか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて……」
ユリカがしどろもどろに真意を探ろうとするが、普段が普段だけにためらいを生む。
「やれやれ、ハッキリしない奴だな。……まあ、普段の私のせいでもあるか」
マモリはジョッキをテーブルに置いて、話始める。
「いいか、私がお前達をここに連れてきたのはな、世の中の理不尽さを教えんといかんからだ。それに耐える方法も」
「理不尽ですか?」
「ああ、そうだ。今日の昼が良い例だろう?いちゃもん付けられて、不当に暴力を振るう。今回の場合は、コースは違えど同じ候補生同士であったから単なる喧嘩で済んだ。だがな、突っかかってきたのがベリア候補生でなく、私やそれより上の階級の者だったらどうなっていた?独房入りで良い方だろうな」
「そ、それなら僕だって我慢して……」
「シンジョウ。『誰々だったら我慢出来る』ってのはな、『相手次第で我慢しない』ってことだ。そしてそれを続けてると、次第に誰相手にも我慢出来なくなっていく。そんなもんだ、人間」
「……」
言い返すことが出来ず、押し黙ってしまうユリカ。それを見ながらマモリは続ける。
「ヤマト、アーガイルから話を聞く限りお前の判断は戦場では間違った行動じゃない。傷つき、動けない味方から敵を引き離すのはな。だが今回の事態を迅速に解決する最適解はやはり、ケーニヒ候補生がそうしたように、事を収められる人物を呼んでくることだ」
それはその通りだ。マモリが来なければ結局自分もグランによって殴り倒され、最悪医務室で治療に専念せざるを得ない展開になっていてもおかしくはなかった。
トールに助けられたようなものである。
「お前らの気持ちはわかる。誰だって仲間を傷つけられて怒らないわけが無いし、窮地を見過ごすわけにもいかない。私だってイラっとする時もある。───そんな時こそ、んぐっ、ぷはぁ!これらの出番だ」
「お酒、ですか?」
「酒に限らん。ゲームに読書、食事にスポーツ。大人になると酒とか……その、あれだ、青少年お断りの何やらも有りだろう。私は酒を選んだ。嫌なことがあれば酒を飲み、良いことがあっても酒で盛り上がる」
「趣味でストレスを発散しろ、理不尽はやり過ごせということですか?」
「概ねその通りだ。認めがたいことだろうが、大人になるとはそういうことでもある。嫌いな奴より出世して、見返してやろうという気持ちで奮起する奴もいるだろう。ここで重要なのは、最適解など無いということだ。見返してやるのも、じっと耐えるのも当人次第。お前らは若い、若過ぎる。その分、時間はたっぷりあるんだ。お前達なりに大人になっていけ。私が言いたいのは、まあ、そういうことだ」
そこまで言い切ると、マモリはジョッキに口を付ける。その姿は、どこまでも「大人」だった。
キラとユリカは顔を見合わせ、互いに苦笑する。
乱暴だし訓練は苛烈だが、この人間なりの愛情なのだろうということがわかったからだ。
「むっ、何だその顔は。何を企んでる?」
「いえ、何も!」
「自分達は幸せ者であると思っておりました!」
「ふふん、そうだろうそうだろう。おっ、そろそろお前らの注文も届いたようだぞ。食え食え!イライラしてる時は呑む食う遊ぶに限る!」
『はい!』
その夜の食事は、滅多に見られないマモリの満面の笑顔と、それに釣られたキラとユリカの笑顔で満ちていたという。
「き、キラ。そっち持ってくれ」
「うん、せーの……!」
「ふふへーひひぃ、どんなもんだいばかやろこのやろ……ウチの、せいとは、しぇかいいちぃ……」
酔っ払った教官を部屋に連れて行くシーンは、残念なことに定型通りだったが。
深まる友情、鬼教官の愛。
作者の想像する健全な軍隊教練の光景でしたとさ。
○「居酒屋 邪無楼」
コズミックイラ(パトリックの野望)では全世界にチェーン展開する居酒屋。
元はジャパンエリアで店主が細々とやっていたものだったが、その味に目を付けた「狸みたいな男」の勧めと支援を受けて、全国チェーン展開。一気に人気に火が付いて全世界チェーン展開にまでこぎ着けた。
本店の店主はまるでアルプスで生活しているような白髭の濃い「おんじ」というべき姿をしているという。
名物の「邪無楼定食」にはペヘレイと呼ばれる南米原産の魚が使われており、Nジャマ-が地球に投下されて世界的に食事レベルが低下した後も店に出し続けるほどにこだわりのあるメニューでもある。
次回はマウス隊に視点が移ります。
誤字・記述ミス指摘は随時受け付けております!