逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第52話『残置オイフェ』

 

 一大事だ。

 夜の砂漠に倒れ伏す一人の暗黒司祭。彼はそのような重大な危機感を覚えていたが、全身を光の奔流に貫かれた後では、満足に声を上げる事が出来なかった。

 

 オイフェとレイミアが海岸へ投げ出された時。

 トラキア竜騎士団の夜襲に乗じ、野営地から離れた場所にて闇害を撒き散らしていた暗黒司祭達。竜騎士団ごと屠るつもりで放った暗黒魔法フェンリルは、発動中に強大な光魔法により押し返されていた。

 オーラの魔法。それも、絶大な聖威をもって放たれた必殺の魔撃。

 これに耐えうるのは、暗黒教団でもマンフロイ大司教を始め、極々限られた者だけだろう。

 

 事実、イード神殿を守るクトゥーゾフ司祭は、この反撃のオーラを受け即死していた。フェンリルという魔力(エーギル)を多量に使用せしめる闇撃を放った直後であり、仮に彼の魔法防御がマンフロイ並にあったとしても、致命傷は避けられなかったであろう。

 引き連れていた護衛のダークマージ達も全滅しており、この場で唯一生き残っているのは、トラキア方面を担当しているベルド司祭のみであった。

 

(一大事だ)

 

 生気を失った表情で、芋虫のように地を這うベルド。

 彼は文字通り肌で感じていた。自分達が狙った獲物が、ただの獲物ではなかった事を。

 

(あれはナーガの光だ。ナーガの直系──クルト王子があそこにいる!)

 

 トラキアでの策謀を任されるベルド。相応の切れ者でなければ、そもそもマンフロイから大任を任される事は無い。

 であるからして、上述の材料だけでクルト王子がリボーより逃亡していた事実に気付くのは当然であった。

 

(く、くそ……身体が……!)

 

 しかし、光輝の直撃を受けたベルドは即死を免れただけであり、瀕死であるのは変わらない。

 なんとしてもこの事実をマンフロイへ伝えなければ。

 そう思い地を這うも、死は着実にベルドへ這い寄っていた。

 

 だが、信仰深いベルドに暗黒神が微笑んだのか。

 

「ベルド様!」

 

 茶色がかった赤毛を揺らし、煤けたローブを纏う一人の少年が現れる。

 

「セ、セイラム……!」

 

 ベルドは見知った少年の名をかろうじて呟くも、それだけで己に残された生命力がごっそり抜け落ちる感覚を覚えた。

 

「しっかりしてください!」

 

 セイラムと呼ばれた少年は、特徴的な前髪(物理法則を無視したヘアスタイル)を揺らしながらベルドを介抱する。オイフェ一行を襲撃する為出撃したベルドらを補佐すべく、当然ながらイード神殿からも多数の人足が供されている。

 その内の一人がセイラムなのだが、彼は運が良かったのか襲撃時には野営地から離れた場所におり、こうしてベルドの窮地を救う存在となっていた。

 

「セ、セイ……」

「喋らないでください! お身体に障ります!」

 

 ベルドは必死にクルト王子の存在を伝えようとするも、即座にセイラムに遮られてしまう。

 献身的且つ100%善意で行っているだけに、ベルドは瀕死の身でありながら行き場の無い怒りを覚える始末だった。

 

(わしの事などどうでもよい! 早く大司教様にこの事を──!!)

 

 血走った眼でそう訴えるも、虐げられていた被差別民であるロプトの民にしては珍しく、セイラムは温厚篤実な少年だった。

 

「ベルド様、気を確かに。必ず助かります」

(そうではない莫迦者!)

 

 もはやうめき声しか上げられぬベルドは、そのまま痛みと怒りに耐えかね気絶した。

 しかし、セイラムの献身的な介抱を受け一命を取り留める事となる。

 

 だが、彼がようやく口をきけるまでに回復した頃には、既にオイフェ一行はダーナへ到達した後だった。

 

 

 

 


 

 敵軍の襲撃が確実視される中での逃避行は、通常ならば軍勢の足を大いに鈍らせる。敗軍に統率の取れた撤退行動を可能とさせるには、指揮官が余程の傑物であり、更には兵士の練度も極限まで高められていなければ成し得ぬ事だった。

 しかし、イード砂漠をダーナ方面へ進むオイフェ一行は敗軍でもないし、指揮官も兵士も優秀である。

 粛々と進む一行は、追手の襲撃に遭わずダーナまで辿り着く事ができた。

 

「補佐官殿。これからどうするね」

 

 ダーナ郊外。

 野盗の襲撃に遭った体でダーナへ逃れたオイフェ達を、街の住民は特に気遣うわけもなく、また気にも止めていなかった。

 リボー軍の襲撃を受けた街の復興はまだ道半ば。とてもオイフェ達に気を使っている暇はない。街に駐留するグランベル軍は少数。表向きは治安維持に手一杯であり、おざなりに見舞いの言葉をかけるだけで放置する始末だった。

 無論、駐留するグランベル軍がヴェルトマー公爵家の部隊であるのは、オイフェも十分に承知していた。

 

「……このままダーナを発ち、一刻も早くグランベル領へ」

 

 一行がそこかしこで休息を取る中、レイミアから今後の方針を尋ねられたオイフェは、僅かに逡巡した後そう述べた。

 当初、オイフェはこの時点でクルトの存在が相手に発覚した場合、レイミア隊を囮として使()()する腹積もりであった。

 陽動として多方面に部隊を分け、自分はクルトと共に少数で属州領を目指す。

 シアルフィ領付近まで行けばほぼ安全であるからして、この局面さえ凌げるならば手段は選ぶ必要はない。

 だが、オイフェはそうしなかった。

 

「本当にそれでいいのかい?」

 

 少年軍師の葛藤を見抜いていたのか、レイミアはじっと黒い瞳をオイフェへ向ける。

 オイフェは濡れた瞳をレイミアへ返した。

 

「貴女達を使い捨てる事は出来ません」

「……」

 

 オイフェの言葉を受け、レイミアは難しそうに眉を顰める。

 彼女としても、使い捨てられるのは真っ平御免であるのは確か。しかし、この局面で陽動を出さない事が悪手であるのも理解していた。

 そう思うも、言葉には出せなかった。

 

「陽動は出します」

 

 しかし、オイフェはレイミアの心中を代弁するようにそう言った。

 

「陽動って、ベオ達にやらせるつもりかい? いくらあいつらがしぶとくてもフリージの連中相手じゃ」

「いえ、ベオウルフ殿もこのまま殿下の護衛に付いてもらいます。もちろん、デュー殿やホリン殿も」

 

 レイミアの言を遮るオイフェ。

 事実、グランベル領に入ったら大掛かりな襲撃の可能性は少なくなるが、少数の襲撃──手練による暗殺は警戒し続けなければならない。本当に安心できるのは属州領に入るまでだ。

 そして、そのような危険を回避するにはデューやホリンの力は必須。クルトと別行動を取らせるわけにはいかない。

 

「私がダーナに残ります」

 

 平素の如くそう言ってのけたオイフェに、レイミアは正気を疑うような眼を向けた。

 しかし、問い質す前にオイフェの言葉が続く。

 

「私がダーナに駐留するヴェルトマー家の部隊に保護を求めます。そこで時間を稼ぎますので、レイミア殿らは殿下と共に先に属州領へ向かってください」

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、とでも言うのか。

 あえて陰謀企む叛徒の懐に入り、クルトを逃がす為の時間を稼ごうとするオイフェ。

 

「無茶だよ」

 

 短く、そう嗜めるレイミア。

 しかし、オイフェは勝算が無いわけではないと前置きし、言葉を続ける。

 

「堂々と属州領補佐官が保護を求めて来たなら彼らも無下には扱わないでしょう。それに、私は現時点ではシグルド様に次ぐシアルフィ公爵家継承権も持っています。シアルフィ家に連なる私をここで害する程、彼らは愚かではありません」

 

 叛逆諸侯の陰謀は、今の所表には発覚していない。叛徒共の筋書きでは、秘密裏にクルトを排除した後、その首謀者をバイロン達──シアルフィ家になすりつける事となっていた。

 しかし、この時点で叛逆を表沙汰にし、オイフェを殺害しようものなら、その時点で陰謀関係なくシアルフィ家は明確に敵対行動を取るだろう。

 ここで問題となるのが、もはや無視できぬ勢力となりつつあるシグルドの存在である。

 

 対アグストリアの尖兵として用意していたシグルド軍が、この時点で明確な敵対行動──それこそ、アグストリアと同調し、叛逆諸侯を成敗する名目でバーハラへ兵を向けたら。

 アルヴィス率いるロートリッターだけでそれを防げるか。どちらにせよ、難しい局面を強いられる事は間違いない。

 リボーを攻略している部隊もバイロンらが健在である以上、迂闊に兵を引き返すわけにもいかなかった。

 

 言ってしまえば、オイフェ一行がダーナへ至った時点で、ある程度の目的は達成されたようなものである。

 もちろん、クルトが無事に逃げ延びる事が前提ではあるが。

 しかしそれを成し遂げられれば、あとはどうにでもなる。

 己の生命以外は。

 

「補佐官殿が秘密裏に暗殺される可能性だってあるんだよ。事故に見せかけて殺すことだって可能なんだ。あとからいくらでもゴマカシは利く。叛乱を知っているかもしれない補佐官殿をタダで返すとはとても思えないねえ」

 

 オイフェの身を案じるようにそう言ったレイミアだったが、今更正攻法で凌ぐのはナンセンスであると暗に批判していた。

 そもそもクルト暗殺という外道を画策した連中だ。ルールを律儀に守る事を期待するのは愚かであると。

 

「それこそいきなり殺される可能性は低いでしょう。陰謀を知る私を生かしたまま尋問するはずでしょうから」

「でも、その後おっ死んじまったら同じ事じゃないか」

「その分時間を稼げますよ。お陰様で苛められるのは慣れていますから」

 

 予想外に茶目っ気を含んだオイフェの物言いに、レイミアは頬を僅かに染め押し黙る。だが、実際は容赦のない拷問が繰り広げられるのは想像に難くない。それにオイフェの華奢な肉体が耐え切れるとは思えなかった。

 しかし、オイフェの覚悟は揺るがなかった。

 全てを守り、幸せな未来を掴み取る為。

 それは、目の前のレイミアも同じ。

 そう誓ったからだ。

 

「……わかったよ」

 

 オイフェの覚悟が揺るがぬのを認めたレイミアは、やがてため息と共にそう言った。

 そして。

 

「じゃあ、アタシが護衛で残るよ」

「え?」

 

 今度はオイフェが疑問を浮かべる。

 何を言っているのだ、貴女は部隊を率いて殿下を無事に──

 

「皆まで言わすんじゃないよ」

「んぅっ!?」

 

 そう言おうとしたオイフェだったが、ぐいとレイミアに引き寄せられ、彼女の胸の谷間に顔を埋めてしまう。

 むせ返るような濃い女の匂いが鼻孔を貫き、脳髄を冒す。いかに中身が老練とはいえ、少年の肉体では毒にも等しい香りだった。

 

「それに、ちぃと切れ味が鈍ったんじゃないかい? 補佐官殿」

「~~ッ」

 

 口を開こうとしても弾力のある乳房に阻まれてまともに言葉を発せぬオイフェ。呼吸と共に濃厚な女の匂い、そして潮味が口中に僅かに広がり、オイフェの頬は朱を増していった。

 

「補佐官殿を一人残してダーナを発ったら流石に不自然すぎるさね。芝居を打つならそれなりにケレンを利かせないと」

 

 モゴモゴと口を動かすオイフェ。少年の可愛らしく抗う様子、そして少年の柔い肉を胸に感じ、レイミアは少しだけ陶然とした表情を浮かべるも、常の口調でそのような指摘をしていた。

 

「いいかい? レイミア隊は過酷な行軍に嫌気が差して脱走兵が続出。護衛が逃散して属州領まで無事に辿り着けるかわからないから頭を下げにいくって体だ。実際は少数に分けてグランベル領へ入る。もちろん殿下もね」

「ッぷは! ……それは」

 

 話しながらオイフェを解放したレイミア。レイミアの指摘は、オイフェも全く考えてなかったわけではない。

 というより、その辺りをレイミアに一任するつもりで自身が残ると申し出たのだが、己一人では少々不自然なのも確か。

 

「……わかりました。ご同行お願いします」

「そうこなくっちゃ! アンタ達! ちょっとこっち来な!」

 

 今更危険を説いて引き下がるようなタマではない。そう思い、オイフェは渋々ではあるがレイミアの進言を受け入れていた。

 オイフェの了承を得たレイミアは早速とばかりに幹部連中を呼びつけ、逃散に見せかけた少数での脱出行の打ち合わせを始めていた。少しばかり嬉しそうなのは、心を通じ合わせた少年と共に居られる喜悦が滲んでいるからか。

 

「方針は決まったか?」

 

 そうしていると、シスター姿に扮したクルト王子が声を抑えながら現れる。

 少々憔悴した顔つきなのは、膨大な魔力を消費した疲労が残っているのもあるが、どちらかといえば王族にはやや過酷な逃避行を続けていたのが原因だろう。

 

「殿下、申し訳ありません。このような不甲斐ない有様で」

「いや、よい。ただで逃げられるほど甘くはないのは十分に承知しているよ」

 

 そう言われ、オイフェは改めてクルトが次期グランベル国王にふさわしい度量を持ち合わせているのだなと感じた。

 過酷な旅路を強いる事には文句を言わず、あまつさえ守られるだけでなくレイミア隊の危機を救うべく戦ったクルト。自身の所在が発覚しかねない危険な行為を躊躇わず行ったのは、軽率として咎めるものではない。

 危急の際に果断な行動が出来るのは、王者の気質として申し分なきもの。

 

「それで、今後の方針は?」

「はい。私とレイミア殿で──」

 

 クルトに促され方針を伝えるオイフェ。

 追手を翻弄するべくダーナへ残ると言うオイフェへ案じる表情を浮かべるも、クルトは鷹揚に頷いた。

 ここまで己を導いた少年の才覚。危険なのはオイフェ自身が一番良く分かっているであろうと、今更意見を言うつもりはなかった。

 

「わかった。では、無事に属州領で会える事を願っているよ」

 

 クルトはそう言って馬車へと戻って行った。

 オイフェは想う。クルトは非の打ち所がない君主の器也。だからこそ、どうしてあのような不義を……。

 

「オイフェ!」

 

 ふと、太陽の如き活発な声により、オイフェの思考は中断した。

 

「デュー殿、ちょうどよかった」

 

 デューの姿を見留めたオイフェは頭を切り替える。

 先程クルト王子に語った内容を話すと、当然デューは反対意見を言おうとした。

 だが、オイフェはデューが口を開く前に、懐から封蝋が施された一通の書状を取り出した。

 

「これを」

 

 押し付けるようにデューへ渡す。受け取ったデューは怪訝な表情を浮かべた。

 

「ねえオイフェ。これってオイフェに何かあったら開けろってやつじゃないよね?」

「当たらずといえども遠からずですね。まあ、確実にシグルド様へお届けしてください」

 

 滔々とそう述べるオイフェに、デューははっきりと拒否を示した。

 

「やだよ! オイフェに何かあったらおいら──!」

 

 そう言いかけるも、オイフェにがっしりと肩を掴まれるデュー。

 

「頼みます」

「……」

 

 真摯な瞳を浮かべたオイフェ。運命共同体と認めたからこそ、デュー以外にこの事を任せられない。

 言外にそう述べるオイフェに、デューはしばらく押し黙っていたが、やがて確りと頷いていた。

 

「わかったよ。でも、絶対にエバンスで会おうね」

「はい。もちろん」

 

 潤んだ瞳を浮かべそう言ったデュー。

 オイフェもまた、確りと頷き返していた。

 

 それから、夕闇に紛れレイミア隊は三々五々にグランベル領へ散っていった。

 オイフェとレイミアはそれを見届けた後、揃ってダーナ領主の館へと赴く。

 館にはヴェルトマー家の炎の紋章旗。

 そして、コーエン伯爵家の紋章旗がたなびいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




花京院!(ズアッ)

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