逆行オイフェ   作:クワトロ体位

20 / 62
第20話『家出オイフェ』

  

 イード砂漠リボー西方

 グランベル王国軍宿営地

 

 夜の砂漠。

 篝火に照らされた天幕が、煌々と白い光を反射している。

 厚手の外套を着込んだ歩哨の兵士が、白い息を吐きながら油断なく辺りを見回し、天幕内にいる要人の警護を遂行していた。

 

「やれやれ、砂漠の夜がここまで寒いとはな」

 

 厚手の外套に身を包んだ一人の老貴族。

 どっかりと天幕内に備えられた床几に腰を下ろし、備え付けられた簡易暖炉の前でせわしなく手を擦っている。

 乾燥した砂の大地は地熱を保つことが出来ず、昼夜の温度差を非常に大きいものとしているのだ。

 

「年寄りには堪えるか、リング」

 

 リングと呼ばれた老貴族を、同じ年頃の老貴族が揶揄する。

 口角を引き攣らせながら、リングは厭味ったらしく言葉を返した。

 

「おお、堪えるわい。お主と違って儂は繊細だからな」

「なんだ、儂が大雑把とでもいうのか?」

「バイロン。お主が大雑把じゃなければ、エスリン姫がウチのエーディンにあれこれ愚痴ったりせぬわ」

 

 温められた蒸留酒が入った木製のマグを受け取りながら、リングはそう皮肉を続ける。

 バイロンと呼ばれた老貴族とおざなりに乾杯し、ぐいとマグを傾けると、熱く太い息を漏らした。

 

「レンスターモルト、二十年物だな。お主は大雑把な男だが、酒の趣味は良いな。どこで手に入れた?」

「惜しいな、二十一年だよ。これはシグルドが陣中見舞いで贈ってくれたものだ」

「シグルド殿か。おい、お主の倅はユングヴィに大変な借りを作ったんだぞ。どうしてくれる」

 

 リングが難しい顔を浮かべながらそう言うと、バイロンは先程のリングのように僅かに口角を引き攣らせていた。

 ユングヴィ公爵家当主であるリング・ウルル・ユングヴィ。そして、シアルフィ公爵家当主バイロン・バルドス・シアルフィ。

 二人は領地が隣同士なのも手伝い、幼少の頃から親睦を深めており、宰相レプトールらと対抗する為の政治的な同盟者でもあった。

 

 現在、両名はグランベル王国クルト王子を大将としたイザーク征伐軍に従軍しており、クルト王子直率の神聖騎士団ヴァイスリッター、バイロン率いる聖騎士団グリューンリッターを中核とした征伐軍は、ここイード砂漠にてイザーク軍と熾烈な戦闘を繰り広げていた。

 リングもまた自身の騎士団、弓騎士団バイゲリッターを率い従軍していたが、イード砂漠北方のイザーク軍の抑えとして長子アンドレイにバイゲリッターを任せ、フィノーラ方面に展開させている。

 軍監としてクルト王子の元に残ったリングは、先のヴェルダン軍のユングヴィ侵攻、そしてシグルドがヴェルダンを返り討ちにし、拐かされたエーディンの救出、奪われたイチイバルも取り返した報を受け、シグルドへ大きな恩義を感じていた。

 

「シグルドは貸しを作ったと思うておらぬよ」

「そうは言うがな、それでも儂はシグルド殿に恩義に感じているよ。エーディンを嫁にやっても良いくらいには」

「それについては一足遅かったな。まったく、あの朴念仁め。いつのまに嫁など迎えおって……それにしても」

 

 バイロンもヴェルダン征伐の経緯を記した軍状報告を受け取っており、事の顛末を知ると喜びと共に、不安な感情を露出していた。

 

「ヴェルダン王累の娘を嫁に迎えたのもそうだが、聖騎士叙勲に加えて属州総督とはな……正直、シグルドには荷が重い職務だと思うが」

「結構な事じゃないか。息子の出世は」

「事が事だけに素直に喜べんよ」

 

 そう言うと、杯を煽るバイロン。

 武人としては自身すらも超える才覚を見せるシグルドであるが、政治的な立ち回りは得意な人間ではないのを、父親であるバイロンはよく理解していた。

 シグルドがエバンスの一領主として封じられるのならばまだ良い。だがヴェルダンを属国化し、実質全てを治める器量は、今のシグルドには厳しいとも。

 拙い政治力で、レプトールら王宮に潜む反クルト王子派の連中と、どのように渡り合えるというのか。

 父親として、そしてシアルフィ当主として、シグルドの総督就任は諸手を挙げて祝福できる状態ではなかったのだ。

 

「シグルドが宰相殿と渡り合える姿が想像できん」

「しかし件の総督就任はオイフェが一枚噛んでいたそうじゃないか。あれだけの政略眼があるなら、シグルド殿を上手く支え宰相とも渡り合えると思うが?」

「オイフェか……あの子も、一体いつのまにあそこまで……」

 

 シグルド達と同様に、バイロンもまたオイフェの急成長に舌を巻いていた。実際に近くにいるシグルド達ほどではないにせよ、一連の政局を成し遂げたオイフェの政治力は、とてもではないが自身が知るそれとは思えず。

 

「オイフェに能力を隠すような老獪さがあったとも思えん。問い質すような事でもないが……」

「まあ、しばらくは様子見じゃな。良くも悪くも、オイフェはシグルド殿の為に献身的に働いているようだし、今の所政治的な危うさは見受けられん」

「うむ……」

 

 ぐいと杯を呷る。

 酒精の強い蒸留酒を一気に飲み干したバイロンに、リングはちびりと酒を舐めつつ嗜めるように口を開いた。

 

「おい、あまり呑み過ぎるなよ。今はシグルド殿の事よりも、目の前のイザークだ」

「わかっている……そろそろ殿下がこちらにいらっしゃるしな」

 

 現実的な政治家でもあるリングの言葉を受け、バイロンがそう応えると、ちょうど歩哨の兵士が天幕内に入ってきた。

 兵士の後に続く貴人の姿を見留めたバイロンとリングは、即座に立ち上がり、胸に手を当て腰を深く折る。

 これは、王族へ最大限の礼を尽くす伝統的拝礼(ボウ・アンド・スクレープ)だ。

 

「シアルフィ卿。ユングヴィ卿。今宵は一段と冷え込みますね」

 

 力強くも気品のある声で、グランベル王位継承権第一位クルト・アールヴヘイム・バーハラはそう言った。

 

「殿下。今は我々しかおりません。どうか常のお言葉で」

 

 案内役の兵士が退出したのを見計らい、慮るようにそう言ったバイロン。

 クルトは微笑を浮かべながら用意された床几へ腰を下ろした。

 

「わかったよバイロン。ところで、美味そうなものを呑んでいるじゃないか。ご相伴預からせてもらいたいのだけど」

 

 唐突にくだけた様子を見せるクルト。リングが新しくマグに蒸留酒を注ぐと、気さくな態度でそれを受け取る。

 バイロン派の旗頭でもあるクルトは、若き時分にこの両公爵から軍事、政治面で散々鍛えられたという過去があり、その関係性からこうした態度で両名と接していた。

 クルトはゆっくりと蒸留酒を飲むと、ほうと満足そうな息を漏らした。

 

「レンスターモルト二十一年」

「流石ですな殿下。どこかの大雑把な舌とはえらい違いで」

 

 バイロンの皮肉げな視線を受け、リングは不貞腐れたように口をへの字に曲げる。

 既に繰り広げられていたであろう二人のやり取りを想像したクルトは、クスリと忍び笑いを漏らしていた。

 

「この上等な酒は誰から贈ってもらったんだ? バイロンの趣味じゃないだろう?」

「愚息からの陣中見舞いですよ、殿下」

「シグルド公子……いや、今はシグルド総督か。本当に良い趣味をしている」

 

 表情を緩めながら、クルトは感心したようにそう言う。

 すると、バイロンは苦笑をひとつ浮かべた。

 

「いや、これは娘が選んだのでしょう」

 

 亡母に代わって口うるさく父と兄の世話を焼いていたエスリン。当然、このような気遣いは彼女にしか出来ない。

 嫁ぎ先の名酒を贈って来た時点で、真の贈り主は想像に難くなかった。

 

「エスリン姫か。確か彼女はレンスターのキュアン王子の元へ嫁いでいたな」

「ええ。あのお転婆を快く受け入れてくれたレンスター王家には感謝しかありません」

「ふふ……それと、シグルド総督も伴侶を迎えたそうじゃないか。心配事が減ったな、バイロン」

「ええ、何よりです。あとは殿下が御妻妾を迎えていただければ万々歳なのですがな」

「む……」

 

 クルトはそれまでの朗らかな表情を一変させ、やや沈鬱した表情を浮かべる。

 近頃のバイロンとリングは、殊更クルトの、バーハラ王家の後継ぎ問題に口を出すようになっていた。

 

「……近頃、シギュンの夢を見たんだ」

「殿下……」

「あれから十八年も経つというのに……ふふ、未練がましいな」

 

 絞り出すようにそう述べるクルト。

 バイロンとリングは憐憫の眼差しでクルトを見つめる。

 

「世継ぎをもうけるのは私の義務だ。それは理解している。だけど、いつかシギュンが私の元に戻ってきてくれるのではないかと……そう思っていた」

「……」

「だから、最後に悪あがきをさせてくれ。この戦が終わり次第、シギュンと、その子供を探す」

「しかし……」

「王子でも王女でも構わない……もし、王女だったら、彼女譲りの銀の髪を持つ美しい女性に成長しているだろう……」

 

 未だにシギュンへの想いを断ち切れぬクルト。王族として、それは甘すぎる感情かもしれない。

 そもそも、シギュンは前ヴェルトマー当主夫人。密通を持っての関係は、王宮内では公然の秘密とはいえ、クルトの政治的立場を危うくさせるスキャンダルである。

 この複雑な女性関係さえなければ、クルトは優秀な統治者としての実力を持っている。

 それだけに、クルトを支えるバイロンとリングは、未だにシギュンへの未練を持つクルトへ忸怩たる思いを抱き続けていた。

 

「ならば殿下。その戦を終わらす為の算段を致しましょう」

 

 杯を置いたリングはそう冷徹な声を上げる。

 最後に、という言質を取れただけで、リングの中で後継ぎ問題は大きく前進していた。

 リングの言葉に同調するように、バイロンも言葉を続ける。

 

「先の会戦でイザーク軍を撃ち破ったのは良いのですが、いかんせん我らも大いに戦力を喪失しました。やはりドズルに加えフリージからの増援を待たざるを得ない状況です」

 

 イザーク国王マナナン王が斃れ、後を引き継いだマリクル王子率いるイザーク軍。

 リボー西方で行われたヴァイスリッターとグリューンリッターとの会戦で、マリクルは獅子奮迅の奮戦を見せている。

 両騎士団の前衛を壊滅させ、防衛陣を突破したマリクルは自らクルトの陣所へ斬り込んでおり、神剣バルムンクを振りかざしクルトへあと一歩の所まで迫っていた。しかし、聖剣ティルフィングを構えたバイロンが寸出の所で間に入り、これを撃退している。

 このマリクルの勇戦はイザーク諸族をより奮い立たせ、王を喪ってもイザークが組織的抵抗を継続たらしめる要因となっていた。

 

 もし、マリクルがこの時にクルトを見事討ち取っていたら。

 バイロンやリングを始めレプトール、ランゴバルト、アルヴィスらグランベル諸侯は大きく政治的方針転換を強いられる事となったであろう。

 それはユグドラル大陸の裏で策動する暗黒教団、そして運命に抗うオイフェにとっても同様。

 だが、バイロンにより深手を負ったマリクルはクルトを討ち果たすことは叶わず、その後のイザーク軍の敗走の混乱の中で傷が癒えぬまま戦死している。

 その躯は()()()()()()()()()かのような無惨な有様を見せていたという。

 

「バルムンクは?」

「依然行方知れずです。手の者に捜索させていますが、イザーク軍が持ち去ったというわけではなさそうですな」

 

 イザーク軍を追撃中にマリクルの遺体を回収したグランベル軍であったが、肝心のバルムンクの行方は知れない。

 戦場では傭兵集団も数多く参戦しており、不届き者が神器を持ち逃げした疑いもある。とはいえ、既に神器を使用できる王族はもはやイザークには残されていない。マナナンとマリクルの弔い合戦に燃え、未だに纏まりを見せるイザーク軍残党も、いずれはグランベル軍によって鏖殺される運命といえた。

 

「リボーは間もなくグラオリッターにより陥落するとの報があります」

「そうか……なら、我々はこのままランゴバルト卿の後詰をする形になるな」

「先の会戦でヴァイスリッターとグリューンリッターは大きく戦力を減らしましたからな……しかし、あのドズルのクソオヤジにおいしいところを持っていかれるのは、いささか癪ですわい」

 

 リングのぼやきを受け、クルトは苦笑を浮かべる。政治的闘争を繰り広げている相手とはいえ、今の所ドズル公国の騎士団は全力を持ってイザーク領を攻め立てている。

 マリクル率いるイザーク軍との会戦で戦力を大きく消耗していたヴァイスリッターとグリューンリッターと入れ替わるように前線へ突出したグラオリッターは、ドズル家当主ランゴバルドの督戦の元苛烈な攻撃を加えており、イザークの玄関口ともいえるリボーを攻略していた。

 

「ブルーム公子率いるゲルプリッターももう間もなく着陣するとの事です。丁度、我々がリボーへ入城した頃に到着するかと」

「ウチの倅もフィノーラ方面から呼び戻しております。リボーで戦力を集結させ、一気呵成にイザーク本城へ侵攻するのがよろしいかと」

「……」

 

 バイロンとリングの言を受け、クルトは考え込むように顎に手をやる。

 ふと、呟くように言葉を発した。

 

「では、()()はリボーに……いや、なんでもない」

「?」

 

 頭を振るクルト。訝しむように見つめる老将二人。

 クルトの脳裏に僅かに浮かんだ、ある事実。

 それは、戦力を減らしたヴァイスリッターとグリューンリッターが、戦力を温存したグラオリッター、ゲルプリッター、そしてバイゲリッターに()()されるという事である。

 

「バイロン、リング。このつまらぬ戦、早々に終わらせたいものだな」

「はい」

「ですな」

 

 流石に表立って造反はしないだろう。

 そう思い、頭を振ったクルトはバイロンとリングへ向け表情を引き締める。

 バイロン達も居住まいを正し、クルトへと視線を返していた。

 

「ああ、そういえばひとつ御報告が」

「なんだ、バイロン」

 

 ふと、バイロンが何かを思い出したかのように言葉を上げる。

 クルトの促しを受け、バイロンは滔々と贈り物に添えられたオイフェ直筆の書状の内容を口に出した。

 

 

「いえ、愚息を支えているオイフェ……スサール卿の孫なのですがな、近々直接陣中見舞いに訪れるそうで。いや、わざわざ愚息を放り出してまで来なくていいと思ったのですが、何やら内々な話があるとのことでして……」

 

 

 

 


 

 グランベル属州領

 エバンス城郊外

 

 この日、エバンス城東方に位置する平原にて、シグルド軍は大規模な軍事演習を行っていた。

 新たに編成した歩兵部隊を中心に二手に分かれ、エバンスへ侵攻してきた敵性戦力との交戦を想定した演習となっている。

 攻め手がエバンスの東方、()()()から来襲したという想定は、流石に見る者が見れば眉を顰めかねない内容となっており、監査として派遣されたグランベル本国役人は「攻め手がグランベル本国側からというのは如何なものか」と厳しく追求している。

 これに、演習の一切を企図したオイフェは“ヴェルダン王国とアグストリア諸侯連合への配慮”と一言で切り捨てていた。

 属国化したばかりのヴェルダン、そして盟友エルトシャンが治めるノディオン側からの侵攻を想定すれば、隣国は元より属州からの反感を買うのはもっとも。それに、シグルドがグランベル本国に反旗を翻すとお疑いか? と、オイフェは本国役人へ逆に詰問する有様であり。

 もはやいつもの光景となってはいたが、本国役人は額に青筋を浮かべながら宰相府へ告げ口めいた報告を送るしかなかった。

 

 オイフェにとって、反逆を疑われた所で痛くも痒くもない。

 宰相レプトールは元より、暗黒教団を含め陰謀の中心にいるであろうアルヴィスは、いずれは雌雄を決する必要があるからだ。

 アズムール王の覚えめでたいシグルドを今の時点でアルヴィスらが排除する事は難しく、オイフェは堂々とこの軍事演習を企画していたのだ。

 

 演習では攻め手にキュアンらレンスター隊、ノイッシュ、アレク、ドズルのいい男たちを中核とした騎馬隊を配置している。

 迎え撃つ守勢側にはシグルドを大将とした歩兵部隊を中心に配置しており、アゼル率いる魔道士隊もここに配置されていた。

 

「オイフェ。質問があります」

「なんでしょう、ディアドラ様」

 

 現在、オイフェは平原を見下ろせる小高い丘で演習を監督しており、用意させた机と椅子に陣取り兵達の動き、指揮官の動きを事細かに記録していた。

 その隣には、シグルドの妻であるディアドラもオイフェの記録を熱心に手伝っていた。

 

「あの、なぜ魔道士隊の皆様が草や小枝を貼り付けているのでしょう?」

 

 ディアドラは迷彩により見事に風景と同化している魔道士隊へと目を向けている。

 事前に知らされていなければ、遠目にはそこに魔道士隊が潜んでいるとは看破できない陣容であった。

 

「魔道士隊は遠距離から攻撃が可能で非常に強力な戦力です。ですが、意外と正面からの攻撃には弱いのです」

「だから、兵を潜ませる……?」

「はい。遠距離で発見され難い位置ならば、魔道士隊の真価を十全に発揮することが出来ます」

 

 平原へ目を向ければ、キュアンを先頭に騎兵隊が猛然と歩兵部隊へ攻撃を加えており、装備の整った歩兵とはいえ散々に蹴散らされている。

 が、しばらくすると側面から魔道士隊による低出力の魔法攻撃が放たれ、騎兵隊は陣形をみるみる崩していく。ミデェールら弓騎兵部隊が反撃を試みるも、迷彩により魔道士隊の位置が掴めず、刃引きされた殺傷力の無い矢は明後日の方向へと飛んでいた。

 

「でも、貴人にはあまり好まれない方法なのでは?」

「仰るとおりです。アゼル公子には苦労をかけてしまいましたが」

 

 草木を身に着け、泥に塗れる戦法は、当然のことながら貴公子であるアゼルは難色を示しており。

 そも、魔法の心得のある騎士は騎馬によるマージナイト、または重装甲を纏ったバロンを目指し日々研鑽を積んでいる。

 それを、平民歩兵と同じような扱いを受けるのは、大人しい性格のアゼルですら忌避感があった。

 オイフェもマージナイトの機動性、そしてバロンの堅守性には一目を置いていたが、()()()の兵科と同じ陣容では、最終的に数に勝る方が勝ってしまう。ならば、相手と同じ土俵に立つ道理はない。

 戦法の有用性を滔々とオイフェから説明されたアゼルは、渋々とではあるが若草色に染められた戦闘服を身に着け、草木で迷彩を施し、地を這いつくばる伏撃訓練を実施していた。

 泥まみれのアゼルに、いい男が存分に弄り倒したのは言うまでもない。

 

 尚、低出力とはいえウィンドやファイアーを受けた騎兵はそこかしこに負傷兵が出ており、エスリンらトルバドール隊が救護に奔走していた。

 

「演習とはいえ、お味方が傷を負う姿を見るのは辛いですね……」

 

 その様子を痛ましい想いで見つめるディアドラ。

 彼女の慈愛の心に胸を痛めたオイフェであったが、諭すように言葉をかけた。

 

「ディアドラ様。そのお味方が傷を負わず、死に至らないようにする為の演習なのです。トルバドール隊も戦場での救護の訓練にもなります」

「そうなのね……でも、このような演習を必要としない世の中でありたいのですが」

「もちろん、戦を必要としない世の中にする為に政治(まつりごと)があるのです。そして、この演習もその政治の一環と捉えてください」

「はい……」

 

 平原では騎兵隊に蹴散らされた歩兵部隊が魔道士隊の援護を受け勢いを取り戻し、苛烈な逆襲に転じている。

 反撃の先鋒である剣士隊の先頭には、先にシグルド軍へ参加した剣闘士ホリンの姿が見え、態勢を立て直そうとする騎兵隊へと斬り込んでいる。そして、そのホリンを迎え撃つべく、同じくシグルド軍へ参加した自由騎士ベオウルフが前に出ていた。

 

「すごいですね、お二人」

「ええ。頼もしい方達です」

 

 騎乗にて巧みに撃剣を奮うベオウルフ。それを大剣にて防ぎ、逆撃の剣を入れるホリン。

 一進一退の攻防を繰り広げていた両者であったが、形勢は徐々にベオウルフの不利に傾いていく。そして、ホリンの姿を見留めたアイラが加勢すると、ベオウルフは即座に馬首を翻し撤退行動に移った。

 ホリンとアイラはベオウルフの瞬時の判断に呆気にとられるも、必死で後を追いかける。

 だが、ベオウルフの撤退を支援するべくノイッシュとアレクが間に入り、剣士隊の勢いは減殺されていた。

 

「あ、シグルド様」

「え?」

 

 そして、平原では逆襲に転じた歩兵部隊を率いシグルドが突出していた。

 更に、撤退していたはずのキュアンがそれを見留め、単騎でシグルドに向け突撃している。

 当然、演習は大将同士の一騎打ちの様相となっていた。

 

「あの、これは演習としてどうなのでしょう?」

「まあ、シグルド様ですから……」

 

 本来はシグルドは本陣から一歩も動かず、あくまで歩兵部隊の指揮に専念する予定だった。

 だが、逆襲の機を見て自ら先頭に立つ機微は、オイフェにとって判断が難しい行動でもあり。

 シグルドにより歩兵部隊の勢いが増したのは確か。しかし、予定外の行動は全軍の指揮に乱れが出る。本陣の護衛を任されていたアーダンが慌てて追いかけていく様子を見て、オイフェはひっそりとため息を吐いていた。

 

「キュアン王子は、あれで良かったのかしら?」

「退路をフィン殿がしっかり確保していますから、あの判断は正しいですね」

「つまり……」

「大将としての判断は、残念ながらキュアン王子が一枚上という事になります」

「そう……」

 

 戦場の機微を本能で察知し、突出したシグルド。そのシグルドの戦闘力に伍するのは、攻め手ではキュアンしかいない。

 守勢の反撃の勢いを殺すべく、単騎で迎え撃ったように見えたキュアンであったが、その後ろではフィンが主君の退路を確保するべく奮戦している。

 レンスター主従の阿吽の呼吸。そして、盟友シグルドの行動を完璧に読んでいたキュアン。

 攻め手は守勢を撃滅する事は叶わなかったが、大将としての指揮はキュアンに軍配が上がっていた。

 

「まあ、今回はノイッシュ殿やアレク殿が攻め手でしたから、実戦ではシグルド様があのような状況になる事はありえません」

「そうね……わたしも、シグルド様のお力になれるようにがんばります」

「はい。私も、及ばずながら力になります」

 

 戦場では大将を補佐する副官の存在が重要。ディアドラは演習を見て、それを十分に理解していた。

 そして、優秀な参謀の存在もまた、戦場では極めて重要である。

 

「……」

 

 オイフェはディアドラの姿を見つめ、少しばかり暗鬱とした表情を浮かべる。

 本来であればディアドラには戦場に出てほしくない。しかし、優秀なシャーマンであるディアドラは、光魔法を始め各種聖杖の心得もある。

 大将であるシグルドの脇を固めるには、非常に優秀な人材といえた。

 

 そして、暗黒教団の魔手からディアドラを守るには、現状ではシグルドの隣がもっとも安全なのだ。

 シグルド個人の戦闘力は、キュアンやホリン、そしてアイラですら、本気を出したシグルドに勝てるかは怪しいものであり。

 それほど、シグルドの武勇はこのユグドラル大陸では屈指のものとなっていたのだ。更に神器を装備したシグルドが古今無双の武力を見せるのは想像に難くない。

 

「では、そろそろ演習を終了しましょう」

「はい」

 

 演習場ではキュアンにいいようにあしらわれたシグルドが完全に勢いを殺されており、オイフェは両軍の引き分けと裁定していた。

 これによりシグルドは単騎駆けの良し悪しを学び、キュアンも()()()()()()()()を強めるだろう。

 どちらかといえば、オイフェは此度の演習でキュアンに想定外の伏兵に対する心構えを実地にて学ばせたかった。

 前世でのレンスター夫妻の無残な結末は、オイフェにとっても非常に心の重しとなっていたのだ。

 

「喇叭をお願いします」

「はっ!」

 

 オイフェが傍らに控える兵士に指示を出し、演習終了の喇叭が鳴らされる。

 全軍が動きを停止し、それぞれ陣所へと戻っていく。

 負傷した者はトルバドール隊、そして歩兵部隊の後方に控えていたエーディンら救護兵部隊に介抱されていた。

 

「オイフェ」

「デュー殿」

 

 後始末をするべく書類を整理し始めると、どこからかともなくデューが現れる。

 ディアドラにそれとなく挨拶したデューは、小声でオイフェへと話かけていた。

 

「イザークの……もう……」

「……はい……では……」

 

 ひそひそと話し合う少年達。

 ディアドラはそれを少々怪訝な表情を浮かべて見つめていたが、やがて話を終えたオイフェがディアドラへと顔を向けた。

 

「ディアドラ様。私はしばらくエバンスを留守にします。留守中はシグルド様のお傍から離れないようにしてほしいのですが、エスリン様に怒られないようにほどほどにしてくださいね」

「えっ!?」

 

 オイフェの唐突なこの申し出。

 ディアドラはそれを聞き、その可憐な容姿に見合わない素っ頓狂な声を上げるしかなかった。

 

 

 数日後。

 エバンス城から、オイフェの姿が消える。

 同時に、城から姿を消した者は三名。

 

 デューと、ホリン。そしてベオウルフが、策謀を巡らす少年軍師へと同道していった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。