逆行オイフェ 作:クワトロ体位
「あの、その、姫さまを見なかったですか!?」
息を切らせながらそう言った少女アマルダ。
装いはフリージ家の侍女に見られる簡素な服装を身に着けている。
しかし、少し短めに切り揃えられた銀髪を揺らす少女は、年相応のちんまりとした可愛らしい見た目となっている。
これがあの鉄血の女将軍アマルダの幼少時分かと、オイフェは
「残念ながら私は見ていませんね」
「そう、ですか……もう、姫さまったら! お勉強のお時間なのに、どこをほっつき歩いているのかしら!」
ぷりぷりと頬を膨らませ、“姫さま”が行方をくらませているのに憤る少女アマルダ。
微笑ましい仕草である。
「アマルダさん。そんなに怒ってはだめですよ」
「でも!」
そのようなアマルダを、スルーフは穏やかに嗜める。
よしよしと少女の柔らかい頭を撫でながら言葉を続けた。
「それに、そんなに怒ってたら、せっかくの可愛いお顔が台無しですよ?」
「あ、あぅ……」
優しげに頭を撫でられたアマルダは、頬を真っ赤に染めながらもじもじと体を竦めるばかりだ。
傍から見れば、仲睦まじい兄妹のようにも見える。
(なるほど。二人はこの頃から面識があったのだな)
前回でのスルーフとアマルダの関係。
レンスター解放戦争時、敵対するフリージ家の将軍としてリーフ軍の前に立ちはだかったアマルダ。
彼女はロプト教団の子供狩りに断固反対しており、戦争中に密かに子供たちを匿うなど、フリージでは数少ない人道的な部将であった。
しかし、皇帝アルヴィス、ひいては主家であるフリージ家への忠誠心も高く、主家への忠誠心と非人道的行為との狭間で懊悩する。
しかし結局はスルーフによる説得を受け、アマルダはリーフ軍へと投降。その剣を誤った主家を正す為に振るう。
(ふむ……)
オイフェはスルーフとアマルダの様子を見て、この頃からアマルダが
前回のアマルダは、何かに付けてスルーフに判断を委ねる節があり、リーフ軍へ投降してからはそれはより深刻なものになっていた。
スルーフはスルーフで、敬愛するクロードの忘れ形見、コープルを第一に考えており。
聖戦が終わった後、主家の再興に尽くすためフリージへ戻るアマルダ。その時の彼女がスルーフへ向けた視線は、名状しがたい湿った瞳でもって向けられていた。
それを、スルーフは見てみぬ振りをしていたようにも思える。
彼の使命は、死して尚、世界の行く末を案じるクロードの霊言を全うする事だけだった。
その後、フリージが安定した政治体制となったのを見届けた後、アマルダはスルーフと結ばれたが、その関係は少々健全な男女関係とは言い難いものであった。
妻を省みぬ、敬虔な宗教家である夫。その夫へ、盲目的に従う妻。
聖戦の後、男女の関係として結ばれた戦士達の中でも、スルーフとアマルダの関係は少々痛ましいものがあったのだ。
(まあ、此度はどうなるか分からんが……)
もちろん、今回のオイフェはフリージ家が北トラキアを蹂躙する事態は想定しておらず。
アマルダが順当に育ち、フリージ家の将軍となったとしても、その剣はレンスターの者に向けられることはないだろう。
このまま前回と同じように彼らが結ばれるという保証は無いが、少なくともスルーフに関しては、盲目的にコープルに拘り続けることは無い。
オイフェが目指す未来では、クロードがスルーフに
そう思ったオイフェ。
となれば、後はアマルダ。
二人がどうなるにせよ、アマルダの今後を思い、依存癖を少しは正してやろうかと思い口を開いた。
「アマルダさん」
「へ……? あの、どなたですか?」
「私はヴェルダン総督府の執政官補佐を務めるオイフェと申します。よろしくお願いしますね」
「は、はい。アマルダです。よろしくおねがいします……」
オイフェは話しやすいよう膝を曲げ、視線をアマルダに合わせる。
幼さ故にオイフェの役職名を咀嚼しきれないのと、少しばかり人見知りしているのもあり、アマルダはひしとスルーフの腰にしがみつきながら挨拶を返してた。
「アマルダさん。どうして姫様を探しているのですか?」
「え?」
質問を投げかけられたアマルダはキョトンとした表情を浮かべる。同時に、スルーフもまた少しばかり怪訝な表情を浮かべていた。
オイフェは変わらず微笑を浮かべながら言葉を続ける。
「お勉強の時間と言ってましたが、アマルダさんはなぜ姫様にお勉強をしてもらいたいんですか?」
「え……なぜって……だって、先生がそういうから……」
うつむきながら自信なさげに言葉を返すアマルダ。
幼い子供は、大人の言う言葉を素直に聞くのが道理である。
しかし、ある程度は子供へ自立した考え方を教育するのも、大人としての役割だ。
未だ十四才の少年ではあるが、中身は数多くの後進を指導してきた老練。
子供の教育は心得たものである。
「では、アマルダさんも姫様にお勉強をしてもらいたいんですか?」
「……」
そう問いかけられ、少女は押し黙る。
スルーフの侍者服の裾をぎゅうと掴みながら、うんうんと一生懸命頭を働かせていた。
「……わたしも、姫さまにはお勉強してもらいたいです」
「どうして?」
「だって、お勉強する姫さまが好きだから」
ほっぺたを桃色に染めながら、アマルダは自分の思いをはっきりと口にしていた。
結論は同じ。しかし、過程はそれまでと違う。
僅かな成果だが、オイフェはとりあえずはよしと、満足そうにアマルダへ頷いていた。
「そうですか。なら、私も姫様を探すのを手伝いましょう」
「ほ、ほんとうですか!?」
オイフェの言葉に、アマルダはぱっと顔を輝かせる。
愛らしい少女の頭をひと撫でしつつ、オイフェはスルーフへと視線を向けた。
「ところで、今更な確認ですが、姫様というのは……」
「フリージ公爵家のティルテュ公女ですよ、オイフェ様」
予想通り、雷神の娘の名がスルーフより告げられる。
フリージ家が当主、レプトールの長女。
嫡子ブルームの妹である、公女ティルテュ。
無垢な輝きを持ち、怒りの雷神の血を継ぐ雷撃乙女。
(ティルテュ公女……アゼル公子……)
同時に、オイフェはその雷撃乙女の伴侶となる──現在はエバンスで魔道士隊を統括する、ヴェルトマー公子アゼルのかつての姿も思い起こしていた。
前回でのシグルドの義戦、その終局。
バーハラの悲劇を、妻ティルテュと生き延びたアゼル。
シレジアの寂れた村へと落ち延び、そこで二人の子──後のフリージ当主アーサー、そしてシレジア王后ティニーをもうけ、俗世の縁を断つようにひっそりと暮らしていた。
しかし、ある日の事。
ティルテュはアゼルがアーサーを連れ所用に出かけた隙きをつかれ、フリージの手の者にティニー共々拐かされる。
妻子を拉致されたアゼルは、アーサーを村の者に預けると、単身フリージへ妻と娘を取り戻しに出向く。
だが、アゼルはそのまま帰らぬ身となった。
アルヴィス皇帝の腹違いの弟でもあったアゼルは、当時ではアルヴィスの政治的なアキレス腱ともいえる存在だった。
フリージ家やドズル家、ユングヴィ家など有力諸侯はアルヴィスの戴冠を支持していたものの、アズムール王の寵愛を受けていた中堅貴族らは、アルヴィスへの王位禅譲を快く思っておらず。
反逆者シグルドの一党であったとはいえ、アゼルの生存は彼らにとって喜ばしいものであり、アルヴィスの権力基盤であるヴェルトマーの内部分裂を画策するにはちょうどよい存在であった。
故に、グランベル帝国の統治を大磐石の重きに導く為に、アルヴィス派の貴族に暗殺されたのだ。
この事実を後から知ったアルヴィスは、全く表情も変えずにその報告を受け、アゼルを暗殺した者達を特に追求せず不問にしている。
覇道を歩む赤き皇帝は、弟の死を顧みる事は無かった。
しかし、セリス公子率いる解放軍が勝利した後。
ヴェルトマー城を見分したオイフェは、ヴェルトマー家の者が納められる墓所に、名もなき墓標がひっそりと建てられているのを目にする。
墓守曰く、毎年必ずアルヴィス皇帝が訪れ、この墓標へ花を手向けていたという。
(偽善者め──)
スルーフ達に気づかれぬよう、みしりと歯を食いしばるオイフェ。
贖罪のつもりかと、当時のオイフェはその逸話を聞いた瞬間、不快な思いが猛然と湧き上がっていた。
シグルドとディアドラという、尊い夫婦──尊い家族を壊した男が、自身の家族には憐憫の情感を抱くか。
アゼルには、オイフェもまた相応に憐憫の想いを抱いている。
しかしその想いを、あのアルヴィスと共有していたという事実が、オイフェの心の闇を増々深める結果となっていた。
「……」
数瞬、憎悪の念に囚われていたオイフェ。
しかし、早々とその怨念に蓋をする。
この場で噴出させてよい感情ではないのは、十分理解していた。
スルーフは何やら難しい表情で押し黙ってしまったオイフェを少し怪訝に思うも、そのまま慇懃に頭を下げた。
「申し訳ありません。着いたばかりのお客様にこのようなことをさせてしまって……」
「いえ、お気になさらず」
渦巻く憎悪をおくびにも出さず、スルーフへ言葉を返すオイフェ。そのようなオイフェに、スルーフは少しだけ表情を緩める。
妹分であるアマルダへ目をかけてくれたことで、スルーフの中でオイフェへの好感度が高まっており。
そもそも、一侍者でしかない自分とは違い、オイフェは今をときめくシグルド総督の右腕と目される少年。
自身とそう年頃が変わらないオイフェに、元々憧憬めいた気持ちを抱いていた。
「あ、あの、ありがとうございます。オイフェさま」
兄同然、いや、少女の心に兄以上の思慕の念を抱かせるスルーフに倣うよう、アマルダもまたオイフェへぺこりと頭を下げる。
同時に、少女の口から、オイフェが今もっとも
「ああ、よかったぁ。これでアウグスト先生に怒られないですみます」
「え──」
瞬間。
オイフェの身体に電流走る。
「アウグスト先生は当教団の僧侶でして、エッダに滞在中のティルテュ様の勉学を見ているのですよ。少々癖の強いお方なんですけどね」
「は、はぁ……」
よく知っています。彼の御仁が尖った性格をしているのは。
そう返すわけにもいかず、スルーフの補足に生返事をひとつ返すオイフェ。
軍師アウグスト。
元ブラギの僧侶で、解放戦争では若きリーフを支えた鬼謀。
その悪辣なまでの超現実主義的軍才を、口さがない者は“生得危険な姦人”“老獪な食わせ者”“奸智に長ける謀臣”“元聖職者に有るまじき毒舌”とまで評していたが、これはもっともであるとオイフェも思っていた。
そして、現時点のオイフェがもっとも
(迂闊だった。アウグスト殿は、まだこの時期はエッダにいたのだ)
僅かに臍を噛むオイフェ。
やり直しの人生を与えられて以降、初めて見せる動揺。
ブラギの僧であったアウグストは、アルヴィスが帝位を戴冠した後、グランベル帝国内で勢力を伸ばしてきた暗黒教団による“エッダ教迫害”の煽りを受け、エッダを追われ放浪の身となっている。
だが、その後同じく各地へ聖戦の準備を行っていたシレジア王──風竜フォルセティの契約者、レヴィンと出会い、その意向を受けリーフ軍へ参加するべくマンスター地方へと赴く。
一時的に身を寄せていた海賊団をリーフ軍の生贄として差し出すという、えげつないやり方で加入したのは公然の秘密だ。
ともあれ、アウグストはその苛烈な智謀をもって、リーフへ英雄とはなんたるかを厳しく指導していたのだ。
そして、あのアウグストがオイフェが現在進行形で行っている計略──表に出ている政略活動だけで、その実態を容易に看破してくるのは想像に難くなく。
(出来ればこのまま出会わずに済ませたいが……)
無理だろうとも、オイフェは思う。
おそらく、ヴェルダン総督府から使者が訪れる事を、アウグストは承知していると思われる。
そして、オイフェが行った総督領の政策、そして軍拡の本来の目的を容赦なく指摘してくるはずだ。
その動機が興味本位であれ、アウグストはオイフェの計画の核心に迫ってくるだろう。
(話すわけにはいかん──!)
今はまだ、オイフェが画策する計画の全貌を余人に知られるわけにはいかず。
いっそのことアウグストをこちらに引き込むかと、ふと思考するも。
(論外!)
その考えはすぐに捨て去る。
アウグストは目的の為なら手段を選ばぬ男だ。
オイフェの暗黒教団から世界を救うという第一の目的。
それを達成させる為、アウグストはディアドラの出自を公表するよう画策するだろう。
暗黒教団の魔手が伸びる恐れがあるが、それこそ何もかもをぶちまけれは、そもそもの近親婚によるロプトウスの現界は困難になる。
マイラの血筋と併せて公表し──恐らくアルヴィスへも、その血筋による不利益を問題視せず、ヴェルトマー公爵としての身分を保証し、こちら側に引き込むよう取引をもちかけるはずだ。
暗黒教団の脅威を世界中へ拡散し、マンフロイが成し遂げた謀略を盤面からひっくり返す。
この上なく最短で、最良のやり方。
しかし。
(それでは駄目なのだ──!!)
アルヴィスへ聖戦士としての自覚を促し、暗黒教団から離反させる工作は、オイフェも確かに有効性を認めていた。
しかし、ディアドラのマイラの血筋を公表するのは避けたい。ロプトに対する人々の増悪は、未だ各地で燻っている。いくら聖者と謳われたマイラの末裔とはいえ、その迫害の対象からは逃れられない。
シグルドとディアドラの幸せな生活の為に、それは避けたいのだ。
そして、なにより。
論理的思考から外れた、感情的な思考。
怨みを晴らすという、
オイフェの前世を含め、アウグストに何もかもを話せば、冷酷無比な鬼軍師は今のアルヴィスと前回のアルヴィスは別者であるとばっさり切り捨てるだろう。個人的な動機に囚われるオイフェの矛盾を、容赦なく論破してこよう。
そして、それはオイフェも理解している。
今のアルヴィスは、国家転覆を企むとはいえ、現時点ではディアドラを奪ってはいない。
罪は、まだ犯してはいない。
だが、これは理屈ではない。
理屈で片付けては、いけないのだ。
(……どうしたものか)
とにかく、今はアウグストには出会いたくない。
こちらに引き入れずとも、彼の鬼軍師と下手に舌戦を繰り広げては、此度のエッダ訪問の目的に支障が出かねない。
スルーフを通じてクロードとの
こちらの都合などお構いなしに、アウグストはオイフェにあれこれ詰問してくるだろう。
それを、少なくとも目の前のスルーフには聞かれたくなかった。
が。
「あ……」
悪い予想とは、往々にして現実のものとなる。
「アマルダ嬢。ティルテュ様は見つかりましたかな」
僧衣に身を包んだ壮年の男が新たに現れる。
気難しそうな表情を常に浮かべ、余人の評判など全く気にせず自身の所感を述べる男。
僧侶アウグストの登場である。
そして。
オイフェは驚愕の眼差しで、アウグストの
(フサフサだ!)
そう現実逃避めいた思いに囚われるオイフェ。
禿げ上がった頭でリーフ軍へ叱咤激励していた軍師の頭皮は、未だ豊穣な実りを見せていた。