短いです。
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第二層の主街区《ウルバス》にはNPC運営の、ちょっとした穴場レストランがある。
まだ序盤の二層なだけあってメニューも種類が少なく、何より素朴だ。
簡単なサラダとシチュー、そしてパン。それがこのレストランにおける最高級メニューである。
だが、何事も例外は存在する。
それが《トレンブル・ショートケーキ》なるメニュー。
とある情報屋によると、このレストランのショートケーキはかなりイケるらしい。
人間が生きる上で、食事は欠かせない要素のうちの一つである。
だが、こと電脳世界においては別だ。
ムーンセルにせよアインクラッドにせよ、食事は必ずしも摂る必要はない。
食事は本来、肉体が活動するためのエネルギーを補給する行為である。
かつてムーンセルでは、最低限活動するためのエネルギーは自動的に摂取されていた。そして、アインクラッドではいくら食事をしてもエネルギーには変換されない。精々何らかの支援効果が得られる程度だ。
しかし食事とは、何も栄養を取り込むためだけのものではない。
エネルギーを補給するだけでも、空腹を満たすだけでもない。
仮に、料理が下手な女性に手料理を振舞われたとしよう。
目の前には味は勿論、見た目すら恐ろしい料理が並んでいる。
食べるまでもない。これは不味い。色々な意味で不味い。
―――――だがそれでも、そこに心が在れば食べられる。
たとえどれだけひどい料理であろうと、そこに愛情さえあれば、心が満たされるのだ。
◆
「…………」
食後のデザート。
目の前にあるのは、一口大に切られたショートケーキ。
スポンジと苺が混ざった生クリームが交互に並び、見事な層が出来上がっている。
形も全く崩れておらず、大きさも丁度いい。
これならさほど大きく口を開けることなく、自然体で食べることができるだろう。
しかし、問題は―――
「はいご主人様。あーんですよ、あーん」
目の前に満面の笑みを浮かべながらあーんを催促する狐―――キャスターがいることである。
「いや、あのですね……」
確かに彼女との付き合いは長い。しかし、しかしですね。
いくらなんでも公衆の面前でそれはどうなんでしょうかキャス狐さん………!?
―――なんてことを考えている間にも、ケーキはゆっくりとこちらに迫ってくる。
ふと、彼女の表情を見た。
有無を言わせず、という顔ではない。
そこには期待と幸福、そして僅かに羞恥の感情があった。
やがて、ケーキは寸前のところで止まる。
「…………」
「…………」
にっこりと笑うキャスター。
………………。
………………。
――――――――――仕方ない、か。
今回だけ……今回だけだ……!
「ぁ、あー…………」
「♪」
感情を斬り殺し、何秒か硬直したあと、ようやく重たい口を開けた。
キャスターは耳をピコピコと動かしながら、しあわせいっぱいな表情でケーキを運ぶ。
「如何ですか、ご主人様?」
「―――――」
客と店員とキャスターに見つめられながら食べるケーキは、なんの味もしないと知った。
「むむ………無言ですか。
やはりご主人様は、妻の手料理でないと満足できないのですね……」
「え、いや、そういうのではなくてだな……」
「ですが申し訳ありません。
いくら料理スキルを持っていようと、食材がないと料理自体ができないのです……」
「? いや、食材ならある………というか、集められるぞ」
「マジですか!?」
マジマジ、と頷く。
「じゃあこの後、食材アイテムでも集めに行ってみようか」
「? 食材………あいてむ?」
肉や魚、野菜といった食品は、この世界では『食材アイテム』と分類されている。
剣や鎧同様、特定のモンスターを倒せばある程度の確率でドロップする。
通常のプレイヤーならば即売ってお金に変える代物であるが、料理ができるとなれば話は別だ。
食材を売るNPCもいるにはいるが、モンスターを狩る方がお金はかからない。
第二層のテーマは“牛”。
ここでは、牛肉に似た食材アイテムが多く手に入るだろう。
「では私は、手料理でご主人様をもてなすこともできるわけですね!?」
ああ、と頷く。
キャスターは“陣地作成”を可能とするサーヴァント。
台所を用意するくらい訳ないのである。
「となると、あとは調味料ですね。
さしすせそ全てとは言いませんが、せめてお醤油くらいは欲しいですね……」
料理のさしすせそは確か……砂糖、塩、酢、醤油、味噌……だったか。
とはいえ、剣がメインの世界にそれらがあるとは思えない。
思えないけど――――
「……長い目で探してみよう。それに、無いなら再現すればいい。キャスターの手料理も、久しぶりに食べたいから。」
「っ――!!
はい! 私、頑張りますっ!」
キャスターは、本当に嬉しそうに頷いた。
思わず頬が緩む。
かつて、この世界に迷い込む前。
月の裏側にいた頃、彼女に手料理を振舞ってもらったことがある。
初めて会った頃は料理の基本すら知らなかったはずなのに、いつの間にか一人前の料理を作れるようになっていた。
ならいつか、この世界でもできるだろう。
―――――彼女の、本当の手料理を食べることが。
そんなことをぼんやり考えながら、キャスターから華麗にフォークを奪い、残りのショートケーキをあーんされる前に食べた。
「あぁ、ちょ、返してください。
もっと私にあーんさせてくださいご主人様ぁ!」
そんな嘆きを聞きながら、黙々とケーキを口に運ぶ。
ここはレストランだ。二人きりならともかく、人目がつく場所で何度もあーんされるわけにはいかないっ!
されるわけには、いかない……!
される、わけ、には―――――
わ、け―――――
「―――――。食べ過ぎた。ギブ」
「お、思いのほか早かったですね……」
《トレンブルショートケーキ》は円柱から三角に切り出した形をしているが、サイズはとんでもなく大きい。
一辺の長さは十八センチ、高さは八センチもある。
空腹時ならともかく、デザートとして食べるには少々多い。
残りは約三分の一。
そういえばキャスターは食べさせるばかりで、当人は一口も食べていなかった。
あとは彼女に食べてもらうとしよう。
「――――はっ!
ご、ご主人様、ご主人様!」
「?」
急かすように袖を引っ張るキャスター。
一体何を期待して―――――
「―――――」
いや、わかった。
彼女が何を期待しているのか、わかってしまった。
「………………」
キャスターは言葉を発さない。
じっっとこちらを眺めている。
………………。
………………。
………………………………仕方ないな。
はぁ、と敢えてキャスターに聞こえるようため息をついた。
その後、フォークでケーキを一口サイズに切り分け……
「えっと…………ぁ、あーん」
「♪」
なけなしの勇気を振り絞り、キャスターの口元へと運ぶ。
キャスターは目を輝かせたあと、これまた幸せそうにパクリと食べた。
「美味しいです。流石、愛がこもってるだけありますね」
「俺が作ったわけじゃないけどな。」
「些細なことですよご主人様。それよりも、続きお願いします♪」
尻尾を振り、さらにあーんを催促するキャスター。
キャスターの口のサイズに合うようフォークで切り分けた後、再びあーんする岸波白野。
以降その繰り返し。
ああ…………バカップルしてるなぁ…………
こうやってキャスターに毒されてくのかなぁ…………
この上なく甘ったるく―――――それでいてどこか居心地のいい時間は、ゆっくりと過ぎていった。