ソラとシンエンの狭間で   作:環 円

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索敵機、発艦始め!
第一話 ラバウル再建


 大本営から大々的な配置移動が発布されたのは三が日を二日ほど過ぎたころだった。

 南方海域にある泊地のひとつ、ショートランドでは衛星通信による口頭伝達によってもたらされた。通信手から連絡を受けた提督である男はさもあらん、と内容を黙読して思考する。

 

 ラバウルはそれはもう見事に全壊しているという。施設も艦娘も根こそぎナガラ級になぎ払われてしまっているのだから当たり前だ。

 金剛から報告を受けたとき、想定の範囲内だったことに安堵したくらいである。本土からはすでに建築関係者がタンカー護衛されながら向かってきているだろう。本土からどんなに急いでもラバウルまで5日はかかる。そこから地ならししされ再建が行われるまでの大体の日程を指折り数える。指標となっているのはショートランドで温泉施設の増設をしてくれた官たちの仕事だ。

 

 二枚目がありますよ、と声に促されて見れば通達には男に対しての命令も付加されていた。

 ショートランドはブインと連携しラバウル再建の後押しをすべし、と。

 

 これに関して男は否定するつもりもなく、協力要請受けることにやぶさかではない。命令が来るとおもっていたからだ。来ないはずがないのだ。

 しかし、である。このあとに控える戦いのことをおもうと早々に胃が重くなりそうだった。いろいろとつじつまを合わせるのが大変なのだ。男が未来を知っていると大本営に知られるわけにはいかない。もし知れたなら本土で監禁されるにきまっている。すでにずいぶんと先の未来から来ているのだと知られているのだ。これ以上あの得体の知れない元帥閣下相手に未来を、選択肢と言い換えても良いだろう情報を渡したくはなかった。なぜなら元帥はどことなく信用してはいけない気がするのである。男に人を見る目があるかと言われたら、かなり首を傾げてしまうのだがそんな気がして仕方がない。敵ではないが味方でもないと男の中にある何かが警鐘を鳴らす。だから情報をどうにかごまかしつつ、東京周辺に突貫してくる群れに対応する手段を講じなければならない必要があった。

 

 そう、待ち構えている地獄の釜の名はミッドウェイ大戦、その再来である。ただの去来ならばいい。だがこちらではもう一歩、深海棲艦が踏み込んでくるのである。今からもう胃が痛い気がする。

 大湊との他愛の無い会話から、制海権を艦娘たちが少しづつ深海棲艦から切り取り取り戻し、平定し続けているおかげで日本国という島国の周辺はなんとか穏やかさをとりもどしているという。多くの国民が日々いつ襲われるかと心配をせずに暮らせるまでになっているのだそうだ。その平和を切り崩してしまうのも悔しい、と思ってしまう。戦果は各地に散らばる提督たちの血と涙と胃痛の結晶だ。男だけの功績だと慢心するつもりはない。公表するつもりも毛頭無いが、支払われている少なくはない給与は国民からの血税でまかなわれている。この泊地ではなかなかにして使い切れない金額で貯まっていく一方なのだ。だから近々本土に行ったときに使う予定にしている。召喚されないほうが御の字だ。しかしそうはいかないだろう。

 

 来たる未来に意識を据える。はっきり言ってショートランドがこれから展開されるであろう海戦に首を突っ込むのは難しい。

 作戦地域まで、あまりにも遠すぎるのだ。ゲームであればこそどのサーバーからも参戦できたが、ショートランドから太平洋ど真ん中に設定された作戦水域まで強行軍するなど無理無茶無謀も良いところだ。しかも日々、棲戦姫の出現を抑止するためかなりの艦娘たちが南方海域に出撃している。それに付け加え戦艦レ級というかなり厄介な固体が現れてからは艦娘たちのローテーションがかなり厳しく、他の基地に派遣できる娘たちが現在、正直言って人員を割けない。

 

 だからなんとか新しくラバウルに赴任となる、前トラック提督には奮闘してもらわなければならない。出来ればブインの金剛提督や腹の探りあいをしている大湊の指令のように友好関係を結びたいところではある。たった一人この世界に放り出されているため、肉親をはじめとする友も居ないぼっちなのだ。それはそれでかなり、男の精神を磨耗させていた。寂しすぎるのだ。家族だからこそ吐ける弱音を音に出来ないのだ。胸の奥底にヘドロのように溜まっていっているような気がしていた。今はまだ大丈夫だと言えるが、そうでなくなった時が恐ろしい。

 と、なると、だ。

 

 陣中見舞いを兼ねた、特訓を行わざるを得ないだろう。かなりきつい詰め込みになるだろうが、この際は仕方がない。該当する艦娘たちには奮闘してもらうしかないが、何を褒章にすれば士気が上がるだろう。

 ブインの金剛提督には艦載機の妖精無人機操作の必要性を説いているものの、男の下に集っている艦娘たちが規格外すぎて真似できないと匙を投げられている。ショートランドで最も無妖精機を上手に操る最上が言うには、頭の中をぐるんぐるんとかき回されたり握られて揉まれるようなに感覚にさえ慣れるとどうということはないと穏やかでにこやかに明言していた。聞いただけでも気分が悪くなりそうな表現が他にちりばめられていたが、あえて思い出す必要もない。そっと記憶にふたをしておくのが良いだろう。

 確かにそれに付随する訓練を行った日は、その訓練に参加した艦娘たちの死屍累々とした姿を見かける。

 飢島には気負わず出撃する空母たちが、その訓練のあとは食事も喉を通らず温泉施設に籠もるのだ。かなりの負担が脳にかかっているとわかっているからこそ訓練を続行させることに苦い思いがこみ上げてくる。だが必要なこと、と決断を下し全責任を背負うのもまた提督としての責務だ。

 

 手元に集められた新ラバウルの情報に目を通す。

 詳しい話は直接聞くしかないだろうが、かなり、切迫した状態になっているに違いない。こちらの戦力は割けないが、艦娘たちの艦娘たちによる艦娘たちのためのブートキャンプを組むことは可能だ。それと同時にラバウルの提督にも腹をくくってもらわねばならない。こちらのほうは男が言葉を尽くすしかないが、やってできないことはないはずだ。これ以上の睡眠時間が削られると男が早死にするのが決定してしまう。金剛の提督管理業務が鬼っているのである。このままだと強制的に意識を刈り取られそうだった。それだけはなんとしてでも避けたい。

 

 それに(エラー)娘に託した案件も気がかりでもあった。

 

 さて、と男は首に手をやりぽきり、と骨を鳴らす。

 かなり日程が過密になるだろうが、最善を目指すためやらねばならない事柄はすべて詰め込むべきだろう。

 ラバウルに陣中見舞いに向かう艦隊の選出と同時に、かの地から逃れてきた艦娘たちの帰還準備を早々と整えなければならない。あちらに戻る前に受けてもらう、生き残るための訓練は欠かせない。ブインにもかなりの艦娘たちが逗留していたはずだ。手紙をしたため、無妖精飛行の訓練中である軽空母たちの誰かに渡す段取りを組む。

 

 「誰か、長門を呼んでくれないか。相談があるから至急と伝えてくれ。あと、今日の戦闘予定表の見直しをするから大和に連絡を。朝一の会議の件は今から5分でまとめる。秘書官は誰だ? 望月? わかった。次だが…、」

 

 そうしてショートランドの、いつもの日常が始まる。

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 横須賀大本営の決定通知から約一ヶ月半。太陽の照りつけは緊張状態が続いたあの日とあまり変わらない。

 トラックにて提督を拝命していた男は配置移動を受けラバウルの地へと足を踏み入れていた。

 戦場の跡というのはなぜこうも哀愁を漂わせているのか。初めて目にする光景に思わず足がすくんでしまった。それを解いてくれたのは潜水艦たちだ。オリョクルが近くなった! と大騒ぎである。

 

 それから真新しい弾薬の、黒焦げた地面と全壊し瓦礫の山と化していた建物郡は本土から派遣されてきた工兵隊によってすっかり地ならしされ、真新しい鉄鋼材が大地から幾本も突き出している状態となっている。

 ラバウルの作戦本部は仮設に置かれ、無線やらなにやら、男と共に移動してきた者たちが日々運営に支障がきたさないよう作業を繰り返している。その最中、やっと通じるようになった無線からショートランド提督から連絡が入った。なんでも大本営からラバウルの支援を命じられており、陣中見舞いもかねてこちらに来るという。その際にはラバウルから難を逃れた艦娘たちも随行、もしくはいくつかの艦隊に分かれて合流すると聞かされた。その数、50あまり。ただ戦いを否定している艦も少なくないという。どう扱うかはラバウル提督にお任せする、とのことだが男にとってもどう扱って良いのかわかりかねる、が本音であった。

 トラックから共についてきてくれた艦娘たちはといえば駆逐艦と軽巡、潜水艦たち。そして軽空母が主力だ。重巡は麻耶と鳥海だけであるし、空母にいたっては絶望により気力を失った飛龍のみだ。

 戦力増強は確かに嬉しい。嬉しいが、あの無理難題を押し付けてきたかの人物の元で運用されていた艦娘たちである。

 思想や感情も上司である提督によって変わっていくともいわれており、どうやって付き合えばよいのかわからなくもあった。

 

 そも男は他の提督たちに比べ平凡さが際立っていた。

 どうして提督などという役職に抜擢されたのかいまだに意味不明だった。男が細々と続く帝国軍人の家系だったからだろうか。いくら考えても答えは出ないし、ラバウルにやってくると連絡をしてきたショートランド提督のような武勲を次々と立てられるような機会もないだろう。

 

 かくしてショートランド提督はやってきた。

 旗艦を戦艦金剛とし、航空巡洋艦最上、装甲空母大鳳、軽巡川内、潜水艦伊168、そして駆逐艦吹雪を先鋒とし一定距離を開けて次々と艦娘たちが到着する。ショートランド提督は野営の準備を指示し、到着の報に駆けつけたであろう男の元ににこやかな笑顔を浮かべて手を差し出す。男は背に汗をかきながらも平静を保った風を装い挨拶を受ける。提督としての移動手段が、金剛にお姫様抱っこされて、というのがかなり衝撃的ではあったものの船を使っての移動と比べるとずいぶんと早く到着できるのだという。有事の際は特に男性としての尊厳は捨てるに限る、と乾いた笑いを放っていたのが印象的だった。

 

 男が提督を案内したのは仮設の指揮所である。長机がひとつとパイプ椅子が壁に立てかけられただけの殺風景さだ。

 さて、と前置きしショートランド提督は制服を脱ぎ、自ら組み立てたパイプ椅子に上着をかける。そして時間がもったいないと滞在日数と目的を告げた。

 四日間、と言葉を切る。その期間内でこの後に予想される海戦を生き延びるための術をこの基地の艦娘たちに叩き込む、と宣言されたのである。

 「と、その前に風呂だな」

 「風呂?」

 

 男は提督の言葉が理解できずオウム返しする。

 提督は己の耳をぽんぽんと叩き、入渠施設を見に行ってもらったんだがたった4つだと艦娘たちの回復に時間がかかるだろう。そうすると傷だらけのままの待機艦が増え、この前のように基地が襲われても守る戦力が確保できないだろう、と言ってきた。

 

 「で、でも」

 「日本人とあの島国の由来を汲む艦娘たちの風呂好きを甘く見ちゃ駄目だぞ。というのは冗談だが。4つ以上作ってはいけない、なんて軍規の何処にも書かれていないし、死と絶えず隣り合わせの最前線にそれを強いられても無理すぎる。文句を言われたら鼻で笑ってやれ。最前線で戦死者を出さず生き残るれるほどの策があるのだろう、やれるならやってみろと。だから、まあ任せてくれ。この基地は南につながる玄関だから前任者のように、簡単に潰れてもらちゃ最南端の俺たちが困るんだよ」

 

 どこか困ったような表情をし、かのショートランド提督は笑う。強い言葉であるのに、その声には圧が含まれてはいない。

 じゃあブルドーザーを借りるぞ、と提督は男に言い、インカムであろうか。見たことの無い小型過ぎるそれに提督が次々と矢継ぎ早に指示を飛ばすのをただ呆気として見守ることしかできない。

 

 提督はそうしてあっという間に温泉を作ってしまった。必要であった時間は約12時間。突貫工事にもほどがある。

 そのすべてを指揮したのはショートランドの金剛だ。人も艦娘もうまく采配し、穴を掘り耐水コンクリートで固め簡易とはいえ何十人もが一度に入れると露天浴場を作り上げたのだ。形としては学校に備え付けられたプールに似ていなくもない。だが艦娘を初めとする人間の多くが喜びの声を上げた。日本人は風呂好きで有名な民族でもある。風呂を馳走と表現するくらいだ。

 工作兵にリンゲル液がプール型の風呂に流れ込むように工事を頼めば終了だという。

 

 これで傷ついた艦娘たちが傷を抱えたまま戦場に立たなくてすむようになる。疲労回復も備え付け形の入渠とは比べ物にならないと付け加えた。

 

 その間に行われていたのは提督による聞き取りだ。

 いったいラバウルに何があったのか。ラバウルからトラックになぜ向かったのか。この新しい基地の問題点を洗い出す。男と飛龍がそれぞれ提督と金剛により事情をあらまし把握され始めた頃、海上では夜戦番長として名高い川内によって駆逐艦たちがショートランド式回避術を仕込まれていた。駆逐艦たちにとっては軽巡川内に遊んでもらっているような感覚である。今まで遊びらしい遊びをしたことがなく、楽しみも食べることが主であった駆逐艦たちや麻耶までもが輪の中へと加わり、収拾がつかない状態になっていくのだがこれはまた別の話である。

 

 男にとってはその三日間はめまぐるしくもあっという間に過ぎた日々だった。

 さすが南方の、前任のショートランド提督が赴任地はさながら地獄絵図である、と顔を青くした海域を人類側に繋ぎとめているだけの人物だけはある。だが男にとっては劣等感を刺激され続けただけだ。

 

 なにをやっても望みどおりいかない。ほどほどに予測される範囲内にすべて収まる。大きな失敗をしない代わりに、少しも突出した結果が出なかった。先祖がどんなに凄かろうが、その凄さは血筋に反映されることがないのだろう。士官学校の出かと思われたショートランドの提督は民間出身だった。何の軍務経験すら積んでいない。それなのにここまで鮮やかな采配を見せられては男の立つ瀬がなかった。なにを学んできた。なんの経験を積んできた。机上の空論と点数に優劣を見て自己満足していただけではなかったのか。

 

 翌日の朝に帰る、と伝えにきた提督が男が座る椅子の横に立つ。

 『このままだと数ヶ月先にやってくる、魔の5分が繰り返すぞ』

 

 男は勢いよく顔を上げる。

 魔の5分、それは戦史を学ぶものならば知らないはずのない語句である。かのミッドウェイ海戦の折、空母四隻が沈んだ後、山口多門提督が飛龍健在を謳(うた)い強硬手段に出た逸話につけられた題名のようなものだ。

 このままでは同じ(てつ)を、お前が飛龍に踏ませる。

 

 そう提督は断言した。

 男はショートランドから来たこの人物がいつ休息を取っているのかを知らない。男が眠気に襲われ寝落ちた後も動き回っていると聞いていた。

 人はどんなに睡魔に抗っても勝てるものではない。どんなに眠るものかと歯を食いしばっても、知らぬ間に意識が落ちているのだ。男が就寝する頃にはまだかの提督のテントには灯りがともっており、起床したときにはすでに活動を開始している。どれだけ強靭であるのかと、驚きを通り越していた。

 

 どうすればいいのかが、わかりません。

 

 男がか細く言葉にする。

 自己評価がかなり低い上司だと、トラックから共に赴任してきた艦娘たちが言っていた。なぜあそこまで自信がないのかがわからない。泊地運営の仕方も悪くないし、本土に比べれば限りあるだろう資源をやりくりして艦娘たちが少しでもすごしやすいように配慮してくれているという。

 

 家庭環境がなにか、影を落としているらしいが最古参の由良ですらわからないと首を振った。詳しい事情を知っていたのは、先の海戦でラバウルに派兵された翔鶴、瑞鶴姉妹だったという。姉妹を喪ったことで前後不覚になった男が大暴れしたことがあるらしいのだが、そのときでさえ明言していなかったという。送らねばならなかった不甲斐なさと感情を爆発させ吐露していた。だから、踏み込めない。一歩前に踏み出すと、なぜか何歩もあちらが下がっていくような気がする、のだと眉を下げた悲痛な表情で教えてくれた。

 

 発破をかけて奮起するならばやってもよいが、この男の場合は逆効果になる可能性が高い。

 ショートランド提督はパイプ椅子を壁際から引っ張って来、その横に座る。

 深海棲艦はタンカーを曳航していたという。何に使うのかは不明だ、というつもりはない。

 大湊から送られてきた書類の中に、本来入っているはずのない書類が紛れ込んでいた。それは偶然を装った故意だ。

 あの指令もなかなかにしたり顔で無茶を押し通す人使いの荒い人物だ。付き合いはまだ浅いがだいたいの人物像は掴んでいる。ちょっとやそっとのごまかしでは、嘘だと見抜かれてしまうだろう。だが信用できる相手であるのかまだわからない。そうであって欲しい、協力関係を結んでより良い環境を作りたいとおもってはいるものの、取りまとめの本元である元帥があのとおりの人物である。腹に一物ならぬ、二物の三物も抱えた狸だ。年若いとはいえショートランド提督にもそれくらいはわかる。

 

 深海棲艦は数を減らしているのだろう。

 減らしている、というより指揮系統をまとめる固体が出現しにくくなっている、のだと予想していた。なぜならショートランド沖のゲートはあいも変わらず頻繁に開閉を繰り返しているし、その他の地域も相変わらず大小さまざまではあるがゲート出現の報が途絶えてはいない。しかし送られてくるデータを見ると本土や泊地、基地への攻撃頻度が以前と比べて格段に下がっている。では開閉のたびに一定数出現する深海棲艦の群れはどこへ消えているのだろうか。

 南方海域周辺で姫系が群れを率いれないその際たる原因はショートランドが真面目に、姫や指令塔になるかもしれない固体をもぐらたたきのごとく確実に潰しているからだ。そうしなければ鉄底海峡の再発である。冗談ではない。

 タンカーの中には赤城と加賀、蒼龍が居たという。間違いなくあちら側に染め替えられているだろう。深海棲艦の生態など、知らぬに越したかったが知ってしまったものは仕方が無い。本当に厄介なものをあの指令は紛れ込ませてくれたものだ。悩みが深くなりすぎて禿げたらどうしてくれようか。笑い事ではない。これは切実な問題だった。

 

 「……あなたには、わからないでしょうね」

 「さて、どうだろう」

 

 わかるかもしれないし、わからないかもしれない。少なくとも話を聞くまではどちらかを判別できようもない。

 

 「飛龍が猛特訓しているのは知っているだろう」

 

 怪我をしても甘んじて受け入れ修復に緩和を求めない。痛みこそが生き残ってしまった己に課せられた罰なのだと。

 男は沈黙する。

 どうやら耳だけはこちらに向けてくれているらしい。逃げ出さなかったのは評価できるだろう。最も誰かを批評する権限などショートランド提督にはない。

 

 「あれなあ、大鳳と最上、君のところの軽空母たちが全力で航空機を飛ばした状況下でたったひとりになった状態でいかに戦うかっていう訓練をしていたんだ。他にも夜戦ってさ、まだ航空機飛ばせないじゃん。駆逐艦と軽巡たちに少しでも触られたらまた最初から、三時間逃げ切るっていう訓練したり、航空機を早朝に発艦させ八時間の航空管制させたりさ」

 

 ショートランド提督がつらつらと語る内容は、かなり、いや、艦娘を命あるものとして扱っているとは到底思えない訓練(ひどさ)であった。訓練という名のしごきである。人間としてやってはいけない調練の限界を超えているような気がした。航空機をそんな長い時間飛ばすなど聞いたこともないし、一時間動きっぱなしでもかなりの疲労がたまるから、とトラックで自主訓練を行っていた艦娘たちは頻繁に休憩をとっていた。それを連続して訓練させるなど人道的ではない。

 

 「それでも弱音を吐かず今もやっている。海を見てみろよ」

 

 男はのろのろと窓に視線を移してゆく。夜の海は闇の支配下にある。月明かりがある満月の夜ならばかなり見通せるが、月が細い夜になると基地にともされている最低限の明かりだけが煌々としており、どこまでも深い暗闇が伸びていた。波の音だけが境界線のありかを教えてくれる。

 

 それもこれも、しばらくの凪のあとに必ずやってくると告げたミッドウェイ海戦のなぞりが来ると飛龍に告げたからである。

 男にも今まさに伝えた。悪夢の5分というキーワードが指し示すのはその海戦しかありえないからだ。

 ショートランドからは物理的に参加することが出来ない作戦だ。立地的にもトラック泊地が前線基地となるだろう。アリューシャンに至っては本土からの攻撃が主軸になると考えている。その場合、大湊が前線基地となるはずだ。

 元帥がいくら無茶振りを愛していると言っても、幌筵(ぱらむしる)泊地や単冠湾(ひとかっぷ)泊地集合にはしないはずである。荒波と霧が絶えず発生する北の海だ。置くとしても泊地というより監視所といったほうがしっくりくる施設になるだろう。

 

 真っ暗な海では艦娘たちが目にともす光が小さく光る。月明かりもない闇を孕んだ波の上には数え切れないほど多くの輝きが舞っていた。

 ただの闇ではない。煙幕も炊かれているようだ。人間の目には薄ぼんやりとしか見えない白く煙る中から駆逐艦だろうか、小さな光が転がり出ては再び白く煙る視界ゼロの空間へと突っ込んでゆく。

 

 「あれな、回避運動訓練なんだよ」

 

 ショートランドでは毎日、普通に行われている遊びだ。駆逐艦たちは標的に触れるたびに甘味を授与される。

 最近は材料の関係でずんだもちが多い。枝豆と豆腐で作れるこのもちは間宮の季節限定メニューのひとつでもある。

 だが今夜の、ラバウル基地でのご褒美は特別だった。その名も洗濯板、という。かなり大量の材料を使うものの、それらはちゃんとショートランドから持ち込んでおりこちらの食糧事情を圧迫せぬように配慮されていた。

 

 味見もちゃんと参加者たちにさせている。

 駆逐艦たちに一度も触れさせなければ、そのすべては飛龍のものになる約束つきだ。

 艦娘は本当に甘いものに弱い。どんなに機嫌が斜めでも、ちらつかせれば話くらいは聞いてくれるようになる。

 

 「人間なんて弱い生き物だよ。しかもさショートランドなんて南の端っこ、いくら戦果を積み上げ強い、強いと外から持て囃されたとしても艦娘たちがいなけりゃ明日の命も危ういんだぜ」

 

 提督など消耗品扱いであるいくらでも挿げ替える首があると、深海棲艦も知っているのだろうか。艦娘たちを迎えに埠頭に出ているときに襲われかけもしたが、それは提督のその奥に居た軽巡たちを狙った攻撃だった。すぐさま迎撃体制にうつった龍田によって長刀で切り刻まれていたが、猫娘がいやみったらしくお前なんてすぐに強欲たちの策略に引っかかって死ぬんだ、そうしたらまた新しいやつがやってきてここを支配するのだと言っていたのもあながち嘘ではないのだろう。深海棲艦の標的は、艦娘たちだ。そしてそれが終われば人間に移る。そして人間が滅んだなら…。明日という未来が確実に存在しているなどという、平和な時代はすでに終わっている。けれどそれに気づかぬ振りをしなければ、多くが生きていけないのもまた事実だ。下手な恐怖漫画や映画、ゲームのほうがまだ救いがある。それでも、だが、と明日をもぎ取るために提督という存在(あわれなこひつじ)が必要不可欠なのだ。

 

 「友になりにきたんだよ。ついでに覚悟もしてもらいにね。もし君が約束してくれるなら俺が君を裏切ったり利用することは絶対にしないと誓うよ」

 「……なにに、です? 神や仏ですか」

 

 ずいぶんと時間が経ってから、男が小さくつぶやいた。視線は合わない。

 

 「いや、神や仏じゃない」

 

 そんなものに誓っても信憑性などありはしない。神も仏も御手を現世に伸ばせなかったからこその今なのだ。どんなに縋り祈っても物語のように威光が世界に降り注ぐことは、ない。

 

 「君と俺の良心に誓おう。友ならば何かしらが会った時に協力も惜しまないし、間違ったことをしていたら手段を講じて止めにくる」

 

 一方的でもかまわない、とショートランド提督は笑った。

 勝手に俺が誓うだけだから、君は俺を利用してもらってもかまわない。ただ気が向いたら友達っぽいことをしてくれ。落ち着くのはずいぶんと先になるだろうが、月を肴にうまい酒を飲もう。

 

 叶うかどうかも不確かな、未来の約束だった。けれどそれは闇に差す一条の光になり得る。不安だけがあった。混沌とした迷いが思考と行動を塞いでしまっていた。

 生き残らねば訪れない未来。約束が基点となれば明確な道筋がたてられる。そこまで生命を繋げ、と。それが命あるものの役目だといわれた気がした。

 男は、うなずく。まだ声を出しはっきりとした意思は示せない。けれど恐々ながらもうなずく。そうしたい、とおもったのだ。ふと感じた温かさに応える。かつて心の拠り所になっていた姉妹たちの体温をなぜか手のひらに感じたような気が、した。

 


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