逆行オイフェ 作:クワトロ体位
グランベル王国はシアルフィとエッダを結ぶ街道。
そこに、一台の馬車、そしてニ騎の騎馬が、木枯らしが吹きすさぶ街道を進んでいた。
「なぁオイフェさんよ。もうちっとシアルフィに滞在しても良かったんじゃないか? 暖かい城で年越ししてからでも遅くはないと思うんだがね」
「申し訳ないですがゆっくりしていられる状況ではないので。我慢してください、ベオウルフ殿」
「へいへい……ったく、エバンスでのんびり過ごせると思ってたんだが、どうしてこうなったのやら」
騎乗の身である自由騎士ベオウルフが、シニカルな笑みを浮かべながら馬車の御者台にて手綱を握るオイフェへと文句を垂れる。
寒空の中、このオイフェの旅の道連れに指名された事は、ベオウルフにとって慮外の出来事であった。
エバンスを出立したオイフェ一行。
目的地のイード砂漠──グランベル王国軍陣所へは、ユングヴィ、シアルフィ、エッダ、ダーナを経由する。だが、オイフェはユングヴィ、シアルフィには僅かばかりしか滞在せず、最低限の休息を取るとそのまま出立している。
同行する盗賊少年デューなどは、復興途上のユングヴィはともかく、暖衣飽食なシアルフィの街並みをろくに見物できない事に不満を露わにし、ぶーぶーとシュプレヒコールを上げていた。
「もうしばらくすればエッダに着く。それまで我慢しろ」
馬蹄の音を響かせながら、ベオウルフを嗜めるように声を上げる剣闘士が一人。
流浪の剣姫が密かに想いを寄せる、孤高の剣豪ホリンだ。
ホリンもまたオイフェの旅路に同道する身であったが、漂泊の自由騎士とは違い今の所一つの不満も漏らしていない。
そのようなホリンに対し、ベオウルフは諧謔味に口角を歪める。
「我慢ねぇ……お前さん、本当はエバンスから離れたくなかったんじゃないのか?」
「そんなことはない」
ベオウルフがそう軽口を叩くと、ホリンが纏う空気が僅かに変わる。
オイフェの要請により此度の旅路の道連れとなったホリン。単純な護衛として同道する身上ではあるが、当初はオイフェの同道要請を断っていた。
目的地がグランベルとイザークの最前線と聞き、自身の素性を鑑みたからだ。
もちろん、オイフェはその正体──ホリンがイザーク国ソファラ領主の息子であるのを既知であったのだが、敢えて知らぬ振りを通していた。
今はアイラ──同郷の剣姫へ心を開くも、ホリンの本質は俗世から離れた武芸者であり。それ故に、こちらからその正体を看破すると、苛烈な警戒心を露わにし、最悪の場合シグルド軍から出奔しかねない。
アイラとの恋路を密かに応援するのもあり、オイフェはホリンが自ら身の上を明かしてくれるのを待つだけだ。
とはいえ、旅路の終着点はイード砂漠、それもイザーク国リボー領近く。イザーク方面での土地勘があり、その上腕も立つホリンの同行はオイフェにとって必要不可欠でもあったのだ。
であるからこそ、オイフェは今回の同行を拝み倒してまで嘆願している。
最終的には、アイラが一目を置き多大な感謝を捧げるオイフェの願いを、ホリンは受け入れていた。
やや剣呑な空気を放つホリンを見て、ベオウルフは諧謔味に口角を歪めた。
「本当かね? あの女剣士と随分仲が良さそうに見えたがね」
「……そんなことは、ない」
そっぽを向きながら、ふてくされたように言葉を返すホリン。
ベオウルフはますます口角を引き攣らせていた。
「ほーん。なら、俺があの娘を頂いちまってもいいんだな?」
「なに?」
にわかに殺伐とした空気が膨れ上がる。
薄ら笑いを浮かべるベオウルフに、ホリンは射抜くような視線を向けていた。
「あの娘、アイラといったか。美しい黒髪にしなやかな肉体」
「……」
「それに、俺の見立てじゃアイラは生娘だろうな。初物は色々と面倒だが、あの
「貴様ッ!」
背負う大剣に手をかけるホリン。
苛烈な殺気を受けても薄ら笑いを浮かべるベオウルフ。
両者の間には、熱した空気が渦を巻いていた。
エバンスを出立してから数日。僅かな間ではあるが、ホリンはベオウルフの軽薄ともいえる態度に若干辟易しつつあった。
それに加え、密かに想いを寄せ合う剣姫に下劣な感情を向ける始末。
朴訥な穏健剣豪であるホリンであったが、流石にこの下衆を見逃すわけにはいかず。
「あらら、ムキになっちゃってまぁ」
対するベオウルフ。
道中の暇つぶしでからかってみたら、思いの外憤慨を露わにするホリンに興味を隠せずにいる。
泰然自若とした練達の士と思われたホリンだったが、その内面は情緒あふれる荒武者だった。
刹那的で享楽的な傭兵であるベオウルフ。剣技では一枚も二枚も上手なホリンに、こうして向こう見ずな挑発を続けるのは、傭兵としての
もっとも、危険ともいえる挑発を続けても、己の身に一切の危険が無いのも熟知しており。
「止めてください。ベオウルフ殿も、ホリン殿も」
透き通るような少年軍師の声が響く。
ベオウルフは旧知であるノディオン国王、エルトシャンの紹介を受けてシグルド陣営に参加した身の上。
しかし、客将ではあるが、アイラやホリンとは違いある程度の立場上の保証、忖度はされる身分である。
己が腑抜けた働きを見せればエルトシャンの顔に泥を塗る事になるが、同時に己の立場はエルトシャンが保証してくれているのだ。
加えて、ベオウルフはオイフェがエルトシャン、ノディオンへ尋常ならざる忖度をしているのを、持ち前の鋭い洞察力で見抜いており。
己の立場は、オイフェもまた保証してくれているのを理解していた。
故に、立場的にはやや下のホリンへ、分別を超えた愚弄を行っても己にはお咎め無し。という事である。
「……チッ」
オイフェの制止を受け、ホリンはしばし逡巡するも、やがて大剣の柄から手を離した。
その様子を見て、ベオウルフは肩をすくめる。
「へっ。冗談だよ冗談。あいにく雌狼の
「……」
なおも減らず口を叩くベオウルフに、ホリンは依然射抜くような視線を向け続ける。
それを見てため息をひとつ吐くオイフェ。
とはいえ、この享楽的な態度は
特に少女ともいえるその容姿を散々からかわれたのもあり、口ひげを蓄えて威厳を出すようになったのも、根底ではこのベオウルフの弄りがあったのは、オイフェも少なからず自覚するところであった。
「もー、ふたりともさー。ウマが合わないのはわかるけどさぁ、もう少し仲良くやろうよ」
馬車の中からひょっこりと顔を出しながらそう言ったのは、同道者の最後の一人、盗賊少年デューだ。
天真爛漫な性格のデューは、王侯貴族であろうが城番の下士であろうが、誰に対しても太陽のような明るさで接する。
身分怪しき者でしかないデューであったが、シグルドやオイフェが無礼講を許し、そしてなにより持ち前の明るさも手伝い、シグルド陣営の誰もがデューを可愛がりこそすれ、疎んじる者は皆無だった。
「む……」
「ううむ……」
それ故に、此度の旅上では必然的にホリンとベオウルフの間に立つ事が多く。
デューの気の抜けた発言で、二人の毒気が抜かれるのは常の光景になりつつあった。
「なんかベオっちゃん好きな女の子に構ってほしくて悪口言う男の子みたいだよね」
「んなわけねえだろ! ていうかその呼び方やめろ!」
「またまたそんなこと言っちゃってさー。女々しい男はモテないぜよ?」
「な、なに言って──!」
「あ、女々しい所をあえて見せるのがベオっちゃんのテクとか? 女泣かせの罪深い男だねえベオっちゃんは。いよっ」
「こ、このガキ……!」
もっとも、デューの無垢な減らず口には歴戦の傭兵ですらたじたじであったのだが。
場の空気が妙ちくりんに和んだのを見て、僅かに微笑を浮かべるオイフェ。久々に味合うベオウルフの底意地の悪さに辟易していたのもあり、デューに翻弄されるベオウルフを見て溜飲が下がるのもあった。
(まあ、実際女泣かせではあるのだが……困ったものだ)
ふと、オイフェはベオウルフの波乱な人生について思いを馳せる。
同時に、解放戦争ではリーフ軍の中核を担った、あの気ままな自由騎士の姿も。
(やはりフェルグスはベオウルフ殿の……いや……)
それは問うまい。
そう、頭を振るオイフェ。
誰しも触れられたくはない過去があるのだ。
(しかし今回はしっかりと手綱を握らねばならぬのは確か。フィン殿の為にも、ラケシス様の為にも)
御者台で手綱を握りながらそう思うオイフェ。
男女の機微には疎いオイフェだったが、それでもあの三者の関係は些か目に余るものがある。
レンスターの忠烈な騎士フィンと、自由気ままな伝説の騎士であるベオウルフ。
そして、金獅子の如き美しさを備える可憐な姫騎士──ラケシス。
彼らの関係は、オイフェからしてみれば理解し難い複雑な関係だった。
兄妹の情を超えてまで愛した兄を亡くし、時を経ずして心と体を通い合わせたフィンとも哀しい離別を経た亡国の姫。シレジアで臥薪嘗胆の時を過ごしていたシグルド達は、ラケシスの病的なまでに消沈した姿を見て心を痛めていた。
何度も自傷行為を繰り返すラケシスを、エーディンが必死になって止めていた事はオイフェにとって生々しい記憶だ。
そして、失意の底に沈むラケシスの心の隙間に入ったのは、ラケシスの兄──エルトシャンから大切な妹を任された、ベオウルフ。
ラケシスの心を慰め、元の活発さを取り戻させたのは、普段は偽悪的な振る舞いを見せるベオウルフが、同一人物とは思えない程の誠心を持って接したからだろう。
しかし、まさかそのまま男女の関係にまでなるとは。
既にフィンとの子……デルムッドを出産していたラケシスが、リューベック攻略時に体調を崩していたのを記憶していたオイフェ。
そして、バーハラの悲劇の後、ティルノナグに落ち延びてきたエーディンから、当時のラケシスがナンナを宿していた事を聞いていた。
この事実はシグルド陣営、ひいては解放戦争を戦ったセリス陣営でも知る者は極僅かであり。
公式ではナンナはフィンの娘として扱われている。
“幼かったのよ。ラケシスも、ベオウルフも、私達も……皆……”
自暴自棄になってたとはいえ、ラケシスが性に対しやや奔放が過ぎるのではと嫌悪感を露わにするオイフェに、エーディンは後悔の念を滲ませながらそう優しく諭していた。
ラケシスが悲しみを自分だけで乗り越えられなかった事。
不貞と知りつつ、慰める内に情を超えた愛が芽生えてしまったベオウルフが、ラケシスと体を重ねた事。
それは男女の交わりという心理を考えれば仕方のない事だったと。
そして、傷心のラケシスを支えきれなかったのは、私達にも非はあるとも。
エーディンは言外で、そう自嘲していた。
悲痛な表情を浮かべて諭すエーディンを見て、そういうものかと、オイフェは納得するしかなかった。
同時に、オイフェの中である種の“女性不信”が芽生えた瞬間でもあり。
生涯妻帯しなかったのは、表向きはセリスへ何もかもを捧げねばならぬという理由があったから。
だが、根底にある理由は違う。
あんなにも愛し合っていたシグルドとディアドラが、無残にも引き裂かれたトラウマ。
そしてなにより、このラケシス達の余人には計り知れぬ複雑な関係を見聞きした事が、オイフェの生涯不犯を決意たらしめる要因となったのだ。
(ともあれ、そのような事態には……此度はさせぬ)
手綱を握りしめながら、オイフェは改めて悲劇の回避を誓う。
単に、シグルドとディアドラの幸福の為、そして己の怨恨を晴らす為だけではない。
共に辛苦を味わった、同胞達の為にも、オイフェは悲劇を回避しなければならないのだ。
「……見えてきましたね」
そして、その為に成し遂げねばならぬ、重要な局面がひとつ。
此度の目的の一つである、エッダの城下町が、オイフェの目に映る。
そして、そこに棲まう一人の聖職者。
全てを救う為の、キーマンの一人。
エッダ教団を束ねる神父の姿を、オイフェは思い起こしていた。