逆行オイフェ 作:クワトロ体位
荒涼とした茶褐色の大地、緩やかな丘陵地帯が地平線の彼方まで続く風景。
高地特有の乾燥した空気が満ちる空には、棲まう民の猛々しい気風を反映したような大きな黒鷲が舞い、地上では野生の馬たちが活発に駆け巡っている。
イザーク王国はそのような荒々しくも牧歌的な風景が見られる、独立不羈の気高き精神を持つ遊牧民の国家だった。
人々は古来より遊牧を生業とし、厳しい自然の中で馬や山羊、ラクダ等による牧畜を営んでいる。
かつてこの土地にはれっきとした国家は存在していなかったが、十二聖戦士の一人、剣聖オードがイザークの統一に成功し、ようやく国家の体裁を整えていた。
しかし、そのような歴史を辿ったイザーク王国は、この日首府であるイザーク城が落城した事で、実質的な滅亡を迎えていた。
マナナン王がダーナで謀殺され、そして先のグランベル軍との会戦でマリクル王子が戦死した状況。
残された豪族達は徹底抗戦を図るも、指導者を、そして神剣バルムンクを喪った状態では、烏合の衆である彼らにまともな抵抗は出来ず。
ガネーシャやソファラへ逃れ、そこで抗戦を図る者達もいたが、いずれは同じように殲滅される運命であろう。
イザーク王国の象徴であるイザーク城の城閣には、国家が陵辱された証の如く、ドズル公爵家騎士団グラオリッターの戦旗がはためいていた。
「クルト王子からの密書だと?」
当代ドズル公爵であり、グラオリッターを束ねる猛将ランゴバルド・ネイレウス・ドズルは、イザーク城内の一室にて机上に広げた地図を睨みながら、腹心であるスレイダー将軍の報告に眉を顰めた。
油断なく地図を睨んでいたその姿は、とても戦勝後の指揮官とは思えず。
いわば消化試合となったこの局面に於いても、慢心せずに戦いを続ける名将の姿……というわけではないのは、報告に訪れたスレイダーも承知している。
「はい、閣下。どうも危急の案件とのことで」
そう言いながら、クルト王子からの書簡をランゴバルドへ手渡すスレイダー。
豪放磊落な風貌に相応しく、ランゴバルドはそれを乱暴に受け取り、訝しげな表情を浮かべそれを読んだ。
「……ふん。なんとまあ」
読んだ後、クルトの印章が押印された書簡を、乱雑に机へ放るランゴバルド。
その手付きに、王家への敬意は一切感じ取れない。
これも、スレイダーは特に見咎めるわけもなく。
「クルト王子はなんと?」
「戦後の論功行賞について内々の儀があるそうだ。儂とサシで話がしたいと」
そう言って、ランゴバルドは傍らに置いていた煙管に火を付ける。
イザーク産の阿片膏が詰められた煙管を喫煙すると、程よい陶酔感に包まれたのか、ランゴバルドの表情はやや緩んだ。
もっとも、この猛将は阿片中毒というわけではなく、あくまで嗜み程度に留めている為、スレイダーはこれも見咎める事はせず。
「……計画が漏れた可能性は」
しかし、主の楽観的な空気には水を差すスレイダー。
紫煙と共に書簡の内容をそのまま飲もうとしているランゴバルドに、叛逆計画を悟られたのではないかと指摘する。
「気付いているのならバイロンやリングが黙っておらぬだろう。この書簡はそのバイロンやリングにも内密でとあるぞ」
「ですが、閣下のみリボーへ召し上げるなど、この状況では些か不自然かと」
憂慮するスレイダーに、ランゴバルドは呵呵と笑い声を上げた。
「よく読んでみろ。クルト殿下も中々どうして」
「?」
ランゴバルドに促され、書簡を精読し始めるスレイダー。
そして、主が楽観的になる理由を察した。
「……これは、確かに」
書簡の内容を改めて読んだスレイダーは、クルト王子の意外な一面を垣間見て、そう納得の声を上げていた。
「戦後のケシ栽培についてドズル家に一任する意向、そしてバーハラ王家の取得分を考慮されたし、ですか。確かに、これはシアルフィ公やユングヴィ公には見せられませんね」
要約すれば、イザーク利権の分前について相談しよう、といった腹黒い内容であり。
イザークの特産品であるケシの実。
かつて建国の祖であるオードが、それまでの牧畜産業から農耕産業へと産業転換を図った際、イザーク固有種であるケシに着目した事から始まったケシの実栽培。結局それまでの生活様式を変える事ができない部族が多かった為、イザークの農業生産はそれほど増加しなかったが、ケシ栽培だけはリボーやガネーシャの部族が熱心に取り組んでいたので、安定的に生産される事となり。
そして、それを精製して得られる阿片は、元々は鎮痛、鎮静作用を目的とした医薬品として生産されていた。
しかし、分量を誤れば強い中毒性を伴う麻薬としての一面もある阿片。
必然、暴利を貪ろうとする者達によって、阿片はユグドラル中に流通する事となる。
中毒者が多発し社会問題となるに至って、危機感を覚えた各国の指導者達は、阿片の供給量を制限するべく条約を交わす事となる。
だが、アグストリアのアンフォニー王国やハイライン王国は条約を批准するも積極的に遵守しているわけでもなく、ヴェルダン王国もグランベル保護国となるまでは規制は形骸化しており。トラキア王国に至っては堂々と王家が阿片の密輸に関与していた。
もっとも、トラキア王国では阿片は軍需物資として取り扱っており、一般での流通は固く禁じていた。ともあれ、悪徳貴族や豪商らの嗜好品としての人気が高いのは変わりなく。
依然、禁制品に指定されながらも、少なくない量の阿片がユグドラル大陸で流通していた。
「このような東方の蛮地にわざわざ乗り込んだのも、コレ
陰謀によって引き起こされた此度の遠征。
しかし、戦後にイザークの支配権を狙うランゴバルドは、副次的な目的として、この阿片供給ルートを完全に支配下に置こうとしていた。
それまで間に立っていた阿片商人やイザーク部族等を排除し、阿片の供給を独占せしめる事ができれば、ドズル家は己の代でもっとも繁栄する事が出来るだろう。
そして、その目的がクルトも同じくしていた事は、ランゴバルドにとって意外であり、また納得できるものであった。
「しかし、だからとて閣下がお一人で行かれるのは危険です。まだ周辺の鎮定も終わってはいませんし……」
あくまでランゴバルドをリボーへ向かわせないよう進言するスレイダー。
陰謀の件がなくとも、イザークは未だ敵地であり。既に戦の趨勢は決したようなものだが、少数の護衛ではゲリラ化した残党に不覚を取る恐れもある。
だが、主を案じるドズルの忠臣に、ランゴバルドは諧謔味のある笑みを向けた。
「だから、全軍で行くのよ」
「……なるほど。怪しまれずに軍勢をリボーへ展開出来ますな」
どの道雌雄を決する為に全軍をリボーへ差し向ける算段だったグラオリッター。
しかし、直前まで怪しまれずに軍勢を展開出来るに越したことはない。
付け加えて。
「それに、クルト王子から阿片供給を一任された証があれば、後にレプトールがしゃしゃり出て来ても突っぱね易いわい」
叛逆後の政局も見据えたランゴバルドの奸智。
莫大な利益をもたらすイザーク産の阿片は、当然他の叛逆諸侯も関心を向けている。
特にレプトールは、あれこれと理由を付けてフリージ家の取り分も確保しようと画策するだろう。
しかし、抹殺対象とはいえ、グランベル王太子から直接阿片供給を一任された証があれば、レプトールの策謀も上手く躱す事が出来るだろう。要は、ゴリ押しするには相応の建前が必要なのだ。
此度の叛乱で共闘する叛逆諸侯達であったが、所詮は利に則った同盟。
昨日の敵は今日の友、そして今日の友は明日の敵にもなり得る。
今は味方とはいえ、決して油断ならぬ相手同士でもあった。
「早速騎士団をリボーへ進発させるぞ。ダナンにも準備するよう伝えろ」
そう言って、軍勢をリボーへ向けるべく指示を出すランゴバルド。
副将として連れてきたランゴバルドの長男、ダナン公子の名が出ると、スレイダーは少しばかり眉を顰めた。
「はっ……ダナン様は、その」
言葉尻を濁すスレイダー。
ランゴバルドは“またか”と言わんばかりにため息をひとつ。
「また女か」
「はっ。どうもイザーク城で見初めた女に入れあげているようでして」
「あの馬鹿者めが。もう少し時と場合を弁える事が出来んのか」
既に正妻を迎え、ドズル家嫡孫ブリアンが誕生しているにも関わらず、イザークの端女に熱を上げるダナン。
城内のダナンに割り当てられた一室では、今も女の悲観げな嬌声が漏れ聞こえているだろう。
それを思い、うんざりした体のランゴバルド。このような状況でも、好色ぶりを抑えられぬ嫡子には困ったものである。
「まあ、それほど悪い事ばかりではありません。なんでも、女はイザーク王家傍系だとか。オードの血は殆ど引いてはおらぬようですが、御子が生まれれば今後のイザーク統治にも役立つかと思います」
「しかし別に今じゃなくてもいいだろうが。まったく、あ奴にももう少しレックスを見倣っていい男になって欲しいのだがな」
「確かに。レックス様はいい男ですからな。私から見ても」
この場にいないドズル家次男に想いを馳せるドズル主従。
次男レックスは長男ダナンと腹違いの兄弟であり、当然ながらネール直系の聖痕は現れていない。
しかし、いい男は長男よりもいい男だった。
「レックスももう少し融通が利く男だったらよかったのだがな……」
「……」
そう言って、どこか寂寥感のある表情を浮かべるランゴバルド。
もし、レックスがもっと己の言う事を聞く子だったら。
この大事な局面に於いて、もっとも頼りになる男であっただろう。それこそ、色に溺れるダナンよりもだ。
しかし、レックスは此度の陰謀を知ったら、迷わずランゴバルド達へ斧を振るうだろう。
彼の義侠心の強さは、親であるランゴバルドも良く知っていた。
だからこそ、いい男がいい男たる所以でもあった。
「今は属州総督の客将でしたなレックス様は。……我々と斧を交える時が来るのでしょうか?」
不安げな表情でそう言ったスレイダー。
今後の情勢次第では、レックスと刃を交える事になるのを案じていた。
ドズル公国中の男たちから憧憬にも似た感情を向けられているレックス。
当然、グラオリッターの騎士達も、いい男に強い憧れを持っていた。
果たして、その時が来たら、騎士達はいい男へ斧を向ける事が出来るのだろうか。
「その時は、儂が引導を渡してくれよう」
ランゴバルドは奸智巡らす謀将から、一人の親の顔を覗かせていた。
静かにそう言ったランゴバルドへ、スレイダーは黙って頭を下げていた。
「ともあれ時間が惜しい。さっさとリボーへ向かうぞ」
「はっ。では、ダナン様も」
「まだ女と乳繰り合っているようなら首根っこを捕まえてでも引きずって来い」
「承知致しました」
かくして。
謀略に僅かな父性を滲ませた猛将は、勇壮なグラオリッターと共にリボーへと向かう事となる。
もし、この時、ランゴバルドがもう少し慎重さを見せていたら。
今後の局面は、もっと違う形となっていたのかもしれない。
一両日が経過し。
ランゴバルドはリボー城へと入城していた。
城外から少し離れた所にスレイダーら配下の軍勢を配し、僅かな供回りのみで入城したランゴバルド。
リボーへは正門からではなく、緊急時の脱出路として使われる埋門から入城しており。案内役のヴァイスリッターの騎士に連れられ、クルト王子が控える一室へと進んでいた。
あくまで、密談の体を保つ為であり。
そして、叛乱計画が漏れていない事を確信していた行動だった。
「むう……?」
しかし、ランゴバルドはリボーへ入城した際、僅かな違和感を覚えており。
妙に、城内が落ち着いている。
言い換えれば、戦勝機運で浮ついている様子が一切ない。
まるでこれから本格的な合戦が始まると言わんばかりに、リボーに駐屯するグリューンリッターとヴァイスリッターの兵士達は、ピリピリとした緊張感を保っていた。
「閣下、お腰のものを」
「なに?」
だが、ランゴバルドはそれ以上城内を不審に思うことはなく。
クルト王子が控える部屋の前に立つと、ここまでランゴバルドを案内した若い騎士が、臆することなくそう言った事で、その注意を逸していた。
「貴様、儂が殿下に何か含んでいるとでも思っておるのか」
怒りを滲ませ、若い騎士に凄むランゴバルド。
本当は一喝したい所であるが、あくまで密談の体であるが故に、ぐっと堪えていた。
ここで己の存在を、城内にいるバイロンやリングに悟られるわけにもいかない。
「いえ、任務ですので」
若い騎士はあくまで泰然とドズル公爵へ接しており。
七三に整えた頭髪はぶれておらず、ネールの系譜を継ぐ聖戦士の圧にも全く怯む様子は無い。
「ほお……」
その様子に少々の興味を覚えたランゴバルド。
弱兵で知られるヴァイスリッターにも、このような気骨のある騎士がいたかと。
「貴様、名は?」
それまでの怒りを鎮め、騎士の名を聞くランゴバルド。
若い騎士は、淡々と己の名を告げた。
「リデールと申します。まだ若輩ですが、ヴァイスリッターの末席を汚させて頂いております」
「リデールか。わかった、その方の胆力に免じてスワンチカを預けるとしよう」
そう言って、ランゴバルドは腰に下げていた聖斧スワンチカを、リデールへと預けた。
「ッ、と」
「ふん。もう少し腕力を鍛えんか」
聖斧の重みに耐えきれずたたらを踏むリデールを一瞥し、ランゴバルドはそのまま部屋へと至る。
「殿下。ランゴバルド、只今参上致しました」
腰を深く折り、クルトへ向け口上の述べるランゴバルド。
しかし、部屋は薄暗く、クルト王子の姿はよく見えない。
「……殿下?」
返事が無いのを不審に思い、顔を上げるランゴバルド。
部屋の中央で椅子に座るクルトの顔は、よく見えず。
そして。
「まんまと釣られおったな、この戯けが」
「ガッ!?」
瞬間、頭部に鈍い衝撃を受けるランゴバルド。
わけもわからず床に倒れ、瞬く間にその身を制圧される。
「き、貴様ッ!?」
不意打ちを喰らうも意識を飛ばさないのは流石。
しかし、うつ伏せで両椀を押さえつけられ、あまつさえスワンチカの加護が無い状態では、いかなネールの聖戦士といえど跳ね除けることは出来ず。
ましてや、押さえつけている者が、聖剣ティルフィングを装備したバルドの聖戦士ならば尚更だ。
「バイロン! それに貴様はリングか! 貴様ら、一体どういうつもりだッ!!」
部屋の済に隠れていたバイロンの襲撃に、ドズルの猛将は破れ鐘の如く語気を荒ませる。
「儂の変装も中々のものじゃろ、ランゴバルドよ」
「な、なにがッ」
そう言いながら勝ち誇ったように金髪のカツラを脱ぐは、ユングヴィ公爵リング。
そして、ランゴバルドを押さえつけているのは、シアルフィ公爵バイロンだ。
「いや、正直騙せたのが奇跡だと思うぞ」
「抜かせ。お主じゃガタイが良すぎて一発でバレるわい」
「お主よりは腹は出ておらんし、儂の方が殿下のお姿を良く模せると思うがな」
「それはどーかのう?」
「き、貴様ら! 儂の話を聞いているのか!?」
呆れるようにそう言ったバイロンに、リングは口角を歪め応える。
無視される形となったランゴバルドは、益々声を荒げており。
「おお聞いておるわい。恐れ多くも殿下に仇をなそうとする不届き者の話はな」
「なっ!?」
しかし、リングの言葉を受け、ランゴバルドは言葉を詰まらせる。
「くだらぬ画策をしおって。お主らの企みはとっくに暴かれておるわ」
「な、何を言っている」
ランゴバルドは動揺を露わにするも、押さえつけるバイロンがリングの言葉に続く。
「宰相らと謀ってこの地で我らごと殿下を弑い奉る計画、知らぬ存ぜぬは通じぬぞ」
「た、戯け! 儂がそのような事をするはずがないだろう! 乱心したか貴様らッ!」
あくまでシラを切るも、脂汗を浮かべるランゴバルド。
だが、リングが狡猾にドズルの猛将を攻める。
「ランゴバルドよ、儂は情けないよ」
「なにがだ!?」
「お主ら聖戦士の末裔が、暗黒教団の手先になった事がだよ」
「なにぃッ!?」
リングの言葉に、ランゴバルドは驚愕を露わにする。
ロプト暗黒教団は、奸計巡らすランゴバルドにとっても不倶戴天の敵。
それと通じているなど、あってはならぬ事だ。
「ア、アルヴィスはそのような事は一度も……ッ!」
そして、動揺の極みに達したランゴバルドは、そのように口を滑らせていた。
「馬脚を現しおったな。そのまましらばっくれておれば良かろうに」
「ぐ……ッ!」
そう言ったリングに、一転して沈黙するランゴバルド。
厳しい表情を浮かべ、ぎりりと歯を軋ませていた。
「リデール、もう良いぞ」
「はっ!」
部屋の外で待機していたリデールを呼ぶバイロン。
数名の騎士を引き連れ、リデールはランゴバルドを捕縛した。
「……儂を人質にしても無駄だぞ」
拘束されたランゴバルドは、怨嗟入り混じった声でそう言った。
ランゴバルドを人質にしても、グラオリッターは攻撃の手を緩める事はしない。
むしろ、主の奪還に燃え、苛烈な攻勢を加えるだろう。
よしんばランゴバルドが死んでも、仇討ちで更に燃え上がるだけなのは、蛮勇で知られるグラオリッターの気風を鑑みても明らかであった。
「クルト王子ごと貴様らを殺す計画は変わらぬッ! 暗黒教団が何だというのだッ! ここで貴様らを殺した後、儂がこの手でロプトの者共を皆殺しにしてくれるわッ!!」
大音声でそう吠えるドズルの猛将。
開き直った猛将の言葉に、バイロンとリングは哀れみのこもった眼差しを向けた。
「残念だが、殿下はもうここにはおらぬよ」
「なっ!?」
再度驚愕を露わにするランゴバルド。
もはや、これ以上の問答は不要であった。
「ランゴバルド、お主とは政道の場にて決着を付けたかったよ。連れて行け」
「はっ! まあ急ぐ必要もあるまい。ゆるりと連行せよ」
「く、くそ! 離せ! 離さぬかッ!!」
バイロンはやや寂寥感を込めてリデール達へ指示を下す。
ランゴバルドは騎士達により、城内の牢へと連行されていった。
「……やれやれ。奴が最後までしらばっくれていたら、儂はオイフェの方が策略に嵌ったと思うておったぞ」
嵐が去った部屋。
リングは呟くようにそう言う。
バイロンもまたため息をひとつ吐き、盟友へ応えた。
「儂も正直嘘であって欲しかったがな。しかし、ここに至ってはもはやそれを論じる段階ではないだろう」
ともあれ、謀略を認めたランゴバルドに、バイロンはどこか安堵した様子を見せていた。
確かな証拠があったとはいえ、同じ聖戦士を嵌める事を躊躇っていただけにだ。
そして、それに加え、安堵する事がもうひとつ。
「だが、儂は少し安心したよ」
「何がじゃ?」
ふと、そう言ったバイロンに、リングは疑問の表情を浮かべた。
陰謀を巡らしていたランゴバルドの、どこに安心したというのか。
「奴も聖戦士だったという事がだよ、リング」
「……ああ、そうじゃな。その通りじゃ」
しかし、バイロンの言葉を受け、リングは納得の思いを抱いていた。
暗黒教団に対し、苛烈な敵愾心を見せたランゴバルド。
邪心を抱いていたとはいえ、その気概は十二聖戦士の末裔に相応しきものだった。
「……さて、奴の言う通り、グラオリッターは攻撃の手を緩める事はないじゃろうな。バイロン、ここからが大変じゃぞ」
しばしの間を置き、そう言って表情を引き締めるリング。
ランゴバルドが聖戦士の気概を見せたとはいえ、陰謀を止めたわけではない。
むしろ、ここからがバイロンとリングにとって本番であった。
「暗黒教団の事を伝えても、彼らも後が引けぬ段階だからな。やはり一戦を交えるしかない」
ここで叛乱諸侯に真実を伝えても意味が無いのは、先程のランゴバルドを見ても明らかであり。
彼らもまた、分水嶺を過ぎているのだ。
グラオリッターとゲルプリッターとの戦いは、もはや避けられぬ状況であった。
「まあスワンチカを封じられたのは良しとしよう。まったく、オイフェもえげつない策を思いつくもんじゃわい」
「うむ……」
懸念であったランゴバルド、スワンチカの戦力を封じるべく、予めクルト
だが、これはオイフェの献策であり、容赦ない策謀を躊躇いもなく献策した少年軍師に、バイロン達は若干の悍ましさを覚えていたのは余談である。
「どちらにせよここで儂らが敗れるわけにはいかぬ。気合を入れろよ、バイロン」
「ああ、分かっている」
ともかく、これで籠城戦を有利に進める事は可能であり。
そして、クルト王子が安全に逃れるためにも、可能な限り敵戦力を誘引し続けねばならぬ難しい籠城戦であるのは、バイロンも承知の事だった。
「儂らが出来るのはここで踏ん張るのみよ。あとは殿下に……オイフェに任せるしかない」
そう言って、目下逃亡中のクルト、そしてオイフェを想うバイロン。
叛逆諸侯、そして暗黒教団の陰謀を打倒すべく。
バイロン達の決して負けられぬ戦いもまた、こうして始まっていた。