逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第61話『神託オイフェ』

 

 かつてユグドラルに於ける聖職者とは、あくまで自然崇拝を元とした精霊信仰の祭司でしかなく、読み書きや医術を治めてはいるも、魔術等の特別な能力は備えていなかった。

 しかし、ロプトウスと契約したガレがロプト教を興すと、ロプトの聖職者達は古代竜族の力を元にした超常の力を得るようになる。必然、ロプト教以外の宗教は、その力に抗えず排斥されていった。

 強大な力を背景としたガレは十二魔将の乱を経て、それまでのユグドラル統一国家だったグラン共和国を滅ぼすとロプト帝国を建国。皇帝となったガレの元、帝国内のごく一部の市民を除く異教徒達は、絶対的な階級制度の最下層──奴隷身分へと落とされる事となる。

 

 長く辛い弾圧と迫害の歴史。

 ロプト皇族である聖騎士マイラが、このような状況下の民衆を救済すべく、帝国へ叛乱を起こす事件もあった。しかし、即座に鎮圧され、マイラは処刑。相変わらず人々は苦難に苛まれ続けた。

 しかしマイラの叛乱は、ロプト教内で唯一の良心と呼ばれたマイラ派という宗派を形成する切っ掛けとなった。

 マイラ派はロプト神を土着宗教の神々の高位存在として位置づけ、神々の融和を図りながら帝国内の差別を無くすという教義を信仰し、そして布教した。

 当然、帝国がこれを許すはずもない。民衆への弾圧と同じ、いやそれ以上の迫害が行われ、マイラ派は隠れ宗教として密かに信仰されるに至った。

 

 十二聖戦士の一人、大司祭ブラギが、幼少の頃ロプトの生贄になるところをマイラ派の神官に救われ、アグストリア北方の島──オーガヒル島の西部にある彼らの隠れ里で育てられた事から、この地はブラギにとって特別な意味を持つようになる。

 神官としての教育を施されたブラギは、その後帝国の圧政に抗う反乱軍に参加。後にダーナにて運命と生命を司る聖戦士の一人となり、帝国打倒の聖戦に多大な貢献を果たした。

 

 聖戦が終結した後、ブラギは第二の故郷とも言えるマイラ派の隠れ里を訪れた。

 しかし、里は既に帝国軍により滅ぼされた後であり、自身を守り慈しんでくれたマイラ派の神官達の屍を見たブラギは、深い哀しみに包まれることとなる。

 そして、彼らの崇高な魂に報いる為、そして荒廃した世界を癒やすべく、ブラギはユグドラル土着宗教の流れを汲んだエッダ教団を興した。

 

 故郷であるエッダを本拠地としたブラギは、同時にマイラ派の隠れ里の跡地に巨大な塔を建立した。

 マイラ派の神官達への鎮魂の為、強大な己の力を封印する為、そして、後世への戒めを残す為に。

 ブラギの遺志により、彼の遺骨が塔に安置され神格化されるに至ってから、塔はブラギの塔と名付けられ、エッダ教の聖地として多くの巡礼者が訪れるようになる。

 

 塔内に残された祭壇石碑には、ブラギ自身が刻んだとされる後世への戒め──かつて己を救ってくれた者達のように、ロプトの者であってもその身を犠牲にしてまで人々を救ってくれた者達がいた事。故に、彼らを差別し、迫害してはならぬという、ブラギの切なる想いが残されていた。

 

 そして、ブラギの塔では、極々限られた者でなければ足を踏み入れることができないエリアが存在した。大司祭ブラギの直系血統を持ち、ブラギの神から神託を受けるに相応しき者だけが到れる場所。

 塔の最上階に位置する、祭祀場である。

 

「……」

 

 そこでは、静かに祈りを捧げ続ける一人の男がいた。

 エッダ公爵家現当主、そしてエッダ教団現教主。大司祭ブラギの直系子孫である、神父クロードだ。

 祈り続ける彼の表情は、神に祈るには些か険しい表情となっていた。

 

「神よ……」

 

 ブラギ神の力により、この世の真実を知る事ができる唯一無二の託宣。ブラギ直系が聖地にて祈りを捧げる事で可能とせしめるそれを、クロードは逡巡しながらも行使していた。

 しかし、それは無闇矢鱈に行使できるものではない。

 神託の政治利用を恐れた大司祭ブラギが、直系への過度な聖地巡礼を禁じていたからだ。

 クロードはその禁令を破り、こうして神託を受けていた。

 そして、それを破るのではなかったと後悔もしていた。

 

「なんという……」

 

 告げられた真実。

 暗黒教団がグランベル、いや、ユグドラル各国に深い根を張り、病毒のように中枢を蝕む現状。

 現在進行系で暗黒教団の陰謀が遂行されているというオイフェの言葉を裏付ける神託に、クロードは言葉を失う。

 そして、神託はそれだけではなかった。

 

「このままでは……」

 

 クロードが神託により視た未来。

 それは、クロードにとって受け入れ難い未来となっていた。

 暗澹たる思いに苛まれたブラギの直系。

 どれだけ祈っても、この暗い感情は晴れない。

 ブラギ神は、真実と未来を残酷に告げていた。

 

「……?」

 

 ふと、クロードは祭壇の中央に、神々しい気配を感じる。

 

「これは……!?」

 

 ブラギ直系だけが使用せしめる唯一無二の聖杖。

 前回聖戦以降、所在が知れなかった神器──大司教ブラギがこの地へ封印した神器が、クロードの目前に現れた。

 

「バルキリー……!」

 

 死の現在を覆し、生の未来へと回帰させる奇跡の聖杖。

 それは神聖魔法ナーガよりも希少で、この世の理を覆せる、ある意味ではもっとも重要な神器だった。

 

「あぁ……神よ……ブラギの神よ……」

 

 神々しいオーラを放つバルキリーの杖。

 クロードは、その神威を前にし。

 

「私は……私は……!」

 

 ただ、救いを求めるかのように、その場で跪いていた。

 

 

 

 

「ううん……初めて中に入りましたが、随分と散らかっていますね……」

 

 クロードの聖地巡礼に同行していた少年従者スルーフは、ブラギの塔下層にてクロードの帰りを待っていた。

 塔内は盗賊対策で複雑な迷路となっており、ブラギ直系でしか正しいルートは分からない。スルーフもクロードの誘導がなければとっくに遭難していただろう。

 必然、塔の内部は人の手が入っておらず荒れ放題である。

 スルーフは祭祀場には入れない為こうして手持ち無沙汰なままであったが、せめて清掃して待っているのがエッダ教徒の端くれとして正しい姿なのではと思った。

 よしと気合を入れ腕を捲ると、少年従者は清掃を始めた。

 

「……ん?」

 

 黙々と清掃を続けるスルーフ。

 しかし、ふと妙な気配を感じ動きを止める。

 

「誰かいるのですか?」

 

 そう問いかけるスルーフだったが、返事はない。

 塔の中に入ったのはクロードとスルーフのみで、護衛の者達は皆外で待機している。

 塔内は迷路であるが故、誰かが入ったとしてもここまで来れるはずもない。

 困惑するスルーフ。

 すると、ぼんやりと人の影が浮かび上がってきた。

 

「お前は誰だ」

「えっ?」

 

 突として声をかけられたスルーフ。

 硬直していると、徐々に人影が実体化していく。

 

「レ、レックス公子!? どうしてここに!?」

 

 どうみてもいい男です。本当にありがとうございました。

 などと言いたくなるほど、実体化した者はレックスに瓜二つだった。

 ちなみにスルーフはエバンスを経由した際、なにかと有名なレックスの姿を目撃している。

『これがあのドズルのいい男……!』と、スルーフは戦慄しながらその勇姿を目に焼き付けていたので、レックスの姿を見紛うはずもない。

 

「私はいい男ではない。エリートの神だ」

「いやどうみても……」

 

 しかしそれを否定し、あまつさえ神を自称するレックスもどき。

 スルーフは困惑し続けるのみであった。

 

「まあそれはいいとして私の問いに答えろ。お前は誰で、ここで何をしている?」

「よくはないんですけど……えっと、私はエッダ公爵家当主クロードの従者、スルーフと申します。神父様をお待ちしている間こちらの掃除をさせて頂いております」

「ウホッいい子供」

「は?」

「殊勝な心がけで実に天晴なる少年よ。エリート神である余が直々に褒美を取らせようぞ」

「なんでいきなり口調が変わったんですか?」

 

「情緒不安定なのかな?」というスルーフの呟きをスルー(スルーフだけに)しつつ、エリートの神はごそごそと股間を弄るとズルリと一振りの杖と一冊の書を取り出した。

 

「いやどこから」

「では少年従者よ。引き続きエリートを信奉するがよい。サラダバー」

 

 スルーフの言葉を遮りつつ生暖かい杖と書を押し付けたエリートの神は、そのまま霞がかかったように虚空へと姿を消した。

 静寂に包まれる中、「えぇ……」と困惑するスルーフ。とりあえず杖と書はすぐに捨てたくなったが、かろうじて思いとどまっていた。

 

「スルーフ、待たせましたね」

「神父様」

 

 そこへ、クロードが祈りを終え階下へ戻ってきた。杖と書を嫌そうに持っているスルーフに気付く。

 

「スルーフ、その杖と書は一体どうしたのですか?」

「えっと、これは……」

 

 スルーフは心底嫌そうに今起こった事をクロードへ説明した。

 ふむ、と一考し、クロードはスルーフへ応える。

 

「ブラギの塔は元々はマイラ派の隠れ里でしたが、それより以前は土着宗教の聖地でもあったそうです」

 

 ロプト教やエッダ教の信仰が布教される以前、ユグドラルは精霊を崇める土着宗教が信仰されていた。

 その精霊信仰の流れを組みつつ、新たに竜族信仰を加えた宗教体系を作り上げたのが、大司祭ブラギであり。

 故に、ブラギの塔では、それまで信仰されていた精霊の残滓、または精霊そのものが現界してもさほど不思議ではない。

 

「とはいえ、何故精霊がレックス公子の姿を借りたのかは分かりませんが……」

 

「まあ彼はいい男ですからね」というクロードの説明に、スルーフは「それもそうか」と、とりあえず納得するのであった。

 

「ですが神父様。この杖は私には扱えないようですし、書はほとんど欠落していて読めません。なぜ精霊(エリート神)はこんなものを私に授けたのでしょう?」

「精霊の御心を知る術は私にもありません。ただ、必ず意味はあると思います」

「はあ……」

 

 朽ちた枝にしかみえない古びた杖。そして、何も書かれていない表紙に歯抜けのように抜け落ちた書。

 しかし、杖はともかくとして、書はクロードにとって覚えのあるものであった。

 

「スルーフ、その書はもしかしてブラギの書ではないでしょうか?」

「えっ、これが?」

 

 十ニ聖戦士にまつわる書は、かつて大司祭ブラギが聖戦の最中に書き残したと言われている。聖戦士の力が込められし書は、持つ者に様々な加護が与えられるとも言われていた。

 しかし、聖戦後の混乱期で各聖戦士の書は散逸し、エッダの祖であるブラギの書ですら、エッダ公国に現存している書は一部分のみであった。

 

「間違いありません。これは失われたブラギの書の一部です」

「そんな……なんであんなのがブラギの書を……」

 

 スルーフから書を受け取り、まじまじと見やるクロード。

 直系でしか感じ取れぬ聖なる気配を受け、クロードは感慨深い表情を浮かべていた。

 

「ブラギ神の御力が込められたありがたい書ですよこれは。その証拠に、持つと妙に暖かい」

「でしょうね」

「?」

「あ、いえ、なんでも……」

 

 しかし書は人肌のようなぬるい温度を保っており、スルーフはうっへりと滅入った表情を浮かべていた。

 

「返しますよスルーフ。これは貴方が持っていなさい。ブラギの加護が貴方を守ってくれることでしょう」

「は、はい……うわっまだ温かい……やだなぁ……

 

 嫌々書を受け取るスルーフ。

 神々しいオーラと生々しい人肌温度により、スルーフの情緒は迷走の一途を辿っていた。

 

「神父様、この杖もブラギ神に由来するものなのでしょうか?」

 

 スルーフは何かに逃避するかのようにクロードへ杖を差し出した。

 受け取ったクロードは、同じようにまじまじと見つめる。

 しかし、僅かに首を振った。

 

「これはよく分かりませんね。魔力が込められているようですが、使えるわけではなさそうですし……ただ、先程も言いましたが、精霊が授けたからには何かしらの意味はあると思います。これも、しかるべき時まで貴方が持っていなさい」

「は、はい……もう捨ててもいいかなこれ……

 

 そう言って杖を返すクロード。

 これもほっこりとぬるい温度だったので、スルーフは嫌そうに受け取っていた。

 

「さあスルーフ、船へ戻りましょう。急いでエバンスへ戻らねば」

「はい、神父様」

 

 スルーフはそこで初めてクロードが何か焦燥している様子なのに気付いた。

 しかし、特に異を挟まず、クロードへ追従するスルーフ。

 二人は外で待機していた護衛と共に、船を係留している漁村へと向かっていった。

 

 そして。

 杖と書を嫌々抱えるスルーフに対し。

 クロードは、その手に何も持っていなかった。

 

 

 


 

 クロード達はオイフェが事前に手配していた船便によりブラギの塔を訪れていたが、その船、そして護衛は、オイフェの委託を受けたミレトス商人──エバンス商会会頭アンナが用意していた。

 そして、彼女は自らクロードの巡礼に同行していた。

 オイフェから託されていた、もう一つの依頼をこなす為である。

 

「お久しぶりですね、お頭」

 

 オーガヒル島東部。

 クロード達がブラギの塔へ巡礼している間、アンナは僅かな供回りだけを連れ、オーガヒル島東部にある砦へ向かっていた。

 事前に取り付けをしていたのか、彼女はすんなりと砦内へ通されると、そこの頭目と思われる老齢の女性と対面していた。

 

「久しいねえ、アンナの嬢ちゃん。相変わらず色っぽい女だ、お前さんは」

 

 アンナを出迎えた老女は、口角を引き攣らせながらそう言った。

 彼女はアグストリア近海を縄張りとする、オーガヒル海賊団の女頭目である。

 名は、エーヴェルと言った。

 

「エーヴェルのお頭もお変わりなく……」

 

 そう返したアンナ。

 しかし、上座に座るエーヴェルの顔色は些か生気が無く、見るからに体調が優れてなさそうだった。

 

「まあ、変わりないといえば変わりないねえ。もう長くはないだろうね、あたしゃ」

「またそんな」

「事実さ」

「いえ、お頭にはもっと長く生きて頂かないと困りますので」

「おためごかしはいいよ。で、今日は何の用だい?」

 

 海賊らしく、回りくどい挨拶を嫌い本題を促すエーヴェル。

 アンナは苦笑をひとつ浮かべていた。

 

 エーヴェル率いるオーガヒル海賊団とアンナのエバンス商会は、中々に複雑な関係を築いていた。

 元々、オーガヒル海賊団はオーガヒル島を根城とする海賊団の一つであり、若き時分のエーヴェルが頭目となってから、無数の海賊団を傘下に収める一大海賊団へと成長していた。

 そして、オーガヒル海賊団はただの無法者というわけではなく。

 

 オーガヒル島の西端にあるブラギの塔へ巡礼する者達は、通常アンフォニー王国領海を通行する。

 エーヴェルが海賊統一を果たす前は、この巡礼者の船を狙った海賊行為が横行していた。本来海上警備を担うアンフォニー軍は、海賊から賄賂を受け取り、この暴挙を見て見ぬ振りをしていた。

 しかし、エーヴェルが海賊団の統一をしてから、それは一変する。

 通行する船から通行税を徴収し、場合によってははぐれの海賊、そして海賊を装ったアンフォニー軍の襲撃から、船舶の護衛をするようになった。

 とはいえ、税を拒む船は容赦なく襲いかかっていたので、彼女らは完全に義賊というわけではない。もっとも、税を拒むのは大抵悪徳商人の船か同業の海賊船であったのだが。

 

 そして、収奪した戦利品を売り捌くルートが、アンナの商会であった。

 若くして大商人となったアンナも、清廉潔白な商いだけでのし上がったわけではないのだ。

 

 このような関係を築いていたエーヴェルとアンナ。

 クロード一行が安全且つ迅速にブラギの塔へ到れるのも、アンナでなければ成し得ぬ事であり、それを理解していたオイフェがアンナへ船便の依頼をするのも当然である。

 

 そして、オイフェがアンナへ託していたもうひとつの依頼。

 それは、アンナにとっても興味深く、そして野心をそそられるものでもあった。

 

「ではお頭。おひとつ伺いますが、この先海賊団をどうするおつもりですか?」

 

 アンナは苦笑をひっこめると、ひどく真面目な表情でそう言った。

 エーヴェルは予想だにしていないこの言葉に虚を突かれるも、やがて同じように真顔で応えた。

 

「どうもこうもないよ。ブリギッドに跡を継がせて、今まで通り海賊稼業に精を出すだけさ」

 

 この場にはいない跡継ぎの名が出ると、エーヴェルの後ろに控える数人の海賊達は、眉間に僅かな皺を寄せた。

 それを目ざとく見とどめたアンナ。

 ずいと身を乗り出すと、エーヴェルへ囁いた。

 

「お頭、お人払いを。今日のお話は、そのブリギッド様に関わるお話でもあります」

「……お前たち、ちょっと外しな」

 

 エーヴェルはまたも虚を突かれるような表情を浮かべたが、アンナのただならぬ様子を受け控える海賊達へそう言った。

 幾人かは逡巡したが、やがて不承不承といった体で部屋を後にする。

 残ったのは、エーヴェルとアンナだけであった。

 

「これでいいかい? にしても、密談するならもう少し上手にやりたいんだけどねぇ」

「ごめんなさい、あまり時間が無いものですから……」

「いいよ。で、話はなんだい?」

 

 変わらず回りくどい事を嫌うエーヴェルに、アンナは早々に本題を語り始めた。

 

「一言で言えば、オーガヒル海賊団を丸ごとグランベル属州領で抱えたいというお話ですね」

「なにっ!?」

 

 三度目の虚。

 予想だにしなかったアンナの言葉に、エーヴェルは今度こそ呆気に取られていた。

 ややあって落ち着いたエーヴェルは、怪訝な表情を隠そうともせずアンナへ応えた。

 

「アンナ。冗談も程々にしな。どこの世界に海賊団を丸ごと手下にするお貴族様がいるっていうんだい」

「エバンスにいますけど……」

「そういう話じゃないよ! あんたは信用できるが、グランベルの貴族なんて信用できないよ」

 

 かつての聖戦に於いて、海賊や盗賊が聖戦士の旗に集う事はあった。しかし、海賊団が丸ごと国家に登用される事例は、ユグドラル大陸史に於いてひとつもない。

 戦闘のみならず、時には略奪行為を行う傭兵団であっても、彼らは国家や貴族と一時的な雇用関係を結び、平時は法に従う存在である。海賊団や山賊団は純粋な犯罪集団であり、有事平時に関わらず、国家がそれを討伐する事はあれ雇用する事は無い。

 故に、エーヴェルの疑念はもっともだった。

 

「では逆にお尋ねしますが、お頭はこのままオーガヒル海賊団が義賊として存続すると思いますか?」

「ブリギッドがうまくやるだろうさ。そこは心配していないよ」

「本当にそう思っています?」

 

 じっとエーヴェルを見据えるアンナ。

 言わんとしている事を察したエーヴェルは、口重たそうに言葉を発した。

 

「……時間はかかるだろうが、ドバールやピサールも……手下共も、いずれはブリギッドに従うと思うよ」

 

 数多の海賊団を傘下に収めるオーガヒル海賊団であったが、その内情は一枚岩とは言い難い状況だった。

 元々エーヴェルの元で働いていた生え抜きはともかく、エーヴェルの軍門に下った一部の者達は、エーヴェルの不調と比例するかのように徐々にその本性を露わにしていった。

 義賊として慣らしたオーガヒル海賊団であるが、一皮向けば平然と犯罪に手を染める悪党がいるのは変わらない。

 

「それはどうでしょう? 私が思うに、ドバール様やピサール様は、義賊としてのオーガヒル海賊に不満を持っているようですけど?」

「……」

 

 アンナの不穏な言葉に、エーヴェルは怪訝な表情を強めていた。

 互いによく知る間柄。当然、アンナはオーガヒル海賊団の内情もよく知っていた。

 続けるアンナは、口角を妖艶に引き攣らせた。

 

「ですから、本来の海賊に戻ってはどうです?」

「なんだって?」

 

 不穏を通り越して物騒な発言をするアンナ。

 エーヴェルは何度目か分からぬ驚愕を露わにした。

 

「上手く行けば大儲けできますよ。諸々仔細を詰める必要がありますので、一度どなたか……そうですね、ブリギッド様にエバンスへいらして頂く必要がありますが」

「アンナ。あんた、あたしらに何をさせるつもりだい? どうしてブリギッドを──」

「お頭」

 

 疑念を呈すエーヴェルを遮り、アンナは続けた。

 

「ブリギッド様の素性、薄々気付いているのでしょう?」

「っ!」

 

 養女として迎えた跡継ぎ──ブリギッドの素性。

 エーヴェルは動揺を露わにするも、何か達観したような表情を浮かべた。

 

「……そうかい。あんたには何もかもお見通しってことだ」

「私だけの知見ではないですよ」

「じゃあ、あんたにこの話を持ってこさせた奴が大したタマだってことだね」

 

 そう言ったエーヴェルは、変わらず薄い笑みを浮かべるアンナを見やる。

 その表情は、少し疲れてはいるも、何かを決意した表情でもあった。

 

「まあブリギッドをそっちへやるのはいいよ。あの子にとってもその方が良いだろうしね。でも、海賊をするって言っても、そこらの船を襲うわけにはいかないよ。ここらに住んでる連中を今更裏切るわけにはいかないしね」

「それは心配なさらず。もっと稼ぎ甲斐のある獲物を紹介しますから」

 

 そして、アンナは今日一番の、悪辣な笑みを浮かべた。

 

「オーガヒル海賊にはアグストリア諸侯連合の軍船、及び輸送船を狙っていただきます。もちろん、我々エバンス商会、そしてグランベル属州領の全面的な支援を約束致しますわ」

 

 アンナの言葉に、エーヴェルは今度こそ言葉を失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※オーガヒル海賊の前頭目は男ですし序章が始まった時には既に死亡してたっぽいですが、記憶喪失で自分の名前も分かんないけどかすかに記憶に残るお世話になった人の名前をとりあえず名乗るのいいよね!ってアトモスフィアが好きなので捏造しました。

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