意識が覚醒した時。
既に、世界は大きく変動していた。
◆
「ここは……?」
気がつくと自分――――岸波白野は、見知らぬ街にいた。
村と言うには規模が大きい。それはひと目でわかった。
何故なら、余りにも人が多いからだ。こうして立っているだけでも、多くの通行人が自分の隣を通り過ぎていく。
そして、街そのものもかなり特徴的だった。
通路、壁、建物など、あらゆるものが石でできており、更に商人と思わしき人物達がそれぞれ沢山の店を開いている。
「…………」
辺りを見渡しながら、ゆっくりと歩きはじめる。
通行人達は雑談をしながら歩いている。
そしてそれらを塗りつぶすかのように、あちこちの店から店員の客を呼ぶ声が聞こえてくる。
おそらく、商品の宣伝をしているのだろう。
どうやら随分と賑わっているようだ。
……石造りの街の、とある商店街、といったところか。
おかしい。
商店街だというのならまだいい。だが、何故石造りなのだろうか。
おかしな点はまだある。彼らが売っているもの……すなわち、商品だ。
肉や野菜といった、いわゆる食品を売っている店がある。これは普通だろう。
――――しかし、普通だと言えるものは殆どそれしかない。
例えば、先ほど通り過ぎた服屋らしき店。
何故“らしき”なのかは言うまでもない。店の奥に、銀色に輝く立派な“鎧”が見えたからだ。
服装には明るくないが、少なくとも、普通は鎧など売ってはいないはずだ。
「よう、そこの兄ちゃん! ちょっと見ていかねぇかい? いいモノあるぜ」
とある店の前を通り過ぎようとしたとき、気の良さそうな男性に声をかけられた。
そう。
―――――何故か肩に巨大なメイスを担いだ、筋骨隆々で長身な、その男に。
「あ…………えっ……、と……」
「?」
その圧倒的な威圧感に、思わず尻込みしてしまう。
こちらの反応が以外だったのか、男は不思議そうに自分を見る。
だが、それはこっちだって同じだ。
何故こんな街中でそんな物騒なモノを担いでいるのか。
そして、店の奥から微かに見える刃物――――主に剣――――は、一体何なのか。
そう問いかけたいところだが、混乱のせいか呂律が回らない。
「……なあ、兄ちゃん、大丈夫か? なんか難しい顔してっけど……」
「…………いえ、大丈夫です。では……これで」
「? ……そうか」
軽く手を振ったあと、再び歩き出す。
ここは既に、自分が知っている世界とは違う。
目に映るモノ、その全てが自分の常識とかけ離れている。
よく見ると、通行人の姿も明らかに変だ。
硬い鎧を纏った男性。その背中には、巨大な西洋の槍がある。
身軽そうな革の鎧を着た女性。しかし、その腰には一本の短剣。
まだまだ通行人はいる。しかし、誰一人として普通の衣服を着ている者がいない。そして同時に、必ずと言っていいほど人を殺せそうな凶器を所持している。
対し、自分は何も持っていない。着ているものも、ただの学生服だ。
そのせいか、異分子感がより強く出てしまっている。
決して世界がおかしくなったのではない。
――――自分がおかしいのだ。
……そうか。
ここは、いわゆる“異世界”というやつなのだ。
自分が知っている常識とは大きく離れた、全く異なる世界。
原因は見当もつかないが、自分は知らない世界にたった一人放り出されてしまったらしい。
「…………」
思い出せ。
ここに来る前、自分は一体何をしていた?
何を――――
何を――――して――――
何、を――――
「……あれ」
――――わからない。
より正確に言うなら、思い出せない。
思い出そうとすればモヤモヤとした、しかし確かな“何か”に押し戻される。
記憶に靄がかかっている、とはこういうことを言うのかもしれない。
だが、不思議とそう驚いてはいなかった。
同時に心のどこかで「またかっ!」と突っ込まれた気がした。
どうやら自分は、記憶喪失というものに慣れてしまっているらしい。
いや、ただ単に図太いというだけなのかもしれないが。
「…………ぅわっ」
顎に指を添えて思考に耽っていると、突然視界に沢山の長方形が現れた。
その中でも一番目立つのは、『メニュー』と書かれた横長の長方形。
上から順に、『ステータス』、『装備詳細』、『クエスト確認』……と、何やら色々と続いている。
視界の一番左上には“ハクノ”の文字。その隣には、青と赤のゲージが二つ。
「これは…………」
細部は異なるものの、これと酷似したものを自分は既に知っていた。
これはつまり――――
「もしかして……ゲーム?」
そう、ゲーム。
視界に映っているのは、まるでゲームの画面そのものだ。
となると、この青色のゲージは体力、つまりはHPだろう。なら、赤色のゲージはMPか。
それに、“クエスト”という単語からもこれがゲームであることは想像できる。
つまり……今、自分はとあるゲームの世界の中にいる、ということだろうか……。
「うわぁ…………すごいな、それ」
普通ならば、ここでパニックに陥るのかもしれない。
しかし、自分はそれほど取り乱してはなかった。
無論、驚いてはいる。状況も掴めないままで、それは一向に変わっていない。
だが、不自然なほどに自分は落ち着いていた。
まるで――――かつてそれ以上の危機を、何度も乗り越えてきたかのように。
「…………ん?」
メニューを操作していた指が止まった。
気になる項目を見つけてしまったのだ。
「…………フレンド?」
『フレンド』
単語から察するに、これは多くのプレイヤーの中でも特に親しい友人や仲間を意味するのだろう。
しかし、この世界を知らない自分に、そんな頼もしい存在などいるはずもない。
……とはいえ、確認しないわけにもいかないだろう。
特に期待せず、『フレンド』の項目を指で触ると―――――
「え……?」
――――その瞬間、衝撃が走った。
思ったとおり、『フレンド』の中身はガラガラである。
登録最大人数は1000を超えている。が、フレンドがいない自分は空白だらけだ。
…………だが、ひとつだけ、あった。
無数の空白の羅列。
その、一番上に。
ルビーの如く赤い文字で、こう刻まれていた。
―――――“リン ♀”と。
目の前が途端に明るくなった気がした。