逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第55話『拷問オイフェ』

 

 フリージ家騎士オーヴォは、切迫感に駆られながらも努めて平静を装い、ここダーナの領主の館、その門を叩いた。

 既に配下のマージナイト達を街の要所、外周へと散らせており、目的の人物が密かに脱出しても対応できるようにしている。

 しかし、引き連れていた騎士の数は二百程。とてもではないが、街の包囲を単独で可能にする戦力ではない。

 故に、ここでケリをつけるつもりでいた。

 

「フリージ家の騎士殿がこんな時刻に何の御用で?」

 

 既に日が沈んだダーナの街。

 かがり火が照らされた領主の館、その門から、数名の配下を引き連れて一人の女将軍が現れる。

 ヴェルトマー名門貴族コーエン家の跡継ぎにして、ロートリッターの司令官騎士(ナイト・コマンダー)、更に、ヴェルトマー公爵アルヴィスの愛妾でもあるアイーダだ。

 一部隊を率いているとはいえ、ただの騎士将校(ナイト・オフィサー)身分でしかないオーヴォとは格が違う。

 しかし、オーヴォは怯むことなく用件を伝えた。

 

「こちらに属州総督補佐官が逗留していると伺った。我が主ブルーム公子の命により、その身を改めさせてもらう」

 

 オーヴォはそう毅然と言い放った。

 アイーダは美笑を浮かべた。

 

「理由を聞いても?」

「言えない。主命だ」

 

 不遜な態度を崩さないオーヴォ。必然、アイーダの背後に控えるヴェルトマー兵も、剣呑な空気を醸し始める。

 この場で泰然自若としているのは、アイーダだけだった。

 

(さて……)

 

 それから、アイーダは冷然と脳髄を働かせた。

 ここでオーヴォの言う通り、オイフェの身柄をあちらへ引き渡すか。

 フリージ軍がわざわざ快速部隊(マージナイト隊)を送り出すくらいだ。オイフェが陰謀の全容とまではいかなくとも、一端は掴んでいるのは状況的に明らかになった。

 故に、オイフェを引き渡し、その口を封じる事で陰謀成就を盤石とするか。

 

 しかし陰謀を共に諮る叛逆諸侯ではあるが、現時点で情勢は未だ不安定。クルト王子暗殺が果たせてない以上、表だっての協力は憚られた。それはフリージ家も同じで、だからこそオーヴォは理由を話さなかったのだろう。

 加え、オイフェはサイアスの存在──ファラの聖痕を受け継いでいるのを知っている節があった。

 仮にオイフェからその存在が漏れ、フリージ家にサイアスがアルヴィスの子だと知られても、実のところ何ら問題があるわけではない。

 問題は、アルヴィスが密かに接触している暗黒教団に、その存在を知られる事だった。

 

 当然、アイーダはアルヴィスがマイラの血統を汲んでいるのを知らない。だからこそ、主が暗黒教団マンフロイ大司教と密会しているのを疑問に思っていた。

 主曰く、ロプトの者でも迫害されない、公正な世の中にする為。その為に、彼らの力も借りなければならない。

 アイーダは神妙に頷くも、腹の内では承服しかねる言葉だった。

 

 アルヴィスは暗黒教団の危険性を十分承知した上で、安全に制御できると言っていた。事実、強力な力を持つ暗黒司祭共であっても、ファラフレイムを操るアルヴィスならば容易く手綱を握れるだろう。

 だが、もし仮に。暗黒司祭を上回る、闇の化身が現れてしまったら。

 アルヴィス一人で、それに抗う事は出来るのだろうか。

 

 百年前の聖戦で、十二聖戦士が総力を挙げてようやっと封印せしめた暗黒の勢力。

 だが、此度の陰謀で、少なくともバルドとオードの血脈は途絶える予定だった。

 前回よりも頭数が減った聖戦士達で、果たして次の聖戦は戦えるのだろうか。

 

(サイアスは私の大切な子……そして、いざという時の希望だわ……アルヴィス様にとっても……)

 

 だからこそ、ファラの血統を色濃く継ぐサイアスの存在は、暗黒教団にとって危険な存在なのだ。

 前聖戦、業火ファラフレイムを操り、炎戦士ファラは暗黒神と堂々と渡り合ったという。聖者ヘイムが神聖魔法ナーガを発動できたのは、ひとえにファラの奮戦があってこそだとも。

 サイアスは幼少でありながら、既に並々ならぬ魔力を備えている。あのフリージの麒麟児、イシュタルと同等の魔力を備え、そしてイシュタルよりも魔力の制御が上手であった。もしもの時は、ファラ以上の力を発揮できるだろう。もしかしたら、アルヴィスよりも──。

 故に、サイアスがファラの聖痕を持っている事は、これ以上他者に知られるわけにはいかなかった。

 

「分かりました。では、お引き取りください」

「なに?」

 

 諸々の算段を終えたアイーダ。

 出た言葉は、オイフェ引き渡しの拒否だった。

 

「なぜ──ッ」

 

 オーヴォは声を大にしてその愚かさを指摘したくなった。しかし、グリューンリッターとの戦端が開かれているとはいえ、今この段階でグランベル本国にそれを知られるわけにはいかない。

 この場ではフリージとヴェルトマーの者しかいないとはいえ、どこで誰が聞き耳立てているとは分からないのだ。迂闊な発言は戒める必要があった。

 

「理由もなく補佐官殿を引き渡すなど出来ません」

「……ッ」

 

 そう言い放ったアイーダ。剣呑な気を纏わせ、オーヴォへ怜悧な視線を向ける。

 身分の格もそうだが、実力的にも両者には隔絶とした差が開いていた。この場で強硬手段に訴える事もできないオーヴォは、唇をかみしめる事しかできない。

 

「……出直す。我が部隊はしばらくダーナに駐留する」

「どうぞご自由に」

 

 退散するオーヴォらへ、アイーダは変わらず冷たい瞳を向けていた。

 

「……」

 

 しかし、これでオイフェが腹に一物を抱えているのは明白となった。

 オーヴォらに気づかれぬうちに、こちらで始末をつける必要がある。

 

「鉄は熱い内に叩くに限るか……」

 

 アイーダはそう呟くと、オイフェがいる館へと踵を返した。

 

 

 

 

 

「そろそろずらかり時じゃあないかい?」

 

 街の散策から戻り、客室にて休んでいたオイフェ達。しかし、騒がしい外の様子に気づく。

 窓から一連のやり取りを眺めていたレイミアは、フリージの追手が予想よりも早く到達した事で、やや焦燥感を露わにしていた。

 オイフェもそれを見つつ、恋人となった女傭兵へ言葉を返した。

 

「そうですね……」

 

 オイフェはじっと外の様子を伺う。思惑通り、アイーダはこちらへの疑念を元に、オーヴォらを追い払ってくれた。

 

「……」

 

 だが、アイーダの何かを決意した表情を見ると、オイフェは短く瞑目。

 そして、レイミアの瞳を覗いた。

 

「レイミア」

「……なんだい?」

 

 想いを伝え合った少年。敬称をつけず、自身の名を呼んだオイフェの瞳。

 レイミアはそれを視ただけで、何か嫌な予感を覚えた。

 

「オイフェ。アンタまさか──」

「やはり私の策は少々甘かったようです」

 

 レイミアの言葉を遮り、静かに言葉を発するオイフェ。

 困惑するレイミアへ、ゆっくりと近付いた。

 

「アイーダ殿は思っていたよりも果断なようです。それに──」

 

 そして。

 オイフェは、レイミアの逞しい腰をしっかりと抱きしめた。

 

「なにを──ッ!?」

 

 戸惑うレイミア。オイフェの優しい抱擁に、体温が上昇する。

 だが、直後に強烈な酸欠状態に陥った。

 

「オイ……フェ……?」

 

 オイフェの当て身。至近距離からの拳が、レイミアのみぞおちを抉っていた。

 意識外からの当て身により、流石の地獄の傭兵も意識を手放すしかなく。

 

「ごめんなさい」

 

 意識を落としたレイミアを抱き留め、そのまま床へ横たわせる。

 それから、オイフェはレイミアの唇へ口づけを落とした。

 

「私は、愛した人と共に地獄に落ちる覚悟を持てなかった」

 

 オイフェは哀し気な瞳を浮かべ、レイミアの黒々とした長い髪を梳く。

 野性的な芳香を放つ髪にも、ゆっくりと口づけを落とした。

 当て身は浅い。頑健なレイミアならば、直ぐに覚醒するだろう。

 だから、そうなる前に。

 

「レイミア。貴女だけは……」

 

 そして、オイフェはレイミアを残し、その場を去る。

 少年軍師は、これから待ち受ける何もかもを甘受するような。

 そのような、悲壮感ある表情を浮かべ、アイーダの元へ足を向けた。

 

 

 


 

「これは補佐官殿」

 

 アイーダの執務室を訪れたオイフェ。出迎えたアイーダはそう言いながら、傍に控えるヴェルトマー兵へ僅かに目くばせをしていた。

 

「わざわざお越しいただいて……私も補佐官殿にお伺いしたい件があったのです。丁度良かった」

「いえ、アイーダ殿。私も貴方に用件がありましたので」

 

 挨拶もそこそこに、オイフェはアイーダの赤い瞳を見据える。

 少年が発する空気が、それまでと明確に違う事を感じ取ったアイーダ。必然、自身も少年の目を見据えた。

 

「まず、先程のフリージ家の部隊は、いったい何の要件でここへ来たのでしょう?」

 

 そう言ったオイフェに、アイーダは冷たい言葉を返した。

 

「それは補佐官殿がよく存じているのでは?」

 

 アイーダの言葉にわずかに沈黙するオイフェ。

 果断苛烈な女将軍に、虚々実々の駆け引きは効果が無い。

 だが、もう少し時間を稼ぐ必要があった。

 

「ううん……思い当たりませんね……」

 

 わざとらしく困った表情を浮かべるオイフェ。

 アイーダはそれを冷めた目で見つめる。

 だが、オイフェはうんうんと腕を組み、悩む素振りを続けた。

 

「補佐官殿……」

「あ、いえ、もう少しお待ちを。何か思い出しそうです」

 

 それからしばらく道化を演じるオイフェ。思惑が読めない以上、アイーダは眉間に青筋を浮かべつつもそれに付き合う。

 が、流石にそろそろ限界だった。

 

「ああ、やっと思い出しました」

 

 時間にして小一時間粘ったのだろうか。

 オイフェは、唐突にこう言った。

 

「貴方達が謀反を企んでいるのを」

 

 オイフェがそう言った瞬間、アイーダは即座に指示を下した。

 

「捕えろ」

 

 控えるヴェルトマー兵の動きは素早かった。

 即座にオイフェを床に押さえつける。

 オイフェはそれに全く抵抗をしなかった。

 

「これがヴェルトマー家のやり方ですか」

「黙れ。こちらの質問だけに答えろ」

 

 それまでの慇懃な態度は消え失せ、敵対者に対する冷酷さだけを露わにするアイーダ。

 散々焦らされた分、相応の怒りが滲み出ていた。

 

「ここで答えてもいいのですか?」

 

 オイフェは拘束されても尚、不敵な態度を崩さず。

 それを受け、アイーダは苦々しい表情を浮かべた。

 

「……地下室へ連れていけ。私が直々に尋問する」

「はっ」

 

 配下の者は此度の叛乱を承知しているが、サイアスの事を知られるのはまずい。

 故に、アイーダが一人で事を進める必要があった。

 

「……護衛の剣士はどうした?」

「……」

 

 しかし、アイーダはここでレイミアの姿が無いのに気づいた。

 オイフェは、沈黙を返した。

 

「直ぐに客室を調べろ!」

「は、はっ!」

 

 即座に指示を下すアイーダ。しかし、この判断は、やや遅きに失した。

 

「ア、アイーダ様。護衛の剣士は既に……」

「ッ!」

 

 ほどなく戻って来た配下の報告に、アイーダは臍を噛んだ。

 客室にレイミアの姿は無く。

 開け放たれた窓が、女傭兵の逃亡を示唆していた。

 

「追えッ!」

「はっ!」

 

 追手を差し向けるも、この後に及んで泰然とし続けるオイフェを見て、アイーダはそれは無駄だろうと察していた。

 

「心配しなくても、彼女は何も知りませんよ」

「……」

 

 そう短く言ったオイフェ。どうだか、と思うも、アイーダは思考を切り替える。

 たかが女傭兵一人、陰謀の全容を知っていたとしても。

 その言を誰が信じる?

 その言葉で誰が動く?

 放置していても、問題にはならないだろう。

 

「補佐官殿……覚悟はよろしいか」

「……」

 

 連行されるオイフェに、アイーダは烈火の気を当てた。

 オイフェはそれをそよ風のように流した。

 これから始まるであろう苛烈な尋問──拷問を前にして、異様な腹の据わり方だった。

 

(……よかった)

 

 この時、オイフェの内は安堵の思いが広がっていた。

 言うまでもなく、レイミアが己の意図通り、館から脱出してくれたからだ。

 あのまま強引に引き離さなければ、レイミアは己と運命を共にしようとするだろう。

 だが、ここに至っては、レイミアは真っ先に殺害される対象だ。

 

 オイフェはそれを強いる事が出来なかった。

 愛してしまったから。

 ただ、それが理由。

 

 それに、如才ないレイミアならば、そのまま逃げるにせよ、己を救出するにせよ、必ず館を脱出してから行動を起こすだろうとも思っていた。

 思った通り、逃げてくれた。

 聡い女性だ。

 だからこそ、好きになった。

 

(できればそのまま逃げてほしいが……)

 

 そう想うも、これ以降はオイフェにも予測がつかなかった。

 

(ずるいな、私は)

 

 ふと、そう想う。しかし、これでよい。

 オイフェはどこか満足気な表情を浮かべていた。

 それを訝し気に思うも、アイーダは変わらず厳しい視線を向け続けていた。

 

 

 

 

 それから程なくして。

 オイフェは館の地下室に監禁された。衣服をはぎ取られ、下帯ひとつ姿。

 天井から吊り下げられた荒縄にて手首を緊縛、中空に無垢な肉体を吊るされていた。

 

「補佐官殿……私は駆け引きが好きじゃない」

 

 この場ではオイフェ以外、アイーダしかいない。

 手にした鞭をオイフェへ向けるアイーダ。それは性的玩具の類ではなく、堅い革紐を幾重にも束ねた一本鞭(ブルウィップ)であり、高い殺傷能力を持っていた。

 

「知っている事を全て吐け。そうすれば痛くはしない」

「……」

 

 沈黙を返すオイフェ。

 舌打ちの後、アイーダは鞭を勢い良くしならせた。

 

「ッッ!」

 

 背中に走る激痛。

 肉を穿つ音が鳴り、オイフェの表情は歪む。

 

「お前が喋るまで」

「ッッッ!!」

 

 更に走る激痛。

 傷一つ無かった綺麗な背中に、二つ目の痛々しい赤筋が刻みつけられた。

 

「これは終わらないぞ」

「くぅッッッ!!!」

 

 三度目の鞭打。

 皮が剥がれ、被打箇所から流血する。

 オイフェは歯を食いしばって耐え続ける。苦悶の表情を浮かべるも、瞳の火は消えていなかった。

 

 刑罰としての鞭打ち刑は一般的ではあるが、それは法に則り打鞭回数が厳格に制定されている。

 だが、これは拷問。回数無制限の地獄である。

 

「ふぅ……」

 

 更に数度、オイフェの背中や腹部に鞭打を見舞ったアイーダ。

 その呼吸は少々荒くなり、頬は赤く染まっていた。

 アイーダは本来、アルヴィスへの被虐的な忠義に陶酔している人間であり、このような加虐行為で興奮する性質ではない。

 しかし、オイフェの魔性の肉体を穿つ度に、言い知れぬ喜悦が滲み出るのを実感していた。

 

 なるほど、あの女傭兵が夢中になるだけある。

 濡れた瞳で苦痛に耐え忍ぶ美童。

 白磁器のような美しい肉体を、醜悪な赤筋で汚す背徳。

 これは、癖になりそうだ。

 

「喋る気になったか?」

 

 しかし、アイーダはこれが任務であるのを忘れたつもりはなかった。

 オイフェが持つ叛乱の情報、そしてサイアスの素性。

 それをオイフェ以外、誰がどこまで知っているのか。

 確認する為の作業であり、決して新たに芽吹いた性癖を満たす行為ではない。

 

「……ッ」

 

 涙を流し、口角から血を滴らせるオイフェ。噛み締めた奥歯が粉砕したのだろうか。

 都合十度の打擲。

 少年の肉体の限度を見極め、アイーダはそれ以上打つ事を止めた。

 これ以上叩けば、オイフェは痛みに耐えかね失神しかねない。打ちどころは吟味しているので死にはしないだろうが、鍛えた偉丈夫でも百度叩けば死に至るのが鞭打ちだ。

 これで、オイフェは許しを請いながら喋るはずである。

 

「……」

 

 しかし、オイフェは沈黙を続けた。

 凛とした瞳は、アイーダの赤目を視続けていた。

 

「そうか」

「ぐぅッッ!!」

 

 返ってきたのは、少年の背に新たな血飛沫が追加される事だった。

 苦悶の声が響く地下室。

 だが、それを止める者は、誰もいなかった。

 

「強情な……ッ」

 

 二十数度の鞭打の後。背面は所々骨が見える程肉が抉れており、床に血溜まりを作っていた。

 僅かに息を切らせるアイーダは、ぐったりと弛緩するも、未だ瞳の火は消え失せていないオイフェに驚嘆を露わにする。

 オイフェの体躯ではもう限界のはずだ。なのに、意識を手放さず無言の抵抗を続けるその胆力。

 とてもではないが、十代の少年とは思えなかった。

 

「死ぬぞ、少年」

「……」

 

 このままでは死ぬまでオイフェは耐え続けるだろう。

 何も情報を引き出せずに死なれては困る。

 そう思ったアイーダは、搦手もひとつ考える。

 

「……あの女傭兵、そこまで大事か?」

「……」

 

 レイミアを引き合いに出すと、オイフェの瞳が僅かに揺らいだ。

 

「あの女傭兵も直に──」

「無駄、ですよ……」

 

 拷問が開始されてから、初めて言葉を発したオイフェ。

 じっと、アイーダを見据える。

 

「彼女は、貴女方では、捕らえられない……」

「……」

 

 今度はアイーダが沈黙を返していた。

 事実、オイフェが時間稼ぎをしていたとはいえ、まんまと館から逃げおおせたレイミア。

 加え、現状ではオーヴォの部隊が強行手段に出ないよう、アイーダ率いるヴェルトマー軍がそれを警戒している状態。

 レイミア捕縛に割ける人員が限られている中、上手く捕まえられる保証はない。

 

「なら、このまま死ぬ気か?」

「……」

 

 アイーダがそう言うと、オイフェは弛緩させた肉体をふるふると震わせ始めた。

 それが恐怖から来るものだと断じたアイーダは、ここぞとばかりに言葉を重ねる。

 

「そうだろう。死にたくなければ、いい加減話す──」

 

 

「死ぬ気などあるわけないだろうが」

 

 

 瞬間。

 それまでどこか可憐な声色だったオイフェから、地獄の底から発せられた禍々しい声が放たれた。

 

「なん──!?」

 

 それから、アイーダは見た。

 くつくつと嗤う、オイフェの姿を。

 

「くふ、くふふふ……ッ」

 

 怖気が走る少年の変貌。

 痛みに耐えかね、発狂してしまったのだろうか。

 だが、その目は狂気に支配された者独特の濁りは一切感じられない。

 悍ましい程の、情念だけが浮かんでいた。

 

「ひとつ、教えてやる」

「……なにをだ?」

 

 かろうじて言葉を返すアイーダ。

 オイフェは、血に塗れた口角を歪めていた。

 

「貴様らの主、アルヴィスは……聖者マイラ……ロプトの血を引いているぞ……」

「なにっ!?」

 

 暗黒神に連なる呪われた血脈。それが、愛する主君に流れているという言葉。

 アイーダの血流は煮え立つ。

 

「戯言をッ!!」

「ッッッッ!!!」

 

 それまでの痛ぶりとは違い、殺意が込められた鞭打が放たれる。

 その一撃で、オイフェはとうとう意識を手放してしまった。

 

「……ッ」

 

 肩で息を切らしながら、アイーダは先程のオイフェの言を反芻する。

 アルヴィス様にロプトの血が流れている?

 嘘だ。

 そんなデマカセを、よくも──!

 

 意識を落とすオイフェを、憎悪の眼差しで見やる。

 だが、これ以上の尋問は、もう不可能だった。

 

「……」

 

 気絶するオイフェを放置し、アイーダは地下室を後にする。

 しばらく休ませ、また尋問を再開すればよい。

 あの様子なら、もうニ、三日は持つだろう。

 それでも吐かなければ。

 問題ない。殺せば良い。

 

「……オイフェめ」

 

 少年軍師に刻みつけられた新たな茨。

 元より抱いていた暗黒教団、そしてアルヴィスへの疑念が、アイーダの中で徐々に膨らみ始めていた。

 

 

 

「……」

 

 血の臭いが立ち込める地下室。

 意識を失ったオイフェだが、決して生きる事を諦めたわけではなかった。

 死ねるはずがない。

 死ぬわけにはいかない。

 

 なぜなら、あやつ──アルヴィスを、この手で斃さねば。

 死にきれぬのだ。

 事実、死にきれなかったのだ。

 

 逆行人生で、愛を知ったオイフェ。

 大切な人と、共に困難に立ち向かう事を誓った。

 大切な人と、共に守り合う事も誓った。

 大切な人へ、全てを伝える覚悟も持った。

 

 しかし、その根底では。

 恨みという湿った情念が、埋火のように燻り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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