逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第17話『撹拌オイフェ』

 

 グラン暦778年

 フリージ城南方森林地帯

 

 解放戦争終盤。

 光の公子セリス率いる解放軍は、ドズル城制圧後フリージ城を攻略するべく軍勢を進める。

 だが、フリージ城へ至る道中。

 セリス達は、物見の報告によりユングヴィの弓騎士団、バイゲリッター出撃の報を受ける。

 

 このままでは、フリージの雷騎士団ゲルプリッターと挟撃される──

 

 動揺を見せる解放軍の主だった者達。

 だが、解放軍の総帥であるセリス、そして政略、軍略面で支えるオイフェとシャナン、更にセリスの個人的な軍師にして解放軍の軍監でもある風の賢者──レヴィンは、冷静にその報告を受けていた。

 

「オイフェ、シャナン、レヴィン。このまま全軍でバイゲリッターの迎撃に向かうのはどうだろうか」

 

 設営された大天幕。その中心で、青磁器のような透き通った声が響く。

 どこか幼さを感じさせつつも、解放軍の旗頭としての風格も備える甘いマスクの貴公子──セリス・バルドス・シアルフィが、そう自論を述べていた。

 世界を救う運命をも背負ったこの若き公子は、危急の事態を受けても慌てずに状況を分析しており。

 その堂に入った姿に、オイフェは愛した主君の忘れ形見の成長ぶりを感じる。

 思わず、目頭が熱くなった。

 

「同感だ。ゲルブリッターは装甲魔導兵主体の騎士団だ。我々がバイゲリッターを迎え撃っている間に攻め寄せる程の機動力は無い」

「シャナンの言う通りだな。それにしても、同じ聖戦士の家だというのに……あの馬鹿者共は……」

 

 セリスの意見に真っ先に同意する、イザークの王子シャナン。神剣バルムンクを持つ解放軍の主力を担う王族剣豪である。

 そして、フリージやユングヴィの者達へ毒づきながらシャナンに同調するのはレヴィン。

 かつての自由を愛し、暖かい光と風を運んだシレジアの王子の面影は今は無く。厳格な態度を常に保ち、セリスや解放軍の若者達を厳しく指導する解放軍の重鎮である。

 実の息子や娘すら顧みぬその厳しい態度は、余人を近づけさせぬ冷たい空気を放っており、まともに会話出来るのは解放軍の中ではセリス達のみであった。

 

「なら、一旦フリージ城への進軍は中断して──」

 

 シャナンとレヴィンの言葉を受け、即断を下すセリス。

 そのまま、全軍へ号令をかけようとした。

 

「お待ち下さい、セリス様」

 

 だが、解放軍の実質的な軍師であるオイフェが待ったをかける。

 

「オイフェ。他にどのような策があるというのだ」

「シャナン、ここはあえて軍勢を分けるのが上策だ」

「なんだと?」

 

 オイフェの進言に、セリス、シャナン、レヴィンは怪訝な表情を浮かべる。特に直接疑問を呈したシャナンは更に表情を険しくしており。

 各個撃破の機会をわざわざ棒に振り、敵軍の思惑通り軍勢を分ける愚を犯すオイフェの意図が掴めず、続きを促すように視線を向ける。

 その視線を受け、オイフェは献策を続けた。

 

「バイゲリッター、ゲルブリッター。なるほど、確かにグランベル有数の戦力を持つ騎士団です。しかし……」

 

 一呼吸を置くオイフェ。

 その表情は、冷徹に戦場を俯瞰する軍師の面貌であった。

 

「我々もまた、数多くの敵を屠ってきた選りすぐりの精兵です。軍勢を分けたところで、()()()()()()()()()()()物の数ではありません」

「それは……」

「そうかもしれないが……」

 

 セリスとシャナンは、ともすれば敵を過小評価するオイフェに渋い表情を向ける。

 ここに来て慢心ともいえる油断を見せるオイフェ。そう捉える二人に、オイフェは更に言葉を重ねる。

 

「軍勢を分ける理由は更にあります。全軍でバイゲリッターを迎え撃つのは確かに確実ですが、その間にバーハラに控えるヴァイスリッターが増援に来る可能性があります。フリージ城に籠もられては、攻略に時間がかかり……生贄として攫われた子供達の生命も危うい」

 

 そして、ユリア様の安否も……

 そこまで言い切ったオイフェ。セリスとシャナンははっとしたように表情を一変させる。

 

 解放軍に、時間の猶予はそもそも無い。

 時をかければかけるほど、ロプトの生贄として攫われた子供達、そして暗黒教団に拐かされたユリアが、どのような仕打ちを受けるかわからない。

 そして、暗黒神の復活の時も近い。

 解放戦争は、ただの反乱ではなく、この世界に光を取り戻す為の聖戦なのだ。悠長に時をかけて良い戦いではなかった。

 

 だが、この時のオイフェは子供達の心配以上に、その子供達を()()()()()()()()という風評が立つのを恐れ、フリージとユングヴィ両騎士団の早期殲滅を進言していた。

 それは、全てが終わった後に始まる、セリスの王道の為。戦後を見据えた、オイフェの冷徹な判断である。

 

「レヴィン様。私が見た所、ゲルブリッターはセティやホーク達だけでも十分に渡り合えると思いますが」

 

 ふと、オイフェは先程から腕を組み、黙して思考するレヴィンへ声をかける。

 レヴィンは重たい息を吐きつつオイフェへ応えた。

 

「……確かにな。風は(いかづち)を容易く打ち払う。ゲルブリッターはあれらだけで互角に渡り合えるだろう。あれはまだまだフォルセティを使いこなせていないが、ここで神器の潜在能力を最大限に解放する事ができれば……あれ一人で、フリージを攻略する事も可能だ」

 

 神器持ちによる単独での城塞攻略を仄めかすレヴィン。荒唐無稽ともいえる言い草だが、そもそも十二聖戦士が遺した神器は大量破壊兵器ともいえる戦略性を持っている。

 その中でも特に絶大な威力を発揮していたのは、風使いセティが遺した風魔法フォルセティ。その最大出力は、局地的な暴風域を発生せしめる事が可能であり、文字通り一騎当千の性能を誇っている。

 かつての聖戦士の一人、風使いセティと同じ名を抱く風の勇者。かの青年が、その潜在能力を十全に発揮する事ができれば、軍勢を分けたところで解放軍が敗れるはずがないのだ。

 もっとも、それを行うには術者に多大な負荷をかける必要があり、下手をすればセティの命と引き換えになる恐れもある。故に、フリージ攻略にはそれなりに戦力を割く必要もあるのだが。

 

「レヴィン……」

 

 レヴィンは実の息子であるセティの名を決して言おうとはしない。親子の情が一切感じられぬその言葉を聞いたセリスは、少しだけ哀しそうな表情を浮かべる。

 

 咳払いをひとつするオイフェ。

 やや重苦しい空気を払うように、かねてより策定していた部隊配置をセリスへ進言する。

 

「ではセリス様。セティらマギ団、リーフ様率いるレンスター解放軍、アルテナ様の航空騎兵部隊、アーサーの魔道士隊、アレスの傭兵隊、そしてセリス様の本隊はフリージ城へ。シャナン率いるイザーク抜刀隊、ヨハンら重戦士隊、そしてハンニバル将軍の装甲部隊はバイゲリッターの迎撃へ。ファバルやレスターの弓兵隊もシャナン達の支援に回します」

「……分かった。二人もそれでいいね?」

 

 的確な部隊配置を進言するオイフェに、セリスは介然と頷く。とはいえ、既に部隊がそのように動けるようオイフェが手配済なのもあり、内心舌を巻いていた。

 

 オイフェの真骨頂は、勝つ為の戦略、戦術を考案する事に非ず。大軍を手足のように操る、卓越した軍政手腕にある。

 兵站、編成、指揮統制。軍隊が行軍を開始する為に必要な計画策定を、オイフェは通常の倍以上のスピードで処理することが出来た。

 その桁外れな軍事官僚的才能は、リーフ軍の軍師アウグストをして「もしオイフェ殿がセリス様ではなくリーフ様に仕えていたら、我が軍はもう半年早くマンスター地方を解放していただろう」と評する程である。

 リーフ軍の兵站任務を担う自由都市ターラ前市長の娘、リノアン公女などはオイフェを「先生」と呼び崇拝する程で、曰く「トラキア戦以降、私達は一度も飢えたことが無い」と、特に兵糧調達能力を高く評価していた。

 それ程までに、オイフェは解放軍全軍にとって無くてはならない、実務的支柱となっていたのだ。

 

 セリスの言葉を受け、シャナンやレヴィンも鷹揚に頷く。

 

「よし。そうとなれば早速──」

 

 バルムンクの柄に手をかけ、麾下の剣士隊に号令をかけるべく立ち上がるシャナン。

 

 すると、天幕の入り口から活発な戦乙女の声が響いた。

 

 

「シャナン様! わたし達の出番ですね!」

 

 

 幕内へ元気良く乱入する一人の剣豪乙女。ずかずかと遠慮なしにシャナンの前へ歩くその乙女の名は、シャナンの従妹であり、イザーク──否、もはやユグドラル最強の剣士となりつつある、ラクチェだ。

 その業前は、バルムンク無しのシャナンでは、もはや必勝は期し難い程のものであり。

 あけすけな活発さを見せるラクチェの姿を見て、シャナンは嘆くようにこめかみに手を当て、レヴィンは重たいため息をつき、セリスとオイフェは苦笑いを浮かべていた。

 

「おいラクチェ! 勝手に入るんじゃ──!」

「ああもうこの猪武者女は! ご、ごめんなさい! セリス様!」

「軍議に乱入とか頭おかしいんじゃないのアンタは!」

 

 そのラクチェを追いかけるように慌てて天幕へ入る若者達。

 イザーク抜刀隊の精鋭であるロドルバン、ラドネイの兄妹。それと、リーフ軍から父共々イザーク抜刀隊に参加した、イザーク王家傍系の乙女であるマリータ。

 

「……申し訳ありません。妹が粗相を」

 

 最後に現れたのは、ラクチェの双子の兄であり、剣技において妹と双璧を成す剣豪青年、スカサハだ。

 そのようなスカサハ達を無視し、ラクチェは俄然気炎を上げる。

 

「シャナン様! わたし達が出るからには派手にやりましょう! バイゲリッターの連中を()()()してやるんです!」

「か、かく拌……?」

「ラクチェ、かく乱じゃないの?」

 

 威勢の良い猪突猛進乙女に、シャナンはツッコミが追いつかないかのように言葉を詰まらせる。

 思わず訂正の声を上げるセリスに、ラクチェは不敵な笑みを向けた。

 

「いいえセリス様! かく拌です! 刃物を使ってね!」

「そ、そうなんだ。すごいねラクチェは」

「そうなんです! すごいんですわたしは!」

 

 ふんす、と鼻息を荒くさせ、牙をむき出しにしながら可愛らしい……いや、獰猛な嗤いを見せる剣豪乙女。母の形見である勇者の剣を握りしめるその体躯から、純粋な戦意が滲み出ている。

 そして、ラクチェの言は確かな実力に裏打ちされた言葉でもあり。

 母であるアイラ、そして従兄であるシャナン……いや歴代イザーク王家──開祖である剣聖オードですら成し遂げ得なかった、流星の(つるぎ)の新たなる境地。

 

 秘剣“流星剣十段斬り”

 

 自身を発狂寸前まで追い込むことで達成されるこの絶技は、通常五回の斬撃を放つイザーク剣法奥義“流星剣”を、倍の十回の斬撃で行う、ラクチェが開眼した流星剣の究極進化形である。

 

 この十度の斬撃を最後まで受けて生き延びた人間はいない。

 シャナンやスカサハ、そして同じオードの系譜を抱くリーフ軍の切り込み隊長、ガルザスとマリータの親子ですら、木剣を用いた模擬戦でようやっと凌げるレベルだ。冷やかしでラクチェの稽古に参加したシャナンの偽者、シャナムなどは、一合打ち合っただけで瞬殺されている。

 故に、ラクチェの言う通り、敵陣をかき回し、文字通り撹拌せしめる事が可能であろう。

 

「ミンチよりひどいことにしてやりますよ!」

「そうなんだぁ……すごいねぇ……」

 

 光の公子はやや顔を引き攣らせ、剣豪乙女の現実味のある残酷無残な発言に若干引いていた。

 

「ラクチェ。刃物といってもたかが知れている。余り過信するな」

 

 そうラクチェを嗜めるスカサハ。

 父の形見である銀の大剣を背負いながら、いささか暴走気味に戦意を昂ぶらせる妹に渋い表情を浮かべていた。

 

 ラクチェと対を成すように卓越した剣技を見せるスカサハ。

 彼はイザーク剣法の奥義を、妹とは別の形で昇華していた。

 

 秘剣“真・月光剣”

 

 イザーク王家、そしてイザーク剣法の開祖である剣聖オード。

 かの剣聖の高弟に、後のソファラ領領主、リボー領領主となる二人の男がいた。

 二尺八寸(約85cm)の片刃剣を好んで使用するオードに、高弟達は九尺(約300cm)以上もある巨大な大剣にて稽古相手を務めていたという。

 オードが神速の斬撃を複数回放つ術理を得る為に、その稽古台となった二人の高弟。自然と、オードと相反するように、大剣による一撃必殺剣法の術理を会得していった。

 重装甲に守られた敵兵ですら一刀のもとに斬り捨てる、必殺にして決死の斬撃。

 それが、ソファラ一族とリボー一族に連綿と伝わる秘剣“月光剣”である。

 

 その月光剣を十全に使いこなし、かつてのシグルド軍の中核を担っていたのは、ラクチェとスカサハの父であり、ソファラ領領主の息子、ホリン。

 志半ばで斃れた大剣豪の遺志は、シャナンを通じてスカサハへとしっかりと受け継がれていた。

 古に繰り広げられた剣聖と高弟達との稽古と同じように、スカサハは大型木剣にてラクチェの稽古相手を務めている。それ故なのか、従兄を通じて託された亡父の絶技を、より強力な形で練り上げていたのだ。

 

 渋面を浮かべるスカサハに、ラクチェは変わらず元気いっぱいに応える。

 

「わかったわ!」

「わかってないだろ」

「わかってるわよ! 要は全員ぶった斬ればいいって事でしょう!」

「いやバサークでもキメてるのかお前は」

「あ、あの、スカサハもラクチェも程々に、ね?」

 

 砂漠に水を撒くかのようにスカサハの言が全く響いていないラクチェ。おずおずと仲裁をするセリスを余所に、双子の剣士は幾度も繰り返されたであろう兄妹げんかを演じていた。

 

「お前達というやつは……ううむ……」

 

 それを見て、シャナンは額に当てた手の力を強める。イザークの将来を担う若者達の、頼もしくも残念なその有様に、とうとう頭痛を覚えるにまで至ったシャナン。耐え切れぬといった風に、うめき声をひとつ上げる。

 だが、同じくラクチェ達の様子を見ていたオイフェは、くすりと忍び笑いを漏らした。

 

「何がおかしい」

 

 じっとりとした目でオイフェを睨むシャナン。

 オイフェは、何かを懐かしむように口を開いた。

 

「いや、なに。血は争えぬなと思ってな」

「……まあ、そうだな」

 

 眉をひそめながらも、同じ様にどこか昔を懐かしむように表情を和らげるシャナン。

 かつて見た、聖戦士達の親達の光景。

 

 スカサハとラクチェの両親、ホリンとアイラ。

 普段は冷静沈着であるアイラは、こと戦場ではその高ぶった戦意を剥き出しにし、無茶な戦術を取る事も多く。それを、ホリンが正論を持って注意する。

 だが、寡黙なホリンが反発するアイラを説き伏せるほど、流暢な説得が出来る事は稀であり、ついにはお互い剣の柄に手をかけるほど、一触即発の事態になるのはしばしばであった。

 それを、シグルドが慌てて仲裁に入る。嘆息しながらも、どこか柔らかい空気を放つシグルドに、ホリンとアイラは毒気を抜かれたように矛を収める。

 

 それと同じ光景が、オイフェとシャナンの前で繰り広げられていた。

 セリスが一生懸命双子の仲裁に入る様子が、亡父シグルドの姿と重なる。

 もっともアイラとは違い、ラクチェは日常から勇猛果敢猪突猛進馬耳東風ではあったが。

 

「……」

 

 昔を懐かしむように目を細めるオイフェ。

 そして、その様子をじっと見据える、風の賢者。

 

(オイフェ……お前は、やはり……)

 

 レヴィンは、オイフェの瞳の奥底に隠された亡き主君への粘ついた執心を見抜いていた。

 オイフェが想うセリスへの愛情は本物。しかし、それは、あくまでシグルドという存在があってこそのもの。

 シャナンは既にその想いから脱却し、ただ暗黒の世を払う為に正義の剣を振っていた。イザークの王子は、未来の為に剣を奮っているのだ。

 だがオイフェは。

 過去の為、そして燻り続ける怨みの為に、その智謀を奮っていた。

 

(……今は……それに、これからも……オイフェの力は必要だ)

 

 レヴィンはあえてこの(ひずみ)を正そうとせず、そのまま静観していた。

 今のオイフェをうかつに触ると、どのような変化を遂げるかわからない。

 ロプトを打倒し、セリスによるユグドラル大陸統治を大磐石の重きに導く為には、オイフェの卓越した政治力が必要なのだ。

 

(神竜王ナーガよ、聖竜ティルヴィングよ。このバルドの系譜を継ぐ、哀れな男が全ての役割を終えた時……願わくば、その魂を救いたまえ……)

 

 瞑目しながら、レヴィンはそう想う。

 レヴィン──いや、風竜フォルセティの魂を宿した契約者は、妄執に囚われた人間の魂の救済を、静かに願っていた。

 

 

「『たかが知れている』けど『派手に』ですと……」

「うん……頑張ろう……」

「バサーク……暗黒の剣……うっ、頭が……!」

 

 天幕内では、剣豪兄妹に付き合わされるロドルバンとラドネイ兄妹、そしてマリータの悲痛な呟きが響いていた。

 

 

 

 


 

「というわけで闘技場に行きましょう、アイラ殿」

「何がというわけなのだ……」

 

 グラン暦757年

 エバンス城

 

 シグルドとディアドラの婚礼から一ヶ月が経過していた。

 この間、シグルドはオイフェの助けも借り、滞りなくヴェルダンを治めている。

 属国と成ったヴェルダン王国も、総督であるシグルドには歯向かう姿勢も無く、粛々とその統治を受け入れていた。ヴェルダンの民衆も苛税に苦しめられることもなく、日々の生産活動を精力的に行っている。

 特にオイフェが考案した減税政策が多いに反映された施政により、民衆──特に商家には大幅な軽減税率が施されており、直接戦災被害にあった地域住民には一年間の免税を施すなど破格の対応を受けている。

 結果として、領内の余剰の富がインフラ等の各種開発投資に回されており、シグルドの善政に応えるのもあってか、ヴェルダンの国内総生産は戦前に比べ二割以上の伸びを見せている。

 ヴェルダン領は、短期間で驚くほど豊かな景況を見せていたのだ。

 

 もっとも、グランベル本国は属州総督領へ容赦なく徴税を課しているのだが、これに関してはオイフェが画策した()()()商業活動にて、その資金を十分に賄っていた。

 

「エバンス城下の闘技場に()()()剣士が来ているとの情報を得ましたので」

 

 エバンス城の中庭で、甥であるシャナンに剣の稽古をつけていたアイラ。そこに、澄し顔でそう話すのは、紅顔の美少年軍師オイフェ。

 ちょうど稽古が一段落したのを見計らって声をかけており、アイラは汗でしっとりと濡れた身体を手ぬぐいで拭いながらオイフェの話を聞いていた。

 

「アイラ、闘技場へ行くの?」

「いや、私は……」

「行くなら僕も連れてってよ! アイラが闘技場で戦うの、僕も見たい!」

「いや、まだ行くとは……」

 

 稽古の疲れはなんのその、元気いっぱいな様子を見せるシャナン。

 幼く無垢な甥っ子の視線を受け、アイラは困ったように美しい顔を歪めていた。

 

「アイラ殿。これはアイラ殿の為でもあるんですよ」

「どういう事だ?」

 

 オイフェにそう言われ、怪訝な表情を浮かべるアイラ。

 美少年軍師はつらつらと言葉を続ける。

 

「率直に聞きますが、アイラ殿はイザークから落ち延びてから、ご自身の稽古が出来ていますか?」

「……シャナンの稽古が優先だから、出来ていないのは確かだ」

「なら、たまにはご自分の為に剣技を磨いてみませんか? という話です。正直、アイラ殿のお相手を出来る方は、今のシグルド様の麾下にはいませんので」

「む……」

 

 考え込むように顎に手を当てるアイラ。

 言葉には出さないが、確かに現在のシグルド軍の中でアイラと一対一で戦える近接兵科の人間は皆無であるのを認識していた。

 剣士に対し優位に立てる、優れた槍騎士であるはずのキュアンですら、「ゲイボルグがあったら相手してやらんでもない」と堂々と言い放つレベルであり。この情けない夫の発言を聞いた妻のエスリンは、厳重に保管している自身の行李、それもやたら長い行李をチラチラと見ながら、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていたという。

 また、武勲一番のレックスならば、勝てぬまでもアイラの剣戟を受け止められる可能性はあった。

 だが、彼はいい男(エリート)だ。

 別の意味で受け止めかねないし、そもそもアイラは女である。色んな意味で受け止めてもらえないだろう。

 

 かくして、シグルド軍に参加してからも、アイラはシャナンの稽古をつけるだけで自身の稽古は全く捗らず。

 己の成長に歯止めがかかっている現状を、日々忸怩たる思いで過ごしていたのだ。

 

「……なら、行く」

「はい。じゃあ、早速行きましょう。シャナンも一緒にね」

「アイラ! がんばろうね!」

 

 渋々、といった体で頷くアイラ。

 敬愛する伯母のアイラの活躍を見れると思ったシャナンは、嬉しそうに目を輝かせていた。

 

「……優れた剣士、か」

 

 そしてアイラ自身も、燻っていた己の戦意が思う存分発散出来るとやる気を滲ませており。

 オイフェのお眼鏡にかなう剣士の実力とやらは、一体どれ程のものなのかと、内なる闘志を静かに燃やしていた。

 

(……まず、一人)

 

 それを、どこか冷たい瞳で見つめるオイフェ。

 内なる怨恨を幽闇に燻ぶらせ、二度目となるこの世界を撹拌するべく。

 その手段である大剣豪を、確実に獲得すべく策動していた。

 

 

 

 

 

 

 




※十二の古代竜族の一人である聖竜さんの名前は適当です。名前がはっきりしているのはナーガのおやびんとミストルティンの兄貴とサラマンドの兄貴とフォルセティの兄貴くらいなので……。だいたい神器の名前と一緒だとは思いますが、もし判明している場合はご一報いただきたく存じます。

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