逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第34話『契約オイフェ』

 

 むせかえるような獣臭──そして、濃厚な女の匂い。

 薄暗い部屋の中に充満する、脳天を痺れさせるような、独特の香りが鼻孔をかすめる。

 

「ククク……良い子だねぇ……」

「……」

 

 何かしら催淫効果のある香が焚かれているのだろうか。

 オイフェはそう、微熱に侵された頭で思っていた。

 

「綺麗な身体さね……思わず壊したくなる程……」

「っ」

 

 オイフェの無垢な肉体──衣服は纏わず、下帯のみを身に着けた、少女のような少年の肉体(カラダ)

 その剥き出しとなった桜色の花綸へ、女豹のように獰猛な視線を向けた女がひとり。

 イザーク人が好んで着用する剣士服を、扇状的に着崩した女の肉体。スリットから覗く太腿は、鍛え抜かれた戦士のそれであり、所々大きな疵痕が走っている。

 はだけた胸──豊かに蓄えられた張りのある乳房にも、鋭利な刃物で傷つけられたであろう刀傷痕が走っていた。

 しかし、その疵だらけの肉体は、うっすらと湿り気を帯びており、名状し難い熟れた淫気を放っている。

 女は僅かに赤らめた顔を歪めながら、ゆるりと少年の肉体へ近付く。

 思わず、後ずさるオイフェ。

 

「動くんじゃないよ」

「ッ!」

 

 しかし、女の一声でその動きは止められる。

 そのまま少年と女豹はつま先が触れ合うほど密着し、女の闇のような黒髪がオイフェの顔に触れる。

 耳元に粘ついた吐息がかかり、オイフェは金縛りにあったかのように自身の身体を硬直させた。

 

「っ、くぅ……!」

 

 直後、少年の蕾が鷲掴みにされる。

 上気した表情を歪め、唇を噛み締めることで込み上げる衝動を耐えるオイフェ。

 女子と見紛う程の少年の肉体であったが、健康な男子同様、二次性徴はとっくに迎えている。

 下履き越しとはいえ、敏感な少年の性は、乱暴な陵辱への耐性は持ち合わせていないのだ。

 

「虐めたくなる……!」

「~~ッ!」

 

 硬軟入り混じった手付きで少年を蹂躙する女。空いた手でオイフェの髪を掴み、自身の鼻孔へと寄せる。

 オイフェは女の胸元に引き寄せられる形となり、呼吸が困難になるほど女の身体に密着した。艶めかしい谷間から感じられる、汗と雌獣の匂い。そして、僅かな血の匂い。

 

「スウゥゥ……フフ……癖になりそうだねぇ……」

 

 オイフェの髪に顔を埋め、若草にも似たその匂いを嗅ぎ、陶然とした表情を浮かべる女。

 しかし、口角は愉悦に引き攣らせており、女の加虐めいた性質(たち)を如実に表わしていた。

 

「っ、はぁ」

 

 顔を上げ、潤んだ瞳で女の顔を覗くオイフェ。

 少年の可憐な表情を見て、女の瞳孔は猫科動物のように肥大する。

 

「嗚呼、堪らない……堪らないねぇ!」

「ンゥッ!?」

 

 乱暴に髪を捕まれ、オイフェは無造作に唇を吸われる。

 女の湿り気のある舌が少年の口腔内へと侵入し、蛇が得物を仕留めるかのように粘膜を絡ませる。

 

「ッ!!」

 

 柔らかい舌が僅かに引っ張られる。そして、噛み付かれた。

 少年の舌へ歯を立て、流れた血を啜る。女の呼吸は荒いそれへと変わり、血走った眼で少年を貪る。

 蕾を掴む手は益々力が込められ、オイフェは口から血を流しつつ、ただひたすら加虐に耐えるしかなかった。

 

(度し難い!!)

 

 何気に今生での初めてを奪われてしまったオイフェ。否、ここまでの陵辱めいた口虐は、前世でも経験した事は無い。そして、このままでは前世から守り通して来たもっと大事な物も散らされてしまうやも。

 そう考え、憤懣を抑え打開策を練る。

 が、催淫香がオイフェの冷静な思考を阻害しており、女豹の拘束から逃れる有効な手立て、立案能わず。

 

(どうしてこうなる……!)

 

 濃厚な女の体臭に包まれ、下帯を僅かに汚しながら、オイフェは何故己がこうも少年性愛者(ショタコン)に狙われてしまうのか──ここに至るまでの経緯を思い出していた。

 

 

 

 


 

 フィノーラ市は歓楽街、その外れにある大きな館。

 構えはそれなりのものであったが、領主の館に比べるまでもなく、粗野な造りを見せている。

 夜更けであるにも関わらず、門前は煌々と篝火が焚かれており、複数名の番兵が(たむろ)しており。

 だが、よく見れば番兵は皆女性であり、その館をねぐらにしている一団の特徴をよく表わしていた。

 

「なあオイフェさんよ……ここにいる連中はまさか……」

「お察しの通りだと思いますよ。ベオウルフ殿」

 

 館に近付くにつれ、不安げな表情を浮かべるベオウルフ。

 澄ました顔を浮かべるオイフェを、訝しむように見つめた。

 

「んじゃあ、もう一個察するとだな……あんた、こいつらを雇おうなんて考えてるんじゃないだろうな?」

 

 言外に正気を疑うように、そう述べるベオウルフ。

 変わらず、オイフェは何食わぬ顔で応える。

 

「名のしれたベオウルフ殿ですから、彼女達にも顔は利くと思いまして。交渉の仲立ちをお願いしますね」

 

 しれっとそう言ったオイフェ。ベオウルフは慌てて少年の肩を掴む。

 

「おい。悪いことは言わねえ。それだけは止めておけ」

「何故でしょう?」

 

 肩を掴まれながらも、意外といった調子で応えるオイフェ。

 自由騎士は少年軍師の無謀すぎる考えを改めるよう、鬼気迫る表情で言葉を続けた。

 

「あいつらの親玉は“地獄のレイミア”だぞ!」

 

 声を荒げるベオウルフ。

 “地獄のレイミア”という名前が出ると、後方で馬車を牽くホリンもまた表情を強張らせた。

 

「地獄のレイミア……傭兵団“レイミア隊”を率いる女剣士……」

「知ってるのかホリデン!?」

「デン……?」

 

 横にいるデューの意味不明な返しに戸惑いつつ、ホリンは己が知るレイミアという傭兵の所感を述べた。

 

「噂でしか聞いた事がないが、類まれなるイザーク剣法の使い手と聞く。麾下の傭兵団は全て女性で構成されていて、それらもまた手練れ揃い。そして──」

 

 一呼吸を置き、ホリンは同じイザーク剣術の使い手に対し、嫌悪感を露わにした。

 

戦場(いくさば)では残虐な振る舞いが多いとも。拷問、略奪、放火……金の為なら相手構わず殺しまくる、殺人者の集団。デュー、お前はこの事を知っていたのか?」

 

 唾棄するようにそう言ったホリン。件のレイミア隊の登用をオイフェが画策しているのを受け、少年軍師の腹心であるデューへ問い質すように視線を向ける。

 

「おいらは反対したんだけど……まあこれからやる事考えたら、おいら達だけじゃ手は足りないのは分かるんだけどね」

「どういう事だ?」

「それはオイフェから聞いてよ。それよりもホリンには」

 

 そう言って、デューはホリンの耳へと口を寄せる。

 

「交渉が失敗した時に備えておけってさ」

「……」

 

 耳打ちされた内容は簡潔。

 いざという時の鉄火場に備えよという、少年軍師の指令だ。

 

「納得の行く説明が欲しいのだが」

「まあ、そこはもうちょっと辛抱してよ。おいらも心苦しいとこもあるしさ」

「……わかった」

 

 デューが困ったようにそう言うと、渋々とではあるがホリンは首肯する。

 いずれにせよ、目の前の女傭兵団は凶賊紛いの集団。

 対峙する上で油断は禁物である。

 

「とにかく俺は反対だぞ! あの女はマジで洒落になってない!」

「そうは言っても、もう会う約定は取り付けてますし」

 

 翻って、尚もオイフェの説得を続けるベオウルフ。

 淡々とした調子で返すオイフェであったが、ベオウルフの憂慮はよく理解している。

 理解しているからこそ、この場は譲る気は無い。

 大望を成す為に、レイミア隊との契約は必要不可欠。

 

 使()()()()()()()()、手駒が必要なのだ。

 

「いーや! お前は分かってない! あの女の恐ろしさはな──」

 

 そうベオウルフが言いかけた時。

 

 

「何が恐ろしいって言うんだい?」

 

 

 門前から、長剣を佩いた一人の女が現れる。

 篝火に照らされ、艶めいた長い黒髪を靡かせる女剣士。獣の匂いと、血の香りを纏わせる女豹。

 ともすれば、イザークの剣姫と同じような出で立ち。しかし、違う点がふたつ。

 アイラの髪は、鮮やかな紫光りを備える黒髪。そして、凛とした美しい顔立ちの下に隠す、克己と慈愛の精神。

 

 だが、目の前の女剣士にはそれはない。

 黒髪はただひたすら周囲の闇を映すかのように、濃い黒色を見せている。

 そして、その表情は、恐ろしいまでの野性と魔性を備えていた。

 鷹のような鋭い眼に、鷹揚な眉。紅を引いた唇は血を吸ったかのように赤く、ともすれば上質な蠱惑の影が覗いている。

 しかし、それらは女の美しさというには些か語弊があり、獰猛な捕食者が人間に擬態しているといっても過言ではなかった。

 

 女剣士の名はレイミア。

 冷酷無比な戦いぶりで知られる、女傭兵団“レイミア隊”の頭目、“地獄のレイミア”である。

 

「ひ、久しぶりだな……レイミアの姐御」

「本当、久しぶりだねぇ……ベオの坊や」

 

 面識があるのか、両者は衣を着せぬ言葉で挨拶を交わす。歳はそう離れてはいないのだが、ベオウルフを舎弟扱いするレイミアからは、女傑の如き貫禄が感じられた。

 

「相変わらず景気は良さそうだな姐御……肌から血の匂いがするぜ」

「ほほほ、これはほめ言葉をありがとうよ坊や」

 

 ベオウルフの皮肉めいた言葉も余裕でいなすレイミア。

 ここに至っては仕方なしと、ベオウルフは肚に気合を入れ直していた。

 

「初めまして。私はヴェルダン属州領補佐官のオイフェと申します。高名な傭兵、レイミア殿に会えて光栄に思います」

「おや、悴者(かせもの)風情にずいぶんとご丁寧な挨拶だねぇ……」

 

 殺伐とした空気が漂う中、オイフェはぺこりとレイミアへ頭を下げる。

 少年の可憐な顔を、レイミアは値踏みするように、湿り気のある瞳で見つめていた。

 

「一介の傭兵でも知ってるよ……名軍師スサールの孫にして、属州総督領の黒幕サマの噂はね」

「……」

 

 黒幕になったつもりはないが、事実として属州の政策を一手に担うのは確か。

 特に否定するつもりは無いオイフェは、黙ってレイミアの瞳を覗き返す。

 一介の傭兵にしてはやけに事情通なのも、この女傭兵が一筋縄ではいかない存在なのを物語っていた。

 

「ま、とりあえず中にお入り。夜は冷えるさね」

 

 紅い口角を歪に歪めながら、レイミアは自身の居館へとオイフェ一行を誘導する。

 番兵の殺気立った視線を受けながら、オイフェ達は地獄の門を潜っていった。

 

 

 

 

 

「何か飲むかい?」

 

 通された応接間。

 一行を武装した女傭兵──上物の刀剣(勇者の剣)を佩いたソードファイター達が囲み、怜悧な空気がそう広くはない部屋を包んでいる。

 彼女らはレイミア隊の中でも精鋭中の精鋭であり、頭目を護衛するに相応しき使い手であった。

 

「いえ、お構いなく」

「そうかい? 砂漠の夜は長い……喉が乾くと思うけどねぇ」

 

 使い込まれたテーブルを挟んでレイミアと対面するオイフェ。差し出された水差しを慇懃に辞退するのは、何かを()()()ては敵わないから。

 油断なく対峙するオイフェに、レイミアは諧謔味に表情を歪めていた。

 

「んじゃ、まだるっこしい事は抜きにして早速本題に入るとしようかね」

 

 そう言ったレイミアは、オイフェ達を順番に見やる。

 訝しむようにレイミアへ視線を向けるベオウルフ。

 周囲のソードファイターの動きを警戒するホリン。

 背後の扉へそれとなく目配せし、緊急の脱出に備えるデュー。

 そして、じっとレイミアの瞳を覗くオイフェ。

 

 二百名からなる地獄の傭兵団、レイミア隊の懐へたった四名で乗り込んで来た蛮勇なる男達。

 それは、レイミアにとってひどく好ましい──嬲り甲斐のある代物だった。

 

「事前に聞いていたかと思われますが、私達は貴女方──レイミア隊と契約したく思います」

 

 淡々と述べるオイフェ。変わらず口角を歪ませながら、レイミアはゆっくりと応える。

 

「わざわざグランベルからお出でになって、ウチらと契約したいだなんてどんな物好きさね。理由を聞いても?」

「レイミア隊の実力を高く評価しているからです」

「ほ、それは光栄さね」

 

 見え透いたお世辞。薄ら笑いを浮かべながら、そう判断しかけたレイミアだったが、オイフェの眼は嘘偽りのない光を放っていた。

 

「……ウチらのどこを評価してくれたっていうんだい?」

 

 少年の無垢な瞳を受け、レイミアの口角は吊り上がったままだが、浮かべる視線は真剣なそれへと変わる。

 

「個々人の戦闘力の高さ。それに加え、あらゆる状況を想定した兵種編成。独自の後方支援部隊まで揃え、生存性も他の傭兵団とは比較になりません。足りないのは騎兵の機動力のみ。逆にお聞きしたいのですが、どのようにしてそのような編成を考案したのですか?」

 

 少しばかりの知的好奇心を覗かせながら、オイフェはレイミアへ矢継ぎ早に質問を返す。

 レイミア隊の編成はソードファイターを中核とした歩兵部隊ではあるが、ボウファイターやサンダーマージで構成された支援攻撃部隊、シスターなど後方支援部隊を備えるなど、単一の戦闘集団としてはほぼ完成された編成となっている。

 オイフェが現在育成しているシグルド軍も、このレイミア隊を参考にしているのは言うまでもない。小規模ながら諸兵科による連合部隊を編成せしめたのは、オイフェが知る限りグラン歴750年代当時ではこのレイミア隊だけであった。

 それほど、前世はシレジアでの戦い──王弟ダッカーの最後の矛として立ちはだかったレイミア隊との地獄の戦いは、オイフェの記憶に深く刻まれていたのだ。

 

「別に、アタシが思いついたわけじゃ──」

「加えて、レイミア殿は義に篤い。一度結んだ契約は絶対に反故にしない信頼があります」

「え──」

 

 更に称賛を被せるオイフェ。呆気に取られたような表情を浮かべるレイミア。

 実のところ、この契約を最後まで──文字通り、金を貰えば死ぬまで戦う傭兵というのは、当時としては貴重な存在であった。

 契約を結んだ傭兵は、戦場の趨勢を見て寝返りを打つ者は少なくない。また、雇い主が気に入らぬから、といった独善的な理由で契約を一方的に破棄する者もいる。

 前世でベオウルフがアンフォニー王家を裏切り、シグルド軍へ付いたことからも、それは容易に伺えた。

 

 そして、前世におけるレイミア隊が全滅するまでダッカー王弟に付いて戦ったのは、この傭兵の信用を重視する義があったのは確かなのだ。

 もっとも、素行の悪さは他の傭兵団と比べるまでもなく、悪辣なものであるのも確かなのだが。

 

 ちなみに、トラキア傭兵が各国から重宝されていたのは、傭兵となった竜騎士達が契約を最期まで履行する絶大な信用があり、戦場での乱暴狼藉を謹んでいた信頼があったからであり。

 国王トラバントの厳命により、竜騎士達は文字通り死ぬまで傭兵として、そして騎士としての戦いを止めなかったのだ。

 傭兵稼業でしかロクな外貨獲得手段がなかった、悲惨な国情ゆえである。

 

「そ、そこまで言われるとねぇ……」

 

 少年特有ともいえる好奇心。加えて、純粋な称賛。

 それを受けたレイミアは、体温が少しばかり上昇するのを感じていた。

 

「少し照れるさね……」

 

 少年軍師の無垢な瞳から逃れるように、視線を外すレイミア。

 その意外な所作に、レイミアを知るベオウルフは「気持ち悪っ」と驚愕の眼差しを向けるも、即座に蛇の如き睨みを受け明後日の方向へと顔を背けた。

 

「ま、そんなことはどうでも良いさね。それよりも……」

 

 居住まいを正すレイミア。ほのかに染まった頬を常に戻すと、再び口角を諧謔味に吊り上げる。

 

「お生憎様だけどね、ウチらはフィノーラの領主サマと契約済なんだよねぇ」

「ですが、その契約も直に切れるのでは?」

 

 揺さぶりのネタをひとつ放るも、見透かされているのか少年軍師には通じない。

 今度は少しばかり苛ついた表情を覗かせるレイミア。

 

「その後はザクソンにでも行こうと思ってるよ。あんたらに心配される筋合いはないさね」

 

 己を高く売りつける為の三文芝居なのは、互いに百も承知。しかし、これは傭兵団と契約する上での通過儀礼のようなもの。

 打てば響くように、オイフェはレイミアへ言葉を返した。

 

「では、まだ私達と契約する余地はあるのですね?」

 

 そう言うと、レイミアはつと己の顎に手をやる。

 しばし考えた後、俗物的な表情で少年軍師へ視線を向けた。

 

「ま、そうなるね。ただ──」

 

 すると、レイミアはオイフェの手へ、自身の腕を伸ばす。

 少しばかり戸惑うオイフェに構わず、手のひらへ自身の指をつうと這わせた。

 

「契約金次第だねぇ」

 

 キリっと、オイフェの手へ爪を喰い込ませる。

 針が刺すような痛み。脇に控えるホリンやベオウルフは、即座に腰を浮かした。

 が、オイフェはそれを手で制す。

 

「金額交渉に時間をかけたくありません。ですので──」

 

 オイフェはレイミアの指を、ゆっくりと握る。

 少年の暖かい体温を感じ、レイミアの下腹はじわりと熱を帯びていた。

 

 レイミアは少しばかり陶然とした表情を浮かべ──

 

「一年契約で五千ゴールドでどうでしょうか」

 

 直後、真顔になる。

 

「随分……舐め腐った金額をお出しするねえ……!」

 

 相場を一切無視したオイフェの提示金額。通常、この規模の傭兵団を一年雇うには、食事や住居の提供など条件にもよるが、少なくとも十万ゴールドは必要だ。

 ベオウルフは個人で契約しているも、その条件は三年契約で一万ゴールド。それを加味すれば、この金額提示はあまりにも足元を見すぎている。

 だが、オイフェはお澄まし顔でそう言い放っており、レイミアはそれまでの諧謔味のある表情を一変。口角は歪んでいるも、薄っすらと額に青筋を立てていた。

 

「オイフェ、それは流石に……」

「いや、姐御、オイフェはちょっと桁を間違えただけで……」

「安すぎィ!」

 

 一方で、ホリン、ベオウルフ、デューはオイフェの乱心っぷりに一瞬で表情を青ざめさせていた。

 安く買い叩くにも程がある。

 グランベルの高慢な役人でも、もう少し気の利いた金額を提示するのでは。

 ちなみに、五万ゴールドでも戯けた金額提示であるのは変わらないので、ベオウルフの弁解は火に油を注ぐこととなる。

 

「所詮はガキの戯言さね──!!」

 

 傭兵稼業は舐められたら終わり。安く買い叩かれたと知られては、今後の商売が成り立たない。

 使い潰されるにも、相応の金額が無ければ、配下を含め己自身も納得出来ないからだ。

 傭兵稼業を見下すような態度を示したオイフェ。

 さてどの様に叩きのめしてやろうかと、レイミアは殺気を放ち、オイフェから手を引こうとした。

 

「ああ、誤解してほしくないのですが」

「ッ!?」

 

 すると、オイフェはぐいとレイミアの指を掴み直す。既に臨戦体勢となっていたホリンを制し、レイミアもまた戸惑いつつも殺気立った部下達へ目配せする。

 緊張感が漂う中、オイフェは言葉を続けた。

 

()()五千ゴールドの契約でどうでしょうか」

「は?」

 

 にっこりと無垢な微笑みを浮かべながらそう言い放つオイフェ。

 その言葉を咀嚼しきれず、数瞬硬直するレイミア、そしてオイフェを除く周囲の者達。

 

「え、えーっと、あたしらは200人いるから……」

「ひゃ、ひゃくまん……!」

「お、お頭! 百万ゴールドですよ! 百万ゴールド!」

「一年どころか十年は食いっぱぐれませんよ!」

「乗るしか無い、このビッグヴェーブに」

 

 思わず、それまで黙って控えていたレイミア隊がにわかに騒ぎ始める。

 いきなりの高額年俸提示。浮足立つのもむべなるかな。

 

「お黙りッ!」

「ッッッ!!」

 

 ぴしゃりと配下の女衆を黙らせるレイミア。

 尚も己の指を握りしめるオイフェへ、静かに問い返した。

 

「誤解していたのは悪かったよ。でもね……」

 

 そう言いながら、レイミアはゆっくりと指を動かし、オイフェの手のひらへ自身の手を重ねた。

 

「流石に条件良すぎるねぇ……アタシらに何をさせようって言うんだい?」

 

 ぎゅうとオイフェの手を握りしめるレイミア。

 金払いの良さは、往々にして危険度が跳ね上がる事を意味していた。

 それを問い質すように握力を強めるレイミア。少年の柔い手には万力で締め上げられたかのような痛みとなる。

 だが、オイフェはその痛みを意に介さず、言葉を返した。

 

「“秘”です」

「なに?」

 

 視線をレイミアから逸らさないオイフェ。

 じっと見据えたまま言葉を続ける。

 

「契約を結んで、事を始めるまでは言えません」

「……そうかい」

 

 みしりと、オイフェの手が軋む。

 しかし、表情を一切変えないオイフェ。

 しばしの間、オイフェとレイミアは互いの手を握り続けていた。

 

「……少し、二人だけで話しをしないかい?」

 

 ふと、レイミアはオイフェの手を離す。

 オイフェは痛んだ手を擦りつつ、そう提案したレイミアを訝しげに見つめた。

 難しい契約。その場合、雇い主と腹を割った()()()()が必要なのは当然であり。

 

「オイフェ」

 

 しかし、相手は地獄のレイミア。

 かような相手と二人きりにさせては、その身が危うい。

 撤退を促すようオイフェの肩へ手をかけるデュー。

 

「ええ、分かりました」

 

 だが、オイフェは地獄の提案に乗る。

 

「オイフェ、ダメだって──」

「デュー殿、ここは私に」

 

 そっと、デューの手へ自身の手を重ねるオイフェ。

 それまでの殺伐とした交手とは違う、友愛が籠もった手付きだった。

 

「……危なくなったら、直ぐ逃げるんだよ」

「大丈夫ですよ。それより、デュー殿達もお気をつけて」

 

 短く、そう囁き合う少年達。

 デューはオイフェへ首肯すると、戸惑うホリンとベオウルフへ顔を向けた。

 

「しょうがないよ。オイフェを信じよう」

「む……」

「……姐御。お手柔らかに頼むぜ」

 

「善処するよ」と、ニヤついた笑みを浮かべるレイミア。

 目配せをすると、レイミア隊の女傭兵達は、デュー達を部屋の外へと連れ出していった。

 

 

「さて、少し付き合ってもらおうかね……オイフェ補佐官殿」

「……」

 

 室内にはオイフェとレイミアだけが残され、部屋の温度は少しばかり低下する、

 ふと、レイミアは席を立ち、オイフェの前へと進んだ。

 

「ついておいで」

「……はい」

 

 そして、オイフェをエスコートするように、その手をとる。

 先程の暴虐的な強さとはまた違う、嗜虐めいた粘りが感じ取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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