逆行オイフェ 作:クワトロ体位
「──そろそろ戦場を経験するのも悪くはないだろう。ただし、戦うのはまだ早い。しばらくは私のそばにいて、相談相手に──」
朧気な視界。
頭にモヤがかかったような、曖昧な思考。
温い湯の中に浸かったような、気だるい感覚。
「──オイフェ?」
ああ、懐かしい声が聞こえる。
兄と慕った、あの人の声……。
「オイフェ、どうした? 急に押し黙っちまって」
尊敬する、あの先輩の声も聞こえる。
いや、私が勝手に先輩扱いしていただけで、彼らは私を後輩とは思っていなかったのかもしれないが……
「オイフェ、聞いているのか?」
ああ、この声は、アレク殿だ。
キザで、女癖が悪い、それでいて、芯は熱い男。
尊敬する、シアルフィの騎士。
「オイフェ」
そして、シグルド様の、両翼の一人。
緑の翼を持つ、熱い魂を持った男。
「オイフェ!」
「ッ!?」
びくりと、身体が跳ねる。
雷に打たれたような衝撃が、身体中に駆け巡る。
そして、私の中にあったモヤが晴れた。
「アレク……殿……?」
目の前に、アレク殿の姿。
そしてアレク殿の後ろには、あの人──シグルド様の御姿が──
「あ、ああ……!」
再び、視界がぼやける。
涙で、前が見えない。
でも、大きな、大きなシグルド様のお姿は、よく見える。
「シグルドさまぁ!」
「オ、オイフェ?」
思わず、シグルド様の胸に飛び込む。
年甲斐も無く、涙と鼻水を垂れ流しながら。
「シグルドさま! シグルドさまぁ! シグルドさまぁ!!」
「オイフェ、一体どうしたんだ」
ああ、シグルド様の匂いだ。
シグルド様の、大きくて、強くて、優しいお身体。
大好きな、大好きなシグルド様!
「う、うぅぅ~! シグルドさまぁ……シグルドさまぁ……!」
「オイフェ……」
これは、夢だ。
いや、私は、あの時、死んだのだ。
だから、これは死後の世界。
シグルド様がいる、死後の世界だ。
シグルド様の手が、私の背中をさすってくれる。
それが、どうしようもなく、暖かい。
まるで、あの時のように──。
「シグルド様、リューベックの約束、覚えていますか? 私を迎えに来てくれる、あの約束を!」
「な、何を言っているんだオイフェ」
「シャナンと私が、どれほどあの約束を信じていたか! ああ、ひどいです、シグルド様!」
「オイフェ、落ち着いてくれ。お前が何を言っているのか」
「褒めてください、シグルド様。私は、セリス様を、立派に──」
感情が、溢れて止まらない。
ああ、それにしても、私は何を言っているのだろうか。
あの約束は、私達を落ち延びさせる為の、シグルド様の優しい嘘だったじゃないか。
それを責めるなんて、できるはずもないのに。
「アレク。お前がオイフェを連れてきたんだろう。一体どういう事なんだこれは」
「そ、そんなこと言われてもよノイッシュ。俺にも何がなんだか……おいアーダン! お前がなんか変な事を吹き込んだんだろ!」
「なんで俺なんだよ。ノイッシュ、お前が何か怖がらせるような事を言ったんじゃねえのか?」
「私がそんな事するわけないだろう。やはりお前が何か怖がらせるような事をしたのではないのか?」
「アーダン。お前固い、強い、遅い、ブサい上に怖いとかどんだけ盛るつもりなんだよ」
「固い、強いってのはいいけど遅いってのは気にいら……最後何て?」
懐かしい声が聞こえる。
アレク殿、ノイッシュ殿、アーダン殿。
シアルフィの、若い騎士たち。
ああ、みんな、あの頃のままだ。
あの頃の……
あの頃の?
「……オイフェ。初めての戦場だ。お前が混乱するのも無理はない」
「シグルド様……?」
ふと、違和感を覚える。
顔を上げると、シグルド様の困惑しきった表情が見える。
……顔を、上げる?
「あ、あれ?」
私はシグルド様から離れ、自身の手を見る。
シワだらけだった手は、十代の頃の瑞々しさを取り戻していた。
顔を触る。
張りのある肌。
口髭がない。
周りを見回す。
困惑した、アレク殿達の姿。
そして、シグルド様の姿。
壁面にかけられた、鏡を見る。
そこには、あの頃の、十四歳だった私の姿が……。
「アレク。やはりオイフェにはまだ戦場は早かったようだ。オイフェは、このまま城に残らせるよう──」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
待て。落ち着け。
死後の世界にしては、あまりにも生々しい感触。
これは、一体どういうことなのだ?
「……あの、ひとつ確認したい事が」
「何をだ、オイフェ」
……いや、まさか。そんな。
これは、夢でもなく、ましてや死後の世界でもないというのか。
「あ、あの……」
ならば、確認しなければならない。
夢でもないのなら、きっと今は……
涙を拭い、しっかりとシグルド様を見る。
あの頃の、シグルド様を。
「今、グラン暦何年ですか?」
「は?」
シグルド様のお世話くらいできます……////