伊吹すいかの酒酔い事情   作:夜未

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追記:指摘を受け、納得してしまったので能力について少々修正。


伊吹すいかは酒を造る

 密と疎を操ることができる。

 

 それが私の持つ力であった。

 

 この能力で、私は、ありとあらゆるものを(あつ)めたり散らしたりする事ができるようだった。

 

 考えてみれば、森で逃げ惑っていた時に、やけに妖怪と遭遇しやすかったのも、この能力が無意識のうちに妖怪の意識を集めていたのかもしれない。

 

 かといっても、物質的なものでも、精神的なものでも可能ではあるが、如何せん、未だ妖怪としても鬼としても未熟な私では、まだまだ大それたことはできはしないようなのだが。

 

 せいぜいが、酒精を萃めて私でも飲めるような酒を造ったり、爺様の度数の調整に失敗してしまった酒を適切なものへと戻したりする程度である。

 

 訝しげにしながらも、爺様から渡された、盃を受け取り、中に注がれていた酒に能力を行使して、少しずつ酒精を萃めてみる。

 

 そうして調整を終えた酒を飲む。

 

 口の中に味が広がり、喉元を過ぎて、熱さがわかる。

 

「うん、ちゃんと、鬼である私が飲めるような酒になってるね」

 

 今の私は、この鬼の肉体に引きずられ、話し方も昔と変わってしまっている。

 

 まぁ、昔の記憶はあくまで昔のもので、今とは完全に別の存在なのだろう。

 

 舌で感じた味はしっかりと、水のようではなく、きちんと酒独特の苦みのようなものがわかる程度にはなっていた。

 

 爺様は私のその様子を見ていて、不思議に思ったのか、私に問うた。

 

「あん、童子、童子よぉ、おめぇ、なにやってやがんだ? 酒になにかしたのかよ」

 

「私の持っている、不思議な能力のようなものだよ、爺様。酒精を萃めて、鬼の私も楽しめるようなほど強い酒にしたんだ」

 

 私がそう答えると、爺様は、少し驚きながら、「よかったじゃねぇか。これでおまえも楽しめるなぁ」と言ってくれた。

 

 しかし、私は、今はもうこれ以上飲むつもりはなかった。

 

 もう二回ほど盃を飲み干せば、私の悪癖が出てしまうことがなんとなくわかっているからだ。

 

 そして、私は爺様に向けて、この能力を開花させて思いついていたことを話す。

 

「ねぇ、爺様。爺様の酒造り、私にも手伝わせておくれよ」

 

 私がそう言うと、てっきり二つ返事程で頷いてくれると思っていた爺様は、少し難しそうな顔をして黙り込む。

 

 何を悩むようなことがあるのだろうか。

 

「爺様? 私の能力は、役に立つよ? 荷運びだけじゃ、私の気が済まないよ。だから、さぁ。手伝わせておくれよ。一緒にだれもが唸る、最高の酒を造ってやろうじゃないか」

 

 私がそうやって更に続けて言うと、爺様はどこか虚ろな表情を見せながら、言った。

 

「あぁ、そうだな。俺とおまえで、造ってやろう。鬼と人で造った酒を、飲んでみたいからな」

 

 こちらを見て笑いかけてくれる爺様を見て、私はやっと恩を返せると、ただ純粋に、能力の開花に喜ぶのだった。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 それから、私と爺様は、協力して酒造りを開始した。

 

 とはいっても、既に酒自体は造り終わってしまっている。

 

 今から出来るのは、能力を使っての酒精の操作ぐらいである。

 

 が、それだけのことで充分に味は別物となってしまう。

 

 しかし、一応はこれらの酒は村に卸す予定なのだ。

 

 つまり、言ってしまえば人間用のもので、私の舌で美味いと思うものを作っても仕方がない。

 

 よって、爺様に少しづつ味を見てもらいながらの作業となった。

 

 生来の酒好きである爺様は、酒の完成度に関しては、一切の妥協を許さない。

 

 がぶがぶと、無限のように酒が湧く瓢箪で、普段は浴びるように酒を飲み、味などわかってはいないのでは、と思っていたが、どうやらかなり細かく吟味できるらしい。

 

 私は能力の行使に、繊細で精密な操作を要求され、そして、それを叶えようと努力する。

 

 初めはなかなか上手くは出来なかった。

 

 しかし、爺様の役に立っている、ということが、妙に嬉しくて、私はいくらでも頑張れるような気になるのだ。

 

 そうやって日々能力を意識して使用していく。

 

 そうすると、酒精と一口にいっても様々な種類に分けて考えることが出来ることに気付いた。

 

 色々と工夫を繰り返しても、人であり、監督役である爺様はなかなか首を縦に振ることはしない。

 

 これをこのぐらい萃めて、このぐらい散らそうとか、この酒精の密度を萃めて、水分も少し散らしてみようとか、試しては不味いと言われ、試しては、強すぎると言われる。

 

 しかし、それでも次第に味は洗練され、だんだんと爺様の要望に適うものへとなっていく。

 

 途中で、完全に爺様好みの最高の酒を造っているだけで、誰もが思う最高の酒を造っているわけではないと気付いたが、私は爺様が喜んでくれるのなら、それでいいと思い始めていた。

 

 そして、とうとう爺様はこう言った。

 

「あぁ、美味い、美味いなぁ。俺の持ってる瓢箪の酒より、美味いと思う出来だぜ」

 

 その言葉を聞いて、私は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 

 そうして、その晩には、二人でちょっとした宴会を開くことにした。

 

 お互いに大きな盃を持ち、出来た酒を飲み明かす。

 

 村へと卸す分は、いつもより少し減ってしまうが、その分、質は最高であると言えるのだ、これくらいは目を瞑って、許してもらおう。

 

 お互いにちょっとしたことでも笑いながら、次へ次へと酒を足していく。

 

 自分の分は鬼の体にも通用する酒にしているので、高揚していく気分が心地よい。

 

 そして、途中からは飲み比べをすることになった。

 

 爺様が、「人が鬼と酒を飲み比べるなんざ、よく聞く話だぁな。俺も一回はやってみてぇと思ってたんだよ」と言い出したからだ。

 

 私がそれを受けて立つと、お互いに盃を持ち、一気に飲み干す。

 

 そうして、本格的に体が火照りだしてくる。

 

 私はギリギリで自身の悪癖を思い出し、気分を疎めた。

 

 そのせいで、最後まで酔わない私を見て、爺様は、「やはり童子は、鬼なんだな」と、赤い顔で笑いながら、負けを認めた。

 

 何を今更なことかと思うが、私は、爺様に酔っ払った自分が、いつもより尊大な態度を取ってしまって嫌われてしまうのでは、という不安があったのだ。

 

 無論のこと、いくらそのような態度を取ったところで、酒の席のことではあるし、爺様は気にもしないのだろうとわかっている。

 

 しかし、親に嫌われまいとする、子供のような気持ちが、私の心に不安を差し込み、酒に酔うことを止めていた。

 

 いつか、本当にいつの日か、何もかもを爺様の前で曝け出せてもいいと思える日がくるだろう。

 

 今でなくとも、そう遠くない日だろうと、私はその時に思いを馳せた。

 

 隣では、自分の瓢箪を持って、大きないびきをかきながら眠っている爺様の姿がある。

 

 私は、これからもずっと爺様と共に日々を過ごしていけるのだと、そんなことを思っていた。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 完成した酒を村へと運ぶ。

 

 定期的に卸していた納期に、少し遅れてしまったが、一度その味を見てみれば、充分村の人々も納得してくれるだろう。

 

 村への道すがら、私は爺様と談笑しながらそんなことを思っていた。

 

 爺様の小屋から村まではそれほど離れてはいない。

 

 元々爺様一人で荷台を引いていけるような距離であったのだ。

 

 それも当たり前の話なのだが、どうにも、私の頭の中には違和感が残っている。

 

 私は、自身の引いている荷台の重さを確かめる。

 

 怪しげな呪いで、米から酒を造りだしていると思い込み、爺様と距離を取っているのは理解できる。

 

 だが、はたして、それでも、爺様にこの重さの荷台を引いて村と小屋とを往復できるのであろうか。

 

 思考に沈む私へ、声がかかる。

 

「童子、童子よぉ、もうそろそろ、村の手前だ。おまえはそこらに隠れとけよぉ」

 

 爺様はそう言って、私から荷台を引き継ぐと、腰を落として、ずるずると進みだす。

 

 こうして進んでいるところを実際に見せられているので、可能か不可能かで言えば、可能なのだろう。

 

 しかし、このような辛い思いをしてまで村はずれに住む必要があるのだろうか。

 

 あるいは、何か、村人と距離を取られている他の理由があるのか。

 

 私は徐々に遠ざかっていく、荷台を引いて、今にも折れてしまいそうな枯れ木のような背中を見て、そんなことを考えていた。

 

 

   ※  ※  ※

 

 

 爺様の帰りが遅い。

 

 普段であれば、村へ酒を卸し、米を貰うという作業を約一時間半、遅くとも二時間ほどで終えて戻ってくるのだが、今はまだ、三時間を超えても戻ってこない。

 

 もうそろそろ日が落ち始め、辺りは少し薄暗くなってきている。

 

 何度か村の手前まで様子を伺いに行ったのだが、一向に出てくる気配がない。

 

 どうしたのだろうか。

 

 もしや、爺様の身に何かあったのでは。

 

 そのような不安が胸の内に渦巻き、村へと入っていくべきか迷う。

 

 今の私であれば、能力を駆使して鬼と疑われずに済ませることも可能である。

 

 しかし、もし何かの拍子にバレてしまえば、爺様へ迷惑がかかってしまう。

 

 私は葛藤に悩まされ、心の天秤が村へ侵入する、という方へ傾きかけた時、ようやっと、待ちわびていたその姿が見えた。

 

 ゆっくり、ゆっくりと、こちらへと近付いてくるその姿を見て、私は駆け出す。

 

「爺様!」

 

「おぉ、童子よ、すまねぇなぁ。ちぃと、色々と面倒なことがあってな……」

 

 そう言う爺様から、荷台の引き手を代わり、気付く。

 

 いつもよりも、軽いのだ。

 

 後ろを振り返って見てみると、米俵がいつもより随分と少なく見える。

 

「おぅ、交渉がなぁ、上手いこといかなかったんだ。ちぃっと納期に遅れただけで、あんなに報酬が減るたぁ、世の中ってのは、世知辛ぇもんだぁなぁ」

 

 確かに、確かに質を上げたとはいえ、納期に遅れるというのは報酬を減らされて当然なものかもしれない。

 

 しかし、だ。

 

 それでも、たった一日遅れただけで、いつもの半分以下というのは、いささかやりすぎではなかろうか。

 

 今までですら、贅沢というよりもどちらかと言えば貧相な生活を送ってきていた。

 

 鬼という、妖怪であるこの身は別としても、爺様は、酒以外のほとんどは、森で取れた野草などを主としてしか食べてはいなかったのだ。

 

 それがいきなり報酬を半分に減らされれば、もはや野草しか食べられなくなるようなものである。

 

 酒用の米を粥などにして食べるという方法もあるが、それですらジリ貧である。

 

 なにせ、自分から報酬を減らすようなものなのだ。

 

 なんとかしなければ。

 

 その思いが私の中を占める。

 

「ねぇ、爺様、私、森で動物を狩ってこようか?」

 

「やめとけやめとけ。あの森はな、妖怪ぐれぇしかおらん。小動物の代わりに、低級妖怪が多く溜まっとるんだ。妖怪を狩ってこられても、俺には喰えん。まぁ、その気持ちだけで充分だ」

 

 そう言って、爺様は私に笑いかけた。

 

 その笑みが私の心に突き刺さる。

 

 私のせいだ。

 

 私が、酒を造ろうなどと言わなければ、こんなことにはならなかった。

 

 いや、そもそも、私さえここへ来なければ、爺様は問題なく過ごせていたのだ。

 

 つくづく、私は爺様の邪魔しかしていないのではないか。

 

 鬼とはよく言ったものだ。

 

 これでは、まるで貧乏神ではないか。

 

「なぁ、童子、童子よぉ……」

 

 ぐるぐると自責の念に埋もれていると、瓢箪の酒を飲みながら前を歩いている爺様から声がかかる。

 

 そうして、爺様は、前を向き、私に背を向けたまま、ゆっくりと語りだした。

 

「俺ぁな、おまえがいなりゃ、もう酒を造っても、村までもってくことなんざ出来なかったろうよ。あん時、おまえを俺のとこに誘った時にはよぉ、もう、ほとんど限界だったんだ。

 米はなんとか村の奴らが荷台へ積んでくれるから大丈夫だった。けど、酒樽をよぉ、どうしても荷台へ積めれなかったんだ。一度やろうとして、腰が砕けちまうかと思ったよ。だから、おまえがなんでもないように、ひょいと酒樽を持ち上げた時、こりゃ、いい拾いもんをしたと思ったぜ。

 しかも、それだけじゃあ、なくて、俺がもう無くしちまってた、諦めてた、美味ぇ酒を造るって目標まで取り戻させてくれたんだ。俺ぁもう、いつ死んでもいいくらいだぜ。

 だから、なぁ、童子よ、一つ、言わせてくれや」

 

 そうして、爺様は、こちらを振り返って、まるで、悪戯を成功させたような顔をして、言った。

 

「おまえが、ここにいてくれて、ほんと、良かったぜ」

 

 その瞬間、私はばっと上を向いた。

 

 もはやそこで限界だった。

 

 下を、いや、上以外を向けば、確実に涙が零れていただろう。

 

 鬼であるこの身でも、やはり見た目通り人と同じなのか、鼻も詰まっている。

 

 必死で上を向いて、決して泣くまいと、もはやどうしてそう思っているのかすらわからずに、堪えていた。

 

 そんな私を見て、おそらく、わかっているのだろうに、爺様はわざとらしく言う。

 

「なんだぁ、童子よぉ、星でも見えるのか? あんまり見とれすぎて、転ぶなよ。はっは、はっはっは!」

 

 あぁ、暖かい、暖かいな。

 

 私は、過去の記憶を合わせても、おそらく最も大きいであろう暖かさをくれた、今、前で笑っている、未だ名さえも知らない老人に、深く、深く感謝した。

 

 この暖かさは、どうすれば私の能力で再現できるのだろうか。

 

 思考の片隅で、そのようなことを考えながら。

 

 

 

 

 

 

 


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