逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第43話『夜伽オイフェ』

  

 親愛なる兄上へ。

 

 早いもので、僕がヴェルトマーを出てからもう一年が過ぎようとしています。

 兄上はお変わりありませんか?

 僕は兄上のような立派な魔法使いになれるよう、毎日努力をしています。

 この間はついにボルガノンの魔導書が使えるようになったんですよ。

 少しずつ、兄上に近付けているといいなって思います。

 

 勝手にヴェルトマーを出て、兄上やコーエン伯爵に迷惑をかけた事は申し訳なく思います。

 でも、シグルド総督のところでお世話になってから、本当に毎日が充実しています。

 いつか立派になって、迷惑をかけた分をお返ししたいと思っています。

 そういえば、兄上の言いつけもちゃんと守っていますよ。

 毎朝欠かさず馬術と魔術、それに剣術の鍛練を続けています。

 最初はきつかったけど、最近はもう慣れました。

 

 ……レックスが毎朝僕の部屋の前でわざわざ持ってきたベンチに座りながら「(鍛練を)やらないか」って言って誘ってくるのはいつまで経っても慣れませんが。

 なぜ彼は毎朝謎のダンスを躍りながら僕を鍛練に誘うのでしょうか。

 正直斧を振り回しながら変な角度のポーズを見せつけてくるのは意味不明ですしちょっと怖いです。

 レックスの友人をやってもう十年以上経ちますが、未だに彼の事がよくわかりません。

 僕は本当に彼の友人をやれているのでしょうか?

 

 ……もうひとつだけ、弱音を吐かせてください。

 僕は、この間、失恋しました。

 兄上が「高嶺の花だ」と僕に仰ってましたが、彼女……エーディンが選んだのは、僕よりも身分の低い、ユングヴィの騎士でした。

 

 僕には何が足りなかったのでしょう。

 彼女と一緒にいた時間? 男としての魅力?

 それとも、彼女に対する想いの深さでしょうか?

 

 ……ごめんなさい、久しぶりの手紙なのに変な事を書いてしまって。

 でも、僕はもう平気です。

 しばらく落ち込みましたけど、今は立ち直れています。シグルド総督を始め、属州領の人達が慰めてくれましたし。

 ちなみにレックスも慰めてくれました。いつもの変な感じじゃなくて、割りと真面目に。

 やっぱり彼は僕の友人、いえ、親友なんだと思います。

 少なくとも、僕はそう思っています。

 

 ここ一年、色々ありましたが、僕は元気にやっています。

 辛い時もありましたが、結局、兄上が言ってくれた言葉が、僕の支えになってくれました。

 兄上が僕を愛しているという事。

 この先どんな事があっても、それだけは絶対に信じてほしいと言ってくれた事。

 

 だから、僕も兄上を愛しています。

 それだけは、絶対に信じてほしいです。

 

 属州領の仕事が忙しくて中々会いにいけませんが、今度シグルド総督の許しを得てバーハラに遊びに行くつもりです。

 その時は、真っ先に兄上に会いにいきますね。

 

 それじゃあ、体に気をつけて。

 愛しています。アルヴィス兄さん。

 

 アゼルより。

 

 

 

 

 

 グランベル王国

 バーハラ王宮

 ヴェルトマー公爵執務室

 

 唯一肉親と認める弟からの手紙を、ヴェルトマー公爵にしてグランベル王国近衛騎士団長アルヴィス・フィアラル・ヴェルトマーは、物憂げな表情でそれを読んでいた。

 

「アゼル……」

 

 十二聖戦士の一人、魔法戦士ファラの血を引く、ただ一人の肉親。

 アルヴィスには、もうアゼルしか家族は残されていなかった。

 

 呪詛を残し自害した父ヴィクトル。

 そして、その呪いから逃れるように姿を消した、母シギュン。

 当時七歳だったアルヴィスは、両親を喪った悲しみに苛まれながら、ヴェルトマー公爵家を継承していた。

 

 そんな。

 どうして。

 父上も、母上も。

 どうしていなくなってしまったの?

 僕は、ひとりぼっち……

 

 深い絶望、そして孤独に苛まれていたアルヴィス。

 だが、唯一、その孤独を癒やす存在がいた。

 

 アゼル。

 たった一人、血のつながった。

 僕の弟。

 僕は、一人じゃないんだ。

 

 アルヴィスは子供公爵と侮られまいと、自然とその紅顔に鉄仮面を纏わせるようになった。

 海千山千の貴族達の前で、弱みを見せないよう振る舞っていた日々。

 必然というべきか。

 純粋無垢な、腹違いの弟アゼル。それが、アルヴィスの安らぎとなっていた。

 加えて、シギュンの下女であったアゼルの母も、アルヴィスへ誠心誠意尽くしており、アルヴィスは彼女と弟にだけ心を許すようになる。

 

 その彼女も、アルヴィスが十七歳、アゼルが十歳の時に流行り病により亡くなっている。

 アゼルにおけるレックスのような気心知れた友人もいないアルヴィス。

 もはやアルヴィスが心を許せるのは、アゼルただ一人だけだった。

 

(だからこそ──)

 

 憂いを込めた表情を、更に歪めるアルヴィス。

 己がこれからやろうとしている事、そしてこれまでにやってきた事。

 それらをもしアゼルが知れば。

 アゼルは、アルヴィスから離れる事となるだろう。

 家族としての縁は断ち切られ、敵となるのだ。

 

 嗚呼、アゼル。

 私は、お前まで失いたくない。

 大切な、大切な弟のお前を。

 だけど。

 

「私に流れている血が、ファラだけではないなんて……! よりによって……!」

 

 苦痛に呻くようにそう独りごちるアルヴィス。

 悲痛な叫びは、誰もいない執務室に虚しく響いていた。

 

 

「これはこれは、なんとも痛ましいご様子ですな。アルヴィス卿」

「ッ!」

 

 

 突として、執務室に不気味な声が響く。

 一体いつ現れたのか。それとも、初めからそこにいたのか。

 濃紫色のローブに身を包んだ怪人が、アルヴィスへ向け醜悪な笑みを向けていた。

 

「マンフロイ……!」

 

 アルヴィスは怪人──マンフロイの名を、怜悧な眼光と嫌悪感を込めて呼んだ。

 暗黒教団の首魁、ロプト教団大司教マンフロイ。

 アルヴィスの殺視線を受けても全く意に介さず、不敵な笑みを浮かべ続ける。

 大陸の裏で暗躍し続けるマンフロイの胆力は、その程度では動じる事はないのだ。

 

「相変わらず神出鬼没だな貴様は」

「いえいえ。卿のおかげでございますよ」

「ふん……」

 

 天下のグランベルはバーハラ宮殿に、このような不審者が自由に出入り出来るには訳がある。

 常ならば、ワープ等の転移魔法を封じる為、エッダ教団による厳重な魔法結界が張られているバーハラ宮殿。最高権力者の所在地では、グランベルのみならず各国でもこのような結界が施されており、暗殺者から身を守る絶対的な防御機構として機能していた。

 しかし、ヴェルトマー公爵の執務室だけは、数年前からこの結界が解かれており。

 王国を鎮護する者の手引によって、暗黒教団の者が王宮内へ侵入を果たす、異様な事態。

 建国の父聖者ヘイムや、この結界を編み出した大司教ブラギも、この事は予想出来なかったであろう。

 

「で、今日はどうしたのだ。くだらん用事でわざわざ表に出るようなリスクを侵しに来たわけではあるまい」

「いえ、アグストリアでの仕込みが一段落したので、ご報告に上がっただけにございますよ」

「……そうか。では、イムカ王は」

「クックック……直にイムカ王の崩御が、バーハラにも伝わるでしょうな……」

 

 マンフロイはそう嘯き、己が策謀する大陸全土を巻き込んだ一連の陰謀を垣間見せる。

 アグストリアでの王位簒奪劇。

 賢王と謳われたアグストリア諸侯連合の主、アグスティ王イムカを、実子であるシャガール王子が暗殺せしめ、アグストリアの王位を簒奪する。

 それは、シャガールの野心を、操り人形の如く操ったマンフロイの手により成し遂げられていた。

 

「シャガールは思いの外よく踊ってくれる……引き続きアグストリアへ赴く必要はありますが、今後も我々の意のままに踊ってくれるでしょう」

 

 アグストリアにおける謀略は、マンフロイやアルヴィスが進める陰謀の一端であり。

 端的に言えば、陰謀成就の障害となる抵抗勢力を、アグストリアと相争わせ、根こそぎ廃滅させる為の謀略であった。

 アグストリアをグランベルへ侵攻させ、後のアルヴィスの治世における抵抗勢力と相争させる。それは、現段階で手を組んでいるレプトールやランゴバルドも含まれていた。

 どちらが生き残っても、相争し疲弊した状態に陥るのであれば、アルヴィス率いるロートリッターの敵ではない。

 

 結局のところ、アグストリアもまた滅ぼす対象であり。

 アルヴィスによる、グランベル王国簒奪。

 そして、その後に控えるユグドラル統一。

 絶対的な法治国家を建国しようとするアルヴィスは、暗黒教団と手を組み、それを成し遂げようとしていた。

 

 暗黒司祭の真意に気付かぬまま、炎の公爵は覇道を突き進んでいたのだ。

 

「それで、私もお前の手の内で踊る人形にすぎんというわけか」

「何を仰る。貴方は我々の同志であり、同胞ではありませんか」

「……」

 

 そう言われると、アルヴィスの表情は更に闇が増す。

 己の身体に流れる血統。

 それは、ファラの系譜だけではない。

 

「ロプトの血脈を抱く大切な御身……それを操り人形にしようなどと、我らは露ほどにも思うておりませぬ」

 

 遥か昔。

 ユグドラルから遠く離れたアカネイアの地にて、とある竜族と契約(ゲッシュ)を交わした者がいた。

 竜の意思が封じられた魔導書、そしてそれを操るための資格──竜の血を呑んだその男の名は、ガレという。

 そして、竜の名はロプトウスといった。

 後にユグドラル大陸を暗黒の世にしたロプト教団、ロプト帝国の祖であり、その象徴である。

 

 連綿と受け継がれた暗黒の血統、ロプトの嫡流は、グラン暦648年の十二聖戦士の戦いにより途絶えていた。

 しかし、ロプト帝国の歴史における、唯一の善性──ロプト皇族だった聖者マイラの血統だけは、途絶える事もなく今日まで受け継がれている。

 精霊の森に隠れ棲んでいたマイラの一族。

 アルヴィスの母親シギュンこそが、マイラの末裔であり、ただひとつ遺されたロプトの血脈だった。

 

「マンフロイ。重ねて言うが」

 

 マンフロイの言を受け、アルヴィスは射抜くような視線を向ける。

 

「私はロプト帝国を再興するつもりは微塵もない。私の中に流れるロプトの血は、人々を救うために立ち上がった聖者マイラの血なのだ。私は、あくまで貴様らロプトの者でも差別されない、公平な世を作りたいだけだ。それを忘れるなよ」

 

 己に言い聞かせるようにそう言ったアルヴィス。

 マンフロイは、あくまで不敵な笑みを崩さず。

 

「ほっほっほ……よく分かっております。我らが迫害をされない、素晴らしい世を迎える為にも……よく分かっておりますとも」

「……」

 

 マンフロイの嘯きに、冷徹な表情を浮かべるアルヴィス。

 アルヴィスへへりくだるような態度のマンフロイだったが、現時点でのイニシアティブは五分五分である。

 もし、この時点で、マンフロイがアルヴィスのロプト血統を表沙汰にすれば。

 アズムール王を初め、グランベル王国、いや、世界は、アルヴィスの存在を許さないだろう。

 もっともこの場合、マンフロイら暗黒教団もアルヴィスの道連れとなる定めであり。アルヴィスの処刑を機に、世界中でより苛烈な暗黒教団狩りが行われるのは想像に難くない。

 故に、互いに利用価値のある内は、互いを絶対に裏切らない関係ともいえた。

 

「しからば、念には念を。そもそものクルト王子暗殺が失敗すれば、これまでの仕込みは全て意味を成さぬのですからな」

「分かっている……貴様はもう失せろ」

 

 追い払うように退出を促すアルヴィス。

 これ以上、マンフロイが放つ闇の瘴気に耐えられぬと言わんばかりに。

 ほくそ笑みながら、マンフロイは素直にそれに応じようとした。

 

「では、最後に」

 

 しかし、退出間際に、マンフロイは邪悪な笑みを殊更深め、アルヴィスへ振り向いていた。

 

「未来の皇帝陛下へ良い知らせを。もうじき貴方の花嫁をご覧に入れられるかもしれません」

「なに?」

 

 そう言ったマンフロイ。思わず、アルヴィスはその邪悪な面貌を見やる。

 

「クルト王子が密かに産ませた落とし胤。ナーガの姫君の所在がようやく判明しましてね。お会いできる日を心待ちにされるがよい……では」

「……」

 

 そして、マンフロイは来た時と同様に、音もなくアルヴィスの前から消え去っていた。

 

「クルト王子の落胤か……」

 

 そう独りごちるアルヴィス。

 マンフロイが伝えるヘイム直系女子の存在。信憑性は疑わしい。

 そもそも、後継問題を抱えるクルトが、何故その女子の存在を認知していないのか。

 そして、マンフロイはどうやってその女子の存在を探し出す事が出来たのか。

 疑問は尽きない。

 

「本当にいるのなら……」

 

 しかし、仮にヘイム直系女子を、己の手中に収める事が出来るのなら。

 超法治社会の樹立という己の野望を、より確実なものに出来る。

 アルヴィスはグランベル王国の簒奪を狙っているが、なにも王国の内乱を望んでいるわけではない。

 正統な理由を以て、アズムール王から王権を禅譲されるのが理想であり、主たる目的でもあった。

 

「……」

 

 アルヴィスはそこまで思考すると、おもむろに立ち上がり執務室を出る。

 マンフロイの言う通り、クルト暗殺が確実に行わなければ、これまでの策謀が全て無駄になる。

 念には念を入れる必要があった。

 

「アルヴィス様」

 

 すると、扉の前で待機していた一人の女性が、アルヴィスへと頭を垂れた。

 アルヴィスの腹心にして、赤髪の女将軍。

 ヴェルトマー家重臣コーエン伯爵の一人娘、アイーダだ。

 

「アイーダ」

「はっ」

 

 バーハラ市内にあるヴェルトマー家の屋敷へと歩むアルヴィス。

 追従するアイーダへ、振り返らずに言葉をかけた。

 

「今宵は伽をせよ」

「……はっ」

 

 アルヴィスの命に、数瞬遅れて応えるアイーダ。

 将に相応しき凛々しい顔つきを無表情に留めていたが、僅かに瞳が濡れていた。

 アイーダが主の初めてを務めてから、既に十年が経過していた。

 だが、ヴェルトマー主従の肉体関係は、未だに続いていた。

 

 そして、アルヴィスがアイーダの肉体を求める時は、ただの情事ではなく。

 公には出来ない、密命を下す時でもあった。

 

 

 

 

「マンフロイ様」

 

 所変わり、バーハラ郊外。

 清涼な緑に溢れる森。しかし、その景勝に相応しからぬ暗黒の者がいる。

 先程アルヴィスの前に現れていたマンフロイ。

 そして、そのマンフロイに跪く、もう一人の暗黒司祭。

 

「ベルドか。トラキアでの首尾はどうじゃ?」

 

 濃緑色のローブに身を包むロプト教司祭、ベルド。

 主にトラキア半島での策謀に携わる、暗黒教団幹部の一人である。

 

「万事滞りなく。コノートの将軍が思いの外野心溢れる男でして、上手く使えば北トラキアを崩す要因になるやもしれませぬ」

「そうか。しかし、南トラキアとのバランスも考えねばならぬ。我らが北トラキアを制する地ならしは、慎重に進めねばならぬぞ」

「はっ。承知しておりまする」

 

 謀議を交わす暗黒司祭共。

 マンフロイの手足として働くベルドら暗黒司祭は、世界中にその根を下ろし、暗躍を続けている。

 全ては、ロプトによる暗黒の世を、再びこのユグドラルに築き上げる為。

 そして、迫害され続けた恨みを晴らす為である。

 

「このベルド、サンディマのような下手は打ちませぬ。安心してくだされ、マンフロイ様」

 

 同僚の不手際を嘲るように言ったベルド。

 ヴェルダン方面を任されていたサンディマの死は、教団内で知らぬ者はいない。

 

「奴は最後に詰めを誤ったな……シギュンの娘の居場所を突き止めたまでは良かったのだが」

「ディアドラと申す娘でしたかな。あの属州総督の」

「左様。だが、拐かそうにも守りが固くて迂闊に動けん……バーハラよりも魔法結界が厳重とか、どうかしておるぞあそこは」

 

 暗黒教団は既にディアドラの存在を突き止めていた。

 あとはその身を拉致せしめるだけなのだが、オイフェが金にものを言わせ拵えた超厳重な魔法結界、そしてオイフェの言いつけを律儀に守ったシグルドの二十四時間の鉄壁のディアドラ見守り体制は、流石の暗黒教団首魁でも手が出せずにいた。

 絡め手でディアドラ誘拐を実行しようとしたサンディマも失敗し、その命を落としている。

 故に、もっと大掛かりな仕掛けが必要だ。

 暴力めいた外圧を用いる手段しかない。

 

「アグストリアは属州領を戦乱に巻き込む為の駒よ。儂はそれに集中せねばならぬ」

 

 アグストリアをグランベルに攻めさせる本来の目的。

 それは、戦乱によりディアドラの防備体制に隙を作り、暗黒の手に収める事だ。

 マンフロイが陣頭指揮を取り続ける理由でもあり、失敗は許されない、至上の目的である。

 

 そして、現在の暗黒教団は、もう一つの目的も達成せねばならない。

 マンフロイは跪くベルドへ命令を下した。

 

「ベルド。お主は一旦トラキアでの工作は中断し、このままイード神殿へ戻るのだ」

「はっ。クルト王子暗殺ですな?」

「うむ。叛乱諸侯が万が一クルト王子を取り逃した時に備え、ダークマージを街道沿いに潜ませよ。……クトゥーゾフだけでは些か不安だからな」

「はっ。……近頃忘れっぽくなっていますからな、あの御仁は」

 

 万全を期すべく策動する闇の血族達。

 彼らもまた、絶対に負けられぬ戦いに身を投じていたのであった。

 

「分かっているな。万事抜かり無く進めるのだぞ」

「はっ」

 

 そして、ベルドはワープの魔法を用い、イード神殿へと帰還していった。

 

「……属州領か。彼奴等にも注意せねば」

 

 マンフロイは陰謀が順調に進行していると確信するも、どこか違和感を拭いきれずにいた。

 己の大陰謀に抗する何者かの存在。

 その存在を僅かに察知していたマンフロイは、剣呑な雰囲気を纏わせつつ、ベルドに続きバーハラから姿を消した。

 

 

 

 

 

 深夜。

 バーハラ市内にあるヴェルトマー公爵邸の一室。

 重厚なバロック様式の調度品が並ぶ寝室で、一際大きなベッドが備え付けられている。

 そこで、一組の男女が、互いの赤い熱に包まれていた。

 

「アルヴィス様……」

 

 激しい行為の後、濡れた肢体をアルヴィスへ預け、湿った吐息を漏らすアイーダ。

 アルヴィスは精を吐き出しきったのか、静かな寝息を立て眠っている。

 燭台の淡い光に照らされた主の寝顔を、アイーダは濡れた瞳で見つめていた。

 

 この御方はいつもそう。

 初めて臥所を共にした時から変わらないわ。

 

 そう想いながら、アイーダはアルヴィスの唇へ、そっと指先を這わせた。

 瑞々しくも、擦り切れたその唇。

 そして、触れた指先を、自身の唇へ当てた。

 

 アイーダに唯一許された、アルヴィスとの口吻(キス)

 どれだけ肉体(カラダ)を重ねても、アルヴィスは決してアイーダと直接口づけを交わすことは無かった。

 そして、それはこれからも変わらないだろう。

 アルヴィスが正式な伴侶を迎える時まで、この切ない行為は続くのだ。

 

 アルヴィスとアイーダが関係を持った理由は、ごくありふれた理由だった。

 男性貴族の初体験は人それぞれであり、大抵は士官学校時分に貴人向けの娼館へ行くか、実家の下女相手に筆おろしをするのが常で、シグルドのように伴侶の女性に童貞を捧げるのは稀である。

 そして、アルヴィスの場合は、副官として宛てがわれたアイーダとの艶事だった。

 

 アルヴィス十五歳、アイーダ二十歳の時。

 正式な伴侶としてではなく、あくまで副官であり、情婦としての関係。

 アイーダもまた初めてであったが、交合の知識は十分に習学していた。

 互いに拙さの残る情事だったが、少なくともアイーダにとって、それは尊い思い出として残っていた。

 

 この頃のアルヴィスは、まだ初々しさも残しており、アイーダは忠義以外の感情もアルヴィスへ向けていた。

 いや、それは十年経った今でも変わらず。

 むしろ、忠義と共に、その想いは深まるばかりだった。

 

 だが、アイーダはその心中を吐露する事は許されなかった。

 己の本分は、アルヴィスの剣であり盾。

 それを忘れる事は許されない。

 アルヴィスの妻として生きるのは、アイーダには許されなかった。

 

 しかし、アイーダは一つだけ禁忌を犯していた。

 それは、主と関係を持ってから二年後の事。

 丁度、アゼルの母親が亡くなった時の事。

 

 サイアス。

 許されない子。

 でも、私は、あの子を殺す事が出来なかった。

 

 愛する男の子を孕むという幸せ。

 そして、主君が望まぬ子を孕んでしまった背徳。

 幾度となく繰り返された情事の後、妊娠が発覚した時。

 アイーダは、愛と忠に挟まれ、苦悩した。

 そして、堕胎を決断する。

 

 しかし、実父であるコーエン伯爵がそれを止めた。

 一人娘の心情を慮ってなのか。それとも、政治的な思惑も絡んでいたのか。

 どちらにせよ、アイーダは母親となった。

 産まれた子供は、両親の特徴をよく受け継いだ、赤髪の子だった。

 

 サイアスと名付けられたその子は、公的にはコーエンの庶子として扱われ、アルヴィスに認知される事はなかったが、健やかに育っていた。

 母と名乗れぬ身の上。なれど、アイーダは軍務の合間を縫ってサイアスに会い、愛と慈しみをもって接していた。

 いずれはヴェルトマーの重臣としてサイアスを出仕させるべく、英才教育を施す日々。

 

 しかし、ある日のこと。

 アイーダの苦悩は益々深まる事となる。

 

 嗚呼、なんてこと。

 ファラの聖痕が、サイアスに現れるなんて!

 

 サイアスが発熱し、床に伏した時。

 苦しげに呻く息子の背に、アイーダはファラの聖痕を見留めてしまった。

 直ぐに父コーエンに相談した。

 サイアスをどうすれば良いのか。

 私は、アルヴィス様になんて言えば良いのか。

 

 苦悩する一人娘に、コーエンは聖痕を隠すよう伝えた。

 そして、然るべき時に、コーエンからアルヴィスへサイアスの存在を伝える事にした。

 問題の先延ばしでしかなかったが、アイーダは父の言葉に従っていた。

 

 そして、その日から、アイーダはサイアスとの接触を一切断っていた。

 これ以上息子へ情を移すのは、アルヴィスを裏切る行為だと思ったからだ。

 

「……」

 

 アイーダは、サイアスにアルヴィスの面影を重ねていた。

 アルヴィスに、サイアスの面影を重ねていた。

 こうして寝所を共にしている時は、特にそれを強く感じていた。

 

 そっくりだわ。

 あの子は、この人に。

 この人は、あの子に。

 

 共に愛おしい存在。

 共に慈しい存在。

 共に、守るべき存在。

 

 アイーダは、今までも、そしてこれからも、愛と忠に挟まれ、苦悩していくのだろう。

 

 そして──。

 

 睦言を交わすように、アルヴィスから下された指令。

 主の精を受け入れながら、アイーダはそれを受諾していた。

 

 ダーナへ赴き、ランゴバルドやブルームが討ち漏らした時に備えよ。

 

 一言だけ。

 しかし、陰謀を知るアイーダは、それが何を意味するのか十分に理解していた。

 クルト王子を確実に仕留めよ。

 それが、アルヴィスがアイーダへ望んだ事だった。

 

 全てが成功した暁に、アルヴィスは件のヘイムの娘と結婚し、グランベルの皇帝として君臨するのだろう。

 アイーダは、それを見届けることしか出来ない。

 

 そして、全てが失敗した時。

 アルヴィスは、その命を喪う事となるだろう。

 アイーダは、それを見届けるつもりは無い。

 

 その時は、私が真っ先に死ぬのだ。

 せめて、この人が、もうしばらく生き延びられるように。

 私が時を稼ぐのだ。

 

 でも、その時は、サイアスはどうなってしまうのだろう。

 叛逆者の一族として、父共々処刑されてしまうのだろうか。

 

 その時は、私はどうすればいいのだろう。

 

 

 苦悩し続ける女将軍アイーダ。

 その苦悩は、晴れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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