逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第12話『悶絶オイフェ』

 

 ああ、生まれた。

 無事に、お生まれになった。

 

 ディアドラが産気づき、慌ただしい城内。

 控えの間にてそわそわと落ち着きのないシグルドと共に、オイフェは聞こえてきた赤子の泣き声を聞き、嬉しさ、そして懐かしさが沸き起こる。

 

「ディアドラ!」

「シグルド、様……」

 

 赤子の声を聞き、シグルドは勢い良くディアドラの産室へと入る。

 オイフェもまたシグルドの後に続くと、おくるみに包まれた赤子を抱えるディアドラ、そして寄り添うようにディアドラと赤子を抱えるシグルドの姿があった。

 

「オイフェ、見てくれ。私達の子供だ」

「はい……!」

 

 ほわあ、ほわあと産声を上げ続ける赤子の顔を、オイフェは涙を堪えながら覗き込む。

 わずかにだが、父親の髪色と同じ薄い青色の産毛が見えた。

 

「ああ……」

 

 万感の思いがオイフェの胸の内に沸き起こる。

 ティルナノグへ落ち延びたあの日。

 幼いセリスを抱え、辛い日々を過ごしたあの頃。

 解放戦争を戦い抜いた、あの激動の日々。

 

「セリス様……」

 

 一筋の涙をこぼしながら、オイフェはかつて至上の忠誠を近った光の公子の名を呼んでいた。

 再会できた、最愛の主君の忘れ形見。

 此度は、決してそのような──

 

 

「セリス? 何を言っているんだオイフェ」

 

 

「え──?」

 

 抑揚の無い、シグルドの声が響く。

 見ると、シグルドは能面の如き無表情を浮かべていた。

 突然のこのシグルドの変わりぶりに、オイフェは戸惑いを露わにする。

 

「そうよオイフェ。この子はセリスなんて名前じゃないわ」

「ディ、ディアドラ様……?」

 

 ディアドラも、不気味なほど曖昧な表情を浮かべてそう応える。

 悍ましいまでの怖気が、シグルドとディアドラから発せられていた。

 

「……ッ!?」

 

 いや、怖気の発生源は二人からではなかった。

 おくるみに包まれた赤子。

 その赤子から、可視化出来るほどの暗黒の気が、オイフェの身体を包むように発せられていた。

 

「この子の名は、セリスではない」

「シ、シグルド様……?」

 

 暗闇に包まれたオイフェ。聞こえるシグルドの声が、徐々に変質していく。

 薄く見えるシグルドの姿が、徐々に変化していく。

 

「この子の名は……」

「あ……あ……」

 

 オイフェは得体のしれぬ恐怖に包まれ、慄くことしか出来ない。

 いやだ、見たくない。そのような未来は、あってはならない。

 口には出せぬ、慟哭めいた叫びが、オイフェの五体を引き裂く。

 憎しみが、少年の身を焦がしていく。

 赤子から発せられた暗闇が、オイフェの心まで黒く染めていく。

 

 そして──

 

 

「ユリウスだよ、オイフェ」

 

 

 赤い赤子を抱えた、赤い怨敵が、嗤っていた。

 

 

 

 

「──ッッ!!」

 

 窓枠から朝日がくさびのように差し込んでくる。

 その光を受けつつ、オイフェは寝台の上で跳ね上がるように身を起こした。

 

「はっ……はっ……!」

 

 全身を汗でぐっしょりと濡らし、荒い息を吐くオイフェ。

 信じたくはない、まさしく悪夢の光景を目の当たりにした少年の表情は、常の状態とはかけ離れた、青く、白い悪相に変質している。

 オイフェはぶるりと身を震わせると、己の肩を抱くように身を縮ませた。

 

(なんて……なんてひどい夢だ……)

 

 最悪の目覚め。

 よりにもよって、一番あってはならない未来の光景。

 それをまざまざと見せつけられたオイフェは、恐怖、増悪、悲哀の感情が混ざり合い、嗚咽を噛み殺すようにベッドの上で蹲っていた。

 

「オイフェ、大丈夫か?」

「あ……アレク殿……」

 

 しばらく蹲っていたオイフェだったが、ふと顔を上げると自身を心配そうに覗き込むアレクの姿があった。

 

「なかなか起きてこないからさ。随分うなされてたみたいだけど、具合でも悪いのか?」

「い、いえ……大丈夫です。ちょっと、怖い夢を見て……」

「そっか。でも、今日はシグルド様とディアドラ様のご婚礼の日だから、その顔色のままじゃまずいと思うぞ」

「はい……」

 

 言われるまでもなくひどい顔色なのは自覚している。

 そう思ったオイフェは、ひとまず顔を洗おうと洗面台の方へ身体を向けた。

 

「うわ、汗凄いな。オイフェ、ちょっとバンザイしろバンザイ」

「え? あ、はい」

 

 そう言われたオイフェは、寝台の上で両腕を上げる。寝起きでやや不明瞭な意識だったからか、オイフェはアレクの言われるがままに真っ直ぐ両腕を伸ばしていた。

 

「うりゃ!」

「わぁっ!?」

 

 すると、アレクはオイフェの濡れた汗衣を勢いよく剥ぎ取る。

 一瞬にして上半身を裸に剥かれたオイフェ。

 しっとりと汗に濡れた少年の上半身は、未だ咲ききらぬ未成熟な性を感じさせており。

 伝う汗が桜色の突起を濡らし、その幼い色香を得も言われぬ官能にまで昇華させていた。

 

「んじゃ、拭いていくぞ」

「ア、アレク殿! 自分で出来ますから!」

「いいからいいから。先輩に任せておけって」

 

 戸惑うオイフェに構わず、アレクは手にした手ぬぐいでオイフェの身体を丁寧に拭いていく。

 脱がした時は乱暴であったが、オイフェの身体を拭うアレクの手付きは、壊れやすい陶磁器を磨くかのように繊細なものであった。

 

「あっ……アレク殿……んっ……自分で、やりますからぁ……!」

 

 正面から己の上半身へ手を這わせるアレクに、オイフェは顔を赤らめながら身悶えする。

 脇の下や首筋に感じる刺激に、少年は思わず悩ましげな吐息を吐く。

 

「いいからいいから……しかし、オイフェはキレーな肌しているなぁ。まるで女の子みたいだ」

「そ、そんなこと……んんぅ!」

 

 ちょうどへその辺りを撫でられたオイフェ。可憐な少年の口から発せられる耽美な呻きを聞いても、アレクは淡々とオイフェの身体を拭い続けていた。

 

(なるほど、女性の扱いに慣れたアレク殿だからこそ、このような手さばきが出来るのか)

 

 などとどこか明後日の方向に思考を巡らすオイフェ。

 だが、流石にこれ以上はいけないと、オイフェはアレクの手を払おうとした。

 

「うし。んじゃ、今度は背中だな」

「わっ!?」

 

 と思った矢先、アレクはオイフェの肩を掴むと、くるりと背中を向けさせる。

 

「背中も綺麗だなぁ……ほんと、俺が十四歳だった頃とは大違いだぜ」

「ん、んぅ……!」

 

 アレクはしっかりとオイフェの肩を掴みながら、空いた片方の手で優しく汗を拭う。

 傷一つない、白磁器のような背中を丁寧に拭う。

 布が身体に当たる度に、オイフェは背筋から伝わる妙に生々しい快感に悶え続けていた。

 

 

「こんなに綺麗な身体なのに、あんな風に人を殺せるんだな」

 

 

 瞬間。

 アレクは、それまでの優しげな空気を一変させ、何かを咎めるような冷然とした声を上げた。

 

「ア、アレク殿……?」

 

 オイフェは豹変したアレクに僅かに慄く。恐る恐る後ろを振り返ると、厳しい視線を向けてくるシアルフィの若き騎士の姿があった。

 

「オイフェ。お前は、一体何を隠している?」

「え……」

 

 オイフェの身体を拭う手を止め、アレクは真っ直ぐにオイフェの瞳を見つめる。

 困惑したオイフェの表情に、ますます疑念の眼差しを向けていた。

 

「あのヴェルダンの残党を殺った時は、火事場の馬鹿力でも働いたのかと思ったけどよ……ここ最近のお前さんは、妙な所ばかりだ」

「……」

「シグルド様の総督就任も強引すぎるぜ。なんでわざわざ古い法律を持ち出してまでシグルド様を総督にしたんだ?」

「それは……」

「あと、ここ最近ジェノアの廻船問屋を通じてミレトスの商人連中とよく会っているそうだな。一体何を話合っている?」

「……」

「まだあるぞ。お前、エバンスの闘技場の元締めにも会っていたな。なぜそんな事をするんだ?」

「……」

「なぜ、俺達に何も言わないんだ?」

 

 オイフェ、お前は、一体何を企んでいる?

 そう言われ、オイフェはアレクから顔をそむけ、 泣きたくなるような気持ちに囚われる。

 

 やましいことをしているつもりは毛頭ない。

 ただ、巻き込みたくないだけ。

 いずれは知る事になるが、今の彼らに背負わせるべき重さではない。

 これは、私が、私だけが行える、絶対の使命なのだ。

 

 そう叫び出したいのを、ぐっと堪えるオイフェ。

 敬愛するアレクに、どこかのタイミングでこのような疑念をぶつけられる事も覚悟していたオイフェ。だが、いざ正面から追求されるのは、少々少年の心には堪える。

 用意していたあれこれの申し開きも、尊敬するシアルフィ騎士の先輩の瞳を見ると、どこかへ霧散していくのを感じた。

 

「……いずれ、詳しくお話します」

「オイフェ、あのな」

「ですが!」

 

 尚も咎めようとするアレクを制し、オイフェは顔を上げると真っ直ぐにアレクの瞳へ視線を向けた。

 

「私は、シグルド様を裏切るような真似は、決してしません」

「……」

「ただ、シグルド様と、ディアドラ様が幸せに暮らせるように……そう、したいだけなんです。それだけは、本当です……!」

「……」

 

 再び俯き、ぎゅっと寝台のシーツを握りしめるオイフェ。

 それを見たアレクはしばし沈黙をするも、やがて深いため息をひとつ吐いた。

 

「オイフェ。お前は、ちょっと俺を……俺達を見くびっているぜ」

「え?」

 

 顔を上げるオイフェ。

 そこには、いつもの愛敬のある笑みを浮かべたアレクの表情があった。

 

「あのなオイフェ。お前がシグルド様に忠誠を誓っているように、俺もシグルド様に忠義を誓っているんだ。ノイッシュやアーダンもそう。言っておくけど、俺らはシグルド様がこーんなちっこい頃から一緒にいたんだぜ?」

「アレク殿……」

 

 小さく指を丸めるアレクを見て、それじゃ小人じゃないですか……というつっこみを思わずしてしまうオイフェ。

 それを受け、アレクはオイフェの頭をぐりぐりと乱暴に撫で付けた。

 

「だからさ。お前がコソコソ何をしているのかは気になるけど、全部シグルド様の為にやっているのは十分理解(わか)っているんだ」

「アレク殿……」

「ちょっと厳しい言い方をしたけどよ……ああ、なんていうか、ぶっちゃけるとさ。一人で全部抱え込もうとするんじゃないって、言いたかったんだ」

「……ごめん、なさい」

 

 頭に感じるアレクの暖かい温度を感じ、オイフェは双眸に涙を溜める。

 結局の所、アレク殿の優しさに甘えてしまった。

 そう自責の念に囚われると共に、オイフェは決して一人で戦っているわけではないと痛感しており。

 様々な感情が溢れ、瞳に涙を溜めるオイフェを見て、アレクはその柔らかい髪をゆっくりと撫でていた。

 

「結局知りたいことはわからなかったけど……まあ、お前が本当にシグルド様を想っているのはわかったよ」

「ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいさ。でも、近い内に必ず話してくれよな? お前の目的をさ」

「はい……わかりました……」

 

 そう言い残し、アレクはオイフェの寝室を後にした。

 その後姿を、オイフェは申し訳無さそうな表情で見つめていた。

 

(ああ、アレク殿には敵わないな……)

 

 上手くやっているようにはしていた。

 だが、残された時は少ない。

 しかるべき日には、シグルドの前に千軍万馬の将兵を揃えなくてはならぬ。

 だが、なりふり構わぬ所業を見留めないほど、アレク達は愚かではなかった。

 

「いずれ、お話します……その時は、力を貸してください……」

 

 ベッドの上で頭を下げながら、少年は一人そう呟いていた。

 

 

 

 

 


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