逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第09話『勇者オイフェ』

   

 ヴェルダン王国

 ヴェルダン城

 謁見の間

 

「親父。もう潮時だ。これだけ言ってもまだわからないのか」

「……」

 

 ヴェルダン城の謁見の間にて、ヴェルダン王国国王バトゥに詰め寄るジャムカ王子。

 既に形勢はヴェルダン軍にとって不利どころか敗北に傾きつつあり、ジャムカはバトゥ王へと休戦……いや、グランベルへ降伏するよう進言していた。

 

「兄貴達は死んだ。物見の情報じゃマーファに駐留していたシグルド軍がこの城に向かってきているそうだ。落とされるのも時間の問題だ」

「しかし(のう)……」

「シグルド軍は僅かニ週間でマーファまで獲っちまったんだぞ。豪族連中もやる気を無くしてるし、もう俺達に残された兵力は少ない。このままじゃ滅亡するだけだ」

「……」

 

 歯切れの悪いバトゥ王。彼も、この状況に至るのをどこか察していた節があるのか、うつむきながらジャムカの言を聞いていた。

 謁見の間にはヴェルダン本領、そしてマーファやジェノアから逃れてきた主要豪族達もいるが、皆この戦況を覆せるとは思い至らなかったのか、その表情を暗くしていた。

 主戦派であった豪族ですら口を閉ざしていることが、彼らがシグルド軍に対し抱いていた認識が誤っていたことを暗に物語っていた。

 

「シグルド公子は悪い人間ではない。現にマーファで降伏した兵士達も悪い扱いをされていない。このまま戦って滅ぶより、降伏してヴェルダン存続の可能性を少しでも探るんだ」

「しかし、グランベルが我が国を滅ぼすというから儂はガンドルフに出撃を許したのだ。元々、我が国から戦を仕掛けるつもりは……」

「それはサンディマとかいう魔法使いの話だろ。親父も兄貴達も奴に騙されすぎだ」

 

 サンディマ、という名前が出てきたことで、バトゥ王は苦々しげに表情を歪める。

 サンディマの進言。いや、巧言に踊らされた老いた君主は、全面降伏か、それとも徹底抗戦をするかで揺れに揺れていた。

 

 

「ジャムカ王子。それは少々言葉が過ぎるのではありませんかな」

 

 

 ふと、謁見の間に悍ましいまでの暗黒の気が漂う。

 いつの間に、いや始めからそこにいたかのように、魔術師サンディマが佇んでいた。

 

「サンディマ。この戦争の責任の一端は貴様にもある。どう落とし前をつけるつもりだ」

「これはひどい言い様ですね。私はただグランベルの脅威を説いていただけなのですが」

「ふざけるな! 貴様の戯言でどれだけの人間が犠牲になったと思っている!」

 

 激高するジャムカに対し、サンディマは不敵な表情を崩さない。

 この状況下でもある種の余裕を持つその態度に、バトゥ王以下豪族達も戸惑いの表情を向けていた。

 

「戦争には犠牲はつきもの……それに、ヴェルダンの勝ち目が無くなったわけではありませぬ」

「何を言っている! もうヴェルダン本領以外はグランベルに占領されているんだぞ!」

「ジャムカ王子。王子にはもう少し視野を広くして頂きたいのですがねぇ」

「なにっ!?」

 

 激高し続けるジャムカに構わず、サンディマは挑発するように雄弁と口を動かす。

 

「反グランベルを掲げているのはヴェルダンだけでは無い、ということです。今頃アグストリア……ハイライン王国の軍勢が、エバンス領へ侵攻を開始している事でしょう」

「なんだと!?」

 

 このサンディマの言葉に、謁見の間はざわめく。

 思いも寄らないハイラインによる増援の報。それまで降伏に傾いていた豪族達に、にわかに継戦の気運が高まっていった。

 

「アグスティのイムカ王がそのような事を許すはずがない! 戯言も良い加減にしろ!」

「ええ、確かにイムカ王はまだ反グランベルの姿勢を見せていません。ですが、アグストリア諸侯はそう思ってはいないようですなぁ」

「馬鹿な……!」

 

 サンディマの言葉を信じられぬのか、ジャムカは射抜くような視線で怪しげな魔術師を睨んでいる。

 すると、サンディアの言葉を証明するかのように、バトゥ王が口を開いた。

 

「ジャムカ。サンディマの言う通りじゃ。既にハイラインのボルドー王から密書が届いておる。エバンス領の奪還を手伝うとな」

「親父! なんでそんな大事な事を黙っていたんだ!」

「それは……」

 

 バトゥ王はちらりとサンディマへと視線を向ける。

 この情報を開示しないよう言い含められていたのか、所在なさげな表情を浮かべていた。

 

「ともあれ、ハイライン軍にエバンスを脅かされたシグルド軍はマーファから引き返して行くでしょう。それを追撃するもよし、シグルド軍が引き上げた後に奪われた領地を取り戻すもよし……少なくとも、全面降伏をする局面ではありませんな」

「サンディマ、貴様……!」

「ジャムカ王子。貴方は残った豪族を率いてマーファ奪還に向け出陣するお役目があるはず。これ以上の問答は無用と思いますがね」

「くっ……!」

 

 勝ち誇ったようにそう言い放つサンディマ。

 ジャムカは悔しそうに表情を歪めるのみ。

 しばしその場で拳を固く握りしめていたジャムカであったが、やがて言われた通り軍勢を率いるべく謁見の間を後にしようとした。

 

 だが。

 

「ご、ご注進!」

 

 一人のヴェルダン兵が、息を切らせて謁見の場に現れる。

 危急の報告を携えていたのか、その表情もまた焦燥していた。

 兵士はバトゥ王に直接報告しようと息を整える。

 

「良い、このまま報告しろ」

「は、はい!」

 

 ジャムカにそう言われた兵士は、一瞬バトゥ王へと視線を向ける。

 バトゥ王が僅かに頷くのを見ると、兵士はその場にて報告を開始した。

 

「エバンスへ進軍したハイライン王国の軍勢がノディオン王国のクロスナイツに敗れました! ハイライン軍を率いたエリオット王子はエルトシャン王により()()()()()()とのことです!」

「なっ……!」

 

 再びざわめく謁見の場。

 そして、明らかに狼狽を見せるサンディマの姿。

 サンディマが立てた勝ち筋が早くも崩壊したことで、豪族達は手のひらを返したかのように弱気の姿勢を見せていた。

 

「親父」

 

 ただ一言、バトゥ王へそう言ったジャムカ。

 ジャムカの言葉を受け、バトゥ王は深い息をひとつ吐く。

 日々のサンディマの洗脳を受けてきたバトゥ王。しかし、この国家存亡の危機を受け、その洗脳が解かれつつあった。

 バトゥ王はしばし黙した後、やがて重たい口を開く。

 

「……ここに至っては是非もない。降伏しよう」

「親父! 分かってくれたか!」

「ジャムカ、儂は間違っておった。愚かな父を許せ……。皆もそれでよいな?」

 

 バトゥ王の言を受け、豪族達も断腸の思いで頷く。

 幾人かは戦後の賠償問題まで頭を働かせており、その表情を更に暗くさせていた。

 

「ジャムカ。お主が使者となり、シグルド公子の元へ降伏を伝えるのだ」

「わかった。親父は……」

「儂は全ての責任を取るつもりだ」

「親父……」

 

 バトゥ王の憑き物が落ちたような表情を見て、ジャムカは悲しげに表情を歪める。

 王は、たった一人残された王位継承者に、最後の命を下していた。

 

「ジャムカ。お主がいれば、ヴェルダンは滅びぬ。辛い役目を押し付ける事になってしまったが……」

「……」

「もう行け。ヴェルダンを頼むぞ」

「わかった……親父……」

 

 苦しげに表情を歪めるジャムカであったが、やがてバトゥ王に促され謁見の場を後にする。

 その後を、豪族達もまた沈鬱した表情で追従していった。

 

 謁見の場に残されたのは、瞑目し玉座に深く腰をかけるバトゥ王、苦い表情を浮かべるサンディマ、そして数名の近衛兵のみであった。

 

「バトゥ王……はやまった事をしましたな……」

 

 サンディマは恨み言を呟くように口を開く。

 それを、バトゥ王は冷然とした表情で応えた。

 

「サンディマ。グランベルのアズムール王には儂の首……そしてお主の首で詫びを入れるつもりじゃ」

「なに?」

「お主の言うことを聞いてしまった儂が愚かであった。だが、お主……いや、お主達の陰謀は、流石にこのまま見過ごすわけには行かぬ」

「……」

「儂がただの操り人形とでも思うたか? お主の背後にいる存在など、とっくにお見通しよ。グランベルの戦争に勝った後、儂はお主らを纏めて捕縛し、処刑するつもりじゃった」

「……」

「だが、それも今となっては叶わぬ。せめて、陰謀の尖兵であるお主だけは、この儂共々……」

「ク……ク、クククク……!」

 

 バトゥ王がそれとなく指示し、近衛兵がサンディマを囲む。

 だが、サンディマは不気味な笑いを浮かべると、懐から一冊の魔導書を取り出した。

 

「老いぼれめ! この程度でこの私を倒せるとでも思ったか!」

「ッ!?」

 

 瞬間。

 謁見の場は、殺意の籠もった暗黒の気に満ちる。

 

Jötmungandr(ヨツムンガンド)

 

 サンディマにより発動された暗黒魔導。

 黒衣のオーラが近衛兵達を包む。兵達は、自身の“死”を認識する間もなく、その生命活動を停止させた。

 

「ぬぅ!? 暗黒教団め!」

 

 バトゥ王は老体に鞭を打ち、自身の愛斧を振りかぶりサンディマへと襲いかかる。

 だが、サンディマはそれを避けようともせず、不気味な笑みを浮かべながら魔導を発動させた。

 

「死ね」

「ガッ……!!」

 

 黒い波動がバトゥ王を包む。

 最期に一矢報いようとした老いた国王。だが、暗黒魔導をその身に受け、即死した。

 

「老いぼれめ。最後の最後で邪魔をしおって……」

 

 バトゥ王の死骸を憎々しげに睨むサンディマ。

 すると、音もなく配下の暗黒司祭が現れる。

 

「サンディマ様」

「人よけの結界は張っているのであろうな?」

「はっ。ですが、よろしいのでしょうか……?」

「構わん。せめてこの老いぼれが継戦の意思を見せていればまだやりようがあったが……結界の効果が切れる前に、城に火を放つのだ。もはやここには用は無い」

「はっ」

 

 サンディマは配下に指示を下すと、更に憎々しげに表情を歪ませた。

 

「シギュンの娘はまだ見つかっておらぬし……くそ、大司教様に何と申し開きをすればよいのだ……」

 

 そう言い残し、暗黒司祭共はヴェルダン城から姿を消す。

 ほどなくして、城は大火に包まれるのであった。

 

 

 


 

 ヴェルダン王国

 精霊の森

 

「そうですか。エルトシャン王がやってくれましたか」

 

 “ハイライン軍、ノディオン王国のクロスナイツに敗れる”との報をジャムカらヴェルダン首脳が受けていた時。

 同様の報告を、オイフェはマーファ城とヴェルダン城の間にある精霊の森にて受けていた。

 既にヴェルダン本城攻略へ進発していたシグルド軍は、予想に反して全く敵の迎撃を受けず、森の中腹まで至っている。

 このまま何の妨害も無く進めれば、ヴェルダン本城まであと二日の距離まで迫っていた。

 

(よし。これで時間が稼げるな……)

 

 エルトシャン王がエリオット王子を討ち取ったという報告に、オイフェは僅かに口角を上げる。

 前もクロスナイツがハイライン軍を撃滅していたものの、エリオット王子はほうぼうの体で逃げ出すことに成功している。

 

(ひとまずの賭けには勝った。あとは、それを活かすだけだ)

 

 しかし、此度はオイフェの策略により、ハイライン王国王子エリオットはエバンス郊外にてその命を散らしている。

 オイフェはシグルド、そしてキュアンと共に、エバンス城攻略後、ノディオン王国へと向かった事を思い出していた。

 

 

 エバンス占領後、オイフェはシグルドへ“此度の紛争の事情説明”をエルトシャンに行うよう進言している。

 隣国で発生した紛争の詳細を伝えるのはもっとも。シグルド本人が伝えるのならよりこちらの大義名分、そして誠意が示せる。

 ついでとばかりにキュアンの同行も勧め、エバンスを出立したオイフェ達は、既にエバンスへと向かっていたエルトシャンと道中で邂逅していた。

 

 士官学校の同期であったシグルド、キュアンの事情説明を受け、エルトシャンは以前に増して快くエバンス領の後背を守る事を約束する。元々エバンス領占領の訳を問い質す為にやって来たエルトシャンであったが、わざわざ向こうから事情説明にやって来た、それも旧友二人が同時にやって来たことで、そのわだかまりは以前に増して綺麗に消え去っていた。

 更に、“敵性勢力”の効果的な迎撃を行うべく、キュアンとエルトシャンはあれやこれやと戦場での布陣について意見を交わす。

 

 想定される敵勢力が明らかにハイライン軍を意識していた内容だったのは、事情説明に至る道中、オイフェがキュアンと“エバンス領の防衛”について軍談を交わしていたから。

 キュアンは少々具体的すぎる内容に首をかしげつつも、エルトシャンからハイライン軍の動向が怪しいとの言葉を受け、オイフェとの軍談内容を叩き台にし、エルトシャンへ助言を行っていたのだ。

 

 ともあれ、キュアンの助言を受けたエルトシャンはクロスナイツをノディオン城に待機させるのではなく、半数をノディオンとエバンスの国境へ隠すように配置させる。

 そして、のこのことやって来たハイライン軍を伏兵により挟撃、エリオット王子は魔剣ミストルティンの錆となっていた。

 

 オイフェはエリオット王子を討ち漏らす事も想定していたが、予想以上に良い結果が生まれたことで安堵のため息を吐いていた。

 これで、ハイラインのボルドー王は、息子を討ち取ったエルトシャンへ前回以上に増悪を抱くだろう。敵愾心をむき出しにする隣国を前に、エルトシャンが迂闊に城を開ける事はなくなるはず。もっとも、その事について釘を刺すのも忘れないが。

 

(イムカ王はシャガールに命の弦を握られている……暗殺を防ぐのは難しいだろう……)

 

 だからこその此度の仕掛け。

 前は賢王とまで謳われたイムカ王が実子シャガールにより暗殺されたことで、アグストリアの動乱が始まっている。

 既に後手に回っている状態のオイフェでは、この暗殺を防ぐことは難しい。警告を送ろうにも、シャガールを裏で操っているマンフロイに嗅ぎつけられる恐れがある。

 まだ、正面から暗黒教団と事を構える時期ではない。

 

(エルトシャン王がノディオンに留まってくれれば、動乱の初動はこちらの有利に運ぶ……少なくとも、シグルド様がいきなり矢面に立つ事はない。できればそのままエルトシャン王を味方に付けたいが……)

 

 オイフェの大計略では、クロスナイツ……エルトシャンを敵に回すのは絶対に避けなければならず。

 その為、あらゆる布石を打ち、エルトシャンをこちら側へ引き込む算段であった。

 

 いや、現時点ではまだエルトシャンを味方に出来ないとオイフェも認識している。シグルドがバーハラ王家に対し絶大な忠誠を誓っているように、エルトシャンもまたアグスティ王家に至上の忠義を捧げているのだ。

 だが、味方に出来ぬまでも、最悪敵に回らなければそれで良い。

 アグストリア動乱での終局、シグルド軍がエルトシャン率いるクロスナイツと血で血を洗う血戦を繰り広げたのを記憶していたオイフェ。

 此度はその戦力を絶対に相手にしないよう、その怜悧な知略を働かせ、あどけない表情を引き締めていた。

 

 

「ところでオイフェ。こんなところに一体何の用があるんだ?」

「レックス公子。それは……」

 

 兵士から報告を受け策謀を巡らしていたオイフェに、ドズル公爵家公子レックスことドズルのいい男が声をかける。

 現在、オイフェは森の中腹で休止しているシグルド軍本隊から離れ、レックスと僅かな供回りを連れ精霊の森の奥深くまで入っていた。

 

「ヴェルダン本城への迂回路がないかと思いまして。ついでに、エバンスとマーファをつなぐ湖の水運開発を考えていますので、それの現地調査です」

 

 そうよどみなく応えるオイフェ。しかし、その腹積もりは全く別のところにあり。

 ちなみに、オイフェとレックスが軍勢を離れるのを、シグルドはどこか上の空で了承していた。

 マーファから出立したシグルドは、当初は緊張を適度に持っていたが、やがて精霊の森を進むに連れぼんやりと彼方を見つめる事が多くなっていた。

 明らかに“恋煩い”のそれである。

 ヴェルダン征伐の総仕上げを前に気合が足りていないシグルドに、キュアンやエスリンが叱咤するのを、オイフェはやや“茶番”が効きすぎたと冷や汗を浮かべながら間に立っていた。

 

 オイフェの説明を受け、レックスは如才ないオイフェの行動に感心しつつも更に疑問を重ねる。

 

「じゃあ、なぜ俺となんだ? こういうのは文官連中と一緒の方が良いんじゃ」

「敵の迎撃が無いとはいえ、この辺りはまだ敵の勢力圏です。レックス公子のような勇者と一緒なら、安心して調査できると思いまして」

「うれしいこと言ってくれるじゃないの。それじゃあ、とことん護衛してやるからな」

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 可愛らしい笑顔を浮かべながらそう言うオイフェに、レックスは男前な笑顔を浮かべていた。

 

 

「湖畔だな」

「湖畔ですね」

「……俺は素人だから詳しいことは分からないが、ここを船着き場にするのはちょっと難しいと思うぞ」

「……ですね」

 

 やがて湖畔へ辿り着いたオイフェとレックス。

 同行した兵士達を少し離れた場所に待機させた二人は、目の前に広がる美しい湖の光景に見惚れつつ、その湖畔が船着き場に適さぬ地形であるのを見抜いていた。

 とはいえ、元々湖の水運開発は必須だと思っていたオイフェであったが、この場所へ来た本来の目的は水運開発の下見ではない。

 

「仕方ありませんね。戻るとしましょう」

「ああ。了解した」

「ところで、あの、レックス公子。ひとつお願いがあるのですが」

「ん、なんだ?」

 

 シグルドが待つ本隊へ戻ろうと踵を返すオイフェとレックス。

 だが、オイフェはレックスが佩いている重厚な鉄の斧へと目を向ける。

 

「レックス公子の斧を少し貸して頂けませんか?」

 

 唐突なこの申し出にレックスはやや首をかしげるも、オイフェがここに至るまでにチラチラと自身の斧へ視線を向けていたのを思い出したのか、妙にそわそわとしているオイフェへいい男前な笑顔を浮かべた。

 

「重いから気をつけるんだぞ」

「はい、ありがとうございます……お、重いですね」

「はは、可愛い奴だ。顔を赤くさせちまって」

 

 重量のある斧を持ったからか、やや顔を赤く染めるオイフェ。

 それを見たレックスは、斧に興味を持ちつつも、シグルド達の前では恥ずかしさが勝り言い出せなかったであろうオイフェのいじらしさに目を細めていた。

 

 だが、レックスはオイフェが斧の重量を支えきれず、フラフラと湖畔の先へと近づくのを見て慌てて声を上げた。

 

「おい、オイフェ。気をつけろよ。そのまま湖に落っことさないように──」

「あ」

「ちょっ!?」

 

 レックスが心配した矢先に斧を湖へ落とすオイフェ。

 ややわざとらしさもあるオイフェのこのやらかしに、レックスは抗議しつつ沈み行く斧へと駆け寄った。

 

「お前人の物を!? ああ!? 俺の斧が!?」

 

 だが、レックスの抗議空しく、斧はみるみる湖へと沈んでいった。

 

「オイフェ! お前なんてことを──!」

「静かに、レックス公子」

「え?」

 

 尚も抗議を上げようとするレックスを、冷静に湖面を見つめながら遮るオイフェ。

 見ると、湖面は僅かに発光しており、辺りは濃い霧に包まれ始めた。

 

「な、何が……お、女!?」

 

 そして、湖面より薄い光と共に現れる一人の美しい女性……否、精霊。

 神秘的な雰囲気を放つ精霊は、綺羅の如く輝く二振りの斧を携えていた。

 

「貴方が落としたのはこの金の斧ですか? それともこの銀の斧ですか?」

 

 幻想的な光景に飲まれるレックス。

 傍らにいるオイフェは、どこかで見たような風貌の精霊を訝しむように見つめていた。

 しばらく沈黙が漂うも、レックスはおずおずと口を開く。

 

「い、いや、俺が落とした……落とされたのは、そんな立派な斧じゃない。普通の鉄の斧だ」

「貴方はとてもいいおとk……正直な方ですね。ご褒美にこの勇者の斧を授けましょう……」

 

 精霊はそう言うと、どこから取り出したのか光り輝く一振りの斧をレックスへ授けた。

 落とした鉄の斧より遥かに秀抜である“勇者の斧”を受け取ったレックスは、突然発生したこの事態に戸惑うばかりである。

 

「では斧戦士ネールの血を引く者よ……貴方の武運を祈っています……」

 

 そして、精霊は現れた時と同様に薄い光を発し、消え失せようとする。

 だが。

 

「待ってください!」

 

 それまで沈黙を保っていたオイフェが、その可憐な声を上げる。

 

「あら、貴方は……」

 

 引き留められた精霊は、そう言った後じっと見据えるようにオイフェの紅顔を見つめる。

 オイフェもまた、精霊の目を真っ直ぐ見つめていた。

 再び沈黙が漂う湖畔。

 物言わぬ少年軍師の思いを読み取った精霊は、やがて力なく首を振りながら言葉を発した。

 

「ごめんなさい。私では貴方の知りたいことは分かりません」

「……そう、ですか」

 

 残念そうにうつむくオイフェ。

 オイフェは、この超常ともいえる精霊の存在を知っていた。

 以前、レックスが勇者の斧を取得した時の逸話。シグルド軍では眉唾ものとして誰も信じようとしなかったのだが、オイフェは自身の“時”が巻き戻ったという超常現象を身を以て体験している。

 それ故、その原因を知りたく、こうしてレックスと共に精霊が現れる湖畔へとやって来たのだ。

 

 誰が、何の為に己の時を巻き戻したのか。

 そして、その現象を、一体どのような理で成し遂げたのか。

 それらを知りたく精霊へ心で問いかけるオイフェ。

 だが、残念ながら精霊はその答えを持っていなかったようだ。

 

「ですが」

 

 しかし、精霊は言葉を続ける。

 

「貴方からは大きな力のうねりが感じられます。それが、貴方にとって良い事なのか、それとも悪い事なのかは、私には分かりません」

「……」

「どうか、一つ一つの判断を間違えないように。聖戦の系譜を紡ぐ者よ……貴方の幸福を祈っています……」

 

 そこまで言った後、精霊は今度こそ薄光と共に姿を消す。

 霧が晴れた湖畔には、オイフェとレックスの姿しかなく、常の状態へと戻っていた。

 

「オイフェ……ありゃ、一体何だったんだ?」

 

 レックスがやや呆けたようにそう呟く。

 オイフェは、冷静に言葉を返してた。

 

「私にも詳しくは分かりません。ただ、この国には精霊にまつわる伝承がいくつも残っています。多分、その内のひとつでしょう」

「精霊……本当にいるんだな……」

 

 オイフェの言葉を受け、レックスは尚も湖面へと目を向けている。

 そして、己の手にある勇者の斧の重量が、それが現実であったのを証明していた。

 

「行きましょう、レックス公子」

「あ、ああ……」

 

 そして、オイフェはシグルドが待つ本隊へと戻るべく踵を返す。

 もはやここには用はないと言わんばかりにさっさと湖畔を後にする少年軍師。

 いい斧を持ったいい男は、戸惑いつつも少年の後に続いていた。

 

 

 

 


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