逆行オイフェ 作:クワトロ体位
本来、神とは尊ぶものであり、祈り願うべき存在にあらず。
神に無闇に頼らず、生きる我が身を力の限り尽くす。
これが、ブラギの僧として神に仕えた拙者が導き出した真理です。
とはいえ、全ての人間がそうあるには、いささか生き辛い世の中であるのも確か。
一日でも早く帝国を打倒し、セリス様やリーフ様達による、万人が神を尊ぶ
オイフェ殿──
「拙僧の頭に何か?」
「あ、いえ、なんでもありません……」
唖然とした表情で自身の頭部へ視線を向けるオイフェに、アウグストは不機嫌そうな態度を隠そうともせず、少年軍師を睥睨する。
ギラリと光る禿頭がある意味アウグストを構成する重要なパーツだっただけに、目の前のたわわに実った頭髪は、オイフェにとって信じられぬ光景であり。
それは、それまで想定したこの荒法師との舌戦内容を、一瞬にして忘却してしまうほどの衝撃をオイフェに与えていた。
(ムム!?)
とはいえ、よく注意して見ると、生え際は既に枯死が進行しており。
もう十年もすれば、オイフェが知るアウグストの頭部が無事現出せしめるだろう。
アウグストはやや落ち着きのないオイフェを不審げに見やるも、不意に足元のアマルダに僧衣の裾を引っ張られた。
「アウグスト先生、オイフェさまも姫さまをいっしょに探してくれるって!」
「オイフェ様?」
こらこら、はしたないですよと、アマルダを抱きかかえるスルーフ。
アマルダが幼子とはいえ、スルーフもまた華奢な体躯の少年。よいしょと少女を抱える少年侍者を見て、オイフェは意外と腕力があるのだなと明後日の方向に思考を巡らしていた。
「ほぅ……貴殿があのスサール卿の……」
そのようなオイフェを、アウグストは値踏みするかのように睨む。
厳しい視線を受け、オイフェはやや緊張感を取り戻していた。
「初めまして。私はヴェルダン総督領執政官補佐を務めるオイフェ・スサールと申します」
「ブラギの僧、アウグスト・オド……いくつか質問をしても?」
ほら来た!
挨拶もそこそこに、アウグストが早速口角砲を装填したのを受け、オイフェは僅かに顔を顰める。
どうせこちらが拒否しても、この男は質問を取り下げる事は絶対にしない。
有髪という奇襲攻撃の衝撃から立ち直りきれぬオイフェは、半ば諦めたかのように「どうぞ」と言葉を返すしかなかった。
「属州総督殿は謀反をお企みか?」
瞬間、場の空気は凍りつく。
オブラートに包むファジーな質問にはほど遠い、アウグストのド真ん中ストレート。
「スルーフさま、むほんってなんですか?」
「謀反というのはですねアマルダさん、謀反というのは……謀反!?」
抱っこされながら素朴な疑問を浮かべるアマルダに、抱っこしながら驚愕で顔を引き攣らせるスルーフ。
オイフェもまた僅かに眼尻を引き攣らせるも、抜かりのない表情で言葉を返した。
「謀反とは一体何のことでしょう?」
軽いジャブを撃ってくるような鬼才ではないと十分に理解していたが、ここまでのストレートを放ってくるとは予想だにせず。
オイフェは差し当たり質問を質問で返すしかなかった。
「ほぉ。補佐官殿は謀反の意味をご存知ではないと?」
ここで変化球をひとつ放つアウグスト。
硬軟入り混じったこの話術。嘲るような雰囲気を発しているのは、こちらを苛立たせ本音を引き出そうという魂胆だろう。
「はい。宜しければご教授願います」
故に、わざわざ乗る必要はない。
澄ました顔でそう言葉を返すオイフェに、アウグストは一瞬意外そうに眉を吊り上げるも、即座に厳しい面貌を浮かべた。
「……属州の軍備拡張。常備兵に平民まで雇い入れるとは、謀反の疑いを向けられても仕方ないのでは?」
揺さぶりが通じないとみるや、さっさと本題へ切り込むアウグスト。
不要な腹の探り合いを忌避するその姿勢は、オイフェが知るアウグストの実直すぎる性格をよく現していた。
「平民兵の編成は領内の雇用対策でもあります。それに、属州の治安は未だ安定したとは言い難いです。ウェルダン豪族も一部は山間部に逃れ山賊化していますし、平民の力を借りなければ領内の治安維持は難しい」
「それよ。そもそもが、たかが山賊ごときに備えるには過剰すぎる戦力だと思いますがな」
「我が軍は元から寡兵で属州領を治めています。領内の治安維持に必要な軍備を整えたまでです」
「数百万ゴールドの軍拡が必要とは思えぬ。やはり謀反の準備をしているとしか思えませぬな」
「それこそ穿ちすぎです。属州領の軍備増強は宰相府の認可を受けています」
「イザーク征伐で背後の守りが薄くなったから、という名目かな。なら、今度はアグストリアが攻めてくるとでも? バカバカしい、イムカ王はそこまで愚かではない」
「ですが、現にヴェルダンは盟約に背いたではありませんか。属州領の軍備は領内の治安維持が第一ですが、危急の外患に備えるのもグランベル王国臣下として必要な心構えだと思います」
アウグストの詰問を淡々といなすオイフェ。
熱を帯びる両者の舌戦で、場の空気は緊迫感を増していった。
「外患と申したが、属州領の不必要な軍備増強が隣国──アグストリアを刺激しているだけなのでは?」
「実際の隣国であるノディオン王国との関係は良好です。心配されるような軍事的緊張はありません」
「緊張はない? ならば、後顧の憂いなくグランベル本国へ侵攻できますな」
「……アウグスト殿」
ここで、それまでの平坦な声色から、少しばかり険を含んだ声を上げるオイフェ。
鋭い視線を向けるオイフェに、アウグストは依然不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「それ以上はシグルド様──属州総督並びにシアルフィ公国嫡子への侮辱と捉えます」
「ほお……イザーク征伐という国難の中、更にグランベル内乱の可能性に憂慮する一介の僧侶の言葉を侮辱と捉えると?」
ああ言えばこう言う!
オイフェは内心、アウグストの不遜な態度に辟易するも、これぞアウグスト殿と、どこか納得する思いもあった。アウグストが本当に内乱の可能性を憂慮しているのも理解しており。
同時に、味方であれば頼もしい知謀が、敵に回るとこれほど厄介な鬼謀になるのかとも思っていた。
杓子定規的なグランベル役人を相手取るとはわけが違う。それ程までに、アウグストの舌鋒は痛い所を突いている。
実際に、アウグストの言葉はかなり
「スルーフさま。なんでアウグスト先生とオイフェさまはけんかしているんですか?」
「そ、そうですね……なんでですかね……」
先程からオイフェとアウグストの舌戦を見守っていたスルーフ。
二人の殺伐とした議論は、まるで蛇と鼬がもつれ合い互いの急所に牙を突き立てる様にも見え、アマルダを抱えながら冷や汗をかくばかりであった。
「神に祈るブラギの僧として物申す。民草の安寧の為……国内の不必要な混乱は避けるべく、これ以上の軍備増強は控えていただきたい」
不遜でありながら、実直な言葉を放つアウグスト。
流石のアウグストですら、現時点の暗黒教団の陰謀には気づく事はできず。
故に、表に出ている情報だけを吟味し、このような忠言をオイフェに言い放ったのだろう。
アウグストの言葉を受け、オイフェはしばし沈黙する。
そして、ゆっくりと、何かを思い出すように言葉を返した。
「……神とは、尊ぶべきもの。祈り願うべき存在ではない」
「なに……?」
オイフェの言葉で、初めて動揺めいた感情を表すアウグスト。
それに構わず、オイフェは言葉を続ける。
「誓って、シグルド様は謀反など企んでいません。ただ
「……」
このオイフェの言葉を聞き、アウグストは瞠目すると、そのまま黙考する。
目の前の少年から何かの啓示を受けたかのように、黙して思考せし黒衣の僧侶。
まるで長年追求している真理解明の手がかりを掴んだかの如く、不機嫌そうな表情をやや興奮したそれへと変えていた。
「……拙僧の失言を詫びよう。謀反の嫌疑をかけた事、謹んでお詫び申す」
「いえ、誤解が解けたようでなによりです」
急に方針転換したアウグストに若干戸惑いつつ、オイフェはとりあえずの難局を乗り越えたと実感する。
スルーフの手前、これ以上の問答は危険であると思っていただけに、アウグストがすんなり矛を収めた事で、内心安堵の思いが広がっていた。
と思っていたら。
「いや、しかし流石はあのスサール卿の薫陶を受けただけありますな。オイフェ殿のお話は実に興味深い。宜しければ、もそっと」
「え?」
妙にギラついた視線を浮かべながら、少年ににじり寄る荒法師。
それまでとはまた違った圧力を受け、オイフェは数歩後ずさる。
「あ、あの、ティルテュ公女はよろしいので……」
「ああ、あのお転婆公女などどうでもよろしい。それよりも、オイフェ殿がどのようにしてその知見を培ったのか興味が尽きませぬなぁ……」
「え、えっと、あの……」
フリージ公爵家長女に対し、実際凄い失礼な言い草をしているアウグストだったが、もとより世俗の権力が通じ辛いエッダ教の僧侶。
お構いなしに、目の前の少年へと興奮した視線を向け続けていた。
「スルーフさま、おてんばってなんですか?」
「ティルテュ様のことですよ、アマルダさん……」
「へー。姫さまはおてんばだったのですね!」
呑気な様子のアマルダに、疲れた中間管理職の如き表情で応えるスルーフ。
そのすぐ隣では、興奮した中年僧侶に迫られ怯える少年軍師の姿。
事案である。
(まずいぞこれは……!)
オイフェは想定外にアウグストの追求が始まったのを受け、なんとかこの場から逃れようと頭を巡らす。
前世で共に轡を並べた関係もあり、オイフェ個人の感情としては、このままアウグストの知的探究心に付き合ってやってもよかった。だが、会話の流れでオイフェの計画が漏れる可能性もある。
というより、アウグストは元よりそのつもりでオイフェに迫っているようにも思えた。
見方を変えれば、この鬼謀をオイフェの意にかなう方向で味方に付けられる機会にも思えたが、それでも現時点で不必要なリスクを負う必要はない。
神に縋る事は決してしない少年に、神は微笑むことはなく──
しかし。
「ふんふんふーん……げっ!?」
神が微笑むことはなくとも、女神は微笑むものである。
「あ、姫さまだ!」
アマルダの元気の良い言葉が響き、全員が少女が指差す方向へ視線を向ける。
視線の先に、鼻歌まじりで廊下を闊歩する、雷神の娘──
フリージ公爵家が長女、ティルテュ・ソール・フリージの姿があった。
※今更ですが登場人物のファミリーネームやらミドルネームは正式に判明しているキャラクター(セリスとリーフしかいませんが)を参考に適当につけてます。