アカネイア暦538年 モスティン 9歳(d)
起きたら丸一日たってました。
腕の激痛で飛び起きたら、見慣れた我が家だった時の驚きよ。思わずキョロキョロと見回していたら、駆け寄ってきた母に抱きしめられた。されるがままに状況をたずねると、小言をたっぷり添えて返される。
まったく意識していなかったが、朝の漁からぶっ続けの初陣で俺の気力と体力は限界だったらしい。銛をぶん投げたところで気絶してしまい、戦闘終了までプカプカ浮いていたそうだ。泳いで救助してくれたマックスもぶっ倒れたとか。あいつ本当に良い奴だな……!
商船は無事だったものの、船員の半分を失い、残った者達も大なり小なり負傷している。降伏してきた捕虜は10人。それだけのお客さんが一時的に来たことで、村は現在てんてこまいになっている。なお、戦闘に参加した村人は全員無事である。頭目を足止めしていた二艘のうち三人が重傷だが、命に別状はない。あとでたっぷりねぎらわなくては。
村の代表として父と爺様、商船からはトワイスにロレンスという責任者ふたり、以上の面子で話し合いが行われている。詳しい内容は極秘で、村人の誰も知らないのだとか。察しはつくけどね。
痛みにも慣れてきたので、母をなだめすかしながら起き上がる。寝てる暇なんかない。自分で現状を把握しなくては、全部かやの外で終わってしまいかねなかった。
浜辺にいってみると、あるんだな船が。俺達が必死になって守り、襲い、食らいついた三隻がデデデンと並んでいる。生き残った船員達が商船を、村人達が海賊船二隻を手探り状態で整備しており、非常に賑やかだった。
「すっげー! 父ちゃんの舟と全然違う!!」
「乗りたい! 乗りたーい!」
「ダメだダメだ、見るだけにしとけ! ……ああ、いいなぁ。俺だって乗ってみてぇよ。あれで漁をやったら、どんなに良い気分だろう」
ド田舎の村に突然観光スポットが出現したようなもので、子供達が目を輝かせている。見張り役の大人も気になるようで、作業の様子をちらちらと伺っていた。気持ちはわかる。
そんな微笑ましい光景をボーッと見ていたら、銀髪の美少年に話しかけられた。そういや商船にいたな、と思い出したが、俺の中で長い間使われなかった嗅覚まで反応した。
「ぶ、」
「ぶ?」
「文明の匂いがする……!」
右腕をぐるぐる巻きにしたガキが膝から崩れ落ちておいおいと号泣する異常事態。さすがの銀髪美少年も困惑したのだろう、落ち着くまで背中をさすってくれた。ごめんな、マジでごめん。
だってさ、明らかに違うんだよこいつ。生まれも育ちも、受けてきた教育も、生き方の価値観も、何もかもがこの村とは違う。洗練された立ち居振る舞い、何気ない言葉の選び方、内に秘めたプライドをほのかに匂わせる社交性、観察眼の広さ。すべての次元が違う。
こんな村にいるのがおかしい、天文学的な確率を引き当てて迷い込んだ、本物の貴族。
これだよ。
この、ひと目ではっきりと理解できる《異文化》こそ、俺が一番欲しかった刺激なんだ!
人種レベルで何もかもが違う異邦人。村の外、島の遥か先には、こんな人間がぞろぞろ生活している。異なる食事と、娯楽と、衣服と、住居を持っている。文明を築いている。
未来に生きている。
この狭い村で完結してしまった村人達。島の外への関心を捨ててしまった大人達。将来の選択肢を狭めざるを得ない子供達。彼らの意識を変えていくきっかけに、こいつは最高のシンボルになる。
「どうして泣くんだい?」
思いのたけを正直にぶっちゃけると、珍獣を見つけたハンターみたいな顔をされた。もしくは第一村人を発見した探検家。確かにここは未開の島の果てだが。
「国を出てから二年、色々な人種を見てきたが、君みたいな思想の持ち主は初めてだよ。そんなことをいわれたのも」
そりゃそうでしょうよ。こんな9歳児がほかにいたら怖いわ。こっちは後先考える余裕なんてないから、いつだって手札フルオープンでぶつかるしかないのだ。
初っ端からインパクトを与えてしまったが、気を取り直して会話したところ、この少年こそがロレンスだと判明。向こうも爺様から俺の事は聞いていたようで、一度話してみたかったと笑っていた。
生まれはこの島から王都パレスを挟んで反対にある開拓地、グルニア王国。501年にオードウィン将軍が建国した国で、面積は同じくらいの島国だという。ただし文化レベルは比べるのも失礼、月とスッポンぐらい違う。原住民と漂流民しかいないこちらに対して、パレスから任務を受けて移住した本物の騎士階級とその従者、さらに専門の兵士達で構成された、極めて文明的な国家である。なにそれ超羨ましい。
グルニアは国の成り立ちからして軍人気質が強く、ロレンスが生まれたのもアカネイアに代々騎士として仕え、将軍も輩出してきた由緒ある家柄なのだそうな。幼い頃から貴族としてのマナーに加えて、槍術や水練、用兵術、軍略を叩き込まれ、芽があると認められてからは算術まで仕込まれたという。万能にも程がある。
しかし、話していてつくづく思うのだが、
「どうしたんだい?」
「いや、自然体だなぁって」
まったく嫌味がない。
これだけ完璧超人で住む世界が違う人間にも関わらず、相手に嫌な心地を与えないのだ。その半生もエリートそのもの、特権階級の自慢話にも取れるのに、聞く側はするりと受け入れてしまう。これが人徳というものか。おそろしい能力だと思う。
ありがたいことに、向こうも俺に興味を持ってくれたらしい。また話そうと約束して去っていった。トワイスとの相談事ができたので、とぼやいていたが、貴族と商人がいったいどんな会話をするのやら。後学のために聞いてみたい、切実に。
「鬼子(おにっこ)ですね、あれは」
夕食後に改めて開かれる商談に備えての作業中、ロレンスがそう洩らした。
「モスティン。私達を救助し、頭目達の首をとった子です」
「あの少年ですか。先代村長の老人が自慢げにしていましたな」
孫を可愛がっているのがひと目でわかる溺愛ぶりだった。その一方で、父にあたる現村長は苦労が絶えないらしく、何度も胃を抑えていた。次期村長が幼い内から大暴れしているのだから、心配するのも無理はない。
「破天荒だとは思います。二桁にも満たない子供があれだけの戦果を挙げたばかりか、村人達を戦うように先導したとか。確かに並の子供ではない。しかし、鬼子とは?」
鬼。
魔獣と呼ばれる怪物の一種である。人間のこめかみにあたる両側、もしくは額の中心から角を生やし、人のおよそ十倍の力を持つ。肌の色は赤や緑、青、もしくは闇色であり、人間のものではない。
生息地は不明。発生条件も不明。大陸のどこからともなく出現し、村や集落を襲う。壊滅的な被害を出したところでようやく兵士達が出動し、討伐すれば数年は現れない。間に合わなければ、最初からいなかったように姿を消してしまう。
ひとつの噂がある。鬼とは人間が変容した怪物なのだと。それまで人と何ら変わらない生活を送っていた者が突然変わってしまうために、周囲は避難も間に合わず、被害を防ぐこともままならない。さながら災害である。
ロレンスをして、少年を鬼の子といわしめる。その真意がどこにあるのか、トワイスには判断がつかなかった。
「あり得ない存在だからですよ」
本人から『あり得ない人間』といわれたロレンスが断言する。
「考えてもみてください。この村は極めて原始的です。海賊との対抗手段が乏しい上、造船技術もないために、町との交流がない。当然、文明の知識は得られず、文化が発展する事なく停滞する。これでは優れた人材が生まれてこない。多少の才の持ち主はいても、大成はしないでしょう」
にも関わらず。
「モスティンという少年は、明らかにその前提を飛び越えている。生まれ育った島しか知らないはずなのに、他の先進的な都市を知っているかのように比較する。その上で、自分の村がいかに原始的かを理解し、変革しようと動く。いったい、誰が教育したのでしょうね?」
「……親ではない。善人ではあっても、どちらも凡庸です。となれば、あの老人かと」
モスティンが気絶中に進めた商談では、現村長ではなく先代の古老が責任者として進行していた。商船についての知識量が豊富なため、気になったトワイスが事情を聞き出したところ、老人がパレスの住民であったことが判明したのだ。
元々は、少年の祖父も村の異物だった。長い年月をかけて村に溶け込み、一員として認められ、村の長として舵を取った。あの老人も常人ではない。半世紀近くに渡って執念を燃やし続け、ついに機会を得たのだ。商談中の熱意は狂気的ですらあった。ふたりはおろか、血縁上の息子も勢いに呑まれてしまったほどに。
あの祖父ならば、あるいは。
「本当にそう思いますか、トワイス?」
じっと見据えてくる年下の主に、部下は答えられなかった。
「あれはね、誰に教えられることもなく、当然のように知っていたのでしょう。常人とは異なる存在。あり得ない異端児。まさしく鬼であり、鬼の子です」
本人が聞けば怒るでしょうね、とロレンスが笑う。鬼子という怪物扱いをする割には、ずいぶんと好意的な、親しい友人への愛称のような気軽さだった。
(―――ああ、なるほど)
トワイスは思い当たる。
目の前の少年もまた、恵まれた故郷からたったひとり、危険を承知で飛び出してきた奇人なのだと。
ロレンスは喜んでいるのだ。遠い異国の地で、自分と同じか、まったくの異才に出逢えたことが。生まれてきた環境も、受けてきた教育も、すべてがでたらめに食い違う。なのに不思議と噛み合ってしまう。
異物という点において、ふたりはこの上なく近しい存在なのだ。
「面白いですよ、彼は。何をしでかすのかまったく予測がつかない。それぐらいでなくては、この島の改革は不可能でしょう」
「お気に入りのようですな」
「ええ、とても」
ふたりは笑う。年相応の子供らしい笑みと、息子の成長を見守る父のような笑みを浮かべながら。
瞬間。
ロレンスの視線が村の一角に走る。ガルダ海賊の捕虜達を数カ所に分けて押し込めた、村の倉庫が点在する区画である。
「トワイス。ひとつ、無理をしたいのです。ワーレンへの帰還が遅れてしまいますが」
「あなたの望みであれば、何なりと」
「聞かないのですか?」
「お気づきではありませんか?」
ワーレン有数の商人が、色とりどりの宝石を散りばめた手鏡を見せた。
「恐ろしい顔で笑っておられますよ、ロレンス様。あの海戦で見た少年そっくりだ」
“鬼”についての設定はこの小説のオリジナルです。