逆行オイフェ 作:クワトロ体位
イード砂漠
グランベル軍宿営地
「こちらです、オイフェ殿」
「はい。ありがとうございます」
グリューンリッターの兵士の案内を受け、オイフェは宿営地の中心にある大天幕へと歩を進める。一介の兵士にすら丁寧な態度で接するオイフェに、案内役の兵は上機嫌を隠しきれない様子だった。
「……」
ちらりと、営内の様子を見やる少年軍師。
グリューンリッターの兵達がそこかしこで休息を取っている様子が見受けられる。だが、その軍容は記憶していたものよりいささか小始末なものであった。
「なんだい。天下の聖騎士団サマにしては随分とくたびれているじゃないか」
やや挑発的な口調でそう述べるは、オイフェの隣を歩く女傭兵レイミア。
その声を聞いた案内役の兵士は、先程までの上機嫌さを引っ込め、不機嫌な表情を浮かべていた。
「おい姐御。そういうのはここじゃやめとけって」
そして、その後ろを歩くは、漂泊の自由騎士ベオウルフ。
嗜めるように言うベオウルフに、レイミアは変わらず意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「属州総督補佐官にしてシアルフィ公爵家
「御愛妾ね……」
レイミアの言に、ベオウルフは呆れたように口をへの字に曲げた。
ちなみに、現在オイフェに付き従うのはレイミアとベオウルフのみである。
レイミア隊はグランベル軍宿営地から少し離れた場所で野営を行っており。そして、ホリンとデューは、既にイザーク国内に潜入していた。
無論、リボー攻略を行っているドズル公国軍、グラオリッターの
それほど、ここからの情報の取捨選択は重要であり。差す手に誤りがあってはならない。
オイフェは人知れず気を引き締めていた。
尚、今回は偵察任務の為、カーガら
「オイフェさんよ。考え直すなら今のうちだぜ?」
「は、はぁ」
オイフェへそう耳打ちをするベオウルフ。
耳朶へ感じる力強い武者の言葉に、少年は努めて澄ました顔で応えた。
「ベオウルフ殿が心配されるような事はありません。レイミア殿の力が必要なの本当ですし、私の裁量内であればレイミア殿がどのような立場を名乗っても構いません」
「そういう事だよベオ。あんたが口を出す筋合いはないさね」
「……わかったよ。やれやれ、とんだ美少年と野獣だぜ」
ベオウルフの軽口にもどこ吹く風か、レイミアはシニカルに口角を歪めていた。
とはいえ、オイフェとレイミアは肉体関係をもって“契約”を結んでいる間柄は事実であり、また貴族の士官が遠征の際に“現地妻”を拵えるのは、さして珍しい事ではない。
事実、案内役の兵士はレイミアの愛妾発言を聞き、オイフェが
少々若いが、この年頃で“女を覚える”のは悪くない経験であるし、然るべき伴侶を迎えた時につつがなく情交を交わせるようにしておくのは、貴族の男子にとって当然の“教養”でもあるのだ。
現シアルフィ公爵であるバイロンも、結婚するまでは幾人もの侍女に手を付けていたし、大恋愛の末エスリンと結ばれたキュアンも、士官学校時代に盟友エルトシャンを伴い貴人向けの娼館へ通っている。
親友らの誘いを断り、かといって衆道趣味に目覚めたというわけでもなく、結婚するまで愚直に貞節を守っていたシグルドはある意味では異質であり、周囲は奇異の視線をシアルフィ公子へ向けていた。
尚余談ではあるが、ドズルのいい男と謳われたかのドズル公子は、士官学校時分、バーハラ中の貴人向け娼館(バーハラでは貴人向けの男娼館も存在する)を制覇したという伝説を残しており、各国の子弟は士官学校卒業後、その伝説を母国で流布し、ドズルのいい男の勇名は世界中に響き渡る事となる。
尚、それにドン引きした幼馴染のヴェルトマー公子は、結局女遊びを経験しないまま現在に至るが、ユングヴィ公女への恋慕の感情もあったので、むしろ女体への関心は年相応に持っており、周囲はいい男の煽りを受け童貞のままのヴェルトマー公子へ同情めいた視線を向けていた。
更に余談中の余談ではあるが、ディアドラとの初夜を迎える前、シグルドはキュアンから閨房についてのイロハを叩き込まれており、ディアドラもまたエスリンから殿方と
しかし、いざ寝所へ至った際、薄布一枚でその柔らかい肌を隠すディアドラを見たシグルドは、極度の緊張からかレンスター王太子の赤裸々な指導を全て忘却。その若い猛りを本能のままディアドラへぶつけており、ディアドラは覚えた作法を用いる間もなく夫の激流ともいえる愛を必死で受け止める事となるのだが、詳細はここでは割愛する。
オイフェにとってレイミアという女傭兵は、ただの愛妾ではなく、デューとはまた違った意味での運命共同体であった。
無論、運命の扉を開くという目的を達成する為の、“手段”としてである。
故に、オイフェは己の愛妾身分を名乗るレイミアの茶目っ気に、さして異を唱えるつもりはなかった。
どの道己の花を散らされたのは事実であり、否定しても仕方ない事ではある。
もっとも、あの日以降、過度な肉体的スキンシップはあれ、オイフェはレイミアとの情交を断っていた。レイミアも何かしらの思惑があるのか、オイフェを共寝に誘う事はなく。
それに、下手に情を移しては、オイフェが己に課している“使命”にも支障が出かねない。
どうせ、彼女は。
そして、己の存在は。
ただの手段でしかなのだ。
「ま、くたびれているのは事実だしねぇ」
ふと、レイミアはそこかしこで休息を取る兵達を見て改めてそう言った。
勇壮で知られるグリューンリッターの兵卒であるが、レイミアの言う通り疲弊しきった様子を見せており。
先程の誂うような態度とは違い、女傭兵は率直な意見を述べていた。
「イザークの
レイミアの言葉を、オイフェは少し険のある声で応える。
先に行われたグランベル軍とイザーク軍の戦いである“イード砂漠の会戦”。
互いに真正面から戦力をぶつけ合い、両軍に多大な損害を与えたこの会戦を、オイフェは前世において良く研究しており。そして、セリスら若い将才達へこの会戦を教材にして指導していた。
無論、セリスに与えた課題は、いかにグランベル軍──特にグリューンリッターの損害を減らし、イザーク軍に対し効果的な戦術を取れるか、といった内容だった。
「ハッ。正面からイザーク衆と斬り合うなんて、また随分と勇ましい殿サマだね。シアルフィ公は」
そう言って、レイミアは呆れるような言葉をひとつ。蛮勇めいた指揮を執ったシアルフィ公爵バイロンの、その愚を言外に指摘していた。
「バイロン様はそうせざるを得なかったのです。此度の戦はクルト殿下が総大将として出陣しております。ヴァイスリッターは前線には出せません」
「ふぅん……王太子殿下直率のヴァイスリッターをおいそれと減らすワケにはいかない、って所かねぇ?」
バイロンを慮るオイフェに、鋭く斬り込むレイミア。その言に、オイフェは少し驚きが籠もった眼差しを向ける。
戦闘団を率いる身とはいえ、レイミア隊は小規模なもの。局地戦を戦う“小兵法”はそれなりに心得ているだろうとは思っていたが、政治が絡んだ“大兵法”にまで通じているとは思ってもみなかった。
「もっとも、温室育ちの兵隊サマじゃあ使い物にならない、って所が“実情”だったんだろうねぇ」
「ッ」
更に、レイミアは此度のグランベル遠征軍の“実状”を正確に看破してみせた。
ヴェルトマー騎士団ロートリッターに役割を譲ったものの、元が
故に、小規模ながら領内の山賊征伐で実戦経験を積んでいる各公爵家騎士団とは違い、ヴァイスリッターで人間の血を見たものは少数である。そもそも王家お膝元である為、建国当初からバーハラ周辺の治安は安定しており、更に近年は治安維持はロートリッターが担っていた為、ヴァイスリッターが実戦を経験する事は皆無だった。
イザーク軍を前に、戦闘慣れしていないヴァイスリッターを前面に出すのは悪手であった。
「まあ流石はシアルフィ騎士団ってのもあるけどね。お荷物抱えた状態でイザークの抜刀隊を蹴散らしたんだ。上等さね」
「……では、レイミア殿なら、どのような
侮るような口調のレイミアに、オイフェは少しむっとしたような表情を浮かべると、ならば対案を出せと厳しい声を上げる。
故国シアルフィ、敬愛するバイロンの手腕。
確かに、終わってみれば部隊の損害を抑える良策はいくらでもひねり出せる。
だが、バイロンが少々無謀な戦に臨んだ理由も分かるのだ。
「おや、気分を害したなら謝るよ」
「いえ、お気になさらず。ただ、レイミア殿ならどのような策を立てるのか気になりまして」
「そうさねえ……」
オイフェのご機嫌がななめになったのを受け、レイミアは薄い微笑を浮かべながらとりあえずの謝意を述べる。
もっとも、内心としては薄紅色の頬をふくらませる少年軍師の様子が微笑ましくもあったが、とはいえレイミアとしては、己の
ふと考え込むように顎に手を当てたレイミアは、そのまま冷静に持論を開陳した。
「アタシが騎士団の指揮官なら、馬鹿正直に正面から殴り合うのを避けるね。せっかく騎兵がわんさかいるんだ。イザーク衆が布陣した段階で騎兵で引っ掻き回すのが良策さね。王太子殿下の軍勢は後方で魔法で援護に徹するってところかね」
「なるほど」
レイミアの回答は及第点。
かつてティルナノグにおいて、軍事科目を含めた
イザーク会戦も度々題材として扱われており、レイミアの回答は概ねセリスが回答した内容と一致していた。
「アタシがグランベル軍の総大将だったらその限りじゃないけどね」
そう言ってのけるレイミア。
オイフェは思わず、といった体で女傭兵の顔を見やる。
「ドズルやフリージからも騎士団が来るんだろう? なら、ダーナあたりで全軍が揃ってからゆるりと進めばいい。イザーク衆は数で圧倒しちまえばいいのさ。そもそもダーナを獲った時点でグランベルの目的は半分達成したようなもんだ。イザークまで出張ったのは、王太子殿下に箔をつけさせたいのもあったんだろうけど……ま、お偉いさんにはお偉いさんの“政治的な都合”ってのがあるんだろうね」
そう言って、レイミアは変わらず口角を歪め、オイフェのあどけない顔を見返す。
レイミアの回答は満点。
そもそも、数の利はグランベルにある。
それを活かさず、リボー手前までバイロン達が突出した理由は、レイミアの言う通り政治的な理由、そして大陸を覆う陰謀が深く関わっていた。
ヴァイスリッターが初陣者が多いのと同じく、総大将であるクルト王子も此度の遠征が初陣であった。
それ故、政治的に対立しているドズルやフリージの軍勢を待って進めば、クルト王子の戦功がやや霞んでしまうのは確かだ。
それに、実戦経験の少ないクルト王子の指揮を、特にあのドズル公爵ランゴバルドが素直に聞くとも思えない。足並みが揃わなければ、思わぬ不覚を取る可能性もある。
故に、バイロンは盟友リングと図り、己の手勢のみで決着をつけようとしていた。
クルト王子派のみで此度の遠征を終える事ができれば、政争を繰り広げている宰相レプトール派に大きく優位に立てるからだ。
且つ、そもそも論でいえば、此度の遠征はリボー族長によるダーナ虐殺の懲罰戦争の意味合いが強い。
当初、バイロンやリングはダーナを奪還した後、イザーク軍と本格的な戦闘は発生せず、幾度か小競り合いを経た後、少々の金穀と領土のやり取りだけでこの外征が終わると見込んでいた。
しかし、イザークのマナナン王が
王の仇討ちに燃えるイザーク軍はマリクル王子の元苛烈な攻勢に出ており、それを放置出来ぬバイロンらは半ばなし崩し的にイード砂漠で大規模な会戦を迎える羽目になったのだ。
そのような状況下で、バイロンとリングは手札から最適解を選んでいたと、オイフェは評価していた。
グリューンリッターが手酷い損害を被ったとはいえ、イザーク軍の主力はマリクル王子が討ち取られたのもあり壊滅状態にある。
イザーク王国領の征伐は現状グラオリッターが請け負っており、主力を欠いたイザーク軍を蹂躙、リボーの落城も時間の問題だろう。
とはいえ、それはクルト王子派のグリューンリッターが会戦に勝利したからこそであり、戦後の功績はこちらが優位であるとバイロンとリングは算段したのだろう。
クルト王子を取り巻く陰謀を見抜けねば、の話ではあるが。
「……」
オイフェはこれらの政治的、そして暗黒教団の陰謀を、当て推量ながらある程度察したレイミアの洞察力に、内心舌を巻いていた。
これらの推量は、高度な教育を受けた者でしか成し得ぬ事実であり。
「レイミア殿は、どこでそのような見識を培ったのですか?」
故に、直接聞いてみる。
レイミアが思わぬ拾い物なのか。
それとも、獅子身中の虫になりかねない、危険思想の持ち主なのか。
オイフェは判断を強いられていた。
「うふふ……な・い・しょ♥」
「は?」
レイミアは片目を瞑り、茶目っ気たっぷりといった体でオイフェにそう言った。
オイフェは思わず真顔で応える。
「ババア無理すんな」という呟きをしたベオウルフへ腹パンを一発入れつつ、レイミアは咳払いをひとつ。
「んんっ。ま、まあアレさね。女には秘密のひとつやふたつはあるってことさね」
「はあ……」
会心の傭兵流ユーモアが不発だったのを受け、レイミアは少々居心地が悪そうにしていた。
オイフェとしては単にはぐらかされただけとなっており、少しばかり不満げな表情を浮かべる。
「うぐぐ……オ、オイフェさんよ。姐御が軍略に敏いのは、単純にある人から教わったからだよ……」
「なんだい、もうネタバラシするのかい」
腹を抑えながら息も絶え絶えにそう述べるベオウルフ。
レイミアはつまらなそうにオイフェへ言葉を続けた。
「アタシが駆け出しだった頃にね、そこのベオを含めてアタシらの面倒を見てくれた人がいてね。色々と教わったのさ。もっとも、軍学に関してはアタシ以外はロクに身についちゃいないが」
少しばかり懐かしむような眼差しを浮かべるレイミア。
ベオウルフがレイミアと既知であったのは知っていたものの、共に同じ釜の飯を食う間柄だったとはオイフェも知らず。
レイミアの言葉を受け、ベオウルフもまた昔を懐かしむように言葉を添えた。
「懐かしいぜ。結局、今生き残っているのは俺と姐御とヴォルツとジャコバンくれえか?」
「そうさねえ……まあアンタとジャコの野郎はさておき、ヴォルツをやれる奴なんてそういないだろうね。あの人ですら……」
そう言って、ベオウルフとレイミアは揃って遠い目で彼方を見つめた。
「今頃どうしているんだろうな……世界ひろしさん」
「何も言わずに行っちまったからねぇ……世界ひろしさん」
二人の傭兵が懐かしむ人物。
オイフェもまた、深い知識をレイミアへ伝授したであろう人物に思いを馳せた。
(世界ひろし……どんな人なんだろう……)
そのような益体もない事を考えている内に、オイフェらはバイロンが待つ大天幕へと至るのであった。
キュアン「いいか、シグルド。女体の蜜壺というものはその日の心と体の調べ、そして“槍”使いでいくらでも千変万化致すものであれば、当方もまた腰使いによって槍筋の角度、深浅、拍子、呼吸をはかり、その攻め処を外さぬ絶妙な機を逃さぬよう全霊を傾けるのが妙髄である。このように武門の槍技と股間の槍技は、相手に臨機応変に対する上で、まことに相通ずるものなのだ」
シグルド「キュアン。私は冗談を聞いているのではないのだが」
エスリン「てな感じでキュアンは兄上に教えてると思うけど、真槍と内槍のつながりなんて人に話しても理解されるわけないと思うの。聞いてますディアドラ義姉様?」
ディアドラ「は、はい……(顔真っ赤)」
結局書き溜め出来ない性分だったのでゆるゆる更新していきます……