逆行オイフェ 作:クワトロ体位
エバンス城下にある闘技場は、各地に設けられた闘技場と同じく、その運営はミレトスの商業ギルドが行っている。
闘技場以外でも、各地の流通や金融におけるミレトス商業ギルドの影響力は強く、グラン共和国時代から商業の中心地であったミレトスは世界中を経済的に支配しているといっても過言ではなかった。
ロプト帝国時代に一度壊滅的な被害を受けたものの、その後のグランベル王国成立と共に往時の勢いを取り戻している。
そして、商業ギルドが運営する闘技場は、在野の荒くれ者達による腕試しの場に留まらず、大衆娯楽、つまるところ公営賭博の顔も持っていた。
娯楽の少ないこの世の中。一攫千金を求めるのもあり、わざわざ遠方から闘技場を訪れる者も少なくない。それ故に、商業ギルドの中でも随一の収益性を持つ施設が、この闘技場なのだ。
各国に地代を治めながらも、商業ギルドは闘技場運営で莫大な利益を上げており、エバンスだけでも一月の収益はおよそ50万ゴールドにも達している。
納める地代の割合は各国で若干異なるが、収益の二割から三割程度に定められていた。
当然、各国はその収益性からより多くの闘技場誘致に尽力しようとする。だが、賭博依存による社会問題が目立って来たことでその無制限の進出を危うんだグランベルのアズムール王、アグストリアのイムカ王、そしてシレジアのラーナ女王が中心となって各国に呼びかけ、近年制定された条約により闘技場の進出は制限されている。
現在運営されている闘技場は、エバンス以外ではグランベル王国のシアルフィ、アグストリア諸侯連合のアグスティ、シレジア王国のセイレーンとザクソン、イザーク王国のリボー、マンスター地方のアルスター、トラキア王国のミーズ、そしてミレトス地方ではペルルークのみとなっていた。
「わぁ! 見てよオイフェ! もう五人も勝ち抜いたよ!」
「ええ。すごいですね」
現在、オイフェとシャナンは闘技場貴賓室にてアイラの奮戦を観戦している。
オープンテラスの手すりにつかまり、身を乗り出しながら楽しそうにアイラを応援するシャナン。オイフェは備えられたソファに座りながら、その様子を微笑をもって見つめていた。
当のアイラは、シャナンに加え大勢の観衆からの大歓声を受け、少々恥ずかしそうに頬をかいている。
その足元には、刃引きされた鉄の剣による殴打をまともに受け、装甲をひしゃげさせ昏倒する
「本当にお強い方を連れて来たんですねオイフェ様。確かお名前は……」
そのオイフェに、赤髪を後ろに束ねた妙齢の美女が語りかける。大きく胸元が開いたドレスを纏い、スリットから覗く素足は官能的な美しさ見せている。唇に引かれた紅は艶めいた色気を放ち、見る者全てが抵抗出来ない、魔性の魅力を放っていた。
闘技場の支配人でもある彼女は、ミレトス商業ギルドの幹部でもあり、収益性の高い闘技場経営を背景にギルド内でも強い発言権を持つ女性だ。
「カトリーヌさんです。アンナ支配人」
そう澄ました顔で応えるオイフェ。
カトリーヌとは闘技場エントリー時にアイラが使用した偽名であり、イザーク王累であるのを秘匿する為にそう名乗らせている。
シャナンは「髪を金髪に染めてもっと日焼けした方がいいんじゃない?」と、叔母の偽装を熱心に提案しており、更にはその正体はとある伯爵令嬢で故あって王国を追われた云々と無駄に設定を盛ろうとしていたが、「そこまでするくらいなら行かん」とアイラににべなく断られ、こうして偽名のみの擬態に留まっていた。
「カトリーヌさん、ねぇ……ウフフ……」
アンナと呼ばれた支配人は妖艶な微笑を浮かべると、オイフェの隣へしなだれかかり、開いた胸元をその頭へ押し付けるようにして座る。
オイフェの無垢な頬に妖しく手を這わせ、行儀よく座るその膝を煽情的な手付きで撫でる。
やや顔を上気させ、艶美な雌の匂いを発するアンナ。オイフェは柔らかで艶かしい感触に頬を染めつつ、困ったような表情を浮かべた。
「あの……あ、当たっているのですが……」
「フフ……当たっているって、何が?」
「え、いえ、あの、その……ア、アンナ支配人の、その……」
「フフフ……当てているのよ……それと、アンナ支配人じゃなくて、アンナさんって呼んで……?」
身を捩らせるオイフェ。それに構わず、アンナはオイフェの耳元へ囁くように息を吹きかける。
背筋に痺れるような刺激を感じたオイフェは、努めて平静に言葉を返した。
「え、えっと、ア、アンナさん……」
「嗚呼……よく言えました……」
「あ、あの、んぅっ」
じゃあ、ご褒美ね……と、アンナが囁いた後、オイフェは衿首から直接侵入してくるアンナの手により桜色の突起を撫でられる。
指先でくりくりと蕾を弄られ、たまらず嬌声めいた小さな悲鳴を上げた。
「ひぅっ」
直後、耳朶に生暖かく湿った粘膜の接触を受け、オイフェは更にか細い悲鳴を上げる。
ぺろりと舌なめずりしたアンナは、興奮気味に鼻息を荒くし、欲望の限り少年軍師の耳を味わっていた。
明らかに事案である。
(度し難い!)
だが、オイフェは内心辟易しつつも、仕方なしといった体でされるがままだった。
このアンナという女支配人が倒錯的な少年性愛の気質を備えているのは、オイフェは十分承知していた事であり。
自分がアンナの嗜好に合う容姿であるのかは不明だったが、こうして会合を重ねる度に己の肉体のあんなところやこんなところにまで手を這わせようとしているアンナを見て、オイフェは何かを悟ったかのように好きなようにさせていた。
諸般の事情でこの女支配人の機嫌を損ねるわけにもいかず、ただその
尚余談ではあるが、アンナには瓜二つの姉妹が複数名存在しており、トラキア半島在住の姉妹にはジェイクという恋人がいるとかいないとか。
「すごい! もう六人目やっつけちゃった! エルサンダーよりずっとはやい!」
「ん、んぅ……よ、よかったですねシャナン。で、できればそのまま応援しててください」
「ウフフフフ……」
シャナンは相変わらず闘技場で戦うカトリーヌことアイラの応援に夢中であり、そのすぐ後ろでは痴女支配人が少年軍師の性虐に夢中であり。
オイフェはシャナンの情操教育上、このまま後ろを振り向かないよう祈るばかりであった。
「と、ところで、例の話なのですが」
とうとう股間にまで侵略の魔手が伸びたのを受け、オイフェが苦し紛れに話題を変える。
例の話、という言葉を聞いた瞬間、アンナはそれまでの
「……ギルド総会に打診してみましたが、概ね希望通りになるかと思います」
そう冷静に述べるアンナ。オイフェのデリケートゾーンに這わせていた手を引っ込め、傍らに置いてある水差しへと手を向けた。
ほっと一息ついたオイフェもまた居住まいを正し、アンナの方へ身体を向ける。さりげなく唾液に塗れた耳を拭うのも忘れない。
「そうですか。それはありがたいです」
「こちらとしては損は無いですからね。でも、本当によろしいので?」
オイフェに水を注いだグラスを渡しながら、アンナはそう訝しむように言う。
「構いません。減税措置を継続しつつ、本国へ納める税を確保する為には必要な事ですから」
オイフェは水を飲みつつ、そうアンナへ言葉を返す。
オイフェがアンナを通し、ミレトス商業ギルドへ申し入れをした件。
それは、2000万ゴールドにも及ぶ巨額の借款である。
これはグランベル国王アズムール王の保有財産、つまり大国の王族が持つ財産とほぼ同額であり、当然経済的世界支配を確立しているミレトス商業ギルドにとっても大きな金額である。
オイフェはヴェルダン領の水運開発利権、そしてエバンス城自体を担保にしてこの借款を申し出ている。
償還期間は十年。利率は三割と、ギルドにとっても返済能力が疑わしい数字だ。
実の所、オイフェも期間内に返済できるとは思っておらず。最悪、利子さえ払い続ければ償還期間は延長できると踏み、借款の申し出を行っていた。
当初、この巨額借款案をオイフェに提示されたシグルドは、その金額の大きさに卒倒しかけるも、意外なことにパルマーク司祭がオイフェに同調したことで、最終的にはこの借款案を受け入れている。
オイフェは事前にパルマーク司祭とこの話を詰めており、司祭は領内の好況を鑑みいずれは税収も大幅に上がり、返済も問題なく終わると踏みオイフェに同調していた。属州領ならびにヴェルダン王国の民の生活、そしてシグルドが民に慕われる名君として成長出来るように想ってこその考えである。
また、オイフェは減税政策に併せてそれまでの所得の多寡に関わらず一定の税額で課税を施す人頭税を見直しており、所得に応じた累進課税制を新たに施行している。現状はグランベル本国に納める税に苦労する程の税収でしかないが、後々領民の所得が増えれば、結果的に属州領の税収が上がり健全な領地経営が出来る。加えて、借款による資金で大規模な財政出動を行えば、更に領民の所得を底上げ出来る。
これらの事から、パルマークはオイフェの経済政策に反対することはなく、積極的にその政策を実行出来るよう協力していたのだ。
ところで、このような説明をオイフェとパルマークに滔々と受けていたシグルド。だが、「おまえたちの話はちょっとむずかしい」とやや残念な回答をし、二人に長い溜息を吐かせている。軍略には優れた才能を見せるシグルドであるが、こと政略に関しては非常にお粗末な見識しか持ち得ず。とはいえ、領民の為ならばと、オイフェの政策を全て実行するよう指示を下していた。
尚、婚姻後片時もシグルドの側から離れようとしないディアドラは、当然この説明を一緒に聞いており。そして、ディアドラの方がこの政策をより正しく理解していた。
ならばと、オイフェは主君の教育と併行してディアドラをシグルドの政策秘書とするべく熱心な教育を施すようになる。
元々、地頭は決して悪くないディアドラ。オイフェの政経学の講義を一生懸命こなし、愛する夫の助けにならんと甲斐甲斐しい努力を見せていた。
「でも、本当に助かりました。私が言うのもなんですが、断られる可能性が高かったので」
ぺこりと頭を下げつつ、オイフェはアンナへ感謝の気持ちを表す。もっとも、オイフェは一度断られたら今度はシアルフィの資産も担保にしてやろうかとも考えていたので、この借款はオイフェにとって必然である。
それに、オイフェが画策する
先程までの邪悪な視線はどこへやら、アンナは慈愛の眼差しでオイフェを見つめていた。
「いえ。この話を断る人間は、商売人としては二流ですから」
「二流? 一流の商人でも普通は断ると思いますが」
そう笑みを浮かべながら嘯くアンナに、オイフェは疑問を浮かべる。
アンナはオイフェの柔らかい髪を指で弄りながら、少年軍師の疑問に応えた。
「フフフ……品を東から西に運んで儲けを得て、使わずに貯め込むのは三流。より多くの儲けを得る為に、それまでの稼ぎから諸々の投資をするのは二流……では、一流の商人とは、儲けを一体どのように使うと思いますか?」
「……売る商品を自分たちで作り出す為に、投資をすることですか?」
「うーん……半分正解って所かしら」
アンナはオイフェの髪を弄り、耳朶を優しく揉んだ後、つうと首筋から下腹部にかけて指を這わせる。
オイフェはアンナの行為を努めて無視し、次の言葉を待っていた。反応すれば、また容赦の無い性的虐待が再開されるのは必定である。
だが、その抗う様子が増々アンナの昂りに油を注ぐ事となっており、オイフェは自分から訪ねておきながら早くこの
「一流の商人のすべき事は、需要を創出する事です」
「需要の創出、ですか……」
オイフェを弄る手を止め、含んだ笑顔を浮かべるアンナ。
少年が秘める宿望を見透かすかのように、鋭い視線を向けていた。
「オイフェ様。オイフェ様は、何か大きな事を成し遂げようとしている」
「……」
「それは、世を乱す悪辣な謀かもしれません。ですが、少なくとも私は、そこに大きな需要を見出しました。だから、これは必要な融資であり投資……という事ですよ」
「……それは、どうでしょう」
はぐらかすように視線を背けるオイフェ。
思わぬ所で核心に迫られたのもあり、その冷静な表情を少しばかり乱していた。
「ウフフ……融資金をどのように使うか……楽しみにしていますね」
さらりとオイフェの髪を撫で、アンナは作ったかのような表情を浮かべ、そう囁く。
「ええ……有意義に使わせていただきます」
オイフェもまた、作ったかのような笑顔を浮かべる。
(流石に一筋縄では行かぬか……女狐め……)
ロプト帝国の弾圧すらも生き延びた、商魂たくましいミレトス商人の気魂。
それは、オイフェが目指す大望の一助になるのか。
それとも、致命的な妨げとなるのか。
オイフェは目的の為の手段が誤りとならないよう、今後も慎重な舵取りを強いられる事となるのであった。
「まあ、返せなかったらお城が無くなっちゃいますからね。返済は確実に行いますので、そこは安心してください」
「ウフフフ……返せなかったら、私が経営する秘密のお店で一生働いてもらおうかしら……?」
「それはいやです」
飢えた雌狼の如き表情を浮かべるアンナに、オイフェは本能で危機を察知していた。
「この程度か……」
オイフェが痴女の毒牙に苛まれている一方。
足元に転がるサンダーマージを一瞥したアイラは、ため息をひとつ吐いていた。
オイフェが提案した闘技場挑戦。
己の剣技に伍する程の剣豪がいるのかと、勇んで挑戦した。だが、今の所アイラを満足させる程の使い手は現れず。
さては空約束をされたかと、アイラは貴賓室にいるであろうオイフェへと恨みがましい視線を向ける。テラスで大きく手をふるシャナンと目が合い、ひらひらと手を振りながら、アイラは帰ったらどのような文句を垂れてやろうかとしかめっ面を浮かべていた。
「むっ」
救護の者がサンダーマージを回収すると、向こう正面から新たな闘技場闘士が現れる。
刃引きされた大剣を背負う、金髪の剣闘士。
その姿を見留めたアイラは、それまでの対戦者とは全く違う、一流の強者のみが発する空気を感じ取る。
表情を引き締め、改めて対戦者を見据えた。
「……っ」
剣闘士も呼応するようにアイラの顔を見る。すると、彼は一瞬ではあるが驚愕の表情を浮かべた。
だが、直ぐに石仏の如き無表情を浮かべ、大剣を構える。
その微妙な表情の変化を訝しみつつ、アイラもまた己の剣を構え直した。
「では、女剣士カトリーヌと、剣闘士ホリンの試合を始めますッ!」
闘技場の中央で対峙する両者。審判役の男が大音声でそう言うと、観衆はわあわあと歓声を上げ囃し立てる。
アイラのおかげで大損した者、大儲けした者の喜怒哀楽入り混じった歓声。しかし、アイラにはその歓声は全く聞こえず、静寂の世界の中でホリンを見つめていた。
(強い!)
大剣を正眼に構えるホリン。その所作から滲み出る、深い剣境。
自身が知るイザーク剣法の流れを汲む、隙きの無い構え。兄マリクルや、父マナナンとはまた違った、火炎の如き圧力が、ホリンの剣先から発せられていた。
これほどまでの使い手が、まだこの世の中に潜んでいたとは。キュアンあたりに言わせれば、井の中の蛙大海を知らず、といったところか。
そう自嘲したアイラは、背筋に冷えた汗を一筋垂らしていた。
「では……
戦闘開始の合図が、審判から発せられる。
剣戟に巻き込まれぬよう退避する審判を尻目に、アイラとホリンは全く動く気配は無い。
「……」
「……」
剣を構え、対峙し続ける両者。
観衆もただならぬ両者の剣気を受け、ざわざわとざわめき声を上げる。
やがて、観衆のざわめきも止み、闘技場は不自然な程の静寂に包まれた。
「……」
ふと、ホリンが大剣を下段に構え直す。
それを見たアイラは、僅かに頭に血が登るのを自覚した。
(落とし下段で余裕を見せるか──!)
上半身ががら空きのホリンを見て、アイラは己が“舐められた”と認識し、その美しい表情を歪め額に青筋を立てる。
それがホリンの“誘い”であるのも十分承知していたのだが、元々血の気が多いイザークの剣姫。拮抗した実力者からの挑発をいなせる程、老成しているわけでは無かった。
「フッ──!」
瞬間、アイラは肺腑を抉るような鋭い気合を発する。
だが、それを受けても、ホリンは微動だにせず。無表情に下段の構えを取り続ける。
「……ッ!」
アイラは剣を構えつつ、じりじりと間合いを詰める。
撃尺の間合いに入った両者は、共に倪視しつつ剣を構え続けていた。
(ああ──)
ふと、アイラはそれまでの怒りがみるみる霧散し、憑き物が落ちたかのような表情を浮かべる。
これだ。この境地。
この尋常ならざる武芸の深奥にある境地こそが、己の剣技をより一層高みに導いてくれる。
アイラは己の飢えた闘争心を慰撫する、目の前のホリンに密かに感謝を捧げていた。
そして──
(この男なら──)
自身の全て。そして、秘剣“流星剣”すらも受け止めてくれるだろう。
そう想ったアイラ。
想った時には、既に身体は動いていた。
「シィッ──!!」
「ッ!?」
神速の奥義が放たれる。
面、袈裟、逆袈裟、車斬り、下段払い。
それらの剣撃が、一呼吸の間に放たれる。
全ての斬撃が、ホリンの体躯へと吸い込まれていった。
「ッ!?」
しかし。火花が爆ぜると共に、重厚な金属音が鳴り響く。
五度の斬撃を、ホリンはその大剣にて全て防いでいた。
まるで重さを感じさせない、神速の大剣捌き。刹那の攻防でその妙技を目にしたアイラは、直後に頭上に凄まじい剣圧を感じた。
「くっ!?」
奥義を発動し、それを尽く防がれたアイラ。反撃の刀勢を防ぐべく、自身の剣にて大剣を迎え撃つ。
一閃。
瞬きを一つしたアイラ。
直後に見える、截断された自身の剣。
「なっ──!?」
驚きと共に、自身の折れた剣を見やるアイラ。
ホリンが繰り出した反撃剣。
それは、イザーク剣法でも限られた者でしか扱えぬ、あの剣技。
闇夜に煌めく月光の如き一閃。
それは、リボーとソファラ領主一族でしか伝授されぬ、秘剣“月光剣”であった。
(なぜ──いや、しかし──)
やられたのは事実だ。
悔しさと共に、どこか達観するような想い。折れた剣を見つつ、アイラは目の前の現実をそう受け止めた。
勝負は、己の負け。
しかし、この勝負は良い鍛錬になった。
ホリンの正体も気になるところだが、ひとまずはこの勝負、己の負け。
しかし、次に試合う時は──
「勝者、カトリーヌ!」
「なんだと!?」
審判の裁定。どよめきと共に歓声を上げる観衆。そして、驚愕の声を上げるアイラ。
どこをどのように見たら己の勝利と断じれるのか。アイラは食って掛かるように審判へと声を荒げた。
「いい加減な裁定をするな! なぜ私の勝ちなんだ!?」
「い、いや、その」
つかつかと距離を詰められ、胸ぐらを掴みかねない勢いで迫るアイラ。たじたじとなった審判の男は、闘技場の中央へと指を指しながら震えた声で応えた。
「た、立っているのが貴方でしたから……」
「なにっ!?」
そう言われ、アイラは勢いよく振り返る。
見ると、大剣を杖のようにして片膝をつき、荒い呼吸と共に全身から玉のような汗を滲ませるホリンの姿があった。
「……く」
流星の奥義を防ぎ、直後に月光の絶技を放つ。
その凄まじい過負荷により、ホリンの肉体は瞬時に一万キロカロリーを消費。過酷なる撃剣運動である。
これがもし実戦であれば、動けぬホリンはアイラに止めを刺されていただろう。例え折れた剣でも、動けぬ相手を仕留めるには十分すぎる凶器なのだ。
「……」
「……」
複雑な表情でホリンを見つめるアイラ。
そして、額に汗を浮かべつつ、少しだけ相好を崩すホリン。
亡国の剣姫は、異国の地で出会った“同郷”の剣士の姿を見つめ続けていた。
「あの、勝ち名乗りしてくれませんかね……?」
「……」
おずおずとそう申し出る審判を、アイラは全く顧みる事は無かった。