逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第51話『変態オイフェ』

 

 グランベル属州領

 エバンス城

 

「よいしょ」

 

 エバンス城の水場。

 そこに、水仕事に従事する一人の乙女の姿があり。

 城主シグルドの妻ディアドラだ。

 灰を溶かした桶に自身の衣類や夫の衣類を浸け込み、ゴシゴシと洗濯板にこすりつける様は手慣れたもの。

 当然、このような日常的な家事スキルは、精霊の森で暮らしていた時分に培ったものである。

 

 普段のシフトドレス姿とは異なり、掃除婦と見紛うような質素な麻服に身を包むディアドラ。

 城主、それも属州総督──貴族の妻が、このような身なりで自ら洗濯に従事するなど、恐らくグランベル大陸を見渡してもディアドラだけだろう。

 庶民的な気質を持つエスリンですら、洗濯は専ら使用人に任せていた。彼女が時折見せる家庭的な姿は、夫キュアンへ手料理を振る舞う程度である。

 しかし、ディアドラは元から精霊の森で庶民(エッダの教区簿冊には載っていない、ある種の最下層民だったが)であった身。使用人に身の回りの全て任せるほど、まだ上流階級の生活に慣れておらず、こうして自ら洗濯を行う次第であった。

 

「ふぅ」

 

 粗方の洗濯を終え、ひと息つくディアドラ。

 ふと、空を見上げる。

 

「いい天気……」

 

 本日は快晴。まさしく洗濯日和なり。

 未だ未洗濯の衣類を少し残すも、この天気ならば衣類は気持ちよく乾いてくれるだろう。

 そう思い、ディアドラは腰に手を当て、背筋を伸ばす。

 超自然的な神威を備えているからか、彼女の可憐な手は水仕事で荒れることはなく、陶磁器のような美しさを保っていた。

 

「もう一息ね」

 

 そして、残りの洗濯物を片付けるべく、再び腰を落とす。

 週に一度の洗濯なのだ。気合も十分。

 ちなみに、ディアドラは毎日洗濯仕事を行うつもりであったのだが、彼女にこのような水仕事を日常的にされては、元から配置されている侍女や奉公人の仕事を奪ってしまう。故に、紆余曲折を経て週に一度だけ、ディアドラが洗濯を行う事となっていた。無論、夫シグルドと自身の衣類のみであるが。

 

「あと一枚……?」

 

 ふと、ディアドラは籠に残された最後の一枚を見留め、その動きを止めた。

 

「……」

 

 一枚の布をじっと見つめるディアドラ。

 真顔だ。

 その布は、高品質なリネン製で拵えられた男性用下着であり。

 

 使用済みの、シグルドの下着(おぱんつ)であった。

 

「……」

 

 ディアドラはキョロキョロと辺りを見回し、周囲に人がいない事を確認する。

 この時間、この洗濯場にはディアドラしかいない。

 慣れぬ領主の妻として日々を過ごすディアドラ。政経学に励み、社交の場や城下巡回にも夫に付き従い、シグルドの妻として相応しくなれるよう健気な努力を怠らない日々。

 だが、精霊の森で慎ましい生活を営んでいたディアドラにとって、それは相応のストレスにもなっていた。

 故に、この洗濯の時間は彼女にとってストレス発散の場でもあり。

 城内の奉公人達は皆それを理解っていた為、ディアドラの邪魔をしないよう、洗濯の時間をずらしていたのだ。

 

「……」

 

 そして、ディアドラは貴金属を扱うかのように、シグルドの汗やら何やらを存分に吸った下着をそっと手に取った。

 そのまま、ゆっくりと自身の鼻孔へと近付ける。

 

「……クン」

 

 恐る恐る、といった体でクロッチ部分をひと嗅ぎ(テイスティング)するディアドラ。

 美しく可憐なその顔を、少しだけ紅く染める。

 

「……スゥー」

 

 そして、じっくりと味わうように吸い込む。

 愛するシグルド。

 愛おしすぎるシグルド。

 どうしようもなく愛おしい人の香りを嗅ぐと、どうかなりそうな想いに囚われる。

 

「フー……フフ……♥」

 

 否。

 事実、彼女はどうかしていた。

 深呼吸し、赤らんだ顔に笑みを漏らすその様子は、ともすれば世界中の男を魅了しかねない程、神秘的で、艶めいた美貌を放つ乙女の姿。

 実際はただの変態人妻だった。

 

「スゥスゥ……フゥ~……ウフフフフ♥」

 

 恍惚とした表情で倒錯的な行為(おぱんつ深呼吸)を繰り返すディアドラ。余人に目撃されては一大事である。

 しかし、この時のディアドラはシャーマンの祈祷の如きトランス状態に陥っており、シグルド成分を時にはポップに、時にはジャジーに。性欲を淑女的にエスコートしながら、くんかくんかとおぱんつ吸引せしめる。

 吸引中、彼女の脳細胞は各種の神経伝達物質、主に多幸成分(オキシトシン)がドバドバと分泌しており、まるで重度の薬物中毒者の如き様相を呈していた。

 

 

「ディアドラ殿……何を……」

「フゥッ!?」

 

 ディアドラの至福のひととき(変態行為)は、剣姫の震えた声にて中断を余儀なくされた。

 

「アイラ様?」

 

 ちょっとびっくりしちゃったディアドラの後ろに立つは、イザークの王女アイラだ。

 いつもの美しく凛とした佇まいは、理解不能な現象に出くわした者特有の困惑に包まれており。

 端的に言えば、アイラはドン引きしていた。

 

「……スー」

「いや続けるのか!?」

 

 嘘だろう、と言わんばかりに愕然とするアイラ。

 だが、例えアイラに見つかろうとも、ディアドラは止まらない。止まる気がない。愛する夫の香ばしい香りに包まれたい一心でおぱんつをキメ続ける。

 ディアドラはシグルドを愛している。この世で誰よりも好きだ。好きで好きでたまらないから、おぱんつをキメる。

 そのような健気で一途な想いを独特の愛情表現(異常行動)にて表わしていたディアドラ。

 アイラはドン引きしていた。

 

「フー……あの、何か御用でしょうか?」

「え、いや、あの、はい」

 

 おなかいっぱいになって満足したのか、やがていつも通りの貞淑な様子で応じるディアドラ。

 いつもと違うのは両手でしっかりとシグルドのおぱんつを握りしめている事だけである。

 アイラはドン引きしていた。

 が、この場に来た本来の目的をかろうじて思い出し、居住まいを正す。

 

「んん、ええと、うん、よし。私は何も見なかった。見てないぞ。んん! ……ディアドラ殿。パルマーク司祭がお呼びだ。なんでも、司祭の旧友が訪ねて来たとか」

 

 鋼の精神で凛とした佇まいを取り戻したのは流石。そのままパルマーク司祭の言伝を淀みなく伝える。

 ちなみに、アイラは手すきの時はよくディアドラの相手を務める事が多く。無論、アイラの第一はシャナンを守り育てるというのがあるが、最近は世話焼きの騎士達(主にアーダン)がシャナンの面倒を見る事が多く、シャナンもまた彼らによく懐いていたのもあり、比較的アイラの時間は浮く事になる。

 シグルドとしても、一騎当千のアイラがディアドラを気に掛けてくれるのは頼もしくもあり、そしてありがたかった。

 

「随分と見識がある御坊らしい。シグルド殿共々、後学の為に是非接見してみないかとの事だ」

「まあ、そうなのですね。じゃあ、すぐに準備しまスー」

「いやだから続けるんじゃあない! 変態か貴女は!!」

 

 無かった事にしようとしたアイラの努力も虚しく、ディアドラはシグルドを堪能し続けていた。

 

 

 

 後日、ユングヴィ公女エーディンの元を訪れたアイラは、以下のような会話をしたという。

 

「エーディン。グランベルやヴェルダンの御婦人は、その……伴侶の下帯に、なんというかその、何かしらの興味を持ったりするのだろうか? 例えば、匂いを嗅いだりとか」

「え、そんなことしませんよ普通」

「そ、そうか」

「どちらかというと嗅がせる派ですね私は」

「そうか……なに?」

「この間もミデェールに……ふふ、彼ってば、とっても可愛い顔で私の」

「いや変態かっ!!!」

 

 

 

 


 

「お初にお目にかかる。拙僧はブラギの僧アウグスト・オド。以後お見知り置きを」

 

 城内の応接室。

 向かい合うシグルドとディアドラへそう口上を述べるは、ブラギの僧アウグスト。

 常時そうあるように、彫りの深い顔立ちに鋭い眼光を覗かせていた。

 

「グランベル属州領総督、シグルド・バルドス・シアルフィです」

「グランベル属州領総督夫人、ディアドラ・ヴェルダンヌ・シアルフィです。アウグスト様、宜しくお願いしますね」

 

 騎士服に身を包み、丁寧な挨拶を述べるシグルド。例え身分低き者であっても、彼は常に誠実な態度を取る。

 そして、落ち着いた色合いのシフトドレス姿に装いを改めたディアドラ。誰に対しても、彼女は嫋やかな微笑みを向ける。ミドルネーム、ファミリーネームも淀みなく述べる様子は、彼女がこの名前に感謝と愛着を持っている証左だろう。

 

(ふむ……)

 

 両人の挨拶を受け、アウグストはひとつ納得の念を抱く。

 なるほど、初見でも理解る。説明のつかない魅力が御二方に表れておるな。オイフェ殿が忠誠を誓うわけだ。

 そう思える程、シグルドとディアドラには尽くしたくなるような何かが感じられた。アウグストのような者ですらこうなのだ。余程の邪心を持っている者でなければ、この魅力には抗い難いとも。

 

 アウグストはそう思いつつ、この場に至るまでの事を思う。

 エバンスに到着した後、城下のエッダ教会を通し、パルマークに再会したアウグスト。そこで、シグルドとの面会も希望していた。

 パルマークとしては、いきなり現れた旧友に、これまたいきなりな頼み事をされ困惑するも、エッダで共に教義を修めていた時分、アウグストにあれこれと借りを作っていた事をそれとなく匂わされ、渋々ではあるが面会をセッティングしていた。

 

『アウグスト、頼むから無礼を働いてくれるなよ』

 

 同席する事となったパルマークが事前にそう言うも、アウグストは曖昧な笑みをひとつ浮かべるだけだった。

 とはいえ、パルマークとしても主の見識が増えるのは望ましい。貴族階級の者が宗教家から教えを受けるのはさして珍しい事ではないし、そもそも自身もエッダ教団の司祭である。加え、性格に難はあれど、アウグストの説法は現実的な切り口も含められており、中々に面白いとも思っていた。

 シグルドの成長の為にも、アウグストから様々な教えを受けるのは有意義なのだ。当然、ディアドラに対しても同様である。

 それに、妙な事になる前に、自分がアウグストを止めれば良いとも思っていた。

 

 もっとも、彼は旧友の舌鋒の鋭さを忘れていたのを、程なく気付かされる事となる。

 

「本日はどのような御法説を聞かせていただけるのですか?」

 

 丁寧な口調でそう言ったシグルドに、アウグストは口角をやや吊り上げた。

 

「そうですな。では、早速」

 

 それから、アウグストの説法が始まった。

 自身が目にしたユグドラルの世況から始まり、民草の生活、ブラギの教えを絡めた政治的な講釈。

 オイフェやパルマークとはまた違った解釈もあり(彼らの教えや思想を全否定するわけではなく、あくまで角度を変えた見方)、シグルドとディアドラは熱心に話を聞いていた。ディアドラは途中から自身の帳面を取り出し一生懸命記述する程である。

 

 そのような夫妻を微笑ましい想いで見やるアウグスト。

 この愚直な姿勢も、家臣や民衆から愛されている要因なのだなとも察しており。

 同時に、どこか危うさも覚える。

 

「ところで、シグルド総督」

「はい」

「領内の軍備拡大についてなのですが」

 

 怪訝な表情を浮かべるパルマークを捨て置き、唐突に話題を変えたアウグスト。

 ギラリと脂で光る額を覗かせながら、鋭い視線を向ける。

 

「属州領やヴェルダン王国の治安維持の名目の割には、拙僧が見聞きした陣容は些か剣呑なるもの。隣国はもちろん、バーハラ王家に二心ありと拙僧は愚察するが如何に?」

「お、おいアウグスト!」

 

 詰問めいた口調でそう述べるアウグストに、パルマークが声を荒げる。

 しかし、シグルドはそれを制し、しっかりとアウグストへ向き合う。

 

「属州の軍備は宰相府の認可を受けています。それに、私はアズムール陛下から聖騎士の栄誉を賜った身。その私がグランベルに反旗を翻す事は有り得ません」

 

 アウグストの無礼に憤る事もなく、シグルドは真摯な態度でそう応えた。

 初見で腹芸が得意でないのを察していたアウグストは、シグルドが本気でそう思っている事も見抜く。

 腹の中で感心するも、それをおくびにも出さず続けた。

 

「ふむ。臭いますな」

 

 カマをかけるようにそう言ったアウグスト。

「えっ」と慌てて自身の顔に手を当てるディアドラに、「いやそういう意味ではなく」と、アウグストは苦笑しながら訂正する。

 もちろんディアドラからは不快な臭いは一切感じられず、むしろ森林浴をしているかのような自然的滋味溢れる香りを纏わせていた。

 

「ディアドラ、君は良い匂いだよ」

 

 シグルドはシグルドで呑気に愛妻のフォローをしており。顔を赤らめたディアドラは、もじもじと身を捩らせてるばかり。ちらりとシグルドの下半身に視線を向けていたのは、幸運にも誰にも気付かれなかった。

 

(毒気を抜かれるとはこの事よな……)

 

 なにやら話が明後日の方向に進んだのを受け、少々心配になるアウグスト。

 だが、だからこそオイフェがあの年頃にしては異様な知恵者なのだなとも納得していた。天然が行き過ぎてやや危うい主君には、あれくらいの切れ者が付いて丁度よいとも。

 

「アウグスト殿」

 

 しかし、シグルドの実直さは、アウグストの予想を超えていた。

 

「これまでの話で貴方が民の目線を持っている事が理解りました。その貴方がそのような危惧をしているという事は、民もまた同じ事を思っている証拠でしょう」

 

 そう言ってから、シグルドは何かを決意したかのような双眸を浮かべた。

 

「貴方に言われてやっと決心がつきました。属州領の軍備は大幅に縮小します」

「シ、シグルド様!?」

「パルマーク、私もずっと考えていたんだ。このまま属州の軍備を増強するのは、世にいらぬ戦乱を招きかねないのではないかと」

「し、しかし、宰相府やオイフェにはなんと説明するのです?」

「宰相殿には私から直接説明するよ。きっと、宰相殿も理解ってくれると思う。もちろん、オイフェも」

 

 パルマークにそう諭すシグルド。

 その様子に、アウグストは狐につままれるような表情を浮かべた。

 何を言っているのだ、この御仁は。

 一介の僧侶、それも今日出会ったばかりの者の話を鵜呑みにするのか。

 

「本気なのですか?」

 

 故に、思わずそう言ってしまったアウグスト。

 シグルドは頷いた。

 

「ええ、本気です」

 

 自身の言葉に嘘偽りは無い。恐らく、シグルドは直ぐにでも軍縮へ動き出すだろう。

 夫の決意を力づけるように、ディアドラもまた真摯な視線をアウグストへ向けていた。

 シグルドの和を尊ぶその生き様。ディアドラが彼を愛する理由のひとつだった。

 

「しかし、既に雇用した平民兵の処遇はどうされるおつもりか。それに、そのような大事をオイフェ殿やパルマークに相談もせずに決めるのは……」

 

 そこまで言って、アウグストは途端におかしみを覚え、やがて呵呵と笑いをひとつ上げた。

 いつの間にか、自身がシグルドの幕下に入ったような感覚を覚えていたからだ。

 

「いや、御見逸れしました。流石はオイフェ殿が忠義を誓うだけある」

「え?」

 

 和やかな口調でそう言ったアウグスト。

 そのまま薄くなった頭を下げた。

 

「試すような真似をしてしまい誠に申し訳ない。拙僧の言は戯言として聞き流されよ」

「いや、しかし……」

 

 尚も言葉を続けようとしたシグルドを制し、アウグストは言った。

 

「属州の軍備拡大、その真意はオイフェ殿が帰還せしめればおのずと分かるというもの。今は、どっしりと構えていればよろしい」

 

 そう言って、アウグストは議を終わらせた。

 戸惑うシグルド達であったが、アウグストはどこか快い表情を浮かべていた。

 

「オイフェ殿を信じなされ。あの御仁、決して世を乱す邪心は孕んではおりませぬ。拙僧の命をかけてそう断言しましょうぞ」

 

 こうして、軍師アウグストとシグルド達の邂逅は終わった。

 それは、そのままシグルド軍に、軍師の鬼謀が加わる事を意味していたのであった。

 

 

 ところで、エバンス滞在の許可を得るべくアゼルと共に登城したフリージ公女ティルテュは、城内でアウグストと鉢合わせした際、乙女らしからぬ汚い悲鳴を上げていたという。

 

 

 

 


 

 結局オイフェとレイミアがレイミア隊と合流出来たのは、互いに想いを伝えあってから数刻程経ってからであった。

 

「オイフェ!」

「お頭!」

 

 身動きの取れぬレイミアを看ていたオイフェ。土と血で汚れたデューに先導された傭兵達により発見され、思わず表情を緩める。

 

「お頭、大丈夫?」

「まだ生きてるよ……」

 

 弱々しくはあるが、レイミアはいつもの皮肉げな笑みを駆けつけたシスターのナリーへ向けていた。

 そのまま治癒魔術(リライブ)による治療を受けるのを見つつ、オイフェは表情を引き締め直した。

 

「デュー殿、状況は」

「殿下達は無事だよ。あの後……」

 

 主だった者は無事。しかし、デューから語られる内容を受け、オイフェは僅かに眉を顰める。

 

「殿下が光魔法を使ったのですね?」

「うん。それでおいら達は助かったんだ」

「そうですか……いえ、何よりです」

 

 そう言いつつも、オイフェの心は晴れない。

 状況は、オイフェが予想していた以上に悪化していた。

 

 オイフェとレイミアが崖下に滑落した直後。

 闇魔法フェンリルの暴威に包まれた野営地。潜んでいた暗黒司祭のこの攻撃は、直後に放たれた膨大な光魔法により相殺されていた。

 寸出で覚醒したクルト王子による光魔法オーラ。その光威は、野営地を包む闇を払い、そのままフェンリルの使用者をも撃ち抜く程。

 流石はナーガの直系、天晴れなる魔力。

 

 だが、それはクルトの存在をダーナを抜けるまで隠蔽するという、オイフェの目的が果たせなかった事を意味していた。

 

「おいら、殿下だけはホリンかベオっちゃんに護衛してもらって、先に行ってもらうように言ったんだけど……」

 

 そう言って、申し訳なさそうな表情を浮かべるデュー。

 暗黒教団が直接オイフェ一行を捕捉せしめた事実。加えて、光魔法、それも使用者が限られるオーラの魔法を見られてしまった。

 フェンリルの使い手はクルトが討ち果たしたのは疑いようもないが、恐らく生き残りはいるだろう。

 クルトの存在が発覚したと見て間違いない。そうなった以上、クルトだけでも先に逃がす必要があった。

 しかし、デューはクルトが野営地に留まり続けているのを伝えていた。

 

「ナリー、何人やられた?」

「……二十七名。でも、動かせない負傷者はいませんよ」

 

 レイミアとナリーの会話を聞き、大凡を察したオイフェ。

 広域治癒魔術(リザーブ)を用いレイミア隊負傷者を治療していたクルト。だが、連続して多量の魔力を使用したせいで、クルトもまた一時的に行動不能に陥っており。指揮官であるオイフェとレイミアが同時に遭難したのも相重なり、一行は襲撃を受けても尚、野営地に留まり続けていた。

 

「レイミア殿」

「アタシらは気にしないでいいよ。傭兵稼業をやっているんだ。何時死んでも良いように覚悟はしているさね」

 

 部下を喪ったレイミアを気遣うオイフェ。しかし、レイミアは気丈な笑みをオイフェへ返す。

 

「それに、少しは楽になった。これならアタシも強行軍にも耐えられるさね」

「……ごめんなさい」

「オイフェ」

 

 回復したレイミアだが、未だ自力での歩行は叶わず。

 担架で運ばれながら、レイミアはオイフェの名を呼んだ。

 

「そういう契約だったろ」

「……」

 

 レイミア隊の損害、頭目のレイミアの負傷。

 無傷でエバンスへ帰還出来るとは初めから想定していない。トラキア竜騎士団の奇襲は想定外だったが、何かしらの妨害を受ける事は想定していた。

 だからこそ、クルトやデュー達、そして己の盾として使える戦力。使い捨てても構わぬ戦力。

 それを求めて、わざわざフィノーラへ寄り道したのではないのか。

 

 だが、オイフェは守るべき戒めを破ってしまった。

 情を移してはならぬという戒め。それが破られたことで、オイフェにとってレイミア、そしてレイミア隊もまた守るべき存在となってしまった。

 

「さあ、グズグズしていられないよ。ロプトの連中に気付かれたんだ。補佐官殿も気合を入れ直しな」

「……はい」

 

 そのようなオイフェの心中を見透かしてか、レイミアは努めて諧謔味のある表情を浮かべる。

 今は、目の前の難事を切り抜ける事を考えるのみ。

 多少の損害に目を瞑ってでも、クルトを無事エバンスへ送り届けねばならないのだ。

 

「行きましょう」

 

 女傭兵の発破を受け、気持ちを切り替えたオイフェ。

 なに、守るものが増えただけだ。今までも、これからもそう。

 想いに囚われすぎては、難局切り抜けること能わず。

 結局は、やる事は変わらないのだ。オイフェはそう自得していた。

 

 大切な人の為。

 大切な人が、大切にしている人の為。そして、自身が大切にしている人々の為にも。

 彼らの幸せな明日の為、オイフェは決意を新たにしていた。

 

「……」

 

 担架の上で、レイミアの表情は少し影を差す。

 果たして、情愛を伝え合ったのは良かったのだろうか。

 オイフェに亡き弟の面影を見て、抑えられない気持ちをぶつけてしまったのは、本当に良かったのだろうかと。

 まだ、レイミアはオイフェの負担を分かち合える程の存在ではない。

 それが、歯がゆくもあり。

 

「オイフェ」

「デュー殿」

 

 ふと、デューがオイフェの肩へ手を置く。

 少年軍師の心中を慮るのは盗賊少年もまた同じ。

 前世含め、付き合いの長いデューは、オイフェの支えとして十分な存在だ。

 太陽の気遣いを受け、心なしかオイフェの表情にも陽が差していた。

 

「……」

 

 その様子を、湿った感情で見つめていたレイミア。

 直後、妙なおかしみを覚え、笑いをひとつ零した。

 

 なんだ、アタシはデューに嫉妬しているのか?

 切羽詰まった状況なのに、随分と余裕がある。

 こんなんで大丈夫かね。いや、大丈夫なんだろう。

 

「お頭、熱いですね」

「うるさいよ」

 

 茶化すようにそう言ったナリーに、レイミアはいつもの皮肉げな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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