アカネイア暦538年 モスティン9歳(f)
契約は無事にまとまったので、村としては次の課題に取り掛からなくてはならない。
「それで、誰がワーレンまで行くんです?」
今回の商談で、村は秘蔵していた真珠の大半をトワイス商会に“預けた”。商会は“預かった”真珠を管理運営し、村に必要な物資や人材を確保して村へと送り届ける。そこまで達成させて、はじめて契約完了となる。
普通の取引なら、ここまで面倒な手順を踏む必要はない。真珠を丸ごと渡して相場の金額を受け取ればおしまいである。それが不可能だからややこしいことになる。
まず、商船には金銭がまったく積まれていなかった。海賊に追われる直前に貿易を終えていたので、村では使い道に困る剥製やら毛皮しかない。こんなものを受け取っても困る。
次に、金銭を渡されても村ではどうしようもない。誰も価値のわからない代物だけ用意されても、交換相手がいないのでは詰みである。
「船が手に入ったんだから、自分達でワーレンまで行って商売したらいいのでは?」
と思うかもしれない。自分でもそんな考えがよぎったが、すぐに諦めた。村の小舟とはわけが違う。ろくに運用ノウハウのない道具で海に出るなんて恐ろしい真似はできない。口に出すまでもなく却下。
なにより、いまの村ではどうしようもない問題にぶつかる。
「ワシらのようなぽっと出の田舎者を、誰が相手にするんじゃ?」
商売における大前提。『信用』が村にはこれっぽっちも無かった。
個人と個人の小額取引なら問題はないのだ。夕飯のおかずに大根一本とブリ一尾を買うのに信用も何もない。これが真珠と物資の高額取引になると、話がまるで変わってしまう。もし取引に使われた真珠が贋物や盗品、いわく付きで価値の無いものだったら? 騙されるリスクを背負ってまで大金を払う商人は少ない。いたらそいつは闇商人か何かだ。
まったく爺様のいう通りである。存在すら知られていない村の人間を名乗る連中が大量の宝石を持っていったところで、誰も買おうとはしない。窃盗団の疑惑をかけられて牢屋に放り込まれるのがオチだろう。これがド辺境の辛いところであり、おらが村の悲しい現状だった。せちがらい。
よって、村にできることは一つ。ワーレンの商家として信用のあるトワイス商会と契約し、諸々の取引を代行してもらう。その上で契約が適切に行われているかの監視、また要求した物資の点検も兼ねて、村からも数人を派遣する。これには当然アカネイアの経済を理解している者が必要不可欠。となると、
「ワシは外せんな」
爺様は確定である。100人前後の村において、都会の知識が多少でもあるのはこの人だけだ。先代村長の肩書も十分に格を満たしている。さらにもう一人、
「俺だよな」
「当然じゃ」
次期村長候補としての俺が立候補。村の5年後10年後を考えれば、爺様のようにアカネイアの知識を持った人材の育成が必要不可欠である。俺が都会の経験者第一号になって、村の子供達にアカネイア文化を浸透させてみせる。今回の船出は願ったり叶ったりだった。腕はまだビキビキいってるが、まったく気にならない。痛いのは生きてる証拠だから、へーきへーき。
「私には荷が重いよ。ふたりがいつ帰ってきてもいいように、村を守ることに専念したい」
村長である父は残留。本人の気質も相まって、都会を拒絶する引きこもりオーラが見えてしまうのが悲しい。本人がそのつもりならいいけどさぁ……大丈夫だろうか。帰ってきたら爺様と説得する必要が出てきた。
その他、商船の人員不足もあり、海戦に参加して無事だった男衆のうち4人も漕ぎ手で参加。3人が負傷のため除外、村を守るために4人が残る。残留組には幼馴染の名前もあった。
「マックスは無理か」
「村の守り手も残さなくてはならんからな」
苦渋の決断である。できれば俺と一緒に都会の空気を味わってほしかった。後で本人にそう伝えたところ、
「俺は次でいい。それより、お前がいない村を守る奴が必要だろ?」
なんとも男前な意見を返されてしまった。おまけで付いてきた答えがまた凄い。
「あの銀髪の兄ちゃんの又聞きだけど、ワーレンにだって兵隊がいるんだよな? そいつらは当然北の港を取り返すために戦うわけだ。もし勝ったら、負けた海賊がこっちまで逃げてくるかもしれない。その時に村を守るやつがいなかったら、それこそヤバいじゃないか」
お前なんでそんなに頭が回るの? 本当に教育受けてないの? 俺の知らない間に幼馴染が謎の成長を遂げてるんですけど。妙なやる気に満ちた親友がちょっと、いやかなり怖い。どこまで有能になるつもりだこいつは。
頼りになり過ぎる親友がそういってくれるので、村については一安心。続いて二日前の戦利品こと、鹵獲した海賊船二隻の扱いに移る。
「村の小舟とはまったく違う。今日明日で使いこなせる代物じゃないよ」
俺とマックスがぶっ倒れた海戦の帰りは大変だったらしい。商船の生き残りが数人ずつ二隻に乗り込み、村人を指導しつつえっちらおっちらと村にまで帰港したのだとか。実際にはろくな船着き場もないので帰港ではなく、浜辺に乗り上げただけともいう。
この二隻は現在、ロレンスのお眼鏡にかなったフィットマンが全力で整備している。こいつも村に受け入れてもらうために必死である。海賊に捕まってこき使われていた事情は村人達にも伝えてあるので、監視役という名目で付けた優しいおっちゃん漁師が心配して休むようにいうのだが、
「あの残忍銀髪美少年がいる間は休まない! 殺される!!」
と叫んで取り付く島もない。よっぽどトラウマになったらしい。限界が来るとスヤスヤ眠るそうなので、本人の気が済むまで好きにさせてやることに。
今回のワーレン行きにあたっては、運用の技術が足りないこと、メンテナンスが間に合わないことから二隻は用いない。海側から発見されるのも怖いので、船をすっぽりと隠せる木々まで村人総出で引っ張り上げた。全身に汗を流す男達と、それを拭ってやる女達、突然おこなわれた綱引きイベントにキャッキャと楽しそうに笑う子供達。ちょっとしたお祭り気分である。
それはいいのだが、毎回これはしんどい。トワイス商会のツテを頼って船着き場の建設を依頼しなくてはなるまい。定期的に交易するのだから、向こうも乗り気になってくれるはずだ……真珠代で足りるかな? 勉強してもらいたい。
俺達がこんな調子でひとつずつ問題を片づける間に、トワイス商会の船員達も数人が回復した。どうにか出発の目途がついたのは、海戦から四日後のことである。
北の港の一件には間に合わないんじゃないかと思ったのだが、専門家の意見は違った。
「この騒ぎは長引きますよ」
商会のオーナー、トワイスが苦笑いで答えてくれる。
「ワーレンにはアカネイアの兵がいません。自由貿易都市として独立するために、多数の傭兵を雇うことで軍隊にしているのです。彼らを動員するには、会議の多数決をとらなくてはなりません。これがまた時間のかかる段取りでして」
「頭を抑えられた状態なのに?」
「敵の敵は味方、という言葉があるのですよ」
どうか内密に、と頼まれた後の説明が以下である。
ガルダ海賊にも複数の組織があり、中には知恵を巡らせて利益をむさぼる者達もいる。その一部はワーレンの幾つかの商家ともコネクションを持ち、略奪の戦利品を横流しすることで討伐の対象から除外させるなど、したたかな面を持っているのだとか。
このコネは相当に太く、過去には同じガルダ海賊内の敵対組織をワーレン傭兵達に討伐させる、力を付けてきた商人を意図的に狙って襲撃させるなど、目を覆いたくなるほど黒い事件が頻発した。結果、首謀者の商会長はワーレンから追放され、自らが利用したガルダ海賊の手にかかったそうな。
「今回の占領も十中八九、商会の誰かしらの意図が働いています。奪還に可決するまで何日、何週間とかかるでしょう。実際に襲撃された私が戻って詳細を伝えれば、無駄な日数を短縮できるはずです」
負傷した肩も痛々しいトワイスが胸を張って告げる姿からは、なんとしてもワーレンを救う気概が漂っていた。商人として都市を守ろうとする在り方は、ちっぽけな村を変えようと動く俺にどことなく似ているようにも思える。彼からも学ぶところは多そうだった。
しかし、思った以上にガルダ海賊が手ごわい。ただの暴力集団ではない、ワーレン内部にまで結びついた活動は海賊というより、大規模な傭兵組織に近いのではないか。
色々と不安を抱えながらも、明日はいよいよ島を出ての初航海。いつか何の心配もなく、みんなで遠洋に出られるようにしたいものである。クロマグロの一本釣りとかさ。
……はたして、無事にたどり着けるんだろうか?