逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第二章
第11話『脱法オイフェ』


  

「やれやれ、終わったら終わったで大変だ」

 

 グラン暦757年

 エバンス城

 政務室

 

 シグルドによるウェルダン征伐から一ヶ月の時が経過していた。

 シアルフィより派遣された官僚団の一人、パルマーク司祭はぼやきつつ、ヴェルダン征伐の戦後処理をこの政務室でこなしている。

 他の官吏達が忙しなく書類と戦う中、パルマークもまた占領統治を軍政から間接支配へと移行する手続きをオイフェの指示により行っていた。

 

 元々、パルマークはエッダ教団の聖職者であり、本来の役目はシアルフィにおけるエッダ教の教役が主である。

 十年前、司祭に叙階されたばかりのパルマークは、気合十分でその教義を伝えるべくシアルフィへ赴いている。

 熱心に教役活動を行うパルマークであったが、高い見識を持つパルマークは政務に関しても度々助言を請われるようになり、気がつけば聖典より法典を持つ事の方が多くなっていた。

 

 更に、当主バイロンに請われ、数年前からシグルドの指導役にも就いている。

 シアルフィの内政に参画する傍ら、士官学校を卒業したシグルドへ、為政者とは何たるかをつきっきりで指導する日々。

 その内両親を早くに亡くし、養育をしていたスサール卿の死去と共にシアルフィへ移り住んで来たオイフェも、パルマークの“授業”に加わるようになる。

 

「しかし、オイフェはどこでこのような知識……いや、やり口を身に着けていたのやら……」

 

 パルマークはオイフェの政務指示をこなしつつ、その辣腕ぶりに舌を巻いていた。

 確かに、シグルドへの指導に参加するようになったオイフェは、明らかに政務能力でシグルドよりも抜きん出た才能を見せていた。

 元々スサール卿に十分“仕込まれて”いたのか、ともするとパルマークが教えを受ける瞬間もあり。

 だが、ヴェルダン征伐が始まってからのオイフェは、とてもではないが自身が知るオイフェとは思えないほどの働きを見せていた。

 

「まるで老練な政治家……違うな。老獪な謀略家だ。よくまあ、このような手段を思いつく」

 

 ちらりと、パルマークは政務室にかけられたヴェルダンの地図を見る。

 そこにはシグルドが治める領地が記されており、その領地はこのエバンス領に加えジェノア領沿岸部の一部に及んでいる。

 残りのヴェルダン領は、唯一残されたジャムカ王子が継承していた。

 そして、ジャムカが継承したヴェルダン王国は、グランベルの保護国として記されていた。つまるところ、傀儡国家としてグランベルに従属する形である。

 

 形式上はグランベルの保護国として扱われているヴェルダン。しかし、その内情はシグルドによる直接支配が成されている。

 他国から見ればそれほど違いは無いのかもしれないが、シグルドが与えられた権限はグランベル王国を構成する各公爵家と遜色ない、事実上の“シグルドによる半独立国家”という形となっていた。

 

 その段取りを実質一人で整えたのは、まだ幼さの抜けきらない少年、オイフェだ。

 

「誰もが忘れ、形骸化した法律を持ち出してまでシグルド様にヴェルダンを治めさせるとは……いや、強引すぎるが、確かに、宰相殿も文句は言えまい……」

 

 オイフェが取ったシグルドのヴェルダンの実効支配。

 それは、かつてグランベル王国がグラン共和国と名乗っていた頃に施行されていた、古い法律を持ち出して成し遂げられていた。

 

 


 

 王都バーハラ

 バーハラ宮殿

 

 王宮で与えられた執務室で、フリージ公爵でありグランベル王国宰相レプトールは、ここ数日で起こった王宮内での出来事に不機嫌さを隠せぬといった様子を見せていた。

 王都の熟練の職人が精魂込めて拵えた腕置き付きの椅子に深く腰をかけつつ、右目にかけたモノクル(片眼鏡)越しにギロリと目を剥き、届けられた報告書に目を通している。

 

「その、父上。やはり法務官のフィラート卿の見解では、シグルド公子が()()()()()()()に任じられるのは法的に見ても至極真っ当とのことでして……」

「……」

 

 レプトールの前でそう所在無さげな表情で述べるのは、レプトールの長子ブルーム。レプトールは息子の表情を見てますます顔を顰めていた。

 ブルームは先のイザーク征伐における増援軍第二陣の指揮官として、フリージ公国騎士団“雷騎士団ゲルプリッター”を率いる身である。

 出征前、アズムール王に謁見すべく参内したブルーム。そこで、この政局にも立ち会ってしまっていたのだ。

 

 ちなみに、増援第一陣はドズル公国騎士団が担っており、当主ランゴバルド自ら嫡子ダナンと共に“斧騎士団グラオリッター”を直率するという気合の入れようを見せている。

 既にイザークにて滞陣しているグランベル王国王太子クルト王子が率いる“神聖騎士団ヴァイスリッター”、シアルフィ公爵バイロン率いるシアルフィ公国騎士団“聖騎士団グリューンリッター”、そして軍監としてクルト王子に随行するユングヴィ公爵リングと合流している頃だろう。

 ユングヴィ騎士団“弓騎士団バイゲリッター”は、リングの長男、エーディン公女の弟であるアンドレイ公子が率いており、イード砂漠北方フィノーラ方面のイザーク軍を掃討すべく展開していた。

 

 更に余談ではあるが、クルト王子が率いるヴァイスリッターは、元々はバーハラ王家の近衛として編成された騎士団であった。だが、現在その役割はヴェルトマー公国騎士団“炎騎士団ロートリッター”が担っている。

 これにはクルト王子が抱える個人的な負い目が非常に作用しており、王宮内でのクルト王子の立場をやや悪化させる原因となっている。

 

 若きヴェルトマー公爵アルヴィスへの公正さに欠ける程の忖度。公爵身分にもり立て、王宮内での便宜を図るまでは良い。だが、ヴァイスリッターを外征専門の即応部隊に改編させてまでヴェルトマーに近衛の役割を担わせるのは、流石に“王子の暴走”といっても差し支えなく。

 宰相レプトールを始め、王宮内の貴族達はこぞって不公平な政治的忖度を行うクルト王子を批判する。

 もちろん、レプトールはおおよその事情を理解していたのだが、同じく事情を理解し、王子の擁護に回ったバイロン、リングらとは違い批判の急先鋒に立っている。

 これは、レプトールの野心を考えれば当然の行動ともいえた。

 

「あの……」

「……」

 

 無言で顔を顰め続けるレプトールに、恐縮しきった態度を見せるブルーム。

 十二聖戦士が一人、魔法騎士トードの直系であり、神器“雷魔法トールハンマー”の継承資格を持つブルーム。しかし、元来は心根の優しい青年であり、政争、ましてや暴力には向いていない性格を持っていた。

 それが、ヴェルトマーより迎えた妻……ヒルダにより、その性格は殺伐としたものへと矯正されている。特にブルームの息子イシュトー、そして娘のイシュタルを産んでから、ヒルダはますますフリージ家で強権を振りかざし、夫を大いに尻に敷きながら自身の思うがままに作り変えていた。

 

 家長であるレプトールは“腑抜けた息子にはいい薬だ”と半ば黙認していたが、流石にここ最近のヒルダには目が余り、先日バーハラに呼び出し厳しく叱責している。

 そろそろ還暦を迎えようとしていたレプトールであったが、現役の聖戦士でもあるレプトールの怒気は、それこそ雷神が起こす百雷にも等しき怒りであり。文字通り雷を落とされたヒルダは、半泣きになりながら養父に許しを乞いフリージへと戻っていった。

 ちなみにヒルダが叱責される様子を、バーハラ経由でエッダへ外遊しに出向いていたレプトールの次女ティルテュも目撃しており、雷神の怒りを肌で感じつつ、戦々恐々とエッダへと向かっていった。

 

 しかし、ヒルダを厳しく叱責したのがまずかったのか、ヒルダが大人しくしたのと比例するかのように、ブルームの覇気もまた以前のそれへと戻りつつあった。

 

「しかし、“属州総督”とは……なかなか時代錯誤な制度ですね」

「陛下の御裁可も下りているのだ。迂闊な発言は慎め」

「は、はい……」

 

 難しい表情でそう述べるレプトールに、ブルームは恐る恐る相槌を打つ。

 “属州総督”という言葉を聞いた瞬間、父の眉間にシワが寄るのを目撃してしまい、更に表情を暗くさせていた。

 

(流石はスサール翁の孫、といったところか……)

 

 不機嫌な表情とは裏腹に、レプトールはやや感心したようにそう思考する。

 この属州総督にシグルドが任じられた一件。これを仕組んだのは、わずか十四歳の少年。

 アズムール王へヴェルダン戦の軍状報告を奏上すべく、宮中へ参内したシグルドと共にバーハラへ訪れたあの少年の姿を見て、レプトールは恩師の面影を僅かに見出しており。

 シグルドの奏上文の作成、そして宮中への根回しは、スサールの名を前面に押し出してあの少年……オイフェが画策していた。

 あまつさえ、埃を被っていた古い法制度を持ち出してくるとは。

 レプトールはしてやられた、という感情より、その手腕を素直に称賛する気持ちの方が強い事を自覚し、眉間に皺を寄せながら口角を引き攣らせていた。

 

 グラン暦447年

 十二魔将の乱により、それまでユグドラル大陸を支配していたグラン共和国が滅亡する。それから約二百年近く、大陸はロプト帝国による暗黒の支配が続いた。

 その後、“ダーナ砦の奇跡”が起こり、十二聖戦士が誕生。ロプトの支配に終止符を打つ。

 十二聖戦士達は各地に散り、それぞれの国を興したのがグラン暦649年、今より百年ほど前の時代である。

 

 戦後、各地で国を興した聖戦士達は、国家の基幹ともいえる各種法律を、そのままグラン共和国の物を踏襲する形で制定している。

 これは士官学校時代、グラン共和国の政体を研究していたレプトールもさもありなん、と納得する形であり。グラン共和国は、今の専制君主制とは違い共和制が敷かれていた政体であったが、その法治は実に機能的で無駄のない、ある種の理想の支配体制であったからだ。

 元老院による執政官、つまり首班の公選制度は、血族による世襲制度という絶対王政に改変されていたものの、それ以外の外政、民政、軍政はグラン共和国当時のままといっても差し支えないほどであり。

 グランベル士官学校などはまさに共和国時代から続いている制度の代表で、グランベル王国、並びに子弟を留学させた各国の軍事力を底上げする制度となって今日まで続けれられている。

 

 さて、そのグラン共和国の法制度の中に“属州総督”というものがあり。

 グラン共和国は今のグランベル王国で興った国であるが、度重なる外征により土着の豪族らを平定、ユグドラル大陸全土の支配を確立している。

 その過程で、支配地域の運営を効率よく行う為に成立されたのが、この属州総督制度だ。

 

 制度の要約をすると、外征を行い占領した属州の軍事的緊張が高い場合、その外征を行った軍団、及び指揮官がそのまま属州の総督となり、“属州における課税、財政運営”、“属州における司法”、“属州における軍事統括”を行うと定められた制度であった。

 これは軍事的緊張が解かれるまで続くと定められており、言い換えれば隣国との緊張が続く限り永遠に属国の支配を委ねられることとなる。もちろん、総督は一代限りの任命とされていたが、後継者指名は総督の意見も多大に反映される仕組みとなっている。

 

 グランベル王国が興った当時、初代国王である聖者ヘイムはこの制度もグランベル王国の法典に組み入れていた。

 ヘイム自身、この制度を使う事は無いと思っていたのかもしれない。だが、ロプト帝国滅亡後の混乱期でもあった王国勃興期は、とにかく節操なく共和国の法律を踏襲していた節が見受けられ。事実、それで上手くいっていたのもあり、この属州総督制はそのまま法改正することなく残っていた。

 

 オイフェはこの法律に目をつけた。

 まず、前提条件である“軍事的緊張”。隣国アグストリアはその内実はともかく、表面上はグランベルとの軍事同盟が続いており、些か条件付けとしては厳しいものがある。

 だが、ヴェルダン本領とノディオン王国の境にある山間部に、ヴェルダン降伏を不服とした豪族集団が潜伏をしているのを、オイフェはことさら過大な脅威として本国役人、及びバーハラへ喧伝した。

 実際はキュアンとエルトシャンにより壊滅状態となっていたが、一部残党は未だ山間部に潜伏している。

 オイフェはその残党豪族をあえて“生殺し”にするよう、キュアンとエルトシャンへ征討を中断させていた。

 

 前提条件をクリアしたこと。そしてなにより、オイフェの巧みな弁舌により、アズムール王はシグルドの総督就任を裁可していたのだ。

 

「ヴェルダンの件はそれほど問題は無い。今更シアルフィの若僧がヴェルダンの蛮地を手にしたところで大勢に影響は無い」

「……」

 

 余人が聞けばやや首をかしげるような物言いをするレプトール。ブルームはそれを聞き、表情をこわばらせていた。

 

「万事滞りなくやるように。もう征け」

「はい。では父上。行ってまいります」

「うむ……武運を祈る」

「は、はい……」

 

 含みのある言い方で息子を見送るレプトール。

 件の陰謀の一端を背負わされたブルームは、緊張した面持ちで執務室を後にした。

 

「……あれでは先が思いやられるな」

 

 ブルームが退室した後、レプトールはため息と共に憂鬱とした感情を吐露する。

 自身の野望を果たさんべく、ランゴバルト、そしてアルヴィスと共謀した国家転覆。一世一代の大勝負の尖兵に、良く言えば善人、悪く言えば小心者の息子に担わせたのは、やや荷が重かったかと思考する。あの様子では何かに付けて敏いリングあたりに勘付かれるのではないかとも。

 鬼嫁(ヒルダ)に活を入れられなければ、ブルームは腹芸のひとつも出来ぬか。

 

「まあよい。いざとなればグスタフやムハマドが上手く支えるだろう……」

 

 とはいえ、レプトールはブルームの補佐に腹心の将軍達を付けている。

 ある意味、フリージ家の命運がかかっているのだ。出し惜しみするつもりはレプトールにはない。

 

「それに、シアルフィの若僧が総督になったとはいえ、徴税率はこちらで決められる。せいぜい毟り取ってしかるべき時には骨抜きになっているようにすれば良いのだ……」

 

 不敵な笑みを浮かべながらそう呟くレプトール。

 事実、属州の統治は総督に一任されているとはいえ、本国へ献上すべき租税率は宰相に決裁権がある。属州運営が困難になる程搾り取れば、シアルフィの連中がレプトールの野望を阻む程の力を持つことはありえないのだ。

 

「せいぜい我らの肥やしになってもらうとするか……」

 

 陰謀渦巻く王宮内にて、レプトールは一国の王となるべくその野心を燃やしていた。

 

 

 


 

(なんて思っている頃かもしれないな)

 

 エバンス城郊外。

 バーハラから帰還したシグルドとオイフェ。愛しのディアドラが待つ城内へまっすぐ向かったシグルドとは違い、オイフェはゆっくりと城内へ歩を進めていた。

 宰相レプトールを始め国家転覆を策謀する連中が苛税を強いてくるのは、この少年軍師にとって想定内であり。その対抗策についても既に準備段階に入っている。

 あとは、それをどのような段取り、そしてどのような交渉で成し遂げるか、オイフェはつらつらと思考しながらシグルドの後に続いていた。

 

(まあ、一番の難関だったシグルド様の説得に比べたらなんてことはない)

 

 歩きながら、オイフェはシグルドがこの総督就任案に猛然と反対をしていた事を思い出していた。

 曰く、ただでさえ王国聖騎士に叙勲されただけでも過分と思っていたのに、それ以上の権力を望むような事はしたくない。加えて、これ以上本国との軋轢を生むのも望んではいないとも。

 シグルドがこのような清廉な人物であるのは百も承知なオイフェは、ヴェルダンの民がシグルドの総督就任を望んでいると、民衆へ忖度した物言いでシグルドの逃げ道を塞ぐように説得をしている。

 また、シアルフィより派遣されたパルマーク司祭も総督就任を強く推したのもあり、シグルドは渋々とではあるがオイフェを伴い王宮へと向かっていた。

 

 

「おかえりなさいませ、シグルド様」

「ディアドラ!」

 

 城内へ入ると、ディアドラが微笑を浮かべてシグルドを出迎えていた。

 シグルドはディアドラの姿を見留めると、直ぐに駆け寄りそのすらりとした可憐な身体を抱きしめていた。

 

「あの、シグルド様……その、皆が見てますから……」

「あ、す、すまない……」

 

 シグルドの腕の中で、やや顔を赤らめモジモジと身を捩らせながらやんわりと嗜めるディアドラ。

 シグルドもまた頬を染めながら慌てて身体を離す。

 周囲は生暖かい目で二人を見つめていた。

 

「ふふ……シグルド様ったら、見てるこっちが恥ずかしくなるような事ばかりするのね」

「正直眼福です」

「まあ。オイフェったら随分とおませさんなのね」

 

 オイフェの隣ではユングヴィ公女エーディンが穏やかな様子でシグルド達を見つめている。

 おませな発言をするオイフェを嗜めつつも、幼馴染であるシグルドが幸せそうな様子を見て、羨望と安堵が混ざったような表情を浮かべていた。

 

「その、エーディン様。お疲れの所申し訳ありませんが、またワープとリターンを使っていただけないでしょうか?」

 

 ふと、オイフェはエバンスとバーハラ間の移動に大貢献したエーディンへ、再び件の長距離移動魔術の使用を依頼する。

 リターンの杖は元々エスリンがレンスター王国から持ち込んだ物を譲り受けており、ワープの杖はデューが隠し持っていた物をオイフェが早々に取り上げてエーディンへ渡していた。尚、ワープを取り上げられたデューはオイフェへ抗議するも、オイフェが貯めていた現金(お小遣い)を全額譲渡されると手のひらを返したように抗議を取り下げていた。

 

「え、もう? オイフェったら人使いが荒いのね」

「ごめんなさい。ですが、エスリン様はご婚礼の準備をお任せしているので、どうしても……」

 

 やや驚いた様子を見せるエーディン。オイフェは申し訳無さそうに頭を下げている。

 長距離移動魔術であるワープ。その聖杖を使いこなせる人材は、シグルド軍の中で現状エーディンしかおらず。

 帰還手段であるリターンはエスリンも使用出来るが、現在シグルドとディアドラの電撃婚の準備に追われており、婚礼の段取りや各所の要人へ結婚式の招待状を送付するなど多忙の身である。

 もっとも、現在グランベルはイザークとの戦争中であり、招待状を送る人物はごく少数に留まっており。

 戦時中の為、その結婚式は慎ましやかに行われる手はずとなっていた。

 

 余談ではあるが、この長距離を即時移動可能たらしめるワープとリターンの聖杖は、その性質ゆえかごく少数の生産に留まっている超貴重品である。

 もともとライブの杖などの聖杖類は、ハイプリーストの中でも特に魔力素養の高い者でしか生産できず、その使用回数も限られたものとなっており。修繕には多額の浄財を納めねばならず、その希少性を更に高めていた。

 また、使用者が一度行った事のある場所でしか移動する事が出来ない上、使用者の負担も大きい聖杖であり、上記含め様々な理由から乱用は避けるべき貴重な代物である。

 

 とはいえ、エーディンは先のエバンスとバーハラの往復でワープとリターンを一回づつしか使用しておらず、まだまだ余力は残っていた。ユングヴィ公女であるエーディンは当然バーハラ王宮へ何度も行った事があり、シグルド達の瞬間移動も容易く行えていた。

 ちなみに、オイフェがワープとリターンを使ってまでバーハラ行きを急いだのは、シグルドがエバンス領主に任じられる前にヴェルダン総督就任を成し遂げる為であった。

 本国からの指示を待っていれば、前回と同じくシグルドの支配領域はエバンス領に留まっていたことだろう。

 それ故、エーディンに依頼し、ワープとリターンを使ってバーハラへ参内していたのだ。

 

「仕方ないわね。じゃあ、もうひと頑張りしましょうか」

「はい、ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げるオイフェに、エーディンは優しげな微笑みを浮かべる。

 現在、エーディンはミデェール共々シグルドの与力として正式にユングウィから派遣された形となっており、立場上オイフェの指示に従わない理由はない。

 尚、レンスター王国王子キュアンもまた父であるレンスター国王カルフ王から正式にシグルドの幕下へ入るよう命じられており、オイフェの指示に従い山賊化したヴェルダン豪族残党の掃討任務に就いている。

 ヴェルトマー公子アゼルは半ばヴェルトマーから出奔したような形となっており、当主アルヴィスはそれを黙認している。

 ドズルのいい男はいい男なので誰にも文句を言われずにシグルド軍へ参加し続けていた。

 

「ふふ。謝らなくてもいいのよ。私は、オイフェにも助けられたようなものですし」

 

 オイフェにそう応えるエーディン。エーディンはシグルド、そしてオイフェの卓越した軍才によりユングウィの窮地を救ってくれたと認識しており、それ故に多少の無茶振りも快く応えていたのだ。

 

「……はい」

 

 慈愛に満ち溢れたエーディンの姿を見て、ティルノナグでの日々を思い出したオイフェは、思わず両眼に涙を浮かべる。

 

(助けられたのは、私の方だ……もう、あのような思いはさせません……)

 

 夫や仲間を失ったのにも拘らず、若きオイフェ、そしてシャナン、更に聖戦の系譜を継ぐ子供達を育て上げたエーディン。

 オイフェはエーディンに気付かれぬよう涙を拭いつつ、その苦難を二度とエーディンにさせまいと、決意を新たにしていた。

 

 

 

 

 

 


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