逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第46話『抱枕オイフェ』

 

「オイフェ、何か嫌な予感がする」

 

 イード砂漠街道を進むオイフェ一行。

 ゲルプリッターの陣所を通過してから、時折隊商とすれ違うくらいで、一行は順調に当面の目的地ダーナへと進んでいた。

 しかし、斥候に出ていたデューが戻ってくるなり、そう不穏な言葉をオイフェへ告げる。

 

「何か見つけましたか?」

 

 厳しい表情でデューへ言葉を返すオイフェ。

 急ぐ旅路といえど、替え馬の補充は利かない砂漠の街道。

 馬に過度な負担はかけられぬ為、こうして周辺の偵察を密に行いながら進むしか無い。

 しかし、優秀なシーフであるデューがいる為、不意の待ち伏せなどは事前に掴み易いといえた。

 

「ううん。一リーグ先まで見てきたけど怪しい奴はいなかったよ。でも、さっきから誰かに見られているような気がして……」

 

 そう言って、不安げに周囲を見回すデュー。

 盗賊少年の不安が伝播したのか、それとも本当に何者かの視線を感じ取ったのか。

 オイフェら含むレイミア隊全員に、名状しがたい悪寒が走っていた。

 

「もしかして私達の想いがデューくんに……?」

「以心伝心。胸が熱くなるで候」

「離れていても繋がっているって素敵よね~」

「デューくんしゅき……ずっとお部屋で飼っていたい……」

「コヤちゃんってデューくんが絡むとたまにアブない感じになるっスよね」

「分かっちゃうよ私スナイパーだから。セックススナイパー♥」

「いやそういうのいいから……あとヨーコさんはまだボウファイターでしょ……」

 

 不穏な空気を和らげたいのか、レイミア隊幹部(おねショタハーレムメンバー)がそう軽い調子を見せるも、デューの不安は晴れず。

 塩対応された節操なし共は、流石に緩めた表情を引き締めるしかなく。

 

「……」

 

 デューの違和感。思い当たる節はある、と顎に手をやるオイフェ。

 イード神殿を根城とする暗黒教団、ロプトの暗黒司祭達。

 不自然な違和感の正体は、それしか考えられない。

 しかし、彼らがこのタイミングで表に出てくる可能性は薄いはずだとも、オイフェは思っていた。

 

 オイフェの前世に於いて、ユリウス皇子がロプトに覚醒してから、子供狩りを始めとした暗黒教団の暴虐が堂々と行われていた時期があり。

 イード砂漠の街道でも、暗黒神の供物として旅人が襲われる事例も少なくなかった。

 しかし、今この時期に、暗黒教団が表に出てくるとは思えず。ヴェルダンに潜んでいた暗黒魔道士達も、追い詰められるまでは決して前線には出てこなかった。

 バイロンらに事前に確認したが、重傷者の後送や物資の輸送隊が街道を通過する際、野盗等に襲撃されたという報告は上がってきていない。

 まだ、彼らはイード砂漠奥地へと潜伏している状況のはずである。

 

「何か思い当たる節でもあるのかい?」

 

 黙考していると、レイミアがそう声をかけてきた。

 流石に気温が高い日中では不必要に身体を密着させては来ないが、相変わらず馬を相乗りしている為距離が近い。

 女傭兵の芳しい吐息を感じつつ、少年軍師は応える。

 

「ダークマージの襲撃があるかもしれません」

 

 静かにそう言ったオイフェ。

 レイミアにも緊張が走る。

 

「例の暗黒魔法が飛んでくるってのかい?」

「その可能性は否定しきれません」

 

 レイミアの言葉に頷くオイフェ。デューが警戒している以上、彼女が言うあの暗黒魔法の攻撃の可能性は考慮せねばならない。

 暗黒魔法“フェンリル”。

 高位の暗黒司祭、それも魔力量が多い者でしか扱えぬ長射程の暗黒魔法。

 その威力は、小さな町ひとつなら容易に壊滅せしめる事が可能。

 

 前世では、フェンリルが発動した際、ナーガの血脈に瞬間的ではあるが覚醒したユリアによって、その闇は防がれており。

 彼女による光魔法“オーラ”により、フェンリルの使い手は打ち倒されていた。

 

「闇に対抗できるのは光だけか……」

「はい。だから、この場は急いで──」

「いや、その心配はないんじゃないかい?」

「え?」

 

 そう言うと、レイミアはホリンが手綱を握る馬車へと目を向けた。

 

「こっちには世界一の光魔法の使い手がいるじゃないか」

「い、いえ、それは……」

 

 御者台に座るシスターに扮したグランベル王太子を見ながらそう言ってのけるレイミア。

 目があったクルトは、ケバい厚化粧顔を面白そうに歪めていた。

 

「……殿下には属州領に到着するまで、その御身を隠してもらわなければなりません。殿下の御力を借りるのは、最後の手段だと思ってください」

「そうかい。ま、そうじゃなきゃアタシらが雇われた意味が無いしね」

 

 レイミアは諧謔味のある笑みをオイフェへ向け、そう応えていた。

 その姿に、説明の付かない頼もしさを覚えるオイフェ。

 いざとなれば使()()()()()事も厭わないつもりで契約を交わしていた。だから、己に薄っすらと宿ったこの感情に、危機感も覚える。

 

(情は移してはならぬ)

 

 そう己を戒めるオイフェ。

 レイミアが過度に己に寄り添って来るのも、打算から来ているものだと察していた。

 だから、今までの触れ合いは、彼女の甘い罠でもあるのだろう。

 情を移した己を上手く操り、傭兵団の立場を確立しようとしているだけ。

 そう思っていた。

 

「……ここからは、より気をつけて行きましょう」

 

 自分に言い聞かせるように言ったオイフェ。

 少年軍師の言葉を聞き、少し寂しげな眼光を覗かせたレイミア。しかし、直後にいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「あいよ、補佐官殿。よし、アンタ達! ここからは陣形を変えるよ!」

 

 配下の女武者達へ号令をかけるレイミア。

 彼女の一声で、女傭兵達はよく訓練された動きで陣形を変える。

 近接職が前方、そして殿を務めるべく配置に付く。

 遠距離職はその後方で支援し易いように移動。回復職は支援に徹するべく中央に配置。

 騎兵職はいないので、実際の戦闘では下馬して戦う事となるが、それでも不意の遭遇戦に対処し易いと言えた。

 

 スムーズなレイミア隊の動き。

 それを見たオイフェ。心なしか前世で対決した時よりも、その動きは洗練されているように見えた。

 

「良い動き、良い兵達だ。なあホリン」

「え、あ、はい。おれ……私もそう思います」

 

 瞬く間に陣形を変えたレイミア隊を見て、クルトはそう感心したように言う。

 ホリンは固い表情を浮かべたままであった。

 

「移動速度は落ちるけど勘弁しておくれよ」

「いえ、用心に越したことはありません」

 

 警戒態勢で進む事となり、予定よりもダーナ到着が遅くなる事を危惧したレイミア。

 しかし、背に腹は代えられない。

 なんとしても、クルトを無事に属州領へ連れて行かねばならぬのだ。

 政治的な理由。

 陰謀に打ち勝つ手段。

 そして、なによりも。

 

(ディアドラ様……)

 

 大切な人が、家族の慈しみを得られる為。

 クルトを、ディアドラの元へ連れて行かねばならぬのだ。

 父を知らぬディアドラ。娘を知らぬクルト。

 互いに顔を知らぬまま生を終えるのは、あまりにも哀れ。

 

「デュー殿、引き続き警戒をお願いします」

「うん! わかったよオイフェ!」

 

 少年の複雑な想いを汲み取ったのか、デューはことさら元気よくオイフェへ返事をしていた。

 連日の性的虐待(おねショタ)の疲れなどなんのその。

 心を通わせた少年軍師を、懸命に支えんとするその姿。

 その姿に、オイフェは心底頼もしく思っていた。

 

「じゃあベオっちゃん、またお世話になるね」

「だからその呼び方やめろや……」

 

 ちなみに、デューが斥候に出る時は、必ずベオウルフが護衛に付いていた。

 デュー一人でも過酷な状況で生還せしめる事は可能だが、機動力のあるベオウルフが一緒ならば、いざという時の対処がよりし易い。直接戦闘に巻き込まれた際も、ベオウルフの実力ならばより安全にデューを逃がす事が出来る。

 無論、ベオウルフもサバイバリティが高い男なので、彼自身の心配もそこまでは必要ない。

 それに、なんだかんだで、この二人の相性は良かった。

 

「よし、行こうかベオっちゃん」

「へいへい」

 

 デューはベオウルフが駆る馬にひらりと乗ると、ポンポンと自由騎士の肩を叩いていた。

 

「ベオ、デューくんに何かあったらマジでただじゃ置かないからね」

「デューくんの代わりに死ぬ覚悟を持つべし。骨は拾う」

「私もデューくんと一緒にお馬に乗りたいわ~」

「むしろデューくんの馬になりたい……市中引き回しの刑にされたい……」

「自分らは部隊の指揮を取らなきゃならないっスからね。しゃーないっス」

「そのカワイイおしりを鞍でゴンゴンされる気分はどうだ? 感想を述べよ」

「ほんとうるせえなお前ら!」

 

 余計な雑音を背に、自由騎士は盗賊少年を後ろに乗せながら愛馬を駆っていった。

 

 

 

 

 それから、危惧した襲撃もなく進んだオイフェ一行。

 だが、警戒態勢を取りながらの移動は、女傭兵達に疲労を蓄積させる。

 連日の一昼夜通しての移動も重なり、馬達もまた相応の疲労を滲ませており。

 故に、野営をする事となった。

 

「ここは風通しが良いな」

「ええ。海が近いので」

 

 簡易的なテントを張り、焚き火を囲むオイフェ達。クルトの言う通り、この場は夜間でもそこまで冷え込んでおらず、風通しが良い快適な場所だった。

 オイフェ達は極力目立たぬよう、野営場所は街道から離れた海岸に近い所を選んでいた。少し歩けば、断崖の下にあるマンスター湾が見えるだろう。

 潮風が当たる中、一行は各々で焚き火を囲み、食事を取るなどして休息を取っていた。

 

 もっとも、過度に緩んでおらず、適度な緊張感を保っている。

 レイミア隊幹部達も、普段ならさっさと適当なテントなり馬車の中にデューを引きずり込み不眠不休の乱痴気二毛作(寝る暇なしのずっこんばっこん)に興じているはずだが、この時ばかりは自粛していた。

 

「お口に合うか分かりませんが」

 

 そう言って、レイミアがクルトへ椀を差し出す。椀の中身には、干し肉と一緒に小麦粉から練ったダンプリングを煮込み、酢と塩で味付けをしたシチューが入っていた。

 差し出されたシチューをスプーンで掬い、口へ運ぶクルト。

 

「美味い。レイミア殿も中々の料理達者だな」

「ありがとうねぇ、王太子殿下」

 

 クルトの賛辞に口角を歪めるレイミア。

 公的な場所ではない為か、やや不敬な態度の女傭兵。しかし、クルトが気さくな態度で傭兵達へ接している為、オイフェはそれを特に注意せず。

 そもそも、この脱出行は隠密行動であるのだ。下手に貴人扱いしては、思わぬ所でクルトの素性が発覚し、不覚を取る可能性がある。

 

 時と場合を選ぶ処世術も、レイミアはまた達者なり。

 そう思いつつ、オイフェもシチューを掬い口へ運ぶ。

 

「美味しいで──」

「ありがとうねぇ! 補佐官殿!」

「あっはい」

 

 オイフェの賛辞には食い気味に反応するレイミア。心なしか鼻息が荒い。

 その様子におかしみを覚えたのか、クルトは含み笑いを漏らしていた。

 

 ところでこのレイミア隊、兵食を担当する炊事班は特に決められてはおらず。

 通常なら、この規模の傭兵団でも、炊事担当は決められているものなのだが、レイミア隊は全員が女であるという特色があり、手すきの者が都度給食を担当していた。

 戦を生業とする傭兵達。存外、料理というのは、戦場での良い気分転換になるのだろう。

 

 今日は珍しくレイミアが数名の配下と共に、手ずから手料理を振るまっており。

 いくつもの大鍋で煮込まれたシチューは、簡単な味付けであっても、中々のものに仕上がっていた。

 久々の団長飯。レイミア隊の女傭兵達は、皆舌鼓を打つばかりなり。

 

「ところでオイフェ。このレイミア殿はどこまで知っているのかな?」

 

 和やかな空気の中、ふとクルトが声を抑えてそう言った。

 この場にはオイフェ、クルト、レイミアしかいない。

 他の者達は皆少し離れた場所で休息を取っていた。

 クルトの言葉に、オイフェはスプーンを置いて応える。

 

「凡そ全てです。彼女は信用に足る人物です」

 

 そう言ったオイフェ。

 クルトは意外そうにレイミアを見る。

 レイミアは、変わらず皮肉げに口元を引き攣らせていた。

 

「では、この後の事も?」

「はい。殿下が属州領へ到着した後も、大凡の事は共有しております」

 

 オイフェが目指す運命の扉をこじ開ける計画。

 その本番は、クルトがエバンスに到着してから始まる。

 

 簡単に言えば、錦の御旗を掲げる事で、叛逆諸侯の正当性を失いせしめるのだ。

 加えて、アルヴィスがロプトと繋がっているという、ロダン司祭の書簡と併せて公表する。暗黒教団の存在を明るみにし、仇敵をとことん追い詰めるのだ。

 

 本来ならば、そこでアルヴィスがロプトの血脈であるという特大の爆弾も放り投げたい所。

 しかし、それをしてしまえば、芋づる式にディアドラがマイラの系譜である事が明るみに出てしまう。

 シグルドとディアドラの幸せの為にも、それは憚られた。

 

 ともあれ、クルトの檄文を各地に放つことで、叛逆諸侯の陰謀を暴き、事の正当性を容赦なくグランベル中の貴族へと突きつける荒業。

 レプトールやアルヴィスに付いている反クルト派の中堅貴族達も離反するしかなくなる。

 大混乱は必至であろう。

 

「そうか……なあオイフェ。やはり戦は避けられぬのだろうか」

 

 気鬱げにそう言ったクルト。レイミアが事情を知るならば、踏み込んだ話も可能と判断したのだろうか。

 既に叛逆諸侯達との戦端は、リボーに残るバイロン達により開かれている。

 故に、このクルトの発言そのような意味ではなく。

 クルトは、グランベル本国での内戦を危惧していたのだ。

 

「我らが相争えば、民の安寧も脅かされる。できれば戦は避けたいのだが」

「それは宰相やアルヴィス次第です、殿下」

 

 民衆の平穏を願うクルト。

 王道を歩む為政者としては正しき姿だ。

 しかし、オイフェは王道を歩む者ではない。

 茨の道を進む、怨讐滲ませる軍師だった。

 

「ですが、もし戦になっても、我々に正当性がある限り、叛逆者達はまともに戦えないでしょう」

 

 冷静に所見を述べるオイフェ。

 レプトールやアルヴィスが、既に捕縛されたランゴバルドのように開き直っても、配下の騎士、兵士達はその限りではないと断じていた。暗黒教団の存在を知りながら戦意を保てる者は少ないのだ。

 前世では、セリスら解放軍に最後まで抵抗する者達は多かった。だが、今とは状況が違う。

 長年の利心、忠義、因縁等に囚われ、闇の勢力に身をやつす者は、今この段階では決して多くはないのだ。

 

「もっとも、宰相……フリージと直接争う可能性は低いでしょうが」

「そうだといいが」

「宰相レプトールは魔法騎士トードの末裔です。流石に聖戦士としての使命を忘れたつもりはないでしょう」

 

 オイフェの見立てでは、恐らくレプトールはこちらとの和睦を図るだろう。

 狡猾な謀略家でもあるレプトール。だが、流石に暗黒教団の存在を許す事は出来ない。そして、ランゴバルドのような向こう見ずな蛮勇さも持ち合わせてはいない。

 シグルド率いる属州軍が、本領であるフリージ公国を窺う姿勢を見せれば尚の事。

 早々に己の不利、そして聖戦士としての使命を悟り、恭順の姿勢を取る事が予想された。

 

 その後の落とし所としては、叛逆の罪を直接問わない代わり、家督をブルーム公子へ譲りレプトールは隠居。トールハンマーも王家預かりにし、ゲルプリッターの戦力も縮小させる。

 後継者であるイシュトー、イシュタルも人質として差し出すように命じれば、フリージ家は二度と叛逆を企む事はしないだろう。

 

「陛下の安全も宰相が保証するということか」

「はい。直接陛下を救出する策も用意していますが、宰相は陛下を頼り和睦の道を探るはずです。そこは心配なさらずともよろしいかと」

 

 父であるアズムール王の身を案じるクルト。

 しかし、オイフェはそれについては特に心配をしておらず。

 この段階でアズムールに危害を加えれば、それこそ反クルト派の貴族達は一斉にレプトールやアルヴィスを討伐するべく行動を開始するだろう。

 レプトールの性格を考えるなら、和睦の仲介者としてアズムールを立てる事も予想される。

 アズムールの安全は叛逆諸侯達が保証していると言っても過言ではなかった。

 

「ですが、アルヴィスだけは必ず成敗します。彼が生きている限り、ロプトはまた世に現れるでしょう」

 

 しかし、オイフェはアルヴィスだけは逃げ道を与えるつもりは無く。

 ロプトとの繋がりを周知する事で、アルヴィスを否応なしに叛乱を継続せざるを得ない状況に追い込む。

 そして、そのアルヴィスへ追従する者はほとんどいないだろう。

 ヴェルトマーの有力貴族であるコーウェン伯爵も、実孫であり正統なファラの系譜であるサイアスのヴェルトマー後継を保証してやれば、アルヴィスへ見切りをつけこちらへ恭順を示すはずだ。

 コーウェンがアルヴィスから離れれば、ロートリッターも自然と瓦解し始める。

 

 後は、一人残されたアルヴィスを成敗するだけだった。

 オイフェ自身の手で。

 

「……アルヴィスを赦すつもりはないのか?」

「ありません。彼は危険です」

 

 絞り出すようにクルトはそう言葉を述べる。

 その言に、オイフェは冷たい声色で応えた。

 少年軍師が発する怖気に、クルトは僅かに息を呑む。

 

「……だが、私にはアルヴィスが暗黒教団と繋がっているのがどうしても腑に落ちない。彼は魔法戦士ファラの直系だぞ。いくら王権を奪うつもりでも、何故ロプトなんぞと手を結んだのだ?」

 

 かろうじて言葉を返すクルト。

 幼少の頃から情をかけていた相手が、暗黒教団と手を組み己を陥れようとしている事実。クルトは、未だにそれが信じられなかった。

 だが、オイフェはそのようなクルトに、僅かではあるが険のある表情を向けた。

 

 貴方の所為ですよ

 

 そう冷酷に言いたくなるのを、ぐっと堪えるオイフェ。

 

「……分かりません。彼に直接問い質すしかないでしょう」

「そうか……」

 

 オイフェはクルトの罪を糺す事はしない。

 前世。大切な人達を奪った、バーハラの悲劇。

 その要因となった存在を前にして、少年軍師の胸に複雑な想いが沸き起こる。

 

(……いや、それは問うまい)

 

 だが、僅かに頭を振り、その想いに蓋をするオイフェ。

 前世での悲劇は、様々な要因が重なって起こった悲劇であり。

 無論、元凶はアルヴィスの野心、そしてロプト大司教マンフロイの陰謀によるものだと理解している。

 しかし、マイラの血脈が同時に二人現れる原因を作ったのは、目の前のクルトだ。

 彼がディアドラの母、シギュンと密通しなければ、ユグドラルを覆った闇を防げたのではないかと。

 

 オイフェはその事を断罪するつもりはなかった。

 今更それを問い糾しても意味がないのもあったし、何よりクルトがシギュンと関係を持たなければ、ディアドラはこの世に生まれていなかったのだ。

 それに、当時のシギュンの境遇を思えば、クルトの同情が愛情に変わるのも理解出来た。

 

 どちらにせよ、オイフェにとって大切な人達、その幸せ。

 それは、必ず守り通さねばならない。

 此度の運命の扉は、必ず開かねばならぬのだ。

 

 悲劇を回避するという大義名分。

 しかし、クルトの是非は問わないという矛盾めいた大義。

 オイフェは、逆行人生において、この矛盾を抱え続ける事となるだろう。

 

 “わかった。じゃあ、両方やろう”

 

 ふと、以前デューに言われた言葉を思い出したオイフェ。

 矛盾を孕む少年軍師。

 しかし、その矛盾を肯定してくれる者もいる。

 少し、気持ちが和らいでいた。

 

「シチューが冷めちまうよ」

 

 そして、もうひとり。

 少年軍師の、怨念にも似た矛盾を包む者がいた。

 

「……ありがとうございます、レイミア殿」

 

 ぬるくなったシチューを啜るオイフェ。その様子を、レイミアは眼を細めて見つめていた。

 前世での事はデューにしか明かしていないオイフェ。

 しかし、レイミアは直感でオイフェの矛盾に気付いている節があった。

 それは、オイフェの弱点を抑え、己の立場を優位に運ぶ腹積もりなのだろうか。

 それとも。

 

「……」

 

 その様子を、同じくぬるいシチューを啜りながら見つめるクルト。

 複雑な想いは、クルトもまた同じ。

 陰謀に立ち向かうオイフェ。

 しかし、どこか悍ましい気を漂わせる少年軍師。

 どこまで信用すればいいのか。

 

 様々な想いが起こる荒野の夜。

 その想いを包むように、夜は更けていった。

 

 

 

 

「あ、あの、レイミア殿」

「ん~?」

 

 食事が終わり、一行は就寝を取るべくテント、馬車へと籠もる。

 交代で不寝番を立て襲撃に警戒しつつも、しっかりと休息を取り有事に備える女傭兵達。

 当然、頭目であるレイミアも休む事となったのだが。

 

「少し窮屈なのですが……」

 

 レイミアは自身のテントにオイフェを引っ張り込み、その柔い身体を抱き枕にしていた。

 布越しとはいえ、濃厚な女の匂いに包まれたオイフェ。

 バイロン達の元を発ってから、一行に入浴の機会など無く。

 濡らした布で身体を拭くだけだった女傭兵の肉体からは、香ばしくも甘い芳香が立ち込めており、少年の脳髄を焦がしていた。

 

「いいだろ、別に」

 

 ぎゅうとオイフェを抱きしめながら、眠たげな声で応えるレイミア。

 契約時に同衾して以降、就寝は別々だったのだが、ここに来て強引に共寝を要求した理由がわからず。

 オイフェは赤らめた顔を困惑させるばかり。

 

「なにも喰っちまうつもりはないんだ。このまま寝かせておくれよ」

「は、はあ……」

 

 そう言って、レイミアは逞しい脚をオイフェの下半身へ絡ませる。

 下腹部を擦りつけるような抱擁に、少年の熱も上がる。

 しかし、言葉通り性的な行為をおっ始めるつもりは無いようだ。

 オイフェはため息を吐きつつ、女傭兵の熟れた肉体に大人しく包まれていた。

 

「……何故、ここまでしてくれるのですか?」

 

 ふと、オイフェはそのような疑問を口にしていた。

 レイミアがここまで己に入れ込む理由。

 己がこの女傭兵の性的指向に合致している、というだけではないはずだ。

 

「言っただろう? 運命共同体って。アタシ達は補佐官殿に全賭けしたのさ」

 

 レイミアの張りのある胸に包まれたオイフェからは、彼女の表情は見えない。

 しかし、その声は優しげなものだった。

 

「それだけとは思えませんが……」

 

 モゴモゴと口を動かすオイフェ。呼吸をする度に、レイミアの芳醇な匂いが鼻をくすぐる。

 レイミアが、レイミア隊の女傭兵達が真っ当に生きる為。この言葉は、嘘ではないのだろう。

 だが、真意は隠している。

 オイフェはそう思っていた。

 

 故に、それを確かめたい。

 土壇場で裏切られては困るのだ。

 

「……補佐官殿が本音を言ってくれたら、アタシも本音を言うよ」

「……」

 

 少し、寂しげにそう言ったレイミア。

 オイフェは沈黙を返していた。

 言外に、オイフェが隠し事をしている限り、己も本音を語るつもりはないと。

 そう、伝えていた。

 

「……私は」

 

 しばしの時間が流れ。

 微睡みに包まれたオイフェは、その可憐な口を僅かに開いた。

 言うか、言うまいか。

 己が、逆行した存在であることを。

 

「私は──」

 

 しかし。

 オイフェが語り始める前に。

 

 

「敵襲ッッ!!!」

 

 

 緊迫した叫び声がテントの外から響く。

 同時に、戦闘音が、野営地に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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