逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第60話『挨拶オイフェ』

 

「あ、起きた」

「……デュー殿」

 

 不覚にも卒倒してしまったオイフェであったが、目覚めるのにそれほどの時はかからなかった。

 急遽運ばれたエバンス城の私室にて目を覚ますと、すっかり女房役が板についたデューの姿があった。

 

「お見苦しいところ見せてしまいましたね……」

「気にしないでよ。それより具合はどう?」

「ええ。もう大丈夫です。ありがとうございます、デュー殿」

 

 ほわりとした空気が少年達の間に漂う。にこりと微笑んだデューは水差しから一杯の水を注ぎ、オイフェへ手渡した。

 

「ほい、お水」

「ありがとうございます」

 

 コップを抱えるようにして一口飲み下す。

 冷たく喉を潤してくれるその感触は心地よかった。

 人心地がつき、オイフェはほうと息をつく。しかし喉の飢えは未だ収まらず。また水を口に含んだ。

 

 

「拙僧にも一杯いただけますかな」

「ブーーーー!!!」

(きたな)っ!?」

 

 突如聞こえた中年僧侶の声。オイフェは盛大に水を噴出し、デューへぶっかけていた。

 

「ア、アウグスト殿……!」

 

 むせながらそう言ったオイフェ。

 デューの向こう正面に座っていたアウグストは、にんまりと脂ぎった顔をオイフェへ向けていた。

 

「いやぁ、失敬失敬。まさか突然倒れるとは思いませんでしてな」

「い、いえ、それは別に……しばらくぶりです、アウグスト殿」

 

 差し障りない挨拶を交わしつつ、オイフェはじろりとデューを睨む。デューはそれに気付いていながらも、どこ吹く風で付着したオイフェ汁の除去に勤しんでいた。

 

「いやはや。男子三日会わざればとは言いますが、随分と逞しくなりましたな」

「は、はぁ……ありがとうございます」

 

 じろじろと無遠慮な視線を向け続けるアウグストに、オイフェは努めて表情に出さないようにしていたが、少々頬が引き攣っていた。

 

「ふむ……」

 

 そのようなオイフェへ、アウグストはまんじりとした眼光を浮かべた。

 

「色を知りましたな。それもごく最近」

「うぇ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまうオイフェ。相変わらず予想外の方向で攻めてくる軍師僧侶に狼狽する。

 

「ぬふふ……若い内は何かと加減が効かぬもの。まあ男などそういうものではあるが、あまりおなごに負担をかけないようにするのもシアルフィ男子の嗜みと存じますがな」

「あ、それは大丈夫だと思うよアウグストのおっちゃん。姐御も割とえっちだし」

「ほう? 姐御とな。年増を相手に選ぶとは、いや、オイフェ殿も中々」

「二人して何の話をしているのですか……」

 

 己が気を失っている間、デューとアウグストはすっかり親睦を深めていたようだ。

 デューと相性が合わない人間は中々いないだろうが、それでもこの偏屈坊主とも仲良くなってしまうデューの無邪気。

 出会いたくない相手がいつの間にかエバンスにまで迫っていた事は少々恐怖ではあるが、この場でデューがいればそこまでひどいことにはならぬだろうと、オイフェは僅かに安堵のため息をもらしていた。

 

「ところで、随分とまた難儀を抱えておるようですな」

 

 しかし、アウグストが懐から書簡を取り出すと、オイフェの表情は途端に引き締まった。

 いつの間にか、アウグストもまた真剣な面持ちになっていた。

 

「ごめんオイフェ。でもおいら、アウグストのおっちゃんにも協力してもらった方がいいと思うんだ。シグルドさん達に話す前に」

「デュー殿……」

 

 オイフェはそう言ったデューを見てため息をひとつ吐いた。無論、安堵からではない。アウグストが取り出した書簡は、自身にもしもの時があった時用に認めた陰謀の全容、そして今後の方針だった。

 それをアウグストに読まれてしまったという事実。しかし、オイフェはデューの独断、そして情報漏洩を責めるつもりはなかった。そもそもクルト王子の存在を直に見られている以上、隠し通す事は不可能だった。

 そして、客観的に見ればデューの意見はもっともだとも思っていた。

 そもそもで言えば前世で共に轡を並べた仲。むしろアウグストの知略は、陰謀に立ち向かう上で万馬の援軍にも等しい代物だ。

 方針の違いで対立する事を恐れてはいたが、エッダ城で邂逅した時と今では状況が違う。

 腹を括ったオイフェは、アウグストへ向き直ると、口を開いた。

 

「既に書簡に目を通したのであれば、我々を取り巻く現状はご存知かと思います。その上で──」

「あいや、待たれい」

 

 アウグストは片手を突き出すと、オイフェの言葉を制した。

 

「この書簡の真偽はクルト王子がエバンスにいる事実を鑑みれば疑う余地はありませぬ。諸侯の叛逆は現実、そしてその背後に暗黒教団がいる事も。クロード神父が突然聖地へ向かったのも頷けますな。それから、エバンスの軍拡はそれらと相対する為の布石だったのも今となっては理解できる。ついでにディアドラ殿の警護が厳重だった理由も、クルト王子の落胤だったのであれば不思議ではない。しかし──」

 

 一呼吸置き、アウグストは言葉を続ける。

 

「ふたつ、分からぬ事がある」

「なんでしょう」

「まずひとつ。アルヴィス卿よ」

 

 アルヴィスの名が出た瞬間、オイフェの瞳に冷たいものが浮かぶ。

 

「陛下の信任が厚いアルヴィス卿が何故暗黒教団と手を組んでまで王権簒奪を狙ったのだ? 彼は曲がりなりにもファラの聖戦士。決して闇の勢力に染まるような人間ではありますまい」

 

 そう疑問を呈すアウグスト。オイフェは平静にそれに応えた。

 

「それは私にも分かりません。ですが、アルヴィス卿と暗黒教団が諸侯の叛乱を煽り、裏で絵図を描いているのは間違いありません」

 

 オイフェは全てを伝えるつもりはなかった。

 アルヴィスが聖者マイラの血──暗黒神ロプトウスの系譜を抱いている事実。

 そして、それは母を同じくするディアドラもまた同じ。その事実を知っているのは、暗黒教団以外ではシグルドとオイフェ、デューとレイミアの四名だけだった。

 

 ちなみに、シグルドはオイフェ達がそれを知っていると思ってはいない。最愛の妻の秘密は、己だけが知り、そして墓まで持っていく秘密だと認識していた。

 当然だ。前回の聖戦から百年経過したとはいえ、未だロプトに対する弾圧は凄まじいものがある。暗黒神の血統であると知られたが最後、ディアドラは火炙りを免れない。

 

 そして、ディアドラがクルト王子の落胤であり、唯一残されたナーガ直系であると判明した今。

 ディアドラの暗黒の血統は、絶対に守り通さねばならぬ秘密であった。かつてオイフェの前世に於けるセリスやユリアとは状況が違う。あれはユリウスという分かりやすい巨悪をセリスらが打倒したからこそ許される、ユグドラルの歪な矛盾だったのだ。

 公にすれば誰も喜ばない。暗黒教団以外は。

 

 オイフェの説明に少々訝しむような表情を浮かべたアウグストだったが、まあよいでしょうと呟き、次の問いを口にした。

 

「ではもうひとつ。オイフェ殿はどのようにして暗黒教団の陰謀を知り得たのか。ぜひそれを教えて頂きたい」

「……」

 

 アウグストからの鋭い指摘。やはりそこを突いてきたかと、オイフェは内心舌打ちをした。

 何故陰謀を知っているのかと言われれば、単に己が逆行人生を生きているからなのだが、その事実をアウグストへ伝えるのは問題があった。

 アウグストがそれを信じる信じないという話は問題ではない。多少は懐疑的になるだろうが、そうでなければ説明がつかないのをいずれ悟るだろう。

 

 問題なのは、オイフェの行動、そして方策が、公平性に欠けていると判断しかねない事だった。

 暗黒教団の野望を阻止せんべく策動するオイフェ。同時に、シグルドとディアドラの幸せな未来、そしてシグルドの元に集った勇者達の幸福を願うオイフェ。

 そして、アルヴィスへの復讐を果たさんとするオイフェ。

 それは私心が多分に混じる、利己的な姿だった。

 

 アウグストは僧侶でありながら辛辣で過激な現実主義の徒であったが、恐ろしく公明正大な男でもあった。そして、そのような信念にどこまでも誠実であろうとする。

 オイフェの前世──アルヴィスへの底知れぬ憎悪を知れば、呆れるか、それとも侮蔑するか。どちらにせよ、ナンセンスだと切って捨てるだろう。

 現実的なアウグストなら、今のアルヴィスはシグルドも殺していないし、ディアドラも奪っていないと断じ、アルヴィスを暗黒教団から離反させるべく行動を開始するだろう。いや、先ほどの会話からして、既に具体的な離間策を考えているのかもしれない。

 

(それは出来ぬな)

 

 そう思考したオイフェ。怜俐な空気を察したのか、デューが心配そうにオイフェを見つめていた。

 そのデューへ、オイフェは人形のような無機質な笑みを向けた。

 

「……私がこの陰謀を知ったのは、我が祖父スサールが陰謀の兆候を掴み、その調査をしていたからです。私は祖父の死後、それを引き継ぎました」

 

 結局、オイフェはクロード神父へ語ったのと同様の詭弁を用いた。

 滔々とそれらしい事を述べるオイフェに、アウグストは顰みながらも黙って聞いていた。

 

「ふむ」

 

 やがて、アウグストは何か考え込むように腕を組んだ。

 

「……まあいいでしょう」

 

 その言葉は、オイフェの嘘を見抜いているようだった。しかし、この場でそれを追求するような真似はしない。アウグストは鷹揚に構えると、話を続けた。

 

「さて、拙僧がどこまでお役に立てますかどうか……されどこの知。オイフェ殿に預けると致しましょう」

「アウグスト殿」

 

 オイフェは感謝の言葉を述べようとしたが、アウグストはそれを手で制した。

 

「オイフェ殿」

 

 アウグストはじっとオイフェの瞳を覗く。僧侶らしく咎人を説教するような、そのような瞳を浮かべていた。

 

「流れた血は元には戻りません」

「え──?」

 

 唐突に言い放たれたアウグストの言葉。戸惑うオイフェに構わず、アウグストは続けた。

 

「その血を価値あるものにするか否か……それこそが肝要ですぞ。オイフェ殿」

「……」

 

 アウグストの言葉は、オイフェの深層を穿っていた。

 

「……お言葉、胸に刻みつけます。アウグスト殿」

 

 オイフェは深く一礼した。その心境は、隣で見ていたデューですら推し量れぬものだった。

 

 それから、軍師二人は当面の打ち合わせを始めた。

 程なくして議論は終わり、オイフェはシグルドらが集まる大広間へと赴いた。

 

 

 


 

 エバンス城

 大広間

 

「シレジア天馬騎士団に所属するフュリーと申します! 宜しくお願いします!」

 

 オイフェが大広間へ至る少し前、大広間では天馬乙女の上ずった声が響いていた。

 緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ぎこちない礼をシグルドへ向ける愚直な女騎士。

 シレジア四天馬騎士の一人に数えられ、女王ラーナの守護を務めるうら若き乙女の名は、フュリーと言った。

 

「初めまして。グランベル聖騎士、属州領総督シグルドと申します」

 

 そのようなフュリーへ微笑みながら挨拶を返すシグルド。柔和なシグルドの声を受けても、フュリーはガチガチに緊張していた。このような場に慣れていないのか、終始身体を硬くしている。

 シグルドに続き、この場に集まった主だった者達も、努めて優しく挨拶の言葉を天馬乙女へ向けた。

 

「ノディオン国王エルトシャンだ。宜しく頼む」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「レンスター王太子キュアン。音に聞くシレジア天馬騎士の槍捌き、是非とも拝見したい」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「キュアンの妻のエスリンです。よろしくね、フュリーさん」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「ユングヴィ公女エーディンと申します。よろしくお願いしますね」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「僕はヴェルトマー公子のアゼルといいます。あの、フュリーさん。そんなに緊張しなくても」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「ティルテュどえーす」

「フュリーどえす! 宜しくお願いします!」

「レックスっス」

「フュリーです! いい男っスね!!!!!」

 

 ぐるぐると目を回しながら挨拶を返すフュリー。だいぶいっぱいいっぱいなその様子に、シグルド達はちょっと心配になっていた。

 しかし無理もない。フュリーはシグルド軍にここまで各国の貴人が集まっているとは露ほども思っていなかったからだ。

 

「と、ところで、エバンスに赴いた理由は何でしょう?」

 

 シグルドは居住まいを正しつつフュリーへそう言った。

 相変わらず酩酊したようなフュリーだったが、懸命に来訪の理由を告げた。

 

「はい! あ、あの、エバンスはとてもとても発展しているのですごい羨ましいのですが! その! シレジアも中々負けてないというか! まあそれは今は関係ないんですけど! すいませんちょっと関係しているのですけど! 街が発展してるとたくさん人が集まりますよね! これくらい人が集まってたらすっごい楽しいと思いますけど! それは置いといてですね!!」

 

 だめだった。

 フュリーはもう色々限界だった。

 一体何をしに来たのだと一同が怪訝な表情を浮かべたところで、オイフェがアウグストを伴い大広間へ現れた。

 

「シグルド様、おまたせしました」

「オイフェ」

 

 ぺこりと頭を下げる少年軍師。その体調が良さそうなのを見て、シグルドは安堵の表情を浮かべていた。

 オイフェは集まった面々を見て、幾人か姿が見えないのに気付いた。

 

「シグルド様。殿下とディアドラ様は」

「ああ。今、殿下は別室でお休みになられている。ディアドラがついているよ」

「そうですか。では、アイラ殿は」

「アイラ? 彼女は練兵場に用があると言っていたが……そういえばホリンともうひとり剣士がいたね。彼の事もあとで教えてくれ」

 

 はいと返事を返すも、まあ仕方ないかと思うオイフェ。できれば全員揃った状態が望ましかったが、後ほど詳しく説明すれば良いだけだと切り替えていた。

 

「でもオイフェ、タイミングが悪かったね。今、シレジアから使者が来てて──」

 

 シグルドの言葉を受け、オイフェはちらりとフュリーの姿を見る。記憶に残る天馬騎士の初々しい姿。ちっとも変わらないその微笑ましく残念な姿に、オイフェは懐かしい想いを感じていた。

 

「フュリーさんですね。属州総督補佐官のオイフェと申します」

「フュフュフュリーです!!」

 

 あわあわと目を回すフュリーへ挨拶をするオイフェ。隣のアウグストはフュリーを訝しむように見た後、オイフェへ小声で話しかけた。

 

「これもオイフェ殿の想定内なのですかな?」

「少し時期は早まりましたけど、まあそうですね」

 

 どうやらフュリーの来訪はオイフェの思惑通りらしい。アウグストはにやりと口角を引き攣らせ、少年軍師の大計略に心を滾らせていた。

 

「フュリーさん。エバンスへいらした理由は、レヴィン王子の捜索で」

「はいそうです!!!」

 

 さらりと重大な事を述べたオイフェに食い気味で返事をするフュリー。

 外交的な駆け引きが完全に欠如したそのやり取りに一同は一瞬放心するも、やがてざわざわとざわめき始めた。

 それを無視し、オイフェはシグルドへ向き直る。

 

「シグルド様。これから話す内容はシレジアも関与する話です。フュリー殿が同席した状態でも構いません」

「そ、そうか。しかしオイフェ、レヴィン王子の捜索とは一体……」

「それを含めてお話します」

 

 少年軍師の冷静な声が響く。

 混沌とした大広間が、にわかに緊張を帯びていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おら行け!(リフィスを突っ込ませるアウグスト)

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