1996年、4月。
中国戦線、敦煌ハイヴ防衛線。
「喜べ、朗報だ」
ミーティングルームに入ってくるなり、大隊長はそう言い放った。
着崩したBDUに、まばらに生えた無精髭。一見してだらしが無い。左手でその髭を半ば無意識に弄びながら、右手では机に置いた書類を一枚一枚並べていく。
本人は「ワイルドだろ?」と気に入っている髭だが、隊の女性衛士達の総意は「剃れ」の一言だ。
大陸派遣軍の創設以来第一線で戦い続けている歴戦の勇士であり、大隊を指揮する者として階級は中佐。人口の男女比率が女性側にどんどん傾いていっており実戦部隊の中にも女性の姿が見えるのが普通になりつつある昨今、優良物件に違いない。だが、40を迎えようというこの時まで未だ独身。その理由に気付かないのは本人ばかり。
部屋の中で彼を待っていたのは、隊の各小隊を預かる小隊長達。それに中佐を合わせた9人で、これから隊長ミーティングが行なわれようとしていた。
興味を惹かれた小隊長達は、座っていた席から腰を浮かせて中佐の手元を覗き込む。そこにはそれぞれ顔写真に簡単な経歴が添えられたものが並んでいた。
「補充兵ですか」
その書類から、朗報の内容を察した一人の顔が綻ぶ。
この戦術機甲大隊の現在の隊員数は30人。定数が36人なので6人の欠員があることになる。各突撃前衛小隊を定員の4人、それ以外の小隊を3人にすることで何とか運用しているが、これ以上死傷者が出てしまうと定員超えの2個中隊に編成しなおさなくてはならないだろう。
もちろん、隊員が減る度に人員の申請をしてはいたのだが、長引く戦いの中で帝国軍、そしてBETAと戦う全ての軍は、慢性的な衛士不足に陥っている。機体の方が余る程なのだ。申請をして実際に補充が来るまで時間が掛かるのもいた仕方がないところ。それだけに、ここでの補充はありがたい。
そもそも、衛士の育成には金と、なにより時間が掛かる。育てる以上に死なれてしまってはどう足掻いたところで足りなくなるのが必定。衛士養成校の訓練期間の短縮等でどうにか賄ってはいるが、それは錬度の低い衛士を量産することに他ならない。錬度が低い故に損耗率が上がり、それを補う為に更なる短期育成が行なわれる。どうしようもない悪循環がそこにあった。
先日、ついに帝国議会で男性徴兵対象年齢の更なる引き下げが可決された。事実上の学徒全面動員だ。女性の徴兵年齢が引き下げられる日もそう遠くないだろう。
BETAのこれ以上の侵攻を防ぐ為に、帝国本土が戦禍から守る為に、これは必要な措置だ。戦場は、彼等の力を必要としている。だがそれでも、若い世代にどうしようもない負担を背負わせている事実が苦い。
「やーっと、ですかー」
「そう言うなよ。今のご時世、補充があるだけありがたいってもんだ」
「それで中佐、何処からくるんですか?」
「重慶の部隊が再編されるって聞きましたよ、その関係で?」
「いや、いっそのこと本土防衛軍から……とか?」
きっとああだ。いや、こうに違いない。小隊長達が口々に願望を吐き出す。
そこへ、神託を告げるように厳かな顔をした中佐から、冷徹な一言が浴びせられた。
「ルーキーにきまってんだろ」
いや、分かってましたけどね。と、顔を素に戻してぼやく小隊長達。
分っていたとはいえ、それでも期待はしてしまうものだ。それをあっという間に打ち消され、顔には諦観の色が浮かぶ。
ルーキー、つまりは養成校を卒業したばかりの若者達だ。
かつては自分達もルーキーだった。誰もが最初から上手く出来たわけではない。古参に鍛え上げられ、そして今の俺がいる。明日の為に、未来の為に、今度は自分達こそがその半人前達を一人前に鍛え上げなくてはならない。
それは分っている。きちんと理解している。それでも、出来ることなら熟練兵が欲しかった。いや、正直に言おう、新任は部隊に入れたくない。
それが、見も蓋もない彼等の本音だった。
ルーキーは、部隊を殺す。
かつて航空機のパイロットが戦術機を動かしていた時代とは違い、衛士が専門的に養成されている現在、その死傷率は大きく下がってきてはいる。それでも尚、初陣を無事に超えられない者は決して少なくない。
死の8分。
初めて目の当たりにするBETAの姿に冷静さを失い、自滅していく衛士の如何に多いことか。そして、一人の恐慌は本人の死だけではおさまらないのだ。
新任を助けた古参が死ぬ、これはまだ良いケースといえよう。実際には、救助に向かった古参も新任も共に命を落とす例が非常に多い。そして最悪の場合には、部隊丸ごとが崩壊することすらある。
それを防ぐ為に彼等小隊長には、時に危機に陥った新任を見捨てる冷酷さが必要になる。
人類の明日を護ろうと意気揚々と戦場へやってくる若者達。将来の日本を担うはずの若者達。そんな彼等を切り捨てなければならない苦悩は如何ほどのものか。
「まあ……気持ちは分るが、な。それでも今回の奴等はなかなかに期待が出来そうだぞ。皆、訓練校では優秀な成績を残しているし、一人は斯衛学校の出だ」
ここでにやりと笑った中佐が、取って置きの秘密をばらすように、悪戯っぽく言った。
「しかも、首席」
その言葉にある者は意外に思い、ある者は理由を想像し、それぞれがそれぞれの顔をする。共通しているのは、驚きだ。
帝国軍に斯衛軍衛士養成校卒業者が任官する、それは無いことでもない。だが基本的にそういう連中は斯衛軍へと進めなかった、言ってしまえば落ちこぼれであることが多い。
それでも、斯衛の厳しい訓練を完遂した彼等は一般的な帝国軍衛士養成校出身者と比べて高い技量を持ち合わせていることが多く、前線においては歓迎される。特に、短期養成された衛士が増えている昨今ではなおさらだ。武家の人間特有の傲慢さを捨て切れない者も時にいるが、そういった感情は直ぐに払拭されるのが通例だ。そうでなければ生き残れない。それを悟った者から一人前の衛士になってき、最後まで悟れなかったものは死ぬだけだ。
それでも、斯衛の首席卒業者が帝国軍、それも血と硝煙の飛び交うこの大陸に来るなど、前代未聞といえた。
中佐は並べた書類の一枚を手に取ると、丁度反対側に座っている一人へと滑らせる。
20代半ば程と見えるその男は、まだ若いながら中佐と同じく大陸派遣軍創設以来の古強者である。その能力と実績を省みれば既に中隊を率いる立場にいるのが自然といえるのだが、彼は未だに中尉、小隊長を務めている。
その能力の高さが逆に災いになったというべきか。優れた機動、近接戦の業、そして混戦の中で生き残る確かな目。突撃前衛長として優秀すぎるが故に、彼の後釜に座れる者がいないのだ。
最も彼自身、階級を上げることにはさほど興味は無く、自身の能力を最大限に生かせる今の立場に満足してもいるのだが。
彼は書類を受け取ると、左手の中指で眼鏡をずり上げながら内容に目を通す。
──そうか……もう、そんなに経つのか。
そこに書かれた名、そしてその顔には覚えが有った。
会ったのは一度きり。その頃、彼は10歳かそこらだったはず。だが、確かに見覚えが……いや、面影がある。
母親に良く似ている、温和な優しそうな顔。しかしその眼は父親に似て、鋭い光を放っている。
黒須蒼也=クリストファー少尉。そこにはそう書かれていた。
──奇縁、だな。
かつて彼の父母、人類を代表する衛士達から受けた教導を思い出す。それは確かに厳しいものであった。だが、その厳しさがあったからこそ、あの練成を血肉に変えることが出来たからこそ、今日のこの時まで生きながらえることが出来た。それは、間違いない。
どうやら、その恩に報いるときが来たようだ。必ずや彼を一人前に育て上げて見せよう。
沙霧尚哉中尉は心にそう誓い、中佐へと視線を戻す。同じことを考えていたのだろうか、彼は瞳を閉じ、短く黙祷を捧げていた。
今は亡き鞍馬大佐の顔が、沙霧の心にも浮かんでいた。
人類の斜陽は続いている。
今、前線で戦っている兵士の多くは、物心ついたときには既にBETA大戦が始まっていた者達だ。
隣り合わせの灰と青春。平凡な日常の中の一風景として死が存在する世界。
「大きくなったら何になるの?」と尋ねる大人はもういない。子供達には戦士になる他、道が無いのだから。
若者は、戦う意思も意義も見出さぬまま、それに悩むことも無く、只それがあたりまえだからと戦場へ赴く。
1992年、敦煌ハイヴ及びクラスノヤルスクハイヴ建設。
特に、北東アジア及び東南アジアへのBETA側の橋頭堡としての役割を担った敦煌ハイヴは、中国戦線をまさに絶望の底に陥れることになる。
中国と台湾の共闘条約の結果生まれた統一中華戦線、96年に大東亜連合を結成することになる東南アジア各国、そして日本帝国大陸派遣軍は各所に防衛線を構築し奮戦するも、長い戦いにより積み重なった人的物的な疲弊を覆すことは出来なかった。自身が住む土地を戦術核で焦土に変えながらの撤退戦が続き、1993年には重慶に更なるハイヴの建設を許してしまった。
1993年、全欧州大陸完全制圧。
最後まで抵抗を続けていた北欧戦線が、ここに来てついに瓦解。欧州連合軍司令部は全軍の撤退と欧州の放棄を宣言した。
既に英国領やグリーンランド、カナダ等に首都機能を移設していた各国政府は、大陸沿岸の島嶼部に前線基地を設置し、間引きを続けていくことになる。
1994年、インド亜大陸占領。
スワラージ作戦以降、国連インド洋方面軍を中心に懸命の抗戦を続けていたこの戦線だったが、その抵抗もついに尽き、インド亜大陸を完全に支配化におかれることになる。これによりBETAの東進が勢いを増し、中国戦線は更なる泥沼へと突入していった。
ラダビノッド大佐はその様を目の当たりにし、静かに涙を流した。
そして1996年。
世界の人口は、昨年の段階でBETA対大戦前の約50%にまで減少している。
マンダレー、ウランバートルにまでハイヴを建設され、ユーラシア大陸の完全制圧まで最早秒読みの段階に入ったといえる状況の中。
それでも人類は、まだ諦めていなかった。
この当たり前の日常に、変化をもたらそうとしている者達がいた。
1996年、4月。
中国戦線、敦煌ハイヴ防衛線。
「斯衛軍衛士養成学校出身、黒須蒼也=クリストファー少尉であります。よろしくおねがいします」
微笑みながらそう敬礼をした蒼也に、隣に並んでいた他の新任達が思わず視線を向ける。驚いたのは笑ったことに対してではない。ここで斯衛の名が飛び出したことに対してだ。
この基地まで同じ軍用トラックに揺られてやってきた彼等だったが、その道中は静かなものだった。緊張から言葉を発することが出来ないでいる者、恐怖を隠して強がっている者、何も考えていない者。心の内はそれぞれだったが、上官が同乗していたこともあり皆の口数は少なかった。
名乗る程度の自己紹介は済ませたので蒼也がハーフであることは知っていたが、これから背中を預けることになる仲間にいきなり差別的な態度を取るような者もいなかった。それはそうだ、自身の命に関わることでもあるのだから。皆その程度の理性や常識は持ち合わせていた。
だがまさか、ハーフの人間が斯衛学校出身とは。正直、驚きを禁じえない。
ざわついた新任達の耳に、ごほんと咳払いする音が聞こえた。まずい、まだ紹介中だ。大隊長がこっちを睨んでいる。
何か小言を言おうとした中佐だったが、気を取り直して言葉を続ける。まあ、驚くのも仕方が無いからな、今回は勘弁してやろう。
「黒須少尉、貴様はα中隊A小隊だ。つまりは俺の直下だな、覚悟しておけ。ポジションは強襲掃討!」
斯衛でしょ? 前衛じゃないの?
中佐の言葉に再び新任と、今度は古参の一般衛士達も意外そうな顔をする。
強襲掃討とは、突撃砲を4丁装備した中衛のポジションだ。前衛の支援や橋頭堡の確保、中小型種、特に戦車級の制圧等を担当する。同じ中衛の迎撃後衛とは違い、長刀を装備していない。つまり、いざという時の接近戦は短刀を用いて行なうしかない。
長剣を用いての近接戦闘が十八番の斯衛の出でありながらこの装備、何か訳ありなのだろうか。隊員達の頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「あー……、本来この場で言うようなことでもないのだが、疑問を解消しておこう。黒須少尉は本人の言うとおり斯衛学校出身で、しかも首席卒業者だ。無現鬼道流を修めた剣の達人でもある。
だが、残念ながら衛士適正があまり高くなかった為、飛んだり跳ねたりの前衛職には向かなかったようだ。なので強襲掃討についてもらった。訓練生時代は……」
「分隊長として、迎撃後衛をやっておりました」
「だ、そうだ。……今、宝の持ち腐れとか、猫に小判とか、豚に真珠とか、こけおどしとか、期待外れとか、張子の虎とか、才能の無駄遣いとか、そう言ったことを思った奴っ!」
「大隊長殿ー、何だか悪意を感じますよー」
小声で突っ込んだ蒼也に気がついているのかいないのか、中佐の言葉は止まらない。
「俺も、そう思わなくは無い。これで適正が高かったらなー、あーもったいない。と、そりゃあ考えるさ。
……だがなあ、早合点するなよ。衛士適正が低い、剣を使わない、それでも首席の座に着いた。ということは、その分他の能力が優れているということだ。例えば……狙撃とかな」
「はい、いいえ大隊長殿。残念ながら、狙撃の精度も並であります。ですから支援突撃砲ではなく、弾数勝負の突撃砲を選択しておりました」
「お前な、人のせっかくのフォローを台無しにしやがって。それじゃ、貴様の得意分野は……」
──Beep!! Beep!! Beep!!──
突如鳴り響く警報。中佐の言葉は不快な機械音で掻き消された。
古参の顔に緊張が、新任の顔に動揺が広がる。
──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──
嘘? あれよね、新任歓迎の訓練とかだよね?
不安そうにお互いの顔を見合わせ、縋るような視線を中佐に向ける新任達。
しかし、その願いは無情な現実に打ち砕かれた。
「いいか、確認しておく。これは訓練ではないっ!
たった今顔を会わせたばかりで連携訓練も行なっていないお前等だが、働いてもらう。ここで留守番をさせておく余裕など無いからな。新任は先程の通り、各AC小隊に一人づつ配置する。周りは熟練ばかりだ、安心して戦って来い。
エレメントは各小隊の隊長と組め。小隊長は面倒を見てやるように。無理をするなとは言えない、死なない程度に無理して来いっ! 他の隊員は隊長エレメントのサポートも忘れるな! B小隊は普段以上に気張るようにっ!
総員、強化服に着替えて再度集合っ!」
隊員たちが一斉に走り出した。
足が震えて上手く走れない新任もいたが、その尻を蹴り飛ばされ、這いつくばるように部屋を出て行く。
──ったくよぅ、BETAが時を選ばないのなんざいつものことだがよ……流石に最悪のタイミングだ。
基地内待機させた方が良かっただろうか?
迷いはあった。だが、BETAがここまで辿り着いてしまえばどの道、命は無いのだ。ならば、部隊全体の損耗が一番少ないであろう方法を取るべき……いや、取らなくてはならない。例え、新任を切り捨てることになっても。
「大隊長殿、よろしくおねがいします。ぱぱーっとやっつけちゃって、さっさと帰還しましょう」
中佐とエレメントを組むことになった黒須少尉が、隣を走りながらそう言ってくる。
自己紹介の時に見た、うっすらと微笑を浮かべた顔のままだ。
図太いのか、何も考えていないのか、それだけの力量を持っているのか。それとも、只の馬鹿なのか。そのどれとも判断がつかない。が、あの鞍馬大佐の息子なのだ、期待させてもらおうか。
戦場を長く見続けすぎて鈍化した心が、久しぶりに踊る。中佐の顔に笑みが浮かんだ。
──話、できなかったなあ。
ミーティングが終わったら声をかけようと思っていたのだけれど、この状況になってしまっては無論その間も無い。そういえば、自分はまだ彼に自己紹介もしていない。
君の父と母が如何に素晴らしい衛士だったか、それを話してやりたかったのだが。仕方が無い、この戦いが終わったらゆっくりと時間をとるとしよう。
今は……目の前のことに集中しよう。
──死ぬなよ、蒼也君。
徐々に近づいてくる土煙を見て、沙霧は管制ユニットの中で一人呟く。
接敵までおよそ100秒。左手の盾の重さを確認し、右手の突撃砲の安全装置を解除する。その時、網膜投影された視界の端に窓が開き、中佐の顔が映し出された。
「全員、聞いているな
今回の侵攻は大した規模じゃない。大隊規模、1000匹ってとこだ。1000と聞けば多いように思うか? そいつは勘違いだ。BETAの群れにしちゃあ、はっきりいって小規模だ。この程度にびびってちゃ、この先、衛士なんてやっていけやしない」
中佐からの通信が全機に伝わる。おどけた口調は新任を気遣ってのことでもあるが、半分は地だ。
「間も無く先陣の突撃級が来る。
分ってるな? 躱してケツにぶち込むんだ。間違っても正面から相手するんじゃない、弾と魂の無駄遣いってもんだ。訓練校で散々練習しただろ? 復習なんざあ、幼年学校の生徒でも出来る。いい大人なら尚更だ。……ああ、都合の悪い過去は振り返らないのも大人の条件だがな」
ははは、と。つまらないものに付き合うように乾いた笑いが起きる。つられて新任達の目の色も多少は色を取り戻してきたようだ。
よーし、よしよし。その調子だ。実際、訓練校で学んだことの半分でも発揮できれば、この程度のBETA相手に犠牲など出る方がおかしい。
「突撃級を排除して、AL弾をぶち込んで、重金属雲が効いている間に光線級を狩る。後は支援砲撃、はいおしまい、だ。
お前等は運がいい。支援砲撃が期待できない戦場が初陣って奴も山程いる。それに比べたら、この戦闘なんざ黒服のエスコートつきでディナーに向かうようなもんだ。
……だから手前等、死ぬんじゃねえぞ。死んだら腕立て300だ」
接敵まで残り10秒。
「大隊各機、兵器使用自由っ! 奴等を死体に変えてやれっ!」
戦闘が始まった。
戦場の日常、繰り返される戦い。だが、6名の若者にとっては人生初となる、あるいは人生最後となる、戦いが。
最初の一機はやはりというべきか、新任のものだった。
重く鈍重なF-4J 撃震を噴射跳躍で無理矢理に飛び上がらせ、宙で機体を半分捻って後ろ向きに着地する。幾度と無く繰り返し、目を瞑っていてでも出来る機動を中佐が取ろうとした時、C小隊の一機が飛び越えるはずだった突撃級に接触してしまった。光線級を恐れる余りに低く飛びすぎたのだろう。
鋼鉄の巨人が紙人形のように吹き飛ばされ、そして二度と地に降り立つことは無かった。舞い上がった巨体を光が貫き、燃え上がる火球に変えたのだ。
まずい。中佐の眉間に皺が寄る。のっけから一機失ったことももちろんだが、それ以上に、これで他の新任達が恐怖に捕まってしまうかもしれない。
恐怖は伝染する。そして取り乱した奴から先に死んでいくのだ。
後催眠の決断は早めにしたほうがいいかもしれない。新任達のバイタルを表示させながら突撃級の尻に狙いを定めた中佐は、その先に見てはいけないものを見てしまった。
──竦んだかっ!?
押し寄せる突撃級の眼前に佇む、一機の撃震。
跳躍ユニットを吹かす様子もなく、こちらに、敵に背を向け、只立ち尽くしている。
「α12っ! 黒須少尉っ! 跳べええええええええっ!!」
もう、間に合わない。
それを知りつつも叫ばずにはいられない中佐が見つめる中、蒼也の駆る激震は突撃級の大波に飲み込まれていった。
変化はその直後に訪れた。
撃震を押し潰した巨体の群れが、何故か次々と倒れ付していく。
そして中佐は見た。激しい土埃の立ち煙る中、一機の撃震が両手とガンマウントに構えた計4丁の突撃砲を乱射しているのを。
狙いが正確とはいい難いが、目を瞑っていても当たる状況だ、そんなものは関係ない。無防備に曝け出された柔らかい臀部を、次々に射抜いていく。
──まさか……すり抜けたのか!?
突撃級を飛び越えるのではなく、重なり合うように密集して襲い来る群れの中の、僅かな、戦術機一機が通れるか通れないかの僅かな隙間をすり抜ける。それは、確かに有効な戦術だった……理論的には。
突撃級の最高速度は時速170kmに達する。一秒当たり47m進む計算だ。
突撃級を飛び越え、着地し、振り向き、狙いを定め、撃つ。仮にこの間に5秒かかるとするなら、その時目標は235m先にいることになる。3秒だとしても141m先だ。突撃砲の射程は最大で3000m程に達するが、無論、遠距離になればなるほど命中率や装甲貫通力は低下する。出来るだけ近くから撃ちたいのは当然のことだ。
その為、中佐のような腕利きは宙にいる間に既に反転を済ましたり、着地する前に射撃を始めたりといった高等技術を用い、射撃に移るまでの時間を短縮している。それを極限まで突き詰めた動きが、たった今、目の前で行なわれた「突撃級と突撃級の間をすり抜ける」である。
しかも、蒼也は敵に背面を向けたままこれを行なった。突撃級の突進に、戦術機後方に存在する完全な死角、後方危険円錐域を向けたままやってのけたのだ。これが出来るならほぼ0距離、文字通り手の届く距離から弱点を打ち抜くことが可能になる。
だが、実際にはこの戦術を取る者はいない。理由は明白だ、リスクが大きすぎる。何十トンもの巨体が高速鉄道並みの速度で驀進しているのだ、その運動エネルギーは尋常のものではない。ほんの僅か掠っただけでも、戦術機などバラバラにされてしまう。
故に、この戦術はあくまで理論的なものである……はずだった。
中佐は、自分が呆然としていた事に気付く。戦場で呆けるなどあってはならないこと。こんな失態は初陣以来だ。
しかし、反省は後にしておこう。今は……何だか大笑いしたい気分だ。
「α12、お前、危ないことはしちゃいけませんって、先生に教えられなかったか?」
「んー、そうですねー。知らない人についていっちゃ駄目とは言われたかな?」
とぼけた会話をしながら第2陣の要撃級、戦車級へと銃口を向ける蒼也。
やはり、射撃精度自体は並程度。弾丸一発で一体を屠るような技量は持ち合わせていない。基本通り、大量の弾幕を消費し、面での制圧だが……何故か効果が高い。
良く良く観察してみれば、蒼也はBETAが特に重なり合っているところや、移動しようとしている先など、いわば急所とでも言うべきポイントを的確に見抜いて弾幕を集中しているのが見て取れた。
──こいつ、本当に初陣か?
自分と奴とでは、どうやら見えているものが違うらしい。
蒼也の駆る撃震が、自分と沙霧を含む帝国の精鋭一個中隊をたったの2機、エレメントで完封して見せた鞍馬大佐のF-16と重なった。
「やりたい放題だな、α12。他の奴等の分も残して置けよー」
「了解! でもそんなことより……10時、α12、フォックス3っ!!」
突然、蒼也が今まで弾幕を張っていたのとは90度違う方向へと向き直った。そして4つの銃口から放たれる弾丸がBETAの群れを……打ち倒さない。
──おいおい、どうなってんだこりゃ。
視線の先、蒼也の弾丸をまるで避けるように、BETAの群れが左右に割れていく。
中佐はこの動きに覚えがあった。ただし、普段とは逆の視点で。
BETAには絶対に味方を攻撃しないという特性がある。このことから、光線属種が地上にいる敵を攻撃しようとする時、射線上にいるBETAは一斉に場所を開ける。レーザーの通り道が出来るのだ。当然、その先には光線級がいる。
通常、この前兆を察知した場合には回避行動を取ることが求められる。光線級まで射線が通るようになったとはいっても、道が空いたのを確認してから射撃したところで間に合わない。どう足掻いてもレーザーのほうが早く到達するのだ。
だが、もし、BETAの海が割れるのを事前に察知できたら? 道が開くのと同時に弾丸を撃ち込むことが出来たら?
それは甘い誘惑だった。もしこれが可能なら、今まで多数のAL弾を消費し、そしてなにより多数の衛士の命と引き換えに成し遂げてきた光線級の排除、それが容易に可能になる。
しかし、それは出来ないのだ。出来ないはずなのだ。それが出来るなら苦労はしていないのだ。その可能性を検証してきた多くの先達は皆、レーザーの直撃を受けて散って行ったのだから。
割れたBETAの海の先、光線級がレーザーの初期照射を放つのと同時、飛来した弾丸の嵐が奴等の命を刈り取った。
中佐は、目の前の出来事が信じられなかった。いや、信じたくなかった。
代替わりの時が来たのかねえ。嬉しさと、頼もしさと、一抹の悔しさと寂しさと。中佐の心に複雑な色をした風が吹きすさぶ。
「α12よりα01。先程、自分の得意分野を尋ねられておられましたね」
「α12、そう言う話は戦闘が終わってからやれ。……だが、聞いてやろう、それは何だ?」
「戦場の、状況の把握。全体を見て、流れを見て、最善の一手を探すことが得意です。そうですね、部隊の中にCPがいるようなものだと思ってください」
なるほど、あの化物大佐の息子なだけのことはある。俺には理解しきれない生き物のようだ。
だが、光線級が排除されたのは事実。なら、このクソッタレな戦闘を終わらせちまおう。
「α01よりHQ、光線級の排除を完了したっ、支援砲撃を要請するっ!
さあ、とっとと奴等にご馳走を喰らわせてやってくれっ!!」
この日、人類は衛士一人の命という尊い犠牲と引き換えに、明日を生きる権利を手に入れた。
それはささやかな勝利。だが、もしかしたら人類にとって大きな一歩なのかもしれない。夕日に照らされる撃震、α12の姿を見た中佐の脳裏を、そんなどこかで聞いたような言葉が横切った。
基地へと帰還し、衛士強化装備を脱ぎ、シャワーを浴びて汗と疲れを洗い流す。
今日も生き延びることが出来た。熱い湯が己の細胞一つ一つを活性化させているのを実感し、生きている喜びを噛み締める。そして、この幸せを今までに礎になった英霊達、そして新たにその列に加わったα11に、沙霧直哉中尉は感謝した。
「お疲れ様でーす」
取ってつけたような粗末な仕切りで区切られた、隣の個室の様子が丸分りのシャワールーム。そこに入ってきた者が沙霧に声をかけてきた。
シャワーから溢れる水の弾ける音。視線を向けると、水を吸った色素の薄い髪が白い肌に流れを作っているのが見えた。
前線では男女が同じシャワールームを同時に使用することも珍しくないというのに、なんとなく艶かしく、気恥ずかしい。それを振り切るように、あくまでも平静な声つくりだし、狭霧は言った。
「黒須少尉、今日は大活躍だったな」
「あ、ありがとうございます。……でも、一人死なせてしまいました……」
やはり仲間の死、特に初陣でのそれは心に重くのしかかるものなのだろう。かつての自身の初陣を思い出し、狭霧はそう感じる。
だが、それに飲み込まれてしまっては、次は自分が死ぬ。そうしない為に、そうはさせない為に、割り切ることも覚えなくてはならない。……悲しく、寂しく、そして卑怯なことかもしれないが……それが、戦場だ。
「気に病むことは無い。……いや、違うな。気に病んではいけない、か。仲間の死を無条件に許容する訳ではないが……戦いに犠牲は付き物だ。
生き残った、生かされた我々は彼の死を犬死にしない為に、これからも生きて戦い続けなくてはならない。仲間の死に飲み込まれて、結果として後を追うようなことになっては、彼の死そのものを侮辱することになる。それは忘れないでいてくれ」
ちょっと説教臭いか? しかし、あの人の息子なのだ、きっとわかってくれる。
その狭霧の気持ちを肯定するように、蒼也はそっと微笑んだ。
「ええ。僕はきっと、これからも沢山の仲間を死なせることになると思います。
その犠牲が必要なものだなんて言いたくは無いけど……でも、避けられないものだと思います。
だから僕は、せめてあいつの事を覚えていてやりたいです。名前しか知らない、それ以上の事を知る暇も無かったけど……それでも、あいつは僕の戦友でしたから」
蒼也の表情からその真意は読み取れない。
悲しみ? 諦め? 取り繕い? そのどれとも言え、どれとも言えない。そんな顔。
でも只一つ、決意の強さだけは感じることが出来た。
「戦闘中にも思ったが、君は……本当に、父上に似ているな」
「……父に?」
蒼也の顔に、初めて少年らしいあどけなさが浮かび上がった。
「ああ。俺は君の父上、鞍馬大佐の教えを受けたことがあるんだ。
君は覚えていないかもしれないけど、昔、君と会ったこともあるよ」
その言葉を聞いた蒼也が、にやっと悪戯っ子の笑いを浮かべる。
「覚えてますよ、尚哉さん」
「……酷いな、そうならそうと言ってくれても」
「だって、そんな暇も無かったじゃないですか」
「まあ、それはそうだが。しかし、尚哉さんはまずい。軍務についている間は、きちんと沙霧中尉と呼んでくれないと、色々と問題がでてくる」
「はい、わかりました、尚哉さん」
悪餓鬼の顔を崩さない蒼也に、笑いが込み上げる。
狭霧はシャワールームの壁に掛かった時計で現在の時刻を確認。針は午後7時を回っていた。通常なら、当にプライベートな時間だ。
「分ってくれたならそれでいいよ、蒼也君」
沙霧が笑みを浮かべ、蒼也がやはり笑みを返す。
なんだか、新鮮な気持ちだ。あの教導が終わった時の、自分がBETAを駆逐してやるんだと真剣に思っていたときの気持ちを、狭霧は思い出していた。
「それで、尚哉さん。そんなに父さんに似てますか?」
シャワーを浴び終え、タオルで体の水分をふき取りつつ、蒼也が尋ねてきた。
水滴を弾く、張りのある若い肌が瑞々しい。
「ああ……もちろん、機動そのものはぜんぜん違うんだが。というか、あの人の真似を出来る衛士なんてそうはいないだろう。それこそ、一国を代表するエースでもないと」
「でも、似てるんですか?」
「なんというか……」
沙霧が言葉に詰まった。これは彼には珍しいことだ。
鞍馬と戦ったあの時、あの戦いで感じた感覚を言葉で表すのは難しい。
「そうだな、見えないものを見ている、というのかな?
君の父上、鞍馬大佐は完全な死角から放たれた狙撃すら回避する衛士だったんだ。
今の君とでは腕の差はもちろん天と地と程ある。戦い方も、君とは違い大佐は自ら先頭に立って敵に切り込む方だった。
それでも、今日の君の戦いぶりを見ていたら、大佐の姿と重なったんだ。たぶん、大隊長もそう思っているんじゃないかな」
見えないものを、見ている。
その言葉を、ゆっくりと噛み締める。
──そうか……そうだったんだ。
「どうした、蒼也君?」
沙霧の言葉に戸惑いが感じられた。
蒼也の頬に、一筋の涙が流れていたのだ。
──僕の力は、父さんから貰ったものだったんだ……
蒼也は頭からタオルを被り、流れる涙をごまかした。
自分の力だけでは、この涙を止めることが出来そうに無かったから。
嬉しかった。
父さんが、その大きな想いの全てを、僕に託してくれたような気がして。
困惑した狭霧を置き去りにしたまま、蒼也は静かに呟いた。
──ありがとう……父さん。
と。