扉の向こうには、かつて第一層でも見た光景が広がっていた。
石で出来た床と壁。奥に向かって伸びる長方形の空間。
今まで一度も開けられたことがなかったせいか、空気は澄んでいる。
まるで扉が開くこの瞬間まで、時間が停止していたかのようだ。
――だが、それも終わり。
止まっていた空間は動き出す。
同時にこの部屋の主もまた、目を覚ます。
巨大な牛頭人身が二体。
どちらもその手には巨大な
フィールドの中央には全身真っ青の牛型。
そして、その奥には赤い毛皮を纏った、サイズが二倍ほどの牛。
二体のボスが立ち上がり、息を吐いた瞬間、部屋に獣臭い悪臭が充満する。
「――よし、攻撃開始!!」
宣言と同時に、五十の群れは分断する。
ディアベル率いる三十六の剣士は、広間の奥へ全力で駆け出した。
彼らの相手は奥にいる赤い牛。
そして、自分たちの相手はこの青い牛――《ナト・ザ・カーネルトーラス》
「岸波白野。お前のステータス構成はどうなっている?」
「ダメージディーラー……攻撃型だ」
「そうか。ならばついてこい。今回、私も白兵戦に専念する」
そう言って、アーチャーは両手に剣を生み出す。
――陽剣・干将。陰剣・莫耶。
本人としてはこれでも雑らしいが、武器としての完成度は頭一つ抜けている。
「では、援護させていただきます。
アーチャーさん。よからぬ事をしでかしたら体に穴が一つ増えることになりますので、お気を付けくださいね?」
「分かっているとも」
剣を腰から抜き、構える。
ハクノとリンは共に攻撃型だ。耐久値を削り、攻撃と速度に重点を置いたステータス。
通常、レイドではプレイヤーごとに役割分担がある。
ダメージを与える攻撃役。
敵の攻撃を防ぎ、注意を引き付ける防御役。
状態異常を付与させ、戦闘を有利に勧める補佐役。
このゲームでは、主にこの三つだ。
「おおおおぉぉぉぉ――――!!!!」
防御役の斧戦士が、雄叫びと共に渾身の一撃を浴びせる。
ダメージが入り、HPゲージが僅かに減少。
同時に、これまで呆けていたナトの目に赤い光が灯り、斧戦士をマークする。
「そろそろか。行くぞ――!」
「っ――!」
走り出したアーチャーに遠坂と追随する。
「■■■■■――――!!!」
言語にならない咆哮。
ナトは発光しつつあるハンマーを大きく振り上げ、叩きつける。
事前に情報があったおかげか、斧戦士は既に回避に移っていた。
ハンマーは誰にも当たることなく、そのまま石の床にひびを入れる。
瞬間、電流のようなエフェクトが割れ目を通じて奔った。
しかし、その範囲には誰もいない。
「――よし、全力攻撃一本!」
黒ずくめの剣士、キリトの掛け声。
同時に、敏捷値をフルに発揮してヤツの足元へ。
剣を右肩に担いで構え、緑光に輝くソードスキルを発動させ――
「はっ――……!」
大木のような脚部の脛を切り裂いた。
自分だけではない。
剣士達による色取り取りのソードスキルが、ナトの体力ゲージを削る。
「下がれ! 次来るぞ!」
キリトがもう一度叫ぶ。
視界そのものが画面となるVRMMOでは、戦場の全体図を把握することができない。
故に、今回の彼やディアベルのような司令塔役が必要となるのだ。
――これが基本。
防御型のプレイヤーが真っ先に攻撃をしかけ、注意を引き付ける。
そのあいだに補佐型、攻撃型のプレイヤーがソードスキルを次々に放つ。
そして、司令塔が後ろから指示を出す。
だが、それはあくまで通常のSAOの基本に過ぎない。
サーヴァントの介入によって、既にこのゲームは変わってしまった。
ならば、それを生かさない手は無い――!
「ふふっ、カチカチですわ♪」
陽気な声とは正反対の冷風。
――呪相・氷天。
ハンマーを握る右腕が、一瞬にして肩まで氷結した。
「こちらが本命だ――!」
疾走する赤い影。
黒白の二連撃が脇腹を抉り、勢いを殺さず背後まで駆け抜ける。
武器の性能か、それとも本人の筋力か。ソードスキルでないにも関わらず、ナトのHPゲージがごっそりと消えた。
アーチャーに続き、再びソードスキルを使う。
「もう、一撃っ!」
色は青。単発範囲攻撃――《ホリゾンタル》
先ほどと同じ部位を、今度は横一文字に切り裂いた。
「■■■■――――ッ!!!」
ナトは自力で《呪相・氷天》による氷が砕き、硬直時間が終了する。
怒り故か、ハンマーを一番近い自分目掛けて振り下ろした。
だが、攻撃そのものは至極単調。
バックステップのみで攻撃範囲から逃走する。
案の定、強烈な打撃は誰にも当たることなく、石床を打ち付けた。
「……」
大丈夫だ、大した敵じゃない。
攻撃は規則的で、パターンもさほど多くはない。
相変わらずキャスターによる氷の強度は低くなっているが、怯ませることができるなら問題ない。
◆
「こういうのも存外、悪くないかもですねえ~」
ポーションでの体力回復中、緊張感のない声でキャスターが話しかけてきた。
どこかのんびりした調子なのは気のせいではないだろう。
誰かが多少ミスをし、麻痺状態になったとしても、アーチャーかキャスターがフォローできるからだ。
「……こういうのって、何?」
「ご主人様が前衛で、私が後衛の図です。ほら、私キャスターですし。基本的に、接近戦は苦手なんですよ」
「……そうかな。キャスターだって接近戦できるじゃないか。ほら、呪法・玉て――」
「私キャスターですから、接近戦は苦手なんですよねー」
「え、でも――」
「苦手なんですよねー」
「……」
「苦手なんです」
「……そうだな」
……もしかして。
これは、“ワタクシ接近戦シタクナイ”という意思表示なのだろうか。
「マスターが前衛で、サーヴァントが後衛。普通は有り得ないんですけど、だからこそ面白いです。ゲームならではのゆとりですね」
「そんな呑気な……一応、命掛かってるんだけど」
「確かにそうですけど、そこまで深刻ではないと思いますよ。ご主人様には私がついていますし、その他はアーチャーさんが守ってますから。
……つーか、弓兵強すぎじゃね? あの緑ぃのも厄介でしたけど、所詮は罠と毒でしたし。アーチャーなのにあれだけ剣使えるとか、詐欺じゃありません?」
「かもしれないけど……ある意味、それが正しい弓兵の形だと思う」
「と、いいますと?」
「弓兵は、弓を使うから弓兵なんだ。それが英霊なら、接近された時の対処法だって持っているかもしれない」
例えば緑衣のアーチャー――ロビンフッドなら、自身を透明化する宝具《
それがあのアーチャーの場合、“剣でも戦える”ということなんだろう。
「なるほど。確かに、あのリンゴ大好きケモ耳アーチャーさんだって圧倒的な敏捷値とスキルをお持ちですからねー。一理あります」
「ちょっと待て。誰だそれは」
そんなアーチャー、見たことないが。
「■■■■■――――■■■――――!!!!」
「っ……!?」
耳をつんざく何かの咆哮が、意識をキャスターから引き戻す。
ナトともバランとも違う、別の生物の叫び。
「……そろそろ、ですかね」
「キャスター……?」
「来ますよ。三体目のボス」
「三体目って……っ!?」
「■■■■――――■■■――――!!!!!」
先ほどと同じ咆哮。だが、少しだけ近くなってきている。
声の発生源は下……地下だ。
フロアの中央――模様だと思っていた円型の巨大な石材が、エレベーターの如く地面からせりあがってきた。
裸の上半身。腰周りにはチェーンメイル。
腹にまで達する長い髭。
六本の角を生やした牛の顔。
そしてその頭上には――黄金に輝く王冠。
雷鳴による演出が終了し、モンスターの名前が表示される。
《アステリオス・ザ・トーラスキング》
アステリオス――すなわち星、雷光。
別名『ミーノース王の牛』
――それが、アインクラッド第二層を守る真のボスだった。
「……新手、か」
「思ってたよりおっきいですね。死者は出さないという約束ですし……これは、ちょっと本腰入れましょうか」
キャスターに驚いている様子はない。
薄々こうなることを感じていたからだろう。
しかし、普通のプレイヤーにそんなことが分かるはずもない。
《ナト・ザ・ジェネラルトーラス》と《バラン・ザ・カーネルトーラス》、それぞれを相手していたプレイヤーは皆硬直している。
突然のボス出現に、アバターではなく
「どうします?
「……」
撤退するべきだ。
三体目の出現という情報は攻略本に載ってなかった。
つまり、ベータテストの時には存在すらしていなかった、
「っ――」
……撤退、できるのか?
入口付近にいる十五名だけならば、逃げに徹すれば可能だ。
だがそれでは、奥で戦っている三十五名を見殺しにすることに――
「――それは、駄目だ」
剣を握る手に力が篭る。
体力ゲージは残り七割。これがゼロになれば有無を言わさず自分は死ぬ。
この世界にはおよそ痛覚らしい痛覚は存在しない。攻撃を受けると確かに痛いが、実際にその身に受けるほどの痛みは感じない。
感覚の麻痺は生物にとって非常に危険だ。
――しかし、今に限ればそれは好都合。
痛みによって思考が中断されることはなく、上手くいけば常に動き続けられる。
今ならば、人間の枠を超えることができる――
「……よし」
新手のボス登場に硬直するプレイヤー達。
その中でも、今まさに動こうとしていた黒剣士に声をかける。
「キリト。あとは任せていいか?」
「……あんたは、どうするつもりだ」
「キャスターと一緒に、アステリオスを叩く」
簡潔な言葉にキリトは驚きの表情を見せる。
「……無茶だ。ヤツはベータ時代にはいなかったボスだぞ」
「だからこそ、だ。例外は、例外が相手をする」