逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第44話『検問オイフェ』

 

 イード砂漠

 グランベル軍宿営地

 

 一刻程の時が経過し、大天幕から出てくるオイフェ。

 待機していたベオウルフとレイミアは、少年軍師が痛ましく頬を腫らしているのを見留めた。

 

「オイフェさんよ、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫です、ベオウルフ殿。ご心配なく」

 

 気遣うベオウルフに、オイフェは淡々と応える。

 どのような会談が行われたかは知らぬが、どこか一線を引いているベオウルフは、それ以上踏み込むことはせず。

 

 さあ、ここからだ。

 ここからが、本当の──

 

 オイフェは己が大望成就の分水嶺に立っているのを自覚し、紅顔を引き締める。

 ここからの打ち手にミスは許されない。

 大陸を覆う陰謀に真っ向勝負を仕掛ける少年軍師。

 気遣う自由騎士に構わず、険のある表情を浮かべる。

 その様子は、やや危うきものを漂わせていた。

 

「見せてみな」

「あっ」

 

 しかし、そのようなオイフェへ、即座に駆け寄るレイミア。

 傭兵剣士にしては嫋やか手を、少年の柔い頬へ這わせた。

 

「痛むかい?」

「い、いえ……だ、だいじょうぶです……」

 

 そっと腫れ上がった頬を撫でる。

 僅かに身をよじらせる少年軍師。

 

「そうかい……本当に?」

「んっ……!」

 

 レイミアは腫れた頬へ中指を這わせる。

 少し爪で頬を掻かれたオイフェは、チリチリとした鋭い痛みを感じていた。

 

「ここ……随分と腫れているじゃないか……」

「いえ、だいじょうぶ……ですから……!」

 

 レイミアの湿り気のある絡みを耐えるオイフェ。

 心なしか吐く息も湿度が高くなり、独身女傭兵はムワっとした空気を纏わせながら、美少年軍師を心配する体で嬲り続けた。

 

「他にも打たれた所はないかい?」

「いや、あの」

「よく見えないねぇ……ほら、こっちへおいで」

「あっ」

 

 ギラついた瞳を浮かべ、ぐいとオイフェを抱き寄せるレイミア。

 服の上からでも伝わる張りのある乳房、そして温い体温。

 レイミアの胸元に顔を埋めたオイフェは、香を焚き込んだ剣士服の下に、甘酸っぱい女の匂いも感じ取っており。

 少し、少年の体温も上昇する。

 

「嗚呼、どうしてこうも……」

「レ、レイミア殿?」

 

 そして、少年の暖かい体温とは比較にならぬほどブチ上昇(アガ)ったアラサー独身女傭兵。

 傷んだ少年の紅顔を見て、何かしらのスイッチが入ってしまったのだろうか。

 契約を結んだ時以降、肉を絡ませた情交を断っていたオイフェとレイミア。

 しかし、配下の女傭兵六人衆は、金髪の美童と宜しくヤっている日々。

 淫靡な熱に当てられ続けては、いかな地獄のレイミアといえど、平静を保ち続けるには些か限界を迎えていた。

 

美味(ウマ)そうに……!」

「ちょ、ちょっと! ひぅ!?」

 

 捕食開始。

 性癖に囚われた女盛りは、衆目を顧みず可憐な少年の肉を貪り始める。

 襟口からするりと手を入れ、桜色の蕾を蹂躙。更に、衣の上から少年の内槍も絡め取る。

 んふぅと鼻息を荒くし、熱っぽい表情を浮かべるレイミア。その湿り気が、涙目となって色々なアレに耐えるオイフェをじわりと侵食せしめており。

 そして、それを止める事は、もはや誰も──

 

 

「いきなりセクハラやめろや!」

 

 

 否、一人だけいた。

 

「なんだいベオ、いいところだったのに……ねえ?」

「え、いや、あの」

「いや周り見ろや。兵隊連中皆ドン引きしているぞ……」

 

 ベオウルフの一喝により、レイミアの性的虐待(ドセクハラ)は中断した。

 熱に冒されたように顔を赤らめるオイフェを撫でくり回し、レイミアは頬を膨らましながらそう不満を露わにする。

 だが、周囲のグリューンリッター兵士達が「うわぁ……」と、なんとも言えない表情を浮かべこちらを見ているのに気付くと、渋々とであるが少年軍師を解放した。

 ちなみに、何人かは股間を押さえ目を背けており。ダーナを出立して以降、これといった慰安を受けていない兵士達にとって、まさに目に毒であった。

 

 とはいえ、女所帯であるレイミア隊を性的に襲うものはいない。

 迂闊に襲えば女武者達の返り討ちに遭うのが必定でもあるのだが、そもそもグリューンリッターやヴァイスリッターの騎士、兵士達は、高い道徳教育が施されており。

 軍団の長であるバイロンやクルトの体面上という都合もあり、両騎士団は戦地での乱暴狼藉は一切しない、模範的な軍隊でもあったのだ。

 

 ちなみに、この時のレイミアとオイフェの湿り気のある絡みを見て、御稚児趣味(ショタ性癖)に目覚めた者が少なからずいたという。

 衆道若道は武門の誉なのだ。恐らく。

 

 

「い、今は、それよりも」

 

 なにはさておき、当面の方針を共有せねばならない。

 オイフェは熟れた肉体を持て余すレイミアとツッコミ疲れたベオウルフへ居住まいを正す。

 

「殿下は私の案を承諾しました。早速、今夜に」

 

 そう声を潜めるオイフェ。

 仔細を知るレイミアは、それまでの痴女面を引っ込める。ベオウルフもまた、表情を引き締め直していた。

 

「そうかい。ま、巧遅は拙速に如かずともいうしね。夜逃げはその日の内にやるのが相場ってもんさね」

「お、なんだい姐御。難しい言葉知ってんじゃねえか」

「アンタが無学すぎんだよ」

 

 軽口を叩き合う傭兵二人。

 少年軍師が企図する重大な計略に臨むには、些か調子が軽いようにも見えた。

 

(……いや、これがレイミア殿のやり方なんだろう)

 

 しかし、芯で抜けているようには見えない。

 傭兵ならではのメリハリというものなのだろうか。

 思えば、開幕ドセクハラも、オイフェが大事を前に気負いすぎないよう、レイミアが気持ちを解す意味で行ったのだろう。加えて、計略を余人に悟られない為にも、淫らな空気で場を擬態した意味もあったのだろう。

 もっとも、性欲が先走りメリメリしすぎており、あまり擬態効果は無かった気もするが、それはそれである。

 

「……」

 

 オイフェはペコリと傭兵二人へ頭を下げた。

 どちらにせよ、二人が己を気遣ってくれたのは事実。

 感謝。

 レイミアとベオウルフは、口元に優しげな笑みを浮かべオイフェへ応えていた。

 

「……デュー殿とホリン殿も直に物見から帰還します。今宵、殿下を抱き、我らは属州領へ脱出します」

 

 それから、周囲に聞こえぬよう小声でそう言ったオイフェ。

 その声色に、先程の危うさは無く。

 逆行少年軍師は、程よく冷静さを取り戻していた。

 

 

「ああ、でも明日の夜くらいにはそろそろ……ねえ?」

「性欲持て余しすぎだろ姐御! いい加減にしろ!」

「あの、もうちょっと真面目にやってください……」

 

 熱を疼かせる女傭兵とヤケクソ気味にツッコむ自由騎士を伴い、オイフェはレイミア隊の宿営地へと歩んでいった。

 

 

 

 


 

 月明かりが照らす砂漠の夜。

 イード砂漠はダーナとリボーを結ぶ街道沿い。

 グリューンリッターとヴァイスリッターの宿営地からそう離れていない場所で、“決戦”を間近に控えたゲルプリッターが宿営していた。

 重装魔導歩兵を中心とした、フリージ家が誇る雷騎士団。末端の兵士に至るまで、戦地に投入された兵士特有の緊張感を漂わせている。

 その中心部に、ゲルプリッター指揮官が控える大天幕があり。

 銀髪を靡かせた一人の将帥が、厳しい表情でその天幕を潜ろうとしていた。

 

「若様。少しよろしいか?」

 

 ゲルプリッター指揮官、フリージ公爵家ブルーム公子の大天幕へ、腹心であるグスタフ将軍がそう言いながら立ち入る。

 ブルームは難しい表情でそれを迎えた。

 

「グスタフか。何用か」

 

 大事を控え、寝付きが悪かったのだろうか。

 ブルームは寝酒を舐めながら寝台へ腰を下ろしており、目つきも少々剣呑なものとなっている。

 やや小胆な所があるブルーム。刻一刻と近付く“然るべき時”を前に、その緊張を酒精で誤魔化していたのだろうか。

 それに、先程ユングヴィ公子からの密使──バイゲリッターの着陣が遅れる報を聞き、ドズルと己の手勢だけで事に当たる羽目になったので、不安も増しているのだろうか。

 その様は、少々危うきもの。

 

「いえ、一つご報告がありまして」

 

 そのようなブルームに、特に感慨も持たないグスタフ。

 幼少の頃から傅役としてブルームを見守っていたグスタフ。大一番を前に萎縮し、何かで誤魔化す悪癖は、どれだけ教育を施しても治らず。

 同世代のドズル公子ダナンの猪突猛進ぶりとブルームを足して二で割れば丁度良く名将足り得る器になる、との王宮での評判は、不本意ながらグスタフも一理あると思っており。

 

(まあ、言わせておけばよい)

 

 事を成した暁には、そのような宮廷雀共のつまらぬ囀りは物理的に一掃せしめれば良い。

 そもそも、若き主君に足りぬ所は、己が補佐をすれば良いのだ。

 グスタフはそう割り切っていた。

 

 付け加えるなら、グスタフは此度の“叛乱”にバイゲリッターの戦力は不要とも考えていた。

 先のイザーク軍との会戦で、グリューンリッターは定数一万の兵力を三千にまで減らしている。

 ドズル公爵家騎士団グラオリッターの一万二千、そしてゲルプリッターの一万八千の兵力。

 (いくさ)童貞揃いのヴァイスリッター五千が無傷で残っていても、あちらは八千。こちらは三万。

 子供でも分かる、明確な数の利。

 

(シアルフィ公のティルフィングは脅威だが……しかし)

 

 こちらにはランゴバルドのスワンチカがある。多少の相性の不利はあれど、数で押し込めば十分に勝機はある。

 加えて、今のクルトは()()()()()()()()()()()

 勝算は十二分にあった。

 

 グスタフは改めてそう思考し、ブルームへ報告を続けた。

 

「属州総督補佐官の一行が我らの陣所を通過したいと。現在、ムハマドの部隊が調べております」

「属州総督? ああ、あのシグルド公子の」

 

 酔いが回っているのか、少々覚束ない口調のブルーム。

 さして興味が無いのか、おざなりにグスタフへ応えた。

 

「何もなければ通してやれ。大事の前の小事だ。気にすることもない」

 

 属州総督補佐官一行──オイフェ一行がイード砂漠の街道を通り、属州領へ帰還する事は、ブルームも事前に知らされていた。

 曰く、シアルフィ縁者として、バイロンらの陣中見舞いに訪れたとの由。

 

「よろしいのですか?」

「何がだ?」

「いえ、少々怪しきものがありますゆえ」

 

 しかし、グスタフはオイフェ一行に疑念を覚えており。

 夜間に移動するのは、気温が高い日中での移動を嫌ったからという砂漠ならではの事情があるので、それはまだ分かる。

 しかし公子身分とはいえ、ゲルプリッター指揮官であるブルームに何も挨拶もなく通り過ぎようという、些か無礼な振る舞い。

 軍勢の指揮に奔走されているブルームに遠慮したからだろうか。だが、何か引っかかる。

 そもそも。

 

「補佐官の護衛にしては些か規模が大きいかと。二百もの護衛は、小規模ながら軍勢といえるでしょう」

「グスタフ。お前は何を言いたい?」

「計画があちらに漏れた可能性も考慮しなければなりません」

「なに?」

 

 そう言ったグスタフに、ブルームはふむと考え込むように顎に手をやる。

 グスタフの意見を吟味した結果、ブルームは率直な意見を返した。

 

「少数の密使を放ってバーハラやシアルフィへ連絡を取ろうとするならば分かるが、計画を知りながらノコノコと我らの陣所を通過する事は無いだろう。大体、二百程度の兵で何が出来るというのだ。やはり放っておけばよい」

「しかし」

「どちらにせよムハマドに任せておけばよいのだ。私はもう休む。明日以降に備えねばならぬからな」

 

 ブルームはこれ以上の問答は無用と、グスタフに退出を促す。

 グスタフはため息を一つ吐くと、黙礼し天幕から退出した。

 

「……」

 

 確かに、何かに付けて疑り深いムハマドならば、怪しきものを発見次第即座に対処してくれるだろう。

 最近配下に組み込んだオーヴォという若い騎士も、ムハマドに似て猜疑心の強い男だ。この手の検閲任務に向いている。

 それに、ブルームの言う通り、オイフェ一行が仮に何かを含んでいるとしても。堂々とゲルプリッターの陣所を通過しようとしている事実が、彼らのある種の潔白を証明しているようなものだった。

 

「確かに……大事なのは明日以降……」

 

 そう独りごちるグスタフ。

 そもそもの叛乱自体が成功せねば、己どころかフリージの命運が尽きるのだ。ブルームが気負うのも理解できる。

 考えすぎか。しかし、どうにもこのタイミングは気になる。

 そう思いつつも、グスタフもまた“然るべき時”に備え、己の天幕へと戻っていった。

 

 

 

「女ばかりだな」

 

 ムハマド将軍の配下、ゲルプリッターの騎士オーヴォは、オイフェ一行を見て開口一番にそう言った。

 十人程が乗れる二頭立ての馬車が十数台。それと、十騎程の騎馬。

 いずれも女ばかりであり。

 

「女の園ってやつさ。お勤めご苦労さん」

「ふん。良い身分だな」

「いや、男が少ないから中々に肩身は狭いぜ? なんなら代わってやろうか?」

「ほざけ侠者(かせもの)風情が」

 

 オーヴォとそう剣呑なやり取りを交わすのは、馬上の身となるベオウルフだ。

 その少し後ろでは、馬車の御者台に座るホリンの姿。その表情は固い。

 オーヴォはベオウルフの飄々とした態度に辟易しつつ、手勢に指示を下し一行の取り調べを継続する。

 

「調べたって別に怪しいものは出ないわよ。さっさと済ませて欲しいわ」

「御禁制品の密輸を疑われるのは心外で御座る」

「まあこんな夜更けにお邪魔したらちょっと迷惑なのも確かだし~。我慢しなさい~」

「協力するんだから早く終わらしてほしいです」

「あ、それ自分の下着入れっスよ! プライバシーの侵害っス!」

「女子の恥部も容赦なく暴くとは騎士道にあるまじき醜態。ベルフェゴール」

「うるさいなお前ら!」

 

 そして、オーヴォはカーガら女幹部六人衆の喧しさにも辟易する。

 女三人寄れば姦しいとはいうが、彼女達は姦しいどころかちょっとした騒音だった。

 

「すいません、ほんとすいません」

「お、おう……」

 

 しかし、馬車の奥から全身を内出血(キスマーク)で赤く晴らし、頬を痩けさせたデューがプルプルしながら申し訳無さそうに現れると、オーヴォはその無残な見た目に免じ(引い)て、それ以上文句を言う事はなく。

 粛々と順繰りに馬車を臨検していく。

 

「しかしこのような夜更けに移動とは、属州総督補佐官も(せわ)しき役儀と言うべきですかな。オイフェ殿」

「無礼な形となったのは申し訳なく思います。ムハマド将軍」

 

 少し離れた場所で、オイフェはレイミアと共にムハマド将軍と会話しており。

 謝意をムハマドへ述べる一方、オイフェはデューにも申し訳ない気持ちを向けていた。

 デューは常に飢えた女狼の群れに捕食される獲物でしかなく。

 しかし、現時点では臨検の良い目くらましにもなっている為、そのままプルプルしてて欲しいとも思っていた。

 もっとも、翌日にはケロっとした表情でハツラツと働くので、流石は太陽の申し子と言うべきか。

 

 オイフェは一時期、デューのこの異常な回復力について、前世情報を含め考察した事がある。

 彼の回復力は、あの独自の秘剣“太陽剣”にも関わっていると推考していた。

 太陽剣。光魔法リザイアと同等の威力を放つ、対手の生命力を奪い取る妙技。

 彼がこのような剣技を会得したのは、ブラギの塔で聞いたという謎の声が関与しているとも推測していた。

 

 思えば、前世でデューが太陽剣を開眼せしめたのは、あのブラギの塔で謎の声を聞き、風の剣を拾得した事が切っ掛けであったかもしれない。

 その超常の声を聞いてから、デューは己の潜在能力を更に開放していったようにも思える。

 これらを鑑み、オイフェはデューがブラギの一族──祖竜バルキリーと何かしらの関わりがあったのではと、当初はそう推測していた。

 生命を司るバルキリーの能力由来なら、太陽剣の効果にも説明が付き易い。

 

 しかし、竜族が二人以上と契約を交わした事実は考え辛く。それに、契約を交わしたのならば、デューにも聖痕、あるいはそれに準じる印が身体に現れているはずだ。

 だが、デューにそのようなものは無い。共に風呂に入った時にそこは確認済だ。

 まじまじと己の裸体を眺めるオイフェに、デューは「えっ、オイフェってもしかしてソッチ(いい男)の気も……」と、ちょっと引いていたのは余談である。

 

 となれば、デューはもっと別の要因で、その超常めいた力を得た可能性があった。

 ブラギがエッダ教を布教する前から存在していたユグドラル土着宗教。

 精霊を信仰していたその宗教は、ブラギの塔にも縁がある。

 

 オイフェは思い返す。いい男と共に邂逅した、泉の精霊。

 竜族とは違う、この世に存在する超常の存在を。

 もしかしたら、デューはそれらと何かしらの関わりがある人物なのかもしれない。太陽の力は、竜族ではなく精霊由来なのかもと。

 全て推測の域を出ないが、少なくともデューは聖戦士の血統を受け継ぐ者達と同様、常人にはない何かを持っているのは確かであった。

 

 天真爛漫な盗賊少年デュー。

 中々に謎多き人物である。

 

 

「いかがいたした?」

「いえ、なんでも」

 

 ムハマドの声を受け、オイフェはやや逸脱した思考を元に戻した。

 今はデューの正体よりも、この関門を突破するのが先決だ。

 

「ウチの連中が粗相したらすまないねぇ、将軍サン」

 

 すると、レイミアがムハマドへ皮肉めいた笑みを向けながらそう言った。

 傍から見ると、望まぬ臨検に不快を露わにした無礼な女頭目の姿に見える。

 

「……オイフェ殿。随分と品性に欠ける者を連れ歩いておるのですな。シグルド総督の配下はこのような者ばかりなので?」

 

 それを無視し、ムハマドは受けた皮肉をオイフェへ返していた。

 人間性は顔に出ると良く言うが、ムハマドの顔も捻くれた性格がにじみ出ており。

 まるであのアグストリアの愚王、シャガールのような悪相だと、オイフェは密かに思っていた。

 

「重ねて申し訳有りません。あとできつく叱っておきますゆえ」

 

 しかし、オイフェは素直に頭を下げる。

 ムハマドの注意を引けるのならば、いくらでも頭を下げてやるといったところだ。

 

「へぇ……きつく……フフ、たまにはそういうプレイもいいかもねぇ……」

「……」

 

 普段のサディストっぷりから、ちょっとSっ気のある美少年にオモチャにされるマゾプレイにも興味があります、と若干倒錯し始めたレイミアに、オイフェは見て見ぬ振りをした。「えっ、オイフェ殿ってそういう趣味もお持ちなの?」といった表情を浮かべるムハマドにも気付かぬ振りだ。

 全ては、あるものを隠す為。

 その為ならば、変態上等である。

 

「将軍、一通り調べましたが、特に怪しきものは見当たりませんでした」

 

 しばらくして、オーヴォがムハマドへそう報告して来た。

 全ての馬車、積荷含めチェックしたオーヴォ。イザーク産の阿片等、禁制品を隠し持っている様子も無く。

 

「そうか……ではオイフェ殿。我らの陣所を抜けるのを許可しよう」

「お手数をおかけしました。ブルーム公子にも宜しくお伝えください」

 

 ムハマドの許可が下りると、オイフェ一行はダーナ方面へ出立すべく馬列を進ませる。

 その様子を、ムハマドとオーヴォは顰めた表情で見つめていた。

 ともあれ、仕事は終わった。

 夜も更けて来たことだし、さっさと一杯やって寝るか。

 そう思ったムハマドは、ふと馬車の一台を見留める。

 

「……うん? なんだあのシスターは」

 

 金髪の剣闘士、ホリンが手綱を握る馬車。

 固い表情で手綱を握るホリンの隣で、御者台に座る一人のシスターの姿があり。

 それを、ムハマドは訝しげに見つめていた。

 

「ああ、あのシスターですか。なんでも喉に古傷があるらしく、一切喋ることが出来ないとか」

 

 ムハマドに応えるオーヴォ。

 やたら背の高いシスターへ、感慨もなくそう言っており。

 

「いやしかし、あのような()()に生まれてしまうと、傭兵団でしか生計を立てられないのでしょうな。なんとも哀れな」

 

 フードを目深く被っているので、シスターの表情はここからだとよく見えない。しかし、筋張った顎先、キツイ化粧が散りばめられたその汚い面相は、間近で見たオーヴォは非常に残念な女ぶりと思っており。

 聾唖に加え醜女の人相。あれでは嫁の貰い手もいないだろうと、憐憫にも似た眼差しも向けていた。

 

「ふむ……まあよいか」

 

 シスターがフードから覗かせる金髪を見つつ、ムハマドはそれ以上追求する事はなく。

 オイフェ一行は、やがて闇に紛れるように、ムハマド達の視界から消えていった。

 

 

 

「で、殿()()。その、そろそろよろしいかと……」

 

 一行がゲルプリッターの宿営地から十分に離れた頃。

 それまで固い表情だったホリンは、恐る恐る、いや、畏る畏るといった体で、隣に座るシスターへ声をかけていた。

 

「……クックックック」

 

 そして、フードを被るシスターが、男性的な笑い声を漏らす。

 

「殿下、申し訳有りません。このような変装をさせてしまい……」

 

 さらにオイフェが、レイミアが駆る馬上から、シスターへそう謝罪する。

 くつくつと肩を震わせるシスターは、おもむろにフードを取り払った。

 

「いや、まさかこの歳になってこのような体験をするとは思わなかったよ」

 

 フードの下に隠れていたのは、ユグドラルでも貴種中の貴種の顔であり。

 グランベル王太子クルト。

 厚化粧にも程がある珍妙な顔面を、さも面白いといった風に歪めていた。

 

「いえいえ、よくお似合いですよ。王太子殿下」

「レ、レイミア殿!」

「いや、オイフェ。自分で言うのも何だが、よく出来た()()だと自負しているよ。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい」

 

 レイミアの不遜な態度を受けても、楽しげにそう言い放つクルト。

 仮装舞踏会でもこのようなあからさまな女装はした事はなく、心底楽しげであった。

 

「いやしかし、まさか女装してゲルプリッターの目を掻い潜るとは思わなかった。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい」

「ご不便をかけてしまい申し訳有りません。ですが、今しばらく辛抱していただきたく」

「構わんよオイフェ。まあ、今しばらく女の振りを楽しむとしよう。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい。……なんで俺ばかり」

 

 そう笑いながら、クルトは御者台の上で寛ぎ始める。

 逃亡している身の上であるのに、この王子は存外に肝が太いようだった。

 

 オイフェが画策したゲルプリッター宿営地通過。

 積荷の臨検を受けるのは予想済であり、そこへクルトの身を隠すのは下策であるのは明確。

 堂々と身を晒しながら通過するのは論外だ。

 ならば、どうするか。

 

 オイフェが導き出したのは、クルトを女装させ、宿営地をやり過ごすといった奇天烈な策だった。

 木を隠すには森の中。

 女所帯であるレイミア隊に、ブサイクな女が一人紛れていても不自然ではない、といったやや強引な策。

 

 しかし、それは上手くいった。いってしまったとも言えた。

 

「私は少し休むとするよ。化粧はこのままの方がいいのかな?」

「はい、殿下。申し訳ありませんが、ダーナを抜けるまではそのままで」

「ふむ……まあ肌が荒れたらライブで治せばよいか。起きたら化粧の直し方を教えてくれ。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい。……だからなんで俺なんだ」

 

 気安い空気を纏うクルト。

 とても大国の王子とは思えないが、かえってそのフランクさがレイミア隊に馴染んでもいた。

 さっさと馬車の奥で横になるクルトに、ホリンは固い表情を浮かべ続けていた。

 

 

「とりま、第一関門は突破さね」

 

 鞍上を共にするオイフェへ、レイミアはシニカルな笑みを向けており。

 当然のように前に座らせるレイミアに、オイフェは僅かに頬を膨らませていた。

 

「……まあ、あくまで第一関門です。直に気付かれ、追手も来るでしょう。急ぐ旅路なのは変わりません」

 

 そう言って、表情を引き締め直すオイフェ。

 バイロン達が叛乱諸侯の軍勢を引き付けるとはいえ、八千の軍勢では三万の軍勢全てを誘引する事は難しいだろう。

 少なくない数の追手が差し向けられるのは必定であった。

 

「そうさね……まあ、本番はここからなのは理解しているよ」

 

 レイミアはあくまで不敵な笑みを崩さず。

 しかし、僅かに緊張した面持ちも覗かせる。

 事前にオイフェと打ち合わせした内容を反芻しているのか、手綱を握る力も強まる。

 

「ダーナに到着……少なくともイード砂漠を抜けるまでは、油断は禁物です。ここには彼らが潜んでいます。襲撃は避けられません」

「わかっているよ。それにしても」

 

 そう言いつつ、レイミアはオイフェの身体へ密着し、自身の胸を必要以上に押し付けており。

 頭に感じる柔い感触を受け、オイフェは少々赤面するも、とやかく言うつもりはなかった。

 これは。いつものセクハラではない。

 無意識に、女傭兵は恐れていた。

 その恐れを誤魔化しているのを、オイフェは察していた。

 

「暗黒教団のダークマージか……流石に相手にした事はないけど、聞いた話じゃ手強い相手だろうね」

 

 イード砂漠に潜む暗黒教団。

 クルト王子の逃亡が発覚したら、叛逆諸侯の追手に加え、ロプトのダークマージが襲い掛かってくるのは想像に難くない。

 

「暗黒魔導も脅威ですが、高位のダークビショップは洗脳術も使って来ます。その場合、術者を倒すのに全力を傾けねばなりません」

 

 数々の暗黒魔導は脅威であるが、それ以上にオイフェは暗黒司祭の洗脳催眠術も警戒していた。

 思い返す、前世の時。

 バーハラでの最終決戦での時。

 ロプト大司教マンフロイの洗脳に陥った皇女ユリアの姿を、オイフェは鮮明に思い出していた。

 

「怖いねえ……ああ、王太子殿下は何故ナーガを持っていなかったのかねぇ。アレがあればロプトの連中なんて一発でぶっ飛ばせるんだろ?」

「仕方ありません。ナーガは本来人に向ける魔法ではありませんから」

 

 レイミアの愚痴にも似た言葉に、オイフェは少々同調するように宥める。

 神聖魔法ナーガ。

 グランベル王国を治めるバーハラ王家にだけ伝わる魔道書であり、暗黒魔法ロプトウスに唯一対抗できると言われる光魔法。

 王家の始祖である十二聖戦士の一人、聖者ヘイムの直系しか使用できぬ光輝の魔法を、此度の遠征でクルトが持ち出す事はなく、バーハラ王宮に安置したままである。

 父王アズムールからナーガの継承は済ませていたのだが、ナーガの本来の役目は、先述の通り暗黒魔法ロプトウスに対抗する為にある。

 その威力は凄まじいが、魔導書に封じられた神竜ナーガの意志が、人と人との争いにナーガを使用する事を禁じていたのだ。

 

 事実、オイフェはその威力を前世で一度しか目撃しておらず。

 言い換えれば、十二聖戦士の戦い以降、ナーガが使用されたのは一度しかない。

 それは、ロプトウスの化身となったユリウス皇子を、同じくナーガの化身となったユリア皇女が打倒した瞬間だけである。

 

 そして、此度のオイフェの逆行に於いて、ナーガの使用は想定されていなかった。

 ロプトウスの復活など、此度の生では絶対にさせない。

 そう、揺るがぬ決意を持っていた。

 

「……補佐官殿」

 

 ふと、レイミアは珍しく真面目な口調でオイフェへ語りかける。

 何か、と、オイフェは顔を上げ、レイミアの表情を見つめた。

 

「もし……補佐官殿が洗脳されて、洗脳した術者を倒せなかったら、どうすればいい?」

 

 オイフェの目を見つめながら、静かにそう言ったレイミア。

 いつもの皮肉げな表情は一切無い、真摯な眼差し。

 オイフェは、静かに応える。

 

「その時は、私を殺してください」

 

 真摯な眼差しを返し、そう言い放ったオイフェ。

 その瞳に動揺は一切無い。

 大切なシグルド、ディアドラ、そして勇者達の幸せな結末。

 それを見届ける事が叶わぬのは、死ぬよりも辛い。

 

 しかし、己が洗脳されては、彼らは前世と同じく悲劇に見舞われるのは確実だ。

 それは、死ぬよりも辛い。

 

 そして。

 

「ですが」

 

 オイフェの瞳に、僅かに闇が浮かぶ。

 それを見て、レイミアは息を呑んだ。

 

「その後……アルヴィスを、必ず殺してください。何に代えても」

 

 まだ出会って間もないレイミアに、このような呪いめいた願いを託すのは筋違いかもしれない。

 しかし、オイフェはそう言わずにはいられなかった。

 そして、レイミアがこの願いを聞き入れてくれるだろうとも。

 そう、願う。

 

「……わかったよ」

 

 しばしの間を置いて。レイミアは、少年の闇を哀れむような表情を浮かべながら、そう応えた。

 オイフェの呪いを、レイミアは甘受していた。

 

 荒野を進むオイフェ達。

 その先は、月明かりですら照らしきれぬ、深い闇が広がっていた。

 

 

「……じゃあ、アタシが洗脳されたらどうする?」

「えっ……」

 

 それから、レイミアはいつものシニカルな笑みを浮かべ、オイフェへそう問いかけた。

 オイフェは少々の動揺を見せる。

 だが、やがて、はっきりとした口調で応えた。

 

「その時は助けますよ。安心してください」

 

 少年軍師の瞳から、闇が消え失せ。

 代わりに、暖かな火が宿っていた。

 オイフェは、それを自覚しているのだろうか。

 

「……そうかい」

 

 レイミアは優しげな笑みを浮かべると、オイフェの額に口づけを落とした。

 少しだけ、その頬は紅く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マンフロイ「ふぉふぉ……ユリアよ、お前はわしの催眠術にかかった。今からわしの言うがままに動くのだ。宙に浮けーーっ!」
ユリア「はい……ユリア……そ……空に浮きマス……」フワー
ユリウス「凄ェ!」

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