逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第26話『逃走オイフェ』

 

「にーげろー!」

「あ、姫さま! お勉強しなきゃだめですよー!」

 

 オイフェ達の目前で、脱兎のごとく遁走を開始するフリージのジャジャ馬娘、ティルテュ。

 課せられた勉学に嫌気が差し、隙きを見て逃げ出せたのは良い。だが、こうして早々に発見されてしまうのは、彼女が持つ天性の愛嬌、そしてお茶目な慢心によるものだろう。

 逃げ出すティルテュを見留めたアマルダは、スルーフの腕からするりと抜け出すとパタパタと追いかけ始めた。

 

「こらー! まちなさーい!」

「やーよ! 神父様に会いに来ただけなのに、もうずっと勉強漬けじゃない! やんなっちゃう!」

「だからってさぼっちゃだめですよー! まちなさーい! おてんば姫ー!!」

「あんたどこでそんな言葉覚えたんよ!?」

 

 少し見ぬ間にアマルダが妙な語彙を身に着けていたのを受け、ティルテュは走りながら思わず驚愕の声を上げる。

 ともすれば、かつての勇者達の一員であるティルテュとの感慨深い再会。しかし、目の前の光景はなんとも気の抜ける有様であり。

 しかし、これはオイフェにとって千載一遇の好機でもある。

 みるみる内にフリージ家の乙女と少女が遠ざかっていくのを見つつ、オイフェは瞬時にこの場を離脱する為の方策を打ち立てた。

 

「あ、まってくださ~い」

「!?」

「!?」

 

 やや棒読みな口調でわざとらしく慌てながら少女達を追いかける少年軍師。

 これが、少年オイフェが打ち立てた危急の回避策。

 もとい、ただの強引な逃走である。

 アウグストは先程までの知見溢れる様子とは打って変わり、いきなり知能指数が低下したオイフェに呆然としており、スルーフなどにいたっては「マジかこの人」と愕然とするばかりだ。

 

 とはいえ、これはオイフェが()()だからこそ許される荒業。

 かつての壮年の姿であれば、このような不調法な振る舞いは決して許されないだろうが、現在の見た目は十四歳の少年。少々の無作法は許されると踏んだ、確信犯めいた行動であった。

 

 とにかく、オイフェとしてはこの場さえ逃れられれば、後は頼もしい道連れ達が己の“盾”になってくれるだろうと強かに頭を働かせており。

 ホリンがもつ高潔な義侠心ならば、かよわい少年であるオイフェを、邪な破戒僧の追求から身を挺して庇うだろう。

 ベオウルフがもつ驕慢な性格ならば、アウグストの厭味ったらしい性質とも互角に渡り合い、双方共倒れを狙える。

 デューは言うに及ばず。空気の読めない発言ばかりしている悪ガキと思われがちだが、実のところデューは誰よりも空気が読める良い子だ。

 オイフェが困っている気配をいち早く察知し、気難しいアウグストを煙に巻く為、ことさら道化めいた態度で翻弄してくれるだろう。

 

 かくして、少年軍師は鬼謀の荒法師から逃れることに成功す。

 生真面目なスルーフならば、秘密裏に渡したクロード宛の手紙の存在をアウグストに漏らすことはあるまい。

 そして、少年少女お転婆娘の活発な脚力に、運動不足の中年僧侶が追いつけるはずもなく。

 

「オイフェどのー! まだ話は終わっておりませぬぞー!」

 

 アウグストの呼び止める声を背に、オイフェは全力でエッダ城内を駆け抜けていった。

 

 

 

「やれ……逃げられてしもうた……」

 

 そう呆気に取られ、アウグストはため息をひとつ漏らす。

 

「あはは……なんだか不思議な方ですね……」

 

 同様に呆気に取られていたスルーフも、アウグストに同調するように言葉を返す。

 いきなりなオイフェの変わりように戸惑うばかりであったが、このアウグストの脂っこく尖った性格も十分知っており、衝動的に逃げたくなるのも無理もないなと一人合点していた。

 

「じゃあ、私はこれで……」

 

 そして、そそくさとその場を後にしようとする。

 オイフェはもちろん、スルーフ──いや、エッダの人間にとってアウグストは非常に面倒くさい人間であり、積極的に会話をしようとする者は底知れぬ善人であるクロード以外は皆無であった。

 

「スルーフ」

「な、なんでしょう」

 

 すると、いつもの仏頂面に戻ったアウグストが待ったをかける。

 びくびくとしながらも、スルーフは仕方なしといった体でアウグストの言葉を待った。

 

「お主は気づいて……いや、なんでもない」

「は、はあ。じゃあ、失礼します……」

 

 長引くかと思ったら、予想に反して即座に解放されるスルーフ。

 何かを言いたげなアウグストに構わず、今度こそその場を後にした。

 

「……」

 

 一人残されたアウグスト。

 黙考しながら、少しばかり伸びた顎髭を撫でる。

 

「結局、軍拡自体は否定せなんだな……」

 

 先程まで繰り広げられたアウグストとオイフェの問答。

 終始行き過ぎた軍拡を咎めるアウグストに、オイフェはそれが過剰だとは反論せず。

 しかし、数百万ゴールド規模の軍備拡張については、弁解すらせず事実として扱っていた。

 

「普通はもっと過小に弁解するはずだが……」

 

 この手の追求を受けた者は、自身の行いを正当化するべく、事実とは過小、もしくは過大に申告するものだ。

 しかしオイフェはそれをせず、ただひたすら“事実の正当化”を訴えていたのみ。

 常識的に考えれば、この規模の軍拡は()()以外何ものでもない。

 戦備を整えている、つまり属州領は()()()()()()()()()()準備していると公言しているようなものであった。

 

「世界を救う……世界とは……?」

 

 そして、オイフェが最後に言い放った言葉。

 シグルドは、ただ“世界の安寧”の為に正しい行いをしている。

 忠を尽くす国家や国王でもなく、ましてや自身の領民の為でもない。

 もっと大きな、世界の安寧。

 ユグドラル大陸では無視できぬ勢力となったシグルド陣営ではあるが、それでもシグルドは一国の領主でしかない。

 それが、世界を救うとは、いささか分をわきまえない言い草。

 オイフェが言った、世界を救うとは、一体()()から救うというのだろうか。

 

「……いや、まさかな」

 

 ふと、アウグストの脳裏に、あの暗黒教団の存在がよぎる。

 しかし即座に頭を振り、その可能性を否定する。

 ロプトは、もう百年も前に滅びた。生き残りの残党が僅かにいるらしいが、その程度の者達に一体何が出来ようというのか。

 アウグストはロプトの存在を頭の片隅に留めつつ、先程聞けなかった属州総督府の“軍資金”について思考を巡らした。

 

「数百万ゴールド規模の軍事費を賄えるとは……やはりあの噂は本当のようだな」

 

 当て推量で言い放った金額だが、どうやらそれほど差異はなかったようだとアウグストは振り返る。

 一介の僧侶でしかないアウグストであるが、各地のエッダ教徒を通じて情報収集能力はそれなりに備えている。故に、ミレトス商人がヴェルダン総督府に多額の資金を貸し与えているとの情報も得ており。

 

「傍から見れば返済出来るか疑わしき金額。しかし」

 

 正確な金額は分かりかねるが、あの規模の軍事費を賄いつつ、領内の開発投資、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を行うからには、相当額の融資を得ているのだろうと推察する。

 

「可愛げのある顔立ちをしている割に、なかなか()()な事をしよる」

 

 そう、どこか感心したように、邪悪ともいえる笑みを零すアウグスト。

 オイフェが行った経済政策。領民を豊かにする政策とは別軸で、オイフェはエバンスの陸運商人、そしてジェノアの海運商人達へ多額の資金援助を行っていた。

 要は、他国の同業者よりも()()荷を運べるよう、オイフェが援助した形だ。

 

 これにより、既にアグストリアの陸運業では甚大な影響が出ており。

 特にアグストリア諸侯連合マッキリー王国では、王国内の流通業は軒並み破産ないしエバンス商人に吸収されており、アグスティからグランベル方面への流通は属州総督──オイフェの支配下にあるといっても過言ではなかった。

 元々、陸運を担う馬借業に従事する者は、身分低き者が多数を占めている。彼らの元締めは商会を名乗ってはいるが、実質はヤクザ者とそう変わりはなく。

 故に、マッキリー王のクレメントはその実態に気付く様子はない。元よりアグストリアにおける宗教的な便宜を図る事を第一としているクレメントでは、密かに仕掛けられた経済戦争の被害に気付けるはずもないのだ。

 

 もちろん、この事を危ぶむ者はアグストリアにもいる。

 その筆頭であるノディオン王国国王エルトシャンは、アグストリアの流通を他国の商人に握られている現状を憂いていた。

 流通を握られるという事、即ち、有事の際の物資調達に非常に影響が出るという事をだ。

 だが、エルトシャンはエバンスの馬借達が中継点に自国──ノディオンを必ず経由し、それにより多額の経済効果を生んでいる実態、そしてなにより妻であるグラーニェの健康を()()()()()()()()()()という現実を鑑みて、直接的な抗議に踏み切れないでいた。

 アグストリアを統べるイムカ王が市場原理主義的な方針を取っていたのもあり、国外との競争に負けた国内の流通業に特に関心を示さず、また積極的な保護を行うつもりもなかったのも大きい。

 エルトシャンは一国の王ではあるが、他のアグストリア諸王家とは違い、誰よりもアグスティ王家──イムカ王へ忠誠を誓っていた。だから、イムカ王の方針に従うまでだ。

 

 こうして、アグストリアの主要な流通はオイフェに握られる。

 今は格安で荷を運んでいるが、いずれ言い値で物を運ぶようになるだろう。代わりを見つけようにも、アグストリアの流通業はもはや存在しない。

 その時点で抗議しようものなら、それこそ膨れ上がった属州領の軍事的圧力が襲いかかってくるだろう。

 アグストリアが“諸王国の緩やかな連合”といった政体の構造的不備をついた、悪辣な経済支配であった。

 

「しかしミレトスではそう上手くいっていないようだな」

 

 翻って、ミレトス地方でもオイフェは経済戦を仕掛けており。

 同様の手口で、ジェノア海運業に多額の援助を行い、他のどこよりも安く荷を運ばせていた。

 しかし曲者揃いのミレトス商人は、いちはやくその思惑を察知しており。

 まさか自分達が貸した金で経済戦を仕掛けられるとは思っていなかったものの、早い段階で麾下の海運業を支援、泥沼の値下げ合戦を行っていた。

 

「ミレトス商人も一枚岩でないのが、この話の肝だな」

 

 当然の事ながら、ミレトス商人の中では借款の早期返済を迫り、この経済戦を早々に終わらせる動きもあった。

 しかし、エバンスを中心に活動しているミレトス商人──アンナの勢力が、ミレトス商会の意思統一を阻んでおり。

 ミレトス商会内での勢力拡大を目論むアンナは、あえてこの経済戦争を煽っている節が見受けられた。

 それほど、属州領──オイフェに肩入れしていると、アウグストから見ても容易に想像が出来たのだ。

 

「身体を売っているという噂は真か……いや、流石にそこまではせぬとは思うが」

 

 噂では、少年性愛癖のあるアンナに、オイフェがその無垢の身体を差し出したというのがある。

 アウグストはオイフェの立場上、流石にそこまではやらないと思うも、僅かな会話でオイフェが己の身体ですら()()と認識しているのも察知していた。

 故に、あの少年がなぜそこまでして、軍事拡張を含めた大規模な経済戦略を打ち出していたのか……アウグストは直接問い詰めたい衝動を抑えきれなかったのだ。

 

 なお余談ではあるが、このジェノア商人とミレトス商人による値下げ合戦の恩恵を一番多く受けていたのは、遥か彼方に位置するトラキア王国である。

 食料等の生活物資の殆どを他国からの輸入に頼っていたトラキア王国は、不当な価格でマンスター地方から食料を輸入せざるを得ない状態だった。

 しかしこの値下げ合戦により、グランベルやヴェルダンから安価で生活物資を輸入する事が可能となり。

 また、自国で生産される各種鉱物資源の輸出も、コストを抑える形で行う事が可能になり、需要が急激に伸びたヴェルダン──属州領へ、多量の鉱物資源を輸出するようになる。

 わざわざ国王自らが傭兵まがいの事をせずとも、多量の外貨物資を獲得出来るようになり、トラキア王国は短期間で健全な財政状況へと戻りつつあった。

 

「トラバント王の野心次第では、トラキア半島は戦乱の気運が高まるだろうな……」

 

 そう憂いるように呟くアウグスト。

 現在のトラキア王国の好況は、国是である北伐の必要性を薄くしていた。

 しかし国是は国是。経済的な理由が主ではあるが、感傷的な理由としても、マンスター地方の“奪還”はトラキア王家の宿命ともいえた。

 このままトラバントが矛を収め、国内の開発に尽力するか。

 あるいは、獲得した資金で更なる軍拡を行い、マンスター地方へ侵略を開始するか。

 こればかりは、いかに優れた洞察力を持つアウグストですら、予想がつかないものだった。

 

「ふむ……」

 

 アウグストはより思考の深度を深くする。

 オイフェがここまでする理由、そしてその覚悟。

 世界を救うという、一見すると高尚な目的。

 しかしあの少年軍師が秘める悲壮なまでの覚悟。

 アウグストはこのオイフェの()()()()()()を直感的に見抜いていた。

 スルーフは気付いていなかったようだが、あれはあの年頃の少年が抱いて良い感情ではない。

 

 それだけに、アウグストがオイフェがそこまでする理由を是が非でも知りたかったのだ。

 

「ともあれ、このままではロクに話を聞くことは出来ぬだろうな」

 

 先程の強引な逃走は、呆気に取られたものの納得がいく行動。

 この場さえ逃げ切れればアウグストの追求を逃れられる。そのような自信があるのだろうと、アウグストは悟っており。

 同行する者達を盾にするのか、あるいはエッダ教団内で()()()()()である自身の立場を利用するのか。

 クロード以外の高位司祭からは嫌われているアウグストなら、それとなく不快感を示せば面会謝絶に持っていくことは容易だろう。

 

「となれば……」

 

 ニヤリと、不敵にほくそ笑むアウグスト。

 社会的にも身軽なこの僧侶は、思い立ったら即行動に移す事が可能だった。

 

「真理だ。あの少年の言葉は、真理なのだ」

 

 ニヤつきながら、興奮気味に自室へと急ぐ。

 オイフェの粘ついた感情の正体。それを突き止める以上に、天啓にも似た衝撃があった。

 それは、オイフェが言い放った、あの言葉。

 

“神は尊ぶものであり、祈り願うべき存在にあらず”

 

 長年の真理探求の解答が、少年の口から発せられていた。

 神に祈るアウグスト。しかし、いくら世の中の安寧を祈っても、人と人との摩擦からによる世の理不尽は無くならない。

 

 何故神は、この祈りを聞き入れてくれないのか。

 何故神は、この願いに目を背けるのか。

 全能者である神とは、本当に存在するのか。

 

 ロプトの闇を払いし十二聖戦士、そしてその聖戦士達へ超常の力を分け与えた竜族。

 人々は彼らを神とまで崇め奉るも、アウグストは日に日にその想いに疑問を抱くようになっていた。

 

 竜族とは、そういう力を持った、そういう種族なだけ。

 そして、聖戦士達もそのような力を持った只の人間でしかない。

 ならば、祈るべき神とは、願うべき存在とは、一体何であるのか。

 

「あの少年、オイフェ殿が見据える未来に、その答えはある!」

 

 息を切らせながら、自室へと戻ったアウグスト。

 興奮冷めやらぬといった様子で、備えられた文机へ取り付く。

 

「良かったですな、ティルテュ公女。拙僧の授業は今日でお終いです」

 

 そう呟きながら、一心不乱に羊皮紙へ何かを書きなぐる。その後、何かに取り憑かれたかのように旅装を整え始めた。

 

 それからしばらくして。

 アウグストの姿はエッダ公国から消える。

 

 彼が向かった先には、エバンス城が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 


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