相変わらず、萃香ちゃん視点だと細かい事情がほとんどわかりませんね(汗)
女と別れてからの天厳は、懸命に、自身の長としての役割を為していた。
ただ、それはまるで考えることを放棄しているようかのようにも見える。
いや、実際、その通りなのだろう。
彼と私の会話は、それまでとは違い、私を見ていないものだった。
それまでの、部下である天狗たちとの会話ですらも、感情を覗かせることが少なくなり、彼らも戸惑っているように感じられる。
まぁ、それはどうやら、彼ら天狗たちからすれば、私が原因であるように思われているようなのだけれど。
仕方ないと言えば仕方ないことであり、そしてまた、私としてもその誤解を解こうとはしていない。
それゆえに、私に対して、彼らには、いつまでいるのか、という不満が簡単に見て取れていた。
そんな彼らからすれば当然の不満もけれど、私には別にどうでもいいものだ。
天厳が自身の部下からどう思われていようと、そしてまた、天狗達から私がどう思われていようとも、はっきり言ってしまえば、私には関係のないことであるし、また、興味を持つべきことですらもなかった。
例え天狗であっても、鬼たる私の勝手を許さない、などとは、それほどに力の無い彼らからの言葉であるなら、そんなもの、私が欠片程にも意に受けることも無い。
けれど、そんな私にもただ一つ、耐えられなかったことがある。
それは、私を見ずに、私と話そうとしている天厳の態度だけが、どうしても気に入らなかった。
鬼たる私を無視する、それはまだいいだろう。
私が、彼にとって無視できる程度の存在でしかなかっただけの話だ。
些か屈辱的ではあるが、そこを認めずして鬼たる私の本懐は果たせないだろうから、それはまだいい。
けれど、そうではなく、私を通して別のモノを見ている、ということが、どうしても気に入らなかったのだ。
私は鬼で、鬼は私だ。
それ以外の何者でもないと、自身の存在で持って証明しようとしている私に、別のモノを見る、などとたわけたことが、許せようはずもないだろう。
しかし、それは日を追うごとにますます酷くなり、四日程もすれば、他の天狗たちから直接的な心配の声が聞えてくるまでになっている。
上手い具合に、天狗たちの情報操作能力は高く、天厳自身には伝わってはいなかったが、既に彼らにも、天厳の身に何かがあった程度のことは悟られてしまっているのだろう。
自分よりも弱い者から心配されるというのは、なんというか、私には侮辱のように感じられるけれど、やはりそれほどには、彼は部下に慕われていたのである。
そう思えば、それは彼にとって名誉なことなのだろうと、素直に称賛しておこう。
そしてまた、そんなことになってしまった彼を情けない、とは、私には思えない。
定期的に会っていた人間の女が嫁ぐ。
そんなこと、私からすれば酷くくだらないことではあったが、天厳からすれば、大きくなにかが揺らされることであったのだろう。
私には決してそれが解りはしないが、まぁ、その理を解することだけはしておいてもいい。
そして、日に日に彼の当て所のない憤りがやがて表へと出初めて、八つ当たりのようになり、理不尽となっていく彼を見て、私は一つ、思う。
遊んでやろう、と。
くだらぬ話であるが、しかし、こんな機会は滅多にないのだ。
だから、私は、この出来事を出来る限り楽しませてもらおうと、そう決めた。
彼と彼女の、どうしようもなく愚かな、一人と一匹だけの問題を、私が敢えて終わらせてやるのも、悪くないだろう。
実際、傍から見ていれば、これほど面白いことはない。
言ってしまえばそれはとても簡単なことなのに、しかしそれが解らぬ永い時を生きた天狗とはなんとも滑稽で、見ているだけで楽しいのならば、遊んでやればもっと楽しくなるに違いない。
彼が勝手にしているように、私は私で、勝手にやらせてもらうとしよう。
鬼とはつまり、そういうものなのだから。
そうして私は、ゆっくりと、鬼に似合わなぬ謀り事を考えていく。
鬼らしくするために、しかしそれゆえに鬼に似合わない謀をしようだなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、そんなことですらも、たまには悪くはないと、笑いが零れてしまいそうだった。
※ ※
「いったい、いつまで我らの地に居られるつもりであるのですか、鬼よ……」
色々と考えて、そろそろ仕込みでもしようかと思っていた、七日目の晩、私は彼らの治める森の外れにて、天狗たちに呼び出され、そう問われた。
彼らからすれば、私がいることによって自らの信頼する長がおかしくなっていると思っているのであるから、ある意味、これは当然のことではある。
むしろ、よくぞこれまで文句の一つもこうして言わずにいれたものだと褒めてやってもいいかもしれない。
陰からそういうことが聞こえていたことは少なからずあったが、こうして面と向かって問われたのは今が初めてであったのだから。
つまり、それほどには、彼らは私を理解しているのだろう。
それがまたなんとも言えず、嬉しくもある。
人外である天狗達が大勢でもって個を囲み、威圧するかのようなこの様は、人であれば意識を失いかねぬほどの圧力がかかっていることを感じて、その喜びはまたより一層大きくなっていく。
鬼である私にとってみれば、むしろそういうものは心地良くすらあるのだから。
「さぁね~。私がやりたいことをやり終えたら、とっとと此処も出ていくよ」
十ほどの天狗に囲まれながら、私は嬉しさが堪えきれずににやにやと笑って酒を呷り、ふざけた様な口調でそう言った。
別に挑発しているつもりはないけれど、しかし、真面目に言うようなことでもない。
「やりたいこと……。それは、天厳様についてのことですか」
そういう彼女、天狗の集団の真ん中にいる、一匹の若い天狗は、私を睨みながら言った。
まぁ、普通はそう思うであろう。
私がやりたいことをやる、と言って居座り、そして今、彼らの長の様子がおかしくなっている。
繋がりがないと思う方がどうかしているかもしれない。
けれど
「いーや、違うよ?」
私ははっきり、それに否と答えた。
その答えに、天狗たちが少しざわざわと戸惑いを浮かべる。
こうまではっきりと断じられるとは思っていなかったのだろう。
ましてや、私は鬼だ。
鬼が嘘を嫌うことはもはや周知のものであろう。
だからこそ、私に向かっている女天狗も、予想が外れた様に、一瞬呆けた顔をしていた。
それでも、すぐに表情を変えて、怒りを滲ませながら、蔑んだように言葉を吐き出す。
「貴女が……、鬼である貴女が、そのようなわかりやすい嘘を吐くなど……。どうやら我々の貴女への認識は些か過大であったようですね……」
精一杯の、自身より力ある者への侮蔑の言葉なのであろう。
けれど、私にその侮蔑は意味をなしていない。
そも、彼女らの認識そのものが間違っているのだから。
「嘘なんて、鬼である私がつくもんか。そっちが勝手に勘違いしてるだけだよ」
「なにをっ!」
怒りのままに口を開く天狗を遮って、私は言ってやる。
「だって私は、私のことしかやらないからね。そもそも主体が間違っているの。私は私のことをして、他が勝手に変わっていくのさ」
そう、言いきってやるのだ。
誰にも文句は言わせない、私が私の決めたことを、私のためにしているのだと。
「っ!」
その言葉に、二の句を告げられず、言葉に詰まった彼女を見ながら酒を飲み、また、にやりと笑ってやった。
それは当たり前の話でもある。
私がやることに、私以外のなにが関係すると言うのだろう。
鬼である私が、私以外のなんのために行動するというのだろうか。
いつだって、私は私の為にしか動かない。
それが鬼で、そうすることが、鬼であることなのだから。
それで周りがどうなろうと、どうしようと、それは一切関係なく、根っこはただただ、私のためのことなのだ。
「そんなのは……詭弁です」
悔しそうに、そして、納得いかなさそうにしながら言う天狗の娘。
「あっはは! そうかもね。あ、でも、ちょっと違うかな」
そんな、私を止める程の力を持たないがため、歯噛みしながら此方を見るしかない天狗たちに、私は笑って言うのだ。
「これは鬼たる私の弁なんだ。鬼弁とでも言えばいいと思うよ?」
「あなたはっ!」
「だから私がやりたいことをして、満足したら、勝手に私は何処へなりとも消えていくさ。だって私は……」
鬼なのだから。
そう言って、私は彼らの囲みをすり抜けて、歩いていった。
※ ※
そうして、天狗達から問われた時から、更に三日が過ぎて、いよいよ嫁いだ女の命が尽きるかもしれぬ十日目の晩に、私は天厳の部屋の前にいた。
未だ忙しそうに長の仕事とやらをしている彼を気にすることなく、酒を片手に飲みながら、私はその部屋へと入っていく。
かつて人であった記憶のある私からすれば、非常に出来の悪い紙を片手に、彼は何やら筆を動かしている。
まったく、笑ってしまいそうであった。
仕事に忙殺されている妖怪、というのは、なんとも妙なものであり、人間からすれば目を疑うような光景だろうに。
まるで、それは人のようだと、そう思うかもしれない。
けれど、しかし、そう、確かなこととして、彼は人ではなく人外で、天狗なのだ。
そして彼は、その天狗の長である。
私はそれを間違えることはしない。
口の端に付いていた酒を拭い、彼の横に立つ。
そして、
「ねぇ」
声を掛ける。
しかし、彼から返答はない。
それほど大きな声ではなかったので、彼のその目の内にある紙へと入り込んだ意識には届かなかったのかもしれない。
まぁ、ある意味予想通りだ。
「ねぇってば!」
少し声を張って、彼に言う。
それでも、天厳は私の方を見ようとすらも、しなかった。
少し苛々と気が荒れてくるが、それを敢えて押し留めて、彼が目を向けている紙の置かれた机へと近付いた。
そうして、一拍。
どんっ! とという音が、部屋に響く。
「……なんのつもりだ?」
ようやく、天厳は目の前にいる私へと目を向ける。
彼の手元には酒で濡れた紙があり、机の上には私が勢いよく叩き付けた酒の入った瓢がある。
もしかすると、その机に罅でも入ったかもしれないが、気にすることもないだろう。
「やっと返事したね。さっきから声を掛けてるのに気付かないから、酒でも引っ掛けてやろうかと思ったんだ」
からからと笑って、自身の顔にも飛び散っていた酒を拭っている天厳を見る。
てっきり怒り狂うものと思っていたが、彼は大きく溜息を吐き、座っていた椅子に背を掛けて、私を眺めた。
「それで?」
「ん?」
「なんの用だと聞いている。ここのところ大人しくしているかと思えば、突然なんだ?」
天厳は静かに、そう聞いてきた。
まるで自然体のようであって、その実、そんなことは無いくせに、天狗ってやつは嘘吐きなのかと疑ってしまう。
まぁ、それが本当だろうと嘘であろうと、私には関係ないことではあるけれど。
だから
「うん。そろそろ、此処から出ていこうと思ってさ」
率直に、隠すことなく、私は決めていたことを言った。
「……そうか」
天厳はただ、どうでもよさそうに答える。
「別れの挨拶などするような殊勝な奴だとは思っていなかったぞ、鬼よ」
「うん、まぁ、ちょっとやり残したことをやってからと思ってね。最後に、ちょっと酒でも一緒に飲もうよって誘いに来たの」
そう言って、私は手に持った瓢箪をゆらゆらと掲げて揺らす。
天厳はそんな私をちらりと見て、また、溜息をついた。
「そんなことのために来たのか。貴様はもっと適当なやつだと思っていた」
まぁ、確かに、言われてしまえばそうなのだが、今は少し話が別だ。
「たまにはいいじゃない。それで、行くなら早く行かない?」
さっさとその場から立てと示す私にもはや断ることも疲れてきたのか、天厳は椅子から立ち上がる。
そのまま紙と筆を片づけて、ようやく部屋を出る準備が整ったのだろう。
「宴の準備はないぞ」
そう仏頂面で言い捨てて、外へと向けて歩いていく。
「あー、いいよ別に。今回はあんたとだけで吞もうと思ってね」
答えながら、私もそれについて歩いていった。
むしろ、他の天狗達の存在は、今やろうとしていることを思えば、少し邪魔だとも言えるだろう。
そこに気付いて、私は天厳に尋ねることにした。
「ねぇねぇ、他の天狗達が来なくて、気持ちよく吞める場所知らない? あ、あと眺めが良ければ尚いいね」
「……簡単に難しいことを言ってくれる。まぁいいだろう。山の頂上付近にでも行くとしよう。哨戒の者も外回りを主に監視している。滅多に他の者が来ることも無かろう」
私の要求に、いやにあっさりとした調子で答えて、彼は外に出て飛び上がった。
何事かと見ていた天狗たちに「少し出てくる」と声を掛け、私について来るようにと示しながら飛んでいく。
どんどんと離れていく彼の背は少しずつ小さくなっていき、私は少しだけそれを眺めた後に、彼の後を追うべく、自分を疎めていった。
※ ※
そして、彼の目指した山の頂上から、少し逸れた小さく開けた場所で、私は天厳と酒を飲んでいた。
もうそろそろ、あの人の女の命は尽きるかもしれない。
それは誰よりも目の前で酒を飲んでいる天狗がわかっているだろう。
もともとが騙し騙しの延命処置で、本当は、彼が十日という期限しか設けなかったのも、きっとそれが限界だからだ。
だから、
彼は迷っているのだろう。
彼は悩んでいるのだろう。
それら全てを、私はなんとなく、酒を飲んで火照った肌で感じていた。
まったく、本当に馬鹿な奴である。
いつも不機嫌そうな顔をしている癖に、更にそれを歪めてちびちびと私の酒を飲んでいる天厳に、茶化すように私は言う。
「ねぇ、酒が不味くなるから、そんな雰囲気で黙ってるのはやめてくれない? 一応、これはお別れの酒盛りなんだよ?」
なんて、少しつついてやれば、彼はちらりとこちらを見て、また、ゆっくりと酒を口に運び、言った。
「この程度で不味くなるのなら、貴様の酒はその程度なのだろう」
まったく、本当に、あぁ、本当に、馬鹿な奴だ。
別に、拗ねた奴の捻くれた言葉に腹を立てるほど、私は細かく生きていない。
だから、さっさと流して話を続ける。
「まぁ、いいや。ねぇ、それで、あんたは何を悩んでるの?」
率直に、私がそう問うてやると、天厳はさっさと言葉を返してくる。
「
その言葉を聞いた時、はっきりと理解してしまった。
あぁ、こいつは……。
そして同時に、もはや耐えられなくなって、笑ってしまった。
「あっはは! うんうん、なるほどね。やっぱり楽しくなりそうじゃない」
そうして、一人うんうんと頷いて、また酒を呷る。
「なにがおかしい?」
笑う私に苛々としながら、天厳がそう言ってくるが、無視して私は笑い続けた。
これからのことを思えば、笑わずにはいられない。
きっと、さぞかし楽しい遊びとなるだろうから。
そうして、そろそろ苛々とした気から、殺気を飛ばし始めた天厳の横で、私はやっと笑いを治めた。
人であるなら、視線で殺されてしまいそうだ。
天狗たちに囲まれた時よりも強い圧力に、血が熱くなってくる。
「まぁまぁ、いいじゃない。それより、あんたとあの人間の話をちょっと詳しく聞かせてよ。酒の肴には、ちょうどいいでしょう?」
「なに?」
「どうせ、私は明日には此処から出ていくんだよ。話したって困ることなんてなんにもないし、それに、こうやって黙って飲んでるだけよりも、やっぱり話をした方が、酒も進むってものじゃない」
「……なぜわざわざあの女の話を持ってくる?」
「そんなの、私が気になるからに決まってるじゃない。それ以外になにか理由でも必要?」
そうやって、しばし天厳は迷った後に、変にその話を拒否することが、自分で自分をおかしいと思ったのか、ぽつぽつと、それまでの、女との出会いの話を語り出した。
仏頂面のままで、酒を飲みながら話していく彼の横顔を見て、思う。
あぁ、やっぱり、とっても馬鹿馬鹿しい。
その悩みも、その迷いも、全てが全て、とても簡単なことなのに、彼はそれがわからない、いや、わかりたくないのだろう。
聞いていて、胸焼けがするような話が流れる。
その熱さを、酒で焼かれたことにして、ただ、聞いている。
そして、聞きながら、ふと思った。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬらしい。
では、天狗の
馬に蹴られた程度で、私は死にはしないから。
だから、鬼である私を、蹴って止めると言うのなら、止めてみせろ。
天厳は酒に口を付けた後、話の合間に少し息をつき、呟いた。
「貴様の酒は、変わらんな……」
当たり前のことを言う。
そう、私の酒は、変わらないよ。
あの時、私が誓った時から、何一つ、変えてなんかやるもんか。
でも、
あんたは変わっていたんだね。
その言葉を、私は酒と共に飲み込んだ。
天狗の長から語られる、人の女のお話は、そろそろ終わりそうだった。
やっと冒頭に戻ってこれた……(遠い目)