(こんなはずじゃねぇ)
自分の思い通りにいかない現状に、バーンズの苛立ちは止まることを知らない。何十人もの血を吸ってきた愛用の斧を力任せに振る。しつこく向かってきた傭兵が宙を飛び、家屋に激突して動かなくなった。光を失った瞳は閉じられることなくバーンズを見つめている。恐怖よりも、苛立ちがさらに増した。
(どうしてこうなった?)
100人の部下を二手に分け、ワーレン北の海を北上した。めずらしく頭を使って伏せさせた部下が見張り台を制圧したのだろう、三隻は悠々と村の船着き場に接近できた。海賊船であると気づいた村人達が悲鳴をあげて逃げていく姿に、自分も部下達もどうしようもなく加虐心をそそられて、勢いのままに襲撃を開始する。
運までも自分達に味方した。護衛らしき傭兵が数人いるだけで、村には若い男手がまったくいなかったのだ。五十歳を越えて衰えた漁師ごときでは、荒事に慣れ切った海賊の相手はできない。なによりも数が違う。油断した馬鹿な部下が何人か反撃にあったものの、はなから期待していない。足手まといにならなければそれでいい。
目ぼしい女や奴隷用の子供を捕まえようとしたが、思いのほか動きが良い。よほど躾が行き届いているのか、家も荷物も捨てて村の外へと駆け出していく。それを追いかけていった部下の前に、よろよろと老人が立ち塞がった。
「邪魔だ、ジジイ!」
殊勝にも女の盾になろうとする老人が、手に持ったナマクラで力任せに両断される。肩から胸まで刃先がめり込んだところで、予想外の反撃を食らった。
「がっ!?」
部下の後ろ首から、血で赤く染まったナイフが冗談のように生えていた。どくどくと鮮血を噴き出しながら倒れこんだ男にのしかかりながら、心臓まで斬られたはずの老人がニタリと笑って絶命する。
(……いまのは、何だ?)
さすがのバーンズも足を止めてしまうほどの光景だった。窮鼠猫を嚙む。追い詰められた弱者が逆襲してきた経験なら、バーンズにも数えきれないほどある。だが、いまの老人の姿は、それとは別のような気がした。
「ぎゃああああああ!」
ひときわ野太い声が上がった。真横の小屋の入り口。家を物色してやろうと侵入した瞬間、音もなく潜んでいたのだろう老婆が不意打ちで部下を突き飛ばし、馬乗りになって何度も何度も胸を突き刺している。全身を返り血で真っ赤にしながら、何がなんでも殺すのだと、狂気すら感じさせる殺意を剥き出しにしていた。
「クソババアめが!!」
バーンズの斧が一閃し、老婆の首が飛んだ。頭部を失った小柄な屍が、死に絶えた男の作った血の海に沈む。辺り一面が朱に染まっていた。
なんだ。
なんだ、この村は。
「は、離せ! 離しやがれぇ!!」
馴染みのある声がした。北の港を制圧する前からの部下で、バーンズなりに重宝していた手練れの海賊である。腕っぷしも三人力といわれるほどの男が、どうして情けない悲鳴をあげているのか。
新築らしき小屋の壁。そこに打ち付けるように、右肩と左太腿を二本の銛で貫かれた男がいた。それぞれの銛を離すまいと、ふたりの老人が懸命に抑え込んでいる。決死の覚悟でも力の差はどうしようもない。左太腿にすがりつく老人の身体が、めりめりと引き剥がされていく。
銛の位置が悪かった。右肩に打ち込まれたことで右半身が使えない分、左の自由が利いていたのだ。激痛による怒りと恐怖で、男も力のリミッターが外れている。大汗を流す老人の細い首を、丸太のような男の手が掴み、一息にくびり上げた。
みるみる弛緩する身体を見て、残された老人が金切り声で叫んだ。
「トム爺! 出てこんか、トム爺よぉ!」
「おう、いま片付いた!」
すだれの垂れた室内から、血に濡れた槍を抱えた老人が現れた。ひと目で状況を悟ったのか、油断なく槍を構える。これも位置が悪い。新手の老人が出てきたのは右側であり、しがみついたままの老人の背が邪魔をしている。部下もそれを理解して、加虐の笑みを浮かべていた。
そこからの動きは、バーンズの理解を超えた。
自分ひとりでは抑えられないと見た老人は、銛ではなく男の首にかじりつくように両腕を回した。くびり殺した老人を離し、自由になった左腕が拳を作ると、その背を何発も殴る。骨と皮だけの薄い身体があっという間に破壊されていく中で、老人がもう一度叫んだ。
「ワシごと刺せぇ!!」
「―――先に逝けや!!」
いっさいの迷いなく、鋭い刺突で繰り出された槍先がふたりの首を刺し貫いた。にょっきりと壁から生えた一本の槍の下に、ふたりの人体のオブジェが重なる様は、とうてい現実のものとは思えない。
気が付けば、村のいたるところで部下達が逆襲に遭っていた。非力な、殺されるだけの、獲物ですらない障害物が、何倍もの力の差を命でもって覆して海賊を殺している。
「……な、なんなんだよ、お前らぁ!?」
後方から追いついてきた部下が、あまりの惨状に顔を真っ青にしながら叫んだ。無抵抗なはずの羊に手を噛まれるどころか、命すら捨てる羽目になったのだから当然だった。目の前の光景が現実のものだと信じられないのだ。
槍を失った老人が懐から山刀を抜き取ると、ケケケ、と低く笑った。
「他のところは知らねぇがよ」
口端がひきつったように吊り上がった。
「――――ワシらの父も! その父も! こうやって村を守ってきたのよ! 何が怖いものか! 何が海賊じゃあ! 貴様らごときが村をどうにかできるものか、思い知らせてくれるわ!!」
狂笑とともに老人が駆けた。バーンズを頭目と見抜いたのか、研磨された刃先が首筋めがけて突き出される。老人とは思えない技の冴えだった。が、疲労によって速さに陰りがある。反射的に斬り上げた斧の一撃で持ち手が飛んだ。
「ぎゃあっ!」
後方から悲鳴が上がる。防いだはずの山刀を顔面にめりこませた部下がくずれ落ちていた。あの突撃は、最初からバーンズを狙うと見せかけたフェイントだったのだ。力の差を理解し、確実に敵の戦力を削ぐことに決めた老人の執念だった。
肘から先を失った片腕を抑えながら、老人が高らかに笑った。
「村は安泰じゃ! あの子が、モスティンが村を導いてくれる! そのためなら、ワシらの命なんぞいくらでもくれてやるわ! ざまあみろ、外道ども! はは、ははは、はははははは!!!」
「この――――くたばりぞこないがぁっ!!」
両断されてなお、老人の首は数秒笑っていた。
地面に落ちた憎たらしい果実を踏みつぶしながら、バーンズは畜生、と罵った。完全に計算違いである。村ひとつを占領する前だというのに、想定外の被害が出てしまった。狂人どもの巣窟を支配しようにも、部下が恐怖で使い物にならない可能性が高い。だが、やらなくては来た意味がなくなる。植民地のひとつでも手に入れなくては、暴力で成り上がった自分のメンツが台無しになってしまう。
パフォーマンスが要る。
この村にも長がいるはずだ。そいつを抑えてしまえば、一部の死に狂い達が何をしようと抵抗を止めざるを得まい。そうなってしまえばどうにでもなる。何かいないか。何か――――
視界の端に映る影を見て、バーンズはニタリと笑った。
「戦えない者は出口に向かって走れ! 男は壁になるんだ! 急げ!!」
村に残るなけなしの戦力を振り絞って、村長は懸命に戦っていた。息子が仕入れてくれた剣を構えてはいるが、どうしようもなく筋が悪い。それでも連日の稽古で振ることはできるようになっていた。
村の中央に陣ともいえないラインを引き、女子供の盾になる。あまりにも戦力が違いすぎた。老人達が自分の身を犠牲にして食い止めてくれたおかげで、最悪の事態は防げた。それでも現状は如何ともしがたい。
この場にいる全員が死を覚悟していた。唯一できるのは、ひとりでも多くの村人を逃がして、次代を担うモスティン達の助けにすること。若者達が交流会に出発してから、残された者達で話し合ってきた誓いである。
斬り込んでくる海賊を必死になって防ぐ。一合しのぐたびに死ぬ思いがした。自分が押し込まれるたびに誰かが助けに入り、協力して倒す。いつまでもは続かない。ひとり、またひとりと倒れていき、10人いたはずの盾が3人にまで減っていた。
「てめぇらぁ!」
ひときわ野太い声が響く。頭目らしき髭面の男が、血をしたたらせた大斧を突きつけて姿を現した。
見せつけるように、丸太のように太い腕で羽交い絞めにした女を盾にする。
「こいつの命が惜しけりゃ、無駄な抵抗するんじゃねぇ! 武器を捨てやがれ!!」
「……なんてことだ」
我知らず、声が洩れた。
捕まえられたのは、村長の妻だった。いくつもの火傷と、服に焦げ跡がついている。襲撃の最中に、逃げ遅れた村人達を助けていたのだ。長の妻としての責務だと判断したのだろう。それが仇になった。
ミシ、と骨のきしむ音がする。苦悶に歪む女を抱えて、男がせせら笑った。
「早くしねぇと、うっかり殺しちまうぜ?」
奥歯を強く噛み締める。
武器を離せば妻を殺さない、と目の前の海賊はいう。だが、それが信じられるのか? この男からは、どこまでも暴力の臭いしかしない。ただただ自分の欲望のままに動くだけの男だと、ひと目で理解できてしまう。そんな男が本当に口約束を守るのか? だが、離さなければ、確実に妻は殺される。
剣を握る手から力が失われる。男がゲラゲラと笑った。
「そうだよなぁ! 離すしかねぇよなぁ!」
その反応こそが見たかったのだ。村に侵入して以来、何度も胸糞の悪い気分にさせられてきた。狂人どもめ! 唾を吐いて捨ててやる。どうして強者に従わないのか。おとなしく殺されていればいいものを。
「てめぇらみたいなド辺境の田舎者はなぁ、黙って俺達に奉仕してりゃあいいんだよ! それを勘違いして盾突きやがって、なにを勘違いしてやがる!? このクソヤロウども、さっさと武器を捨てて這いつくばりやがれ! こいつだけじゃねぇ、村の連中全員やっちまったっていいんだ! 往生際の悪いジジババどもみてぇによぉ!!」
暴言にもっとも強く反応したのは、村長でも傭兵でもなく、村を走り回った妻だった。
(この男は、絶対に約束を守らない)
どうなろうと自分は死ぬ。死ななくても、奴隷としてどことも知れない国に売り飛ばされる。他でもない、男が苛立ちまぎれに独り言で叫んでいた犯行予告だっだ。
(そんな恥をさらすぐらいなら)
村の人間として戦ってやる。
決意はすぐに実行された。無防備に置かれた男の足を、全力で踏み抜く。激痛に緩んだ腕を強引に抜けながら、隠し持っていたナイフを顔面に突き刺した。
「ブ、ギャッ―――!?」
口を真一文字に裂かれた男がのけぞる。完全に拘束が解けたことで、妻が夫のもとへと駆け寄ろうとした。
「あなた!」
「だめだ、逃げろ!」
男の頑丈さは、どこまでも桁違いだった。顔面を血で染めながら、手にした大斧を半ば反射的に、怒りのままに振り上げる。肉の筋をなぞるように、女の腰から頸椎にかけて深々と斬り裂いた。
己に向けて手を伸ばしながら沈む妻に、夫は声にならない声で絶叫する。その瞬間、彼は自分の人生を形作ってきた理性も、倫理も、なにもかも忘却した。掌に持った凶器を構え、生まれて初めて抱いた明確な殺意のままに距離を詰める。
一心に突き出された剣先が左肩を貫くと同時に、返し様の戦斧が男の胸部を断ち切った。
(……駄目だった、か。私だものな。上手くいくはずもない)
身体の熱が急速に失われていくのがわかった。傷口から命の灯がこぼれ出している。受け身もとれず、仰向けに大地へ倒れこむ。かたわらに眠る妻の仇をとってやれなかった。夫として、男としての無力感を味わいながら死んでいくのだ。それもまた自分らしい。
色彩の消えた視界に、ひとつの影が現れた。
見慣れた顔だった。ふたりの間に生まれた愛の結晶。戸惑いもしたし、困りもした。だが、愛していた。不出来な父ではあったが、注いでやれた愛にだけは自信を持って頷ける。届かないと知りながら、震える手を伸ばす。
――――生きておくれ、私達の分まで。
遠い異国の地に憧れながら、村のために生きた男は、最期までワーレンの街並を目にすることなく生涯を終えたのだった。
アカネイア暦540年 モスティン 11歳(f)
見慣れた父の手が、力なく地面に落ちた。何かを掴もうとしたのだろうか。あるいは昔のように、幼かった頃の俺の頭を撫でようとしたのかもしれない。その瞳には何も映ってはいなかった。血の通わなくなった顔がどこまでも穏やかで、この世のしがらみから解放されたのだと理解できた。
その横には、無惨に背中を割られた母がうつぶせに横たわっている。激痛によるショックで亡くなったのか。苦悶に歪む死相の中で、口だけが誇らしげに笑っている。無力な自分が敵に一矢報いた、その功績を噛み締めながら逝ったのだろうか。
俺の親が死んでいた。
ふたりとも、争いごとには無縁の人だった。平穏を愛して、変わらない日常が何よりも贅沢だと信じて、村に生きる人々の幸せを願う、どこにでもいる普通の人達だった。
変わり種の俺でも愛してくれた。どんなに迷惑をかけたかもわからない。どこまでも苦労のし通しだっただろう。村が落ち着いたら、家族でワーレンの街並みを歩き、自分が案内してやるのだと心に決めていた。きっと喜んでくれる、これからは安心して暮らせるのだと、その日を待っていたのに。
すべてが台無しになった。
ありえたはずの未来が、海の彼方に消え失せた。
「―――――」
音が消えた。目の前の大男が、倍以上に裂けた口を開けている。聞こえない。後ろで大勢の誰かがなにかを叫んでいる。わからない。聞こえるのは自分の心臓の音だけだ。疲れきったはずの脈動が、別の力を呼び起こしたようだった。
世界から色が失せた。あるのはただ、人と物だけだ。空に立ち上る煙の下で、俺の邪魔をするナニカが蠢いている。俺の大切な宝物を壊した敵。そう、敵だ。俺の前には敵しかない。ならどうする。どうすればいい。
奪うことしかできない者達に、俺は何をくれてやれる?
鬼が
この世のものとは思えない叫びをあげて、一匹の魔獣が爆ぜるように大地を蹴った。