逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第四章
第33話『砂漠オイフェ』


 

「我々は血の代替(スペア)である」

 

 少年オイフェが、まだシアルフィ城へ移り住む前。

 健在であった祖父スサールに、オイフェはそう告げられていた。

 幼くして両親と死別したオイフェを、厳しくも慈しみをもって育て上げたスサール。

 だが、この時のスサールは、まるで肉親の情は感じられず。

 厳然と告げるそれは、聖戦士の末裔としての義務を果たさんとする、冷徹な政治家の姿であった。

 

「スペア、ですか?」

 

 敬愛する祖父が発する冷たい空気に呑まれ、たどたどしい言葉を返すしかないオイフェ。

 それを受け、スサールは鷹揚に頷く。

 

左様(さよ)。聖戦士バルドの血統は、決して絶やしてはならぬもの。それ故の代替なり」

「……」

 

 祖父の冷徹な言葉。押し黙るオイフェに、スサールは滔々と言葉を続ける。

 

「父祖バルドが実子は二人。その一人は、嫡流として今も続くシアルフィ御本家の血筋……バイロン様の御父上であらせられる。そして、バルドが残したもう一人の子……それが、儂の母である」

「……」

 

 改めて言われなくても、オイフェは己の曾祖母が聖戦士バルドの娘であり、シアルフィ家の系譜を十分知っている。

 ならばなぜ、祖父が唐突にこのような話をしたのか、その真意を図りかねていた。

 が、オイフェの疑念に、スサールは即座に答える。

 

「故に、御本家にもしもの事があれば、我らが……お主がシアルフィを継ぐのだ」

「ッ」

 

 僅かに息を飲むオイフェ。

 主家を継ぐ者が途絶えれば、分家筋が後を継ぐのは道理。

 それは、十分に理解している。

 だが、面と向かって誰かに──それこそ、親であり教師である祖父から言われたのは、少年オイフェにとって初めての事だった。

 

「シグルド様もエスリン様もまだお若い。問題は無くシアルフィの血……バルドの血は連綿と受け継がれていくだろう」

「……」

「だが、もしまたロプトのような闇が世界を覆えば……それにより、シアルフィの御本家が潰えてしまったら……」

「……」

 

 言われずとも、オイフェがシアルフィの旗──ニ頭の竜に挟まれた、聖剣の旗を背負う事になる。

 そして、バルドの血を、今度は己が残していかねばならぬのだ。

 

 それを理解したオイフェ。ふと、自身の左手が疼くのを感じ、ぎゅっと右手を重ねる。

 少年の柔らかい手甲に、僅かに浮かぶ聖なる痣。

 僅かに滲む、バルドの聖痕が、じわりと熱を放っていた。

 

「よいなオイフェ。いざという時の“備え”……決して怠るでないぞ」

「……かしこまりました、お祖父様」

 

 言外に、スサールはオイフェへ確実に子を成すように伝えていた。

 バルドの血、決して絶やすなかれ。

 それが、代替である我らの義務なり。

 このような祖父の意を受けたオイフェは、ただ頭を垂れて言葉を返すのみであった。

 

 

 結果として、スサールのこの訓示はオイフェの意思により無視される事となる。

 個人的な感情──男女の営みを忌避するまでに刻みつけられた、愛し合った者達が無惨に引き裂かれたのを目の当たりにしたトラウマは、無論ある。

 だがそれ以上に、十全に発展したシアルフィ領を、セリスへ──シグルドの子へ“返上”するという、オイフェの譲れない意志があったのだ。

 もちろん、バルドの直系であるセリスが子を成している事実があってこそのこの決意だったが、それでもバルド傍系スサール家の系統は断絶する事となる。

 

 全ては、シアルフィ領を禍根無く返上する為。下手にスサールの血を残しては、諍いの種になりかねない。

 狂信的なまでのオイフェの忠義──シグルドへの慕情が、そのような冷徹な決断を下していたのだ。

 

 以上が、オイフェの“前世”でのシアルフィ家系譜の顛末であった。

 そして、“今生”では。

 

 その訓示は、果たして守られるのか。

 はたまた、前世と同じ様に無視されるのか。

 ただ、少なくとも今は、己の血を残すという考えを、オイフェは持っていなかった。

 そのような()()がある状態で、此度の大望は果たせるはずもない。

 オイフェは、そう考えていた。

 

 

 全てを救う為、そして己の怨みを晴らす為に策動するオイフェ。

 その血は、熱く、暗く、重く。

 その血の宿命に従うか、抗うか。

 それは、オイフェ自身にも分からぬ事であった。

 

 だが、その血は滾っている。

 大望を成就する為、討ち果たすべき相手がいるからだ。

 その相手は二人。

 赤き宿敵、アルヴィス。

 

 そして、暗黒教団──ロプト教団大司教、マンフロイ。

 その陰謀の核心部。

 

 

 “クルト王子暗殺”を阻止せんべく、オイフェは熱き血潮を滾らせていた。

 

 

 

 


 

 イード砂漠

 フィノーラ市

 

 フィノーラは茫漠と広がるイード砂漠北方に位置する都市で、グランベル、シレジア、そしてイザークの三国間での物流の中継を担う交易都市である。

 その所属はグランベル王国の衛星都市として扱われており、本国から離れている都合上、恒久的な自治が認められていた。

 フィノーラのオアシスには砂漠に棲まう者達だけでなく、交易都市であるがゆえに各国の商人も集まっており、日々の商いを活発に行っている。付随して、腕の良い職人らもフィノーラへ集まっており、各種工芸品等の特産品を日々生産していた。

 中でもフィノーラ産の刀剣類は各国でも評価は高く、観賞用から武人の蛮用にも耐えうる実用品まで幅広く品揃えており。腕の良い熟練職人(マイスター)の逸品を求め、グランベルはもちろんマンスター諸国やアグストリア諸侯連合からも商人が買付けに来るほどである。

 

 この鍛冶集団を積極的に支援したのは、シアルフィ公国当主であるバイロンだった。

 宰相レプトールらの反対を押し切り、シアルフィから職人を派遣してまでフィノーラ鍛冶集団の育成を支援したバイロンには、当然のことながらフィノーラに棲まう者達は深い恩義を感じており。

 バイロンとしてはフィノーラの自主自立を促し、周辺国との緩衝地帯を作る事で、国体の護持を堅実に図っただけなのだが、思惑はどうであれフィノーラの発展に寄与したのは事実。

 

 こうして、ミレトス地方ほどではないにしろ、フィノーラは人、物、金が集まるイード砂漠屈指の経済都市となる。

 このような高い自治性と経済力を守る為、フィノーラはグランベル王国の戦力とは別に、独自の軍事力を保持していた。鍛冶集団が常駐するのも、フィノーラ軍の戦備を維持する為に必要だからだ。

 しかし、その兵力は当然の事ながらグランベル各公爵家の騎士団に比べ規模は小さい。

 故に、有事の際は傭兵集団を雇用し、その戦力を拡充せしめている。

 

 そして、現在のフィノーラには、荒事を生業とする傭兵達の姿が見られるようになる。

 剣呑とした市内の様子は、周辺にて有事が発生した事を明確に表わしていた。

 だが、それらの戦闘集団とは比較にならぬ程の武力を持つ軍団。

 弓馬の達者で構成されたその軍団は、市外のオアシスにて兵馬を休ませている。

 

 フィノーラ市外にはためく、二頭の竜に挟まれた聖弓の旗印。

 ユングヴィ公子アンドレイに率いられた弓騎士団“バイゲリッター”が、フィノーラを囲むように駐屯していた。

 

 

 

 

「んで、なんで俺らはこんなとこにいるんだよ……」

 

 フィノーラ市内にある宿屋の一室。

 砂漠の暑さを幾分か和らげる風通しのよい部屋。

 その一室に備えられたラタンソファに突っ伏すように寝転び、うだるような声でそう述べたのは、漂泊の自由騎士ベオウルフ。

 

「知らん。オイフェに聞け」

 

 暑さと疲労で消耗するベオウルフとは違い、平然とした声を返すのは、月光の剣闘士ホリン。椅子にもたれかかるベオウルフとは対照的に、壁に寄りかかりながら油断なく外の様子を伺っている。

 窓から覗く往来にはフィノーラ市民に加え、明らかに筋者と思われる厳つい面相の者も多数おり。腰に下げている得物が、彼らが“戦”を生業にしている者と容易に想像が出来た。

 記憶にあるフィノーラ市とは程遠い状況。治安が極端に乱れているわけではないが、それでもガラの悪い空気に包まれたフィノーラは、ホリンがかつて訪れた街の様子とは一変していた。

 ともかく、ピリピリとした剣呑なる空気に包まれている。

 そう感じたホリンは、その原因は言うまでもなく、イザークとグランベルが戦争状態にあるからだと思考していた。

 高い自治性を持つが故に、宗主国の軍隊が駐留している事実が、フィノーラの緊張を高めているのだろうとも。

 

 元々乾燥地帯の暑さには慣れているのか、普段と変わらぬ様子でそう思考していたホリン。

 もっとも、顔には出ていないだけで、実際にはホリンも相応に疲れてはいたのだが。

 

「あんたもタフだね……ああ、クソ。早く夜にならねえかな」

「街の中でも夜は夜で冷えるぞ」

「んなこたわかってるんだよ。夜になったら淫売宿が開くだろ。そこで暖を取るさ。女体の熱でな」

「……」

 

 ニヤリといやらしい笑みを浮かべるベオウルフに、目を細めてため息をひとつ吐くホリン。

 だが、慰安したくなる気持ちもわかる。

 このような“弾丸行”を経たら、息も精も抜きたくなるものだと。

 

「ボーナスが入ったんだ。パーッと使わないと損だぜ」

 

 そう嘯くベオウルフ。

 ボーナスとは、先のエッダ使者襲撃の際、使者や護衛の者から奪った金品の事だ。

 無論、()()()()という本来の目的を隠蔽する為に行った偽装であり、ベオウルフ達はあくまで金目的の盗賊という筋書きを作る為だ。

 これに関して、ホリンは思う所もあったが、色街遊びをするには丁度よい金額ではある。

 

「……いやでも俺は行かないからな!」

「お、おう。別に誘ってはいないんだが……まあいいか」

 

 フィノーラに存在する娼館を想像した瞬間、ホリンの脳裏には黒髪の剣姫の姿が浮かぶ。

 慌てて不犯の誓いを立てるホリンに、ベオウルフはおざなりな返事を返すのみ。

 どうせアイラに操を立てているのだろうと容易に想像がつくが、弄り倒す体力も気力も、ベオウルフには残されていなかったのだ。

 

「にしても、ダーナを()()()してフィノーラとはね……なーんで遠回りしたんだか」

「……」

 

 ベオウルフのこの疑念。ホリンも無言で同意を示す。

 オイフェ一行の目的地であるイザーク征伐軍陣所。最前線であるリボーへ行くには、ダーナを経由しイード砂漠を東進せねばならない。

 しかし、今現在、自分たちはイード砂漠北方に位置するフィノーラにいる。

 何故こうなったか、ホリンはエッダを出立してからの旅路をつらつらと思い起こす。

 

 

 オイフェ達がエッダを出立し、イード砂漠へ至った後。

 玄関口であるダーナを門前にして、オイフェ一行はそのまま()()()している。

 

 急ぐ旅故とのことであるが、それならば何故リボーを目指さず、北方に離れたフィノーラへ立ち寄るのか。

 デューは事前に何かを聞かされているのか、特に文句を言わずに黙って従っており。

 ベオウルフは時折疑問を浮かべるも、此度の同道にて多額の報酬を得ているのか、こちらもオイフェの寄り道に文句は言わず、いつもと変わらずへらへらとした薄笑いを浮かべるのみ。

 一人ホリンだけが、怪訝な表情でオイフェへ付き従っていた。

 

 そして、一行がダーナへ差し掛かった時。

 リボー軍のダーナ略奪の爪痕が残る、崩落した城壁。

 その隙間から見える、治安維持の為に派遣されたヴェルトマーの炎騎士団“ロートリッター”。

 少数の部隊しか派遣されていなかったが、壁外からもよく見える炎の紋章(ファイアーエムブレム)が、陵辱されたダーナを慰撫するかのようにはためいていた。

 

 だが、その炎の紋章を目にした際のオイフェが、一瞬だけ悪鬼羅刹の如き表情を浮かべるのを、ホリンは見逃さなかった。

 僅かに漏れ出た、少年の悍ましいまでの怨念。

 憎い、憎い、炎の紋章。

 この世から消し去ってやりたい、赤い紋章。

 己の全てを投げ売ってでも、あの男だけは──

 傍らにいたデューが、ゆっくりとオイフェの背中を擦り、ぽんぽんと優しく叩く。

 オイフェははっとしたようにデューを見つめた後、静かに頭を下げ、常の表情を浮かべていた。

 

 

 こうして、そのまま不眠不休でフィノーラまで至ったわけだが、ホリンの中でオイフェは実に不審な雇い主へと変わり果てていた。

 何故ダーナを素通りしてまでフィノーラ行きを急いだのか。

 何故あの時、あのような憎悪(ぞうお)を発露させたのか。

 そしてなにより、何故エッダの使節を襲い、書簡の交換という工作を命じたのか。

 

 不可解な事だらけ。

 ホリンは、果たしてこのままオイフェに付き従ってもよいのかと、一人自問自答する。

 目を瞑り、少年軍師の策謀について、己の頭を働かせる。

 

(オイフェは……本当に俺達の味方なのか)

 

 深まる疑念。

 いくらイザークの為と言われても、やっている事は怪しさ満点である。

 エッダ使節への偽書交換は、表沙汰になればオイフェどころかシグルドの立場も危うくなる。

 付随してシグルドの元へ身を寄せるアイラ、シャナンの身にも危険が及びかねない。

 

 故に、この件だけは、何故そのような事を行ったのか、書簡の内容は何なのか。

 ホリンはオイフェへそう問い正した。

 

『書簡の内容はまだ明かせません。が、偽書と交換したのは──』

 

『ただの時間稼ぎです』

 

 そう淡々と返すオイフェ。

 何に対しての時間稼ぎなのか、ホリンはそれ以上問い詰めようとするも、オイフェの目配せを受けたデューに上手いことはぐらかされ、それ以上聞くことは出来なかった。

 

 エッダに巣食うロプトの手先が、クロードの聖地巡礼を危ぶみ、王宮──アルヴィスら陰謀の首魁へ報告する事は、オイフェにとって折込み済みであり。

 エッダ教教主による聖地での神託受信とは、エッダ教並びにクロード神父個人へ絶大な信用を寄せるアズムール王にとって、疑いようもない進言にして真実。

 それ故に妨害工作を企てようと、アルヴィスらへ注進したのだろう。

 

 オイフェがエバンスにいるのならば、むしろいかなる妨害工作など物の数ではない。

 何を企もうとも、全て百倍返しにしてくれんと。

 だが、今現在、オイフェはエバンスから遥か遠い砂漠の地に身を置いている。

 危急の工作には対応する事は不可能だ。

 

 だから、オイフェは偽書による時間稼ぎを図った。

 王宮へはクロードの“病気療養の為、王宮出仕はしばらく見合わせたい”との内容。

 アルヴィスらロプトの者達へは、ロプトの活動が滞りなく進んでいると、差し障りない内容を偽造した。

 もちろん、これらは時間が経てば発覚する大嘘であり、稚拙な偽装工作ではあるのだが、時間を稼げれば何でも良かった。

 

 本来死すべきはずの、聖者ヘイムの血を色濃く継ぐ、クルト王子。

 彼の()()を果たせれば、そのような稚拙な計略など些細な事でしかないのだ。

 

 

(“俺達”、か……)

 

 そのようなオイフェの腹の中は、ホリンに知る術はなく。だが、思考していく内に、ホリンはあくまで属州領の兵士ではなく──己の所属は、イザーク王国であるのを自覚していた。

 

「フ……」

 

 思わず、自嘲げな笑いが漏れ出る。

 そのイザークを捨てたのは、他ならぬ己自身ではないかと。

 

(アイラ……)

 

 エバンスで再会した、イザークの剣姫。

 王位継承者であるシャナンを連れての逃避行が、ホリンの胸を締め付けていた。

 

 王族が落ち延びてしまうほど、イザークの戦況は絶望的。

 既にマナナン王、マリクル王子は亡き者となり。

 戦を主導できる有力豪族も、殆どが討ち死にし。

 残るイザーク人は、勝ち筋の見えぬ悪戦へと身を投じていた。

 

(……)

 

 ホリンは想う。

 生まれ育った、ソファラでの日々。

 ソファラに棲まう、一族郎党。

 そして、共に切磋琢磨した、リボーの男。

 彼らは今も尚、イザークを守る為に戦い続けているのだろうか。

 

(……?)

 

 しかし、そう想っている内に、ホリンは己の中で大して郷土意識が芽生えていないのにも自覚していた。

 己の所属はイザーク。

 しかし、ソファラの者達は、生きているのか死んでいるのか、いまいち興味が湧かない。

 

(ああ、そうか──俺は──)

 

 イザークの剣士ではなく──アイラの剣士なのだ。

 黒髪の剣姫を守り、守られ、共に並ぶ、アイラの為の剣士なのだ。

 

 そしてそれは、ずっと前から、そうだった。

 

 

 

 はるけき過去が思い起こされる。

 剣闘士ホリンの、少年時代。

 ホリンはソファラ領領主の息子だ。だが、その身分は決して高くはなかった。

 アグストリア人である母は父の愛妾でしかなく。イザーク人との正妻との間には、数名の兄弟が既におり、ホリンはあくまで育預としての身分しか与えられていなかったのだ。

 

 しかしそれでも節々の挨拶には、親兄弟揃って主君筋であるイザーク王家へ参礼せねばならない。

 父に連れられ、年賀の挨拶でイザーク城へ赴いた際。

 通された大広間にて口上を述べる父の後ろで、上座に座るイザーク王家の人々を、ちらりと覗いた少年ホリン。

 

 そして、端の方に美しい黒髪を備えた、一人の少女と目が合った。

 幼少の頃のアイラ。

 兄であるマリクルの隣で、居並ぶ豪族らへ凛とした表情を覗かせていた。

 

 思えば、この時の己は、いわゆる一目惚れだったのだろうかと、ホリンは想う。

 そして、この時の思い出は、己の人生の中で最も輝いていた時だったとも。

 

 大人達が宴席で騒ぐ中、豪族らの子供たちは広い庭にて遊ぶのが通例。

 しかし、ホリンは自身の髪色が他の子供たちとは違うのもあり、庭の片隅にて一人棒を振っていた。

 

『お前、ヘンな髪の毛してんな! なんでイザーク人じゃないのにここにいるんだよ!』

 

 異端を見留めれば、純粋な敵意を向けるのが子供の常。

 いつのまにか黒髪の子供たちに囲まれたホリンは、キっと声を上げた一人の少年を睨みつける。

 

『おれはソファラのホリンだ! イザーク人だ!』

 

 毅然とそう言い返すホリン。

 しかし、言い返された一際黒髪が荒い少年は、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、ホリンの金髪を掴んだ。

 

『じゃあこの髪はなんなんだよー!』

『ぐっ!?』

 

 髪を引っ掴み、どて腹へ膝を入れる。

 うめき声を上げるホリン。そのまま蹲るも、誰も助けようとはしない。

 ホリンの腹違いの兄弟達は、皆“面白い見世物”が始まったと、嫌らしい笑みを浮かべて傍観するだけだ。

 

『くやしかったらやり返してみろよ!』

『……!』

 

 ぐいと胸ぐらを捕まれ、顔を叩かれながらそう言われる。

 しかし、ホリンは我慢する。

 ここで乱闘騒ぎでも起こしたら、母の立場がより悪くなり、余計な心労をかけてしまう。近頃は父の愛も薄くなったように思えた。

 ホリンがやり返して来ないのを見て、黒髪の少年はホリンを突き飛ばし、つまらなそうな目を向ける。

 

『はっ、すくたれものってやつだなお前』

『……』

 

 そう言い放ち、取り巻きの少年達を従え、ホリンから離れる。

 だが、ホリンが土汚れを払おうと立ち上がった時。

 

『きっと母ちゃんがイザーク人じゃないからだな。これだから南蛮女は。母ちゃんもすくたれものだなこりゃ』

 

 その言葉を聞いた瞬間、ホリンは己の頭がカッと熱くなるのを感じる。

 自分がいくら悪く言われたって、我慢は出来る。

 だが母を悪くいうのは許せない。

 やむを得ない事情で、半ば強制的にソファラへと連れて行かれ、自分を孕んだ母。

 周りに頼るべく人もおらず、正妻からの虐めに耐え、それでもホリンを慈しんでくれた、たった一人の母。

 

 それを、悪く言う者は──

 

『ウワアアアアッッ!!』

 

 少年ホリンの咆哮が轟く。

 黒髪の少年が気付いた時には、ホリンに突き飛ばされ、馬乗りにされていた。

 

『て、てめー!』

『うぐっ!』

 

 喧嘩慣れしているのか、即座に蹴りをぶち込み、ホリンと体勢を入れ替える。

 己の腹に跨る少年に、ホリンは懸命な抵抗を続けるも、無慈悲な暴虐が開始されようとしていた。

 

『ボコボコにしてやんよ!』

 

『やっちまえガルザス!』という周囲の囃し立てを受け、ガルザスと呼ばれた黒髪の少年──リボー族長の息子は、容赦なくホリンの顔面へ拳を振りかざす。

 ホリンの顔はみるみる腫れ、鼻や口から血が流れ出た。

 

『まいったって言え!』

『……ッ!』

 

 はあはあと息を荒げながら、ガルザスはホリンの腫れた顔を見やる。

 ホリンは涙で濡れた瞳で、ガルザスを鋭く睨み返していた。

 

『ガアアアアッ!!』

『うわーっ!?』

 

 一瞬の隙をつき、ホリンはガルザスの腕へ噛み付く。

 痛い、痛いと泣き喚くガルザス。離せ、離せと周囲の子供達がホリンを嬲る。

 しかしどれだけ嬲られようとも、ホリンはガルザスの腕へ牙を立て続けていた。

 

『何をしているッ!』

 

 子供の喧嘩にしては尋常ならざる騒ぎに発展したのを受け、濃い黒髪を備える青年が止めに入る。

 イザーク王位継承権第一位、マリクル王子だ。

 そして、その傍らには──黒曜石のような艶やかな黒髪を揺らす、少女アイラの姿。

 

 イザーク王子の姿が現れれば、子供たちは大人しく頭を垂れるのみ。

 無論、ホリンもガルザスに噛み付くのを止めていた。

 

『お前達、ここをどこだと思っている!』

 

 そこから、次代のイザーク国王の容赦の無い説教が始まる。

 有力豪族らの子弟の教育も、この国の王子の仕事なのだ。

 固い地面で正座をする子供たち。ガルザスなどは泣き面に蜂といったところだ。

 

『……』

 

 説教を受けている間、頭を上げる事は許されない。

 だが、ふとホリンは──己の顔を見つめる、アイラの視線に気付いた。

 バレぬように、少しだけ視線を上げる。

 アイラの柔らかい顔が見える。

 ふと、その蕾のような唇が動いた。

 

 “おまえ、やるな”

 

 小さな八重歯を覗かせ、いたずらっ子のような笑みを浮かべるアイラ。

 数瞬、ホリンはその笑顔に見惚れていた。

 

 その後は散々に説教され、実父からも容赦のない鉄拳制裁を受けソファラへの帰路についたホリン。

 そして、エバンスで再会するまで、ホリンはアイラと再会する事は叶わなかった。

 この件が原因で、イザーク本城へ出向く事は禁じられたからだ。

 

 しかし、得た(えにし)はある。

 ひどい喧嘩をしたはずのガルザスが、いたくホリンを気に入り──今度こそはまいったと言わせる為に──わざわざ山を超えてまでリボーからソファラへ出向き、共にイザーク剣法を学ぶ仲になったのだ。

 子供同士の拙い稽古は、青年へと成長した時分には一流同士の試合へと発展していた。

 そして、互いの技量と比例するように、ホリンとガルザスの間に深い友情が生まれていた。

 ガルザスがリボー氏族の娘に惚れ、嫁に迎えたいという相談をされるくらいには、ホリンとの関係は衣を着せぬ間柄となっていたのだ。

 そして、共に剣聖オードへと追いつかんべく、練磨を続けようとも。

 

 だが、それは数年前に終わりを告げる。

 ホリンの実母が病に倒れ──息を引き取った事で、ホリンの郷里へのしがらみは無くなっていたのだ。

 

『武者修行へ行く』

 

 ホリンがしばらくして廻国修行へ旅立つのを、ソファラの者達は誰も止めようとはしなかった。

 そしてそれは、無二の親友となったガルザスもであったが、抱く想いは正反対。

 

『また会おう』

 

 そう言ってホリンの背を力強く押したガルザス。

 親友の成長を願う、純粋な想いだった。

 

 親友(とも)の想いは、ホリンの中で複雑な想いとなっていた。

 ガルザスは、また会おうと言った。

 しかし、己はもうソファラには──イザークには、そこまでの想いは無い。

 

 剣は好きだ。

 父祖の技に一歩一歩近づいていくのは、楽しい修行だ。

 しかし、その剣を何かの為に振るうという想いは、当時のホリンには存在しなかった。

 少なくとも、ガルザスのように故国の為に剣技を磨くという発想はなかったのだ。

 

 そして、ホリンは各地を転々とし、剣闘士として日銭を稼ぐ日々を過ごす。

 エバンスへ腰を落ち着けたのは、ここ数ヶ月での事。

 闘技場で勝ち名乗りを上げ続ける日々。

 

 その頃には、故国とグランベルが戦端を開いた事など、ホリンにはどうでも良くなっていた。

 最早、黒髪の少女の瞳すら──忘れてしまっていた。

 

 闘技場で、長い黒髪を靡かせるアイラを見るまでは。

 

 

 

 

「──リン! ホリン! 聞いてんのかおい!」

「ッ!」

 

 ベオウルフの声が響き、ホリンははっとしたように目を開く。

 どうやらいつのまにか寝入ってしまったようだと、己の不覚を恥じる。

 気づけば日は傾いており、砂漠の街に夜の帳が下りようとしていた。

 

「寝てるのか起きてるのかはっきりしろよな……お前超分かり辛い」

「あ、ああ。すまん」

「まあいいけどよ。それより、ショタ軍師殿がお呼びだぜ。お出かけだとよ。さっさと支度しろや」

 

 既に外出の準備を整えていたベオウルフ。

 見ると、部屋の入り口ではオイフェとデューの姿が見え、何事かを確認し合っていた。

 

「ああ、分かった」

 

 ホリンは立ち上がると、自身の愛刀を佩く。

 そのままオイフェへ向かって歩を進めた。

 

「オイフェ」

 

 そう、短い言葉を発するホリン。

 その言葉を受け、オイフェはホリンへ視線を向け、次の言葉を待った。

 

「お前は何の為に戦っている?」

 

 短く、真に迫った問いかけ。

 少年軍師は少しばかり訝しむも、即座に言葉を返した。

 

「シグルド様()の幸せです」

 

 端的にして真実の言葉。

 これ以上ない、オイフェの回答。

 

「それは、アイラも──“俺達”も含まれているのか?」

 

 再度問いかけるホリン。

 少年軍師は、短く返した。

 

 

「当然です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ガルザスはアイラの甥だけどマリータの年齢考えるとシャナン世代じゃなく聖戦親世代なのでホリンとマブダチにしてもバレへんか……

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