逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第六章
第59話『天馬オイフェ』


 

 オイフェが聖者マイラ──暗黒神ロプトウスの血統にどのような想いを抱いていたのか、同じ時代を生きた者達の間でもその印象は大いに異なっていた。

 聖王セリスが示したのと同様、ロプトの者へすら深い慈愛の心を持っていたと断ずる者もいれば、苛烈なまでに憎悪を抱いていたと断じる者もいた。

 実際にどうであったのかは定かではない。憎悪に塗れたオイフェの臨終に立ち会ったユングヴィ公爵レスターですら、その判断はなんとも難しいと感じていた。

 とはいえ、ある人物が士官学校で行った講義、それがもたらしたちょっとした混乱の後始末をしたオイフェを見れば、それはある程度想像する事ができた。

 

 光の公子セリスが聖戦の系譜に導かれし勇者達と共に暗黒神を打倒し、グランベルの聖王としての王道を成した後。

 各国の貴族子弟の留学生のみならず、平民の士官候補生も受け入れるようになったグランベル王立士官学校では、先の解放戦争の戦史講義が盛んに行われていた。

 平民階級としては初の士官学校学長に就任したディムナの努力の甲斐もあり、解放戦争の当事者達──各国の指導者となった王侯貴族も教授として講義に加わる事となり、当時の状況を覚えている限り生徒達へ伝えていた。

 これは軍学というより、悲劇を繰り返してはならぬという道徳教育の側面が強かった。

 

 そして、レンスター解放戦争で智謀を振るったブラギの僧アウグストもこれに参加をしていた。だが、他の講義が複数回、数日かけて行われるのに対し、アウグストの講義はたった一日で終わっている。

 要はアウグストの毒気に当てられた生徒達がよからぬことを考え出しては困るので一日で打ち切ったのだが、解放戦争が終結し一介の僧侶となったアウグストが、戦争当時では考えられぬほど穏やかな人間となり、それに幻惑されて進講を依頼したディムナの責任も多大にあったのは確かである。

 ともあれ、燃え尽きる前の蝋燭が盛大に炎を上げるように、枯れ果てた老僧侶アウグストが久方ぶりに本性を現したその講義は、ただ聞いているだけで良い他の講義とは違い、生徒達へひどく頭を使わせる教授法となっていた。

 

 彼は解放戦争を戦史、戦訓という過去の事実として伝えず、つい先ほど起きた事、あるいは現在進行系で発生している事象として語った。様々な困難、それで生じたあらゆる出来事を疑わせ、もっとよい解決案がないかと考えさせた。

 本来の士官学校らしい授業風景となってはいたが、戦史を軍事的な事例研究(ケーススタディ)として扱うのは当時としては異例であるし、なによりアウグスト自身が士官教育(オフィサー・エデュケーション)を受けた事は無く、その軍学は全て実戦のみで培ったという事実が、生徒達に異様な緊張感を与えていた。

 

 更に生徒達を当惑させたのが、当時の帝国軍──ロプト教団の立場となり、セリス率いる解放軍を“敵軍”として想定した事例研究だった。

 帝国軍が解放軍に敗北した要因を分析し、どうすれば解放軍を撃滅できたのかを語り、あまつさえ当時の帝国軍を慮った事も口にしていた。

 不敬どころか、一歩間違えば叛乱と見做されるような事を平然と述べるアウグストに、生徒達が戦慄したのは言うまでもない。実際、ある生徒(彼はバーハラ出身の貴族だった)は激高してアウグストを批判した。

 

「尊崇だけでは戦に勝てぬ」

 

 老怪僧はこのように切って捨て、批判者を黙らせていた。数多の敵軍をその智謀で屠って来た凄味が、実戦を知らぬ若者達へそれ以上の抗弁を許さなかった。

 静まりかえった教場を見回しながら、アウグストは続けた。

 

「解放戦争終盤、ユリア皇女がロプト大司教マンフロイに拐かされたことがあった」

 

 トラキア半島での戦闘を終わらせた解放軍がミレトス地方ペルルークへ進軍した時。つかの間の休息、その間隙を突かれたのか、大司教マンフロイによりユリア皇女が誘拐されるという事件が発生する。

 この時はまだユリアがナーガの血統──皇帝アルヴィスと皇后ディアドラの娘であり、セリスの異父妹である事実は隠されていたのだが、ユリアの失踪は解放軍が暗黒神ロプトウスへの直接的な対抗手段を喪失していた事を意味していた。

 当然、暗黒神の化身である闇の皇子ユリウスは、マンフロイへユリアの処刑を命じた。

 ロプトウスを廃滅せしめる手段は神聖魔法ナーガのみ。例えナーガを除く十一の神器が束になってかかろうとも、ユリウスへ致命を与える事は不可能だったからだ。

 

 しかし、マンフロイは洗脳術を以てユリアを支配下に置くようユリウスへ具申した。そして、ユリアを解放軍の矢面に立たせた。

 セリスを含め解放軍の精神的な癒やしであり、支えであったユリアを敵対させるという悪辣。セリスによる懸命な説得も虚しく、ユリアは闇に囚われ続けていた。

 

 だが、様々な困難に打ち勝ち、マンフロイを直接打倒したセリス。ユリアの洗脳は解け、兄妹は手を取り合い──ついには、ナーガの光を以て暗黒神ユリウスを倒した。

 

 客観的に見れば、マンフロイのこの失策により、解放軍は勝利を掴んだということになる。誘拐に成功した時点で、マンフロイはユリアを殺害するべきだったのだ。

 だが、暗黒神復活を成し遂げた慢心からか、マンフロイはユリアを殺さずに己の支配下に置いていた。

 元々は皇帝アルヴィスを従わせる為の一助とはいえ、マンフロイがアルヴィス亡き後もユリアを処刑しなかった理由は定かではない。しかし、アウグストはこう言った。

 

「拙僧はこれを失策と断じる事はできない。むしろ至極妥当な策であると評価する。もちろん、我々(解放軍)から見ても助かったのは事実ではあるが、客観的に見てもあれはマンフロイの失策ではない」

 

 続けるアウグストの言葉は、禁忌(タブー)を恐れない、残酷なまでに現実的な物言いだった。

 ナーガの直系であるユリアを殺害すれば、その時点での神聖魔法ナーガの使い手は潰える事となる。

 だが、竜族が残した神々の血統は“傍系さえ無事ならば直系の復活が可能”という、ある意味で厄介な仕組みとなっていた。

 ターラ公爵家のリノアン公女がナーガ傍系であるのは、当時知る者はほとんどいなかった。そして、ユリアが死亡しても、リノアンに直系聖痕が発現するという事も無い。

 

 だが、リノアンが子を二人以上──男女の子を成し、その男女が子を成したとすれば。

 近親交配による血の純化により、三世代後にはナーガの直系が晴れて復活する事となる。

 マンフロイは愚か者ではない。長い年月を経て、陰謀を成就させた稀代の謀略家である。当然、己がアルヴィスとディアドラで行ったロプト直系復活と同じ手法を、相手がやらないと断じる程楽観的ではなかった。

 

 いわば、これはマンフロイによるロプトの安全保障策だったのだ。

 こちらが把握していないどこのだれとも分からぬ者が、突然ナーガに覚醒せしめるという危険。これをマンフロイは放置できなかった。

 無論、神聖魔法ナーガが渡らなければあまり意味のない事でもあるが、それでも潜在的な驚異であり続けるのは確かだ。

 神聖魔法ナーガを厳重に封印した上で、更にナーガの直系血統を“管理”する。それが、暗黒の世を大磐石の重きに導く、マンフロイの最後の策だったのだ。

 

 ナーガとロプト、光と闇は、表裏一体であり一心同体。

 それを現実として捉えていたのは、ユグドラルの人間では、アウグストとマンフロイ、そしてオイフェだけだった。

 

「光と闇の血は、残念ながらもはや解離出来ぬほど交わってしまった。これについて拙僧はとやかく言うつもりはない。男女交合の愉悦は真理からの賜物であるからな」

 

 アウグストの不遜な物言いは、もう誰にも止められなかった。

 

「ナーガの血脈と共に、ロプトの血脈もまた健在である。ユグドラルは竜族の血の呪いに支配されているともいえるのだ。この不変となった事実を認識した上で、諸君らは軍人として、指揮官として常に正確な決断をしなければならぬ。それを忘れるなかれ」

 

 これがアウグストだった。これこそが統一トラキア王国の礎を築いた鬼謀だった。

 ユグドラル大陸に光をもたらした聖戦士への挑戦とも言えるアウグストの言葉は、士官学校の生徒達に衝撃を与えていた。そして、他の諸侯達の講義とは違い、アウグストの講義が一日で終了した理由でもあった。

 

『士官候補生への教育効果は大なれど、それ以上に多大な誤解を招来せしめる』

 

 後学にと講義を聴講していたオイフェは、同じく聴講していたディムナへこのような感想を残した。

 もっとも、青ざめた表情で茫然自失としたディムナは、感想を残すどころでは無かったのだが。もしアウグストを天敵として見做していたあのフリージの乙女がこれを目にしていたのならば、『超えちゃいけないラインがあるでしょこのクソ坊主!』と言い放っていただろう。

 それから、オイフェとディムナは受講した生徒達へ緘口令を敷き、講義自体を無かった事にするべく粛々と対処をした。

 このような後始末をせねばならなかった事が、未だにユグドラルが“竜族の呪い”に囚われている事実を如実に物語っていた。

 

 セリスとユリアにロプトの血脈が埋火のように脈動しているのは、誰もが知る公然の秘密であり、ユグドラル最大の禁句でもあった。

 それを傲然と指摘したアウグスト。

 つまるところ、彼にとって神々の系譜は傍迷惑な存在でしかなかった。

 それはロプトは無論のこと、十二聖戦士ですら同様だった(ブラギはあくまでエッダ教の大司祭という認識でしかなく、無条件で信じられるものではなかった)。

 

 そして、実のところオイフェもまた同じ想いを抱いていた。

 だが、それはオイフェの立場では決して口にすることは出来なかった。

 だからこそ、オイフェは自身の代弁者ともいえるアウグストの後始末を甘んじて実行していたのだ。

 

 オイフェはアルヴィスを恨んでいたと同時に、悲劇の根幹でもある神々の系譜も忌避していた。

 なぜ竜族はこのような欠陥まみれの血脈を残したのか。

 いずれ復活するロプトウスへ対抗する為とはいえ、ロプトの血が聖戦士の血と交われば、ユグドラルは未来永劫、定期的に爆発する時限爆弾を抱え続ける羽目になるというのに。

 

 アウグストは傲岸不遜にそれを客観的な事実として受け入れていた。

 だが、この救いであり破滅という矛盾は、オイフェにとって粘ついた感情を──それこそ、あのバーハラの悲劇に芽生えた感情を、より暗く、根深く成長させていった。

 悲劇と救世の両方を体験し、直系ではなく傍系という、貴種と雑種双方の観点を持つオイフェだからこそ芽生えた、歪な矛盾であった。

 

 アウグストが老衰にて大往生を遂げた翌年、オイフェもまた後を追うように病に倒れた。

 オイフェがその生涯で子を成さなかったのは、政治的な理由だけではなく、彼が示した竜族へのささやかな抗議であり、精一杯の抵抗だったのかもしれない。

 

 

 


 

 グラン暦758年

 エバンス城

 

「なあアゼル。ペガサスにも穴はあるんだよな」

「いきなり怖いこと言うのやめてレックス」

 

 先のオイフェ帰還は、エバンス城に多大な混乱をもたらしていたが、一部の者達は我関せずとまではいかずとも、常の空気を保ち続けていた。

 というより、あれ以上あそこにいて何になるといった体でその場を離れただけともいえた。

 渦中のクルト王子はディアドラと出会ってからまともに話せる状態ではなく、しばらく落ち着かせる必要があった。

 そしてなにより、全ての説明をするはずだったオイフェがいきなり昏倒してしまったとあっては、立ち会った者達もひとまず解散、オイフェが覚醒次第改めて大広間へ集合といった流れになるしかなかった。

 デュー曰く、ちょっとびっくりしちゃっただけだからすぐ起きると思うよ。多分。

 

 まあ、そのような次第でも、いい男はいつも通りいい男であり、アゼルはいつも通り真顔だった。

 

「ハードゲイに加えてガチケモの気まであるとか流石のあたしもちょっと引くわ……」

 

 アゼルの隣では『マジかよこいつ』といった表情のティルテュの姿があった。

 最近はこの三人で──ティルテュは三人ではなく二人きりが良いとも思っていたが──つるむ事が多かった。こうるさいアマルダから逃げおおせ、青春を謳歌する乙女の機嫌は悪くない。どうやらクロード神父の事は乙女の意識からやや外れてきているようだった。

 ちなみにアマルダは、その愛くるしい見た目のおかげか、エバンス城の者達に猫可愛がりされており、ティルテュを探す前に菓子やらなんやらを与えられ身動きが取れない日々が続いていた。もっとも、本人も若干まんざらでもない様子だったが。

 

「腐女子のお前にだけは言われたくないんだよなぁ……つーか俺は獣に欲情するような変態じゃないゾ。ただノンケだって構わないで喰っちまう人間なだけなんだぜ」

「なおさら性質(たち)悪いよレックス!」

「タチだけに?」

「うるさいよティルテュ! なんなのさ二人とも!?」

 

 軽口を交わす幼馴染達に、自身の赤髪のように顔を上気させツッコミを入れるアゼルの姿は、もはやこの三人の中では日常の光景であった。

 

「ところでなんでペガサス? あんたシレジアに何か縁があったっけ?」

「なんもないゾ」

 

 そう尋ねるティルテュだったが、いい男は相変わらず彼方を見つめたまま。

 どうやら、何かを見つけていたようである。

 

「ティルテュ、見ろよ見ろよ。何やってんだアゼルもホラ見とけよ~」

「なによ、ペガサスでも見つけたの?」

「なんだよもう……」

 

 どこからともなく遠眼鏡を取り出したいい男。アゼルとティルテュに渡しながらある方向を指し示す。

 すると、複数のペガサスナイトがこちらへ飛来して来るのを見て取れた。

 遠眼鏡無しではゴマ粒程度にしか視認できぬ距離であったが、いい男は終始裸眼だった。

 

「あら、本当にペガサスだわ……ていうかあんたマジで気持ち悪いわね!? なんで遠眼鏡無しでアレに気付けるのよ!?」

「なんだろう……アグスティの方から来てる……」

 

 ペガサスナイトの一団はアゼル達の元、つまりエバンス城へ向かっていた。敵対行動では無さそうだが、シレジア天馬騎士団にしか配備されていないペガサスナイトが、何故アグストリア、それも王都アグスティ方面から飛来しているのか。

 訝しむアゼルに、ティルテュも少々怪訝な表情を浮かべていた。

 

「アゼル、なんだろうねアレ」

「わからないけど……でも、急いでシグルド総督に報告しに行こう。まだ門兵達は気付いてないみたいだし」

「まあそうね。にしても、今日はほんと色々起きるわね」

「うん……」

 

 不安げなアゼルにあっけらかんとした様子で接するティルテュ。

 だが、立て続けに起こる予想外の事態に、フリージ乙女の陽気を受けてもヴェルトマー公子の不安は晴れなかった。

 

「行こう、レックス」

「おかのした」

「ティルテュも、はやく」

「はーい」

 

 それから、若者達はシグルドの元へと駆けた。

 シグルドの元へ集ってから、アゼルがこのような胸騒ぎを覚えるのは初めてだった。

 ヴェルダンとの戦でも、いい男が隣で斧を振るっていれば恐怖心が勇気へと変わっていたし、エーディンへの想いが粉砕してからの悲しみの日々も、ティルテュが来てからは楽しい毎日へと変わっていた。

 だからなのか、どうもアゼルはあのペガサスの集団が凶兆めいたものに見えてしまった。

 

 どうも、妙だ。

 まるで、なにか──とてつもなく、なにか大変な事が始まってしまうような。

 それに、自分が大海に投げ出された筏のように翻弄されしまうような。

 そのような漠然とした不安を、アゼルは感じていた。

 

(なんだろう……いやな予感がする……)

 

 これが、新たな戦乱の始まりを告げるとは。

 この時、アゼルは全く予想できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マンフロイ「あ♥ちょっと洗脳する♥」
ユリウス「ちょっと洗脳してんじゃねえよ!」

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