逆行オイフェ 作:クワトロ体位
グラン歴777年
自由都市ターラ
光の公子セリス率いる解放軍が、トラキア王国との血戦に打ち勝ち、幾日が経った頃。
誰がために戦ったのか、トラキア戦は解放軍の将兵に様々な想いを残していた。
しかし、これにて後顧の憂いを断った解放軍。哀しみや憎しみを乗り越え、いざグランベル本国を解放せんと気炎を上げる。
そして、解放軍は南トラキアはルテキアと北トラキアはメルゲンとのちょうど中間に位置する、自由都市ターラへ入城していた。
ターラに駐屯していたムーサー将軍率いる帝国軍は、先のトラキア戦にて戦力の殆どを喪失しており、残置部隊は解放軍の接近伴い早々に撤退している。
故に、ターラは無血開城にて帝国の支配から解放されていた。
「……」
ターラ領主の館。
その執務室にて、黙々と大量の軍状書類を捌いているのは、解放軍の軍師であり軍政全般を統括するオイフェ。
部隊の再編成、兵站の構築、進攻ルートの確保等、軍勢が進発する上で必要な事項を処理していく。
「思ったより兵糧の心配はせんでいいな……」
解放軍にとって幸運だったのは、残置部隊がターラのインフラや物資を破壊、略奪せずに帝国内地へ引き上げていった事だろう。もっとも、これに関してはターラ前市長の娘、リノアン公女が事前に市内へ潜入しており、市民の掌握や諸々の工作活動の結果、残置部隊は逃げるように帝国へ発ったという背景もある。
ともあれ、トラキア戦で消耗した解放軍は、十分な補給を受けた状態でミレトス地方へと進攻できる。帝国内地へ攻め入る為、ミレトスの早期解放は必須であった。
今や反帝国の抵抗運動は各地へと広がっており、グランベル帝国はその反乱に対処する為、兵力を分散せざるを得ない状態に陥っている。
シレジアではミーシャ将軍率いる新生天馬騎士団が大いに暴れまわっており、ヴェルトマー騎士団ロートリッターの半数が鎮定に乗り出すほどだ。
アグストリアでも民衆による蜂起が多発し、各都市で帝国排斥運動が起こっている。
ヴェルダンでは帝国の支配力が弱まったのを受け、山賊化した豪族がここぞとばかりに大規模な略奪行為を始めており、これらに対応するべくユングヴィ騎士団バイゲリッターがユン川国境を固めていた。
つまり、グランベル帝国内地の守りは、常時にくらべ手薄いといえた。
この機を逃す軍事的理由は無い。
「ふう」
一息入れるオイフェ。
時刻は夜半。先程まではターラ解放を喜ぶ酒宴が行われており、オイフェもこれに参加していた。
だが、宴が中締めした後、オイフェは執務室へ向かっている。
情勢は一刻の猶予も許されない。
しかし、解放軍の若者たちにはしっかりと英気を養ってもらいたい。
だから、この仕事は己一人で構わない。
「もうすぐ……もうすぐです、シグルド様……」
そして、何より。
あの仇敵を討つ機会が目前に迫っているのだ。アルヴィス皇帝を守る禁衛部隊、ロートリッターの半数はシレジアへと出兵している。
帝国内では、もはや赤い皇帝より闇の皇子──ユリウス皇子を優先した防衛体制となっていた。皇帝を守る戦力を減らしてまで、占領地の鎮定を優先する始末。
オイフェはこの好機を逃すはずもなく。同情心など一切湧かず、ただ己の復讐心を燃え上がらせていた。
酒が入っていても、仇討ちの準備に支障はない。
「……」
とはいえ、それなりに飲酒量があったオイフェ。
喉の乾きと少々の空腹を覚えると、食堂へ向かうべく腰を上げる。
この時間、いまだ酒宴を開いている者はいないだろう。
「さて」
しばらくして食堂へ辿り着いたオイフェ。最低限の明かりで照らされた食堂内。宴は広い中庭で行われており、使用人らも早々に撤収したのか、人の気配は無く。
オイフェは飲料と軽食を調達するべく、一人厨房内へ立ち入る。
生憎、ロクな食料は残されていなかったが、なんとかパンと干し肉を見つけた。
そして、執務室へ戻ろうとしたオイフェ。
だが、その時。
「んじゃ、第二部おっ始めようかー!」
「女子会よ女子会ー!」
「後半戦まいりましょう! 後半戦スタート!」
入り口から元気の良い女子達の声が響く。
思わず、厨房内に隠れるオイフェ。
脊椎反射で身を潜めてしまう。
「ほらほら、アルテナ様も飲もうよ!」
「ずえったい逃さないから~!」
「い、いや、私はこの、女子会? なんて初めてだから、その」
見れば、こまった顔を浮かべオロオロする王女アルテナの両腕を、がっしりと掴み連行する小娘共の姿があり。
右腕を掴むは、シレジアの天馬少女フィー。左腕を掴むのは天真爛漫な盗賊少女パティだ。
更に、彼女達の後ろにぞろぞろと続く乙女達の姿。
(皆、これからまた呑むつもりか……なんとまあ)
呆れたようにそう思うオイフェ。
きゃいきゃいとそれぞれ席につき、持ち込んだ酒や軽食を広げる乙女達を見て、その若さ溢れるバイタリティに舌を巻いていた。
「ほら、ユリアも座りなよ」
「はい。ありがとうございます、リーンさん」
「あ、ラクチェ! それ皆で食べようと残してたキッシュよ! 何一人で食べてんの!」
「いいじゃないナンナ! 減るもんじゃなしに!」
「あ、あの、減っているんですけど……」
「ティニー、ラクチェは昔っからこんな感じだから、ツッコむだけ無駄よ」
ダーナの踊り子リーン、謎めいた神威を放つ少女ユリア、ノディオンの王女ナンナ、剣姫の娘ラクチェ、慈愛のフリージ娘ティニー、ユングヴィ公女の逞しき娘ラナ。
解放軍の女性陣が勢揃いである。
よくよく見れば、彼女達は皆一様にほんのりと頬を桜色に染めており、既にそこそこの飲酒量が伺えた。
「オーシェーイ……」
「おらよ……」
「何を言っているのですかあなたたちは……?」
特にパティとフィーの酩酊ぶりは酷く、余人には難解な言語にて会話を成立させており、両サイドを挟まれたアルテナの困惑は深まるばかりである。
(やれ、これは困った)
息を潜めつつ、オイフェは何故さっさと立ち去らなかったかと後悔する。
既に聖戦乙女達のギアはマックスまで上げられている。ここで迂闊に姿を表せば、酔っぱらい共に捕捉され酒のツマミにされるのは必定。書類仕事の続きなど望むべくもない。
それに、あけすけなぶっちゃけトークを楽しむ女子達の中に、自分のようなおじさんがいては興ざめする者もいるだろう。
(どうしたものか……)
しかし、このまま隠れて聞き耳を立て続けるのも、いささか具合が宜しくない。酔っぱらい乙女達の本音が飛び交う中、聞いてはいけない内容も絶対出てくるからだ。
オイフェにとって娘とも妹とも思える聖戦の系譜を継ぐ乙女達。故に、己が立ち入ってはならぬ、守られるべきプライバシーがある。
なんとかして気付かれずに脱出できぬものか。
そう、オイフェが思考していると。
「うぇえええ!? リーンってばもうアレスとそんなところまで行ってたのー!?」
きゃああと黄色い歓声が上がる。
テンションが上がったパティを前に、リーンが頬を染めている。そして、それは酒のせいだけではないだろう。
(これは気まずい……)
始まってしまった。
乙女達の初々しい
オイフェは非常に居心地が悪くなる思いでそれを聞く。同時に、できればもっとオブラートに包んでほしいとも思っていたが、それは望めないだろうと、諦観の想いも抱いていた。
「で、でもまだキスまでだし、そこまでは……」
「ちゅーしてんじゃん! めっちゃちゅーしてんじゃん! あたしもシャナンさまとちゅーしーたーいー!!」
リーンの想い人、アグストリアの正統なる後継者であるアレス。そのアレスと順調に愛を育んでいるリーンに、パティは子供のような駄々をこねる。
すると、フィーがやや呂律の回らない口調でパティへ言葉をかける。
「シャナンさま、かっこいいからね〜。パティもうかうかしてらんにゃいよ〜」
からかうような口ぶりのフィー。
オイフェと共にセリスの両輪として神剣を振るう、イザークの王子シャナン。そのシャナンを、パティが堂々と懸想し続けているのは周知の事実であった。
「むぅ……!」
パティはフィーの言葉を受け、赤らめた頬をむむっと膨らます。その赤みは、酒のせいだけではないだろう。
盗賊少女は反撃の口火を切る。
「そーゆーフィーはアーサーとどうなのさ? もうちゅーまでしたん?」
「ファッ!?」
予想外の反撃を受け、フィーは乙女らしからぬ汚い叫び声を上げる。
「あ、いや、ア、アーサーとは別にそんなこと……あいつとは、あ……相棒みたいなもんだし……」
急に弱気になり、ごにょごにょもじもじと身を竦ませるシレジア天馬少女。その表情はほんのりと赤く、それは酒のせいだけではないだろう。
共にシレジアから旅をし続け、もはや一心同体とまでなった相棒の姿──長い銀髪を揺らす、魔法戦士アーサーの姿が、天馬少女の脳内を占める。
いじり甲斐のあるその様子。
俄然パティの追撃は続く。
「そんなこと言っちゃって~。ほんとは隠れてえっちな事とかしてんじゃないの~? 例えば──」
「エッチな事してるんですか!?」
「おっふ」
唐突に、そして轟然とパティの言葉を遮るのは、アーサーの実妹であるティニーだ。その勢いに押され、パティは思わず口を噤む。
兄と天馬少女との情事に、ティニーはあふれんばかりの好奇心を覗かせていた。
「た、例えば、縄とか使ったり──」
「は?」
しかし。
好奇心で隠しきれぬ、アブノーマルな性癖も覗かせるティニー。
フリージ乙女の性癖的伝統は、残念ながらこの少女にも色濃く受け継がれていた。
「ロウソクとか、バラ鞭とか。あ、でもお兄様はどちらかというとヘタレ攻めな気質もあるから、もしかしてフィーさんが」
「ティニー?」
「でもお兄様の強気受けも捨てがたい……」
「ティニー!?」
「野外露出放置剣山生花お兄様……ある!」
「ないよ! ていうかどんな変態プレイなのよそれ!!」
ぐるぐる目でまくし立てるティニー。顔が赤いのは、酒のせいだけではないだろう。
「そーいうティニーこそ、あたしのお兄ちゃんとどうなのよ!?」
「ふぇっ!?」
お返しとばかりにフィーの必殺の一撃を喰らうティニー。
フリージ少女の脳裏に浮かぶのは、フィーの実兄にしてシレジア王位継承者、風の勇者セティの姿。
「ミーズで結構いい感じになってたじゃん! 皆知ってるんだよ!」
ミーズ城攻略の際、セティとティニーは敵陣後方での破壊工作に従事している。
危険な任務を共に乗り越えた二人。余人が見ても分かりやすいほど仲を深めていた。
「ふぇぇ……!」
セティとの仲を指摘され、ティニーはゆでダコのように顔を赤くさせる。
この少女、土壇場では異様な攻撃力を備えるが、防御力は紙装甲。いつものやられ負けである。
「あなた達、お互いのお兄さんのことが好きなのね……なんだか不思議な感じ」
ふと、傍観していたナンナがそう呟く。
それを聞いた瞬間、絶好のタゲ逸しの機会が訪れたとばかりに、ティニーが懸命に口を開いた。
「ナ、ナンナさんだって、リーフ様に告白されたって聞きましたよ!」
「えっ!?」
「どこまで進んだんですか!? もうしっぽりずっぽししたんですか!?」
「なに言ってんの!?」
ティニーの腹いせにも似た怒りの連続攻撃に、ナンナもまた狼狽す。セリスに次ぐ解放軍の象徴であるリーフの姿が、ナンナの乙女心に浮かぶ。
そして、思い起こされるは、リーフ軍の戦いの節目となるマンスターの魔城での戦い。
北トラキアで蠢動せし闇の司祭、ベルド司祭との戦いに勝利したリーフ達。その後、リーフから愛の告白を受けていたナンナ。
アルスターのミランダ王女などごく一部の者を除き、その恋路を解放軍全体が勝利と共に祝福していた。
「実はあたし、マリータさんから色々聞いてるんだよね。なんか夜な夜なリーフ様の寝室からナンナのエッチな声が聞こえるとか……」
「ちょ!? リーンまでなに言ってんの!? リーフ様とはまだそこまで──」
「まだそこまで? じゃあ、どこまでいったのかしら?」
「ラ、ラナまで……うぅぅ……!」
にやにやと嗤いを浮かべるリーンとラナ。いじられるナンナは、どう答えればよいか、悶々とするばかり。
その表情は赤く切ない。酒のせいだけではないだろう。
「えっと……ッ!?」
すると。
ナンナ……否、乙女達は、食堂内に強烈な闘気が立ち込めるのを感じた。
「ナンナ……その話、詳しく聞かせなさい」
「ヒッ」
ずいと身を乗り出し、ナンナへ詰問するは、リーフの実姉であるアルテナ。若干目が据わっているのは、酒のせいだけではないだろう。
トラキアで運命的な再会を果たしたレンスターの姉弟。
失われた家族の時をやり直すかのように、アルテナはリーフへ、リーフはアルテナへ親愛の情を向けていた。
しかし、アルテナに関しては、それまでの反動からか若干ブラコンの気質を醸し出しており。
「帝国との戦いが終わるまでリーフと破廉恥な事をするのは許しません!」
「ひゃ、ひゃい……」
泣き面に蜂とはこのこと。
将来の義姉であるノヴァ直系の圧力に、ヘズル傍系の義妹は怯え竦むばかりである。
しかし。
母から受け継がれし勝ち気なカリスマが、ナンナにその圧力に抗う特攻精神を与えていた。
「で……ですが、そういうアルテナ様だって、コープルといい感じじゃないですか。わたし見ましたよ。アルテナ様がコープルと恋人繋ぎで手を繋いでたの」
「ヌ゛ッ!?」
姫騎士ならぬ汚い呻き声。アルテナもまた、特攻には紙装甲だった。
トラキアの盾、名将ハンニバルが養子コープル。その可憐な少年は、幼少の頃からアルテナの遊び相手として度々トラキア城を登城する身であり。実の姉弟のように、アルテナとコープルは仲睦まじい日々を過ごしていた。
故に、トラキアでの戦いが終わった後。
その仲が増々深まるのは、むべなるかな。
ちなみに、アルテナにはトラキアの王子アリオーンとの恋仲が囁かれていたが、両者は家族愛以上の情を互いに抱いていないのが実情だった。
それは、亡きトラバント王の南北統一の想いとは相反する、ただ純粋な家族の愛情。
トラバントには、実子アリオーンと養女アルテナの子を統一トラキア王国の王、南北統一の象徴として据える思惑があったのだ。
天槍グングニルと地槍ゲイボルグが融和を果たすその光景。
だが、もはやその光景を見ることは叶わないだろう。
トラキアは、リーフの元で再統一される運命だった。
「ショタ……」
「ショタコン……」
「ショタコンだわ……」
「うーん、なんでか分からないけど、なんか複雑な気分……」
「清廉強気姫竜騎士×弱気少年プリーストのおねショタ……ある!」
「い、いえ! コープルとはそういう関係ではありません! な、なんていうか、も、もう一人の弟というか、その、そういうのじゃ……!」
そんなこんなであわあわと狼狽を露わにするノヴァの聖戦士。
先程まで放っていた鋭利な闘気は、頼りない真綿の如き空気へと変わっていた。
「ラ、ラナはどうなのですか!? セリス様をお慕いしているとリーフから聞きましたよ!」
力技でラナを次の標的に仕向けるアルテナ。
しかし、ラナはそれまでのねんね共とは違い、不敵な微笑みを浮かべていた。
「そうですね、わたしはセリス様が好きですよ」
「えっ!?」
「やっぱりそうなんだ!」
「ラナ、かっくい〜!」
今まで思わせぶりな態度だったラナが、改めてセリスへの想いを、堂々と宣言するその勇姿。
時空が違えば、その雄姿は世紀末覇者の如き風格を備えていたであろう。
王者の風格を放つラナに、周囲は称賛の眼差しで──
「わたしもセリス様が好きですよ」
瞬間。
ピシリと場の空気が凍る。
その中で、柔和な笑顔を浮かべるひとりの少女。
聖女ユリアの参戦である。
「えっと、これは……」
「ま、まさかユリアもセリス様を……」
「ど、どうしましょう……!」
「どうもこうもないよ!」
周囲がざわつく中、ラナは微笑みを絶やさず。こめかみに青筋がうっすらと浮かぶのは、酒のせいではない。
ちなみに、この段階ではセリスとユリアの
「そう……わたし、小さい頃から、セリス様とずっと一緒に過ごしてきたの。その重みが分かるかしら?」
「はい。とても素敵だと思います」
ラナの牽制にまったく動じないユリア。
手強き相手に、ラナはみしりと拳を握る。
「わたしはセリス様の優しい心が大好きなの」
「はい。わたしもセリス様の優しいところが好きです」
「わたしはセリス様の勇気溢れる心も大好きなの」
「はい。わたしもセリス様の勇気に助けられました」
剣呑な空気を醸すラナ。しかし、無垢なユリアには響かない。
「じゃあ──!」
ならば、伝家の宝刀を繰り出さん。
強力なマウントを取るべく、ラナはキリリとユリアを見据えた。
「わたしはセリス様の裸を見た事があるわ!」
「えっ、それって子供の頃の話じゃ……」
「うっさいわねナンナ!」
「ヒィッ」
特大のマウントを一瞬で台無しにされたことで、ラナは覇王の形相をナンナへ向ける。
兄であるデルムッドより、ティルノナグでの思い出を聞いていたナンナ。幼い頃、よく皆で川遊びをしたもんだと、デルムッドはしんみりと幼少期の無邪気な思い出をナンナへ聞かせていた。
そのおかげで、ナンナは猛烈な邪気に晒されていたのだが。
「セリス様の裸は見た事ないです……」
しかし、それまでの笑顔が消え、しゅんと気落ちするユリア。
それを見たラナは、己の勝利を確信し、握りしめた拳を天高く掲げた。
しかし。
「でも、セリス様の下着なら嗅いだことがあります」
再び場の空気は凍る。
そして、にっこりと聖女の如き尊い笑顔で度し難い事をのたまうユリア。酒のせいでは、ない。
「セリス様の下着を嗅いでると、とても安心するんです」
やや陶然とした表情でそう述べるユリア。
対して、ラナの表情は死んだ。
「こまった。ちょっとかてない」
「ちょっ、ラナ、大丈夫!?」
「ああ、そういえばユリアはよく洗濯係をやってたよね……アレスのは嗅いでないよね?」
「あたしもシャナンさまのおぱんつ盗もうかな……」
「は、破廉恥な! 破廉恥すぎます!」
「レベル高いです……わたしもまだまだですね……」
そのまま立ち往生するラナ。周囲は騒然とし、もはや収拾はつかず。
聖戦の女子会は混沌を極めていた。
(これはひどい)
一人身を潜ませ続けるオイフェ。今まで聞いていた上で、出た感想がこれである。
乙女達の酷いラリーの応酬。矢玉飛び交う戦場の凄惨な光景が如く、全員が被弾せしめ、致命傷を受けていた。
オイフェは勝利者のいないこの無惨な戦いを、ひっそりと嘆くばかりであった。
しかし。
一人だけ、この過酷な戦いに巻き込まれず、泰然自若と傍観し続ける乙女がいた。
「ふーん。エッチじゃん!」
モグモグとミートパイを頬張り、嚥下しながらそう述べるは、解放軍の剣豪乙女ラクチェだ。
「……ラクチェだって、ヨハン達にいつも凄い求愛されてるじゃない。実際どうなのよ?」
かろうじて復活したラナが、それまで被弾せずにいたラクチェへ恨みがましい視線を向ける。
ラクチェに想いを寄せる、ドズルの貴公子兄弟。父を裏切ってまでラクチェへの想いを優先した兄弟に、どう応えるつもりなのか。ラナはそう問いかけていた。
そして、ラナは幼馴染であるラクチェが、己の援護射撃を一切放棄していたのも、言外に咎めていた。
もっとも、ラクチェがずっと黙っていたのは、食べ物を喰らうのに夢中だったのもあるが。
「そうね。あたしは──」
そう言うと、ラクチェは刀剣の如き怜悧な闘気を滲ませる。
まさしく、それは死神の気配。乙女達は思わず姿勢を正し、首筋に冷えた汗を垂らす。
解放軍の死神兄妹──特に妹には用心せい。話が通じないから。
敵対するあらゆる勢力へ、このような最大の警戒をもたらした剣豪乙女。
味方にとって戦女神ともいえる頼もしき戦意が、敵には死神の処刑宣告に変わる、その残酷なまでの武威。
ラナを含め、乙女達は皆、この場にラクチェを招いた事を若干後悔し始めていた。
「──あたしは、あたしより強い男としか子作りしないわ!」
「「「えぇ……」」」
しかし、斜め上を行くラクチェの言葉。
流星のようにあさっての方向へ飛んでいく。
(これはひどい)
そして、頭を抱えるオイフェ。
ラクチェの蛮勇極まりない恋愛観を受け、淑女教育を怠った過去の自分、ついでにその教育を放棄していたシャナンを責めていた。
同時に、ラクチェの情操教育に手こずっていたであろうエーディンへ、最大限の同情も抱いていた。
「ま、あたしより弱くても、せめてあのレックス公子みたいないい男になってほしいわね!」
「ヨハン達には難しいんじゃないかしら。 エーディン母さまからよく聞いてたけど、いい男レベルが段違いだと思う」
「わたしもレヴィン様から聞かされました。いい男のいいお話を、たくさん」
「あたしも小さい頃ね、お母さんから聞いた。シグルド様と勇者達といい男の物語!」
「あたしもコノートの孤児院で聞いてたよ! お兄ちゃんがよくいい男のマネしてた!」
「フィアナ村でも流行ってたなあ。リーフ様がオーシンやハルヴァンといい男ごっこして遊んでた」
「あたしも行く先々で吟遊詩人から聞いていたわ。いい男の
「わたしもお母様から聞きました。お母様とお父様といい男の昔話……」
「私もよく知っています。ドズルのいい男の話を聞くと、なんだか元気がでてきました」
宴もたけなわ。
壮絶な殴り合いを演じた乙女達であったが、ふとそれまでの自身の過去を振り返ると、しんみりとした空気が流れる。
それぞれが想いに耽るその様子。
もう、彼女達にわだかまりはなかった。
なぜなら、皆同じように、辛い過去があったからだ。
「色々あったなぁ……」
「そうだね……」
誰一人として、満たされた少女時代を過ごしていない。
辛い生活、辛い出来事。
奪われた家族、引き裂かれた家族。
辛く、険しい困難。
そして、これからも、彼女達は様々な試練に直面するだろう。
しかし。
「皆がいるから、乗り越えられた……がんばってこれたんだよね……」
ふと、フィーがそう呟く。
顔を上げる乙女達。その表情は、明るい。
「それに、大好きな人もいるから、もっとがんばれるしね!」
赤らんだ笑顔でそう返すパティ。
それを聞き、乙女達の頬も赤らむ。
それは、酒のせいではない。
愛する仲間。
そして、愛しい人がいる限り。
乙女達は、これからも困難に打ち勝つことが出来るだろう。
「あの、ラナさん」
赤らんだ顔で、ユリアがラナの顔を覗く。
ラナは、今度こそ──笑顔で、ユリアを見つめた。
「わたし、ラナさんも好きです。セリス様や、皆さんと同じくらい」
セリス様への想いが、お互いに少し違うのかしら。
ユリアの慈愛の言葉を聞き、そう思ったラナ。
同時に、ユリアの純粋さを眩しく思う。
「……わたしも、ユリアが好きよ。皆も、同じくらい好き」
ただ、セリスへの想いを抜きにしても。
ラナは、ユリア──全員が、好きだった。
「みんな愛してるぜ〜!」
「もう! パティったら!」
「私も皆を愛しています!」
「アルテナねえさ──アルテナ様まで……」
「わ、わたしも、皆を愛してます!」
「あたしの方が愛してるわよ!」
「なんでそこに対抗してんのよラクチェは……」
気付けば皆で肩を抱き合い、絆を確かめ合う聖戦の乙女達。
笑顔で抱き合い、笑顔で語らうその様子。
それは、輝かしく。
そして、尊い光景だった。
まるで、彼女達の親が
悲劇に遭う、その時まで過ごした
慈しい光景のように──
「やれやれ……」
結果として、オイフェが厨房から姿を表したのは、乙女達全員が力尽きた明け方になってからであった。
酒瓶やら酒椀やら皿が散乱する中、テーブルに突っ伏す者、床に寝転ぶ者、だらしなく椅子にもたれかかる者。
惨憺たる有様を見て、オイフェは苦い笑いをひとつ浮かべる。
「徹夜だな、これは」
書類仕事を残して睡眠は取れず。慮外の徹夜仕事になってしまった事を、誰に文句を言えばよいのやら。
ともあれ、その前にやるべき事がひとつ。
「まったく、嫁入り前だというのに……」
乙女達が風邪を引かぬよう、毛布をかけたり、ソファへ運んだり。
この様子では、乙女達が覚醒するのはまだまだ先だ。放置するわけには行かない。
だらしなく腹を出し、床で大の字で眠るパティを抱え、ソファへ横たわらせる。
「んにゃぴ……シャナンさまぁ……」
可愛らしい寝言を言うパティ。
想い人であるシャナンへの気持ちが、寝ても覚めても溢れていた。
「……」
パティの寝顔を見つめるオイフェ。
その恋の行く末。成就してほしいと想う。
だが、それには様々な困難が待ち受けているだろうも、オイフェは思っていた。
パティやリーンに待ち受ける、それまでの育ち、身分の差による障害。
ラクチェやフィー、ティニーが乗り越えなければならない、互いの家、一族への因縁。
ナンナやアルテナを襲う、南北の民からの怨嗟、怨念。
そして、ラナとユリアが背負う、王者の責務、その重圧。
恋する乙女達。しかし、その恋は、決して普通の恋ではなく。
常人ならば早々に諦めてしまうほど、重く、切ない恋だった。
「……」
オイフェはしばし瞑目する。
彼女達の幸せ──恋が実り、幸せな結末を迎えるよう、真摯に願っていた。
決してあのような──愛した主君、その伴侶を襲った、悲劇を繰り返してはならない。
「私に出来る事は限られているが……頑張るのだぞ」
そう言い残し、オイフェは乙女達を起こさぬよう静かに食堂を出る。
政治的な困難は、いくらでも手助けをしてやれる。
しかし肝心の男女の恋愛は、オイフェにはどうしようもなく。
「私には縁なき事だからな……」
オイフェは想う。
己の人生に、色恋沙汰は無縁であると。
それは、オイフェの誓約にして、悔恨の念から来るもの。
彼女達の親──リューベックで、彼女達の親に
どうして、シグルド様とディアドラ様の仇を取らず、伴侶を迎える事が出来るのだろう。
己は、この命、彼らの為に捧げなければならぬ。
セリス様、聖戦士の子供達に、捧げなければならぬ。
彼らの子供達に、報いなければならぬ。
それが、オイフェの最大の使命だった。
それを達する為。
己に、恋は不要。
重く、切ない覚悟を、オイフェは背負う。
「……もうすぐです。シグルド様」
そして、もう一つの使命。
赤い怨みを晴らす為、オイフェは文机へ向かう。
怨恨を抱える、孤独な軍師。
その孤独を癒やす存在は、オイフェの前に現れる事は無かった。
オイフェが、内に秘める孤独と怨みを分かち合う存在と出会うには、もう数十年──
逆行の時を、待たねばならなかった。