逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第10話『嘔吐オイフェ』

  

「シグルド様! ヴェルダン城が……!」

「ッ!?」

 

 精霊の森を進軍するシグルド軍。

 そこに、降伏の意思を伝えにジャムカ王子が現れる。

 正式な降伏ではないにせよ、それでもヴェルダンが白旗を上げたことで、シグルド達は安堵の表情を浮かべていた。

 だが、ヴェルダン本城へと辿り着いたシグルド達が目にしたのは、燃え盛る城の姿であった。

 

「親父、親父ぃ!」

「ジャムカ王子!? 誰か、王子を抑えるんだ!」

 

 義父バトゥ王を救うべく駆け出すジャムカ。

 それを、ノイッシュとアレクが慌てて止める。

 

「放せ! 放してくれ!」

「ジャムカ王子! 落ち着くんだ!」

「それ以上近づくと焼け死んじまう!」

 

 半狂乱となったジャムカを必死に抑えるノイッシュとアレク。

 二人がかりで身を押さえられたジャムカは、尚も燃える城へと向かおうとした。

 

「ジャムカ王子! どうか、どうか落ち着いてください……!」

「エ、エーディン公女……すまない……」

「いえ、辛いお気持ちはお察しします……」

「……くそ。せっかく戦争が終わるというのに……親父……!」

 

 だが、暴れるジャムカへエーディンがひしと縋り付くと、ジャムカは幾分か落ち着きを取り戻していた。

 悔しそうにうつむくジャムカに、一同は憐憫の眼差しを向けている。

 

「……」

 

 そして。

 この騒ぎに全く動じず、燃えるヴェルダン本城をじっと見つめるは少年軍師オイフェ。

 その可憐な顔立ちは、炎に照らされ紅く染まっている。

 よく注意して見ると、その口角は僅かではあるが妖しく歪んでいた。

 

(これでシグルド様によるヴェルダン王国の支配がより確実なものとなったな……)

 

 燃え盛るヴェルダン城。

 それによる国王バトゥの死。

 沈鬱な気分に浸るシグルド達の中で、その死を喜んでいるのは、オイフェのみである。

 

「シグルド様。ひとまず火を消し止めましょう。その後の事は、それからです」

「分かった……全軍、城の消火を行う。市街地へ火が移らないよう十分注意するんだ」

 

 作った表情を浮かべ、シグルドへそう進言するオイフェ。

 ヴェルダン城は城下町とやや離れて築城されていたが、それでも火の勢いは激しい。

 シグルドの号令の元、軍勢は城の消火活動へ移行していった。

 

(さて、サンディマはアグストリアへ逃れた可能性が高いな。流石にヴェルダンに潜伏し続ける程愚かではあるまい……)

 

 オイフェは大火の下手人であろう暗黒司祭サンディマの動向を予測する。

 サンディマがマンフロイより厳命されていたシギュンの娘、ディアドラの捜索。

 それを確実に成し遂げる為、サンディマはヴェルダン中枢へと入り込んでいる。ヴェルダンによるグランベル侵略は副次的な結果であり、本来の目的はディアドラの捜索なのだ。

 そして、それはシグルド軍の驚異的な侵攻速度により阻まれている。

 おそらくは、隣国アグストリアに潜伏し、ディアドラの捜索、そして略取の機会を伺っているのだろう。

 

(元々奴らは裏でコソコソと蠢く者共だ。堂々と表に出てきたのは、ユリウスがロプトウスに覚醒してから。それまでは、せいぜい少数の司祭が妨害を仕掛けてくる程度……動向には十分注意する必要があるが、今はそれよりも優先すべきことがある)

 

 前回はヴェルダン攻略の終局、ヴェルダン本城でシグルドの前に立ちはだかったサンディマ。

 だが、それはおそらく、サンディマの本意ではなかったのだろう。

 マンフロイの大陰謀は既に“詰み”の段階に入っている。しかし、まだ彼らが表に出てくるタイミングではなく。

 このタイミングで暗黒教団が表に出てくれば、レプトールやランゴバルドなど、聖戦士の系譜を継ぐ者達の離反に遭う。チェックメイトを目前にして全てをひっくり返されるような愚を行うのは、本来ありえないのだ。

 

(故に、今は捨てておいて構わない。それよりも、シグルド様の地盤固めが先決……バトゥ王は残念だったが……)

 

 オイフェが描く絵図は、戦時中のバトゥ王の死が必須条件であった。

 元々、バトゥ王はサンディマにより殺される運命にある。しかし、バトゥ王は戦争終結のそのタイミングまで息を引き取らず、シグルドへ暗黒教団の存在を示唆している。

 つまり、ヴェルダン王国の主権を持ったまま亡くなっているのだ。

 これは、オイフェが目指す“シグルドによるヴェルダン支配”にとって些か望ましくない展開だった。

 

 前回はジャムカに王位継承がされぬまま、なし崩し的にグランベル本国による統治が執行されていた。

 だが、今回はジャムカ王子が正式な外交の使者としてシグルドの元へ赴いている。降伏の意思を携えてきたジャムカ王子をシグルドが後見することで、よりヴェルダンを実効支配する形となる。

 その布石は打ってきた。元々、本国の権力者達はヴェルダンを蛮族と蔑む風潮があった。手間のかかる直接支配より、シグルドに支配させ税を徴収する方がより旨味のある形と捉えるだろう。

 

(ヴェルダンからの収益をそれなりに整える必要があるが……シグルド様は名君であらせられなければならない。当座の資金は、やはりあの手を使うしか無いな……)

 

 前はエバンス領とマーファ領の一部以外はグランベル役人により統治が執行されており、ガンドルフやキンボイス時代に比べ些かマシにはなっていたものの、厳しい課税によりヴェルダン民衆は苦しめられている。

 シグルドはエバンス領を至極真っ当な租税徴収を行い、グランベル本国への献上金も本国役人から見れば微々たる量しか納めていない。

 それが、クルト王子の暗殺に加え、反乱を企てる為に不正に軍資金を貯め込んでいたと見做されていた。これにより、シグルドやバイロンに同情的だった貴族達も口を閉ざし、クルト暗殺の真偽を誰も確かめようとせずシグルドを反逆者として認定していた。

 

(まあ、今回は本当に軍事力を整えさせてもらうがな……ただし……叛逆者は、貴様らだ……!)

 

 みしりと拳を握りしめ、僅かに口角を歪に引きつらせる少年軍師。

 全てを救うと誓ったオイフェは、シグルドの為、そしてディアドラの為……そして、自身の復讐の為に、その頭脳を働かせていた。

 

 

 


 

「はー……馬に乗ってる連中が羨ましいぜ……」

 

 数日後。

 焼失したヴェルダン城を後にしたシグルド軍は、戦後処理をマーファにて行うべく軍勢を引き返していた。

 途上にある精霊の森を再び通過するシグルド軍。

 その中で、重騎士アーダンはため息と共に騎乗する戦友達を羨ましげに眺めていた。

 

「まあ、俺なんか乗せたら馬が潰れちまうからなぁ……」

 

 押し寄せる敵兵をその重武装で防ぎ、拠点防衛などを行う兵科であるアーマーナイトは、その重装備ゆえ騎乗には全く向かない兵種であり。

 そのアーマーナイト隊を統括するアーダンもまた、部隊長でありながら騎乗を許されぬ身であった。

 当然、今の今までずっと徒歩での移動であり、これからもそれは変わらないだろう。

 特に、アーダンはその大柄な体躯のせいで、軽装でも馬が直ぐに疲弊するほどの体重を備えており、騎馬で楽に移動できるシグルド達へ羨望の眼差しを向けていたのだ。

 

「……? オイフェのやつ、一体どうしたんだ?」

 

 現在、軍勢は精霊の森の中腹にて小休止を取っている。

 各々が体を休めている中、アーダンはオイフェが道を外れ、一人森の中へひっそりと分け入って行くのを目撃する。

 

「どこへ行こうってんだあいつは……仕方ねえなあ」

 

 アーダンは下ろしていた腰を重たそうに上げ、こそこそと他者に見つからぬよう姿を消したオイフェの後を追う。

 ノイッシュやアレクほどではないが、アーダンもまたここ最近のオイフェの目覚ましい活躍に違和感を覚えていた一人であり。

 だが、豪放磊落な見た目に反し、やや繊細な心根を持つアーダンは、思春期の少年の変わりぶりを戦場という異常な環境のせいだと判断しており。

 故に、アーダンはオイフェをそれとなく気にかけていた。

 

「熊とか出たら危ないしな」

 

 既に停戦が成っている現状、ヴェルダン兵が森に潜伏している可能性は無く。降伏を不服とし、山賊化した豪族も中にはいたが、それらはヴェルダン城北部にあるノディオンとの国境周辺に集結している。

 しかし、暇を嫌ったキュアンらレンスター隊、そしてハイライン軍を蹴散らしたエルトシャンのクロスナイツによって討伐軍が組まれており、鎮圧も時間の問題だろう。

 故に、この場所で注意すべき存在は、熊や狼など危険な野生動物のみであった。

 当然、アーダンであればそれらの危険な野生動物など武器を用いず素手で仕留めることすら可能。オイフェの身を案じる優しい巨漢は、少年の後を追うべく森の中へ分け入って行った。

 

「……あいつ、何やってんだ?」

 

 森の中を進むアーダン。

 身につけた甲冑はガチャガチャと音を立てていたが、不思議と森がその音を吸収しているかのように、アーダンは意外なほど音を立てずにオイフェへと近づく事に成功する。

 そのオイフェは、現在茂みに身を隠すようにして何かを見つめていた。

 

「オイフェ、何やってんだこんなところで」

「ひゃあっ!?」

 

 アーダンの声に、オイフェは生娘のような可愛らしい叫び声を上げた。

 

「ア、アーダン殿、脅かさないでください……ていうか、声が大きいです」

「あ? 何で?」

「いいからしゃがんでください」

「おいおい。引っ張るなよ」

 

 オイフェは声を潜めつつ、アーダンの手を掴むと茂みの向こう側から見えないようにその大きな体を一生懸命引っ張る。

 当然、オイフェに引っ張られても微動だにしないアーダンであったが、なにやらただ事では無いオイフェの様子を受け、巨体を丸めながら地にあぐらをかく。

 

「おっと、隠れるならこうした方がいいだろ」

「わっ」

 

 アーダンはそのままオイフェの脇へ手をいれ、抱っこするように自身の膝の上に座らせた。

 

「う……ちょっと恥ずかしいのですが……」

「なーに言ってんだおめえは。シグルド様に甘えながら馬に乗ってたくせによ」

「あ、あれはシグルド様の馬の乗り心地が良かったからです」

「寂しい事言うなぁ。俺だって馬に乗れたらなぁ……」

「あ、ごめんなさい……」

「この口が悪いんだな、このやろ!」

「わは、やめてください、くすぐったいです! ていうか、バレちゃいますって!」

 

 妙なところでアーダンのコンプレックスを抉ってしまったオイフェ。

 アーダンはふてくされるようにオイフェの頭に顎を乗せ、その柔らかい頬をくすぐる。紅顔の美少年は身悶えしながら抵抗するも、優しい巨漢のくすぐり攻撃からは逃れられなかった。

 はたから見れば、仲良くじゃれ合う美少年と野獣である。

 

「んで、何やってんだこんなところで? 誰かいるのか?」

「えっと、それは……」

 

 やがてくすぐるのを止めたアーダンは、茂みの向こうに意識を向けるオイフェが何をやっているのかと問いかける。

 そして、ちらりとオイフェの視線の先へ目を向けた。

 

「あっ!?」

 

 すると、アーダンは思わず驚愕の声を上げる。

 視線の先には、一人森の中で佇むシグルドの姿があった。

 

「ありゃシグルド様じゃねえか! なんだってこんなところでお一人で──」

「だから声が大きいですってばー!」

「むぐぐ!? むぐー!」

 

 アーダンの口を慌てて抑えるオイフェ。

 必死なその様子を受け、アーダンはやや冷静さを取り戻す。

 

「むぐ、むぐぐ」

「いいですか、絶対にシグルド様()に気付かれないようにしてください。あと、この辺りは既にデュー殿が安全を確認しています。いいですね?」

「むぐ。むぐ、むぐぐ?」

「えっと、それは見てもらえば分かるというか……」

「むぐぐー。むぐぐ」

「はい。ですから、大きな声を出さないようにしてくださいね」

「むぐ」

 

 オイフェは口に人差し指を立てながらアーダンへ声を落とすよう念押ししていた。

 アーダンはやや不審げに首をかしげるも、やがてしっかりと頷く。

 それを見て、オイフェはようやくアーダンの口から手を放した。

 

「ぷは……ていうか、見てればわかるってどういうこったい?」

「いいから、静かに……」

 

 声を潜めシグルドへ視線を向けるオイフェとアーダン。

 しばらくすると、森の奥から一人の女性の姿が現れた。

 

「女……? ずいぶんとべっぴんさんだなぁ……」

「……」

 

 現れた銀髪の乙女に見惚れるアーダン。

 オイフェは、主君と乙女の姿を目をうるませながら見つめていた。

 

「シグルド様……」

「ディアドラ……ここに来れば、君に会えるような気がした。でも、本当に会えるなんて……」

「私も、ここに来ればシグルド様と会えるような気がしました……」

 

 見つめ合う二人。

 そして、シグルドはゆっくりと……静かに、ディアドラを抱き寄せた。

 

「もう一度……もう一度、君に会いたかったんだ……」

「私も……私もです、シグルド様……」

「ディアドラ……」

「好きになるのが恐かった。忘れようと努力しました」

「……」

「でも、だめだったの……もう、どうしていいかわからない……」

「……」

 

 ディアドラはシグルドの胸の中で一筋の涙を流す。

 愛してしまった人。どうすればいいのか分からない自分。

 乙女の痛ましいまでの葛藤を、シグルドは優しく包む。

 

「ディアドラ。君が何を恐れているのか、私には分からない。だけど……」

「……」

「私は、君を守る。どんな嵐にも屈しない。それだけは、約束する」

「ああ、シグルド様……」

 

 シグルドの言葉に、ディアドラは目に涙を溜めながらその顔を見つめる。

 そして、二人は少しづつ……少しづつ、口を近づける。

 

「……」

「……」

 

 口づけを交わす、二人の男女。

 森は、二人の神聖なひとときを守るかのように、静寂に包まれていた。

 

「ディアドラ……」

「シグルド様……」

 

 見つめ合うシグルドとディアドラ。

 どんな事があっても、どんな嵐が来ても。

 絶対に、ディアドラを守る。守り通す。

 尊く、神聖な約束を、シグルドとディアドラは口づけと共に交わしていた。

 

 

「シグルド様、いいなぁ……」

 

 惚れ惚れするような美しい恋の姿。

 アーダンは、それを陶然と見つめ続ける。

 堅物と思っていた主君にもようやく春が来たかと、安堵の気持ちも混ぜながら見つめ続けていた。

 

「エゥ……エ゛ゥゥ……!」

 

 そして。

 アーダンは自身の膝の上で、なにやらえずくような声を聞く。

 

「オ、オイフェ!? いきなりどうした!? なんか悪いもんでも食ったのか!?」

 

 見ると、涙を流し、笑いながらえずくオイフェの姿があり。

 アーダンは意味不明な感情を見せるオイフェに戸惑いつつ、その可憐な背中を心配そうにさすっていた。

 

「と……」

「と?」

 

 すると、オイフェは苦しそうに言葉を発する。

 それを、アーダンは注意深く耳を傾けた。

 

「尊すぎて吐きそうです……」

「なにそれ怖い」

 

 泣き笑いながらそう言うオイフェに、アーダンは若干引きながら困惑の表情を浮かべていた。

 

 

 


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