逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第56話『強行オイフェ』

 

 レイミアは怒りの感情に支配されていた。

 怒りに身を任せながら、ダーナの街をひたすらに駆けていた。

 

(チクショウッ!)

 

 怒りの矛先は複雑だった。

 想い人へ苛烈な拷問を施しているであろう敵への憎悪。

 自身を逃がす為、あえて犠牲となった恋人の不器用な献身。

 そして、そうするしかなかった自身への不甲斐なさ。

 

(オイフェ……!)

 

 ギリリと歯を噛みしめる。

 恋人の無事を想いながら、レイミアは駆け続けた。

 荒れた裏路地を猫のように駆けるレイミアの姿を、余人が察知する事は出来ない。これならば追手を撒くことが可能だろう。そのままダーナを脱出する事も容易だ。

 だが、自身の安全を自覚する度に、レイミアは己の心が軋むのを感じていた。

 

 ああ、アンタは正しいよ。

 あの状況じゃ、アタシは何もできずに殺されるだけさ。

 でも、これはあんまりじゃないかい?

 

 痛みを分かち合うと誓った矢先、己一人を逃したオイフェ。

 その心遣い、痛いほど染みていた。

 だからこそ、許せなかった。

 

「……ッ」

 

 息を切らせ、闇に溶け込んだレイミア。

 追手は十分に撒けただろう。自身が発見される心配はもう無さそうだ。

 ようやく、これから何をすれば良いのか考えるゆとりが生まれる。

 

(そんなもの決まってる!)

 

 助けるのだ。オイフェを。

 ほんの一月前の自分ならば、オイフェを捨て置いてさっさと逃げおおせていただろう。

 しかし、レイミアは自分でも不思議と、このまま彼を見捨てるという選択肢が全く浮かばなかった。

 

「しかしどうしたもんかね……」

 

 火照る肉体に反し、思考は冷めた温度を取り戻していく。

 だが、冷静になればなるほど、己一人でのオイフェ救出はひどく難しい事も理解する。

 手勢は既にエッダ領へ入っているだろう。

 当然、このような時にもっとも頼りになるデューも、クルト王子を守りながらエバンスを目指している状態だ。

 

 ここで、レイミアが取れる手段は三つだった。

 一つ目は、このまま身ひとつで逃走し、エバンス方面へ向かったクルト王子らと合流。その後、オイフェの救出をする。

 二つ目は、単身領主の館へ斬り込み(カチコミ)、オイフェ救出を力技で果たす事。

 

 一つ目は難しいだろう。要は助けを呼びに行くだけなのだが、助けを呼んでいる間にオイフェが殺害される可能性が高かった。それに、よしんばデューがいたとしても、救出が確実に果たされる保証はどこにも無い。

 二つ目は論外だ。それこそ、オイフェの意思に反する。己がただ猪突猛進に無駄死にしただけと知ったら、おそらくオイフェは悲しむと同時に深く失望するだろう。それだけは嫌だ。死んでも。

 

 ならば、三つ目しかないのだが。

 

「どうすりゃいい……」

 

 そう独りごちるレイミア。

 計略を駆使し、想い人を無事に救出せしめる。当然、己と一緒にだ。

 しかし、それは果てしなく達成困難であるのも理解できた。

 

 要は、まとまった戦力で領主の館へ強襲をかけるのだ。混乱するヴェルトマー家の部隊を尻目に、密かに館へ潜入。オイフェを救出する。

 単独で突入するよりは成功率が高い、唯一の手段であった。

 

 しかし肝心の手勢はクルト王子護衛の為グランベル領へ分散している。

 なら、その戦力はどこに?

 

「……」

 

 汗で冷えた肉体は、再び温度を上昇させていった。

 頭部からの熱が湯気となるほど、レイミアは己の頭脳を全力で働かせていた。

 

「……これしかないか」

 

 やがて、レイミアは凛とした瞳を浮かべると、口角を真一文字に引き締めた。

 勝算は、正直低い。

 しかし、現状考えられる策はこれしかなかった。

 

「さて」

 

 再び駆け出すレイミア。

 足先はフリージ家の紋章を掲げる、オーヴォの部隊の元へ向いていた。

 どのようにしてフリージ家とヴェルトマー家を仲違いさせ、両軍相撃まで持っていけるのか。

 駆けるレイミアは、まったく策が思い浮かばなかった。

 

 女の武器を使い、部隊長を誑かすか?

 否。

 オーヴォはそのような誘惑に屈するようなタマには見えないし、事実そうではないだろう。

 それに、自身の容姿にはそこそこの自信は持ってはいたが、決して万人がなびくような傾城の美貌を持っているとは自惚れてはいない。

 そもそもそのような媚眼秋波(びがんしゅうは)は不慣れであるし、実行したところで不審者扱いされるのが関の山だろう(無垢な少年ならば自信はあるが)。

 

 ならば、流言を用い、互いに血を流させるよう仕向けるか?

 否。

 相手も馬鹿の集まりではないのだ。仮に想定通りに事が進んでも、計略とは入念な事前準備が必要なものである。実を結ぶには幾日もかかるだろう。

 とても一両日中には決着をつけられるとは思えなかった。

 

 どうする、レイミア。

 どうやってフリージ軍を引っ張り出せる。

 

「オイフェ……!」

 

 走りながら、レイミアはオイフェの名を呼んだ。

 どうしてもオイフェを救いたかった。

 それから、文句と同時に一発引っ叩いてやらねば気がすまなかった。

 

 その後は、もちろん。

 思い切り抱きしめてやるのだ。

 

 望まぬとはいえ、粗で野で蛮な悪辣なる生き様を見せていた女傭兵。しかし、今は切なき想いに囚われた、凛々しき女武者であった。

 超常なる者が今の彼女を見たら、果たしてどう思うのだろう。

 

 

「……ッ!?」

 

 後に、レイミアはこう述懐する。

 この時は、どうも誰かさんが──それこそカミサマか何かが助けてくれたんじゃないかねぇ。

 ほんと、ご都合主義にも程があるよ。

 

「……」

 

 駆けるレイミアの前に、月明かりに照らされた一人の男が現れる。

 姿はよく見えないが、全身から発する野獣の如き気圧。

 レイミアはそれを受けただけで、背筋に冷えた汗を流した。

 

 強い──それも、とてつもなく。

 

 追手か。全く気配が感じられず、唐突にレイミアの前に現れたその男。

 しかし、殺気はそれほど感じられず。

 戦闘前の緊張感のみが、男から感じられた。

 

「……イザークの者か?」

 

 男はそう短く言葉を発した。

 レイミアもまた短く応える。

 

「そうさね。捨てた故郷だが」

「……」

 

 男はじろりとレイミアを見やる。

 鋭い視線を受けるも、レイミアはこのやり取りで男がヴェルトマー家の者ではないと看破していた。

 同郷の匂い。それが、男から強く感じられた。

 

「お前が領主の館から逃げ出すのを見ていた」

「……」

 

 逃亡していたとはいえ、男からの視線を全く気付けなかったレイミア。

 それだけでも相当の手練れだ。しかし、何故己と接触をしてきたのだろう。

 そう思っていると。

 

「手伝ってやる」

「あん?」

 

 唐突なこの申し出。

 疑問を浮かべるレイミア。罠なのだろうか。

 いやしかし、アイーダがこのような回りくどいやり方をするのだろうか。男の意図が読めない。

 

「手伝うって」

「属州領補佐官が囚われているのだろう? 俺もあの少年に用があるのだ。死んでしまっては困る」

「……」

 

 そう応える男に、レイミアは観念したようにため息をひとつ吐く。

 そして、腹をくくった。

 

「そうかい。じゃあ、一個だけ策があるんだけどね。アンタとなら……ていうか、アンタ何者だい?」

 

 レイミアはようやく男の名を尋ねた。

 男は、短く自身の名を告げた。

 

「ガルザス。傭兵だ」

 

 

 


 

「……ッ」

 

 激しい鞭打ちに晒され気絶していたオイフェは、朦朧とした意識のまま覚醒した。

 徐々に意識が鮮明になるにつれ、肉体から熱い痛みが迸る。化膿した傷口は熱を持ち、少年の体躯に多大な負担をかけていた。

 

「……?」

 

 しかし、監禁された地下室に加虐者はおらず、吊るされた己一人のみ。

 耳をすましてみると、上階から慌ただしい気配が感じられた。

 覚えがある、戦闘の気配。

 

「誰が……?」

 

 まさかレイミアが単身突入してきたとでもいうのか。

 冗談ではないと、オイフェは表情を歪める。

 何のために逃したのか。これじゃあ何も意味がない。

 彼女には、生きて人生を全うして欲しいのに。

 

 それに、オイフェはむざむざ殺されるつもりはないとも思っていた。

 アイーダが自身を殺すつもりで拷問を仕掛けているのは十分理解していた。

 しかし、オイフェはアイーダが自分を殺せないとも思っていた。

 サイアスの事。そして、アルヴィスに流れるロプトの血統。

 その事実を誰がどこまで知っているか、アイーダは必ず確認する必要があった。

 

 故に、オイフェはそれまでは生存を約束されたようなものである。

 もちろん、過酷な拷問にこの身が耐えきれない可能性もあったが、そこは強靭な精神力を持つオイフェ。

 どこまでも耐える自信があった。

 

 一月。

 それまで耐え凌げれば。

 アイーダはおろか、叛逆を企んだ諸侯は軒並みナーガの御旗の元にひれ伏す事となる。

 そのように仕向けていたのだ。勝算は十分にあった。

 

「……」

 

 しかし、状況は急変した。

 徐々に近付く戦闘音。撃剣を交わす音、魔術が放たれる音。絶命する人間の悲鳴。

 音はとうとうオイフェが囚われている地下室、その扉の前まで迫っていた。

 

「オイフェッ!!」

 

 果たして、現れたのは予想通り、大剣を血に染めた女傭兵の姿だった。

 長く黒々とした髪も返り血で染めていたレイミア。一目散に己に駆け寄るその鬼気迫る姿に、オイフェは戸惑いを露わにした。

 

「どうして──」

 

 そう言いかけるオイフェに構わず、レイミアは即座にオイフェを拘束する縄を截断する。

 吊り下げられていた縄が斬られ、体を落下させるオイフェを、レイミア確りと抱きとめていた。

 

「……一発引っ叩いてやろうかと思ってたけど、それは後回しさね」

 

 レイミアは瞬時にオイフェの肉体的ダメージを見留める。

 無垢な体躯に刻みつけられた醜悪な傷痕。既に背中は全体に腫れが広がっており、骨が見える箇所が三つもあった。

 痛ましい想い人の様子に、レイミアはぎゅっと唇を噛み締めていた。

 

「馬鹿野郎が……!」

 

 そのまま、オイフェを力強く抱きしめる。

 女傭兵の血腥い身体。しかし、オイフェは説明のつかない安心感に包まれるのを自覚していた。

 

「レイミア……」

 

 レイミアに体重を預けるオイフェ。

 今更、罪悪感が強く沸き起こっていた。

 しかし、状況はオイフェ達が感傷に浸るのを許さず。

 

「……さ、とっととここからズラかるよ」

 

 短い抱擁の後、レイミアはオイフェを背負い、持参した長布にて自信の肉体に固定する。

 背負子のように背負われたオイフェは、どのように脱出するつもりなのかと疑問を上げようとした。

 

「ですが、どうやって……」

「黙ってな!」

 

 それを封殺し、勢いよく走り出すレイミア。

 未だに鳴り響く戦闘音から、レイミアは単独で突入したわけではないのだろうと察するオイフェだが、それにしても一体誰が。そして、このような強硬手段を可能たらしめる程の戦力は、一体。

 

「あっ」

 

 その疑問は直ぐに解決した。

 地下室から抜け出し、館のエントラスへと躍り出たレイミアとオイフェ。

 そこで、ヴェルトマー兵に対し鬼神の如き勢いで剣を振るう、孤高の剣客の姿があった。

 

「ガルザス……殿?」

「だから黙ってなって言ってるだろうが!」

 

 前世、北トラキア解放戦における終盤、リーフ軍に加入したオードの大剣客。

 自身が記憶するより若々しいその姿は、最凶の剣姫とまで謳われたあのラクチェよりも凄まじい剣圧を放っていた。

 ガルザス・オデル・リボー。二十半ば。

 心気充実の武者姿である。

 

「遅いぞ」

 

 血糊そのままの愛剣を揺らし、蒸気のような剣気を噴出させるガルザス。

 既に幾人か斬り伏せられており、おっとり刀で駆けつけた増援のヴェルトマー兵も、その圧に押され遠巻きに囲む事しか出来ない。

 

「随分と思い切った手段を取る……ッ」

 

 そして、赤髪の女将軍アイーダが、オイフェ達の前に現れた。

 

「ここに至っては是非もない。死んでもらうぞ」

 

 アイーダはそう言うと配下に指示を下す。

 ガルザスが暴れまわっている間、アイーダらマージ隊は遠巻きから魔力を充填していた。

 ファイアーマージ達による炎魔法の一斉射撃。これには、流石の大剣豪も──。

 

「ッ!」

「なにっ!?」

 

 しかし、ガルザスは瞬間移動でもしたかのように一気に距離を詰めた。

 そして、繰り出される秘奥。

 

「シィィッッ!!」

 

 裂帛の気合一閃と共に、詠唱中のファイアーマージ達、その首が五つ、宙空に舞った。

 流星剣。

 イザーク王累のみに伝わる、けだし剣技。

 

「撃てっ!!」

 

 至近距離まで詰められたアイーダの判断も早かった。

 味方の巻き添えも辞さぬ炎魔法が複数放たれる。アイーダもまた、必殺のエルファイアーを放っていた。

 

「ッッ!!」

 

 だが、ガルザスの絶技はこれに留まらない。

 火炎を掻い潜り、さらなる追撃を繰り出す。

 都合十度の流星の(つるぎ)。アイーダを除く全てのファイアーマージが、これにより絶命し果てた。

 

「くっ!」

 

 しかしアイーダもまた流石。

 配下が斬られている間に後方に跳躍し、ガルザスの刃圏から逃れる。

 

(おのれっ!)

 

 だが、アイーダはこの状況が非常に不味い事も自覚していた。

 ガルザスを殺すだけなら容易い。エルファイアーではなく、より強力な火炎──それこそボルガノン、もっと言えばメティオのような大火球を用いれば。

 

 しかし、それは出来ない。

 館ごと焼失せしめる大魔法を使ってしまえば、オイフェ暗殺の隠蔽が難しくなるからだ。

 ダーナには復興特需を期待して各地から物資、そして商人が集まっている。既にヴェルトマー軍による治安回復が成されている以上、領主の館を燃やし尽くすのは、余計な詮索を大いに生む。

 戦災直後のダーナで商いをする程の商魂逞しい商人達だ。その情報伝達速度はアイーダの予想よりも早いだろう。

 もし“オイフェ殺害の為に館を焼いた”とシアルフィ──属州領に伝わってしまえば。

 クルト暗殺達成がまだ確定していない状況で、それは避けねばならなかった。

 

(それに──)

 

 アイーダは、実のところ未だにオイフェの殺害を躊躇っていた。

 サイアスの事もそうだが、それ以上に、拷問時に放たれたオイフェの言葉が、アイーダの判断を鈍らせていた。

 主君が暗黒神の血を引いているという事。それが、何を以て、そのような根拠で宣ったのか。

 愛するアルヴィスの為に、確かめずにはいられなかった。

 

「……ッ」

 

 相対するガルザス。汗を滴らせるその様子は、秘奥を繰り出した疲労が滲み出ていた。

 そして、オイフェを背負いガルザスの後ろで警戒するレイミア。

 館の出入り口を塞ぎ、遠巻きに囲むヴェルトマー兵、そしてアイーダ。

 誰が意図したのか、奇妙な膠着状態が生まれる事となる。

 

「くそ、まだかい」

「……」

 

 レイミアが小声でそう呟き、ガルザスは沈黙を続けた。

 何かを待っている傭兵二人。

 

「オイフェ、いいかい」

「えっ」

 

 オイフェはその様子を不審に思うも、レイミアが更に小声で呟いた。

 そして、何事かを伝える。

 それを聞いたオイフェは、レイミアへ確りと頷いていた。

 

「アイーダ様!」

 

 そうしていると、状況が動く。

 膠着状態に陥った現場に、門を固めていたヴェルトマー兵がアイーダの元へ駆け寄った。

 

「なんだと」

 

 兵士から耳打ちをされたアイーダは驚きを露わにする。

 と同時に、館の外から軍勢の足音が響いた。

 

「ま、待ってください! ここは──」

「ええい! どけ! 押し通る!」

 

 もみ合う音と共に、扉が強引に開けられる。

 現れたのは、武装した兵士を引き連れたゲルプリッター──オーヴォだった。

 

「む!?」

 

 そして、オーヴォはオイフェ達と対峙するアイーダらを見留める。

 

「アイーダ殿! これは一体どういう状況なのだ!」

 

 詰問するオーヴォ。状況は混迷を極めていた。

 オイフェ達と対峙するヴェルトマー勢。そして、ヴェルトマー勢と対峙するフリージ勢。

 三つ巴ともいえる混沌とした状況が現出していた。

 

「オーヴォ殿、それは私が聞きたい。何故ここへ来た?」

 

 アイーダは冷淡な瞳でオーヴォに応える。

 

「賊が我が部隊の兵を殺害した。痕跡がこの館へ続いていたのだ」

 

 オーヴォは不信感を露わにしながらそう応える。

 アイーダは舌打ちを我慢するのに必死だった。

 フリージの兵士を殺害し、そのまま館へ侵入したのは、目の前の剣豪ならば可能だろう。

 そして、それを画策したのは、目の前の女傭兵である事も。

 彼らの思惑通り、突如乱入したフリージ軍。陰謀を共にする味方ではあるが、この状況では招かれざる客だった。

 

「オーヴォ殿!」

 

 逡巡するアイーダは、直後に聞こえた少年の声に、更に表情を歪める事となる。

 

「ヴェルトマーは、アルヴィス卿はロプトの血族! 暗黒神復活を画策しています!」

「なっ!?」

 

 恐れていた事が現実となった。

 オイフェによるアルヴィスのロプト血統の告発。

 案の定、オーヴォは思考を停止させたかのように凍りついていた。

 

「でまかせだ! 耳を貸すな!」

 

 強い口調でそう言ったアイーダだが、困惑を深めるオーヴォには響かない。

 オイフェはその隙を逃さず、畳み掛ける。

 

「オーヴォ殿! 主家を暗黒神の手先にするおつもりですか!」

 

 暗黒神の手先、という言霊。

 ユグドラルを生きる全ての者にとって、それは忌避されるべき言葉だ。

 

「証拠は──」

「殺せ!」

 

 当惑しながらもそう返したオーヴォだが、直後にアイーダが配下へそう命じる。

 ここでようやく、アイーダはオイフェの殺害を決意していた。

 

「し、しかし」

 

 だが、アイーダの命令に、ヴェルトマー兵は困惑しながら包囲を続けるのみ。

 当然だ。

 彼らもまた、主君がロプト血統を抱いているという言葉に、少なからず衝撃を受けていたからだ。

 もっといえば、この場で平然としていたのは、オイフェとレイミアのみであった。

 

「今だよ」

「ッ」

 

 ヴェルトマー、フリージ両軍に生まれた混乱。

 その間隙を逃さず、レイミアはガルザスへ合図する。

 ガルザスもまた地味に驚愕していたのだが、レイミアの言葉で瞬時に戦闘体勢へ切り替えた。

 

「遅れるなッ!」

 

 力技による強行突破。

 しかし、混乱する両軍はそれを止める事は出来ず。

 

「しまっ──!? 止めろ!」

 

 アイーダはそう命じるも、時既に遅し。

 扉、そして館の門に配置された兵士を猛然と斬り伏せ道を開くガルザス。そして、それに続くレイミアとオイフェ。

 アイーダは彼らが外の闇に消えるのを忸怩たる想いで見やるしかなかった。

 

「追え──」

「待たれよアイーダ殿」

 

 追跡を命じるアイーダに待ったをかけたのは、幾分か平静を取り戻したオーヴォだった。

 不審が敵意に変わりかける感情が、オーヴォから発せられていた。

 

「先程の補佐官の言、事の次第では看過出来ぬ」

 

 オーヴォは実直な男だった。先程のアイーダが見せたオイフェへの殺意。

 それだけで、オイフェの言が一定の信憑性を持っていると実感していた。

 控えるフリージの兵士達も、部隊長と同様の感情を見せている。

 対し、ヴェルトマーの兵士達は、当惑しながらアイーダへ視線を向けていた。

 

「この場を逃れる為の戯言だ。まんまと引っかかってしまったな、オーヴォ殿」

 

 そう冷酷に言うアイーダだが、動揺を隠しきれないのか、やや上ずった声を上げていた。

 オーヴォの疑念は深まる。

 もしアルヴィスが本当にロプトの血統を抱いているのならば。フリージは叛逆計画を即座に中止し、その氷刃を炎の紋章へ向けるだろう。

 

「……どちらにせよ補佐官追撃は我らの任務。我々に任せてもらおう」

「……好きにしろ」

 

 アイーダはそう返すしかなかった。

 もはや、フリージはオイフェを殺せない。少なくともオーヴォは殺すつもりはなかった。

 捕縛し、事の真偽を確かめる。そうしなければ、主家を歴史上の大罪人にしてしまう事を理解していたからだ。

 

「次にまみえる時は敵にならぬ事を願っている」

「……」

 

 オーヴォのこの捨て台詞に、アイーダは沈黙を返すしかなかった。

 

 

 

 

 

「ガルザス!」

 

 オイフェ達が闇夜を駆け抜け、ダーナの街から脱出した頃。

 街の外では馬をニ頭引いた女性が、オイフェ達を迎えていた。

 

「すまない、少し遅れた」

「グズグズしていられないわ。急ぎましょう」

 

 女性はそう言うと手綱をガルザスへ預ける。

 自身もガルザスの後ろへ跨ると、オイフェを背負うレイミアにも手綱を渡した。

 

「アンタがガルザスの」

「フィオーラと申します。でも、悠長に自己紹介している場合じゃないわ。さあ、早く」

 

 フィオーラと名乗った女性。ガルザスの妻であり、後に魔剣に囚われし月と星の少女剣士の母となる女性である。

 

「やったね、オイフェ」

「……ええ」

 

 レイミアが駆る馬に揺られ、意識を薄れさせるオイフェ。

 消耗した少年の体躯は、女傭兵の逞しい腕に包まれ、心地よい安らぎを覚えていた。

 

「ありがとう……レイミア……」

 

 オイフェは、そう感謝の言葉を呟き、安らかな寝息を立てていた。

 

 

 そして、一行はオーヴォの追跡を振り切り。

 そのまま、エバンスへ生還を果たす事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※奥さんの名前はマリータの中の人繋がりで適当です。

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