ソラとシンエンの狭間で   作:環 円

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2019夏イベント
欧州方面反撃作戦 発動!「シングル作戦」
8月30(金)作戦展開予定
全3海域予定

はじまりますね!

メンテ時のお供ににでもどうぞ (*´∇`*)


第二話 ひとりきり、ふたりきり---トラック

 到着した泊地には、だれもいなかった。力の抜けた手のひらから、ボストンバックが軽やかな音を立てて落ちる、彼はめまいを感じて柔らかな砂地におもわず両膝をついた。

 冬から夏へ、急激な季節の変化に体がついていかない。それ以上に己の置かれた状況を把握できていなかった。

 話が違うと叫びたい。住人が居なくなった廃村のように、空虚な建物がただ、ただ鮮やかなアオに彩られた緑とともに横たわっている。

 彼だけを降ろしたタンカーが碇を上げて動き出した。船体のきしむ音がどこか物寂しげに聞こえるのはなぜだろうか。次に向かうのはラバウルだという。そしてブイン、ショートランドと基地と泊地を回りもう一度、このトラックに寄航する予定だと船長が言っていた。

 思わず手を伸ばす。置いていかないで。この場所は、人の住める環境ではない。そうだ、帰ればいい。名前だけの親族なんて居ても邪魔なだけだ。日本には、いままで住んでいた家はきっと処分されて戻れないだろうから、築三十年を過ぎていてもいいから、屋根のある家を借りて今までどおり細々と暮らしていけばいい。再度、タンカーが立ち寄った時に乗り込もう。

 手持ちの金銭は与えられてはいないが、月ごとに口座へ給与が振り込まれるときいていた。おろかな者たちには触れない口座であると政務官と名乗った男が耳打ちしてきたのを今さらのようにおもいだす。

 

 彼はただその場にうずくまる。なぜ促されるまま降りてしまったのだろう。人の気配が無いこの島で生きていく能力など彼は持って居なかった。

 彼の生業は花を活けることだった。

 大きくは無いが教室を開き、通うひとたちへ季節の花々の生け方を教えていた。家元制度を取りまとめる宗家からは遠い生まれで、傍流も傍流、いっそのことまったく関係ないといわれたほうがすっきりするだろう末端だ。その彼が曲りなりにも一族に名を連ねている理由はただひとつ、時折魅せる鬼才を手の内に飼っておくためだ。彼は決して表舞台には出られない。一族の影だった。しかし彼はその境遇を嘆いたことは無い。閑静な人の世から離れた場所で草木に囲まれ生きるに不足しない金銭があれば満足だった。

 ここには花器も剣山も、はさみも無い、ただただ青々と茂る緑と星の色でもある青だけがある。

 

 人間がひとりとしていない場所などで生きてはいけない。安全な内地に戻りたい。そもそもなぜ彼がこの場所に降ろされたのか、詳しい説明も聞かされてはいなかった。秘密だらけの国防軍の、身分の高そうな人物から丁重にもてなされ、あれよあれよという間にこの地への赴任を要請されうけてしまった。提督としての資質がどうの、という話も聞いたが彼には理解できなかったし、半ば朦朧としていたためどのようなやりとりをしたような気もするがとても曖昧で不鮮明な記憶しか残っていない。

 

 遠ざかる船影がゆれる。

 手が振られていた。

 数日とはいえ寝食を共にした誰かが手を振りさよならの言葉をさえずっている。

 

 

 

 

 置いていかれた。その事実に身の毛もよだつ。

 これから、ひとりであの、深海棲艦という異形と戦わなければならないのだろうか。敵を打ち倒す銃や、身を守る盾すらないというのに。

 まるで底なしの絶望が手招きしているようだ。

 

 

 

 

 ではなぜ彼はこの地に赴任してきたのか。三文芝居であればよい。できればそうであって欲しかった。

 港へと送迎された日、彼らは居た。招かれざる客だったのか軍服を着た屈強に見える人物に押さえ込まれていたが、お前は一族の誉れである、すべて任せていってこい。そう叫んでいた。

 彼らは彼を捨てた大人だった。顔を見てもすぐに誰だかわからなかったほどだ。

 誰だろう、そう彼が心情をおもわず言葉にしたことにより遺伝子上の親だったと判明したくらいの希薄な関係だった。ふたつの顔を、実際的にはふたりだけでは無かったのだが見たとして、彼にはなにも感じられることはなかった。どんな表情をしているのかもわからなかったと言っていい。真白な笑顔の形にくりぬいた仮面のようだった。

 

 彼が数日、滞在した部屋で見せられた紙の束にあったのは、宗家が多額の借金を抱えているという文言から始まる調書だった。

 彼は感情を動かすことなくそれを一通り見、捨てた。どんなにうまく隠していたとしても、人の口に一度上ってしまえば口さがない連中がさえずり続けるものだ。彼がつつましやかに暮らす部屋に、有名雑誌の記者を名乗る人物が来たこともある。

 

 だが彼は知らなかった。

 隔離された部屋の外で何が起こっていたのかを。

 

 彼の認識ではどこであろうとも、たとえそこに火種がなかろうと煙をたてる輩はいるものだと考えていた。日本は日本の外と比べるべくも無く安全も安心も国民であるならば無償で与えられるものだとも信じている。そのための税金であり国であり、役人や政治家たちであるとおもっていた。

 深海棲艦という敵がいる、らしい。とはいえ現物を見たことが無い国民が多数だろう。国防軍によって守られている陸地は攻撃されるはずも無い。感覚的にはどちらかというと、動物園の檻の向こう側にいる猛獣と同じだ。だからというわけではないが、日々のバラエティはアイドルや芸人、テレビを賑わす人々のスキャンダルが面白おかしく報道されお茶の間に流れていた。ニュースもそうだ。陸地ではない場所で、あんな激しい戦闘が行われていたなど放送されていなかった。

 

 彼は同なにも知らなかった。

 

 いつだったか忘れたが家元制度とマルチ商法が一緒くたにされた記事がおもしろ半分に出回ったことがある。

 だが事実は違う。全く、ちがう。

 組織である以上、形態は似るだろう。マルチと呼ばれるものたちの、最大の問題点は取り扱っている現物商品にある。その商品を組織内で自己取引するのだ。外に売りに出るのではなく引き入れた内部にて売買を行う。そして拡大の限界を迎え商品が不良在庫となり破綻してゆく。

 だが家元制度の商品は無形の知識と技術である。これに在庫という観念はない。

 

 日本という島国は平和だ。人間同士で争っていた時代から、平和というものをほぼ、ただ同然で感受してきた。

 だから技術や知識に価値があると思い至らないひとたちも多かった。知っているなら教えてくれてもいいのに、けちくさい、と。

 

 彼の流派は間違えてしまった。

 無形の知識と技術ではこれ以上の拡大はないと物品を売り始めた。そしてその結果が紙の束にまとめられていたのである。

 

 間違いなく彼は、売られたのだろう。

 彼にどのような利用価値があるのか彼自身には見当もつかない。

 宗家と政府の間にどんなやり取りがあったのか、彼は知らなかったし知らされもしなかった。だがふと思い出せば、あるときからおべっかが始まったようにもおもえる。

 家元制度に所属しているだけでは『花の先生』はできない。年に数回、会合があるのだ。そこで流派の指針目標などが広く流布される。

 その場には彼を疎ましくおもう者たちも訪れた。彼は体調を崩しがちになる従兄弟に代わって作品を活けていたが、彼はその従兄弟の名を借り好き勝手していると密やかに陰口を囁かれていたのだ。

 だがある時から変わった。あれほど寄生虫だのごく潰しだと罵っていた宗家に近ければ近いほどの口が、家元から贔屓にされていて良いわねぇ、あなたの名を家元から聞きましたよ、精進している努力者だと手のひらを返したように良く言うものだから呆れかえったのを覚えている。良くも悪くも言い返しても一文の得にもならないため彼は黙って、ただ聞き流し、無視し続けていた。そうすれば彼を利用しようとするモノたちや蔑みに来たモノたちがいつものごとく言いたいことだけ言って去っていくとおもったからだ。

 

 しかし今回ばかりは、口だけでは無かった。ほぼ実力行使と言っていいだろう。

 彼はただひとつ、軍用で使用されているボストンバックを手渡され大湊から南下してきたタンカー船に押し込まれたのである。

 そこで出会ったのが艦娘たちだ。新聞やテレビではたまに見ていたが本人たちと数日間ではあるものの、タンカー内で生活を共にするなど考えもしていなかった。

 

 

 

 

 そして迎えた運命の、日。

 彼が赴任した異国の地は。日本と全く違う風土を持つ島だった。頭上を照らすのは、金糸を放っているような太陽だ。ただそこに在るだけで汗が吹き出てくる。日本の夏とはまた違った熱さだった。

 彼は元来、そんなに体がよろしくない。従兄弟と比べるべくもないが、高温多湿の気候は苦手であった。汗が背を流れる。国に対する絶望と失望で気が遠くなってゆく。いっそのこと死ぬことが出来たなら楽なのに、そしてこれが夢だったらどんなに幸せなことだったかと。

 

 

 彼はゆっくりとまぶたを開く。横たわっていたのは木のカウチベッドだ。風通しの良い涼しい木陰に置かれたそれに、心地よいようにと幾種ものクッションが所狭しと置かれている。疲労がたまるとすぐに倒れる彼のため、艦娘たちが島に残された材料で作り出した傑作である。寝やすいように揃えられたクッション群はなぜか彼だけが使っている。その中で彼は、埋もれているのを自覚しながら目を覚ました。最初の頃は不意に意識を失うことが多々あったが、最近はどちらかというと暑さにやられてというよりも、体力が尽きる前を見計らって午睡のためにお姫様抱っこで陸奥に連れて来られる率が高くなっているような気がする。しかも目覚めるさいは潜水艦たちがそっと置きなおした柔らかさが違うクッションに埋もれていることも多々あった。

 

 彼は手を伸ばし背もたれを探し出すと上半身をゆっくりと持ち上げる。

 

 

 

 すれば艦娘がひとり、様子を伺おうとしたのか膝立ちになったままの姿でおろおろと彼の側でうろたえていた。手には固く絞った麻の手拭と木のコップが握られている。その向こうでは手旗信号で提督である彼が起きたことを知らせるらしい、暗号が送られていた。静かであった小さな南の島の、トラック泊地に喧騒が戻ってくる。

 

「ああ、ありがとう。だいぶ、眠ってしまったみたいだ」

 

 彼は起き上がりそっとその、挙動不審なままである艦娘の額に手を伸ばし、汗で張り付いた髪を払えばなぜか顔を真っ赤にして頬を膨らませ視線をどこかへ向けた。彼は笑む。どうやらいつものごとく恥ずかしくて視線を合わせられなくなったようだ。

 静かな太陽のある時間が終わり、あわただしい闇の時間が始まる。この泊地での哨戒任務は主に夜に行われる。この辺りにある深海棲艦が現れる大きなゲートは太陽が出ている間は閉じ、夜に活性化するというきわめて限定的な穴であった。そのためこの泊地に赴任しているものたちはほぼ夜型となっている。

 

 彼は最初、ひとりきり、いや、ふたりきりであったこの泊地をおもいかえす。初日もそうだ、目の前にいる艦娘に助けられたのであった。

 

 

 あの日、紫と青に彩られ、熱と湿気が支配していた島々に少しだけ清涼な空気が流れ始める時間になるまで彼は動けなかった。共に赴任した艦娘はいない。たったひとりでこの泊地に降り立ったはずがいつの間にか側にパラソルが立てられた安楽椅子に座らされていたのである。目覚めた彼の目に映った、見上げる空が故郷とは違った。きめの細かい粉雪のような宇宙に密集してある星に喉仏が動いた。

 人間はたったひとりきり。

 ではいったい誰が助けてくれたのであろうか。その疑問はすぐに解決した。

 ランタンを持った少女が彼の前に現れたのである。もちろん彼は数秒の沈黙のあと絶叫した。銀の、星のきらめきのような髪に見とれたのもつかの間、心の底から、今まで生きてきた思い出せる限りの生の中で最も大きな声を出したであろうとおもわれる。

 

 だが彼女は首をかしげそこに居た。言葉を話さない、話せないと知ったのは翌日である。そして彼女が艦娘だと知ったのも、翌朝であった。艦娘が装備している艤装を身につけていなかったのだ。

 当初は肝を冷やした。闇が体の芯を冷やしてゆく、という貴重な経験をしたと今では思うが当時は生きた心地がしなかったのも確かだ。

 

 彼女が手を差し出し、どうすべきかと渋る彼にふと触れた、その温かさに彼は奥歯をかみ締めたのを覚えている。

 銀糸の髪を持つ乙女がランタンを手に微笑んでいた。案内されたのは浜辺からかなり奥に進んだ場所にある一軒家であった。作りは木造で現地の建築様式なのか風通しが良いように床が高く作られている。周囲には光源が多数あった。彼女はランタンを持たぬ手でくいくいと彼の手のひらを引く。その後のことはあまり語りたくは無い。精神的な疲労も祟ったのか、数日間、寝たきりの状態になったのである。熱にうなされながら、民間人が南の、トラック諸島の島に放り込まれなにをしろというのだ。花を活けるしか能がない己に、なにをしろと。などと夢うつつにうなっていたのだろう。

 

 数日後、彼が目を覚ませばぽたり、と額に乗せられていた温くなった手ぬぐいが床の上に落ちた。見知らぬ部屋と見知らぬ天井。人の住む家にしては簡素すぎた。農具を収める納屋のほうがまだ荷物が置かれているだろう。ガラスがはめられていない窓からは青い空が見えている。何度もしぼりなおしてくれているのだろう。ちいさなバケツが側にあった。何も無い部屋だ。ベッドがひとつと、小さな椅子がひとつ。そばには小さなテーブルがありその上にはこの島に咲く花が透明のコップに一輪挿されている。コップを重石としてその下には綺麗な文字で簡素に挨拶と用件がつづられていた。それを見、彼はいつの間に介抱されていたのだと知る。

 

 

 

 彼はふと、艦娘の顔を覗き込んだ。

 あれから幾週がすぎ、なんとか彼も提督業に慣れてきたような気もしないことはない。

 彼の艦娘として、この島で待っていた叢雲(むらくも)と筆談をしながらなんとか意思疎通が出来るようになっている。

 

 「提督さーん、ショートランドからお手紙きたっぽい。起き上がれる?」

 

 そして彼を助けてくれる仲間たちも増えた。人間ではない、というのが彼にとっては重要であった。人間は機械の中からは生まれてこない。されど彼は艦娘たちが化け物だとはおもわなかった。人の形をしているが、人よりも上手く絶妙な距離感を保ってくれるからだ。どちらかといえば犬猫のような気がする。追い立てるようにこの島に来たため人間不信気味になっている彼には、彼女たち艦娘たちが、感じ取ってくれる一歩引いた関係がとても心地よかった。たまに接近しすぎなときもあるが、彼女たちのおかげで嫌悪感を抱かずにいられる。

 

 また同じ民間出身者という肩書きをもつショートランド提督も彼の後押しをしてくれる存在である。直接会ったことはないが、彼がこの島で暮らし始めて1週間ばかりがすぎた頃、引き返してきたタンカーには国防軍の工兵が乗っていた。そして彼らは上司提督の命令に従い多くの資源と食料を持ってきてくれたのだ。数日ではあるが無人にとなったこの島は、深海棲艦たちによって破壊活動が行われていたのである。彼らは必要不可欠な施設にテコ入れし、駆逐艦や軽空母たちが主ではあったが一時的ではあるもののトラックに留まり哨戒をしてくれるという。国防軍の工兵たちは重巡級の艦娘たちに抱きかかえられて二日後に帰っていった。なんでも北太平洋の海は人が渡るにはかなり危険な海域で、艦娘たちであれば3Mを越える波がうねっても軽くかわせるが人間だけだとのまれて海底に一直線なのだという。だから抱っこが一番安全なのだとか。本土の、彼をこの島に送り込んだ役人たちは信用ならない。なんの知識もない彼を送り込んだ意図すら検討つかないのである。死ねといわれているようなものだとおもった。しかし人間である以上、彼もまた生への執着がある。死ねたら楽だと思いながら死にたくないのだ。矛盾しているがそれが彼の正直な気持ちだった。

 頼りたくないとはいえ本土からの物資が届かなければ生きて行けないのも確かだ。営業職であったというショートランドの提督は、親身になって上手く本土から物資を融通してもらう方法をいろいろと教えてくれたのである。それぞれの泊地が遠方なうえ、移動手段が限られているため顔を直接合わせるのは難しいが、潜水艦を配達人とする手紙であればなんとか届く距離にある。大湊に大至急、増援も頼んだのでそれまでなんとか、初期艦の叢雲と耐えてくれと。希望的観測はなかった。だから信用してもいいと感じたのもたしかだ。

 

 彼はこの島で生きていくのだろう。

 きっと死ぬまでこの地に縫い付けられる。彼はなにかのゲームのプレイヤーなってしまったのかもしれない。何度も何度も裏切られてきた。人間など信用できなくなっている。ならば人間ではない、彼女らともども海の底に沈むほうが幸せなのかとも彼はおもうのだ。ここトラック諸島には艦娘として生まれる彼女らの本体が、多くの船体が静かに眠っていると聞いた。彼自身もそこに行くのがよいのかもしれない。

 物言わぬ花は形を変えて、彼の側に寄り添ってくれるのだときっとあの日、彼が熱を出して倒れた日に、彼は人ではないとうわさされていた彼女に心を奪われたのだろう。

 

 喉を潰され言葉を話せない彼女と、なんの軍事知識をも持たない華道の先生でしかない彼は。

 神話にある楽園から追い出されたアダムとイブのようにこの地でなにもわからないまま手探りで時を過ごすことになる。

 

 息をするのも苦しく、血反吐を吐くほうが楽だと知るまでのカウントダウンが、すでに始まっているとも知らず。

 

 

 

 

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 二月某日。

 粉雪が舞う首都東京にて本土内にある、九つある鎮守府と泊地に着任する提督が召喚された作戦会議が催されていた。本来ならば各地に散らばるすべての提督が集うはずの年に一度しかない大規模会議であったのだが、年末年始にかけ落とされたラバウルに赴任した少数とその幇助(ほうじょ)を厳命されているブイン、ショートランド提督からは連名で辞退の書簡が届けられていた。民間人を赴任させたばかりのトラックは言うもがなである。こちらからは全くと言っていいほど報告書が上がってこないが、まだ、元帥である彼女にとっては許容範囲内といったところだった。

 

 彼ら国家公務員のおもうまま、したいがままに采配を振るえばよい。

 ただし、その結果次第では彼らに責任をしっかりと取ってもらう事態になるが果たしてそこまで認識できているのか、はなはだ疑問であった。

 本土から離れた西太平洋の小島(トラック)やフィリピンのさらに西南にあるラバウルなど、地名を聞いたとていったいどこにあるのか答えられる日本人は少ないと言い切れる。深海棲艦による侵略が起こるまでは、観光地として知りうる者もいただろう。だが今、本土に住まう者たちからすれば、かの地らは異国も異国、自らには全く関係のない遠いどこかであり、何が起こっても全く自分には関係ないと考えている節がある。重要な拠点ではあるが空っぽになったトラック泊地およびラバウル基地に現在、利用価値はない。などと馬鹿げた嘲笑を繰り返すのは、第三者に多大なる代償を支払わせながらも己の咎とせず、ぬるま湯につかり続けられる愚鈍であるからであろう。体裁を繕うためだけに送られた人物、政治的でありかつ軍事戦略的に重要だとうそぶいて送られた民間人はさぞ、苦渋を舐めることになるに違いない。

 さらにここ最近、国という組織に所属する役人たちは人間を使って賭けを大々的に始めた。どれだけ送り出しても居つくことなく、役目を果たすことなく尻尾を巻いて戻ってくる期間や殉職した報がいつ届くのか、という質の悪いものである。聞くのも馬鹿らしいほどの巨額が動く、今回の賭け先はトラック泊地の民間人が本土に逃げ帰ってくるまでの期間であった。

 

 ------好きにすればいい。

 彼女が望む未来に到達できるのであれば、多少のオイタも目をつむろう。

 

 態のよい島流しとされたふたりにとっては不運ではあるが、いや、それは各々の主観によるためあながち、不幸ではないかもしれない。

 だから、というわけではないが海外の基地、泊地の提督たちには特例として今回だけは会議参加の免除と通告を元帥の名で返送していた。特に南方にあるブルネイ基地を基点としたタウイタウイとリンガ泊地では、連日長時間にわたりゲートが開きかなりの激戦になっているという報告が上がってきていたためだ。臨戦態勢時に指導者が離れると命令の齟齬が出ないとは限らない。よって三ヵ月に一度開かれている本土に所在する基地の提督が集まる定例会議と同じ面々となってしまっているが、それはいたし方のない事情であると元帥は慨嘆(がいたん)した数名を切って捨てた。

 

 議題は補正予算の設定および資材、遊兵艦派遣のやりとりである。指揮権の有無や派遣期間の確認などが行われるはずだったが、参加人数の半減で有耶無耶となっている雰囲気は否めなかった。

 

 だが呉提督の一言により、佐世保提督との討論が過激になってゆく。

 いわく、東方ハワイ島周辺海域から頻繁に本土海域周辺へ深海棲艦の偵察隊および襲撃が行われている。現在国内三ヵ所ある基地で本土防衛を定期的交代で行われているが、主たるゲートの位置を把握しているのであろうか。対処療法としてただ殲滅し情報収集を怠っているのではないかと皮肉を混ぜながら呉が嗤った。

 対して佐世保はその嘲笑を更なる嘲(あざけ)りで応酬する。把握していないわけがない。そもそも呉はラバウルがなぜ攻め入られたのかその状況を把握しているのか。少し考えればわかるものだが。これまでの海戦はすべて史実をなぞってきている。歴史を学んでいるならば、どの道程を歩んでいるのかわかろうものだ。情報を集め精査し、すべて元帥閣下に報告済みである。わかっていないのは呉ではないか。

 

 きたる海戦の名は、一九四二年に開かれたアリューシャンおよびミッドウェイである。

 

 そう自信満々に佐世保が宣言した。

 国内にある泊地に赴任する提督の幾人かの椅子が鳴る。基地とは違い国内の泊地は航空基地の色合いが濃い。課せられた任務も基地とは比べようもなく軽いものだ。もし彼らが海外の泊地に赴任したならばその日のうちに音を上げるだろう。担う任務内容があまりにも違うのだ。  

 

 彼らは膿だ。前線に程近い場所にいるはずの彼らでこれだ。

 艦娘をただの兵器として使っている。よいだろう。彼らにとって代えのきく、いつでも補充できる銃弾と変わらない。使い方は提督の役職につた者に一任している。艦娘ひとりを生成するにあたり、どれくらいの金銭が使われているかなど知ったことではない。彼らはただ、ただ人間社会でのみ通用する輝かしい名誉と賞賛、階級による権力を安全と安心を担保された椅子に座って欲している。いつなんどき深海棲艦による大規模侵略が行われてもおかしくはないのに、だ。

 

 彼ら膿もある意味、代えの聞く日用品と変わらないことを理解してはいない。国の安全を担保する側に立つ軍人であってもこの体たらくである。一度滅びを経験したほうが彼らにとっては良い薬になる、とおもいはすれ元帥にはこの国を守らねばならない理由がある。遠い昔に約束を交わした、ただそれだけのために意思を継いでここにいるのだ。

 

 

 馬鹿とはさみは使いようなのである。

 右と左の陣取りゲームを、彼女は対岸の火事視するのだ。

 


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