現在、凛ちゃんさんは《体術》習得目指して頑張ってます。
「―――――」
言峰教会。
言峰綺礼という神父が住んでいる、初心者救済用のチュートリアル施設………だった場所。
しかし、それも今となっては昔の話だ。
現在は謎の人物“R・T”によって魔改造され、通常のプレイヤーは入るどころか見ることすら敵わなくなってしまった魔王の城である。
重苦しい礼拝堂の空気。
その祭壇の前で、以前と同じように魔王―――――否、神父はいた。
「そうか、キャスターを召喚できたのか。ひとまずは、おめでとうと言っておこう」
ク、と愉快げに神父は笑った。
「…………どうしたんだ、言峰」
「? 何がかね」
「なんというか………嬉しそうだな、と思って」
正直な話、この神父が嬉しそうに笑っていようが涙を流して悲しんでいようがどうでもいいのだが、気づいてしまったからには訊かずにはいられなかった。
………いや待て。
ありえないとは思うが、この神父が涙を流して悲しんでいたら、それはそれで気になる。
「ふむ…………嬉しそう、か。
ああ、そうかもしれないな。何故なら――――」
言峰はそこで、わざとらしく溜めをつくる。
とはいえ、この男の性格はなんとなくだが知っている。
どうせ、
“役者が揃ってきたな。今後も期待しているぞ。”
みたいなことを――――
「何故ならお前のキャスターには、料理スキルが備わっているのだからな」
「………………」
………………はい?
「岸波白野。この世界に来て、まず私がしたことはなんだと思う?」
最初にしたこと………?
「……チュートリアルの仕事?」
この男は曲りなりにもチュートリアルNPCだし、ソードアートオンラインの世界観をよく知らないプレイヤーにいろいろと説明したのではないか。
そう思ったのだがどうやら違ったらしく、神父は小さくため息をついた。
「………………。
違う。確かに何人かの一般プレイヤーに説明はしたが、私が最初にしたのはそんなことではない」
「じゃあ…………サーヴァントを探した、とか?」
「それも違う。どうやら本気で分かっていないらしい。
仕方ない、ならば教えよう。私はまず、この《はじまりの街》での食事処を探した。だが…………見つからなかったのだ」
「いや、食事処ならそれなりにあるだろう」
確かに安物の食べ物ばかりで、美味だと言える物もほとんどない――――が、ここ《はじまりの街》でもある程度の食事は出来るはずだ。
「この私に延々と安物の黒パンを食べ続けろ、と?
巫山戯るのも大概にしたらどうだ岸波。ラー油と唐辛子があれば別だろうが、それすらないのでは話にならん。」
「…………つまり、何が言いたいんだ」
「まだ分からんのか。ならばハッキリと言ってやろう。
この世界には…………否、この街には―――――
「―――――。」
――――――――――そうか。そうだったのか。
「…………で?」
「確かお前のサーヴァントは、かなりの料理スキルの持ち主だったな。
早い話、キャスターに麻婆豆腐を作ってもらいたい。調味料ならば一通りここにある」
そう言って言峰はメニュー画面を操作し始めた。
“何故NPCである言峰がメニュー画面を開けるのか”
という疑問が頭をよぎったが、彼はムーンセルによって再現されたNPC。
プレイヤー同様の権限を持っていてもおかしくはない。
―――――そして、言峰が操作を終えた瞬間。
眼前に様々な調味料が出現した。
「な―――――!」
「なんとっ!?」
それらに驚いたらしく、霊体化していたキャスターが姿を現した。
「神父さん。それ、一体どうしたんです?」
「私が独自に集めた様々なグロテスク素材をこねくり合わせたら、何故かできてしまったのだ。
もっとも、正確には“調味料に似た何か”だがね」
さりげなく“私は教会から離れることができますよ”アピールしたな、今。
いや、そんなことはどうでもいい。
再現度が低かろうと、調味料は調味料。
あれを使ってキャスターが料理すれば、かなりの品が出来上がるに違いない………!
「欲しいか?欲しいだろう。ならば私のクエストを受けるがいい。
題して、“オレ外道マーボー今後トモヨロシク”だ」
「分かった。クエストを受ける」
既に答えは決まっていた。
毎日の食事が美味くなるのなら、努力しない手はない。
隣のキャスターにも異論はないようだ。
「ああ。やはり、君はそうでなくてはな」
言峰が指を鳴らすと、頭上に新しくアイコンが表示された。
同時に、視界にクエスト受領のログが流れ始め……
その最後に、集めるべきアイテムの名称が表示された。
・《トウフ》または《豆腐》と名のつく食品アイテム×1
・肉系食品アイテム×1
だ、そうだ。
分量やそのほかの食材、調味料等がないのが気になるが、ここはゲームの世界だ。
ゲーム用にバランス調整されているのだろう。
「では、よろしく頼む。私は基本この教会にいる。材料が集まったら持ってくるといい」
言峰の声を背中で聞きながら、自分とキャスターは言峰教会を去った。
「ところでご主人様。あの神父さんに、他のサーヴァントについて訊かなくても良かったのですか?」
「…………。
……………………。
…………………………………あ」
「……どうやら、忘れてたみたいですね」
「面目ない……」
「いえいえ、そんな!
でも、今更引き返すのもあれですし………とりあえず、頼まれたものを集めましょうか」
◆
カーン、と。
鉄を鍛える音が響いた。
槌を握るのは、上下黒一色の衣服を着た一人の鍛冶屋。
アンビルの上にあるのは一本の剣。
やがて鍛冶屋の男は、静かに呟いた。
「―――――
その呟きを聞いた者はいない。
仮に聞こえたとしても、それは意味のない単語だ。
何も問題は無い。
しかし、その男にとっては違う。
言ってみればこれは自己暗示。
己の中のスイッチを、スムーズに切り替えるためだけの呪文。
男は黙って槌を降ろす。
それに応じて、鉄床上の剣―――――《ワンハンドソード》が光を帯びる。
だが、男がやっているのは断じてただの強化ではない。
まさに理解不能。
こんなものは、システム上には存在しない―――――
「
十回ほど剣を打った後、光が消えた。
その中から現れたのは一本の剣。
ただし、それは元の《ワンハンドソード》ではなかった。
黒々とした漆黒の剣。
現時点ではどうやっても手に入らないであろう業物。
男はそれを様々な角度から確認した後、目の前の客に返した。
客はその剣を手に取り、おおー!と歓喜の声をあげる。
「これでどうだろうか。目当ての物にはならなかったかもしれないが」
「いやいや、十分過ぎるよ!
確かに《ワンハンドソード》とは全然違うけど、そんなことどうでもいいくらいの性能だ!
重さも丁度いい。凄い、ホント凄いよアンタ!」
受け取った剣をメニュー画面で確認しながら、客は興奮気味に男を賛美する。
とんだ業物を手にして浮かれている客を諌めるように、男は静かに忠告した。
「そうか、それはよかった。
とはいえ、慢心はするな。重さが違うということは、それだけ扱いにも差が出来たということだ。
試し斬りも兼ねて、慣れるために《はじまりの街》周辺のイノシシと戦ってみることを勧める。
どこか違和感を感じたなら、いつでも来るがいい。金はとるがな」
「ははーん。そうやってちびちび金儲けしてるんだな、アンタ。
まあいいか、ありがとな。ちょうど素材も欲しかったし、とりあえずイノシシ狩ってくるわ。
ほい、これ」
客は剣を鞘に収めたあと、男に一枚のコインを渡す。
コインには………意味不明な菌糸類の絵と、五〇〇という数字が書かれていた。
この世界でのお金、コルだ。
言うまでもないことだが、実に不釣り合いな金額である。
宿屋の基本料金は五〇コル、黒パンは一個一コルの世界だ。五〇〇コルもあれば、さぞ贅沢ができるだろう。
だが、所詮は生活費の域を出ない。たった五〇〇コルでは、満足な剣一つ買えはしない。
たかがその程度とモンスターと戦うための剣を同じ秤にかけるのは、あまりにも馬鹿らしい。
男は、
“強力な武器に変化する保証はないため、少々安くしているのだ。
ちなみに、通常の強化も受け付けているぞ。”
と言っているそうだが、実際に剣を弱体化させた例は一つもない。
つまりこの男は凄腕の鍛冶屋なわけだが…………彼に武器の強化や作成を頼む者は非常に少ない。
理由は簡単。
この男は決まった場所に店を開いておらず、各地を転々としているからだ。
今回偶然遭遇できたこの客は、かなり運が良かったと言えるだろう。
―――――これは、とある鍛冶屋の一コマ。
固有スキルを使い、中層プレイヤーを手助けする男の日常。
今日も独り、男は黙々と鉄を打つ。
やがて自分自身もまた、彼らと共に戦場に立つことを予見しながら。